ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
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本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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指揮者キリル・ペトレンコのこと

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6月24日のベルリンの日刊紙より

音楽に限らず、こんなに興奮させてくれるニュースは最近ほかになかった。6月23日、パリの知人宅で「キリル・ペトレンコがベルリン・フィルの次期首席指揮者に決定」という知らせを同団のプレス用メールで知ったときは、思わず声を上げてしまった。その後も折に触れて「あのペトレンコがベルリン・フィルの次期シェフになるのか……」と思うと、それだけでドキドキするという日が10日間ぐらい続いた。有力候補とされていた他の指揮者、例えばネルソンス、ティーレマン、ドゥダメルの誰かが選ばれても、こんな気持ちにはおそらくならなかっただろう。もうそれだけで、ベルリン・フィルのメンバーが下した決断に感謝したくなるほどだ。

キリル・ペトレンコという音楽家は、ベルリンに住んだからこそ出会えた人だと思っている。初めて彼の生演奏に接したのは、2002年9月、コーミッシェ・オーパーだった。ちょうどラトルがベルリン・フィルの音楽監督になって最初の公演が行われた前後の日ではなかったかと思う。このオペラ劇場で音楽を聴いたのは確かそのときが初めてだった。当時私は30歳以下限定の「クラシック・カード」というのを持っていて(今もあるのだろうか)、わずかな年間費を払えば、オペラもコンサートも10ユーロほどでその日余っている良席のチケットを買うことができた。そのときも平土間の、ほとんど最前列に近い席だったと記憶している。演目はスメタナのオペラ《売られた花嫁》。事前の準備といえば、話の筋を簡単に予習したぐらいで、そのシーズンからこの歌劇場の音楽監督になるペトレンコという指揮者のことは何も知らなかった。正直言うと、当時のコーミッシェのオケはあまり上手くないと聞いていたので、失礼ながらやや甘く見ていた面は否めない。

ところが、序曲が鳴り始めた瞬間から度肝を抜かれてしまった。ピットの底からマグマがわき上がってくるかのような音楽の怒涛の勢いと、惚れ惚れとするような表現の冴え!それでいて、力技だけで音楽を引っ張っていく人だけでないことは明らかで、細かい音符まで音楽が何と息づいていたことだろう。オケの力の入れようも素晴らしく、最初の序曲だけで公演全体の半分ぐらいのエネルギーを使ってしまったのではと思うほどの熱演が繰り広げられたのだった。カーテンコールの際、驚くほど小柄なペトレンコが現れ、真下のオケに向かってニコニコと拍手で称える姿は、どこか可愛らしくもあった。この男が先ほどまであのキレキレの音楽を生み出していたのかと、その落差にも私はびっくりした。

ペトレンコというすごい指揮者がベルリンにやって来たという評判はすぐに広まり、当時私の周りの音楽好きの間でもよく話題になった。それからは、意識的に彼の公演に聴きに出かけるようになった。《イェヌーファ》、《ファルスタッフ》、《コジ・ファン・トゥッテ》、レハールのオペレッタ《微笑みの国》という珍しい演目まで。とりわけ感動したのは、2006年4月の《ばらの騎士》のプレミエだった。上演が進むにつれて客席のボルテージが上がり、第3幕でペトレンコが登場したときは、それだけでブラボーが飛び交った。伝説的なカルロス・クライバーの上演をも思い出したほどだった。近年、ウィーンで彼の振る《ばらの騎士》を聴いた知人は、「彼がウィーンで振った《ばらの騎士》は生で3回聴いたクライバーを上書きしかねない程、鮮烈な印象」とTwitterに書いていたので、私の印象もまんざら大げさなものではなかったと思う。

オペラに比べると、オーケストラ演奏会を聴いた数は限られているが、そのどれもが印象に残っている。2005年7月に聴いたコーミッシェ管とのコンサートでは、冒頭に演奏されたチャイコフスキーの《イタリア奇想曲》がすごかった(当時の手帳をめくると、この曲の横に赤字で「超名演」と書き込まれている・笑)。ペトレンコの音楽は決して情緒に流されることがなく、きっちりとした構成力というか確固たる枠組みがあるのだが、音と音がぶつかるエネルギーが化学反応を起こして、ある地点に来ると音の力が枠を飛び越えてしまうという幸福な瞬間がある。このときがその最たる例だった。2006年の年末に聴いたニューイヤーコンサートでは、母国ロシアの聞いたこともないような作曲家の映画音楽ばかりを取り上げ、そこでも聴衆を興奮の渦に巻き込んだ。そのとき彼は進行役も務め、初めてドイツ語を話す姿を聞いたが、声は小さめでシャイな人柄を伺わせた。

2007年にベルリンを去った後は、ペトレンコの実演に接する機会はめっきりなくなってしまった(ただ一つ、2013年のバイロイトの《指環》を除いては)。世界を忙しく駆け巡るタイプの活動をする人ではないし(日本にもまだ行ったことがないという)、録音でさえほとんどない。チケットを買っていた2011年末のベルリン・フィルとの公演は、直前にキャンセルになってしまった。聞くところによると、ペトレンコは天才肌の音楽家に特有の(というべきなのか)、非常に繊細な内面を持っている人らしい(昨年12月のベルリン・フィルとのマーラーの公演のドタキャンの後は、もう次期監督候補から落ちてしまったとも囁かれていた)。そういう意味では懸念材料もなくはない。ベルリン・フィルの首席指揮者への注目度は並大抵ではないし、何より本番の数が多い。あのクラウディオ・アバドも、首席指揮者の座から降りた後、何かのインタビューで「あまりに多くの本番を振って、私は疲弊していた」というニュアンスのことを言っていた。ペトレンコには才能を消耗してほしくないと切に願う。

レパートリーに関しても、秘密のヴェールに包まれた部分が結構ある。考えてみたら、コーミッシェ時代の5年間で、ベートーヴェンやブラームスのシンフォニーを振ったことは、一度でもあったのだろうか?(マーラーやショスタコーヴィチは取り上げたらしいが、残念ながら私は聴いていない)。でも、そんな謎な部分も含めて私はペトレンコに惹かれている。楽譜を丁寧に読み込み、音楽に対してひたむきで謙虚な姿勢を持っており、同時に天才的な閃きも持ち合わせた類い稀な人。その印象は、初めて聴いた頃から何ら変わっていない。ペトレンコが指揮するベートーヴェンやモーツァルト、さらには同時代の曲をベルリン・フィルの演奏で聴ける日が来るのかと思うと、やはり興奮を抑え切れないのである。

by berlinHbf | 2015-07-13 23:09 | ベルリン音楽日記 | Comments(1)

(続)村上春樹氏がヴェルト文学賞を授賞

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授賞式後の記念撮影にて。村上春樹さんとパティ・スミスさん(左から2番目)ほか

作家の村上春樹氏が、ドイツの大手日刊紙ディ・ヴェルトが主催するヴェルト文学賞を授賞し、11月7日、出版社アクセル・シュプリンガーの本社ビルで行われた授賞式に参加しました。

ナチスが台頭する以前の1920年代のベルリンは、文学や映画などの分野で文化が花開き、130以上もの新聞が発行されるメディアの中心地でもありました。この賞は、戦前ベルリンで活躍したジャーナリストのヴィリー・ハース(1891~1973)を記念して作られたもの。1999年以降毎年1人を選出しており、これまでにベルンハルト・シュリンク、ケルテース・イムレ、フィリップ・ロスといった著名作家が受賞しています。

村上氏はドイツでも抜群の人気と知名度を持つだけに、大勢の招待客で埋まった客席は期待感に満ちていました。

小説『1Q84』で、重要なモチーフとして使われるヤナーチェクの「シンフォニエッタ」のファンファーレが流れる中、開始予定の19:00より少し遅れて授賞式は始まりました。同紙文芸部の編集長リヒャルト・ケメリングス氏が村上氏を歓迎する挨拶を述べた後、女優のフリッツィ・ハーバーラント氏により、村上氏の短編小説『パン屋襲撃』が朗読され、その合間にはやはり作品に登場するワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の音楽が流れました。

村上氏は一貫して音楽を作品のモチーフに取り入れてきたことで知られていますが、その後、米国の著名なロック歌手のパティ・スミス氏がサプライズで登場。村上作品の大ファンを公言している彼女は、ギターの弾き語りで3曲を披露し、67歳とは思えないほど若々しく伸びやかな声に、参加者は皆感嘆していました。

オーストリア人作家クレメンス・ゼッツ氏は、「村上さんの作品がなかったら、世界はより貧しいものになっていただろう。あなたと同時代に生きていることを嬉しく思う」と熱烈な賛辞を寄せ、続いて授賞セレモニーが行われました。特に印象深かったのは、最後の村上氏のスピーチです。1983年に初めて東ベルリンを訪れた際にオペラを観て、帰りにハラハラしながらチェックポイント・チャーリー検問所まで走った体験談に始まり(村上氏は、このときの滞在を基に『三つのドイツ幻想』という短編を書いています)、「人と人、価値と価値を隔てて、一方では自分たちを守ってくれるが、他方では向こう側の人を排除する論理で作られている壁」が、自らの創作活動の重要なモチーフであり続けてきたと語りました。

「壁を抜けて違う世界を見る。それを描くのが作家の日常の仕事。読者もまた、作家とともに壁を抜けることができる。厚い壁を抜けて、再び戻ってきたときに味わう自由。その身体感覚こそが、読書において最も大事なことだと確信している。壁のある現実で、壁のない世界を想像すること。物語はその力を有していると考えたい」。

奇しくもこの日は、ベルリンの壁崩壊25周年の光の風船の点灯が始まった日でした。壁について改めて考える機会を、日本人の作家から与えられたことに感謝したくなりました。

by berlinHbf | 2014-12-05 00:38 | ベルリンの人々 | Comments(2)

壁崩壊25周年のベルリンにて

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Arkaden am Potsdamer Platz (2014-11-09)

世界的にも注目された先週末のベルリンの壁崩壊25周年。(個人的には)前回の20周年の時に比べると、新聞の記事を読んだり、感慨にふけったりする余裕もないまま、終わってしまった感があります。それでもやはり、11月9日が持つ意味とこの日の街の様子は、ブログを読んでくださっている皆さんと共有したいと思い、写真を何枚かアップします。少し時間が経ってしまいましたが、よかったらご覧ください。

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9日の午後、Sバーンに乗って北駅(Nordbahnhof)に行きました。地上に出ると、壁の時代の見晴台を模して造られた展望台があったので、上ってみました。2006年に初めて北駅をブログで紹介した時に比べると、この周辺は本当に変わりました。

関連記事:
時間の止まった場所(2) - Nordbahnhof - [2006-05-21 22:22]


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こちらがベルナウアー通り方面。この日の夜に打ち上げられる光のバルーンが、かつての壁の跡に沿って並んでいます。

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この日、「ベルリンの壁・記憶の場所」では公式行事も行われ、昨年から改装中だった壁記録センターでは、メルケル首相の臨席のもと新しい常設展がオープンしました。早速覗いてみましたが、写真と映像が以前より格段に増え、大変充実した展示になっています。25年を経て、ベルナウアー通りの「ベルリンの壁・記憶の場所」はようやく完成に近づいています。実際の壁はなくなっても、壁の時代に思いを寄せ、それについて考える場所が充実してきているのは嬉しいことです。

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ブランデンブルク門横のホテル・アドロンにて。ひょっとしたらロシアから訪問中のゴルバチョフさんも、ここに泊まっていたのかもしれません。午後、コンツェルトハウスで行われた公式式典には、ゴルバチョフ氏やメルケル首相が参列し、スピーチを述べています。演奏したのはベルリンの7つのオーケストラから成る特別編成のオケ。最後にベートーヴェンの《フィデリオ》の(おそらく)フィナーレを演奏して大変盛り上がったと、この日乗っていた音楽家の友人が後で話してくれました。

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ポツダム広場のショッピングモール「アルカーデン」では、ベルリンの壁の展示会が行われていました。この日が最終日。奥に見えるのは、実物大の監視塔です。当時の映像や写真に、買い物客が足を止めて見入っていました。

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私が印象に残ったのは、1961年に壁が建設された数日後、東ドイツの国境警備兵コンラート・シューマンが、一瞬の隙をついて西側に逃げる瞬間をとらえた写真です。このパネル中央上の写真があまりに有名ですが、別の角度から捉えたもの、あるいはその数日前に撮られたシューマンの写真は初めて見ました。

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シューマンが境界を越えたときはまだ有刺鉄線でしたが、やがて堅固な壁が築かれていくわけです。子供たちがこの石に上っていたので、私も思わず試してみました。

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いよいよ19時が近づいてきたところで、この日仕事でご一緒した日本からの方々とポツダム広場に行きました。予想はしていましたが、光のバルーンに沿ってすごい人の波!

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さすがにこの辺りには、地元の人だけでなく、旅行者と思われる人もたくさんいました。19時を回り、遠くの交差点に見える大画面では、挨拶をするヴォーヴェライト市長や(12月に離任する前の最後の大舞台ということになるのでしょうか)、ベートーヴェンの第9を指揮するバレンボイム氏の姿を映し出されていますが、音は全く聞こえないので、ブランデンブルク門前で何が行われているのか、ここからはわかりません。

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19時20分を回った頃、ブランデンブルク門の方から大歓声が聞こえてきます。すると向こうから、風船が一つ一つ夜空に放たれていくのが見えました!

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いってみれば、風船を打ち上げるだけですから、光景としてはさほどスペクタクルなものではなかったかもしれません^^;)。でも、壁のない世界とそこにある自由の意味を、こういう形で今の世界に対して示せるのは、やはりベルリンだからこそと思います。メルケル首相はこの日の式典で、「壁の崩壊は、私たちに夢が叶うことを教えてくれた」と語ったそうですが、夜空に飛んでいく風船は人々の過去と今の夢を乗せているかのように見えました。

by berlinHbf | 2014-11-16 14:45 | ベルリン発掘(境界) | Comments(4)

村上春樹さんがヴェルト文学賞を受賞

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WELT-Literaturpreis 2014 im Berliner Axel-Springer-Haus

今夜は幸運にも、村上春樹さんのヴェルト文学賞の授賞式の場に居合わせることができた。村上さんのスピーチ「壁なき世界」は、1983年に初めてベルリンを訪れたときの話から始まった。東ベルリンの国立歌劇場でモーツァルトの「魔笛」を見ている最中、24時までにチェックポイント・チャーリー検問所を出なければならないことが気になって、結局最後は走るはめになった。それは今まで見た中でもっともスリリングな「魔笛」だったと。

ベルリンの壁の崩壊後、世界はよくなるかに見えたが、安堵は長く続かなかった。中東やバルカンの戦争、テロ攻撃、ニューヨークの911・・・。村上さんの創作において、「壁」は常に重要なモチーフだったという。人と人、価値と価値とを隔てる壁。それは一方では自分たちを守ってくれるが、他方では向こう側の人を排除する論理で作られている。人種の壁、宗教の壁、非寛容の壁、物欲の壁。人は壁というシステムなしで生きられないのか。

壁を抜けて、違う世界を見て、それを描くのが作家の日常の仕事。読者もまた、作家と共に壁を抜けることができる。厚い壁を抜けて、再び戻ってきたという感覚。たとえそれがわずかなもので、現実の世界が実際に何も変わらなかったとしても、そこで味わう自由、その身体感覚こそが、読書においてもっとも大事なことだと確信している。壁のある現実で、壁のない世界を想像すること。物語はその力を有していると考えたい。そして、それについて考えることは、2014年のベルリンよりぴったりくる場所はない。

(詳しい報道はこれからたくさん出てくるでしょう。私が特に印象に残った箇所をざっとまとめました。スピーチの原文と若干のニュアンスの違いはあるかもしれませんが、その点はお許しください)

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言葉というものの力を信じたくなる、素晴らしいスピーチだったと思う。私は心の昂りを抑えられないまま壁跡に沿って歩いた。今日から灯り出した壁崩壊25周年の光のバルーンを横目に見ながら。やがて、チェックポイント・チャーリーが姿を現した。普段ここでは観光客の姿ばかりが目に付くけれど、今夜は光のバルーンがかつての分断の跡を照らしていた。いま何の障害もなくここを自由に越えられること、その意味と価値について改めて思いを馳せた。

by berlinHbf | 2014-11-08 01:37 | ベルリンの人々 | Comments(4)

発掘の散歩術(49) -シュタウフェンベルクと抵抗運動の人びと-

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抵抗運動の記念碑が置かれるベンドラーブロックの中庭

ポツダム広場から近い文化フォーラム地区の裏手に、シュタウフェンベルク通り13番地はある。大きなホテルに面した表通りはいつも雑然としているが、一歩中庭に入ると、そこは木陰に涼しい風が吹き抜け、静けさが支配している。

ベンドラーブロックと呼ばれるこの場所には、かつてドイツ陸軍最高司令部があった。1944年7月20日、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、東プロイセンの総統本営でヒトラー暗殺を試みたが、あと一歩というところで失敗に終わり、翌日未明、ほかの同士と共にこの場所で銃殺された。

あれから70年が経った日、現在はドイツ連邦国防軍の敷地であるこの中庭で、連邦政府による追悼式典が行われた。抵抗運動に携わった人々は、今でこそ「自らの良心に従った勇気ある者」とドイツの国内外で称えられているが、ガウク大統領は演説の中で、「1950年代当時、シュタウフェンベルクとその同士は『国への裏切り者』として家族に中傷が及ぶこともあった」と、彼らの名誉回復に至るまでの長い道のりについても言及した。また、東ドイツの反体制派の牧師だったガウク氏らしく、東独ではもっぱら共産主義の抵抗運動にのみ焦点が当たっていた「偏り」にも触れた。

この節目の年、ベンドラーブロックに面したドイツ抵抗運動記念館の展示内容が一新され、私は先日訪れた。

展示は18のカテゴリーに分けられている。戦時中シュタウフェンベルクの執務室があった部屋では、7月20日の事件について詳しく紹介され、1939年にミュンヘンでやはりヒトラー暗殺を試みたゲオルク・エルザーについても、大きく焦点が当てられるようになった。それ以外にも労働運動、キリスト教徒、芸術家、若者、ユダヤ人、少数民族のシンティ・ロマなど、様々な立場からの抵抗運動が取り上げられているのが特徴だ。ナチスへのレジスタンスが社会の幅広い層から生まれ、多様な広がりを見せていた様子が分かる。

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ドイツ抵抗運動記念館の様子。手前に写っているのはゲオルク・エルザー。奥にシュタウフェンベルクの執務室があった

ミュンヘンの学生による抵抗運動のグループ「白バラ」は、映画『白バラの祈り』などでご存知の方も多いだろう。彼らは1942~43年に掛けて、6種類のビラを作成し、配布した。「白バラ」の展示室には、彼らが実際に配布したいくつかのビラのコピーが置かれていた。「全ドイツ人への訴え」と題された5枚目を手に取ると、「あなた方の心を被っている無関心というマントを引き裂きなさい!」というシンプルなメッセージが心に突き刺さった。

ガウク大統領の演説を改めて読んでいたら、こういう箇所に出会った。「例えば、ユダヤ人を1日だけでもかくまったり、逃げ道を提供した。発禁とされた本をほかの人に回した。強制労働をさせられていた人にパン一切れをこっそり渡した。そういった小さな行為が、大きな抵抗運動よりも重要さにおいて劣るというわけではなかったのです」。

社会を覆う不寛容から目をそらさず、民主主義の精神を守るために、ささやかでも実行できることはないかと問うてみる。それこそが、私たちが過去から学ぶべきことではないか。
ドイツニュースダイジェスト 8月1日)


Information
ドイツ抵抗運動記念館 
Gedenkstätte Deutscher Widerstand

1952年、ヒトラー暗殺計画に携わったフリードリヒ・オルブリヒト大佐の未亡人が同席して、記念碑の定礎式が行われた。89年に現在の場所に記念館がオープンして以来、今回が3度目のリニューアルとなる。多くの部屋には、オリジナルの資料のコピーが用意され、1部10セントで入手できる。パネル説明は独英表記。入場無料。

オープン:月〜水、金9:00〜18:00、木9:00〜20:00、土日祝10:00〜18:00
住所:Stauffenbergstr. 13-14, 10785 Berlin
電話番号:030-26995000
URL:www.gdw-berlin.de


プレッツェンゼー記念館 
Gedenkstätte Plötzensee

1933~45年に掛けて、ナチスに抵抗した国内外の2891人が処刑された場所。現在は記念館として一般に公開されている(本誌902号(2012年1月20日発行)でも紹介)。44年7月20日のヒトラー暗殺計画に関わった89人もここで絞首刑に処された。123番バスの同名のバス停から徒歩3分ほど。こちらも入場無料。

開館:(3〜10月)毎日9:00〜17:00、(11〜2月)毎日9:00〜16:00
住所:Hüttigpfad, 13627 Berlin
電話番号:030-3443226
URL:www.gedenkstaette-ploetzensee.de
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さて、バタバタした中ですが、これから日本に飛びます。8月を日本で過ごすのは本当に久々です。楽しみな反面、しばらく体験していない真夏の猛暑に耐えられるのか若干の不安もありますが・・・。皆さま、どうぞよい夏をお迎えください。

by berlinHbf | 2014-07-31 10:03 | ベルリン発掘(西) | Comments(1)

WM 2014「ブラジル 1-7 ドイツ」の衝撃から一夜明けて

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まさに衝撃的な夜でした。準決勝のブラジル対ドイツ、私はクロイツベルクのとあるレストランで観戦しました。ドイツが先制すると周囲の人々と一緒に歓喜の声を上げましたが、怒濤のゴールラッシュが始まると、何か信じられないものを見ているようで、しばらく食事が喉を通らなくなってしまったほど。「当事者」でないにも関わらず、日本が敗退した時のショックなど一瞬で吹き飛んでしまいました。まったく、ブラジル国民のショックはいかばかりか・・・。

サッカーは好きでそれなりに観てきましたが、こんなセンセーショナルな出来事は人生でもそうそう(?)ないので、今日の新聞を何紙か揃えてみました。まず、Berliner Zeitungは、ワールドカップ通算得点記録を更新したFWのミロスラフ・クローゼの写真を大きく掲載。

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Berliner Morgenpostは、第一面で全ゴールを写真で紹介。見出しは「ベロオリゾンテの奇跡」。

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そして、大衆紙のBerliner Kurierの見出しは、「ベルリンの皆さん、今日のこの新聞を自分の孫のために買ってあげてください!」(「いつか自分の孫にこの日のことを語り継いであげて!」みたいなニュアンスでしょうかね)。歴史的な勝利から興奮覚めやらない様子が伝わるでしょうか。

ドイツとブラジルは、2002年の日韓大会の決勝戦でぶつかっており、周知の通りその時はブラジルが2対0で勝っています。以降、ドイツは準決勝まで進出するものの、その度に苦杯を嘗めてきましたが、ついに24年ぶりの世界王者への道が大きく開かれました。日曜日の決勝戦に期待が膨らみます!

by berlinHbf | 2014-07-09 23:50 | サッカーWM2006他 | Comments(2)

アイ・ウェイウェイの展覧会“EVIDENCE”

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マルティン・グロピウス・バウに並んだアイ・ウェイウェイの作品“Stools”
© Ai Weiwei


今、ベルリンでは中国の現代美術家アイ・ウェイウェイ(艾未未)の展覧会“EVIDENCE(証拠)”が開かれています。同氏の個展としては世界的に類を見ない規模である上、4月3日のオープニングからわずか2週間で訪問者数が6万人を超えるなど、話題性は十分。週末には長い行列ができると聞いていたので、平日の午後、会場のマルティン・グロピウス・バウに足を運んできました。

中へ入ると、いきなりインパクトのある展示が目に飛び込んできます。屋根付きの中庭に、6000脚もの木の椅子がぎっしりと敷き詰められています。これは、明の時代に実際に使われていたものだそうで、私はなんとなく中国という国の広大さを実感しました。

1957年北京に生まれたアイ・ウェイウェイは、中国政府へ批判の声を上げ続けていることで知られています。2008年の北京五輪では、「鳥の巣」と呼ばれる北京国家体育場の建設に携わりましたが、後に五輪の政治プロパガンダ性を批判し、開会式を欠席。彼は当局から繰り返し圧力を受けながらも、作品を生み出し続けています。

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アイ・ウェイウェイ氏
© Gao Yuan


18の部屋、3000㎡におよぶ展示の規模は壮観。いくつかの作品には、彼の歩んできた道が生々しい形で刻印されていました。ある部屋の真ん中には、「81」という名の仮設住宅のようなインスタレーションが置かれていました。11年4月、アイ・ウェイウェイは北京空港で当局により拘束されますが、これは彼が81日間の刑務所生活を送った独房を再現したインスタレーションなのです。内部には監視カメラが仕組まれ、彼が1日24時間監視下にあったことが暗示されています。

別の部屋には、ねじ曲がった鉄骨を使ったオブジェがいくつも置かれていました。08年の四川大地震では5000人以上の児童が校舎の下敷きとなって死亡しました。中国政府が被害の全貌を明らかにしなかったことに対し、アイ・ウェイウェイは自身のブログを通して独自の調査を試みましたが、やはり当局からの激しい妨害を受けることになります。彼は作品を通して犠牲者を追悼し、建築構造のずさんさとその背景にあるものを告発しているわけです。

さらに進むと、島の地形を再現したような大理石のオブジェに出会いました。これは、日中間の争いの焦点になっている尖閣諸島をモチーフにした作品。島の周りは海域を模した線によって仕切られ、そこを越えて足を踏み入れると、係員から注意されてしまいます。

随所で中国の伝統的な素材を用いながらも、作品には中国の今日の姿が浮かび上がり、観る者は表現の自由という問題に直面するでしょう。同展のパンフレットの言葉を借りるなら、この展覧会は中国と西側世界の対話を呼び掛ける作家自身からの“Flaschenpost(海に流された瓶入りの手紙)”と呼べるのかもしれません。今も中国政府の監視下にあるアイ・ウェイウェイ本人が、ベルリンでのオープニングに姿を現わすことはありませんでした。
開催は7月7日まで。www.berlinerfestspiele.de

by berlinHbf | 2014-05-15 18:19 | ベルリン文化生活 | Comments(0)

ユニクロ・ベルリン店初訪問!

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11日(金)に「ユニクロ」のドイツの1号店がオープンし、大きな話題を集めました。さすがの私もちょっと気になって、翌土曜日の夕方に様子を見に行ってきました。

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オープン直後だったことを差し引いても、何だかとても不思議な光景でした。まず、店内がとても広い。地下から2階まで、「売り場面積はおよそ2700平方メートルと、ヨーロッパにあるユニクロの店舗の中で最大」(NHKニュース)というだけのことはあると思いました。そして、それに応じてスタッフの数も多い(日本人スタッフも結構いらっしゃいました)。これは日本では当たり前のことですが、ドイツでは珍しいのです。デパートでも家電量販店でもブティックでも、何か聞きたいことがあるときに、人を捕まえるのが難しいことが少なくない。親切な店員も中にはいますが、「どーせまたつっけんどんな対応をされるんじゃないか」と内心ビクビクしている自分もどこかにいる^^;)。ところが、ユニクロでは、まず入り口に挨拶専門(?)のおねえさんがいて(おそらくこの週末だけでしょうが)、1人1人に声をかけてくれるんですね。私が店内にいた15分ぐらいの間に、一体何度「はっろー!グーテン・ターク!ヘァツリッヒ・ヴィルコメン!(ようこそ)」の声があちこちから聞こえてきたことか。私はいくばくかの恥ずかしさとこそばゆい気持ちで、店内にいる間、若干にやにやしていたかもしれません^^;)

こういう日本のおもてなし文化がベルリンのプロイセン的気質と今後どのように融合していくのか、とても興味があるところ。これは皮肉じゃなくてそう思います。
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場所はタウエンツィエン通りとニュルンベルガー通りの角という一等地。少し前までナイキのお店だったところ。

日本とのお値段の比較は厳密にはできませんが、全体的に日本よりは高めとはいえ、そこまで大きな開きはないとは言えそうです。現在の為替の関係もあるでしょう。ともあれ、土曜日のユニクロは大賑わいでした。クーダムでも帰りの地下鉄でも、ユニクロの紙袋を持ったドイツの人を何度も見かけたのは、やはり不思議な気がしました。

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ユニクロの欧州最大店 ドイツに開店
NHK動画ニュースより 4月12日 4時00分

大手衣料品チェーンの「ユニクロ」は、売り場面積がヨーロッパで最大となるドイツでの1号店を首都ベルリンに開き、倹約家が多く販売競争が激しいと言われるドイツの市場で、売り上げを伸ばせるか注目されます。

ユニクロのドイツ1号店は、ベルリン中心部の、ファッションブランドの店舗が数多くある大通りに設けられ、売り場面積はおよそ2700平方メートルと、ヨーロッパにあるユニクロの店舗の中で最大です。
開店初日の11日は、店の外に長い行列を作っていたおよそ500人の客が、オープンとともに店内に入り、ジャケットや肌着といった日本でも販売されている商品を次々に買い求めていました。
ドイツ人の女性は「ヨーロッパ風のデザインと違いがあって、買い物をしていてわくわくします」と話していました。
ユニクロがヨーロッパで出店するのは、イギリス、フランス、ロシアに次いでドイツが4か国目で、今後、ベルリンの1号店を拠点に、ドイツの主要都市へと事業を拡大していく方針です。
ただ、ヨーロッパ経済をけん引するドイツには、すでに欧米の大手衣料品チェーンが数多くの店舗を構えており、倹約家が多く販売競争が激しいと言われるドイツの市場で売り上げを伸ばせるか注目されます。

by berlinHbf | 2014-04-13 22:39 | ベルリン発掘(西) | Comments(5)

ベルリン・東京友好都市提携20周年

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中根駐独大使、ディープゲン元ベルリン市長らによって、式典の最後に執り行われた鏡開き

2月21日、ベルリン市と東京都の友好都市提携20周年の記念式典が赤の市庁舎の大ホールにて開催され、日本とドイツの関係者が多数参加しました。

ベルリンと東京は近代都市として発展した後、第2次世界大戦で甚大な被害を受け、そこから復興を遂げてきた共通の歩みを持っています。その過程で両都市の交流が育まれ、1994年5月14日、鈴木俊一都知事(当時)がベルリン市を訪問した際、エーベルハルト・ディープゲン市長(当時)との間で友好都市関係を締結する共同宣言に調印したのでした。近年では、クンストラウム・クロイツベルク/ベタニエンとトーキョーワンダーサイトの間でアーティストのレジデンス交流が始まるなど、芸術分野での両市の交換も盛んになっています。

式典では、ベルリン市を代表してヘラ・ドゥンガー=レーパー次官が「ベルリンと東京は大都市に共通の問題も抱えているが、共に多様性に満ちた魅力ある都市であり続けていきたい」と挨拶。中根猛駐ドイツ大使は、その祝辞の中で2020年の東京オリンピック/パラリンピックに触れ、今年、東京とベルリンの両都市のマラソン大会で行われる市民ランナー同士の交流を紹介しました。2月末に開催された東京マラソンでは、前年のベルリンマラソンで好成績を収めたドイツの市民ランナーが2人招待され、逆に9月28日のベルリンマラソンには東京からのランナーが招かれるそうです。ベルリン市が、東京大会の次の2024年夏季五輪に立候補するかどうかも、今注目されています。

その後、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団のコンサートマスターを務めるヴァイオリニストの日下紗矢子さんと、ベルリン在住のピアニスト福間洸太朗さんという2人の音楽家の共演により、細川俊夫さん編曲の「五木の子守唄」、R・シュトラウスのヴァイオリンソナタが奏でられ、大喝采を浴びました。

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日下紗矢子さんのヴァイオリンと福間洸太朗さんのピアノによる共演

式後のレセプションでは寿司やカレーソーセージなどが振る舞われ、私は外交官や企業人として東京に縁の深いドイツ人の方々と歓談することができました。彼らが流暢な日本語で東京や日本への強い思い入れを語る様子を見て嬉しく思うと同時に、東京もベルリンも、外から来る人々を温かく迎える世界都市であり続けてほしいと強く感じた次第です。

今年は友好都市20周年を記念した多くの行事がベルリンで行われます。スポーツから音楽、講演会、落語などの古典芸能、学術交流に至るまでプログラムは多岐に渡ります。詳細はwww.berlin.de/senatskanzleiにてご確認ください。
ドイツニュースダイジェスト 3月21日)
by berlinHbf | 2014-03-21 11:25 | ドイツから見た日本 | Comments(0)

発掘の散歩術(43) -ベルリンでスタートアップ!-

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ベータハウス地上階にあるカフェの様子

ベルリン関連のニュースで、少し前くらいから「スタートアップ」という言葉を頻繁に耳にするようになった。IT系ベンチャー起業の拠点として、欧州の中で今ベルリンが注目されているのだそうだ。

と、言葉を並べてみても、ピンとくる方は少ないかもしれない。1990年代、ベルリンの壁崩壊後の混沌とした雰囲気や極めて安価な家賃でアトリエを借りられるとの理由から、世界中のアーティストがこぞってベルリンにやって来た時期があった。それと同じようなことが今、IT分野でも起こっていると考えれば分かりやすいだろうか。当時に比べると家賃はかなり上がったものの、パリやロンドンに比べると生活費は依然として安い。ベルリンでは英語も比較的通じるし、プログラミングやデザインの技能があれば、ITベンチャー事業の立ち上げには元手があまり掛からない。ゆえに、EU諸国や米国の若者たちが夢を求めてベルリンに集まって来るというわけである。

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もともと工場だった建物をリノベーションして造られたベータハウス

そんな中、今注目されているのがコワーキングスペースだ。先日、ベルリンでもこの分野で最大級の「ベータハウス」を訪れた。場所は、近年再開発が進んだ地下鉄U8モーリッツ広場駅近く。一度は通り過ぎてしまったほど目立たない外観だが、中へ入ると空気は一変する。

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地上階はカフェになっており、ゆったりとしたスペースの中でPCに向かって作業している人の姿が見られる。建物の1階から5階には、アトリエ、大小様々のオフィス、ワークショップが行われるイベントスペースなどが備わっている。照明のデザインが面白い。壁や机には木材が多用され、居心地は良さそうだ。もちろん全館Wi-Fi完備。1カ月の利用料は159ユーロで、別料金で郵便の受け取りサービスもある。プログラマーやデザイナー、建築家、ジャーナリストといった職種の人がちょっとしたオフィスを構えることを考えれば、魅力的な条件かもしれない。掲示板には、フリーランサーの名刺やスタートアップの人材募集といったチラシがそこかしこに貼られていた。コワーキングスペースは、仕事の情報交換やスカウティングの場としても機能しているというわけだ。

かつてベルリンの壁が建っていたベルナウアー通りの一角では、欧州におけるITの大規模なハブとなる建物「Factory」の建設が進んでいる。その工房は、米グーグル社が100万ユーロ(約1億4000万円)の投資をしたことでも話題になった。もっとも、プラス面の話題だけではない。家賃が急激に高騰している現在のベルリン。IT関係者の流入による物価上昇に伴い、活発な不動産投機が追い討ちを掛けて、今後家賃がさらに上がる可能性もある。そうなると、ITのハブは東欧方面に移っていくかもしれない。

ベルリンのITシーンの面白さに惹かれ、2012年にこの街に移住してきたフリーランス・イラストレーターの高田ゲンキさんは、「シリコンバレーに代表される北米のストイックな文化とベルリン特有の緩い空気が、今後どのように混ざり合っていくのか興味深い」と語る。2014年もベルリンのITシーンは流動的であり続けるだろう。多種多様な人と文化の融合に、今後も注目していきたい。
ドイツニュースダイジェスト 2月7日)


Information
ベータハウス 
Betahaus


2009年にオープンしたクロイツベルク地区のコワーキングスペース。興味のある方には、毎週火曜17:00と木曜の11:30に行われる無料の見学ツアー(英語)がお勧め。情報交換のための朝食会も定期的に開催。ベルリンのスタートアップの分布を示したマップ(http://berlinstartupmap.com)を参照すれば、この街における現在の活況を実感できる。

オープン: 月~金8:00~20:00
住所: Prinzessinnenstr. 19-20, 10969 Berlin
URL: http://betahaus.de


ザンクト・オーバーホルツ 
St. Oberholz


地下鉄U8ローゼンターラー広場駅の目の前に位置し、ベルリンではWi-Fi無料カフェの先駆けとして知られる。天井の高い1階と2階では常にPCで作業する人で賑わっており、まさにコワーキングな雰囲気。2011年からは、その上階にあるオフィス、アパートメントを貸し出すサービスも行っている。

営業: 月~木8:00~24:00、金土8:00~翌3:00、日9:00~24:00
住所: Rosenthaler Str. 72a, 10119 Berlin
電話番号: 030-2408 5586
URL: www.sanktoberholz.de
by berlinHbf | 2014-02-09 23:53 | ベルリンのいま | Comments(2)

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