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ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

Amazonにてネット購入ができます。



『街歩きのドイツ語 』
¥1,575
三修社

豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

ベルリン更新情報
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ベルリン個人ガイドのご案内

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発掘の散歩術(56) -「隔絶された場所」ホーエンシェーンハウゼン-

発掘の散歩術(56) -「隔絶された場所」ホーエンシェーンハウゼン-_e0038811_07133468.jpg
Gedenkstätte Berlin-Hohenschönhausen (2015-02)

アレクサンダー広場からトラムM6に乗って東へ走る。プラッテンバウと呼ばれる旧東独の典型的な高層アパートの風景が広がる中、やがて電車はゲンスラー通りの停留所に到着。目の前の真新しいショッピングセンターとは対照的に、その裏手のゲンスラー通りにはうら寂しい雰囲気が漂っていた。道なりに歩くと、その思いにとどめを刺すかのように、有刺鉄線に囲まれた塀と監視塔が見えてきた。かつて東独の人々が恐れをなしたホーエンシェーンハウゼンの国家保安省(通称シュタージ)の刑務所跡だ。

5年ほど前にもここを訪れたことがあるが、チケット売り場やショップ、待合室が見違えるように奇麗になっていて驚いた。別館に常設展もあるが、とりわけ価値があるのは、かつて実際に収監されていた人が案内するガイドツアーに参加することだろう。カール・ハインツ・リヒターさんという気骨のありそうな初老の男性が現れ、我々をまず地下の部屋に連れて行った。

この場所は、いくつもの歴史の層を持つ。そもそもは1939年、ナチス管轄下の調理場として作られた。1945年5月のドイツの降伏後、ソ連が接収して「特殊収容所3」と名を変え、当局によってナチスの協力者やスパイと見なされた者がここへ送られた。劣悪な環境の中、約1000もの人が命を落とした。

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「Uボート」の俗称を持つソ連時代の地下の刑務所

私たちが最初に見たのは、1947年からソ連の中央未決囚勾留所として使われた地下室。窓もない狭い独房を覗き見ただけでぞっとした。通称「Uボート」(潜水艦)。容疑をかけられてここに送られた人々は、外の世界と完全に隔離され、時には水攻めなどの肉体的苦痛を伴いながら、自白を強要されたのである。

そして、いよいよ上階へ移動する。1951年、国家保安省の設立とともに、この場所はシュタージの刑務所となった。東独政府は、一般の人々をも巻き込んで社会のあらゆる場所にネットワークを築き、監視や盗聴の技術を駆使して反体制派を未然につぶすことに異常なまでに執着したのである。

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シュタージ刑務所の独房の様子

ガイドのリヒターさんが自らの経験談を話してくれた。少年時代から社会主義の教育に馴染めなかったという彼は、1964年、数名の仲間とフリードリヒ通り駅から西行きの列車に飛び乗ろうと試みたが失敗。その際に大けがを負った。何とか自宅まで戻ったものの、数日後に逮捕され、この刑務所に8カ月間拘留された。夜も昼も関係なく、逃げた場所や仲間の行方などを、自白するまで尋問を受けたという。

発掘の散歩術(56) -「隔絶された場所」ホーエンシェーンハウゼン-_e0038811_07125058.jpg
以前、シュタージの別の刑務所跡で、こんな話を聞いた。
「シュタージは盗聴など、あらゆる非合法的手段で容疑者を逮捕しました。そのやり方を正当化させるために、彼らを心理的に極限まで追い詰めて、『自白』させることにこだわったのです」。

リヒターさんは75年に西独に亡命。しかし、常にシュタージにつきまとわれているという心理的なプレッシャーから逃れられず、長く外国に暮らした。妻は今も精神的な病を背負っているという。「私はまだいい。でも、妻は完全に東独国家の犠牲者です」というリヒターさんの言葉が重く響いた。

実際は中心部からそれほど遠くないのだが、今も心理的に周囲と隔絶された場所という印象は強い。それでも、ここで多くの若者たちと出会ったのは救いだった。
ドイツニュースダイジェスト 3月6日)


Information
ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館 
Gedenkstätte Berlin-Hohenschönhausen

ホーエンシェーンハウゼン区にあるかつてのシュタージの刑務所。1994年以来、記念館として一般公開されており、社会主義時代のこの場所の歴史を研究し、伝承することを責務としている。常設展は入場無料。ガイドツアーは5ユーロ。英語のツアーは毎日14:30に開催。トラムM5のFreienwalder Str.駅もしくはM6のGenslerstr.駅から徒歩約10分。

開館:月~日9:00~18:00(ガイドツアーの詳細は下記HPにて)
住所:Genslerstr. 66, 13055 Berlin
電話番号:030-98608230
URL:www.stiftung-hsh.de


シュタージ博物館 
Stasi-Museum


かつての国家保安省の本部跡にある博物館。シュタージの監視、盗聴技術に関する展示などのほか、国家保安大臣を長年務めたエーリッヒ・ミールケの執務室がオリジナルの状態で保存されている。東独市民がここを占拠してから25周年となる今年1月、新しい常設展がオープンした。地下鉄U5のMagdalenenstr.駅から徒歩5分。

開館:月~金10:00~18:00、土日祝12:00~18:00
住所:Ruschestr. 103, 10365 Berlin
電話番号:030-5536854
URL:www.stasimuseum.de

# by berlinHbf | 2015-03-13 23:21 | ベルリン発掘(東) | Comments(0)

ドキュメンタリー映画『なみのこえ 気仙沼』@ベルリン日独センターのご案内

ドキュメンタリー映画『なみのこえ 気仙沼』@ベルリン日独センターのご案内_e0038811_04053284.jpg
直前のご案内になり恐縮ですが、明日11日(水)にベルリン日独センターにて、ドキュメンタリー映画『なみのこえ 気仙沼』が上映されます。昨年HKW(世界文化の家)のドキュメンタリー映画祭で上映された作品で、酒井耕監督が来伯しトークセッションに参加されるとのこと。震災から4年を迎える被災地の今の状況を知る良い機会だと思いますので、お時間とご興味がありましたら、ぜひご参加ください。


その後の日々…東日本大震災から4年を経て

ドキュメンタリー映画『なみのこえ 気仙沼』
監督: 酒井耕/濱口竜介 (2013年/日本語/109分)英語字幕付き
http://silentvoice.jp/naminokoe/

開催予定日: 2015-03-11(水)
会場: ベルリン日独センター


18時30分 上映会
20時30分 酒井耕監督によるトーク

**変更になる場合があります。

入場無料
お申し込みは、電話 (030) 839 07 123 またはメール kultur@jdzb.de までご連絡ください。
メールでのお申し込みの際は追って予約確認メールを差し上げます。

協賛: アルパイン株式会社 (Alpine Electronics (Europe) GmbH)
協力: 在ドイツ日本国大使館、独日協会ベルリン、絆・ベルリン
# by berlinHbf | 2015-03-10 20:13 | ドイツから見た日本 | Comments(0)

長男の誕生に際して

長男の誕生に際して_e0038811_08252933.jpg
分娩病院にて(2014-12)

めまぐるしく動いたこの1ヶ月だった。先月半ば、長男がベルリン市内の病院で生まれた。ようやく少し振り返る余裕ができたので、いくつか記憶に留めておきたいことを書こうと思う。

妻の陣痛が始まったのは、1月半ばのある日。分娩病院からは陣痛が3〜5分間隔になってから来るように言われていた。あまり早い段階で行くと、一度自宅に返されてしまうという話も聞いていた。そんなこんなで、病院に行くタイミングがつかめぬまま長い1日が終わり、いよいよ妻の痛みが増してきたのだが、間隔がなかなか縮まらない。朝になるまで待ってみるか、かなり迷ったのだが、とりあえずお泊まりセットを持ってタクシーで病院に行ってみることにした。深夜の1時半頃だった。

「グッド・ラック!」と別れ際に声をかけてくれたタクシーの運転手さんと別れて病院へ。電話をかけて、病院のドアを開けてもらう。検査が終わったところで、「あなた方はこのまま病院にいていいわよ」と看護師さんが言ってくれて、まずは一安心。陣痛室でほとんど寝られぬまま、朝になって分娩室へ移動。そして、その日の午後、冬のこの時期にしては穏やかな日が窓から差し込める中、長男がこの世に誕生したのだった。母体からニョキニョキと出てきたわが子を初めて見たときのその戸惑ったような表情、そして助産婦さんからいきなり「はい!」と言ってハサミを渡され、へその緒を切ったときの感触などは忘れられない。

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誕生の直後から母子同室が始まり(私もその日は家族部屋に一緒に泊まった)、その晩にオムツ替えや母乳の指導を受けてから、早速同じベッドでちっちゃな新生児と寝ることになった。翌日の夕方、日本からやって来た義理の母を迎えにテーゲル空港に行く。生まれたばかりの孫と嬉しい対面を果たしたものの、その少し前から気になっていた異変に対する不安が当たってしまう。生まれたばかりの子にしては、寝てばかりで、食欲もあまりなかったのだ。たまたまチェックに来た看護婦さんが体温を測ったところ、赤ちゃんにしてはかなり低めであることがわかり、早速新生児病棟に送られることになる。さすがにこのときは心配だったが、抗生物質などを投与してもらった結果、すぐに回復したが念のため様子を見てもらうことになった。大仕事をしたばかりの妻は部屋から離れた新生児病棟へ、数時間毎に母乳をあげに行くのが大変だったようだ。


ドイツでは、出産後何もなければ3日ぐらいで退院すると聞いていたが、私たちの場合はこのようにいろいろあって出産から6日後に退院。それから約2週間は、義理の母が食事などでいろいろサポートしてくれたのがありがたかった。もう一つ、自宅での育児が始まったばかりの私たちを助けてくれたのは、助産婦さんの存在だった。ほぼ毎日自宅に来て、授乳の仕方から赤ちゃんのケア、産後の母体のチェックなど丁寧に見てくれて、精神的にも大きな支えになった。これは日本と大きく違うシステムで、基本的に通常の健康保険ですべての費用が賄われるのも驚きだった。これからは子育ての視点を通して、ベルリンの街やドイツの社会の仕組みを見ることができるのが、楽しみである。

1月下旬のある夜、日頃から親しくさせてもらっている日本の新聞社の特派員の数人が、私のためにささやかなお祝い会を中華料理の店で開いてくださった。日頃は冗談をよく言うある記者さんが、突然私にこんなことを言った。「子供が生まれてきたとき、世界平和を願いませんでした?」。「世界平和」などという壮大な言葉がいきなり出てきてちょっとびっくりしたが、彼の語ることは何となくわかった。「僕も子供を持ってから、子供絡みの事件や事故により敏感に反応するようになった気がしますね」と別の知人は言う。ちょうどパリのシャルリー・エブドの襲撃事件と追悼デモの直後で、フランスの取材から帰ってきたばかりの彼らからいろいろ話を聞いた。後になって、長男が生まれた2015年1月を振り返ると、真っ先に思い出されるのはこの月に起きた一連のテロ事件なのかもしれない。息子が自分たちのところに来てくれてありがとうという気持ちは強いけれど、同時に人の命があまりに粗末に扱われている今の荒涼とした世の中に放り込まれてきたことに対して、なんだか申し訳ないという感情も少なからずある。この1ヶ月ちょっと、時間的に余裕がなかったせいもあるが、インターネットのニュースや言説空間にはなるべく触れないようにしようと務めていた気がする。自国民のみが良ければいいという利己主義や、他者や他民族への憎悪に満ちた今の世界。そしてそれがあっという間に連鎖し、波及するのを助長するネット世界の負の側面に嫌気がさしていたのだと思う。そんなものに関わるのだったら、シューベルトのピアノソナタを聴きながら、目の前にいる生まれたばかりの小さな生きものを眺めている方がどんなにいいか。たとえ、オムツを替えるときにおしっこをひっかけられても・・・(こんなことを書くようになったのも、親バカの第一歩なのかどうかはわからないけれど)。

少し前に、義理の母が日本から持ってきてくれた季刊誌『考える人』2015年冬号を開いた。「家族ってなんだろう」という特集記事にある人類学者の山極寿一さん(ゴリラ研究の第一人者)のインタビュー記事がめっぽう面白かった。家族が一人増えたばかりの自分にとって、特に印象に残ったのはこんな箇所だった。
家族というのは、実は他人とのつき合いから始まる。要するに妻と自分には全く血縁関係がない。しかも歴史を共有していない。育ってきたプロセスは知らないわけですから。他者ですよね。他者との間に子供をつくる。子供はゼロから自分が責任を負うわけです。あるいは子供にとったら、もう既にゼロから自分を取り巻いている人々がいる。それは一生つき合わなくてはならないもの。それを僕はネガティブなものと考えていたけれども、ポジティブなものかもしれない。
どういうことかというと、子育てをやってみたら膨大な時間を子供に対して与えなくてはいけないことがわかる。あらゆるものを犠牲にして。子供が病気になれば何もかも捨てないといけない。それは戻ってくるものではない。ただ価値観をそこでいったん麻痺させて、誰かのために自分の時間を捧げるのは、非常に人間的な行為です。人間的と言うよりも、むしろ生物としての行為です。ゴリラもそうなんだから。そして人間はそれを大きく広げたのです。
自分を犠牲にする行為がなぜなくならないかというと、根本的にうれしいことだからです。母親は自分のお腹を痛めて産んだ子だから当然かもしれないし、養子に迎えた子や、あるいは近所の子であっても、子供に対して尽くすのは、人間にとって大きな喜びです。不幸なことになったり、アクシデントが起こったときに、子供を助けてやりたいと思う気持ちは、人間が共通に持っている幸福感なのです。それがあるからこそ、そして分かり合えるからこそ、人間は存在すると思うのです。
私はアフリカでNGOの活動をずっとやってきました。文化も社会も違い、言葉も違う人たちだけれども、何が一番根本的に了解し合えるかといったら、「未来のため」ということ。子供たちのために何かをしてやりたい、現在の自分たちの利得感情で世界を解釈してはいけない。自分たちの持っている資源を未来の子供たちに託さなければいけないという思いです。そういうことを重荷と思ってはいけないのです。
人間というのは、現在から来る抑制ではなくて、タイムスケールの長い過去と未来に縛られる抑制によって生きている。それが人間的なものだと思います。
『考える人』(新潮社)2015年冬号 「山極寿一ロングインタビュー」より

自宅と病院の間を往復した日々、バスや地下鉄の中で、私は息子がこれからどのように育っていくのかあれこれ想像した。私の幼少期の原風景というと、生まれ故郷の横須賀の海や、そのすぐ近くにあった赤色の小さな貸家、周りの墓地や田んぼなどだが、この子にとっては、高い天井のアパートやベルリンの冬の曇り空、くすんだ街並になるのだろうか。いつの日か自分の幼少期をどんな風に振り返るのか、興味あるところである。そういえば、息子は『1900年頃のベルリンの幼年時代』を書いたヴァルター・ベンヤミンと同じく、シャルロッテンブルク区生まれとなった。正真正銘のベルリンっ子である。逆に今後、自分と日本との関係を彼はどのように築いていくのだろう。できれば早いうちに、日本の山河や人びとにも触れさせてあげたいなと思う。親として、これから喜びも悩みも尽きないと思うけれど、初めて共に過ごす春を迎えるのが待ち遠しい。

# by berlinHbf | 2015-02-20 01:11 | ベルリン子育て日記 | Comments(16)

発掘の散歩術(55) - 演劇で体感する戦争と武器のグローバリズム -

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“Situation Rooms“の一場面より
© Ruhtriennale / Jörg Baumann


テロ、無差別攻撃、集団虐殺、難民、拉致、処刑……。今日も新聞やパソコンを開くと、このような言葉が見出しに並ぶニュースが飛び込んでくる。その度に陰鬱な気持ちになるが、紛争地域からの難民の受け入れをめぐる論議は、ドイツに住んでいるともはや他人事ではない。ある時は、遠い場所での事件やテロが連鎖し、「ベルリン中央駅でイスラム過激派がテロを計画」というニュースを目にして愕然とする。モノや情報の伝達だけでなく、憎悪の感情までもがあっという間に伝播するグローバルな世界にわれわれは生きている。

昨年12月末、友人に勧められてリミニ・プロトコルの“Situation Rooms“という演劇作品を観に行った。会場のHAU2の中に入ると、映画の撮影セットのようなものが置かれている。まず担当者からセット内の回り方の説明を受け、1人ひとりにiPadが渡された。一度に参加できる人数は20人まで。戦争をテーマにしたインスタレーションということは聞いていたが、一体何が起こるのかよく分からないまま、指定された部屋のドアを開けてみた。

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© Ruhtriennale / Jörg Baumann

そこは病院の手術室だった。iPadには「国境なき医師団」のあるドイツ人医師のインタビューと共に、まさに同じ場所で撮影された映像が流れている。それに従ってベッドの上に横になり、負傷した人々の映像を見る。私はこの医師がかつて経験した、アフリカのシエラレオネ共和国の内戦で負傷した市民の目線になったわけだ。そこに、やはりiPadを持った別の観客が入ってきて、医師の視線からベッド上の私を見下ろした……。

これでようやく分かった。“Situation Rooms“の演者はわれわれ観客なのだ。リミニ・プロトコルが取材した、住む場所も立場も異なる20人の部屋に入り、「住人」である彼らの体験に自分を「同化」させるのである。ある時はガザ地区との国境をパトロールする若いイスラエル兵になって監視塔に上り、またある時はパキスタンのテロリストの掃討を目的とするインド空軍の中尉のヘリコプターの中に入る。リビアからのボート難民の一家が住む部屋に紛れ込み、彼らと一緒にお茶(本物が用意されている)を飲んだかと思うと、9歳で兵士に駆り出されたコンゴ人青年の人生を追体験する……。

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© Ruhtriennale / Jörg Baumann

この作品の重要なテーマは、戦争の構造を形作る上で不可欠な「武器」である。1時間20分の行程の間、観客は時間差を置きながらある人を演じ、別の観客にバトンを渡していく。立場を変えることで、武器をめぐる様々な風景や状況が見えてくる。巨大軍需コンツェルンの社長の部屋にも入ったし、完成品がどこに運ばれるか知らされないまま、長年軍需産業の工場で働いたスイス人の作業工程も体験した。射撃の名手であるドイツ人警察官の「指導」を受け、地面に這いつくばって射撃の練習をするとは、よもや思わなかった。

セットの間を行き来する間に、ドイツが世界第3位の武器輸出国であるということや、「ドイツ銀行」が爆弾を製造するスペインのコンツェルンの重要なスポンサーであることなど、知られざる現実にも出会った。一市民である自分自身も、いつどこで戦争の加害者として巻き込まれるか分からない。ドイツ政府の武器輸出を糾弾する活動家が、こんなことを話していてドキリとした。「ドイツが模範とするのは日本です。なぜなら武器の輸出を全く行っていないから」。
ドイツニュースダイジェスト 2月6日)


Information
ヘッベル・アム・ウーファー 
Hebbel am Ufer(HAU)
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2003年、クロイツベルクの川沿いの大中小3つの劇場が統合して生まれた1つの劇場組織。2012年からベルギー人のアネミー・ファンアカラが芸術監督を務め、演劇やダンスなどのパフォーミングアーツで先進的なプロジェクトを実現している。リミニ・プロトコルは2004年以来ここを本拠地とし、数々の話題作を送り出してきた。

チケットオフィス:月~土15:00~公演の1時間前まで(公演のない日は15:00~19:00)
住所:Hallesches Ufer 32, 10963 Berlin(チケットオフィス)
電話番号:030-25900427
URL:www.hebbel-am-ufer.de


シチュエーション・ルームズ 
Situation Rooms
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複雑に入り組んだSituation Roomsのセットの模型

現代社会の諸問題をテーマとする演劇集団「リミニ・プロトコルRimini Protokoll」のインタラクティブアート作品。2013年のルール・トリエンナーレで初公開された後、欧州各地に巡回している。3月12日(木)~29日(日)まで、ドレスデンの軍事史博物館にて上演される。1回の参加人数が限られており、予約が必須。第17回文化庁メディア芸術祭アート部門優秀賞授賞作品。
URL:www.rimini-protokoll.de

# by berlinHbf | 2015-02-14 10:28 | ベルリン文化生活 | Comments(1)

ベルリン・フィルのジルベスターコンサート

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サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルと共演したメナヘム・プレスラーさん
© Holger Kettner

毎年大晦日恒例のベルリン・フィルのジルベスターコンサートは、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートと並んで、クラシック音楽ファンが一度は生で聴いてみたいと憧れる公演です。チケットが取りにくいことでも知られるこのコンサートを、昨年末、幸運にも聴く機会に恵まれました。

公演は12月29日、30日、31日の3回にわたって行われ、すべて同一プログラム。中でも世界中から注目を浴びる大晦日の公演は値段もワンランク上がり、チケットが殊のほか取りにくいことで知られています。

さて、当日17:30の開演に合わせてフィルハーモニーの大ホールに入ると、舞台は普段と違うブルーの照明に彩られていました。周りの席を見渡すと、スーツや華麗なドレスに身を包んだ紳士淑女の姿が目立ちます。ベルリンでは、クラシックの公演においても普段はラフな姿の若者をよく見掛けますが、この日は趣が異なり、独特の祝祭感に包まれていました。

女性司会者によるテレビ中継用の挨拶の後、指揮者のサイモン・ラトルが登場。フランス人作曲家のラモーが1735年に作曲した《優雅なインドの国々》組曲でコンサートの幕を開けました。打楽器による小気味良いリズムに導かれ、フルートやピッコロがエキゾチックなメロディーを奏でます。

舞台が温まってきたところで、この夜の特別ゲストがゆっくりと舞台に上がりました。ピアニストのメナヘム・プレスラー(91)です。長年、ピアノ三重奏団「ボザール・トリオ」のメンバーとして活躍した彼が、ベルリン・フィルにソロデビューしたのは実に90歳になってからのこと。そのときの演奏に感銘を受けたラトルが直々に今回の共演を打診したのだと言います。曲はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番。天から降り注ぐようなヴァイオリンの優美な旋律に乗って音楽が始まり、その絨毯の上をピアノのソロが舞い始めます。最初はタッチがやや弱々しく感じられたものの、そのニュアンスの無尽蔵の豊かさと、天国と現実世界が同居したような深淵な表現に惹き込まれました。第2楽章では木管楽器とのやり取りから味の濃い情感が生まれ、フィナーレではゆっくりめのテンポのソロにラトルが愛情を込めて寄り添います。音楽家も聴衆もこれほど息を凝らして演奏に聴き入るコンサートに、私は近年出会ったことがありません。まさに一期一会と言える瞬間が生まれ、聴衆は総立ちでプレスラーを称えました。

関連記事:

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モーツァルトの演奏後のカーテンコールから © Holger Kettner

後半はドヴォルザークのスラヴ舞曲から2曲、そしてハンガリー人作曲家コダーイの《ハーリ・ヤーノシュ》組曲。いずれも激しいリズムと東欧の民俗的なメロディーに支配された作品で、ラトルとオーケストラがそれらを自由自在にドライブすると、フィルハーモニーの熱気は最高潮に高まりました。

大晦日の公演では、終演後ロビーにてシャンパンやソフトドリンクが無料で振る舞われます。偶然そこで出会った知人と素晴らしい音楽を語らい、反芻しました。人生でおそらくそう何度も経験することがないであろう、印象深い2014年の大晦日でした。

# by berlinHbf | 2015-02-07 01:32 | ベルリン音楽日記 | Comments(1)

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