ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
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(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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震災3周年の日に大船渡を想う

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東日本大震災から3周年の昨日、ベルリンの日本大使館の前で小さな祈念行事が行われるというので、足を運んできました。主催の「絆・ベルリン」はこれまで数度に渡って岩手県大船渡市を中心にボランティア活動を行ってきたNPO法人。キャンドルを灯して、地震が起きた時刻に黙祷。犠牲者の方々に哀悼の気持ちを表し、復興を祈念しました。

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家に戻ってから、一昨年の5月に大船渡や陸前高田を訪ねたときの写真を久々に眺めながら、当時を振り返っていました。ブログの旅行記は、被災地のことを書くことの難しさを実感する機会もあって、最終日だけ書かないまま時間が過ぎ去っていました。もう2年近く経ってしまいましたが、あの旅でお世話になった方々を想いながら、綴ってみたいと想います。

2012年5月20日(日)、泊めてもらった大学時代の友人に連れられて、仮設の飲食店街で昼食。その後、市内のリアスホールという文化会館へ行く。大ホールでは確かお笑い芸人によるモノマネショーが行われていたが、私たちは貸スタジオの方へ。もともと友人とは大学時代のオーケストラで知り合い、彼はオーボエ、私はフルートを吹いていた。2人ともまだ細々と演奏活動を続けていて、友人は休みの日にここに来ては楽器を吹いているのだそうだ。この日は1時間半ぐらい、コピーして持ってきたバッハの譜面を何曲か吹いて遊んだ。一緒に吹くのはかれこれ大学生以来だったから、なかなか新鮮な時間だった。

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心理カウンセラーとして地元の学校で仕事をしている友人は、日頃の激務もあって一旦アパートに戻る。私は少しでも大船渡の街を歩きたいと思い、そこから港の方に向かって散策することにした。途中、JR大船渡線のレールとぶつかる。大船渡の盛から北に延びる三陸鉄道がドラマ「あまちゃん」などの影響で脚光を浴びたとのとは対照的に、大船渡線の盛-気仙沼間は復旧の目処がまったく立っていないという。最近の記事をいくつか読むと、復旧に向けた話し合いが持たれているようではあるが、費用やルート変更などの多くの問題が積み重なっている。

関連記事:
時論公論 「震災2年半 足踏みする鉄道復旧」(NHK)

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「かもめの玉子」で有名なさいとう製菓の本社だった建物。震災直後、社長がこの高台から撮影した津波の映像が忘れられない。市内にさいとう製菓の仮設店舗があり、そこでお土産を買って帰ることに。

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港から太平洋セメントの工場を望む。

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リアスホールが結構賑わっていたのに対して、私が歩いた道沿いで人とすれ違うことはほとんどなく、周囲は静寂が支配していた。

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大船渡駅があったところ。仮設の飲食店街はこの近くにある。

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あのときお世話になった方々やその前日の運動会で出会った人々はいまどうしているかなと思う。夜、「やまちゃん」という居酒屋でおいしいちらし寿司を食べてから、友人に見送られ東京行きの夜行バスに乗り込む。少し寝て、どのぐらい経った後だろうか。目が覚めて窓の外を見たら、陸路にいるにも関わらず目の前に巨大な船がどんと横たわっている。私は突然SF映画の世界に紛れ込んだような超現実的な感覚に襲われたが、すぐに正気に戻った。テレビや写真で何度も見た、気仙沼市鹿折に打ち上げられた第18共徳丸に間違いなかった。今どうなっているのかと思って調べてみたら、昨年夏からの撤去作業が終わり、すでに4ヶ月が経ったそうだ。

関連記事:
消えた「震災の記憶」客足まばらに 宮城県・気仙沼 打ち上げられた第18共徳丸

昨日の祈念行事の最後に、「絆・ベルリン」の福澤啓臣さんが「これからも息長く被災地を支援していきましょう」と呼びかけた。数は減ってきたけれども、「絆・ベルリン」や柏木博子さんが主催する震災孤児を支援するNPO"KIBOU"などは、被災地の支援を今も継続的に行っている。距離は大分離れているが、ベルリンとこの風景とはどこかでつながっていると思いたい。そして、いつかまた大船渡や陸前高田をゆっくり訪ねたいと思う。
by berlinHbf | 2014-03-13 00:21 | ドイツから見た日本 | Comments(1)

岩手県被災地内の高校生がベルリンへ

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「翼」プロジェクトでベルリンを訪れた岩手県の高校生たち

この夏、岩手県の高校生5人がベルリンの高校生と交流しました。主催したのはNPOの「絆・ベルリン」。2011年3月の東日本大震災後、ベルリン在住のドイツ人と日本人によって組織されたこの団体は、同年秋から今年5月まで、岩手県大船渡市を中心に陸前高田市や大槌町などで計4回のボランティア活動を行ってきました。

「最初のボランティア活動で大船渡高校の生徒たちと交流したとき、彼らから『地域復興のために役立ちたい。そのために、外国の人たちと交流をして見聞を広めたい』という話が出ました。そこで彼らをドイツに招待し、同じ年代のドイツの若者と交流して少しでもドイツの社会を知ってもらえれば、何かの役に立つだろうと考えたのです。具体的に動き出すまでに時間は掛かりましたが、幸い日本側の窓口となるNPO『遠野まごころネット』、助成金を出してくださるロベルト・ボッシュ財団との共催という形で交流プロジェクト『翼』が実現することになりました」と、代表の福澤啓臣さん(ベルリン自由大学元准教授)。

今回ベルリンを訪れたのは、面接で選ばれた被災地の久慈、宮古、釜石、大船渡の高校生5人。彼らはドイツ人家庭でのホームステイやドイツの高校生との交流を通して、9日間にわたり現地の実際の生活や社会を学びました。

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ワークキャンプの様子

8月10日、福澤さんのお宅で行われたワークキャンプにお邪魔すると、日独の生徒が1人ずつ、食文化やスポーツ、グリム童話、音楽などのテーマで発表し、それについて討論している最中でした。ドイツ側の参加者はベルリンのカニジウス校や自由大学で日本語を学ぶ若者で、日本語を共通語として活発な意見交換が行われました。
 
参加者の声をご紹介しましょう。宮古高校2年の阿部美月さん:「初めての海外で緊張しましたが、毎日とても充実しています。ベルリンは都会なのに自然が多く、地元の岩手に近い感覚がありますね。カニジウス校の日本語の授業を見学する機会があったのですが、日本と違って生徒主体で行われているのがすごいなと思いました。将来海外で日本語を教えたいという夢があり、いつかまたドイツに来たいです」

久慈東高校1年の山根省吾君:「現地の生徒の前で震災時の様子や被災地の話をしたら、皆さん真剣に耳を傾けてくれました。ベルリンは至る所で歴史に触れ合える街ですね。大好きなサッカーも本場で体験してみたいです」

「翼」プロジェクトでは2017年まで計5年間、毎年5人の高校生がドイツに招待されます。「『絆・ベルリン』のボランティア活動が一区切り付き、今後は『翼』のような息の長い復興支援活動を続けていきたい」と語る福澤さん。若い世代による実りある交流が蓄積されることを願いたいと思います。
www.kizuna-in-berlin.de
ドイツニュースダイジェスト 9月6日)
by berlinHbf | 2013-09-06 00:29 | ドイツから見た日本 | Comments(0)

東日本大震災から2周年を迎えて

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ポツダム広場まで行進した「さよなら原子力ベルリン」のデモの様子

東日本大震災から2周年を迎えた週末にかけて、ベルリンでは多くの関連行事が開催されました。私が取材した中から、2つの行事をご紹介したいと思います。

3月9日の昼に、ブランデンブルク門に面したパリ広場で「さよなら原子力ベルリン」の集会とデモが行われました。これは在ベルリンの若い日本人が中心となって企画したもの。あいにくの冷え込んだ天気となりましたが、日本とドイツを中心とした様々な世代の人々が集まりました。

主催者の1人である塚本晶子さんの挨拶の後、放射能専門家で専門情報誌「Strahlentelex」の編集者トーマス・デアゼー氏、震災後、福島からベルリンに移住してきた美容師の香川智之さんらがスピーチを行い、合間に原発への批判的なメッセージを込めた歌やダンスが披露されました。

その後、一団はポツダム広場までデモ行進し、広場ではライプツィヒ大学東アジア研究所の小林敏明教授の音頭で「原発反対」「自然を返せ」「子どもを守れ」の日本語のフレーズを何度も叫び、熱気が高まりました。

この翌日には「アンチ・アトム・ベルリン」主催のデモも行われましたが、原発に異議を唱える気持ちは同じでも、ドイツ人と原発事故の直接の当事者である日本人の間では、共有できる部分に時折「ズレ」が生じます。170人前後のデモでしたが、ベルリン在住の若い日本人からこのような声が上がったのは意義のあることだったと思います。最後は参加者全員で「ふるさと」を歌いました。

3月11日には、ベルリン日独センターで復興祈念の集い「復興への道のり」が開催され、最初に日本から招かれた阪口進一復興庁参事官が「震災復興の現況報告」というテーマで講演を行ったのですが、何か違和感を覚え、私の心はざわつきました。日本の技術力により、被害をいかに止められたか、被災地が順調に復興に向かっているかといったポジティブな内容に終始し、今なお不自由な生活を強いられている人の実情が具体的に伝わってこなかったからです。

その後の質疑応答では、ドイツ人の聴衆から日本政府の原発の方針についての厳しい質問が飛んだほか、気仙沼出身でベルリン在住の若い女性が、「仮設住宅1つを取っても、抽選に漏れた人、親戚宅に居候している人、自費でアパートを借りている人などさまざまな状況があること」を切々と語りました。省庁の淡々とした報告と被災地の叫びとの間に、どれほどの温度差があるのか、多くの聴衆が感じた瞬間だったと思います。改めて自分の中で、「3.11」について考える良い機会となりました。

東北の被災地を度々訪れている日本在住の友人が、最近このように記していました。「立ち上がり歩み始めるいくつもの姿があり、希望さえ奪われたままのいくつもの日々があります。もう2年、まだ2年です」。

被災地の現状を実感した一方で、「復興への道のり」の最後には、ベルリン独日協会を中心とした支援により建てられた陸前高田市の「ベルリンハウス」や、NPO団体「絆・ベルリン」と被災地との交流活動について、報告が行われました。このように、被災地の人々と喜びを共有できる機会も今後少しずつ増えていけば、と切に願った次第です。
ドイツニュースダイジェスト 4月19日)
by berlinHbf | 2013-04-21 15:49 | ベルリンのいま | Comments(0)

震災孤児のためのチャリティーコンサート

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1月30日に行われたチャリティーコンサートで、見事な演奏を披露したピアノトリオ“Take 3”

2011年3月の東日本大震災では、東北地方で240人の子どもが両親を、1400人弱の子どもが片方の親を亡くしました。昨年秋、このような震災孤児を支援するNPO法人“KIBOU”がベルリンに発足。1月末、この法人が主宰するチャリティーコンサートに足を運ぶ機会がありました。

この夜登場したのは、エーブン・ユー(ピアノ)、ユージン・ナカムラ(ヴァイオリン)、ノルベルト・アンガー(チェロ)の若手3人からなるピアノトリオ“Take 3”。メインに選ばれたベートーヴェンのピアノトリオ《幽霊》の2楽章が始まると、みるみるうちに照明が落とされ、舞台中央でほのかに灯されたロウソクが、作品名にふさわしい幽玄な雰囲気を作り出しました。このユニークな演出の後、フィナーレでは一転して、音楽家たちが体を揺さぶりながらのエネルギッシュな演奏を披露。客席を埋めた聴衆からは、盛大な拍手が送られました。

“KIBOU”を主宰するベルリン在住の柏木博子さんに、話を伺いました。柏木さんはデュッセルドルフのドイチェ・オーパー・アム・ラインなど、長年ドイツのオペラ劇場で活躍したソプラノ歌手。震災によってこれだけ多くの孤児が生まれたことに衝撃を受け、また昨年春初めて被災地を訪れた際に案内してくれた地元の記者が、涙ながらに現状を伝える姿を前に「何かしなければ」と思ったそうです。

そんなとき、柏木さんは「子どもの村東北」が仙台市に作られる計画を耳にします。「子どもの村」とは、親を亡くしたり、事情があって実の親と暮らせない子どもたちを、孤児院のように集団で養育するのではなく、「村」の敷地の中で里親やほかの子どもたち数人と共同で生活させることで、家庭に近い環境で育てるというもの。もともとSOS-Kinderdorfとして第2次世界大戦後のオーストリアで誕生し、現在は世界133カ国で活動しています。

「以前ドイツの『子どもの村』を支援していたこともあり、これは素晴らしいアイデアだと思いました。設立資金の援助をしたい気持ちと、若手の音楽家に演奏の場を提供したいというかねてからの想いが結び付いて、NPO法人にしようと決意したんです」(柏木さん)

ドイツでNPOを作るには煩雑な手続きが必要とされますが、専門知識を持つ友人の助けにより、わずか1カ月の準備期間で設立。活動の趣旨に共感したベルリン・フィルやシュターツカペレのメンバーをはじめとする優秀な音楽家が、無償で演奏を引き受けてくれることになりました。

「ギブ・アンド・テイクの関係を大事に、来てくださる方に募金をお願いするだけでなく、音楽的にも質の高いものを提供したかった。多くの方々の支援でここまでくることができましたが、目的は『子どもの村』を作ることだけではなく、その先にもあります。今後も継続してコンサートを開催していきたいと思います」と語る柏木さん。

震災2周年直前の3月6日(水)、ポツダム広場近くのマタイ教会(St. Matthäus-Kirche)で行われるコンサートでは、ベルリン・フィルの若手メンバーからなるカルテットがシューベルトの「死と乙女」などを演奏。また、仙台の河北新報の提供により、被災地の今を伝える写真パネルが会場に展示される予定です。詳細はwww.fk-kibou.orgより。
ドイツニュースダイジェスト 3月1日)
by berlinHbf | 2013-02-28 12:07 | ドイツから見た日本 | Comments(2)

大船渡を旅する(4) 陸前高田

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陸前高田市(2012年5月19日)

大船渡市の運動会を見た後、諏訪君にお願いして陸前高田市内に連れて行ってもらった。陸前高田にはその2日前にも行ったのだが、そのときは大雨のため車の中から眺めるだけだった。どうしてももう一度ここに来て自分の足で歩いてみたいと思ったのだった。

この日は晴天で、視界も良好。「奇跡の松」として有名になった陸前松原の1本松を遠目に眺めてから(この地点から先は立ち入り禁止になっていた)、陸前高田駅跡に行ってくれないかと友人に頼んだ。私は初めての街を来たとき、そこを鉄道が通っていれば、まず駅に行ってみる妙な習性が昔からある。

しかし、これがなかなか容易なことではなかった。
車のナビを使って駅を目指したが、至るところに積まれた瓦礫の山が、ナビの指示に従って進もうとするわれわれをはばむ。これは無理だと判断して、私は車から降りて、2年前の市街図を手に駅を目指した。市街に残った数少ない建物の廃墟、特に県立高田病院の位置と方角を頼りに歩くと、駅前から続く通りに抜け出た。そこをまっすぐ歩くと、正面が駅前の広場である。

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もっとも、駅舎も何もかも流され、かろうじてホームの跡がその名残を留めるだけであった。陸前高田駅の往年の姿はYouTubeの映像で見ることができるが、昭和初期に建てられたかわいらしい駅舎だったようだ。

三陸鉄道は最近再開工事が始まったようだけれども、その大部分が海岸線に沿って走る大船渡線の惨状は目に余るものがあり、沿線の街の壊滅の程度を思うと、そもそも再びここに鉄道が走ることはあるのだろうかと、私は気の遠くなるような思いに駆られた。

大船渡線を利用していたのは高齢者と高校生が中心で、地元の人でさえ復旧にあまり執着していないという話も聞いた。もちろん、高齢化が進む地元の人の貴重な足であることは間違いないし、個人的には将来全線復旧することを願う。だが、それは陸前高田や沿線の街がこれからどのような形で復興するかにもよるのだろう。

駅前通りの往時の賑わいを想像しながら、車を駐車してもらっている市民体育館の方に向かって歩いた。

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中心部のこのあたりはさすがに瓦礫の撤去は進んでいるのだが、震災から1年以上過ぎたいまも、人びとの生活用品がときどき無造作に置かれていたりする。

市役所やその向かいの市民会館には献花台が置かれ、多くの花や千羽鶴が飾られていた。そのとき、一台のバスが到着し、ボランティアの皆さんがやって来た。手を合わせて祈る人、写真を撮る人、一瞬だが神妙な空気が流れる。

陸前高田市民体育館は、今回被災地を訪れた中で、もっとも強烈に心に刻まれた場所だったかもしれない。ご存知の方も多いと思うが、ここは一時避難所に指定されており、震災直後、多くの人が避難していた。しかし、津波は全てを飲み込み、水位は一時天井の手前40センチのところまで達した。結局、天井のはりにつかまった3人を除き、約80人もの方が亡くなったのだそうである。「6月に取り壊されるかもしれないから、絶対見ておいた方がいい」と諏訪君に言われていた。

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おそるおそる中に入ってみると、そこはほとんど震災直後の状態のままのように思われた。車が2台打ち上げられており、片方の乗用車の助手席には花束が供えられていた。無数の死者の気配がいまだ残っているかのようだった


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母や諏訪君と話していて不思議に思ったのが、津波は海側から襲ってきたに違いないのに、大きくえぐれていたのが、海側ではなく、山側の側面だったことだ。一体どうしたらこういうことになるのか。はっきりしているのは、人間の想像をはるかに越える力がこの街を襲ったという事実だけか・・・。

(つづく)

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by berlinHbf | 2012-07-03 01:15 | ニッポン再発見 | Comments(3)

大船渡を旅する(3) 大船渡の運動会

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記憶が薄れないうちに、旅のメモをまとめておかなければと思う。

5月19日
この日は土曜日ということで、諏訪君が午前中から車で案内してくれた。抜けるような青空が広がったこの日、大船渡市の各地の小中学校で運動会が行われ、彼が日頃勤務している学校をいくつか巡ることになった。まさか大船渡に来て運動会のハシゴをすることになるとは思わなかった(笑)。

最初に訪れたのは、丘の上にある大船渡小学校。ここは校長先生の迅速な判断と対応により、子どもたち全員を一段高台にある大船渡中学校に避難させることができたのだそうだ。

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続いて訪れたのが、赤崎小学校と蛸ノ浦小学校の合同の運動会。

蛸ノ浦小校庭には仮設住宅があり、赤崎小も校舎が津波で全壊してしまったため、綾里地区にある多目的グラウンドで運動会が行われていた。ここでは児童の家族だけでなく、地元のご老人なども見に訪れているようで(仮設住まいの方も多くいるのかもしれない)、なごやかな空気に包まれていた。

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吉浜小学校と中学校の合同運動会では、中学生がソーラン節を、小学生は剣舞という東北地方太平洋側に伝わる伝統の舞を披露し、見応えがあった。何より子どもたちの元気な姿を見られたのが何より。

どこの学校でも諏訪君がわざわざ校長先生のところまで連れて行って私のことを紹介してくれた。「へ~わざわざドイツから?遠路はるばるご苦労様です」などと言われると恐縮してしまう。先生方の言葉や、生徒たちと接しているところを見ても、諏訪君が各学校の人々に溶け込んで、信頼されている様子が何となく伝わってきた。

だが、カウンセラーとしての日々の話を聞くと、これは相当に大変な仕事だと思った。生徒だけでなく、先生方からの相談を受けることも多いという。肉親を亡くしたにも関わらず、子どもたちの前では気丈に振る舞おうと努めストレスを抱え込んでいる先生、避難する際に津波で人が流されている様子を見てしまった子どもたち・・・人の喪失、物の喪失、慣れ親しんだ街並みが変わってしまったことの喪失感、それら全てが同時に襲いかかってきた人も少なくないのである。人々の苦しい心のうちを聞くことを仕事とするカウンセラーが、逆に参ってしまうという話も聞いた。諏訪君が言うには、阪神大震災のときは、震災から3~4年経った頃心理カウンセラーへの相談件数がピークを迎えたという。かけがえのないものを失ったことからくる心の喪失は、生活がある程度落ち着いたときに、ふと押し寄せてくるのかもしれない。大変なのは、まだまだこれからなのである。

(つづく)

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by berlinHbf | 2012-06-12 21:55 | ニッポン再発見 | Comments(0)

大船渡を旅する(2) 唐丹-釜石-バスで碁石海岸へ

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大船渡市越喜来にて

5月18日
朝、諏訪君にはるばるあづま荘まで迎えに来てもらい(公共バスは2時間に1本ぐらいしか出ていないのだ)、大船渡市内へ。この日もレンタカーを借り、まず釜石の方面に向かうことにした。

前回の記事に写真家の大洲大作さんがコメントしてくださったように、「被災地、と一言でくくるには、この大震災で被災した地域はあまりに範囲が広く、被害の程度にも幅がある」。大船渡市だけでも、実はかなり広い。浜街道を北上し、トンネルに入っては抜け出てを繰り返しながら、越喜来(おきらい)、吉浜、唐丹(とうに)などリアス海岸に面した集落を過ぎていく。まず名前の読み方と場所を確認することから始め、度々車から降りては、その風景を記憶に留めておこうとした。

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三陸鉄道南リアス線唐丹駅のホームから。現在運休中だが、数日前、近々再建に向けた工事が始まるといううれしいニュースも耳にした。

唐丹の海には堤防が築かれていたが、津波は楽々とこの上を越えていったようだ。このすぐ向こうの小学校の体育館には、ピアノが痛ましく置かれていた。

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階段を上がって堤防の向こうを見渡すと、がれきの山が一面に広がり、絶句してしまう。1台のショベルカーが黙々と分別作業をしており、奥の方には冷蔵庫など大型家電などを集めた一角も見られた。この1箇所に限っても、まったく気の遠くなる作業に違いない。ここの住民は去ることを余儀なくされ、聞こえてくるのは、ショベルカーの「ゴトゴトゴト」という音だけ。穏やかな海を背景に、被災地では大体どこも静けさが支配していた。

平田総合公園を通ったとき、敷地内に仮設住宅がずらっとひしめき、釜石の大観音を望みながら、ゆるやかな坂を下っていくと、今度は前方に巨大な瓦礫の山が広がった。

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お昼は、釜石駅近くの「サン・フィッシュ釜石」の食堂でウニ丼を食べた。言うまでもなく、とてもおいしい。店内はかなり活気が戻っているように感じられた。仮設店舗に移った呑ん兵衛横丁にも行ってみたが、ここはまだ開いていなかった。

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釜石市役所近くの高台から。建物の中には津波が押し寄せたラインがまだ生々しく残っているものもあった。

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夕方、大船渡に戻って、盛サンリア18時12分発、碁石海岸行きの最終バスに乗ってこの日の宿に向かう。前日に車で走った道路だが、路線バスの車内には人々の日常の生活があり、風景も新鮮に見える。窓の外をぼんやり眺めていると、意識せずとも、地元の高校生たちの会話が耳に入ってきた。ちょうど新学期の始まった季節、数名の女子高生が、体格は大きいが控え目そうな男子に向かって、「ねえねえ、彼女できたあ?」と車内に響き渡る声で言う。恥ずかしそうにする彼らに対して、「顔カワイイからすぐにできるよ」と(笑)。のどかな車中だったけれど、若い彼らは、風景が変わってしまった大船渡の街を毎日眺めながら学校に通っているのかと思う。そんな女子高生たちも、1人また1人と日没が迫った停留所で降りてゆき、終点に着いたときは私たちだけになっていた。

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この日は民宿の海楽荘に宿泊。5号室は眼下が海で、波の音がずっと鳴り響いていた。夕食は、マグロの兜煮を始めとした豪勢なものだった。震災後、温泉は地元の人に無料で開放しているのだそうだ。

日本滞在中の日記はもう少しリアルタイムで綴りたかったけれど、続きはベルリンに戻ってからになりそうです。Bis bald!

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by berlinHbf | 2012-06-01 18:56 | ニッポン再発見 | Comments(2)

大船渡を旅する(1) 碁石海岸-正徳寺-越喜来

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碁石海岸の穴通磯

5月17日
早朝7時過ぎ、大船渡の盛に着くと友人の諏訪賀一君が迎えに来てくれた。彼は大学のオーケストラで知り合った仲間(今もオーボエを吹いている)。大学卒業後、沖縄の病院に心理カウンセラーとして勤務していたが、東日本大震災後、「国境なき医師団」の支援プロジェクトで被災地に渡ったことが縁となり、昨年秋から巡回型カウンセラーとして大船渡市の小中学校に勤務している。私も被災地に行ってみたい気持ちは強かったのだが、前回の帰国時は叶わず。そんな中、旧友がいま単身赴任で大船渡に来ているということを知り、今回何とかして訪ねようと思ったのだった。

バスでの長旅で疲れは残っていたが、諏訪君のアパートでコーヒーをご馳走になりながらしばらく談笑していたら、すっかり生気がよみがえってくるのを感じた。震災時はこのアパートの1階が浸水したこと、彼が大船渡に来たときは家の目の前がまだ瓦礫の山だった話などを聞いた。

実は今回は母との2人旅である。妻はこの時期九州の祖母を訪ねるので、1人で行くつもりだったのだが、母も被災地に行く機会を前から狙っていたらしく、数日前になって突然「私も行く!」と言い出したのである。結果、いろいろ助かった面が多かった。第一に移動手段のこと。大船渡線は完全に寸断された状態、バスも非常に本数が少なく、車がないと移動は非常に厳しいということがわかった。私は今回国際免許を持っていないので、車を運転できる母がいなかったら大船渡の外に出ることさえままならなかっただろう。

仕事に出る諏訪君と別れ、われわれはレンタカーを借りて、碁石海岸に行った。穴通磯の自然美が素晴らしかった。雷岩が生み出す独特の水しぶきの音、そして今でも脳裏に残っているウミネコの鳴き声・・・

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陸前高田の広田湾を望む。右手の敷地にJR大船渡線が走っていた。

午後になって雲が増え、小雨が降る中、陸前高田の方に向かう。広田半島の付け根にある小友小学校、両替といった地区を通っているとき、思い当たるところがあり、千葉望さんの『共に在りて』(講談社)を開いてみた。冒頭の地図を見て、「やはりそうだったか」と思った。この本の舞台が、まさにこのあたりだったのだ。だとしたら、この近くにある千葉さんのご実家であり、震災後避難所となった正徳寺はどこだろうかと訪ねてみたくなった。地元の人に何度か道を聞き、それでも迷い続け、ようやく正徳寺にたどり着いたときには雷鳴が轟き始めた。私はお寺の場所が確認できただけでよかったのだが、母は「ここまで来たらお寺の方に挨拶したい」と言ってきかない。

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入り口から中に入ると、玄関で1人の女性が立っておられた。挨拶して聞いてみると、千葉さんの義理の妹にあたる寿子さんだった。いきなり訪ねて来た見ず知らずの者に対して大変親切に接してくださり、少し時間があるからと、避難所となった建物、立派な本堂を見せてくださった。震災当初は布団の手配もままならならず、それでも廊下までぎっしり避難してきた人が埋め尽くしていたそう。後に大船渡市が畳の張り替えのためにお金を出してくれたことからも、今回の震災でこのお寺の果たした役割の大きさが伺えた。いまの本堂は約200年前に建てられたものだという。大きな木が茂る境内を眺め渡し、畳のにおいのこめる部屋にいると、心がどこか落ち着くのを感じた。立派な厨房も備わり、体育館などの避難所生活に比べて、ここに避難した方は、いくらかの安心感を得られたのではないかと想像する。千葉さんも書かれているが、現代の都会の人には、何か起きたときにお寺に避難するという発想がそもそも希薄だ。陸前高田では古くからの地域社会のコミュニティーの場が機能したが、これが東京だったらどうなっていただろう。別れ際、寿子さんが「被災地のことは何でも伝えて欲しい」というようなことをおっしゃっていたのが強く印象に残った。

大雨が降りしきる中、陸前高田を車で少し見て回る。この2日後にも陸前高田を訪れたので、感じたことなどはそのときにでも。

夕方、諏訪君と落ち合い、この日の宿のあづま荘へ向かう。市内から車で30分ほど、三陸町の越喜来というところにある。すでに真っ暗になってしまい、近くまで来てからが少し大変だった。海沿いの小さな漁村とはいえ、こんなにも明かりが少ないものかと思った。ようやく看板を見つけたが、別の道に入ってしまったようで、急勾配の坂を上っていくと、カエルの大合唱に迎えられる中、森に突入。もちろん完全に真っ暗闇である。宮本常一の『失われた日本人』に出てくるような前近代の世界だと思った。節電、節電といいながらも、以前とそれほど変わっているようには思えない東京の光の洪水が一瞬脳裏によぎる。何という落差だろう。しかし、これがある意味、戦後日本の縮図なのだ。恐くなって下に降り、民宿のおじさんに電話すると、車で迎えに来てくれた。口数は少ないが、いかにも漁師という感じの朴訥ないいおじさんだった。津波で漁船を2隻失ったが、それだけで済んでまだ幸いだった、というようなことを言っていた。

夕食は期待通り、釣ったばかりの魚介が満載で、中でもイカの焼き物の濃厚な味わいが美味。隣に座っていた、北海道から被災地の復旧作業のために来ているおじさんたちとお話しする。翌朝7時過ぎに朝食に行ったら、彼らの車はもうなかった。現場で働く人たちの朝は早い。

(つづく)

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by berlinHbf | 2012-05-26 10:23 | ニッポン再発見 | Comments(2)

ドイツの演劇人から東北の演劇人へ

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被災地を巡る「夢トラック劇場」の上演から © ARC>T
 
 東日本大震災が世界を揺るがした2011年も終わろうとしています。ベルリンでも多数のチャリティー活動が行われましたが、今回はおそらくまだあまり知られていない、ドイツの演劇人・文化人の支援活動をご紹介したいと思います。
 少しずつ復興が進む被災地にあっても、どうしても手が届きにくいのが文化関連施設。そんな中、草の根的な運動を応援しようと、クロイツベルクにあるドイツ国際演劇協会(ITI Germany)が、この春いち早く東北演劇支援イニシアチブを結成。ドイツ中の劇場に呼び掛けました。自ら東北の被災地支援や世界の反原発に関する催しを行うほか、これまでに約4万ユーロを日本赤十字社に、またベルリン森鷗外記念館副館長のベアーテ・ヴォンデさんらが仲介役となって、約1万2000ユーロを仙台のARC>Tに送ったそうです。ARC>Tは、東北で活動する芸術家のプラットフォームとして震災後に立ち上がったグループ。「トラックの荷台を舞台にした夢トラック移動劇など、使える施設もままならなかった震災直後から、芸術家、文化人として今できることを精一杯続けています」(ヴォンデさん)。青少年向けのワークショップや老人ホームでのレクリエーション、知的障害者を対象とした工房でのダンス、美術活動を主催するほか、演劇人が多く在籍していることから、演劇公演の支援も彼らの強み。そんな彼らですが、7月以降、給料が出ていないそうです。それでも、同事務局長の鈴木拓さんはこう語ります。
 「東北の文化を途切れさせてはいけません。自分たちが今報われなくても、いつかまたいろいろな公演が戻って来た時に、彼らが活動しやすいようにするのが自分たちの務めですから」。

 一方、ベルリン民族学博物館は「Eine Brücke nach Japan 日本に架ける橋」というイベントを6~10月という長期間にわたって行い、写真展、講演会、ワークショップ、オークションなどで集めた約2000ユーロがARC>Tへ送られたそうです。
 「ドイツの人々が日本の状況を心配し、心から応援してくれているのが本当にありがたかったです。一方で、夏以降はチャリティーを企画の表に出しにくくなってきたのも事実。今後は、チャリティーとは少し違う形で被災地の人々を支援できないかと考えているところです」(民族学博物館でチャリティー公演を企画した長尾果林さん)。
 活動の内容は異なるものの、ヴォンデさんも長尾さんも、想いは共通しています。
 「ドイツの名立たる演劇・文化団体が日本の演劇と文化を応援しています。大変な時期だと思いますが、逆に言えば文化の新しい基盤を築ける可能性も秘めているはず。東北の文化復興のために頑張る人たちへの支援を、日本の方々にもぜひお願いしたいです」。
 被災地の今が伝わってくるARC>TのHPとブログはこちらより。http://arct.jp
ドイツニュースダイジェスト 12月16日)

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ドイツの著名な演劇雑誌「Theater der Zeit」の10月号が東日本大震災以降の日本の演劇を特集。ここでもARC>Tの活動が紹介されています。

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by berlinHbf | 2011-12-15 18:58 | ドイツから見た日本 | Comments(0)

ベルリンで経験した東日本大震災

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日本大使館に記帳されたメルケル首相のメッセージ

東日本大震災の翌週、日本大使館の前を通ったところ、臨時の献花コーナーが一面花で埋まっていました。私はその時、震災がベルリン在住の日本人のみならず、この街に住むあらゆる人々にもたらした衝撃の大きさを実感しました。同じ週にはヴルフ大統領、そしてメルケル首相が相次いで日本大使館を訪れ、神余隆博大使に日本へのお見舞いと励ましの言葉を伝えたと言います。メルケル首相の記帳の全文をここでご紹介しましょう。
大地震と恐ろしい津波の犠牲者へ黙とうを捧げます。
日本の皆様が力を得られますよう願うとともに、
ドイツ連邦共和国による支援を約束します。
友情を込めて 
アンゲラ・メルケル
一方、震災当初から、センセーションを過度に強調するドイツのメディアの報道姿勢には違和感を覚えることも少なくありませんでした。そのような状況下、ドイツの知人友人から電話やEメールで届けられた、率直な哀悼の意が込められたメッセージは、私の心を落ち着かせてくれました。

日本から遠く離れた場所にいて「何かをしたい」という思いから、在留邦人を中心としたチャリティー活動も活発化しています。

震災から1週間後の19日夜、カイザー・ヴィルヘルム記念教会で急きょ開催された核戦争防止国際医師会議チャリティー・コンサートに足を運んでみました。22:30という遅い時間の公演にもかかわらず、30分前に会場に着いたら、大部分の席が埋まっている状態でした。

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カイザー・ヴィルヘルム記念教会で行われたチャリティー・コンサート

最初にベルリン・ブランデンブルク州の元主教ヴォルフガング・フーバー氏が犠牲者追悼のメッセージを読み上げ、全員で黙とうを捧げました。ドイツでの黙とうはそれまでほとんど経験したことがなかったのですが、人種や国籍を越えて人と人とが連帯することの意義を、私は教会の静寂な時間の中で感じ取りました。その後、ヴァイオリニストのコリヤ・ブラッハー氏によってバッハの《シャコンヌ》、ベルリン・フィル12人のチェリストによるヴェルディの「聖歌四編」から《アヴェ・マリア》などが、厳かに奏でられたのでした。

チェルノブイリ原発事故から25年目にあたる4月26日、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)はユニセフを通して、子どものためのチャリティー・コンサートをベルリン・フィルハーモニーで行う予定です。これは以前から企画されていた公演ですが、この度の福島の原発事故を受け、「チェルノブイリと日本の原発事故の犠牲者に捧げる」という文字がポスターに加わりました。日本の一地方都市がチェルノブイリと並んで語られることに、ショックを感じずにはいられません。現在進行形の大災害が少しでも早く収束に向かうことを願うばかりです。
ドイツニュースダイジェスト 4月22日)

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by berlinHbf | 2011-04-22 13:06 | ドイツから見た日本 | Comments(2)

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