ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
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(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
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ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


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タグ:Berlin(Ost) ( 105 ) タグの人気記事

ミッテの朽ちたアパートから見えるもの

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Bergstr.にて(2009年12月7日)

先日ご紹介したミッテのゾフィーエン墓地を出て、墓地に面したベルク通りを歩いていたら、偶然こんな古めかしいアパートに出会いました。

関連記事:
石炭屋さん (2007-12-01)
古いアパートに浮かぶ文字 (2008-06-04)
家具屋という名のカフェ、石鹸屋という名の服屋 (2009-03-31)
肉屋という名の靴修理工房 (2009-04-01)

主に東地区に見られる、過去の痕跡が刻まれたアパートについては、これまでもこのブログで紹介してきました。初めて歩く通りで、こういう古いままのものを見つけると本当にうれしくなります。それだけ、今のベルリンでは数少なくなっているからです。

このアパートは、ベルナウアー通りのすぐ裏手に位置することがミソといえるでしょう。よく知られる通り、国境のベルナウアー通りに面したアパートは、壁建設後、東の政府が住民を強制的に立ち退かせた後、大部分を爆破させました。でも、ほんの少しだけそこから離れていたこのアパートは、何の因果によるものか生き延びた・・・。あれこれ思いをめぐらせていると、この古ぼけたアパートに奇妙な愛着が湧いてくるのです。

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近くに寄ってみましょう。Schuhとあるから、昔は靴屋か靴の修理工房だったのかな?

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"Beeile Bedienung"
急ぎの用事にも対応してくれたということでしょう。

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一番上の段は読み取りづらい。その下は、"Saubere Verarbeitung"(きれいな加工)ですね。それにしても、何とも味わい深い筆致。

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どうやら牛乳屋さんも、この中にあったようです。

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昨年11月末に、日独センターでの橋口譲二さんの講演会を聞きに行ったら、壁崩壊直後、プレンツラウアーベルクを歩き回って作ったという手書きの地図を見せてくれました。私にはそれがとても面白かった。少し長くなりますが、橋口さんの1992年の写真集「Berlin」(太田出版)から、該当する箇所を引用したいと思います。
プレンツラウアーベルクは街全体が古くて美しく、朽ち果てている感じだった。吹く風はコークスの匂いに混じって、コンクリートの粉末を運んでいた。人間の皮膚が剥けるように、コンクリートの壁が剥け、通りに面した壁にはコールタールで描かれた看板文字が、数十年の歳月が過ぎ去ったにもかかわらず新しく塗られたペンキの下からくっきりと浮かび上がっていた。食料品屋にタバコ屋、床屋と、壁に残された文字をたどるだけでも、19世紀の終わりから20世紀初めにかけてのベルリンの街角の賑わいを彷彿とさせてくれる。僕らはある時など写真を撮るのをやめて、壁に残された文字だけを頼りに昔の地図作りに没頭したりもした。牛乳屋さんだった所の壁には「ジャガイモの皮を持ってきてくれた人には薪を差し上げます」と書いてあった。当時ジャガイモの皮は牛のエサで、アパートの中庭で乳牛を飼っていたのだという。またワンブロックの中には床屋が3軒も4軒もあったので不思議に思っていると、道で会った老人が、昔は床屋が歯医者も兼ねていたのだと教えてくれた。(中略)

プレンツラウアーベルクでの毎日は、本当に驚きと発見の毎日だった。そこにはツィレの画集の中に出てくるような酒場の人間模様や道行く人たちのただずまい、19世紀終わりから20世紀初めのベルリンが息づいていた。ノスタルジーではなく、紛れもない現実が僕の目の前にあった。

僕の心を騒がし、揺り動かしていたものの正体は、この街角を流れている時の澱みだった。2度に渡る世界大戦の戦火を逃れ、ベルリンが近代都市として成立した時そのままの姿を残し、長い歳月の中で自然に朽ち果ててきた建物を見ていると、僕はいとおしさを感じずにはいられなかった。

それと同時に、誰に邪魔されることなく自然に朽ち果ててきたプレンツラウアーベルクを歩いていると、本来街そのものが生命を得た時からそなえ持つ時間軸が存在することを僕は知った。

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by berlinHbf | 2010-01-17 14:48 | ベルリン発掘(境界) | Comments(7)

ミッテのゾフィーエン墓地を歩く

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12月初頭、「壁とベルリン」の最終回で触れた、ゾフィーエン墓地の中に初めて入った時のことを書いてみたいと思います。ベルナウアー通りの壁記録センターに行ったことのある人は多いと思いますが、真向かいのゾフィーエン墓地にまで足を延ばしたという方はあまりいないのではないでしょうか。というのもこの墓地、入り口がわかりにくい。記録センターの角のアッカー通りを200メートル以上歩いて、ようやく入り口が見えてきます。ベルク通りにあるメインエントランスは、さらにそこからぐるっと回らなければなりません。

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この墓地(正式にはFriedhof II der Sophiengemeinde)は、ゾフィーエンゲマインデ(教区)の墓地が拡張する過程で、1852年に造られたのだそうです。何の予備知識もないまま歩いていたら、音楽家の墓が多いことに気付きました。これは作曲家ヴァルター・コロ(1878-1940)の墓。パウル・リンケらと並んで、ベルリン・オペレッタの創始者と言われている人なのだそう。彼の孫にあたるのが、有名なテノール歌手のルネ・コロですね。

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その近くには、やはり作曲家アルベルト・ロルツィング(1801-1851)の墓も。日本ではあまり知られていない人だと思いますが、代表作の喜歌劇「ロシア皇帝と船大工」は、ドイツの歌劇場ではたまに演目に上がります。「ベルリン名誉墓」の印である赤いレンガも下に見えますね。

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その隣には、作曲家ヴィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハ(1759-1845)という長い名前の人物の墓。名前の上には、デカデカと「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ最後の孫」。へ~、でもこの人の存在はまったく知りませんでした。

音楽関係では他に、ピアノメーカーBechsteinの創業者カール・ベヒシュタイン(1826-1900)の墓もあるそうで、ゆっくり歩くといろいろ発見がありそうな墓地です。

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さらにずっと歩いて行くと、昔の壁の跡にぶつかります。ここから北駅(Nordbahnhof)方面への眺めが印象的でした。3年前、「時間の止まった場所」として紹介したこの周辺も、壁記録センターの拡張工事に加えて、左端に見えるビルの建設など、その風景は大きく変わりつつあります。

関連記事:
時間の止まった場所(1) - Nordbahnhof - (2006-04-28)
トラムの新路線M10に乗る(2) (2006-07-19)

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by berlinHbf | 2010-01-11 16:08 | ベルリン発掘(東) | Comments(4)

「壁とベルリン」第6回 - ゲッセマネ教会の英雄交響曲 -

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ベートーヴェンの交響曲第3番の浄書総譜表紙(Wikipediaより)

11月2日、旧東側のプレンツラウアーベルク地区のゲッセマネ教会で、「非暴力への記念コンサート」と題する入場無料の公演が行われた。演奏は、ダニエル・バレンボイム指揮のシュターツカペレ・ベルリン。このコンサートは、20年前のある出来事を思い起こさせるものだった。

1989年の秋、ゲッセマネ教会は、平和と東独政府の改革を求める人々の牙城となっていた。50万人以上が集まったと言われる、11月4日のアレクサンダー広場でのデモのわずか翌日、緊迫した状況の中、シュターツカペレ・ベルリンがこのゲッセマネ教会で「非暴力コンサート」を行った。演奏されたのは、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」だった。

「寛容を要求するならば、まず自分が寛容でなければならない」というオーケストラのチェリスト(当時)、ホルスト・クラウゼの20年前のスピーチが、満員の聴衆の前で再び読み上げられた。「私が当時何を話したか、ほとんど何も思い出せないのですが、あの時感じた恐怖ははっきりと覚えています。前日に大きなデモがあったとはいえ、権力はまだ党の側にありました。その夜がどのような形で終わるか、誰にもわからなかったのです」。そういう状況下、指揮をしたロルフ・ロイターは聴衆に向かってこう言った。「壁はなくならなければならない!」。クラウゼは息が止まりそうになったという。11月9日の4日前にして、まだ誰も頭に描いていなかった言葉が発せられたのだ。

「このコンサートを指揮することは私にとって大変名誉なことです。なぜなら20年前のあのコンサートで、シュターツカペレのメンバーは象牙の塔にこもるのではなく、音楽を通して人を、そして世界を理解できることを示したからです」と挨拶したダニエル・バレンボイムによって、当時と同じ「英雄」の冒頭の2つの和音が力強く鳴り響いた。ベートーヴェンが旧体制からの打開を込めて書き上げたこのシンフォニーが、これほどの迫真をもって鳴り響いた例は、少なくとも私の中ではかつてなかったと思えるほど、感動的な演奏だった。

私の2列先にはヴァイツゼッカー元大統領が座っていた。教会の中を不思議な熱気と一体感が包んでいた。社会的な立場云々は問題ではなく、意思を持った人間が集まり体を寄せ合っている親密な空間。私は、直接には知らない20年前のコンサートを追体験しているような錯覚さえ抱いた。

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終演後、20年前のコンサートで指揮をしたロイターの未亡人に花を手渡すクラウゼ。それを見つめるバレンボイム

2009年の今年、印象に残ったのは「平和革命」という言葉を目にすることがかつてないほど多かったことだ。89年を指すのにこれまで一般的だった「転換期」(Wende)という言葉をしのぐほど、人権主義者のみならず、学者やメディアの間でも頻繁に用いられるようになった。11月9日の記念式典では、政治家のスピーチとドミノ倒しに注目が集まったが、一方で旧東独の人権活動家も多く招待された。アレクサンダー広場の「平和革命展」にはすでに100 万人以上が訪れ、来年10月までの公開延長が決まったという。

89年秋の出来事は転換ではなく、革命だった。ただ、ベートーヴェンが英雄交響曲を書くきっかけとなった、その200年前のフランス革命とは違って、非暴力の革命。「自由」は、ゴルバチョフやブッシュら政治指導者から与えられた贈り物ではなく、人々が自らの意思と勇気で勝ち取ったもの。派手なドミノ倒しは巨大なショーのようでもあったが、人々がこの価値ある事実を忘れなければ、大規模な20周年祭は意義があったと言えるのではないだろうか。
ドイツニュースダイジェスト 11月27日)

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by berlinHbf | 2009-11-28 00:15 | ベルリン音のある街 | Comments(12)

メンデルスゾーン家を知るために

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今年は作曲家フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809-47)の生誕200年に当たります。ベルリンは、ライプツィヒと並んでメンデルスゾーン家にゆかりの深い街。今回は、金融から芸術まで、世界に大きな足跡を残したこのユダヤ系一家を知る格好の場所をご紹介しましょう。

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(http://www.haus-mendelssohn.de)より借用

ミッテのジャンダルメンマルクト傍のイェーガー通り(Jäger Str.)は、古くからベルリンの銀行街として知られていました。2つの国立銀行に挟まれ、ベルリン最大の私営銀行として確固たる地位を築いたのが、 1795年創業のメンデルスゾーン銀行です。1815年、著名な哲学者モーゼスの息子にして銀行の創業者であるヨーゼフとアブラハム(フェリックスの父)がこの通りの51番地に越して以来、同地は100年以上にわたってメンデルスゾーン家の生活と活動の拠点になりました。現在、その中庭に面した建物が「メンデルスゾーン・レミーゼ」(Mendelssohn-Remise)という名で、一家にまつわる常設展を開催しています(入場無料の代わりに募金の形をとっています)。

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モーゼス・メンデルスゾーン(1729-86)の胸像

館内はコンパクトながら、メンデルスゾーン家ゆかりの品々や資料を集め、展示内容は充実しています。順番に見て回ると、この家系全体に貫かれているある種の「精神」が見えてきます。たとえば、銀行を経営しながらも様々な分野の人との交流を重んじたことです。サロン文化が花開き、博物学者フンボルトや哲学者ヘーゲル、あるいは作曲家クララ・シューマンら、そうそうたる顔ぶれがここに出入りしていました。そのことが若きフェリックスの音楽に大きな影響を及ぼしたことは言うまでもありません。また、慈善活動や今で言うメセナ活動にも力を入れ、世界的名声を得る前の、マネ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソらの作品を集めていたことも注目に値します。

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(http://www.haus-mendelssohn.de)より借用

メンデルスゾーン銀行のシンボルマークは鶴をモチーフにしており、その下には「ICH WACH」(私は目覚めている)と書かれています。鶴は古代から注意深さや介護の象徴で、怠惰や無関心とは正反対の概念です。社会、経済、文化、学問に対して関心と責任を持ち、保護育成しようとする。それがメンデルスゾーン家のモットーだったのです。

一時代を築いたメンデルスゾーン銀行ですが、やがて悲劇に見舞われます。反ユダヤ主義のナチスが政権を握ると、フェリックスの音楽はコンサートのプログラムから外され、1938年にはメンデルスゾーン銀行が解散させられるに至るのです。もともと銀行の馬車置き場として使われていたことからレミーゼと呼ばれたこの建物は東ドイツ時代、ガレージとなっていました。ドイツ再統一後にようやく改修が進み、2004年に「イェーガー通り歴史フォーラム」が運営する施設として生まれ変わりました。

不遇な過去によって、フェリックスの音楽やメンデルスゾーン家の研究はドイツ本国においてさえ遅れていると聞きます。彼らに新しい光が当たるのはこれからと言って良いでしょう。メンデルスゾーン家の精神を受け継ぎ、このレミーゼではコンサートなどの文化的な催しも頻繁に行われています。
ドイツニュースダイジェスト 11月20日)

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by berlinHbf | 2009-11-19 01:56 | ベルリンの人々 | Comments(3)

オーバーシュプレー・ケーブル工場でのコンサート

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Kabelwerk Oberspree (2009-9-22)

しばらく音楽の話題から遠ざかっていたので、また折に触れてここ数ヶ月で聴いたり見たりしたものを書いていきたいと思います。

もう2ヶ月近く前になりますが、ラトル指揮ベルリン・フィルのショスタコーヴィチ交響曲第4番の演奏に衝撃を受けたということを書きました(その時の記事はこちら)。その約1週間後、トレプトウ・ケーペニック地区のオーバーシェーネヴァイデ(Oberschöneweide)のケーブル工場で同曲が再び演奏されるというので、チケットを持っていなかったにも関わらず、足を運んでみました。

旧東のSバーンのシェーネヴァイデ(Schöneweide)の駅で降り、トラムに乗ってシュプレー側を渡ると、対岸にオーバーシェーネヴァイデの古い工場群が見えてきます。この場所は19世紀末から20世紀初頭のドイツの工業史と深いかかわりを持っており、現在はそれらの建物の多くが文化財になっているそうです。

ベルリン・フィルは2007年のヨーロッパコンサートをここで行っており、その縁から今回のケペニック800周年記念コンサートがここで開催されることになったのではないかと思います。しかし、このコンサートは数ヶ月前から売り切れで、当日行っても聴けるかどうか定かでなかったのですが、「チケット求む」の札を下げてしばらく立っていたら、運よくチケットを譲ってくれた方がいました。それが、「壁とベルリン」第5回 - WISTAに見る東独の再生例 -でご紹介したヨアヒム・メルケさんです。一緒に行くはずだった奥さんが来れなくなったためとのことですが、私にとってはラッキーな出会いでした。メルケさんにはその後もよくしていただいています。

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1890年以降、オーバーシェーネヴァイデには電気メーカーAEG社の拠点があり、1897年にこのケーブル工場が操業を開始します(当時1800人が働いていたとか)。ナチス時代はここで強制労働も行われていたそうで、フルトヴェングラー指揮の戦時中の工場での演奏もここが舞台だったと聞いたことがありますが、本当なのでしょうか。それはともかく、中に入るとその広さに圧倒されました。

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この奥に舞台があります。当夜は冒頭にベートーヴェンの交響曲第2番が演奏されたのですが、これだけ広い空間にも関わらず、音が明瞭にすっきりと響くのに驚きました。

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演奏自体はフィルハーモニーで聴いた時の方が上だったものの、東独時代は国営のコンビナートだったこの場所で、ショスタコーヴィチの第4を聴くというのは何ともいえない体験でした。

近年、オーバーシェーネヴァイデでは、これらの古い工業施設などを再利用して文化活動が盛んになってきているそうで、ぜひまた訪れたいと思います。

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by berlinHbf | 2009-11-16 01:33 | ベルリン音楽日記 | Comments(20)

「壁とベルリン」第5回 - WISTAに見る東独の再生例 -

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東独時代、科学アカデミー物理研究所のシンボルだった通称「アカデミーの乳房」。メルケル首相も、かつてこの場所に勤務していた

ベルリンの中心部からSバーンで約30分、旧東地域のアドラースホーフ(Adlershof)は初めて降りる駅だった。戦前からの古い駅舎と工事中の真新しい駅前とのコントラストが印象的だ。多くの学生が向かう方向に歩いて行くと、ヨアヒム・メルケ氏(70歳)が迎えてくれた。先日、あるコンサートでたまたま隣合わせになったことから知り合った同氏は、東独時代、科学アカデミーの広報担当として働いていた。東西統一後も科学ジャーナリストとして活躍した彼が、「東独再生の最大の成功例の1つ」と語ったアドラースホーフのWISTAに私が興味を示したところ、案内していただけることになったのだ。

WISTAとは、「科学・経済の所在地アドラースホーフ」の略語。4,2平方キロメートルの敷地の中に、410の科学系企業、147のメディア関連会社、フンボルト大学の自然科学系の6つの研究所、それ以外の研究機関などが並び、約1万4200もの人々がここで働いている、ドイツでも最大級の学術・テクノロジーパークである。

メルケ氏の車で、WISTAの敷地内を回った。とにかく広いことに驚く。私は日本の学術都市のような人工的な街を想像していたのだが、建物のスタイルが多種多様で、決して無機的ではない。その理由は、この場所の歴史を紐解いてみると見えてくる。

そもそもの出発点は1909年、この敷地にヨハニスタール飛行場が建設され、飛行機の組み立てと整備が行われる重要な基地となったことだ。ナチスが台頭してからは、軍用機開発と戦争の準備のための施設へと姿を変える。第2次世界大戦末期の45年4月23日には、制圧したロシア軍がまさにここから80万もの砲弾を市内に向けて打ち込み、その数日後にベルリンは陥落した。

東独時代は、科学アカデミーの研究センター、国営放送局、シュタージの保安部隊など機密度の高い重要施設が建ち並んだ。物理学者だったアンゲラ・メルケル首相が、かつて勤務していたのもここだ。

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東西統一後、ベルリン市がこのテクノロジーパークの開発に2億ユーロ以上を投資して以来、注目すべき成果を次々と生み出し、アドラースホーフは学術都市としてドイツ内外にその名を知られるようになった。敷地内を巡ると、カラフルなガラス張りの建築がある一方、飛行場時代のレンガ造りの格納庫や、ナチス時代に飛行機の落下を測定するために建てられた石造りの塔(写真左)などが保存されていて、ドイツの技術史を垣間見る思いだ。東独時代に国営放送局があった場所はメディアセンターに生まれ変わり、今年9月の総選挙直前に行われたメルケル首相とシュタインマイヤー外相のテレビ討論もここが舞台だった。


メルケ氏によると、壁の崩壊後、科学アカデミーの解体と再編に伴って、職を失い路頭に迷った人も少なからずいた。だが、そこから注目すべき成功例も生まれているという。

「ゼンテック(SENTECH)」の創始者アルブレヒト・クリューガー氏もその1人だ。1990年、科学アカデミーの物理学者だったクリューガー氏は、ちょうどアメリカ系の会社を解雇されたばかりの西独出身のヘルムート・ヴィテク氏と出会い、光学式の薄膜測定装置を販売する同社を創業した。「ヴィテク氏がマーケティングを担当して私は製品の開発と、役割分担は当初から決まっていました。それは今もうまく機能しています」。いわば東西のコラボレーションから生まれた企業ゼンテック。現在、従業員50人を抱える企業に成長し、その装置は世界中の研究所で愛用されている。
ドイツニュースダイジェスト 10月30日)

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by berlinHbf | 2009-11-03 13:20 | ベルリン発掘(東) | Comments(4)

フリードリヒスハーゲンを歩く

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ドイツニュースダイジェストの「散歩のススメ」というシリーズで、ベルリン東の郊外のこんな町を取り上げました。

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フリードリヒスハーゲン(Friedrichshagen)

1753年、フリードリヒ大王が入植者の村として設立し、特にボヘミアやシュレジア地方からの綿糸紡績工が多く移り住みました。19世紀半ばに鉄道が開通すると、別荘地として発展。風光明媚な湖グローサー・ミュッゲルゼーを中心に、今も昔もベルリンっ子の週末のハイキングコースとして愛されています。湖周辺にあるベルリン最古のビール会社「ベルリーナー・ビュルガーブロイ」の工場やネオ・ゴシック様式の上水道施設は今日、文化財に指定されています。
www.friedrichshagen.net
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Sバーンのフリードリヒスハーゲン駅を降りて南の目抜き通りに向って歩く前に、出口の北側に出てはいかがでしょう。小さなホームに、何とも愛らしいクリーム色の路面電車(トラム88番)がちょこんと停まっています。この路線はBVG(ベルリン交通局)ではなく、シェーンアイヒェ・リューダースドルフ路面電車という別の会社によって運営されていて、ここから東ドイツ最大の石灰岩産地だったブランデンブルク州のリューダースドルフまでを結んでいます。こんなレトロチックで情緒のあるトラムはベルリン市内では見られないので、鉄道好きならずとも乗ってみたら楽しいでしょう。毎週日曜日の8~16時は、この駅前で蚤の市が開かれています。いかにも地元の人ばかりが集まっているという感じで、東ドイツ時代の思わぬ掘り出し物に出会えるかもしれません。

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さて次は、フリードリヒスハーゲンの目抜き通り、ベルシェ通り(Bölschestr.)を歩いてみましょう。両側に色とりどりの店が並び、旧東ドイツということからイメージしがちな暗い雰囲気は微塵もありません。湖に近いせいか、空気までもがすがすがしく感じられるほどです。この通りで面白いのは、ベルリン市内のように建物の高さが統一されていないこと。ユーゲント様式による邸宅風のアパートがある一方で、低い三角屋根のかわいらしい建物も多く目に付きます。途中のマルクト広場(Marktplatz)には、フリードリヒスハーゲンの創設者であるフリードリヒ大王の記念碑が建っています。ポツダムやベルリンのイメージが強い大王ですが、こんなところにも影響を及ぼしていたのですね。

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ベルシェ通りの突き当たりにあるのが、1869年創設のベルリン最古のビール会社「ベルリーナー・ビュルガーブロイ」の工場です。文化財に指定されている歴史的な建物ですが、ここではもうビールは醸造されていないとのこと。でも、ここまで来たからには、ぜひビュルガーブロイを試してみたいと思っていた私に、格好のレストランがありました。ビール工場に併設した「白い邸宅」(Weisse Villa, Josef-Nawrocki-Str. 10 )という名前のお店で、その名の通りビュルガーブロイの経営者一家がかつて住んでいた邸宅がそのまま使われているのです。それだけに雰囲気は優雅で、湖を一望できるテラスもあります。ここにはビュルガーブロイのほぼ全種類が用意されていて、美味しいパスタと一緒に味わいました。

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ここまで来れば、グローサー・ミュッゲルゼーはもう目の前。湖のほとりには遊覧船の船着場がありますし、地下トンネルをくぐって対岸に渡ることもできます。疲れたら、帰りはトラムに乗って駅に戻るのも良いでしょう。天気の良い週末にぜひお薦めしたいコースです。
ドイツニュースダイジェスト 9月18日)

行き方:
Berlin Hauptbahnhof ‒ S Friedrichshagen S3で直通
1人片道2,10ユーロ(ABゾーン券) 
所要時間36分

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by berlinHbf | 2009-09-20 11:30 | ベルリン発掘(全般) | Comments(0)

シュトラーラウ半島の先端より

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ベルリンにもついに春が到来した。今年の冬は長く厳しいものだったので、例年より感慨も一段深い気がする。昨日はあまりに気持ちのよい天気だったので、午後大勢の人であふれるフリードリヒスハイン公園を一巡りした後、シュプレーに浮かぶ小さな半島Stralauまで足を延ばしてしまった。半島の先端にあるInselparkと呼ばれる公園の遊歩道、そしてここからの眺めは素晴らしかった(おすすめです!)。辺鄙なところかと思いきや、意外に交通の便もよく、104番のバス1本で帰って来られるというのも驚きだった。

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こういう天気の日、以前だとそれでも原稿を書かなければならないという時は泣く泣く家にこもっていたのだが、先月Macbookを購入したおかげで(日本から持って来てくれた弟に感謝!)、基本的にどこでも仕事ができるようになった。新しいカフェを開拓するのも楽しみだし、こんな風景の中に身を置きながら原稿を書けるのかと思うと、ちょっとわくわくする。はかどるか、全くはかどらないかのどちらかもしれないが。

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by berlinHbf | 2009-04-12 12:43 | ベルリン発掘(東) | Comments(2)

特選ベルリン街灯図鑑(12) 「カール・マルクス・アレー」

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1月に書いた、ナチス時代の街灯と合わせて紹介したい街灯が東側にあります。かつてのDDR政府が威信をかけて整備したカール・マルクス大通り。ここに1950年代に造られた街灯が並び立っています。

関連記事:
特選ベルリン街灯図鑑(11) 「『ゲルマニア』の跡」 (2009-01-30)

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この大通りのことは以前3回に分けて紹介したことがありますが、背の高い街灯の損傷は著しく、根こそぎ折れているものも珍しくありませんでした。それが、豪奢な社会主義建築がずらりと並ぶ割りに人通りが少ない、カール・マルクス・アレー独特の悲哀感を助長していたのですが。

関連記事:
カール・マルクス通りを歩く(3) (2005-09-15)

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昨年の8月、久々にこの大通りを歩いたら、かなり多くの街灯が新しいものに置き換わっていてびっくりしました。カール・マルクス・アレーが文化財保護区域に指定されていることもあって、ベルリン市が多額のお金をかけて修復することになったのです。

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それにしても、この街灯はナチス時代の街灯と比較すると、デザインがよく似ていることに気付きます。両者とも古典主義の影響を多分に受けているせいでしょうか。「兵どもが夢の跡」という台詞を実感させずにはいられない、ベルリンに残る貴重な街灯2つをご紹介しました。

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by berlinHbf | 2009-02-24 01:30 | ベルリン音楽日記 | Comments(9)

メルキッシュ岸沿いに歩く(2)

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前回ご紹介したRoßstraßebrückeからInselbrückeまでの2つの橋の間は、歴史的な建築物が立ち並ぶ。初めてここに来た時、「こういう場所がベルリンにあるのか」と結構感動したものだ。2年前に訪れたコペンハーゲン旧市街のニューハウンを何となく思い出す。建築様式的にも案外近いのではないだろうか。

関連記事:
北欧の雄、コペンハーゲン滞在記(1) (2007-09-26)

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もちろんコペンハーゲンのニューハウンには、目の前にこんな高層マンションは建っていない。このアンバランスさがベルリンの魅力だろうか・・・。そういうことにしておこう(笑)。

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ついでに違う季節の写真も1枚。これは2006年9月に訪れた時の様子。運河沿いに気の利いたカフェでもできれば人だって集まると思うのだが、私が来る時は大体いつもこんな感じだ。近くのニコライ地区はともかく、ここまで来る観光客は非常に少ない。

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Inselbrücke橋のたもとからのテレビ塔方面の眺めは、とても好きだ(2007年4月撮影)。このすぐ近くにはベルリン史の宝庫、「メルキッシュ(辺境)博物館」もあるし、ベルリンの歴史を感じ入るには最高のエリアといえるのではないだろうか。

関連記事:
ベルリン史の宝庫、メルキッシュ(辺境)博物館 (2006-04-09)

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Johann Georg Rosenbergが描いた18世紀末頃のこの界隈の様子。のどかな漁村の風景が当時はまだ広がっていたのだ。

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ベルリンの原風景を想像しながら、私は次なる歴史的な地区へと向かった。

(少し間を置いてまた続きます)

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by berlinHbf | 2009-02-22 01:07 | ベルリン発掘(東) | Comments(2)

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