ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


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現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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カテゴリ:ベルリンの人々( 60 )

(続)村上春樹氏がヴェルト文学賞を授賞

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授賞式後の記念撮影にて。村上春樹さんとパティ・スミスさん(左から2番目)ほか

作家の村上春樹氏が、ドイツの大手日刊紙ディ・ヴェルトが主催するヴェルト文学賞を授賞し、11月7日、出版社アクセル・シュプリンガーの本社ビルで行われた授賞式に参加しました。

ナチスが台頭する以前の1920年代のベルリンは、文学や映画などの分野で文化が花開き、130以上もの新聞が発行されるメディアの中心地でもありました。この賞は、戦前ベルリンで活躍したジャーナリストのヴィリー・ハース(1891~1973)を記念して作られたもの。1999年以降毎年1人を選出しており、これまでにベルンハルト・シュリンク、ケルテース・イムレ、フィリップ・ロスといった著名作家が受賞しています。

村上氏はドイツでも抜群の人気と知名度を持つだけに、大勢の招待客で埋まった客席は期待感に満ちていました。

小説『1Q84』で、重要なモチーフとして使われるヤナーチェクの「シンフォニエッタ」のファンファーレが流れる中、開始予定の19:00より少し遅れて授賞式は始まりました。同紙文芸部の編集長リヒャルト・ケメリングス氏が村上氏を歓迎する挨拶を述べた後、女優のフリッツィ・ハーバーラント氏により、村上氏の短編小説『パン屋襲撃』が朗読され、その合間にはやはり作品に登場するワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」の音楽が流れました。

村上氏は一貫して音楽を作品のモチーフに取り入れてきたことで知られていますが、その後、米国の著名なロック歌手のパティ・スミス氏がサプライズで登場。村上作品の大ファンを公言している彼女は、ギターの弾き語りで3曲を披露し、67歳とは思えないほど若々しく伸びやかな声に、参加者は皆感嘆していました。

オーストリア人作家クレメンス・ゼッツ氏は、「村上さんの作品がなかったら、世界はより貧しいものになっていただろう。あなたと同時代に生きていることを嬉しく思う」と熱烈な賛辞を寄せ、続いて授賞セレモニーが行われました。特に印象深かったのは、最後の村上氏のスピーチです。1983年に初めて東ベルリンを訪れた際にオペラを観て、帰りにハラハラしながらチェックポイント・チャーリー検問所まで走った体験談に始まり(村上氏は、このときの滞在を基に『三つのドイツ幻想』という短編を書いています)、「人と人、価値と価値を隔てて、一方では自分たちを守ってくれるが、他方では向こう側の人を排除する論理で作られている壁」が、自らの創作活動の重要なモチーフであり続けてきたと語りました。

「壁を抜けて違う世界を見る。それを描くのが作家の日常の仕事。読者もまた、作家とともに壁を抜けることができる。厚い壁を抜けて、再び戻ってきたときに味わう自由。その身体感覚こそが、読書において最も大事なことだと確信している。壁のある現実で、壁のない世界を想像すること。物語はその力を有していると考えたい」。

奇しくもこの日は、ベルリンの壁崩壊25周年の光の風船の点灯が始まった日でした。壁について改めて考える機会を、日本人の作家から与えられたことに感謝したくなりました。

by berlinHbf | 2014-12-05 00:38 | ベルリンの人々 | Comments(2)

イラストレーター高田美穂子さんが描くベルリン・パノラマ(晩秋編)

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今日から当ブログのトップ画像が変わりました。前回に続いてベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナルの新作です。今回美穂子さんが紅葉の季節に合わせて描いてくださったのは、プレンツラウアー・ベルク地区にあるマウアーパーク(壁公園)の丘の上からのパノラマ。ベルリンにお住まいだったり、ここに来たことのある方ならば、すぐにピンとくる景色だと思います。こちらはテレビ塔方面の風景。木々の間からはトラムが顔をのぞかせています。芝生の斜面でくつろぐ人々の心地よさが伝わってきますね。

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丘の上にあるこのブランコは、壁公園に来たことのある方ならきっとご存知でしょう。手前の2人は私たち夫婦をモチーフにしてくださっているのだそうです^^;)。奥にはヴェディング地区の街並が見え、上を見上げると白いバルーンがいくつも空に浮かんでいます。これは(前回の記事でもご紹介した)壁崩壊25周年の「光のバルーン」なのだそう。今の賑やかな壁公園を歩いているとつい忘れがちですが、この場所にはベルリンとドイツを東西に分断する壁が立ちはだかっていました。「かつては分断されていた場所が、今やたくさんの人たちが思い思いに自由を楽しむ場所に変わった、というところが壁公園の魅力なのだな…と描いていて感じました」と、美穂子さんからこのようなコメントをいただきました。

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奥に見えるのは、毎週日曜日にここでパフォーマンスを行っているRupert's Kitchen Orchestraというストリート・ファンク・バンドだとか。この愉快なバンドのことは、美穂子さんのご主人のゲンキさんより教えてもらい、私もかなり興味を持ちました(詳細については、ゲンキさんのブログの記事をご覧ください)。


落葉の時期もほぼ終わりを迎えましたが、しばらくはこのイラストを毎日眺めながら秋の気分に浸れます。美穂子さん、壁崩壊の記念年にふさわしい作品を贈ってくださり、どうもありがとうございました!
by berlinHbf | 2014-11-18 10:06 | ベルリンの人々 | Comments(1)

村上春樹さんがヴェルト文学賞を受賞

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WELT-Literaturpreis 2014 im Berliner Axel-Springer-Haus

今夜は幸運にも、村上春樹さんのヴェルト文学賞の授賞式の場に居合わせることができた。村上さんのスピーチ「壁なき世界」は、1983年に初めてベルリンを訪れたときの話から始まった。東ベルリンの国立歌劇場でモーツァルトの「魔笛」を見ている最中、24時までにチェックポイント・チャーリー検問所を出なければならないことが気になって、結局最後は走るはめになった。それは今まで見た中でもっともスリリングな「魔笛」だったと。

ベルリンの壁の崩壊後、世界はよくなるかに見えたが、安堵は長く続かなかった。中東やバルカンの戦争、テロ攻撃、ニューヨークの911・・・。村上さんの創作において、「壁」は常に重要なモチーフだったという。人と人、価値と価値とを隔てる壁。それは一方では自分たちを守ってくれるが、他方では向こう側の人を排除する論理で作られている。人種の壁、宗教の壁、非寛容の壁、物欲の壁。人は壁というシステムなしで生きられないのか。

壁を抜けて、違う世界を見て、それを描くのが作家の日常の仕事。読者もまた、作家と共に壁を抜けることができる。厚い壁を抜けて、再び戻ってきたという感覚。たとえそれがわずかなもので、現実の世界が実際に何も変わらなかったとしても、そこで味わう自由、その身体感覚こそが、読書においてもっとも大事なことだと確信している。壁のある現実で、壁のない世界を想像すること。物語はその力を有していると考えたい。そして、それについて考えることは、2014年のベルリンよりぴったりくる場所はない。

(詳しい報道はこれからたくさん出てくるでしょう。私が特に印象に残った箇所をざっとまとめました。スピーチの原文と若干のニュアンスの違いはあるかもしれませんが、その点はお許しください)

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言葉というものの力を信じたくなる、素晴らしいスピーチだったと思う。私は心の昂りを抑えられないまま壁跡に沿って歩いた。今日から灯り出した壁崩壊25周年の光のバルーンを横目に見ながら。やがて、チェックポイント・チャーリーが姿を現した。普段ここでは観光客の姿ばかりが目に付くけれど、今夜は光のバルーンがかつての分断の跡を照らしていた。いま何の障害もなくここを自由に越えられること、その意味と価値について改めて思いを馳せた。

by berlinHbf | 2014-11-08 01:37 | ベルリンの人々 | Comments(4)

東京新聞7月27日(日)朝刊「写真家 古屋誠一インタビュー」

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文章を書く仕事をしている関係からか、ベルリン在住の特派員の何人かの方とお付き合いがあります。皆さん取材で飛び回っていることが多いので、頻繁にというわけではないものの、時々食事などをご一緒しながら仕事や旅、好きな本の話などをしては、刺激を受けています。

東京・中日新聞の宮本隆彦記者も親しくさせていただいている一人。昨年の春頃だったか、近所の中華のお店でお会いした際、宮本さんがある写真家のノンフィクションについて熱く語っていました。それが、『メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年』(小林紀晴著)という本でした。宮本さんは、学生時代にたまたま古屋誠一という写真家の作品に出会って以来、興味を持っているのだとか(私は正直それまで知りませんでした)。今年に入って、宮本さんからこの本を借りて読んだのですが、これまで味わったことのないような読後感の残る本でした。古屋誠一は若い頃に渡欧し、そこでオーストリア人のクリスティーネと出会い結婚します。しかし、やがて彼女は精神を病み、1985年10月、当時古屋の仕事の関係で滞在していた東ベルリンの高層アパートから飛び降りて自殺を遂げます。古屋はクリスティーネとの8年間を克明に記録し続け、『Mémories』と題した写真集をこれまで何冊も発表してきました。詳しい内容についてここではこれ以上触れませんが、「人はなぜ撮るのか、作品を残そうとするのか」という表現の根幹にも問いを投げかける、ある種の衝撃を受けたノンフィクションでした。
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6月頭、私の友人の写真家のTwitterで、古屋さんの新しい写真集のプレゼンテーションがポツダム通りのThomas Fischerというギャラリーで行われることを知り、宮本さんを誘って出かけてきました。古屋さんはこのイベントのために自宅のあるオーストリアのグラーツからやって来られたそうですが、ご覧の通りの大盛況。キュレーターとのトークセッションでは、作品が生まれた経緯などを流暢なドイツ語で語っていました。

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この新しい写真集のタイトルは『Staatsgrenze 1981-1983』。「国境」という意味です。1981年から83年にかけて、古屋さんは家族を連れてオーストリアとの国境線に沿って車で走り、記録に収めました。新作と言っても30年以上前に撮影された作品をまとめたものですが、長年Mémories』に取り組んできた古屋さんにとって、新たな一歩となる作品となったようです。

宮本さんは当初、「せっくの機会だから名刺だけでも渡せたら」というぐらいの気持ちだったそうですが、イベント終了後古屋さんに挨拶した際、インタビューの打診をしたら快く応じてくれ、その2週間後にはもうグラーツに飛んでいました。インタビューの翌日、宮本さんから届いたメールには、古屋さんの自宅にまでお邪魔して計5時間ぐらい話を伺ったことに加え、「当然、小林紀晴さんの『メモワール』の印象に引っ張られていたわけですが、 (今回のインタビューで)それが修正されるような部分もありました」と書かれており、私もその中身が気になっていました。実は先週、久々に宮本さんに会って今回の話を聞く予定だったのですが、ウクライナの旅客機撃墜事件で宮本さんは急遽ウクライナに飛ぶことになり、約束は流れてしまいました。

明日7月27日(日)の東京新聞の朝刊に、宮本記者による「古屋誠一 ロングインタビュー」が掲載されるそうです。以上のような経緯から、私もどんな内容なのか全然把握していないのですが、興味深いインタビューになっているのは間違いないので、ここでご紹介しようと考えた次第です。ご興味がありましたら、ぜひ明日の東京新聞を手に取っていただけたらと存じます。

by berlinHbf | 2014-07-26 11:41 | ベルリンの人々 | Comments(0)

AERA 2013年9月30日号「現代の肖像」日下紗矢子

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現在発売中のAERA(朝日新聞出版)2013年9月30日号の「現代の肖像」という有名なルポシリーズで、ヴァイオリニストの日下紗矢子さんのことが取り上げられています。執筆されたのはフリーライターの千葉望さん。5ページのルポですが、日下さんのご家族から恩師、各関係者にまで丹念に取材を重ねて書かれた、とても読み応えのある記事になっています。実はその関係者の中に私も入っていまして(笑)、今年5月に千葉さんが取材でベルリンに来られた際、日下さんとご近所付き合いのある私まで取材を受けることになったのでした(記事の中でそのことが少し出ており、私も読んでビックリ)。それはともかく、日下さんのルーツから音楽への真摯な取り組み方、その目指すものまで多角的に描かれており、大変興味深く拝読しました。日曜日までの発売だと思いますので、ご興味のある方はぜひご一読いただけたらと思います。

もう1つお知らせです。日下さんがベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団と並んでコンサートマスターを務める読売日本交響楽団の演奏会が来週4日間に渡って行われます。S.スクロヴァチェフスキ指揮で、ショスタコーヴィチの交響曲第5番がメインのプログラム(2日サントリー、3日東京オペラシティ、4日東京芸術劇場、6日横浜みなとみらい)。日下さんもコンマスとして出演されますが、特に3日のオペラシティでの公演は、室内楽の演奏付きでおすすめです。ちなみにこの日は、スクロヴァチェフスキ氏の90歳の誕生日だとか!2011年に聴いたスクロヴァチェフスキ指揮ベルリン・フィルのコンサートは、この年私が聴いた中でもっとも感動を受けた生演奏の一つでした。今回も圧倒的な名演が期待できるのではと私も楽しみにしています。

以下は読売日響のHPより
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第3回東京オペラシティ・プレミアムシリーズ
2013年10月 3日(木) 18:30 東京オペラシティコンサートホール
指揮=スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ

【第1部】
日下紗矢子と読響の仲間たち(室内楽)
チャイコフスキー(武満徹:編曲):秋の歌(クラリネットと弦楽四重奏のための)
ショスタコーヴィチ:弦楽八重奏のための2つの小品
出演:日下紗矢子、小杉芳之、荒川以津美、肥田与幸、鈴木康浩、榎戸崇浩、毛利伯郎、室野良史、金子平

【第2部】
ベルリオーズ:劇的交響曲「ロミオとジュリエット」作品17から〈序奏〉〈愛の情景〉〈ロミオひとり〉〈キャピュレット家の大饗宴〉
ショスタコーヴィチ:交響曲 第5番 ニ短調 作品47
by berlinHbf | 2013-09-27 14:31 | ベルリンの人々 | Comments(2)

アイスホッケー女子ブンデスリーガで活躍する日本人

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ホーエンシェーンハウゼンのSportforumで行われた試合から (2013-03-02)

サッカーブンデスリーガの日本人選手の活躍は、今や珍しくなくなりましたが、「氷上の格闘技」アイスホッケーの女子ブンデスリーガで奮闘する「なでしこ」がいるのをご存知でしょうか。ベルリンのチームOSC Berlinに所属する高嶌遥さん(25)をご紹介したいと思います。

高嶌さんは北海道の苫小牧市出身。趣味でアイスホッケーをしていた父の影響で小学2年の時にアイスホッケーを始め、高校生にして最年少で日本代表に選出され頭角を現しました。早稲田大学スポーツ科学部卒業後、スイス・チューリッヒのチームに移籍し、2011年からベルリンで活躍しています。

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3月頭、東の郊外「スポーツ・フォーラム」で彼女が出場する試合を観に行きました。アイスホッケーを生で観るのは初めてだったのですが、氷上を駆け抜ける選手たちのスピード感にたちまち惹き込まれました。特に攻守の切り替えの早さは目も眩むほどで、「キーン」という音が響き渡るシュートが見事に決まった時は、大興奮!

普段はおっとりした高嶌さんですが、氷上では別人のようにたくましく、体格の大きなドイツ人選手とも互角に渡り合っていました。試合も、インゴルシュタットに7対3で勝利。

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試合後、笑顔でサポーターと歓談する高嶌遥さん

実は、高嶌さんは今シーズン限りで現役を退き、「日本でスポーツ振興やジャーナリズムに関係した道に進みたい」という次の目標に向かって歩み始めるとのこと。そんな高嶌さんと、ソチ五輪の出場を決めたアイスホッケー日本女子代表をこれからも応援したいと思います。
はまかぜ新聞 3月15日)
by berlinHbf | 2013-03-21 12:43 | ベルリンの人々 | Comments(0)

写真家 橋口譲二氏の講演会

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写真家橋口譲二さん。1989年にベルリンの中古カメラ店で購入したという愛機と

現在、ツォー駅裏手のベルリン写真美術館Museum für Photografieにて、「戦後日本の変容」展が開催されています(6月17日まで)。1945~64年という激動の時代を背景に、木村伊兵衛や土門拳、細江英公ら、戦後日本の写真界を代表する11名の写真家によるモノクロ写真123点で構成された興味深い展覧会です。

この展覧会の関連プログラムとして、日本の写真関係者による講演会が何回か開催され、私は4月末に行われた写真家・橋口譲二さんの講演会「カメラがとらえた、日本が幸福だった時代と17歳の今」を聴きに行きました。橋口さんは、80年代からベルリンとの縁が深く、昨年は旧東ベルリンのホーフ(中庭)をテーマにした写真集『Hof ベルリンの記憶』を発表しています。

展覧会のテーマに合わせて、講演会の前半は1949年生まれの橋口さんが自分の子ども時代を振り返るところから始まりました。鹿児島での小学校時代、生徒の半数は裸足で学校に通っていたこと、中学卒業後は大都市に集団就職するのが当たり前だった風潮などに触れ、「日本と言うとお金持ちの国というイメージがあるかもしれませんが、それはここ30年ぐらいのことです。当時の人々は自転車やテレビ、洗濯機など、皆小さな夢を持って生きていました。それがいつの間にか、『欲望』に変わっていったのです」と聴衆に語ります。

そして、日本全国多くの人のポートレートを撮影してきた橋口さんが、東北に住む2人の女性の写真を見せながら、庶民のささやかな生活を紹介します。「日本と言うとお米の国という印象をお持ちかもしれませんが、それもここ40年ぐらいのことです。米はもともと南の穀物。努力と改良を重ねて、東北や北海道でもお米が作れるようになったんです」と聞いて、私ははっとしました。橋口さんは静かに、しかし揺るぎない姿勢で戦後日本の文明について問うているように感じたのです。

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写真集『17歳―2001‐2006』(岩波書店)より 
© Hashiguchi Joji & JDZB


後半は、橋口さんが2000年代に撮った17歳の若者のポートレートを見せながら、彼らの声を朗読。子どもと大人の狭間で悩みながらも生きる、ごく普通の若者の姿が立ち上がります。最後にこんなことを話しました。「今の朗読を聞いて、皆さんの中には良くも悪くもいろいろな感情がわき起こったはずです。僕はその感情こそがアートだと考えています。お金がたくさんあれば、この美術館に飾られているヘルムート・ニュートンさんの写真を買うことができるでしょう。でも、皆さんのその感情は誰も買うことができません」

質疑応答では、橋口さんの写真家としての制作姿勢が、こんな言葉で明かされました。「今までに900人ぐらいのポートレートを撮ってきましたが、自分が撮った人はすべて作品に登場させています。人の存在は、比較できないからです。この世に生きる価値のない人はいません。人を選んでこなかったということを僕は誇りにしています」

「人の存在は比較できない」。口で言うのは簡単ですが、制作を通してその信念を実践し続けてきた橋口さんに、私は敬意の念を感じました。最後は拍手がなかなか鳴り止まず、会場が温かい雰囲気で満たされていました。
ドイツニュースダイジェスト 5月18日)

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by berlinHbf | 2012-05-23 16:50 | ベルリンの人々 | Comments(2)

追悼・外林秀人先生

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先日、べるりんねっと789外林秀人氏の追悼ページに寄稿させていた追悼文をここに再掲いたします。

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2011年12月30日の夜、外林秀人先生の訃報の知らせを受け取った。ここ数ヶ月、ご無沙汰していたとはいえ、「先生のメッセージはこの時代においてますます重要な意義を持つものと思います」と書いてご自宅にクリスマスカードをお送りしたばかりだった。私は愕然とした。

外林秀人さんという方の存在を知ったのは、確か2006年だったと思う。「ベルリン在住の日本人科学者が、半世紀以上の沈黙を経て、ヒロシマでの被爆体験を語り始めた」というニュースはドイツのメディアでも話題となり、私もいくつかの新聞記事を読んでいた。また、トルーマン大統領が原爆投下を決定したと言われるポツダム・バーベルスベルクの邸宅前の広場に「ヒロシマ広場」をつくる活動に外林先生が関わられていることも知った。私は、子供の頃から原爆の問題にはどちらかといえば強い関心を持っていたので、いつか直接お話を伺ってみたいという思いを漠然と抱いていた。

2010年の7月末、日本食レストラン「よしおか」に食事に行った時のこと。店主の吉岡さんと話していて、ふと外林先生の話題になった。先生は毎週土曜日の夕方、奥様と「よしおか」に来られるという。吉岡さんは私がドイツニュースダイジェストに寄稿している記事を毎回読んでくださっており、「一度外林先生にインタビューしてみるといいですよ。よかったらご紹介しましょうか?もうご高齢だし、いつまでお元気でおられるかは誰にもわからないから」と言ってくださった。ちょうどヒロシマ広場の記念碑が除幕したばかりで、原爆投下から65年目の日が目前に迫っていた。私にとって願ってもない機会だった。

8月10日の午後、ヒルトン・ホテルのカフェでゆっくりお話を伺った。まぶたに刻まれた深いしわと時折見せる寂し気な表情が印象的だった。それでいて、(こんなことを言うのは失礼かもしれないが)どこかチャーミングな魅力のある方だった。半世紀以上住んでおられるベルリンの話から始まったのだが、「ベルリンに長く住んでいる理由は、ベルリンほど原子爆弾に対して安全な場所は世界になかったからです。ここにいれば二度と原爆には遭遇しないだろうと信じていました」と真顔でおっしゃった時には体に衝撃が走った。50年以上被爆体験を胸の奥に秘めてきた理由、原発のこと、問われる政治家と科学者のモラル、等々。ゆっくりとそして思いを込めて語ってくださった。
(この日のインタビューはドイツニュースダイジェストおよび拙ブログにも掲載)

それから1年数ヶ月という決して長い時間ではなかったものの、外林先生は私に対して随分懇意にしてくださった。時々電話もいただくようになった。2010年8月にターゲスシュピーゲル紙に掲載されたロングインタビューは、「今までドイツのメディアに書いてもらった記事で一番内容がいいので、日本語に訳してもらえないだろうか」と言って、翻訳を依頼してくださった。

ある日、バスの2階席で偶然お会いした時は、「ドイツや他の国でしてきた講演の記録が大分たまってきたので、いつかまとめられないかと思っている。その時は中村さんにもぜひ協力して欲しい」とおっしゃった。ベルリンのフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ学校で中学生ぐらいの子供たちに話をされる時にはご招待くださり、聞きに伺ったこともあった。あの福島第一原発の事故が起きてからは、ドイツの新聞やテレビで先生のお顔を見る機会が増えた。あまり体調がよくない中、各地で講演会を精力的にされていることも聞いていた。

印象に残っているのが、昨年4月初頭、日本のあるメディアに「こういう記事が載っていた」と電話をかけてこられた時のことだった。ドイツの南部の州の総選挙で緑の党が大躍進した直後で、「ドイツの原発は予定より早く廃止されるだろう。だが、選挙の結果が、日本の震災を起爆剤にしてもたらされたものであるように思え、日本人としては複雑な気持ちだ」というような内容の記事だった。正直、最初に私が読んだ時は特に違和感を感じなかった。当時、ドイツメディアのフクシマの報道の仕方は過剰にセンセーショナルな部分があったし、その波に後押しされた形で脱原発を求める声が一気に加速したのも事実だと思ったからだ。しかし、外林先生の捉え方は違っていた。

「どうしてこんな記事を書くのだろう。原発がなくなることのどこが悪いのか。それに、ドイツの人々は日本人に対して心から追悼の気持ちを示してくれているではないか」。

外林先生のこれほど怒った声を聞くのは、この時が最初で最後だった。

先生の核についての考えは一貫していた。「左か右かとか、勝つか負けるかとか、アメリカに責任があるかないかとか、つまり誰がどういう立場かという問題ではない。核兵器も原発も、『人類全体』を考えるとよくない。だから私たちはそれらを早く捨てるべきだ」。これまで先生から伺ってきたお話を集約すると、結局こういうことではないかと思う。

50年以上、外林先生が被爆体験をひたすら内に秘めてこられたのは、放射能をめぐる差別の問題が過去も今も根強く存在するからだ。そのことも私たちは忘れてはならないだろう。

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昨年8月6日の式典で挨拶をする外林先生。両側はアストリッド夫人とポツダム・ヤコブス市長

外林先生に最後にお会いしたのは、昨年の8月6日だった。この日、ポツダム市の名誉市民の称号が贈られることになり、ヒロシマ広場での式典に伺った。先生は手術をされた直後で、すっかりお痩せになったことに驚いた。それでも私の顔を見つけると、笑顔を見せて手を差し出してくださった。その時のことが忘れられない。

ポツダム市長も臨席した式典の挨拶で、外林先生は「長崎にも原爆が落とされたのだから、この広場の名称に『ナガサキ』も加えて欲しい」という希望をおっしゃっていた。

12月7日、ポツダム市の市議会は、「ヒロシマ広場」を「ヒロシマ・ナガサキ広場」に改称する決議を賛成多数で可決した。「ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会」の副会長で、外林先生と長く一緒に活動されてこられた福本榮雄さんから、数日前こんなメールをいただいた。
「(外林先生との最後の電話で)広場の名称をヒロシマ・ナガサキ広場と改名することが市議会で決議されましたとお伝えできたことが救いです。念願のベンチが設置されたことも。一度も座っていただくことはできませんでしたが」。

「ベンチ?」と思った。だが、外林先生に最初にインタビューした際の録音を聞き直してみたら、最後の方で確かにこうおっしゃっていた。「ヒロシマ広場にベンチを置いたらどうかと思っているんです。記念碑を前にして、そこに座ってゆっくり考えられるようにね」。

外林秀人先生、短い間でしたが、大切なことをたくさん教えてくださり、どうもありがとうございました。今度ヒロシマ・ナガサキ広場に行く時は、そのベンチに座りながら、先生が残されたメッセージの意味をじっくり考えたいと思います。どうか安らかにお眠りください。

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ヒロシマ・ナガサキ広場の原爆記念碑の前に立つ外林先生

関連記事:

外林秀人氏死去(ドイツ在住の被爆語り部)
 外林 秀人氏(そとばやし・ひでと=ドイツ在住の被爆語り部)12月28日、ベルリンの病院で死去、82歳。長い闘病生活を送っていた。
 29年11月長崎生まれ。45年8月に広島で被爆した。留学生としてベルリンに渡り、ベルリン工科大で教授を務めた。原爆投下命令が出された地とされるドイツ東部ポツダムに、「ヒロシマ・ナガサキ広場」や原爆碑を設置する活動に尽力。ドイツ各地で被爆体験を伝えながら寄付を呼び掛けた。(ベルリン時事)(2012/01/02-19:55)

NACHRUF: Hiroshima-Opfer gestorben - Jakobs würdigt Hideto Sotobayashi
(2011-12-31, Märkische Allgemeine)

Letzter Wunsch - Sotobayashi wird in Potsdam beerdigt
(2012-01-06, Märkische Allgemeine)
この記事によると、外林先生の葬儀は1月23日に行われることになったそうです。

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by berlinHbf | 2012-01-07 14:45 | ベルリンの人々 | Comments(7)

ドイツ人家庭で味わうクリスマス

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このブログでも何度か紹介している知人のフレンツェルさん夫妻(ウリさんとウラさん)を12月に訪ねる際、毎回楽しみにしているのがクリスマス用の種々のお菓子を出してくださること。紅茶をいただきながら、これらのお菓子を味わうのは格別なのです。レープクーヘンやAachener Printenなど、いくつかの種類は以前以下の記事でご紹介しましたね。

関連記事:
ドイツのクリスマス用ケーキ種々 (2007-11-27)
10年目の出会いと別れ (2011-10-22)

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日本でもおなじみのシュトレン。実はスーパーのKaiser'sでこの時期売られているドレスデン製のもの。これが結構本格的なお味。

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こちらの皿にはチョコレートやマジパンやら。外側はチョコレートがけ、中はジンジャーが入ったお菓子は、特においしかったです。

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こちらはアドベント・クランツ(アドベント・リース)。今日は第4アドベントなので、最後のロウソクにも火が灯っていることでしょう。

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ウラさんは、かわいらしい小物やオーナメントをたくさん持っていて、写真を撮りたいと言ったら、わざわざ火を付けてくださいました。これはRäucherhausといって、火を付けた小さなお香を中に入れると、煙突部分から煙が出てくるというもの。同じ仕組みの人形が有名ですね。

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スウェーデン製というハート形のローソク立て。

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これはハルツ地方の木の人形。頭の部分に坑夫のマークがありますが、ハルツ地方は元々鉱山の多い地域。昔はこの人形を窓側に向けて、鉱山労働者の男たちが帰宅するのを家族は待っていたのだそうです。

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こちらは天使バージョン。

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アパートの入り口付近に飾られていた星の飾り。ベツレヘムの星をイメージしており、Herrnhuter Sternという名でこの時期ドイツでは至る場所で見かけます。先週スペインに行ってきて思うのは、クリスマス前の華やかさや光というのは、周りの暗さや寒さがあってこそ引き立つものなのかなあということ。ドイツのクリスマスはやはり格別だと思います。

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by berlinHbf | 2011-12-18 13:50 | ベルリンの人々 | Comments(4)

10年目の出会いと別れ

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少し前になりますが、ベルリンでずっとお世話になっているドイツ人の家族と出会ってからちょうど10年が経ち、この夏にお祝いの食事会をしました。私がまだベルリンに来て間もない2001年初頭、語学学校で知り合った日本人の友達がこのアパートに住んでいた関係で、私を含めたアジア人4人がたまたまお邪魔したことから付き合いが始まりました。それが、フレンツェルさん夫妻(ウリさんとウラさん)、そしてこのアパートの大家のメヒティルトさん。彼らとの出会いについてはこちらなどでご紹介したことがありますが、最初の頃はほぼ毎週、現在でも月に1度はお会いし、お互いの近況から日本と韓国、ドイツのあれこれまでとめどもなくおしゃべりするという関係が続いてきました(ドイツの季節ごとのお菓子や時には食事付き!)。ベルリンでの生活を振り返ってみても、これほど息の長く、かつ密な付き合いは他になかなかなく、私にとって大事な人たちです。

この日、フレンツェルさんのお宅にお邪魔したら、テーブルの上はご覧のようにセッティングされていました。わざわざシェーネベルクのパーティー用品店でこの旗を買ってきてくださったらしく、愉快な配慮にうれしくなりました。この時は、私たちの方からの感謝の気持ちを込めて、日本料理と韓国料理をごちそうしました。

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真ん中に写っているメヒティルトさんは、以前何回かに渡ってインタビュー記事をお届けしました(詳しくはタグのInterviewを)。メヒティルトさんは少し前に還暦を迎え、フレンツェルさん夫妻のお2人も70歳を超えました。当然自分たちもその分歳を取っているわけで、10年という時間の経過を実感します。出会いの節目あれば別れもあり、左端の韓国人のYくんは今年Landschaftsplanungで博士号を取り、つい数日前に奥さんのOちゃんと韓国に完全帰国しました。馴染みの友達がいなくなり寂しくなりますが、彼らの今後の活躍を願いたいと思います。

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そういえば、ドイツのヴルフ連邦大統領が日独交流150周年を記念して、今日から日本を1週間近く訪問するそうですね。私たちの交流は本当にささやかなものですが、メンバーが少しずつ変わりながらも今後も末永く続くことを願っています。

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by berlinHbf | 2011-10-22 23:57 | ベルリンの人々 | Comments(0)

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