ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


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本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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カテゴリ:ベルリン天使の降りた場所( 26 )

オットー・ザンダーの朗読会

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先週末、俳優のオットー・ザンダーがザヴィニープラッツ駅高架下のアート系の本屋Bücherbogenで朗読会をやるというので、行って来ました。入場無料ということもあって超満員。何とか隙間を見つけて潜り込み、地べたに座って聞くことができました。「ベルリン・天使の詩」の頃に比べたら、それはもう大分老けた感はありましたが(実はもう70歳。数年前には癌を克服したそうです)、時々赤ワインを口に含みながらの朗読は、悠然と味わい深いものでした。この日、彼が読んだのは最近出版されたチェーホフの同時代人による回想録(Erinnerungen an Tschechow)。足を運んでみてよかったです。

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by berlinHbf | 2011-11-28 16:16 | ベルリン天使の降りた場所

戦前のホテルで観戦するワールドカップ

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先日の日本対オランダ戦は、写真のこの店の大画面で見ました。高い天井とそこに彫られた美しい装飾、そしてシャンデリア。あまりワールドカップ観戦の雰囲気には似つかわしくない気もしますが(笑)、さて、ここは一体どこでしょう?

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実はここ、観光客もベルリン在住者も一度はその横を通ったことがあるのではという場所です。ポツダム広場のソニーセンター内にあるCafé Josty。ポツダム広場ならどこかでパブリックビューイングをやっているのではと思って友達と待ち合わせたのですが、結局それらしきものは見当たらず(前回大会はソニーセンター内にZDFの特設スタジオが置かれていた)、このカフェの中で観戦することにしたんです。

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カフェ・ヨスティには何度か入ったことがありますが(値段はちょっと高め)、大画面が置かれているのは入口右側の奥の部屋とのことで、その先へ行ってみると、小さな階段の向こうにこの大広間が広がっていました。

ちょっとうれしかったですね。この部屋には前から一度入ってみたかったんですが、どこから内部につながっているのかわからなったんです。これは、戦前のホテル・エスプラナーデの一部。これが当時どういうホテルで、その後建物がどのように残されたかについては、以前書いたことがあるので、よかったらご覧ください。

関連記事:
ホテル・エスプラナーデ - 天使の降りた場所(22) - (2007-02-10)

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立地の割にはあまり混んでもおらず、ゆっくりゲームを楽しむことができました。われわれの後ろにいたドイツ人連中は日本を応援してくれ、カレーソーセージを食べながら観戦しているオランダサポーターの人もいました。いや、単に服の色がオレンジだっただけかな(笑)。

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外から見るとこうなっています。今回紹介したのが、この3つの中で一番左側の部分。真ん中は有名な「カイザーザール」(皇帝の間)、そして右側奥が『ベルリン・天使の詩』の撮影でも使われたPalmenhofという美しいホールです(こちらを参照)。

明日のドイツーガーナ戦、そして明後日の日本ーデンマーク戦と、見逃せない試合が続くので、今度はどこで見ようかと思っているところです。ベルリン内で他におすすめがあったら教えてください!

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by berlinHbf | 2010-06-22 00:38 | ベルリン天使の降りた場所

カイザーザール - 天使の降りた場所(23) -

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ちょうど1年前まで夢中になって書いていた「ベルリン・天使の詩」の撮影場所を探し巡るシリーズに(興味のある方は下のタグから探してみてください)、1回限りですが思わぬ続編ができました。

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先日、ポツダム広場のLutter & Wegnerというレストランでたまたま食事をしたのがきっかけでした。このレストラン、ご存知でしょうか?ちょっと目立たない場所ですが、ソニーセンターの東の端、DB本社ビルの真向かいにあります。

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ベルリンの中ではかなり歴史のあるお店で、1811年創業の本店はジャンダルメンマルクト広場のすぐ裏手にありますね。まあ、自分にとっては普段はめったに入る機会のない雰囲気のレストランです。ワインや料理はさすがにどれもおいしく、デザートまで堪能しました。

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さて、このレストランはホテル・エスプラナーデ - 天使の降りた場所(22) -で紹介したカイザーザールに隣接しているのですが、ちょうどレストランからその中に通り抜けられるようになっていました。普段はこのように外観から見る機会しかなく、興味があったのでちょっと覗いてみました。

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ここがPalmenhofと呼ばれるホールです。「外から見るよりも簡素な感じなんだな」と思ったのもつかの間、この位置に立った瞬間すぐにピンとくるものがありました。

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家に帰って早速「ベルリン・天使の詩」のラストシーンを見直してみたら、やはり同じ場所でした!

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この場所がベルリンの人々にとってどういう意味を持っているかということは、上記の記事で書きました。ヴィム・ヴェンダース自身、「この映画の撮影の10年後に取り壊されることになった時、私はただ泣くしかなかった。カイザー・ザールのようにこのダンスホールも保存されていたらよかったのに、と思う」と語っていたので、私もそう信じていたのですが、最後のシーンに出てくるPalmenhofだけは現代風に模様替えをされながらも、ちゃんと残されていたのですね。
なんだかじーんときました。

参考:
ホテル・エスプラナーデ - 天使の降りた場所(22) -

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by berlinHbf | 2008-01-30 01:15 | ベルリン天使の降りた場所

ホテル・エスプラナーデ - 天使の降りた場所(22) -

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ポツダム広場のソニーセンターにて(2006年10月27日)

「ベルリン・天使の降りた場所」の最終回は、ダミアンとマリオンが出会い、2人の恋が成就する場所である。

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このダンスホールでのコンサートシーンは映画の中ほどと最後の2回出てくるが、内部の様子がわかるのは何といってもカラーに切り替わる最後の場面だ。80年代のベルリンで人気が高かったニック・ケイブ率いるバンドが虚無的ともいえるサウンドを奏でる最中、マリオンはふと思い立ったようにホールを出て、隣のバーに向かう。そこで人間になったダミアンと出会い長いモノローグが始まるというシーンだが、それにしても何と雰囲気の豊かな美しい空間だろうか。壁にはアールヌーヴォー調の装飾が凝らされており、20世紀後半に生まれた大音響のロックのサウンドにこの甘美な場所は、およそ似つかわしくないようにさえ思われる。

このシーンが撮影されたのは、かつての「ホテル・エスプラナーデ」のダンスホールである。残念ながら今はもうない。この建物はポツダム広場からほど近い場所にあったが、昨年秋にポツダム広場をこのブログで取り上げた時、私はあえてこのホテルについては触れなかった。なぜなら、ここもまたベルリンの人々にとって「比類なき記憶」の眠る特別な場所ゆえ、このシリーズの最後を飾るにふさわしいと思っていたからだ。

ヴィム・ヴェンダースはこのように語っている。
かつてのホテル・エスプラナーデのダンスホールは、私が大好きなベルリンの場所の一つだった。この映画の撮影の10年後に取り壊されることになった時、私はただ泣くしかなかった。カイザー・ザールのようにこのホールも保存されていたらよかったのに、と思う。
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ホテル・エスプラナーデ(Hotel Esplanade)が建てられたのは、今からまさにちょうど100年前の1907年から1908年にかけてである。外観はベル・エポック調、内装はネオ・バロックとネオ・ロココが交じり合うという壮麗な建築だった。皇帝ヴィルヘルム2世が晩餐会を催したカイザー・ザールを始め、大広間をいくつも持ち、1600平方メートルの広大な中庭も名物だった。

1920年代のベルリンの黄金時代は、このホテルを抜きにして語ることはできないかもしれない。グレタ・ガルボ、チャーリー・チャップリン、マリーネ・ディートリヒなどがこのホテルを利用し、若きビリー・ワイルダーはここの専属ダンサーとして働いていた。このブログにたまに書き込んでくださるある方の話によると、40年代前半はあのカラヤンもこのホテルに宿泊していたそうだ。戦前のホテル・エスプラナーデを巡る逸話や伝説は、それこそ無数にあるに違いない。ベルリンの輝かしい時代を振り返る時、決まって話題になるのがこの場所なのである。

終戦末期の空爆でポツダム広場が廃墟に化すと、ホテル・エスプラナーデの栄光の時代も幕を閉じた。しかし、カイザー・ザールや「朝食の間」など、ごくわずかながら生き延びた部分も存在した。やがて、すぐ近くに壁がそびえポツダム広場が無人地帯となる時代がやって来るが、この遺構を壊すのはさすがに忍びなかったのだろうか。以後何十年にも渡って、このホテルは廃墟のような姿でこの場所に立ち続けた。「ベルリン・天使の詩」が撮影されたのもこういう時代の中だった。

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90年のドイツ再統一後、この敷地にソニーセンターが建てられることが決まると、ホテル・エスプラナーデの取り壊しが話題に上るようになった。しかし、それに反対するベルリン市民が多い中、ソニーはカイザーザールを特殊な吊り上げ作業によって75メートル移動させた後、ソニーセンターの一部に組み込むという信じられないような離れ業によってこの問題を解決させたのだった。1996年3月のことである。これは有名な話なのでご存知の方も多いことだろう。また「朝食の間」(下の写真)は、500体もに分解され、新しい場所に移して再び組み立てられた。これとは対照的に、映画が撮影されたダンスホールは取り壊されてしまった。この映画を観ていると「あの中に入ってみたかった」と私はつくづく思うが、とにかくベルリンの「比類なき記憶」が宿る場所はこうしてかろうじて残されることになったわけだ。

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ダミアンとマリオンの恋が成就したところで、ベルリン中を駆け巡ったこの長い旅も終わりとなる。

余談になるが、このホテル・エスプラナーデから50メートルも離れていないKino Arsenalという映画館で、私は一度ヴェンダースさんを見かけたことがある。2003年の3月のことだった。この年は小津安二郎の生誕100年で、この映画館で小津の全作品が上映されたのである。ヴェンダースは小津映画の熱烈なファンで知られており、「東京画」というオマージュ作品も撮っているほどだ(私もこの時観た)。

その日上映されたのは「東京物語」でも「晩春」でもなく、「東京暮色」という比較的地味な作品だった。そうそう上映される映画ではないから、いい機会だと思ってヴェンダースは観に来ていたのかもしれない。「ベルリン・天使の詩」は最後、「すべてのかつての天使 とくに(小津)安二郎、フランソワ(トリュフォー)、アンドレイ(タルコフスキー)にささぐ」という字幕で終わる。

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私はその時ヴェンダースに話しかけようなどとは思いもしなかったが、今思うと、ポツダム広場-ホテル・エスプラナーデ-「ベルリン・天使の詩」のヴェンダース-小津安二郎-「東京暮色」-この2人の映画が好きな「私」とつながり、勝手ながらあの場所でヴェンダースを見かけたことに不思議な縁を感じている。またいつかベルリンでヴェンダースさんを見かけることがあったら、思い切って話しかけてみることにしよう。

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(最後までお付き合いいただきありがとうございました。よかったらワンクリックをお願いします)
by berlinHbf | 2007-02-10 03:09 | ベルリン天使の降りた場所

天使のインビス - 天使の降りた場所(21) -

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U9 Güntzelstraßeにて(2006年7月18日)

私が持っている「ベルリン・天使の詩」のDVDは、副音声でヴェンダース監督自身による解説を聞くことができるのだが、その中でひとつ気になるお店が出てくる。それは、物語の終盤、ダミアンを探すマリオンと刑事ピーター・フォークが出会うシーンだ。

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マリオンとフォークが唯一共演するシーンは、ブンデス・アレーにある私の好きなインビス(軽食の屋台)で撮影した。この店は今でもある。もしあなたがベルリンに来る機会があったら、このインビスでカリー・ヴルストを食べることをおすすめしたい。
ヴェンダース氏推薦のカリー・ヴルストのお店。これは気になる。しかし、このDVDが出てからさらに数年が経っているし、この古ぼけた屋台が本当にまだ残っているのか、私は少々半信半疑だった。

とりあえず行ってみようと思い、昨年の7月のある日、私は地下鉄U9のGüntzelstraßeの駅で降りて、そのインビスを探してみた。

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すると、北側の出口を上がったところに、あった!
外観の塗装は変わっているものの、確かに映画に出てくるあのインビスそのままだ。私はすっかりハッピーな気分になり、早速店のおばさんにカリー・ヴルスト(Currywurst)を注文した。

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結論から言うと、このインビスのカリー・ヴルストは確かにおいしかった。驚いたのが、トッピングやソースを選べたり、オーガニック(Bio)のカリー・ヴルストまであったりするバラエティーの豊富さだ。普通のインビスより多少値段は高めといえるが、試してみる価値はあると思った。屋台の壁には、映画のあのシーンの写真やそこを訪れた有名人の写真などが飾られている。ふと目に入った人気司会者ハラルド・シュミットのサインには、「この店で食べることは、ひとつの経験だ」などと書かれていた。

「天使の降りた場所」シリーズも、次回がいよいよ最終回です。ベルリンのどこが出てくるでしょうか。どうぞお楽しみに。

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by berlinHbf | 2007-02-05 01:53 | ベルリン天使の降りた場所

初めてのコーヒー - 天使の降りた場所(20) -

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クロイツベルクのUrbanhafenにて(2月1日)

昨年の夏に、「ベルリン・天使の詩」の撮影場所をマニアックなまでに探し周ってはここにこうやって記録してきたわけだが、その中にはどうしてもわからない場所がいくつかあった。

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その中の一つに、人間になったダミアンが初めてコーヒーを飲むという、味わい深いシーンがある。前回お話したように、天使から人間になったダミアンはクロイツベルクの壁に沿って歩き始める。その次にやって来るシーンがこのコーヒーの場面なのだ。古い時代のアパートが立ち並ぶ、クロイツベルクのどこにでもありそうな風景なのだが、これがどこだかどうしてもわからない。しかし、それだけに気になってしまうのだった。

こういうことを、フランクフルト・オーダーのヨーロッパ大学で言語学を勉強している友達のkinokoccoさんに話してみたら、「ちょっと思い当たる人がいる」と言って彼女のドイツ人の友達を紹介してくれた。Baptisteという名前の彼は、まだ子供だった20年前、お母さんが「ベルリン・天使の詩」の撮影にボランティアとして関わっていたことがあり、彼自身もこの映画が大好きなのだという。

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早速彼に電話をして「あのコーヒーのシーンの場所を探しているんだけど」とこちらの事情を説明したら、「ああ、それならグロガウアー・シュトラーセとライヒェンベルガー・シュトラーセの交差点だよ。あのインビス(軽食の屋台)は今はアジア・インビスに変わっているけど」という返事があっさり返ってきた。上には上がいるものだと、これにはさすがにびっくりした^^;)。

このことがきっかけとなって、私は彼が関わっているJapanoramaというケーブルテレビの番組でベルリンの話をさせてもらうことになるのだった(この内容は後日訳してアップします)。

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その数日後だったか、自転車を飛ばして早速現場に駆けつけてみると、確かに間違いなくそこだった。店の形が似ているので、ひょっとして映画にも使われた屋台かなとも思ったが、こうして写真で見比べるとちょっと違うようだ。本当に何気ないクロイツベルクの街角で、これ以上書くことも特にないが、私は満足だった。

せっかくだからと思って、私はその由緒ある(?)屋台で焼き飯を食べてみた。だが、量がものすごい上、味付けもしょっぱく、全部食べ切るのに精一杯だった。

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by berlinHbf | 2007-02-03 01:05 | ベルリン天使の降りた場所

ヴァルデマー通りの壁 - 天使の降りた場所(19) -

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Waldemarstraßeにて(2006年8月20日)

昨年秋からのんびり続けてきたこのシリーズも、ようやく天使ダミアンが人間になるシーンまでやって来た。それまでほとんどモノクロ映像だった「ベルリン・天使の詩」が、カラーに切り替わる場面でもある(それは天使は色が見えないから)。舞台は、当時東西の境界線上にあったクロイツベルクのヴァルデマー通りだ。

昨年8月末のある日、私は散歩がてら自転車でこの辺りへやって来た。Uバーンのコトブサートーア駅を抜けて、アーダルベルト通りを北へ行く。ここはベルリン・クロイツベルクの中でもいわゆる典型的なトルコ人街で、全く独特の雰囲気が漂っている。80年代中期のクロイツベルクについては、例えば橋口譲二さんの「ベルリン物語」に詳しい。人々の鬱積が吹き溜まりのようにたまった、当時のこの界隈の状況がよく伝わってくる。

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アーダルベルト通りを3つ目の角で左に曲がると、そこがヴァルデマー通りだ。壁が崩壊してから今年で18年。1986年に映画が撮影された頃の名残はもうほとんど見られないのではないかと、私はあまり期待しないでこの通りを進んで行った。すると、いわくありげな風景が目の前にどんどん広がっていくではないか。

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結果的に言うと、この通り周辺は壁を取り除いて、道路を多少整備した以外は、周りは空き地のまま。再開発は全くといっていいほど進んでいなかった。

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「見て見て、酔っ払いがいるよ!」(映画「ベルリン・天使の詩」より)

人間になったダミアン(ブルーノ・ガンツ)が目を覚ますと、目の前に子供たちがを覘き込んでいた。

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ヴァルデマー通りとA.デープリン広場の角に今も建つこのモダンな建物は、実は教会。

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カメラの視点は、まず南側のルッカウアー通りの方角へ。手前に見えるのは見晴台だろうか。

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そしてダミアンはヴァルデマー通りの東側に視点を移す。冬の凍てついた日の朝だろうか。壁にはフランス人アーティストのThierry Noirによる有名な落書きが描かれている。

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その20年後、上のシーンはほぼこの辺りだろうかと思って、私はダミアンのように低い位置からシャッターを押してみた。2枚を比べてみると、うん、当時の名残はまだ残っている!

「色が見える!」
ダミアンは子供のように嬉々とした目をして、ヴァルデマー通りを東へ歩き始めた。彼は道行く人に、「これは何の色、あれは何の色?」と問いかけずにはいられない(ここでの2人のやり取りは見ていて面白い)。

ベルリンの壁のあった時代というと、人はどうしても「灰色、モノトーン」をイメージしがちだ。実際、80年代のクロイツベルクには希望を見出せずに生きている人が少なからず住んでいた。だが、ここでのダミアンは、傷口からにじむ自分の血や、非人間的な存在である壁に描かれた落書きの「色」に興奮しては、純粋に生きる喜びを見出す。「生の肯定」。このようなメッセージを持つ映画が、壁崩壊数年前のベルリンで撮られたということは、本当に何というタイミングだったかと思う。

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さらに先に行くと、ザンクト・ミヒャエル教会がよく見える橋に出る。正面の遊歩道は一段低い位置にあるが、それはここが19世紀に運河として掘られたという歴史があるからだ。東西分断時代は、このラインがちょうど境界線にあたり、地雷が埋め込まれた。ようやく落ち着きを取り戻したこの道を、今度天気のいい日にでもゆっくり散歩してみたいと思っている。

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by berlinHbf | 2007-02-01 14:38 | ベルリン天使の降りた場所

駅が止まってる駅 - 天使の降りた場所(18) -

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Anhalter bahnhofにて(2006年8月25日)
これがみんなが話してた駅だな
変な名前の駅
列車が止まるのでなく
駅が止まってる駅
2週間ほど前、新聞の文芸欄で見かけた小さな訃報記事は私を驚かせた。「ベルリン・天使の詩」で空中ブランコ乗りのマリオン役を演じた、女優のソルヴェイグ・ドマルタン(Solveig Dommartin)が今月1月11日に心筋梗塞で亡くなったのだそうだ。まだ48歳の若さだったという。「ベルリン・天使の詩」以外、際立った映画に出演することがほとんどなかったドマルタンは、近年は話題に出ることも少かったらしい。かつてヴェンダースの恋人だった彼女は、どんな「晩年」を送っていたのだろうか。あのマリオン役で必死に空中ブランコに取り組み、時折浮かべる寂しげな彼女の微笑を思い出すと、少し寂しくなった。

時は確実に移ろっているということを実感したニュースだった。このシリーズも残り少なくなったので、この辺で一気に書き上げたいと思う。

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今回ご紹介するのは、ピーター・フォークが冒頭のセリフをつぶやきながらやって来る、かつてのターミナルの跡だ。

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アンハルト駅はもともと、19世紀半ばにベルリンとアンハルト地方(現在のザクセン・アンハルト州)を結ぶ駅として建てられた(ちなみにドイツ語の"anhalten"は「止まる」の意)。
1880年に完成したこの堂々たる威容の新駅舎の落成式には、時のヴィルヘルム1世とビスマルクも同席した。アンハルター駅はベルリンを代表する長距離列車の駅となり、ドレスデン、フランクフルト、ミュンヘン、ウィーン、ローマ、アテネ方面へ向かう列車が続々とここを発着したという。ドイツへの要人や国賓を乗せた列車もこの駅に到着したため、「カイザー・バーンホフ(皇帝駅)」の異名を取るほどだった。

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戦前ベルリンに留学していた日本人留学生の手記などにも、この駅のことがよく出てくる。例えば1909年5月6日、ベルリンに到着した寺田寅彦の日記にはこうある。
七時三十五分Anhalter Bahnhof着 本多氏迎に見へ、DroschkeにてGeisberg39の宿に入る 
- 「言語都市・ベルリン」より -
Droschkeとは辻馬車のことだ。日本からシベリア鉄道で、あるいは船で、現在とは比較にならない長い道のりを経てベルリンにたどり着いた彼らを最初に迎え入れるのが、このアンハルト駅なのだった(全ての場合ではないだろうが)。その時の感慨はいかばかりのものだったのかと思うと、少しばかり胸が熱くなる。かつて、この場所と日本とは陸航路で直接つながっていたのだ。

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1941年3月26日、大日本帝国の外相、松岡洋右がシベリア鉄道を経由してベルリンを訪問した際もこの駅が舞台になった。「アンハルト駅は両国の国旗で飾られ、構内は照明でまぶしく照らし出され、ナチス親衛隊は整然と隊列を組んで、外相リッペントロープが他の高官と松岡を出迎えた」(谷克二著 「図説ベルリン」より) 彼らがその後、大勢の兵隊と群集に囲まれて駅に面したシュトレーゼマン通りを歩く様は写真で見ることができるが、現在のこの周辺の風景からは全く想像もつかない異様な光景だ。

戦前のベルリンの最大の繁華街だったポツダム広場から目と鼻の距離にあるアンハルト駅は、当然の帰結ながら戦争で壊滅的な被害を受けた。戦後の混乱期、応急処置をしてそれでも何とか使われ続けたが、1952年には完全に営業停止。1959年に正面のファサードの一部を残して爆破された。

「ベルリン・天使の詩」が撮影された当時、この駅の敷地はまださら地の状態だったが、現在は「リリー・ヘーノッホ スポーツ競技場」として生まれ変わった。リリー・ヘーノッホ(Lilli Henoch)は、砲丸投げやリレー競技などで数々の世界記録を打ち立てた1920年代のベルリンのスーパーウーマンだ。しかし30年代に入ると、ユダヤ人だった彼女は所属するベルリンのスポーツ団体から追い出され、最終的には強制収容所に送られる運命をたどる。1942年秋、ヘーノッホはリガのゲットーで亡くなったと言われている。

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昨年8月のある日、私がアンハルト駅前のグランドを訪れたら、小学生ぐらいの子たちがサッカーの練習をしていた。私はその様子を眺めては写真に収めていたのだが、大半は移民の子供であることに気付いた。アンハルト駅のあるこの場所は、外国人率が高いクロイツベルク地区の西北端にあたる。

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「どこから来たの?」
「レバノン!」
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インビスの裏手に見えるのは、戦時中に建てられた地上防空壕だ。前回ご紹介したパラスト通りの防空壕とは違って、こちらは現在“Gruselkabinett“として内部を見学できるようになっている。“Wer Bunker baut, wirft Bomben“(防空壕を作る人間こそが爆弾を投げるのだ)という切実な落書き(?)も、まだかろうじて残っていた。

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私は、「ベルリン・天使の詩」のこのシーンで、鉛筆を持って線を描いたり、両手をさすって暖めたりしては、「人間になるとこういういいことがあるんだよ」とダミアンに説いて聞かせるピーター・フォークの温もりのある演技が、とても好きだ。

ソルヴェイグ・ドマルタンを偲んで

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by berlinHbf | 2007-01-30 13:10 | ベルリン天使の降りた場所

パラス通りの防空壕 - 天使の降りた場所(17) -

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Pallasstraßeの地上防空壕にて(2006年7月21日)

シェーネベルクのパラス通りに今もそびえているコンクリート製の巨大な地上防空壕(Hochbunker)の前に私が初めて立ったのは、昨年のワールドカップの決勝戦の翌日だったと思う。この通りはそれまで自転車で何度も通っていたのに、私がその存在に気が付くことはなかった。ご覧のように極めて無機質かつ地味な外見であるし、その上に幾煉も建つ集合住宅に組み込まれているので、大きさの割には目立たないのである。

改めてこの前に立ってみると、その威容にはやはり圧倒されるものがあった。建物の表にはシダが生い茂り、長い年月の経過を物語っている。本来の目的を失った防空壕は、ひたすら静かにその場に佇んでいるという感じだった。

実はこの防空壕は第2次世界大戦の末期、当時のソ連領から強制連行されてきた人々によって建てられたものなのである。建設が始まったのは、前回お話したこの向かいの「スポーツ宮殿」でゲッペルスが総力戦演説を行った約半年後のことだった。

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私はいろいろ調べていくうちに、ゾフィー・ショル学校(Sophie-Scholl-Oberschule) のHPを見つけ、そこに防空壕の歴史が細かく書かれていた。ゾフィー・ショル学校はほぼ日本の高校に相当し、この防空壕に隣接した場所に建っている。数年前から学校の生徒たちは、自分たちの身近な場所にある歴史の負の遺産を通じて、あの時代を忘れないようにするための課外授業に取り組んでいるのだそうだ。そもそもそのプロジェクトは、ある日ふと送られてきたウクライナ人の兄弟からの手紙がきっかけだったという。それがとても興味深かったので、自分なりに再構成して以下に内容をまとめてみようと思う。

1994年6月、ゾフィー・ショル学校にウクライナ在住のマリア・デレブヤンコという人から一通の手紙が届いた。宛て先はこうなっていた。「パラス通りとIsholf通りの角にあるアウグスト学校の校長先生へ。ドイツ連邦共和国」

実はマリアと兄のワシリーは、当時それぞれ12歳と16歳だった1943年の春、他の家族と共にソ連領のウクライナからベルリンに連行され、この防空壕を作るための強制労働をさせられたのだった。1945年5月の終戦と共に一家はウクライナに戻ることになる。それから長い月日を経た後の1990年代の初頭、ドイツ政府が戦争中に強制労働を課されていた人々に対して補償金を支払う意思があるというニュースを彼らは耳にした。2人はそのための手続きを踏もうとしたが、申請のためには「オストアルバイター」として働いていたことを示す資料が必要という。だが2人は思った。そんなものがどこにあるかなんて、今さら誰が知っているというのだろう?

当時、マリアとワシリーは建設中の防空壕に面したアウグスト学校を収容施設として住んでいた。「あの学校はまだあるに違いない」 2人はそう思い、もっとも住所など知る由もないので、宛て先は上記のような書き方になった。強制労働のためにベルリンに連れて来られた2人は、当時自分たちがベルリンのどこにいたのかもわからず、学校が爆撃された夜付近の住民の会話の中に「アウグスト学校」という言葉がたまたま出てきたことによって、ようやく自分たちの居場所を知ったのだった。

学校の名前は「アウグスト」から、反ナチ運動を象徴するヒロイン「ゾフィー・ショル」に変わっていたが、郵便屋さんはこの手紙をちゃんとゾフィー・ショル学校に届けてくれた。そして、学校側はこの不可解な宛て先の手紙をぞんざいに扱うことなく、誠意を持って対応した。マリアとワシリーは今でもそのことに感謝しているという。

その後、ゾフィー・ショル学校の歴史の教師とデレブヤンコ家との間で手紙のやり取りが始まった。ついにはウクライナに住む彼らの生活を支援するプロジェクトが発足し、マリアとワシリーが学校に招かれることになった。1996年5月、2人がベルリンのリヒテンベルク駅に降り立つと、69歳となった兄のワシリーは何はともあれまずシェーネベルクの防空壕を見たいと願った。彼は実に51年ぶりに、かつて自分が建設に携わった防空壕の前に立ったのだった。その時の気持ちは忘れられず、生きているうちにこのような形でこの場所に招かれることになるとは思わなかったという。

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マリアとワシリーは自分たちの体験を、ゾフィー・ショル学校の生徒たちに話して聞かせた。1日12時間の過酷な労働と慢性的な空腹状態。ベルリンへの空爆が激しくなるにつれて、学校の地下へ避難する必要性が増えていく。しかし、ドイツ人の住民が地下に避難できたのに対して、オストアルバイターたちは危険な上の階に連れて行かれた(元々の学校の生徒たちはこの時すでに安全な地域に疎開していた)。とりわけ1945年の2月2日から3日にかけての爆撃はすさまじく、多くの人が亡くなった。2人の頭には助けを求める人々の叫び声が長い間こびりついて離れなかったという。

兄のワシリーは、アウグスト学校にやって来た日のことから始まる当時のことを非常によく記憶していた。彼は近くのノレンドルフ広場駅に行って、ポーターとしていくばくかの金を稼いだり、食料の配給券をもらおうと試みたことがある。しかし東からの強制労働者は「OST(東)」と書かれたユニフォームを着ることが義務付けられていたため、人々から拒否反応を受けることも多く、「くそったれロシア人」と罵られることもあった。一方で、パラス通りに住んでいた当時14歳のある住民は、家の前にオストアルバイターたちがたむろしている光景を覚えている。だが、彼らがアウグスト学校の施設に抑留されている人々だとは知らなかったという。

ゾフィー・ショル学校とデレブヤンコ家との交流はその後も続き、生徒たちもさまざまな活動に取り組んだ。防空壕の至る所に、かつてここで労働させられた人たちの声を記したプレートがドイツ語とロシア語の両方で掲げられているが、これも生徒たちの案だという。

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戦後、パラス通りの防空壕は連合軍が爆破を数度試みたが、あまりに頑丈にできているため壊すことができず、結局そこに残された。1970年代に入って、防空壕の上に大きな集合アパートが建てられた。かつてのスポーツ宮殿(Palast)の跡地であること、そしてそのアパートには社会保護を受ける多くの外国人が住んでいることから、「社会宮殿(Sozialpalast)」などと呼ばれている。いずれにせよ、歴史の亡霊はいまもパラス通りに立ち続けているわけだ。

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マリアとワシリーは強制労働者の証明書をドイツでもらうことができたが、肝心のウクライナの役所の対応がひどく、補償金はいまだもらえていないとのことである。

(敬称略)

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by berlinHbf | 2007-01-18 14:42 | ベルリン天使の降りた場所

ベルリン・スポーツ宮殿 - 天使の降りた場所(16) -

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Pallasstraßeにて(2006年10月23日)

映画「ベルリン・天使の詩」の舞台を訪ねるこのシリーズは、またしても間が開いてしまった。それには一応訳がある。これから取り上げる場所というのがドイツの負の歴史と深く関わっていて、そうお気楽には書けそうにないという思いがあったからだ。でも、ここを越えないことにはベルリンの天使はいつまで経っても人間になれないので^^;)、これから2回に分けて書いてみたいと思う。

その場所とは、アメリカからやって来る「刑事コロンボ」のピーター・フォークを主人公に、第2次世界大戦を舞台にした映画を撮影するロケ現場という設定で、作品中に何度も出てくる巨大なコンクリート製の建造物のことである。この建物がどこにあってどういう意味を持つものなのか、ご存知の方はいらっしゃるだろうか?「ベルリン・天使の詩」を観るまで、私は何も知らなかった。

それがシェーネベルクのPallasstraßeにある戦時中に作られた防空壕だということがわかった時も、「ああそういえば、あの通りに何かあったなあ」と思った程度である。私は自転車でこの通りを何度も通ったことがあったけれど、この建物の存在を意識したことは全くなかった。ただ、日本の公団住宅のような形状の無機質なアパートがやたらと立ち並んでいる、ちょっと変わった場所だという思いは抱いていた。

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ポツダム通りとこのパラス通りが交差するこの場所は、実は曰くつきとも言える場所である。まずこの話からしなければならないだろう。

「ベルリン・スポーツ宮殿(Berliner Sportpalast)」という建物が、かつてここにそびえていた。1910年にリヒャルト・シュトラウス指揮のベートーヴェンの第9でオープンしたこのスポーツ宮殿は、約1万人収容の当時ベルリンで最大のホールだった。中でもここのスケートリンクは当時世界最大級と言われていた。1920年代には、しばしばここでボクシングの試合が開催され、Max SchmelingやSabri Mahirといったスターの技に人々は熱狂した。

だが、ナチスが台頭し、戦争の色が濃くなるにつれて、スポーツ宮殿は政治集会の場に使われることが増えていく。何といってもこの場所を有名にしたのは、ナチスドイツがソ連とのスターリングラードの戦いで敗れた直後の1943年2月18日、ヨーゼフ・ゲッベルスが国民に「総力戦(Totaler Krieg)」の必要を訴えた演説によってだろう。その内容と生々しい録音は、こちらのサイトで聞き知ることができる。ゲッベルスの狂気の演説に対して圧倒的な歓声で答える党員たち。聞いていて身の毛がよだつのを感じるほどだ。

その後スポーツ宮殿は1944年の空爆で大破したが、戦後屋根を修復して主にコンサート会場として使われ、1973年に解体されるまでこの地に建っていた。

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「ベルリン・天使の詩」の一場面より(1986年)。

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その20年後の様子。Luftschutzbunkerと呼ばれるこの防空壕は、スポーツ宮殿の通りをはさんだ向かい側に戦時中建てられたものだ。いよいよ次回、それについて書いてみたいと思う。

(つづく)

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by berlinHbf | 2007-01-10 01:12 | ベルリン天使の降りた場所

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