ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
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映画「帝国オーケストラ」ディレクターズカット版を観て

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今月のベルリン・フィル来日に合わせて、関連の新作映画が2本上映される。そのうちの1本、「帝国オーケストラ」(原題:Reichsorchester)を最近観る機会があった。

これは「第三帝国下のベルリン・フィル」というテーマで描いた、エンリケ・サンチェス=ランチ監督によるドキュメンタリー作品で、2007年のベルリン・フィル125周年に合わせて作られた。ドイツではすでに一般公開もされ、私も一度観ている。今回改めて鑑賞したのは、日本公開用に合わせて編集され直したというディレクターズカット版の方。

ナチス支配下のベルリン・フィルという主題では、これまで多くが語られ、また著作もたくさん出ている。だが、ほとんどの場合、その中心にいたのは当時首席指揮者だったフルトヴェングラーだ。著作によっては、作者の勝手な主観や思い込みによって歪められているものもある。この映画では、フルトヴェングラーが指揮している記録映像は何度も出てくるが、それ以外でこの人物が表に出てくることは一切ない。代わりに主役となっているのは、当時の異常な状況下で音を奏で続けたオーケストラのメンバーである。

1933年、ベルリン・フィルは未曾有の財政危機から脱するため、ゲッベルスにより国有化され、その管轄下に置かれた。映画はそこから始まる。解体の危機からは免れたものの、それ自体が一つの小宇宙とも言える名門オーケストラの内部は、錯綜した状況にあった。身の危険を感じていたユダヤ人音楽家、団員の中にわずかながらもいた危険なナチ党員、その他大勢の団員たち。彼らが何を感じ、苦難の時代をどのように生きたか、またどのような結末が待っていたのか。関係者の証言と当時の豊富な映像資料によって話は進行していく。

この映画において主人公と呼べる人物が2人いる。1人は元コンサートマスターのハンス・バスティアン(現在96歳!)。どことなく気弱く、芸術家らしい繊細さを感じさせる人物。「私たちは政治的には子供だった」。当時のことを静かに語るその口調は、時に苦渋がにじみ出る。

映画の序盤、彼が語る中で印象に残ったのは、フィルハーモニーのホール内部に飾られていた作曲家の肖像から、メンデルスゾーンのものが突然外され愕然としたというエピソードだ。やがてドイツが破滅への道に突き進む、恐ろしい段階性への萌芽が、すでにこの時点で見て取れる。映画ではその後、ベルリン・フィルが舞台に立つ「帝国文化院」の式典の壇で、露骨な反ユダヤ主義の方針を唱えるゲッベルスの映像が流れる。若いバスティアンは「衝撃を受けた」と語る。当時、そのすぐ後ろで演説を聞いていた団員の大部分も、「これはとんでもない事態になりつつある」と戦慄を感じたに違いない。歴史に「たられば」はないのかもしれないが、今にして考えれば、ベルリン・フィルはこの時期が1つの分岐点だった。名コンサートマスターのゴールドベルクなど団員の中にはユダヤ人もいた。何らかの形で権力者に対して抵抗を示す手段はなかったのだろうか・・・。

「自分だったら、どうしただろうか?」(ランチ監督)。この作品はただの音楽映画ではない。現代に生きるわれわれにも、切実な問いを投げかけてくれる。

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もう1人の主人公、エーリヒ・ハルトマンは、現在86才の元コントラバス奏者。1943年にベルリン・フィルに入団する前、軍隊も経験していた人物だ。「われわれはそうせざるを得ない状況下で、音楽のみをした。政治のことは頭になかった。『ナチスのオーケストラ』などと呼ばれる覚えはない」。このきっぱりとした物言いをする彼の話でとりわけ忘れがたいのが、旧フィルハーモニーが空爆で崩れ去れる日の回想だ。1944年1月30日の夜、ハルトマンは見張りの1人として現場にいた。「その様子が今も脳裏に焼きついている。私たちはみんな泣いていた」。ベルリンの芸術文化の象徴が崩れ落ちる瞬間を、眺めるしかなかった無念。その悲しみは、ベルリンの記憶として今もこの街のどこかに漂っているような気がする。

生存する数少ない当時の団員の他、その子息らのインタビューも織り込まれる。当時子供だった彼らが、「今となってはそうだったかもしれない」と、どこかで異変を感じ取っていた戦争中の日常も興味深い。そうそう、ベルリンの戦争回想録を読むと、ほぼ必ずといっていいほど登場するコーヒーの話もやはり出てきた。「ベルリンでは、コーヒーはダイヤモンドに匹敵したよ」(バスティアン)。

やがて空爆が激しくなる戦時下といえども、人々には日常があった。そして驚くべきことに、コンサートは場所を変えて終戦間際まで続けられた。戦時下のコンサートというのは、例えばこういうものだったらしい。空襲の起きる時間を避けるため、開演時間が早められた。演奏中、空襲警報が鳴ると音楽は中断。その場にいる人は全員避難する。空襲が去ると、中断された箇所から演奏が再開・・・。そのような状況下でも、多くのお客さんが集まった。なぜなら、「生きるための活力」を求めていたから。その言葉に偽りはないだろう。音楽が内包する根源的な力を感じずにはいられない。何しろ音楽自体に罪はないのだから。

ベルリン・フィルのみ演奏活動が続けられたのは、兵役義務を免除され、ドイツの文化水準を国の内外に誇示するという特権的な役割を担わされたためだ。フルトヴェングラーのもとで演奏できる魅力もあった。映画の終盤でバスティアンが語るエピソードが胸に迫る。ある日、ヴァイオリンケースを持ってきれいな身なりでSバーンに乗ったら、周りの乗客から好奇の目で見られた。「彼らの中には息子が前線に送られている者もいただろう。何ともいえない気まずさを感じた」。

また、戦争の末期、オリンピック村で行われた兵士のための慰問演奏会で、大勢の負傷した兵士を前にベートーヴェンの《運命》を演奏した時の話。60年以上の時を経て、同じ場所を訪れて回想するこのシーンは、映画の一つのハイライトと言えるかもしれない。

亡命したユダヤ人チェリストの子息を訪ねて、カメラは時に海をも越える。そして日本にも・・・。1つ1つの話のディティールにリアリティーがあり、想像力が喚起される。あの時代を直接体験した人がいよいよ少なくなりつつある今、「帝国オーケストラ」が撮られた意義は大きい。ぜひ多くの方に観ていただきたい映画だ。

ベルリンという街の記憶、そして音に興味のある私は、この映画に触発されて、いくつかの場所を再訪してみたくなった。今度はそれを書いてみたいと思う。


帝国オーケストラ ディレクターズカット版公式サイト
ベルリン・フィル創立125周年記念第一弾 10月下旬より渋谷・ユーロスペース他全国順次公開

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by berlinHbf | 2008-11-05 19:58 | ベルリンを「観る」 | Comments(17)
Commented by bugyo2 at 2008-11-06 12:10
非常に興味深い映画の紹介ありがとうございます.
見てみたくなりました.
映画館に足を運ぼうと思います.
Commented by la_vera_storia at 2008-11-06 17:02 x
コントラバスのエーリヒ・ハルトマンさんは、この間ご紹介した本(「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」)にもインタヴューで登場していましたね(バスティアンさんも同様)。この方、確か早稲田大学と非常に関係が深かったはずです。これはワセオケOBの方から聞いた話ですが、早稲田が大学紛争で騒然としていた時代に、BPO来日に参加していたハルトマンさんらのコントラバスの奏者たちは、わざわざ大学を訪問して学内で演奏されたそうですよ。大学当局が不測の事態を恐れていたそうですが、ハルトマンさんたちは平然と演奏し、学生も演奏に大喝采だったとのことです。その後何度も早稲田で演奏されているはずですよ。チャンスがあれば、当時の早稲田のこともハルトマンさんにうかがってみてはどうでしょうか。
Commented by Tsu-bu at 2008-11-06 21:59 x
この映画と「ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて」の2本が連続上映されるという記事の切り抜きが目の前にあります。
ベルリンでも上映されたのですね。
雑事に追われているうちにマサトさんに先を越されてしまいました。
こんな映画を観ましたって報告したかったのに・・・。
観ますよ、私も。
Commented by la_vera_storia at 2008-11-07 09:30 x
この時代のベルリンの記録、実は非常に重要であり、そして実に興味深いものがあります。 邦訳題名「ベルリンへの長い旅 - 戦乱の極東を生き延びたユダヤ人音楽家の記録」、この本は日本語に翻訳されていて比較的有名ですね。その時代にユダヤ人の音楽少年であったヘルムート・シュテルンさんが語る、この時代の記録はマサトさんご紹介の今回の映画とは逆に、迫害されてベルリンを去らざるを得なかった側の記録としても貴重です。(一応、原語版をあげておきます。)
http://www.aufbauverlag.de/index.php4?page=2118
そしてシュテルンさんは再びベルリンに戻ってBPOの団員となるのですが、時代に翻弄された人間の運命を感じます。シュテルンさんの語るハルピンでの思い出は、この間彼の地を訪れ、その地のオーケストラが練習、演奏していた場所の数々を訪ねた私には生々しく感じました。
Commented by berlinHbf at 2008-11-07 09:46
>bugyo2さん
お久しぶりです!きっと興味を持って観ていただける映画だと思います。よかったらぜひブログにもご紹介くださいね。
Commented by berlinHbf at 2008-11-07 09:49
>Tsu-buさん
>こんな映画を観ましたって報告したかったのに・・・。
それはうれしいです。でもTsu-buさんのご感想も楽しみにしていますよ~。もう1本の方も近日中に観るつもりです。
Commented by berlinHbf at 2008-11-07 09:59
>la_vera_storiaさん
ハルトマンさんと早稲田大学とのつながり、大変興味深く拝読しました。大学紛争の時代にそんなことがあったとは!でも、映画でのハルトマンさんの映像を見て、1本筋の通った気骨ある方だなあという印象を持っていたので、そのエピソードには何となく納得がいきます。機会があればぜひお会いしたいです。

シュテルンさんの本は、私としては珍しく(笑)、ドイツ語でも読みました。ものすごい人生を送られた方ですよね。「帝国オーケストラ」のベルリンでのお披露目にも見えておられていて、あの時声をかけるべきだったと思います。シュテルンさんの本で思い出しましたが、今年の11月9日は水晶の夜事件から70年ですね。関連行事などかなり行われるようです。
Commented by やきそうせいじ at 2008-11-07 11:08 x
"Taking Sides"(演劇ならびに映画)はご覧になってましたっけ。まさにこのテーマをフィクションとして描いています。そしてやはり、「自分ならどうする」を観客に問うています。

しかし、"Das Reichsorchester"という言葉が本来持った意味と、現在での響き、さらに「帝国オーケストラ」と訳したときの響きは、かなり違ったものになりそうですね。後者になるほど物々しくなってきそうです。元来は単に中央政府の管轄下にある「国立管弦楽団」に過ぎなかったのですが。
Commented by la_vera_storia at 2008-11-07 13:49 x
ハルトマンさんについてマサトさんが映画をご覧になって、「1本筋の通った気骨ある方という印象」をお持ちになられたようですが私が昔ちょっとだけお話させていただいた印象では、非常に謙虚で慎み深い温厚な紳士という感じの方でした。もし映画でハルトマンさんがマサトさんの抱いた印象で話されているとすれば多分、「何が何でもこの真実を自分の口から後世に伝えておきたい。」という強い意欲と気迫の現われだと思われますね。

マサトさんや焼きそうせいじさん(お久しぶりです!)が日本にいらっしゃらない間に、東京の営団地下鉄は「東京メトロ」と名称変更になりました。この営団というのは正式には「帝都高速度交通営団」のことでした。「帝都」、これは仰々しくて私の非常に好きな言葉だったんですが(笑)。
Commented by berlinHbf at 2008-11-08 19:29
>やきそうせいじさん
お久しぶりです。新天地でも元気に活動されているようで何よりです。
"Taking Sides"は、grammophonさんからDVDをいただきながら、恥ずかしながらまだ観ていません。このテーマで語るには一度は観なければなので、今度こそはと思っています。

>"Das Reichsorchester"という言葉が本来持った意味と、
>現在での響き、
鋭いご指摘ですね。日本へ配給する方も、邦題をどのようにするかで苦労されていました。「帝国オーケストラ」では、結局何のことだかよくわかりませんものね。「ナチス」を表に出した邦題も考えたそうですが、これは製作者側から許可が下りなかったそうです。ううむ。
Commented by berlinHbf at 2008-11-08 22:44
>la_vera_storiaさん
ハルトマンさんとは直接お話になられたことがあるのですね!それはすばらしい。私もお会いしてみたいですし、la_vera_storiaさんとも、一度心ゆくまでベルリン談義をしてみたいです(笑)。いつかその機会がありますことを!
Commented by 焼きそうせいじ at 2008-11-10 11:19 x
マサトさん
最近冬眠したままの小生のHPですが、"Taking Sides"については、かなり力を入れてページを作ってあります(上の名前のところのリンク)ので、ご参照ください。

la_vera_storiaさん
もうひとつの「帝都」、つまり京王電鉄のほうはどうなっていますでしょう。あとは「帝国ホテル」「帝国劇場」、あと何かありましたっけ。そういえば、オーストリアは"Reichs-"みたいな言葉を使っていたかなと、ふと考えて見ますと…、ちょっと面白そうですね。
Commented by gramophon at 2008-11-10 12:19 x
NHKの衛星放送で放送された際の日本語訳がよくなくて、カットされた部分を補完して、翻訳も改めて公開されたそうですね。
完全悪の帝国とされるナチス政権は映像も多く、他国から色々蔑まされますが、ドイツ人自らが回顧するのがいいですね。
Commented by la_vera_storia at 2008-11-10 22:18 x
京王帝都...最近あまり聞かないですね。単に京王....になったと記憶しますが。あと、そうですね、帝国データバンク、帝国書院、....そんなところでしょうか、思いつくところでは。
Commented by berlinHbf at 2008-11-11 06:30
>焼きそうせいじさん
"Taking Sides"のページ、充実していますね。この映画の感想を書くことがあれば、その時はぜひ紹介させていただきます。落ち着きましたら、そちらからの近況もHPにてお伝えいただけるとうれしいです。
Commented by 通りがかりの人 at 2009-03-06 14:03 x
今日この「帝国オーケストラ」を見て、とても興味を覚えたので、ネットで検索して、このブログで充実した内容コメントに遭遇。芸術家とプロパガンダ協力。ふたりの音楽家の視点の違いが鋭く描かれていたように思います。これから時々、ブログを拝見します。
Commented by berlinHbf at 2009-03-12 20:49
通りがかりの人さん
コメントありがとうございます。
長い時間をかけた割に、伝えたいことがうまく伝えられないもどかしさを感じて書いた文章ですが、興味を持っていただきうれしいです。今後ともよろしくお願いします。

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