ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
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本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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カテゴリ:ドイツ全般( 54 )

発掘の散歩術(60) - 番外編:ブランデンブルク州 『リベックじいさんのなしの木』の村を訪ねて -

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「ハーフェルラントのリベック村のおじいさんの話、知ってる?」と知人のおばさんが一緒にお茶を飲んでいるときに言った。ドイツの国民的な作家テオドール・フォンターネ(1819〜98)が書いた、ドイツではよく知られた物語詩だそうだ。ドイツ語の「ヘア・フォン・リベック・アウフ・リベック・イム・ハーフェルラント」というリズミカルな題名が印象に残ったものの、どんな内容かも知らないまま、6月のある日、詩の舞台となった村に連れて行ってもらえることになった。

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ハーフェルラント郡にある、のどかなリベック村の様子

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村にあるカフェAlte Schuleにて

ベルリンからハンブルクへと続く連邦道路B5をひたすら西に走る。緩やかな丘陵のある並木道を心地良く進むうちに、40分ほどでリベック村に到着した。人口380人ほどの小さな集落だ。昔の村の学校の建物を利用したカフェで、コーヒーと名物の洋梨のトルテをほお張りながら、知人がフォンターネの詩を基にした絵本を見せてくれた。

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「昔々、リベックじいさんの屋敷に梨の木があった。黄金の秋に梨が実ると、おじいさんは子どもたちに優しい声をかけて梨を分け与えた。彼は亡くなる直前、「墓の下に梨を1つ埋めてほしい」という遺言を残す。彼の跡取り息子はけちな人で、梨の木の周りに柵を作って人を立ち入らせないようにしてしまうが、数年後、おじいさんの墓の脇から、あのとき一緒に埋めた梨の芽が出て成長し、やがて果実を実らせ、そばを通る子どもたちに再び恵みをもたらす……」

マルク地方独特の方言で書かれているため、原語ですらすら読むのはかなり難しいが、読後温かな気持ちにさせてくれる作品だ。この詩のモデルになったのは、18世紀にここの領主を務めたハンス・ゲオルク・フォン・リベック(1689〜1759)という人物だという。リベックじいさんの詩に描かれる梨の木は、1911年の嵐で切り倒されてしまったが、近年、同じ場所に植え直された。オリジナルの木の切り株の一部は、村の小さな教会の中に残されている。

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教会の横には、この村ゆかりのリベック家の墓地があった。一際目を引いたのは、リベック家最後の領主ハンス・ゲオルク・カール・アントン(1880〜1945)のお墓。君主制の復活を目指してナチスに抵抗した彼は、後にザクセンハウゼン強制収容所に送られ、終戦直前の4月に殺されたという。その事実を示す記念プレートには、フォンターネが描いた牧歌的な伝承の先に、彼が知る由などなかった20世紀の激動のドイツ史が刻印されていた。

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村で見つけた梨の木

戦後、リベック村は東ドイツに属したが、長い村の歩みに比べると数十年の時間などわずかな歩みに過ぎないと思わせるほど、のんびりとした時間が流れている。昔、穀物の製粉所だった建物の煙突のてっぺんには、巣を張ったコウノトリの姿が見え、村を歩くといくつもの梨の木を見掛けた。まだ実は熟していなかったけれど、黄金の秋の収穫の季節になったら、“Ick hebb ’ne Birn.(ここに梨があるよ)”と声をかけてくれる領主のおじいさんが、ふと現われそうだった。
ドイツニュースダイジェスト 7月3日)


Information
『リベックじいさんのなしの木』
Herr von Ribbeck auf Ribbeck im Havelland
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1889年にテオドール・フォンターネが書いた物語詩。現在に至るまで、ドイツの学校で頻繁に教材として使われ、ドイツではもっとも有名な詩の1つとして知られている。邦訳の絵本(藤本朝巳訳、岩波書店)も出ており、米国の児童文学作家、ナニー・ホグロギアンの味わい深い版画と共に楽しめる。


リベック
Ribbeck

ブランデンブルク州ハーフェルラント郡ナウエンにある村。リベックの名が文書に初めて登場する13世紀から、リベック家が歴代の領主を担ってきた。公共交通機関での行き方は、ベルリン中央駅からナウエンまで地域間急行で約35分。そこからバス(661か669)に乗り換えて、Ribbeck下車(約15分)。

住所:Theodor-Fontane-Str. 10, 14641 Nauen OT
Ribbeck(観光担当)
電話番号:033237 8590-30
URL:www.ribbeck-havelland.de

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ドイツニュースダイジェストで2010年から連載させていただいている『ベルリン 発掘の散歩術』が、おかげさまで今回丸5年となる60回目を迎えることができました。これからは折に触れてブランデンブルク州の街や村も取り上げていきたいと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いします。

by berlinHbf | 2015-07-08 14:18 | ドイツ全般 | Comments(1)

ポツダムの新庭園へ!

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前回の更新からずいぶん時間が空いてしまった。この1ヶ月半は移動の連続だった。3週間の日本滞在から一足先にドイツに戻ったのが6月頭。数日間ベルリンで過ごして、パリに飛んだ。久々に1人旅の時間が持てたので、思い切ってパリに行こうと思ったのだった。知人のアパートに居候させてもらいながらパリでの6日間を楽しみ、ベルリンに戻ると、その翌日に妻と息子が私の母の付き添いでテーゲル空港に到着。2週間ぶりに会う息子は、一回り大きくなっているように感じた。そして泣き声が大きくなったこと!新しい仕事も最近1つ始まり、時間を見つけて母を案内したりしていると、日々があっという間に流れていく。

東京、パリ、ベルリンという大都市を続けて見ることができたのは面白い経験だったが、やはりベルリンに戻ると一番ほっとする。この1週間はほぼ毎日快晴で、30度を越える日が続いている。数日前にポツダムの知人のMさん宅を訪れたときのことを少し書いてみたい。Mさんは最近定年を迎え、ポツダムに居を移した。夕方、ツェツィーリエンホーフ宮殿近くの家にお邪魔すると、コーヒーと手作りのケーキでもてなしてくださった。KPM(ベルリン王立磁器製陶所)のコーヒーカップのセットがとても素敵。Mさんが長年時間をかけて集めてきたものだそうだ。

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家の庭でしばし語らってから、少し散歩に出ないかと誘われた。5分も歩くと、広大な新庭園の中に入る。時刻は19時近いというのにこの明るさ。やがてツェツィーリエンホーフ宮殿が右手に見えてくる。もう何度も来ている場所なのに、天気のせいか季節のせいなのか、まるで違う場所に来たかのような清々しい印象を受ける。

関連記事:

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ユングフェルンゼーという湖が視界から消え、先に進むと、ハイリガーゼーHeiliger Seeというもう一つの湖が見えてくる。奥にはニコライ教会、右手には大理石宮殿Marmorpalaisがきれいに望める。この湖には遊泳可能な場所がいくつかあり、向こう岸から水遊びしている人たちの声が聞こえてきた。Mさんは毎朝この湖まで散歩して泳ぐのを日課にしているのだそう。

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ここから先に行くのは初めてだった。Mさんは軽い足取りでどんどん先に進む。ドイツ人から「ちょっと散歩でも」と誘われて軽い気持ちで付いて行くと、本格的な運動になることが結構ある。Mさんは私の母とほぼ同い年だが、非常に健脚だ。

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「対岸のあの家に、(テレビの司会者として有名な)ギュンター・ヤオホが住んでいるんだよ」などとMさんがいろいろ教えてくれる。もう少し行くと、木々のトンネルの奥に孔雀島が望める素晴らしいポイントがあったのだが、コンパクトカメラではうまく撮れなかったので、また別の機会に。

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フリードリヒ大王の甥、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世が1787年から93年にかけて造らせた大理石宮殿。ベルリンとポツダムのプロイセン時代の宮殿と公園群はユネスコの世界遺産に登録されているが、あちこちに点在しているので、まだ行ったことのない宮殿がいくつもある。天気のいい日にまた改めて訪ねたい。

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途中からMさんがベビーカーを押してくださった。

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ツィーリエンホーフ宮殿の庭も、いまが一番美しい季節。内部見学は18時で終わりだが、庭園内は散策できるようになっている。

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冷戦構造の枠組みを、そして日本の命運を決定付けたポツダム会談から間もなく70年を迎える。1945年7月17日、この向こうの大会議場でポツダム会談の幕が切って落とされた。

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宮殿は今、大規模な改装中で、宮殿に面したホテルも昨年から休業したまま。私の好きな赤レンガの煙突のユニークな装飾が、西日を浴びてくっきりと映えていた。

by berlinHbf | 2015-07-04 10:49 | ドイツ全般 | Comments(1)

ドイツニュースダイジェストの1000号と終戦70周年特集

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ドイツニュースダイジェストは、日本にお住まいの方にはあまり馴染みがないと思いますが、ドイツ在住の邦人の方は、おそらく一度はどこかで目にされたことがあるのではないでしょうか。日本関係のお店やレストランなどによく置いてあるフリーペーパーです。同紙はデュッセルドルフに拠点を構え、姉妹紙としてイギリスとフランスにも同名のニュースダイジェストがあります。私個人2007年から毎月寄稿してきた(連載記事はこのブログにも転載させていただいています)このドイツニュースダイジェストが、つい最近、記念の1000号を迎えました。数年前からそれまでの週刊から月2の発行になったものの、このご時世、広告費だけの収益でフリーペーパーを続けるのはなかなか大変なことだと想像します(私は一ライターに過ぎないので、その辺のスタッフの方々の苦労はわかりませんが)。大手新聞などに比べると本当に小さなメディアではありますが、ドイツ在住者やドイツに関心のある人々の貴重な情報源として、これからも続くことを願いつつ、ご紹介させていただいた次第です。1000号では、岡崎慎司選手のインタビュー、村上春樹作品の翻訳者ウルズラ・グレーフェ氏のエッセイ、日独の知られざる歴史に迫る記事など、なかなか充実した特集記事が並んでいますので、よかったらぜひお読みください(HPよりすべての記事をお読みいただけます)

さて、一昨日(5月8日)ドイツは70回目の終戦記念日を迎えました。最新の1001号の終戦70周年特集で、フォルカー・クレップさんというまさに1945年5月8日に生まれた方のインタビュー記事を書かせていただく機会がありました。ベルリン広しといえども、この日に生まれた人を探そうとしても、そう簡単には見つからなかったと思いますが、知人を介した偶然のつながりで出会うことができました。ドイツとヨーロッパの歴史において、極めて重要な日に生まれた一人のドイツ人が何を考えて生きてきたのでしょうか。クレップさんのご両親は、外国生まれのドイツ人という背景を持つゆえ、彼自身のドイツ社会での立ち位置や一般のドイツ人との感じ方の違いも、興味深いところではないかと思います。合わせてお読みいただけると幸いです(こちらより)。
by berlinHbf | 2015-05-10 15:00 | ドイツ全般 | Comments(1)

ブランデンブルク州ユーターボークの旧市街を歩く(2)

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Dammtor in Jüterbog (2014-01-04)

ダム・トーアと呼ばれる門が、鉄道でユーターボークに来る場合の街の入り口になる。ユーターボークの帰属は何度も変わっている。

30年戦争期間中の1635年、この街はザクセン選定侯領に組み込まれた。そして1756年、プロイセンのフリードリヒ大王はザクセンとの国境に近かったユーターボークに進軍したことで、7年戦争が始まった。次にこの街が歴史の表舞台に出てくるのは、19世紀になってから。1813年9月6日、ナポレオン解放戦争の最中、ユーターボークのすぐ西側のデネヴィッツ(Dennewitz)において「デネヴィッツの戦い」が行われた。この戦いで連合軍はナポレオンのベルリン進軍を完全に食い止め(わずか1日の戦いで、両軍合わせて約2万人が戦死している)、1ヶ月後のライプツィヒの戦いでナポレオンのドイツ支配は終わりを告げたのだった。1815年のウィーン会議の結果、ユーターボークを含めたザクセン王国はプロイセンに譲渡されることとなる。

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門の近くにソ連軍の名誉墓地があった。第2次世界大戦末期の1945年4月18日、ユーターボークはアメリカ軍に空爆されたが、旧市街は幸い無傷だった。その2日後、赤軍が大きな戦闘を行うことなくこの街を占領。以来、ユーターボークは赤軍の駐屯地となり、彼らが完全に撤退したのは1994年になってからのこと。

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ユーターボークの歴史を振り返ってみると、血なまぐさい争いの過去に彩られつつも、ほんのわずかのところでこの街は破壊から守られたことがわかる。これだけ人通りが少ないと、どうもわびしい気分から抜けられないけれど、ベルリン・ブランデンブルク州において希有な街なのは間違いない。

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Mönchenkircheという大きな教会の前に出た。ここが一応ユーターボークの文化の中心とパンフレットに書いてあるので、扉を開けてみたら、驚いた。ようやくここでまとまった数の人に出会えたのだった。中には舞台があり、ニューイヤーコンサートの休憩時間中らしかった。地元の人びとが談笑したり、コーヒーを飲んだりしている。小さな街の住民の大半がここに集まっているのではないかと思ったほど。何はともあれ、ユーターボークで人のぬくもりを感じることができて、少しほっとした。

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1507年に完成したレンガ造りの市庁舎。

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いくつかの場所では、城壁や市門が完全な状態で残っている。

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数は少ないものの、廃屋になっている建物もいくつか見かけた。東ドイツ時代、建物の外壁はどこもこんな感じだったのかもしれない。

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ひっそりと眠ったような街だったが、30年戦争以来の名残をとどめながら、ほかのベルリン・ブランデンブルクの都市では味わったことのない悠久の時が流れていた。

by berlinHbf | 2015-01-10 11:06 | ドイツ全般 | Comments(2)

ブランデンブルク州ユーターボークの旧市街を歩く(1)

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Dammtor in Jüterbog (2014-01-04)

ちょうど1年前、近所に住む友達の車を借りる機会を得て、妻と日帰りでどこかに行こうという話になった。私はこの機会に、ユーターボーク(Jüterbog)に行ってみようと思った。何年か前に、ベルリンの新聞で「中世の面影がほぼ完全に残る街」とユーターボークが紹介されていて、興味を持っていたのである。

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ユーターボークはベルリンから南に約60キロほど、ベルリンーライプツィヒの鉄道の線上にあるブランデンブルク州のテルトウ=フレーミング群の街だ。もっとも、ユーターボークの旧市街は駅から大分離れているので、車窓からこの街を望むことはこれまでなかった。ベルリンからさほどの距離ではないとはいえ、久々の車の運転、しかもナビも付いていない状態だったので、道に迷いながら結局2時間近くかかった気がする。

旧市街に入った頃から街の閑散ぶりに驚いた。土曜日のお昼にも関わらず、人通りが皆無なのだ。マルクト広場に車を止めて、営業している数少ないお店の中からAmerican Dinerという周囲から若干浮いた感じのレストランに入ってハンバーガーを食べる。地元の若い人が出入りしているような店だった。写真は広場から伸びているニコライキルヒ通りの様子。まずはニコライ教会の方に行ってみることにした。

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ユーターボークに都市権が与えられたのは1174年のこと。法的にはブランデンブルク州最古の都市になるそうだ。13世紀半ば以降、この街は遠隔貿易の中心地として栄え、3つの教会や市壁などがこの時期に形作られた。2つの対照的な塔を持つゴシック様式のニコライ教会もその時代に建設が始まった(写真)。しかし、1478年の大火災、そして17世紀の30年戦争で街は壊滅的な被害を受ける。現在の街並みは30年戦争以降に再建されたものが主体になっているそうだ。

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ここがGroße Straßeというまさに「大通り」という名のメインストリート、なのだが、道行く人はほとんどいない・・・

人口約1万2000人の街なのだが、この街の住民はどこでどういう生活を送っているのだろうと思う。

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19世紀までは、ユーターボークは「マルク地方のマントヴァ」「マルク地方のローテンブルク」などとも呼ばれていたそうだ。建築的には大変興味深いのだが、人があまりに少ないので、いくらかわびしい気持ちにもなってくる。

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次回はこのDammtorという門の向こう側に行ってみます。

by berlinHbf | 2015-01-06 11:55 | ドイツ全般 | Comments(1)

オーバーフランケン地方にて

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数日前からバイエルンの北側、オーバーフランケン地方にある知人の別荘にお邪魔しています。ベルリンからICEに乗り、ライプツィヒ、ツヴィカウと乗り換えてオーバーフランケン地方のホーフまで約4時間半。そこからさらに車で40分ほど、ヘルムブレヒツという小都市の近くの村にある知人の別荘に着きました。小高い丘の麓にあり、見渡す限りの緑は目を癒してくれます(ここがどんなところかは、昨年の滞在記をよかったらご覧ください)。ここはインターネットの電波もごくわずかしか届かず、スマートフォンは数日前地面に落として液晶部分が破損してしまい修理中。でも、不便というよりは、久々にネット中心の生活から解き放たれて、何だかすがすがしさを感じています。

ご主人のルートヴィヒさんから伺ったのですが、このオーバーフランケン地方はもともとプロイセンに属していたのだとか。19世紀初頭のナポレオン戦争でフランス(バイエルンもフランス側に付いていました)がロシアとプロイセンの連合軍に勝ったことで、フランスはバイエルンに「お礼」としてこのオーバーフランケン地方を割譲。その数年後、ロシアとプロイセン、さらにイギリスの連合軍がフランスと再び戦ったとき、当初はフランス側に付いていたバイエルンが途中で連合軍側に鞍替えし、そちらが勝利を収めたため、バイエルンはオーバーフランケンをプロイセンに返さずに済んだのだとか。実際の状況はもっと複雑だけれど、大まかにいえばこんな歴史なのだよとルートヴィヒさんが教えてくれました。こういう歴史背景から、ホーフ、バイロイトといったオーバーフランケン地方はプロイセンとのつながりが深く、宗教的にもプロテスタント系住民が多いのだそうです。とはいえ、自然も言葉のニュアンスもベルリンとは大分異なるので、その変化も楽しんでいます。

今日からホテルに移ったので、折を見てまた更新したいと思います。
by berlinHbf | 2013-08-16 23:27 | ドイツ全般 | Comments(0)

9年ぶりのバイロイト訪問(3)- バイロイトも工事中 -

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Markgrafen Buchhandlung Bayreuth (2012-08-04)

《タンホイザー》を観た翌日、バイロイトの市内を散策した。旧市街に入っていきなりびっくりしたのが、前夜の指揮者クリスティアン・ティーレマンが本屋でサイン会をしているのに遭遇したことだ。このMarkgrafen Buchhandlungでは音楽祭の期間中、連日のように出演アーティストによるサイン会が行われている。これも夏のバイロイトならではだろう。ラフな格好でファンのサインに応じ、時に歓談するティーレマン氏の様子を眺めながら、(よく言われるように)やっぱりちょっと気難しそうな感じの人だなあという印象を受けたり、前夜の圧倒的な音楽が目の前のこの大柄の男から紡ぎ出されたのかと思うと、なんとなく不思議な気持ちになったりもしたのだった。

このティーレマン、昨年はワーグナーやブルックナーといった十八番以外に、ドビュッシーの《夜想曲》、チャイコフスキーの《悲愴》、ヴェルディのバレエ音楽や聖歌四篇など、意外なレパートリーをベルリンの演奏会で聴く機会があった。どれも聴きごたえあったが、中でも歌や合唱が入る音楽での指揮、ドラマの作り方の見事さは、また格別だった。

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バイロイトの旧市街の見どころはコンパクトにまとまっている。まず訪れたのが、バイロイト辺境伯歌劇場(Markgräfliches Opernhaus)。ここは9年前にも中に入っているが、プロイセンの歴史がいくらか頭に入っている分、今回はより感動が大きかった。この劇場を建てさせたブランデンブルク・バイロイト辺境伯フリードリヒの妃ヴィルヘルミーネは、かのフリードリヒ大王の3歳年上のお姉さんなのだ。共に音楽をこよなく愛好し、作曲までしたのも同じ。大王が最後まで親愛の情を寄せたお姉さんだったという。ヴィルヘルミーネについては彼らの居城だった新宮殿に行くと詳しく知ることができるが、ポツダムのサンスーシ宮殿と同時期のロココ様式の建物だけに、雰囲気は似通っている。が、バロック様式のこの歌劇場の方は、以前ご紹介したポツダムの宮廷劇場と豪華さの度合いはまるで違う。18世紀当時、文化の中心とは言いがたい文字通りの辺境の地で、これほどの劇場が造られたというのはすごいことだ。考えてみたら、ヴィルヘルミーネがバイロイトに嫁がなかったらこの劇場は造られなかっただろうし、この劇場が存在しなかったら、ワーグナーがバイロイトを訪れることさえもなかったかもしれない。

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www.bayreuth.deより拝借

内部は残念ながら撮影禁止。6月に世界遺産に新たに登録されたばかりの劇場正面には、Welterbeの垂れ幕が誇らし気に掛かっていた。ときどきリートなどのコンサートが、ここで行われることもあるそうだ。その雰囲気たるやさぞや素晴らしいだろう。いつかここで音楽を聴いてみたい!

が、この辺境伯歌劇場、私たちが訪れた直後の9月に大規模な修復工事が始まった。最低4年間は内部見学は不可だそうだから、今回見ておくことができてよかったのかもしれない。

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バイロイトの音楽史跡でもうひとつ欠かせないのが、ワーグナー夫妻が住んでいたヴァーンフリート邸。が、こちらは改装の真っ最中。当初はワーグナーイヤーに合わせて工事が終了するだったのが、予算の問題から着工が遅れ、結局再オープンは2014年になってからだという。つまり、ワーグナーイヤーにも関わらず、ワーグナーに縁の深い上記の建物の内部見学が不可という、残念過ぎる事態になっているのだ。

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Foto: pa/dpa

改修工事といえば、急務を要するのが肝心の祝祭劇場なのだとか。老朽化からファサードの漆喰が崩れ落ちており、昨年11月から劇場正面はこのような覆いが被せられている。音楽祭の期間中もこのままの状態にする必要があるかどうかは、5月ぐらいに決められるらしい。改修工事に際しては予算などいろいろな問題があるにせよ、せっかくのメモリアルイヤー、いずれももう少し事前に適切な対策が取れなかったのかとは思う。

関連記事:
200 Jahre Wagner – Bauen, lästern, streiten (Die Welt)

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バイロイト滞在の後半は、メヒティルトさんの義理の姉妹であるルートさんのご自宅に泊めていただいた。ルートさんは10代からバイロイト音楽祭に通っているというワグネリアンだが、普通に話している分にはそんな感じには全然見えない。長年洋裁の仕事をしていて、この数年は音楽祭で使われる衣装の制作に携わっており、ときに歌手の衣装の着せ替えにも立ち会うのだそうだ(写真は《ローエングリン》でアネテ・ダッシュが使った同じ衣装の一部だとか)。「半分アルバイトみたいな仕事だから」とルートさんは謙遜するが、「好き」が嵩じてそれを仕事にするというのは、やはり素晴らしいことだと思う。バイロイト音楽祭は、こういう人々の情熱と愛によって支えられているのだ。部屋の棚にはここ40年ぐらいの音楽祭のプログラムが無造作に置かれていて、興奮しながら見させてもらったりもした。

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翌日は午前中、ルートさんにもう一度祝祭劇場周辺を案内していただく。その夏は「バイロイト音楽祭の反ユダヤ主義」という重いテーマの野外展示が行われていた。中には、日本に亡命して洋楽を広めたマンフレート・グルリットの名前もあった。《さまよえるオランダ人》の歌手起用を巡って一悶着あった夏だったが、今年はまた新たな角度から音楽祭やワーグナー受容を巡る歴史が掘り起こされるのだろうか。

その後、ルートさんに見送られながら、バイロイト駅前発13時半のバスに乗ってベルリンへの帰途についたのだった。

そろそろ今年の音楽祭の抽選結果が届く頃。多分外れるとは思うが、またいつかここには来たい。そう思わせてくれる、実りあるバイロイト滞在だった。
by berlinHbf | 2013-01-28 17:41 | ドイツ全般 | Comments(2)

9年ぶりのバイロイト訪問(2)- 祝祭劇場との再会 -

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Bayreuther Festspielhaus (2012-08-03)

ワーグナー生誕200周年というメモリアルイヤーが始まりましたが、(こちらも書きかけのままだった)昨夏のバイロイト旅行記の続きを書いておきたいと思います(第1回の記事はこちらより)。私の怠慢によりこうなってしまいましたが、これを書いておかないことには昨年が終わった感じがしないので・・・

8月3日14時半頃、メヒティルトさんの車で別荘を出る。見渡す限り自然に囲まれた中、スーツ姿でいる自分がちょっとおかしかった。雄大な山々を背景にアウトバーンを下り、バイロイトの市内へ。「さあ、次の角よ」とメヒティルトさんがこちらの期待を誘うように言い、車が右折すると、通称「緑の丘」につながるゆるやかな坂道が一直線に続く。その奥には祝祭劇場の花壇が色鮮やかに輝いていた。「ああ、この場所に還ってきた」という思いを強くする瞬間だった。

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祝祭劇場は、当然ながら前回訪れた9年前とは特に何も変わっていなかった。とはいえ、ヴォルフガング・ワーグナーの時代が終わってからだろうか。大きな総合プログラムがなくなり、個別の演目ごとに分かれるなど、細かな変化も感じはしたが。

開演直前、金管アンサンブルが奏でるメロディーにうっとり耳を傾け、劇場の中に入る。階段を上って、正面2階の一番後ろにあるGalerieという場所へ。このブロックには4本の柱が立っており、そのため柱によって舞台の3分の1ぐらいが見えない席、全く舞台が見えない音だけの席(Hörplatz)がいくつか存在する。私たちの席は前者で、ちなみにチケット代は15ユーロだった。現在のバイロイト音楽祭の最高額の席は280ユーロだが、一方でこんなにとてつもなく安い席が用意されているのはありがたく、また素晴らしいことにも思える。舞台の3分の1が見えないとはいえ、メヒティルトさんは「この《タンホイザー》は演出がヒドイから、音楽に集中できてかえっていいのよ」と笑う(確かにそうだったのだが)。まあ、席が高かろうが安かろうが、周囲をどんなに見回しても、1つの空席さえ見当たらないのは壮観だった。

客席の照明が落ちて、暗闇の中、序曲のクラリネットのメロディーが鳴り響く。バイロイトでは、オーケストラピットが見えないので、この音は一体どこから鳴り響いているのか、一瞬わからなくなる。すごく遠い場所からにも聴こえるし、ごく近い場所で鳴っている風にも聴こえる。祝祭劇場ならではの、心地よい幻惑にかけられるのだ。目で何も見えなくても、ティーレマンの音楽的方向性は、クラリネットの冒頭の数小節だけではっきりと伺えた。微妙に、そして嫌みにならないギリギリの範囲で、奏者に音量とテンポの面で抑揚の指示を与えるのだ。ティーレマンの場合、この細かな表情付けが裏目に出ることもままあるのだが、この《タンホイザー》に関しては、楽譜が内包するドラマにどれも見事なまではまっているように感じられた。音楽が次第に膨らんでゆき、全オーケストラによって初めて主題が奏でられるところで、私はすでに鳥肌が立っていた...。

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休憩中、隣接したレストランでお茶を飲んでいるとき、メヒティルトさんがワグネリアンとして知られるメルケル首相のことを話してくれた。メルケルさんはかれこれ20年来、(ほぼ?)毎年音楽祭に訪れるそうだ。(バイエルン州首相主催によるパーティーがある)オープニング公演は公人として、さらにプライベートで毎年1サイクル(つまりその年の全演目)を観て帰るそうだから、やはり相当お好きなのだろう。「プライベートで来る際は、そこにも普通に並んでいたりするわよ」と言って注文を待つ客の行列を指差した。

終演後、高揚した気分が冷めないまま、丘の上のイタリアレストランでみんなで食事していると、メヒティルトさんの義理の姉妹であるルートさんが合流。食後、市内の自宅に連れて行ってくださった。最後の2泊はルートさんの家でお世話になった。このルートさんについてはまた次回お話ししたいと思う。

(つづく)
by berlinHbf | 2013-01-11 17:20 | ドイツ全般 | Comments(2)

ハンブルクで迎えた年越し(2)

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St. Michaeliskirche Hamburg (2013-01-01)

内アルスター湖畔で迎えた年越しのカウントダウンは、花火と爆竹が乱れ合うすさまじいものでした。以前あれに懲りて、もう何年もカウントダウンは自宅で過ごしていました。ハンブルクはベルリンよりも上品なのではと思いきや、全然そんなことはなかった(笑)。時に目の前で放たれる爆音にビクビクしながら、半ば命がけの思いでホテルに戻った翌朝、ミヒェルこと聖ミヒャエル教会の塔にみんなで上ってみました。

エレベーターで上がった塔の展望台は、風と雨が吹き荒れ、少々つらいものがありましたが、私たちを喜ばせてくれたのが頂上で演奏していたアマチュアの金管アンサンブル。彼らが奏でる曲の中にはおなじみのコラールも入っていて、日本でいえば元旦に神社で甘酒を飲んだときのように(?)、心が少し温まりました。

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展望台からの眺め。内アルスター湖、右手には市庁舎の塔が見えます。こうして見ると、ハンブルクの中心部ではモダン建築がほとんどを占めているのがはっきり見て取れます。前回お話しした1842年の大火災と第2次世界大戦末期の大空襲により、歴史的建築は大部分が失われてしまったからです。

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こちらは港の方面。奥には大きなドッグがいくつも見えます。

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白亜の美しい礼拝堂の中に入ると、ラッキーなことに12時からの新年の礼拝が始まるところでした。説教の後、2つのオルガンを聴くことができたのがうれしかった。モーツァルトの自動オルガンのための音楽(だったか)も含まれていました。この教会はクラシック音楽とはとりわけ縁の深い教会ですよね。カールフィリップ・エマヌエル・バッハが音楽監督を務め(お墓は地下にあります)、ブラームスが洗礼を受け、マーラーが《復活》の着想を得た場所・・・。フェリックス・メンデルスゾーンもこのすぐ近くに生まれているので、ミヒャエル教会に全く来なかったとは思えません。

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元旦だけに閉まっているミュージアムもありましたが、倉庫街の一角にあるミニチュアワンダーランド (Miniatur Wunderland)は新年から観光客で大混雑。これが予想を超えるスケールでした。HOゲージのスケールにハンブルクを始め、世界の街並が再現されているのですが、世界最大規模というから驚きます(しかもまだ制作途中だとか)。ここはまた別の機会にご紹介できたらと思っています。

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ハーフェンシティにある紅茶メーカーMeßmerのカフェDas Meßmer Momentumで遅い昼食を取ってから、帰途につきました。ベルリンに戻るICEの車中での居眠りが心地よかったこと。2日間たっぷり歩きました。
by berlinHbf | 2013-01-09 23:57 | ドイツ全般 | Comments(2)

ハンブルクで迎えた年越し(1)

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St. Pauli-Landungsbrücken (2012-12-31)

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

ひょっとして東京よりも暖かいのでは?と思われた年末年始のベルリンの気候でしたが、天気は悪く、ほぼ毎日雨・雨でした。そんな大晦日に義理の両親たちを連れて、ハンブルクに行ってきました。あまり長くないドイツ滞在、ベルリン以外の街も見てもらいたいけれど、国外に出るほどの時間的余裕はないし、ということで選んだのがハンブルク。私自身これまであまり縁がなかった街なのですが、NHKドイツ語講座のハンザ都市の連載を機に、昨年から訪れる機会が増えました。私の故郷に近い横浜を思い起こさせる、港町の雰囲気が好きなのです。もっともここから北海まではまだ100キロ近くもあるのですが、かもめが頭上を飛び交い、塩の香りは(半分気のせいかもしれないけれど)十分に漂っています。

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2011年に100周年を迎えた旧エルプトンネル。対岸まで歩いて渡ろうと思ったのですが、日没が迫っていたために、ここで引き返しました。

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ランドゥングスブリュッケンから、公共交通のチケットで乗れるハンブルク交通の船に乗ってエルプ・フィルハーモニーまで行こうと思ったのですが、待てども待てども船はやって来ず。海風にさらされ、体も冷えてきたので、結局歩いてハーフェンシティの方に行くことに。

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やがて見えてきました、建設中のエルプ・フィルハーモニーが!一時工事は中断していたものの、最後に見た昨年3月よりは明らかに進行しているように見えましたが、実際はどうなのでしょうか。

ところで、今日の新聞の一面の見出しは「ベルリンの新空港、開業は早くて2014年に」。新空港については、怒りを通り越えてもはや諦めムードさえ漂っている気がしますが、このエルプ・フィルハーモニーも「その他の問題の工事現場」に挙げられているのですよね(こちらの新聞記事より)。

当初の完成予定は2010年だったそうですが、現段階では2017年だとか。もはや、ベルリンの国際空港といい勝負なのかもしれません・・・

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大晦日で印象に残っているのが「食事」です。夕方の17時頃、古くからの情緒が残るダイヒ通りDeichstr.を通った際、今年最後の夕食の予約をしようとダイヒグラフというレストランに入ってみたら、店内はまだガラガラにも関わらず、夜はもう予約で一杯とのこと。代わりに紹介してもらったお店も無下にお断り。「これはもうホテルで何か食べるしかないのかなあ」と諦めかけた4軒目で聞いてみたら、いま食べるのだったらいいとのこと。正直、それほどまだお腹は空いていなかったけれど、ここでありがたくいただくことにしました。

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このレストラン、店内の雰囲気だけでなく、店員の方もとてもあたたかい感じで、「捨てる神もあれば、拾う神もありだなあ」とみんなで喜び合ったのでした。Zum Brandanfang(火災の始まり)という店名がまた印象的。ハンブルクの歴史上、決して忘れられることのない1842年の大火災はこの家から始まったのです(そして奇跡的に焼失を逃れた)。火の粉を猛烈な勢いを増し、結局完全に消火されたのが、現在の中央駅に近いBrandsende(火災の終わり)という通りの辺りだったというから、その規模の途方もなさが伺われます。

天井に架けられているのは、実は古い紙幣。お店の人の話によると、かつてこの裏がハンブルクの港だった時代、航海に出る船乗りが旅の無事を願ってぶら下げていったものなのだとか。ハンザ都市の連載を持たせてもらった今年、最後にこのレストランで食事ができてよかったなあとしみじみ思ったのでした。

"Zum Brandanfang"
Deichstraße 25
20459 Hamburg

(つづく)
by berlinHbf | 2013-01-07 23:57 | ドイツ全般 | Comments(3)

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