ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

Amazonにてネット購入ができます。



『街歩きのドイツ語 』
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豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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タグ:壁のあった時代(Mauerzeit) ( 97 ) タグの人気記事

旧カール・マルクス書店が文学サロンに

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文化財に指定されている旧カール・マルクス書店 (2015-05)

社会主義時代の巨大なアパートが建ち並ぶカール・マルクス大通り(Karl-Marx-Straße)に、かつてその通りと同じ名の本屋がありました。東独時代、東ベルリン最大規模の売り場面積を誇り、その充実した品ぞろえから、東側だけでなく、西ベルリンの人々も本を求めてやって来たといいます。秘密警察シュタージを題材とした映画『善き人のためのソナタ』(2006年)の印象的なラストシーンに登場する書店と言えば、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、2008年に経営難から惜しまれつつ閉店。その後、建物はオフィスとして使われていましたが、今年3月、文学サロンとして生まれ変わったという嬉しいニュースが入ってきました。

関連記事:

仕掛人は文化マネージャーのヴァネッサ・レミー氏。アウフバウやズーアカンプといった著名な出版社での勤務経験を持つ同氏が、旧書店の上階に事務所を構える映像制作会社に話を持ち掛け、プロジェクトが実現するに至ったといいます。「もう一度、この街の読書愛好家を惹き付ける文化的な場所にしたかった」と同氏。

オープニングの月に行われた4回の朗読会はいずれも満員だったそうです。通常は入場料に8ユーロかかりますが、5月最初の日曜日の午前、入場無料のイベントが行われるというので足を運んでみました。

地下鉄U5のシュトラウスベルガー広場駅から徒歩5分。久々にやって来た旧書店の正面には、Karl-Marx-Buchhandlungの大きな文字が、変わらずそこにありました。建物の外観と内観は共に文化財に指定されているため、内部の木製の書棚を含め、書店時代そのままの状態が残されたのでした。

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書店時代の面影を残した内部の様子

この日は、国境なき記者団の年刊写真集の発売に際して、ウクライナ人カメラマンとドイツ人ジャーナリストが登壇し、ウクライナ東部での現地の様子を率直な言葉で語り、訪れた人は熱心に耳を傾けていました。

興味深かったのは、この日配布された国境なき記者団による最新の「報道の自由度」を示す世界地図。「良い状況」にあるドイツやポーランド、北欧などの欧州諸国に比べて、アジアにおいて「十分な状況」にあるのは台湾のみ。日本は「顕著な問題のある」カテゴリーに置かれていました。すでに知っていた情報とはいえ、かつて報道の自由が著しく制限されていた国の元書店で、母国の現状を複雑な思いで眺めました。

久しぶりにカール・マルクス書店に足を運び、やはりオフィスよりは書物が似合う空間だと感じました。そして、自由で創造的な意見が交わされる場こそ、書物が満たす空間にふさわしいのだと思います。
www.karlmarx-buchhandlung.com
ドイツニュースダイジェスト 5月15日)

by berlinHbf | 2015-05-17 14:12 | ベルリンを「読む」 | Comments(0)

発掘の散歩術(56) -「隔絶された場所」ホーエンシェーンハウゼン-

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Gedenkstätte Berlin-Hohenschönhausen (2015-02)

アレクサンダー広場からトラムM6に乗って東へ走る。プラッテンバウと呼ばれる旧東独の典型的な高層アパートの風景が広がる中、やがて電車はゲンスラー通りの停留所に到着。目の前の真新しいショッピングセンターとは対照的に、その裏手のゲンスラー通りにはうら寂しい雰囲気が漂っていた。道なりに歩くと、その思いにとどめを刺すかのように、有刺鉄線に囲まれた塀と監視塔が見えてきた。かつて東独の人々が恐れをなしたホーエンシェーンハウゼンの国家保安省(通称シュタージ)の刑務所跡だ。

5年ほど前にもここを訪れたことがあるが、チケット売り場やショップ、待合室が見違えるように奇麗になっていて驚いた。別館に常設展もあるが、とりわけ価値があるのは、かつて実際に収監されていた人が案内するガイドツアーに参加することだろう。カール・ハインツ・リヒターさんという気骨のありそうな初老の男性が現れ、我々をまず地下の部屋に連れて行った。

この場所は、いくつもの歴史の層を持つ。そもそもは1939年、ナチス管轄下の調理場として作られた。1945年5月のドイツの降伏後、ソ連が接収して「特殊収容所3」と名を変え、当局によってナチスの協力者やスパイと見なされた者がここへ送られた。劣悪な環境の中、約1000もの人が命を落とした。

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「Uボート」の俗称を持つソ連時代の地下の刑務所

私たちが最初に見たのは、1947年からソ連の中央未決囚勾留所として使われた地下室。窓もない狭い独房を覗き見ただけでぞっとした。通称「Uボート」(潜水艦)。容疑をかけられてここに送られた人々は、外の世界と完全に隔離され、時には水攻めなどの肉体的苦痛を伴いながら、自白を強要されたのである。

そして、いよいよ上階へ移動する。1951年、国家保安省の設立とともに、この場所はシュタージの刑務所となった。東独政府は、一般の人々をも巻き込んで社会のあらゆる場所にネットワークを築き、監視や盗聴の技術を駆使して反体制派を未然につぶすことに異常なまでに執着したのである。

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シュタージ刑務所の独房の様子

ガイドのリヒターさんが自らの経験談を話してくれた。少年時代から社会主義の教育に馴染めなかったという彼は、1964年、数名の仲間とフリードリヒ通り駅から西行きの列車に飛び乗ろうと試みたが失敗。その際に大けがを負った。何とか自宅まで戻ったものの、数日後に逮捕され、この刑務所に8カ月間拘留された。夜も昼も関係なく、逃げた場所や仲間の行方などを、自白するまで尋問を受けたという。

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以前、シュタージの別の刑務所跡で、こんな話を聞いた。
「シュタージは盗聴など、あらゆる非合法的手段で容疑者を逮捕しました。そのやり方を正当化させるために、彼らを心理的に極限まで追い詰めて、『自白』させることにこだわったのです」。

リヒターさんは75年に西独に亡命。しかし、常にシュタージにつきまとわれているという心理的なプレッシャーから逃れられず、長く外国に暮らした。妻は今も精神的な病を背負っているという。「私はまだいい。でも、妻は完全に東独国家の犠牲者です」というリヒターさんの言葉が重く響いた。

実際は中心部からそれほど遠くないのだが、今も心理的に周囲と隔絶された場所という印象は強い。それでも、ここで多くの若者たちと出会ったのは救いだった。
ドイツニュースダイジェスト 3月6日)


Information
ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館 
Gedenkstätte Berlin-Hohenschönhausen

ホーエンシェーンハウゼン区にあるかつてのシュタージの刑務所。1994年以来、記念館として一般公開されており、社会主義時代のこの場所の歴史を研究し、伝承することを責務としている。常設展は入場無料。ガイドツアーは5ユーロ。英語のツアーは毎日14:30に開催。トラムM5のFreienwalder Str.駅もしくはM6のGenslerstr.駅から徒歩約10分。

開館:月~日9:00~18:00(ガイドツアーの詳細は下記HPにて)
住所:Genslerstr. 66, 13055 Berlin
電話番号:030-98608230
URL:www.stiftung-hsh.de


シュタージ博物館 
Stasi-Museum


かつての国家保安省の本部跡にある博物館。シュタージの監視、盗聴技術に関する展示などのほか、国家保安大臣を長年務めたエーリッヒ・ミールケの執務室がオリジナルの状態で保存されている。東独市民がここを占拠してから25周年となる今年1月、新しい常設展がオープンした。地下鉄U5のMagdalenenstr.駅から徒歩5分。

開館:月~金10:00~18:00、土日祝12:00~18:00
住所:Ruschestr. 103, 10365 Berlin
電話番号:030-5536854
URL:www.stasimuseum.de

by berlinHbf | 2015-03-13 23:21 | ベルリン発掘(東) | Comments(0)

壁崩壊25周年のベルリンにて

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Arkaden am Potsdamer Platz (2014-11-09)

世界的にも注目された先週末のベルリンの壁崩壊25周年。(個人的には)前回の20周年の時に比べると、新聞の記事を読んだり、感慨にふけったりする余裕もないまま、終わってしまった感があります。それでもやはり、11月9日が持つ意味とこの日の街の様子は、ブログを読んでくださっている皆さんと共有したいと思い、写真を何枚かアップします。少し時間が経ってしまいましたが、よかったらご覧ください。

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9日の午後、Sバーンに乗って北駅(Nordbahnhof)に行きました。地上に出ると、壁の時代の見晴台を模して造られた展望台があったので、上ってみました。2006年に初めて北駅をブログで紹介した時に比べると、この周辺は本当に変わりました。

関連記事:
時間の止まった場所(2) - Nordbahnhof - [2006-05-21 22:22]


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こちらがベルナウアー通り方面。この日の夜に打ち上げられる光のバルーンが、かつての壁の跡に沿って並んでいます。

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この日、「ベルリンの壁・記憶の場所」では公式行事も行われ、昨年から改装中だった壁記録センターでは、メルケル首相の臨席のもと新しい常設展がオープンしました。早速覗いてみましたが、写真と映像が以前より格段に増え、大変充実した展示になっています。25年を経て、ベルナウアー通りの「ベルリンの壁・記憶の場所」はようやく完成に近づいています。実際の壁はなくなっても、壁の時代に思いを寄せ、それについて考える場所が充実してきているのは嬉しいことです。

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ブランデンブルク門横のホテル・アドロンにて。ひょっとしたらロシアから訪問中のゴルバチョフさんも、ここに泊まっていたのかもしれません。午後、コンツェルトハウスで行われた公式式典には、ゴルバチョフ氏やメルケル首相が参列し、スピーチを述べています。演奏したのはベルリンの7つのオーケストラから成る特別編成のオケ。最後にベートーヴェンの《フィデリオ》の(おそらく)フィナーレを演奏して大変盛り上がったと、この日乗っていた音楽家の友人が後で話してくれました。

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ポツダム広場のショッピングモール「アルカーデン」では、ベルリンの壁の展示会が行われていました。この日が最終日。奥に見えるのは、実物大の監視塔です。当時の映像や写真に、買い物客が足を止めて見入っていました。

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私が印象に残ったのは、1961年に壁が建設された数日後、東ドイツの国境警備兵コンラート・シューマンが、一瞬の隙をついて西側に逃げる瞬間をとらえた写真です。このパネル中央上の写真があまりに有名ですが、別の角度から捉えたもの、あるいはその数日前に撮られたシューマンの写真は初めて見ました。

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シューマンが境界を越えたときはまだ有刺鉄線でしたが、やがて堅固な壁が築かれていくわけです。子供たちがこの石に上っていたので、私も思わず試してみました。

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いよいよ19時が近づいてきたところで、この日仕事でご一緒した日本からの方々とポツダム広場に行きました。予想はしていましたが、光のバルーンに沿ってすごい人の波!

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さすがにこの辺りには、地元の人だけでなく、旅行者と思われる人もたくさんいました。19時を回り、遠くの交差点に見える大画面では、挨拶をするヴォーヴェライト市長や(12月に離任する前の最後の大舞台ということになるのでしょうか)、ベートーヴェンの第9を指揮するバレンボイム氏の姿を映し出されていますが、音は全く聞こえないので、ブランデンブルク門前で何が行われているのか、ここからはわかりません。

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19時20分を回った頃、ブランデンブルク門の方から大歓声が聞こえてきます。すると向こうから、風船が一つ一つ夜空に放たれていくのが見えました!

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いってみれば、風船を打ち上げるだけですから、光景としてはさほどスペクタクルなものではなかったかもしれません^^;)。でも、壁のない世界とそこにある自由の意味を、こういう形で今の世界に対して示せるのは、やはりベルリンだからこそと思います。メルケル首相はこの日の式典で、「壁の崩壊は、私たちに夢が叶うことを教えてくれた」と語ったそうですが、夜空に飛んでいく風船は人々の過去と今の夢を乗せているかのように見えました。

by berlinHbf | 2014-11-16 14:45 | ベルリン発掘(境界) | Comments(4)

発掘の散歩術(52) -壁崩壊から25年、「涙の宮殿」で越境体験 -

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フリードリヒ通り駅に面した「涙の宮殿」の外観

ミッテ地区のフリードリヒ通り駅は、ベルリンで最も賑わいのある駅の1つだ。地上と地下を走るSバーンとUバーンに加え、駅を南北に横切るトラムの往来が、街のリズムにアクセントを与えている。ここ数年、新しい商業施設やホテルがいくつも建ち、黒光りする鉄骨の駅舎の周辺はずいぶん華やかになった。

この駅の北側に構えるガラス張りの青い建物は、まもなく崩壊から25年を迎えるベルリンの壁の歴史において重要な意味を持つ。東西ドイツ分断時代、「国境駅」だったフリードリヒ通り駅において出国検問所の役割を果たしていたのが、「涙の宮殿」の俗称を持つこの建物だった。

関連記事:

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現在、ここは歴史記念館になっている。奥行きのあるホールに入るとまず目に付くのが、長い台の上に置かれた数々のトランクだ。1949年の東西分断後、社会主義統一党の独裁政治に絶望した多くの東独市民は、ベルリンを経由して西側に亡命した。この駅からSバーンや地下鉄に乗れば、比較的簡単に西ベルリンにたどり着くことができたからである。彼らがどのような想いで国を去ろうとしたか、体験者のインタビューと共に思い出の品が紹介されている。家族のアルバム、銀製の食器、エーリッヒ・ケストナーの絵本、等々。

その先の部屋では、1961年の壁建設前後の重要な出来事を報じる東西のニュース映像が上映されている。自由主義の西側と、「対ファシストの防壁」の名目で壁を建設した東側とは、当然ながら報道の仕方や声のトーンが全く違う。この中で特に心打たれるのが、1人のおばあさんが涙を流しながらインタビューに答える1963年の映像だ。この年の終わり、東西ドイツの間で協定が結ばれ、連日多くの西ベルリン市民がこの駅を越えて、東側に住む家族や親戚とようやく束の間の再会を果たすことができたのである。

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当時のフリードリヒ通り駅の内部がいかに複雑に入り組んでいたか、87分の1のスケールの模型で見ることができる。西ベルリンや西ドイツ、海外からの旅行者は、地上や地下のホームから迷路のような通路を経ながらも、入国審査をして駅の外に出ることができた。彼らが列車で西側に戻る際、西への旅行の自由のない東側の家族や知人とは、「涙の宮殿」の前で別れなければならなかった。

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「涙の宮殿」内にあるかつての出国審査カウンター。上に反射鏡が見える

奥には当時と同じ出国審査カウンターが置かれ、ドアを開けて中に入ることできる。ここで猜疑心に満ちた視線の審査官と向かい合ったわけである。持ち出し禁止物を持っていないかをチェックするための反射鏡が上に設置されている。出国が許可される最後の最後まで何が起こるか分からない。審査官がスタンプを押し、ブザーが鳴ると重い扉の鍵が解除される。扉を押すと、駅へと繋がる連絡口が広がった……。

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かつて「涙の宮殿」を覆っていた重苦しい空気を再現することは不可能だろう。ここを通った人にしか分からない感情というものがある。それでも、彼らが味わった悲しみや怒り、やるせなさ、恐怖、安堵といった気持ちをいくらかでも普遍化し、後世に伝えようとする記念館側の強い意思を感じた。
ドイツニュースダイジェスト 11月7日)


Information
涙の宮殿 
Tränenpalast

フリードリヒ通り駅に面したかつての出国検問所。2011年から、「ドイツ連邦共和国歴史の家」財団の運営により、「越境体験。ドイツ分断の日常」をテーマにした常設展が行われている。「涙の宮殿」の出来事を軸にして、東西ドイツの分断から1990年の統一までの歴史を約600点の展示品と共に紹介。説明は独英表記。入場無料。

開館:火~金9:00~19:00、土日祝10:00~18:00
住所:Reichstagufer 17, 10117 Berlin
電話番号:030-46777790
URL:www.hdg.de


ベルリンの壁・記憶の場所 
Gedenkstätte Berliner Mauer

1961年の壁建設当時、多くの悲劇が起きたベルナウアー通りにある、ベルリンの壁関連では最大の記念施設。実際の壁の跡や和解の礼拝堂など、見どころは多い。昨年秋から改装中だった壁記録センター(Dokumentationszentrum)では、壁崩壊25周年の11月9日、メルケル首相臨席の下、新たな常設展がオープンする。

開館:火~日9:30~19:00(11~3月は~18:00)
住所:Bernauer Str. 111, 13355 Berlin
電話番号:030-467986666
URL:www.berliner-mauer-gedenkstaette.de


by berlinHbf | 2014-11-07 23:57 | ベルリン発掘(境界) | Comments(3)

発掘の散歩術(47) -壁の道に沿って走ろう!-

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ときどき東西分断時代の名残に出会う壁の道

今年はベルリンの壁崩壊から25周年を迎える。世界を揺るがした11月9日に向けて、大きな記念行事が予定されているが、いまひとつ盛り上がりに欠けるようだ。ひょっとしたら、ウクライナ危機を巡ってロシアと欧州連合(EU)の関係が冷戦終結以降もっとも悪化している現状が、どこかで影を落としているのかもしれない。世界のほかの地域を見渡しても、中東、アフリカ、東アジアと、どこも気が滅入るような状況が続いている。世界が再び憎しみと野蛮の支配する時代に逆戻りしてしまうのであれば、1989年のベルリンでの歓喜とは、いったい何だったのだろう・・・・・・。

数年前、壁が最初に開いた市内のボルンホルマー検問所跡から北のホーエン・ノイエンドルフまで、壁の跡に沿って自転車で走ったことがある。全長160キロに及んだ壁跡は、現在サイクリングコースとして整備されている。最近、自転車好きの人と知り合った際、その話題になり、続きを一緒に走ることになった。

ある晴天の日曜日、Sバーンに自転車を持ち込み、友人2人と北側のホーエン・ノイエンドルフまで行く。今日はここからシュパンダウ地区のシュターケンまで走るのが目標だ。Berliner Mauerwegと書かれたプレートが目印の壁の道に入るとすぐに、焦げ茶色の独特のレンガ造りのアパートが並ぶ集落Invalidensiedlungに入る。第1次世界大戦の傷病兵のために1937年に建てられた団地なのだそうだ。そこを抜けると、見渡す限りの広大な草地が広がる。「市内からそう離れていないのに、こんな広々とした場所があるんですね」とベルリン在住約1年の友人が感慨深げに言う。うっそうとした松林を抜け、みずみずしい若葉に光が差し込む山道に入る。初夏の自然の中を駆け抜ける気持ち良さは例えようがない。植物や樹木の種類が分かれば、もっと楽しいことだろう。やがて一般道に合流し、お昼過ぎにヘニングスドルフという比較的大きな町に入った。

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内部を見学できるニーダー・ノイエンドルフ国境監視塔

ここからはハーフェル川沿いに走り、水の流れはやがて湖の規模に膨らんでゆく。途中、かつての国境監視塔を見付けた。細い階段をつたって最上階まで行くと、当時国境警備兵が使っていた双眼鏡が置かれている。今走って来た遊歩道が25年前までは砂地の緩衝地帯だったことや、対岸のハイリゲンゼーが「敵国」であった事実に、今さらながら思いが至る。

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ここからの下り坂は気持ちよかった!

近くのレストランで昼食後、再び広い森の中へ。ベルリンにしては地形に高低差があり、汗をかきながら坂を上ると、今度は一気に駆け下りる! 途中、アイスケラー(氷の貯蔵庫)という印象的な名前の集落を通った。当時西ベルリンの「飛び地」として知られた場所で、わずか3家族の住民は1本の細い道でのみ、かろうじて西のシュパンダウ地区との往来を保っていたという。

この日のゴールはシュパンダウ駅。6時間半掛けてほぼフルマラソンの距離を走ったが、「もう終わりか。名残惜しいなあ」と同行者が言うほど楽しい1日だった。四半世紀を掛けて取り戻した壁沿いの豊かな国土と自然。だが、どんな理由からであれ、再び戦争が始まればすべてが一瞬で失われる。


Information
ベルリンの壁の道 
Berliner Mauerweg

2002年から06年に掛けて、ベルリン市によって整備された全長160キロの遊歩道。要所に沿って、分断当時の出来事が記された案内板(独英表記)が置かれ、生きた歴史を学べる。10〜20キロごとにSバーンやレギオナルバーンの駅があり、大きく迂回もせずにたどり着けるので、行き帰りのご参考に。サイクリングの際に役立つ、スマホ用アプリが下記ウェブサイトからダウンロード可能。

電話番号:(030)7009060(Grün Berlin GmbH)
URL:www.berlin.de/mauer/mauerweg/index/index.de.php


ニーダー・ノイエンドルフ国境監視塔 
Grenzturm Nieder Neuendorf

ハーフェル川の畔に建つ、かつての国境監視塔。ブランデンブルク州で現存する唯一のもの。1999年から歴史記念館として一般公開されており、東独の国境警備兵の日常、監視や狙撃命令の実情などがテーマ別に展示されている。壁崩壊25周年に合わせて、展示内容が一新されたばかり。壁の道の詳細な地図もここで入手できる。入場無料。

オープン:4月6日~10月3日までの火〜日および祝日10:00〜18:00
住所:An der Dorfstraße/Uferweg, 16761 Hennigsdorf
電話番号:(03302) 877320
URL:www.henningsdorf.de

by berlinHbf | 2014-06-09 16:22 | ベルリン発掘(境界) | Comments(1)

和解礼拝堂のライ麦畑(後編) 〜平和のパン〜

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どこか東洋的な雰囲気も漂わせた和解の礼拝堂内部

和解礼拝堂のライ麦畑(前編) 〜取り残された教会〜からお読みいただけると幸いです。


2000年11月、元々教会があった場所に「和解の礼拝堂」が完成した。建築家はコンクリートとガラスから成るモダンな教会を設計したが、「この教会は土と木で造るべきだ」とフィッシャーさんら教区の人々は反対し、版築という古来の用法で造られることになった。中に入ると、この建築が選ばれて良かったとしみじみ思う。マツの木の細い外壁の柱から光が差し込み、粘土状の層をやわらかく照らす。土の壁をよく見ると、ガラスや石が混ざっていることに気付く。これらは、東独時代に爆破された和解教会の欠片である。

「『死の場所と言われた緩衝地帯に、命あるものを咲かせたい』。これが我々の想いでした。1990年代に、東独の人権活動家たちがここにルピナスの種をまき、育てていましたが、教会のある女性が『次はここでパンを作ってみるのはどうかしら』と提案したんです。キリスト教の礼拝では、『最後の晩餐』を模してワインを飲み、パンを食べますよね。これはいいアイデアだ! と思ったんです」

趣旨に賛同したフンボルト大学の農業学科が機材を提供し、種まきと刈入れの手伝いをしてくれることになった。ここを耕し、ライ麦畑が初めて作られたのは2005年のこと。以来、毎年10月に種まき、翌7月に収穫というサイクルが繰り返されている。

この6月に定年退職したフィッシャーさんだが、エネルギーに満ちあふれた口ぶりで、最後に「平和のパン」というプロジェクトのことを話してくれた。

「和解礼拝堂で収穫されたライ麦の種が今年、北はエストニアから南はブルガリアまで、89年以降EUに加盟した中東欧諸国へ送られ、そこで種がまかれます。東西分断時代は、鉄のカーテンによって分け隔てられていた国々です。そこで育ったライ麦が、2014年の壁崩壊25周年に合わせてベルリンに運ばれ、和解礼拝堂のライ麦と混ぜて粉をひき、1つの『平和のパン』を作ろうというわけです」

「パンと平和とは不可分の関係にあります。自国でパンが作れない状況になったら、人々は戦争に走るでしょう。そして平和な状態が失われたら、国土が荒れ果ててパンを作ることなどできない。平和、そして人々が互いに理解し合うことこそ、持続可能な農業の前提条件なのです。パンをあなたの国のお米に置き換えても、同じことが言えるでしょう?」

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和解礼拝堂の麦畑の前に置かれている和解の彫像

和解礼拝堂の入り口近くに、2人の女性が抱き合っている彫像が置かれているのをご存知だろうか。これは1999年、英国のコヴェントリー大聖堂から贈られたものだそうだ。「第2次世界大戦中、ドイツ軍は中世からの歴史を持つコヴェントリーの大聖堂を破壊しました。その数年後、今度は英国軍がドレスデンやベルリンなど、ドイツの都市を空襲で破壊し、どちらも多くの人命が失われました。『憎しみではなく、和解と許しを』というのが、像に込められたメッセージです。この像のレプリカは、広島の平和記念公園にも置かれているのですよ」

「死の地帯」に命が還り、大地の匂いのする教会がそれを見守っている。さて、平和の願いを込めたパンはどんな味がするのだろうか。
ドイツニュースダイジェスト 8月2日)


Information
和解の礼拝堂
Kapelle der Ver söhnung


1999年から2001年にかけて、市民や学生、国際ボランティアたちの手で建てられた礼拝堂。内部の祭壇は昔の教会と同じ方向を向いており、入り口近くの木の箱に収められた昔の和解教会の鐘は、今も正午に鳴り響く。火~金の12:00に行われる短い礼拝では、毎回1人ずつ壁の犠牲者の生涯が朗読され、壁の建設が始まった8月13日には、今年も追悼式が行われる。

開館:火〜日10:00〜17:00
住所:Bernauer Str. 4, 10115 Berlin
URL:www.kapelle-versoehnung.de


プロジェクト「平和のパン」
Das Projekt “FriedensBrot“


冷戦時代、東西ドイツと「鉄のカーテン」によって分け隔てられていた中東欧10カ国(バルト三国、ポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スロベニア、ルーマニア、ブルガリア)が参加予定の平和プロジェクト。発案者はここで紹介したフィッシャーさん夫妻。上記の国々で育ったライ麦がベルリンに還ってくる2014年に向け、下記のHPで募金も募っている。

URL:http://friedensbrot.eu

--------------------------------------
直接関連する話題ではありませんが、6日ベルリンの日本大使館で行われたドイツのゲンシャー元外相の講演の話題をお伝えします。

「核兵器のない世界を」=元独外相、原爆忌に訴え
 【ベルリン時事】ドイツのゲンシャー元外相は広島原爆忌の6日、ベルリンの日本大使公邸でドイツ政府高官や外交関係者ら約150人を前に講演し、「核兵器拡散に対する答えは一つだけ。それは核兵器のない世界だ」と述べ、核兵器廃絶に向け、協力するよう国際社会に呼び掛けた。
 東西ドイツの統一に大きな役割を果たしたゲンシャー氏は、核兵器の廃絶を訴える活動を続けている。同氏は米国とロシアに対し、思い切った核兵器の削減に着手するよう要請。「オバマ大統領とプーチン大統領は歴史的チャンスに直面している。大胆な一歩を踏み出すのはいつかではなく今だ」と強調した。
 また、「日本は被爆国として、ドイツは非核兵器保有国の代表として責任がある」と語り、両国が核兵器の廃絶に向けて主導的役割を果たすよう促した。 
 講演後は、ベルリンのコンツェルトハウス管弦楽団でコンサートマスターを務めるバイオリニストの日下紗矢子さんがバッハの作品などを演奏。広島と長崎の原爆犠牲者を追悼するとともに、平和を祈った。(2013/08/07-07:37)
by berlinHbf | 2013-08-08 00:24 | ベルリン発掘(境界) | Comments(2)

和解礼拝堂のライ麦畑(前編) 〜取り残された教会〜

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和解礼拝堂(右)とライ麦畑の前のフィッシャーさん夫妻

ベルナウアー通りに面したかつての壁の緩衝地帯には、数年前から緑の芝生が植えられるようになった。初夏のこの季節、芝生の上を歩いて行くと、緑に混じって鮮やかな小麦色が目に入ってくる。「和解の礼拝堂」という名の小さなプロテスタント教会を囲むように、ライ麦が一面に生い茂っているのだ。周囲は住宅街というこの場所に突如出現するライ麦畑のことをずっと不思議に思っていたのだが、先日、長年この教会の牧師を務めてこられたマンフレート・フィッシャーさん(65)にお話を伺う機会があり、私の疑問は氷解した。

1961年の突然の壁建設により、東西の境界線上にあったベルナウアー通りの住民は大きな悲劇に見舞われた。何とか西側に逃げようと、決死の覚悟でアパートの上階から飛び降りる東側住民の映像をご覧になった方もいるだろう。19世紀末に造られた和解教会は2つの壁の間の緩衝地帯に取り残され、そこに誰も立ち入りできないという異常事態に陥っていた。1965年、教区(ゲマインデ)の西側の人々は、壁のすぐ手前に鉄骨の新しい教会を建てた。1975年、フィッシャーさんはこういう状況下で牧師となり、ここを仕事場兼住居としながら、毎日灰色の壁を見ていた。

壁の前に住むと言っても、ドラマチックな出来事がそう起こるわけではない。「壁を越えようとする脱走者を見たことはありませんね。稀に警報アラームが鳴ることはありましたが、緩衝地帯の上をさまようウサギなどの小さな動物に反応してのことでした」

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www.kirche-versoehnung.deより拝借

1985年1月、そんな静かな日常で、突如「ドラマチックな」事件が起きた。緩衝地帯に取り残された和解教会が、東ドイツ政府によって爆破されたのだ。「壁は、人も建物も何もかもを破壊したので、こうなることもある程度は予想できた。しかし当時、東西間の雪解けが進んでいただけに、『一体なぜ今になって?』という思いでした。東独政府としては、監視の邪魔になるという現実的な理由だけでなく、あんな場所に教会を残しておくのは、対外的なイメージの悪化につながると考えたのでしょう。実際は、あの爆破によって東独に対する人々の印象はさらに悪くなったのです。ともあれ、元々の教会が破壊されたことで、もうあそこには戻ることができないのだ、壁の時代は今後もずっと続くのだと思っていました」

そのわずか4年後、壁は突如崩壊した。分断された教区が再び1つになったことは、もちろんフィッシャーさんにとって喜ばしいことだったが、気掛かりな点もあった。無用の長物となった壁が猛烈な勢いで撤去されていったことだ。

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「教会」を改装して造られたベルリンの壁記録センター

「防衛のための壁はほかの町にもありましたが、ベルリンの壁は完全な『監禁』目的で造られました。それが街のど真ん中を横切っていたんですよ。『負の遺産とは言え、歴史の記憶の一部は留めなければ』と、私たちや文化財保護団体などは強く声を上げたんです」

長い月日を要することになるものの、それはベルナウアー通りの壁を記念碑として残す動きにつながっていった。(次回へ続く)
ドイツニュースダイジェスト 7月5日「ベルリン 発掘の散歩術」より)


Information
ベルリンの壁・記憶の場所
Gedenkstätte Berliner Mauer


ベルリンの壁の歴史を知る上では必見の場所。壁建設当時の映像が見られ、屋上が展望台になっている記録センターは、本文に登場する1965年建造の教会を改装したもの(2階のステンドグラスにその名残が見られる)。2010年には北駅近くにビジターセンターが完成した。記念碑は最終的に、壁公園の方まで拡張される予定。

開館(記録センターとビジターセンター):
火〜日9:30〜19:00(冬期は〜18:00)
住所:Bernauer Str. 111, 13355 Berlin
電話番号:030-467 9866 66
URL:www.berliner-mauer-gedenkstaette.de


和解教会
Versöhnungskirche


1894年に完成した赤煉瓦造りによるネオゴシック様式の教会。壁の建設後、教会の塔は東独の国境警備兵の監視塔として使われていた。東独政府による爆破の後、2000年、その跡地に後編でご紹介する和解礼拝堂が建てられた。礼拝堂のすぐ横には、和解教会の建物跡が地面に刻まれているほか、かつて教会で使われていた鐘が並べられ、毎日12時に鳴らされる。
by berlinHbf | 2013-07-16 11:01 | ベルリン発掘(境界) | Comments(0)

発掘の散歩術(33) -イーストサイドギャラリーの行方は?-

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高級アパートの建設が予定されているイーストサイドギャラリーの一角。立ち入り禁止のフェンスをものともせず、人々は散歩していた

3月1日の午前8時半頃だったという。イーストサイドギャラリーの脇に前日から置かれていたショベルカーが、かつてのベルリンの壁の1ブロックを持ち上げた。その時点ではごく限られた数の活動家しか現場にいなかったが、やがて反対デモのために集まった人々と警察との間で罵声が飛び交い、騒然とした雰囲気に包まれたという。結局、解体工事は中断。その週末の反対集会には6000人もの市民が集結し、大きなニュースになった。ご存知の方も多いだろう。

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1945年に爆破されたブロミー橋(Brommybrücke)の残骸。再建が予定されている(2009年4月撮影)

23年前は歓喜で満たされた壁の撤去作業だが、2013年の今回、人々は怒りといら立ちを持って注視している。それは、イーストサイドギャラリーのすぐ裏手に、高さ64メートルの高級アパートやシュプレー川に架かる歩道橋を建てる目的で、今や残り少ない壁の遺構から23メートルを撤去するという計画のためである。

デモから3日後、気持ちのいい天気に誘われて、久々にオーバーバウム橋の側からイーストサイドギャラリーの端まで歩いてみようと思った。壁に描かれた絵の前で写真を撮っている人の大部分は外国からの観光客。壁崩壊20周年の2009年にほぼすべての絵が新たに描き直されたが、落書きの度合いは年々ひどくなっており、もはやオリジナルの状態を留めていないものさえある。壁のあった過去に想いを寄せる雰囲気ではないけれど、それでも壁を見たくて今も世界中から人が集まって来る。

川に面した壁の裏側(かつての緩衝地帯)は、この数年で芝生が整備された。西日を浴びたオーバーバウム橋を黄色の地下鉄がゆっくりと渡り始めた。それを背景に人々がくつろいでいて、歩きながらすがすがしい気分になる。

そののどかな散歩道が、金網のフェンスによって突然終わりを告げられる。ここからが問題の箇所だ。再度正面に戻って、壁が解体された現場の前に立ってみた。

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怒りのスローガンや殴り書きがそこかしこに見られ、壁にはまだ生々しい体温が残っている気がした。市民の怒りの矛先は、建物の投機会社よりも、それを認めた行政に対して大きく向けられている。例えば、地元のフリードリヒスハイン・クロイツベルク地区のシュルツ区長は、昨年アパートの建設と壁の移設を認める投機会社との間の契約書に自らサインをしている。さらに言えば、2008年の時点で、区は建設プランに対して許可を与えていたのだ。

地元紙の投書欄にはこんな声が並ぶ。「またもベルリンは個人投資家に身売りした。責任は政治家にある」「結局は金なのか」「唯一無二の歴史の証拠の前に、高級アパートも橋も建てるべきではない」

もともとシュプレー川周辺の再開発計画「メディア・シュプレー」には地元民の過半数が反対している。投機ブームと社会問題にもなっているここ数年の家賃の高騰。自分たちのキーツに愛着を持つ人々にとっては、もはや許せる事態ではないのだ。

ただのコンクリートの撤去ではない。歴史を市場主義の論理に照らして売り払うことの危険性に今、多くの市民が勘付いている。
ドイツニュースダイジェスト 4月5日)


Information
イーストサイドギャラリー 
East Side Gallery


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シュプレー川沿いのミューレン通りに1300メートルに渡って続く、現存する最長のベルリンの壁。壁崩壊直後の1990年、21カ国118人のアーティストが壁に沿って絵を描き、やがて世界最長のオープンギャラリーとして保存されることになった。中でも、旧ソ連のブレジネフ、旧東独のホーネッカーの両書記長がキスをする「兄弟キス」の絵はよく知られている。

住所:Mühlenstraße, 10243 Berlin
URL:www.eastsidegallery-berlin.de


ヤーム 
Yaam


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東駅近くの「ヤーム」。このような自由なスペースが急速に姿を消しつつある

イーストサイドギャラリーの北端、東駅目の前に位置するクラブ/バー。YAAMとはYoung African Arts Marketの略で、アフロ・カリビアンの文化紹介と交流を目的とするプロジェクトとして1990年代にスタートした。5月から9月にかけては、バレーコート付きのビーチバーとして旅行者にも愛されている。今後予定される再開発の関係で、現在の場所に留まるかどうかは未知数のまま。

住所:Stralauer Platz 35, 10243 Berlin
電話番号:(030)6151354
URL:www.yaam.de
by berlinHbf | 2013-04-05 20:10 | ベルリンのいま | Comments(4)

パノラマで体感する「ベルリンの壁」

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パノラマ館の外観。展示期間は2013年末までの予定

かつて東西の国境検問所があったチェックポイント・チャーリーの跡地は、年間を通して多くの観光客が訪れる場所。昨年秋からここで、ベルリンの壁をテーマにしたパノラマ展「Die Mauer(壁)」が開催され、話題を呼んでいます。

制作したのは建築家でアーティストのヤデガール・アッシジ。アッシジといえば、一昨年秋にペルガモン博物館の前で行われた特別展「ペルガモン―古代首都のパノラマ」を当レポートでご紹介していますが(そのときの記事はこちら)、あのときと同じく、ガスタンクを思わせる高さ18メートルの円柱の塔が会場です。

暗闇の中を入っていくと、J・F・ケネディーやヴァルター・ウルブリヒトといった冷戦時代の政治家たちの有名な演説が聞こえてきます。そして徐々に明るくなり、目の前に壁の風景が現れました。1980年代のクロイツベルク地区、ゼバスティアン通りとルッカウアー通りの角にある架空の工事現場から東ベルリンを眺めているという設定です。

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高さ15メートル、幅60メートルのサイズで再現されたパノラマ
© asisi


雲が重くたれ込める秋の日、左側のアパートのすぐ目の前にまで立ちはだかっている壁。グラフィティーを描く人や記念撮影をする観光客の姿が見え、その向こう側には東側の広大な緩衝地帯が広がります。人の気配がほとんど感じられない中、監視塔の国境警備兵が双眼鏡でこちら側を覗き、緩衝地帯に取り残された1軒のアパートには人影が。自分の意志では決して来られない西側を目の前にして、あの人は一体どんな思いで「こちら」を眺めているのか……。

原寸大で再現された風景だけに、そのリアル感は相当なもの。しかし、写真で知る当時の風景とは微妙に違うことに気付きました。アッシジの説明によると、「当時の生活の表情をできるだけ多く見せるため、歴史的に完全な形で再現することにはこだわらなかった」。パノラマの左側半分が実際の風景を忠実に再現しているのに対し、右側半分は視界の邪魔になる建物を取り除き、代わりに当時この地区で一般的に見られた不法占拠のアパートを置くなど工夫。パンクスや街角のインビスなど、細かいディテールまで観察のし甲斐がありました。

壁があった時代の日常。それは、現在のベルリンの姿しか知らない人にとってはあまりに異常な風景です。しかし80年代当時、このパノラマで描かれた界隈に実際に住んでいたアッシジは語ります。「当時は壁のある生活が当たり前で、人間はあんな状況にも慣れてしまうものだ。でも、いつどこでそれが再び起こらないとは限らない」。

現在のチェックポイント・チャーリーはすっかり観光地化しているため、少しでも壁があった時代の空気を感じてみたいという方にお勧めのスポットです。

Die Mauerのオープン:毎日10:00~18:00
入場料:10ユーロ(割引8,5ユーロ)
www.asisi.de
ドイツニュースダイジェスト 2月15日)


関連記事:
ヴァルデマー通りの壁 - 天使の降りた場所(19) - (2007-02-01)
(ゼバスティアン通りとルッカウアー通りの角の風景。2006年に撮った写真ですが、あれから新しいアパートがどんどん建ち並び、壁跡としての面影はほとんどなくなってしまいました)
by berlinHbf | 2013-02-15 00:53 | ベルリン発掘(境界) | Comments(3)

ベルリンの壁 記憶の場所

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壁建設50周年の式典に際し、ドイツの各政党から贈られた花束

初めてベルリンに来た方に、ベルリンの壁の遺構を見せると、「意外に低いんですね」とか「背が高い人なら、よじ登れそう」という感想を漏らされることがあります。そう感じるのはやむを得ないことなのかもしれません。観光客によって削られ、中心部にわずかばかり残る1枚の壁を前にしても、当時そこで何が起きたかを想像するのは難しいからです。

今年の8月13日、壁建設からちょうど50年を迎えました。ミッテのベルナウアー通りでは、ヴルフ大統領やメルケル首相も参列しての追悼式典が行われ、同時に拡張工事が続けられていた「ベルリンの壁 記憶の場所(Gedenkstätte Berliner Mauer)」が正式にオープンしました。

同月のある日、地下鉄U8のベルナウアー通り駅で降りて、なだらかな坂を下りながら新しい部分を歩いてみました。外側の壁があったラインに沿って、茶褐色の鋼材の柱が壁を想起させるように並び、当時の無人の緩衝地帯は広大な芝生に変わっています。東独側の後背壁や金網の柵も一部は保存され、国境警備兵用の小道もその跡をたどれるようになっています。

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敷地内をいくつも横切る、かつての逃亡トンネルの跡

芝生の上を歩いていると、茶褐色の板が地面に埋め込まれているのに気付きました。これは、かつてこの壁際に建っていたものの、東独政府によって爆破されたアパートの敷地跡でした。さらに、今度は緩衝地帯を横切る線が目に留まりました。これは1962年に東から西への逃亡を試みて掘られたトンネルの跡。このように、東西分断時代の出来事がさまざまな形で可視化され(ところどころに当時の写真や音声資料も設置されています)、訪れる人は歩きながら発見し、当時を具体的にイメージできるようになっているのです。

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壁の建設によって爆破されたアパートの土台部分

シュトレーリッツァー通りから北駅方面を見下ろす眺めは、広々と敷き詰められた緑の芝生によって、爽やかな気分をもたらしてくれました。しかし、当時はこの芝生がすべて砂地で、厳密な監視網が160キロ近くも続いていたことを思い出した瞬間、今度は壁の恐るべき規模に思いが至りました。

特に多くの人が集まっていたのは、遺跡のような形で保存された当時のアパートの地下部分の周り。ここは「人々の苦しみ」というテーマで、ある日突然終わりを告げられた人々の日常生活や、引き裂かれた人間関係が綿密なリサーチに基づいて紹介されています。

「壁のことを知りたい」という気持ちでベルリンに初めて来る方に対して、私はイーストサイドギャラリーやチェックポイント・チャーリー跡よりも、まずこのベルナウアー通りに来ることをお勧めしたいと思います。
ドイツニュースダイジェスト 9月9日)

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by berlinHbf | 2011-09-13 13:40 | ベルリン発掘(境界) | Comments(3)

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