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ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


by berlinHbf

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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


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本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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壁のあった時代(中) - メヒティルトさんに聞く(6) -

壁のあった時代(中) - メヒティルトさんに聞く(6) -_e0038811_2393715.jpg
メヒティルトさん所蔵の絵葉書より。左よりジョン・F・ケネディ米大統領、ブラント西ベルリン市長、アデナウアー西独首相(1963年6月26日)

(前回のつづき)

西ベルリン→西ドイツ、手紙、電話

メヒティルト:西ベルリンから西ドイツへ入る際の検問も、年代によって変わったんです。50年代は、トランクを開けて厳密にチェックさせられました。それが徐々に厳しくなくなっていって、70年代のいつだったか、東西間でトランジットに関する協定が結ばれて以来、西ベルリンの人が厳しくチェックされることはなくなりました。もちろん疑いを持たれた人は別だけど、それだけでも私たちは気分的にとても楽になりましたね。

東に手紙を送る場合はどうだったんですか?

メヒティルト:全てではないけれど、やはり手紙もチェックされていました。普通の手紙よりも4日はかかったんじゃないかしら。もちろん東ベルリンには電話することもできませんでした。すでに50年代からそうで、ようやく電話ができるようになったのは壁が壊れてから。本当におかしな話でしょう?先ほどの叔母とも、電話で話すことはできなくなりました。

東ベルリンの叔母、その後・・・

その後、東ベルリンの叔母さんに会う機会はあったんですか?

メヒティルト:壁ができてから2回ほど会いましたが、その後叔母は亡くなりました。65年に死去した時、私たちは葬儀に参列することもできませんでした。それから長い月日が経って1990年、私はある日ふと思ったんです。
「そういえば、叔母のお墓はどこにあるんだろう?」と。
 
私はビースドルフにある墓地の場所を突き止め、そこに向かいました。しかし、叔母が亡くなってから既に25年が経っていて、墓地はすっかり荒れ果て、叔母の墓石もしっかり固定されていないという状態だったんです。私は一旦家に戻ってから、その墓地の管理人に電話して「墓石を持って帰ってもいいですか?」と聞いてみました。そしたら、「どうぞどうぞ!他の方もそうしてくれたらいいのですが」と言われたので、私は再度車でビースドルフに行って、叔母の重い墓石をひとりで持って帰ろうとしたんです。ビースドルフからシャルロッテンブルクのこの家がある場所までは、アレックスで一度方向を帰るのを除けばほぼ一直線の道のりです。帰りの車の中でふと思ったわ。「私はおかしいんじゃないかしら。こんなものを持ち帰って、一体どうしようというの」と(笑)。今、その墓石はアパートの裏庭に置いてあります。数年前うちの猫が死んだ時は、一緒にそこに埋めました。

壁に囲まれた街

メヒティルト:前にもお話したけれど、日曜日になると、私はよく両親に連れられてグルーネヴァルトやシュパンダウの森を散歩しました。両親はよく言っていた。「(壁を越えて)このもっと先に行けたら、どんなにいいだろう・・・」と。でも私は特にそう思わなかった。この先がどうなっているかよく知らなかったし、それが普通だと思っていたから。

西ベルリンは周りが壁に囲まれていたわけですが、生活に息苦しさのようなものはありましたか?

メヒティルト:いえ、特になかったわね。この地域はイギリス領だったから、家の裏手の大通りを戦車が通ったりして、それはあまり気分のいいものではなかったし、グルーネヴァルトの森では軍の演習が行われていたりもしたけれど、それ以外は全く普通の生活でした。

1960年代の西ベルリン

60年代でとりわけ印象的に残っている政治的な出来事を、いくつか挙げていただけませんか?

メヒティルト:それはなんといってもジョン・F・ケネディがベルリンに来た時のことね。1963年の6月だったかしら。その日は学校がお休みになったのよ。

ケネディが来るというだけで!?

メヒティルト:そう。とにかく、街のあらゆる人が外に出ているという感じでした。今でも当時の様子を写真で見られるけど、いったいどれだけの人が通りに立っていたか、全く想像もできないほどだった。

壁のあった時代(中) - メヒティルトさんに聞く(6) -_e0038811_0112978.jpg
(Photo: JFK Library & Museum)

有名な演説を残したシェーネベルク市庁舎前の様子は見たことがありますが。

メヒティルト:とにかく彼が行く先々がそんな感じでした。

その時メヒティルトさんはどこにいらっしゃったんですか?

メヒティルト:コングレス・ハレ(現「世界文化の家」)の前で学校の友達何人かとケネディが通り過ぎるのを待っていたわ。するとケネディ、ブラント、アデナウアーの3人を乗せたオープンカーが通り過ぎ、その様子を見ることができました。とてもうれしかった!

へぇー!

壁のあった時代(中) - メヒティルトさんに聞く(6) -_e0038811_23561511.jpg

メヒティルト:その数年後、今度はイギリスのエリザベス女王が初めて西ベルリンを訪れました。65年だったかしら。その時も街に繰り出しました。あとロバート・ケネディがベルリンを訪問した時も、見に行きましたね。もちろん、ジョン・F・ケネディの時ほどの騒ぎではなかったけれど。

壁のあった時代(中) - メヒティルトさんに聞く(6) -_e0038811_23523470.jpg
メヒティルト:それから私が特に感激したのは、プロテスタント教会主催のイベントにアメリカのキング牧師が参加して、ヴァルトビューネで口演した時のことね。64年頃だったかしら。私はとにかくキング牧師の話にとても感動して、その後彼の著作を買って読んだりもしました。

壁のあった時代(中) - メヒティルトさんに聞く(6) -_e0038811_0183367.jpg
メヒティルト:他にはそうね、モーリス・ベジャールと彼のバレエのカンパニーがベルリンで公演を行い、両親と一緒に観に行ったことがあります。ドイツ・ハレという6千人ぐらい収容できる大ホールでベートーヴェンの第9の生演奏に合わせて踊ったんですが、それはすばらしかったわ。


私が関心を示したのに気付いたのか、メヒティルトさんは部屋の奥から古い箱を持って来てくれた。そこには、60年代に彼女が体験したコンサートやオペラのプログラムやパンフレットなどがぎっしりつまっていた。

(つづく)

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by berlinHbf | 2007-03-14 16:32 | ベルリンの人々 | Comments(15)
Commented by la_vera_storia at 2007-03-15 10:13 x
壁構築後の60年代のベルリンといえば、なんといっても前半はこのケネディ米大統領の西ベルリン訪問、後半は大学紛争と左翼運動のことでしょうか。ケネディの演説、確か
“All free men, wherever they may live, are citizens of Berlin, and, therefore, as a free man, I take pride in the words 'Ich bin ein Berliner!’”で締めくくったのでしたっけ。数年前にアルノンクールがウィーンフィルを指揮した演奏会をフィルハーモニーで聴きましたが、アルノンクールが聴衆に向かって「私もベルリン市民だ(ベルリン生まれだ)!」と言うと、満員の会場は大喝采でした。あきらかにケネディの演説をもじった発言にベルリンの聴衆がすばやく反応したのが印象的でしたね。
Commented by la_vera_storia at 2007-03-15 10:13 x
東西ベルリン間の電話通話ですが、メヒティルトさんのお話を正確に言い直しますと、東西ベルリン間の直接回線による通話は通常は不可能だったということです。しかし厳密に言えば可能な方法はありました。西ベルリンから複数の国を経由する方法です。私の場合ですと、たとえばAT&Tなどの米通信会社の当時の米居住者限定のアカウントカードを入手しておき、西ベルリンからアメリカ、デンマーク(あるいはオーストリア)のオペレーターを介して東ベルリンに直接電話するという方法でした。これも、うまく繋がらないケースも幾度もありましたけれどね。この方法、通話料金は非常に高いものになりました。
Commented by la_vera_storia at 2007-03-15 10:14 x
私の話したかった相手の方(Mさん)の東ベルリンの住居には電話がありませんでしたので、Mさんの友人宅に電話してメッセージを伝えるという方法をとりました。Mさんは西ベルリンの私からのメッセージを聞くために公衆電話を利用して友人宅に電話したということです。そしてそのMさんがいつも利用していたのが、前に写真をご紹介したあのワルシャワ通りの、まさにあの電話ボックスだったわけです。

なんだか今夜は眠れなくなってしまいました(笑)。
Commented by la_vera_storia at 2007-03-15 12:06 x
申し訳ありません、とうとう完全に不眠症状態ですよ(笑)!

ケネディのスピーチ、以下で聞けます。
http://www.historicaldocuments.com/JohnFKennedyBerlinSpeech.htm

レーガン大統領が後年(87年)にブランデンブルク門の前で演説した内容は以下ですね。
http://www.reaganfoundation.org/reagan/speeches/wall.asp
Commented by Shuji Kamano at 2007-03-16 00:30 x
壁のあった時代のベルリンの交通について,勉強しました.間違いがあると思います.どうぞ直してください.私の本「ヨーロッパ鉄道の旅ーインターネットガイド」にもベルリンの交通に関する一章を設けました.
Commented by berlinHbf at 2007-03-16 08:22
>Kamanoさん
Kamanoさんの本のベルリンに関する章、よく書かれていると思いました。ちなみに、P126の「何処で撮ったかは覚えていない」と記されていた左下の写真は、Martin-Gropius-Bauです。当時は本当に廃屋だったのですね。
Commented by berlinHbf at 2007-03-16 08:47
>la_vera_storiaさん
ワルシャワ通りのあの電話ボックスに、こういう思い出がおありだったのですね。大変感慨深く読ませていただきました。それにしてもこういう方法で、東ベルリンに電話する方法があったとは驚きです。それでもなおMさんとは直接会話することができなかったとは!なんというか、政治体制を越えたところにある、人と人との絆を感じずにはいられないエピソードでした。

ケネディの演説は、映像でも見ることができますね。
引用してくださった最後の部分は、思わず何度も口ずさんでしまいました。
http://www.youtube.com/watch?v=hH6nQhss4Yc&mode=related&search=
Commented by la_vera_storia at 2007-03-16 10:07 x
一応、「名目上」は東西ベルリン間の電話回線は機能している形ではあったようです。多分ウルブリヒト政権退場後のことでしょう。現実に、ミッテにあった日本企業の駐在員事務所などは東西ベルリン間の連絡は行っていました。しかし、私の場合は西ベルリンから何度通話をトライしてもまったく駄目でした。多分メヒティルトさんも私と同様だったのでしょうね。私は、埒があかないので、やけくそになって「第3国経由」をやってみたら簡単に成功し、その後はそれしかやらなくなったというわけです。 西→東、東→西、それぞれいろんなケースがあったということでしょう。電話の件、今となっては霧の彼方の「東ベルリン」ということでしょうかね(笑)。

*(若干修正しての再投稿です。)
Commented by shuji Kamano at 2007-03-17 07:53 x
Masatoさん.有り難うございます.Martin-Gropius-Bauは今再生されているのでしょうか.何処にあるのでしょうか.ベルリンのホテルで比較的年を取った人に訊いてみたけど分かりませんでした.今 The good German を読んでいますが,東京からは想像できないほどの状態だったことが分かります.
Commented by berlinHbf at 2007-03-17 09:02
>la_vera_storiaさん
「第3国経由」で東ベルリンにかける方法というのは、la_vera_storiaさん自ら見つけ出した手段だったのですね。その執念というかガッツには、本当に頭の下がる思いです。こういう今だからこそ話せるというエピソードを、また聞かせていただけるとうれしいです。
Commented by berlinHbf at 2007-03-17 09:07
>Kamanoさん
Martin-Gropius-Bauは今は主に展覧会の会場として使われていますね。ポツダム広場から近い、Niederkirchnerstrasseにあります。
http://www.berlin-tourist-information.de/cgi-bin/sehenswertes.pl?id=13821

"The good German"は私もぜひ読んでみたいです!
Commented by Shuji Kamano at 2007-03-18 00:14 x
地図で見付けることが出来ました.まさに壁際だったのですね.有り難うございます.
Commented by berlinHbf at 2007-03-18 09:47
>Kamanoさん
それはよかったです。今度ベルリンにいらっしゃる機会があったら、ぜひこの周辺を歩かれてはどうでしょう。ちなみにMartin-Gropius-Bauの隣は、昔ゲシュタポの本部だったところで、数年後に記念センターができることになっています。
Commented by 焼きそうせいじ at 2007-03-19 01:04 x
東西ベルリンの電話ですが、1980年代後半にはダイヤルを回して直接かける方法で、かなりよく通じていました。とくに西の家庭から東の家庭はほぼ確実にかかりました。が、東の一般家庭から西は時間帯を選ばないと通じなかったようです。そのために、ときどき電報をもらいました。私が西ベルリンを引き払う前の晩、かなり遅くなって東から一本かかってきたのを覚えています。

Commented by berlinHbf at 2007-03-26 09:18
>焼きそうせいじさん
東西間の電話の通じ方も、時期によっていろいろあったということがわかりました。条件付きとはいえ、東の家庭からでも西に通じていたとは。そして電報!あのシステムは今でもあるのでしょうかね。

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