ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

Amazonにてネット購入ができます。



『街歩きのドイツ語 』
¥1,575
三修社

豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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世界遺産になったファーグス工場の写真展

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南東から見たファーグス工場。1928年、アルベルト・レンガー=パッチュ撮影
©Albert Renger-Patzsch Archiv – Ann und Jürgen Wilde, Zülpich / VG Bild-Kunst Bonn 2011, Bauhaus-Archiv Berlin


この6月、日本の平泉と小笠原諸島が世界遺産に登録されて話題になりましたが、ドイツでも3カ所が新たに世界遺産入りを果たしました。その1つ、今回ご紹介するファーグス工場(Fagus-Werk)は、ニーダーザクセン州アルフェルトにある靴型製造工場。今からちょうど100年前の1911年、後にバウハウスを創設する建築家ヴァルター・グロピウスが、アドルフ・マイヤーと共に設計した画期的な建造物です。

現在、ベルリンのバウハウス資料館でファーグス工場を主題にした写真展「モダンへの視線」が開催されています。展示の中心をなしているのは、新即物主義の代表的な写真家、アルベルト・レンガー=パッチュが1928年と52年に撮影したファーグス工場のモノクロ写真です。

初めて見たファーグス工場の外観に、私はすぐに魅了されました。まず目を引くのは、建物のほぼ一面を覆うガラスと鉄骨の構造です。それまでの常識ならば、柱が置かれるべき角の部分にも、大きなガラスがはめ込まれ、当時主流だったレンガ造りの建物にはない軽さと透明性を生み出すことに成功しています。この建物が、「モダン建築のスタート地点」と言われる所以です。

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ファーグス工場正面(Wikipediaより拝借)

Fagusとは、ラテン語で「ブナの木」を意味する言葉。当時ブナの木は靴型の材料として重宝されたことから、その名が付けられました。ファーグスの創設者カール・ベンシャイトは福祉政策や労働者の扶助にも先見の明を持っていた人物で、彼が当時弱冠27歳のグロピウスに新しい工場の設計を依頼したことに、何か運命的な結び付きを感じます。

工場だけでなく、人物、靴型、周辺の風景などの写真も展示されており、撮影者の冷静な視線の中にも、単なる記録写真を越えた美を感じました。

ファーグス工場では、現在も4世代にわたって靴型が作られ続けており、展覧会で上映中のドキュメンタリー映像が今の様子を伝えてくれます。ある靴職人がインタビューの中で、「常に光が入るように設計されたこの工房の中で作業をしていると、自分が労働者というよりは、芸術家だと感じることができる」と話していたのが印象的でした。

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カラフルなバウハウス資料館の入り口。毎週火曜日は閉館

バウハウス資料館では最近、日本語のオーディオガイドが貸し出されるようになり、日本人にも鑑賞しやすくなりました。内容豊富な常設展も含めて、この夏お勧めの展覧会です(8月29日まで開催)。www.bauhaus.de
ドイツニュースダイジェスト 8月5日)

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by berlinHbf | 2011-08-03 17:45 | ドイツ全般 | Comments(0)

日本大使館の献花コーナーにて

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昨日(15日)の夕方、日本大使館の横を通ったら、入り口付近に臨時の献花コーナーが設置され、そこには一面花がぎっしり飾られていました。

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どんな人々がメッセージを寄せているのだろうとたまたま目に入った書面を見たところ、私も何度か行ったことのあるポツダム広場近くの中華料理屋さん一同からでした。日本大使館の隣のイタリア大使館からの献花も置かれていました。

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でも、一般の人の姿も頻繁に見られます。じっと献花コーナーを眺めている人や、このように車でやって来ては花束を置いていくカップルにも出会いました。その前日にはドイツのヴルフ大統領も日本大使館を訪れたそうです。


東日本大震災:各国首脳らメッセージ 独大統領「全力で日本を支援」

【ベルリン小谷守彦】ドイツのウルフ大統領は14日、震災犠牲者に弔意を示すため、在ベルリン日本大使館を訪れた。大使館職員約40人を前に、大統領は「深刻な自然災害と闘うため、ドイツは全力で日本を支援する」と語り、専門家の被災地入りや募金を呼び掛けることを約束した。ウルフ大統領は記者団に「ドイツという友がいることを忘れないでほしい」とも述べた。

毎日新聞 2011年3月16日 東京朝刊

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この数日で、私のところにもドイツの知人友人から心温まる見舞いのメッセージをいくつもいただきました。ネットやテレビでの報道を見ると、毎日本当に気が気でないですが、今はここでできることをしっかりやろうと思います。

ベルリンの独日協会でも義援金の受付を始めたそうです(詳細はこちらより)。その中に、「特に仙台地区の人々に煩雑な手続きを経ることなく直接的な支援をできると考えています」とあります。ドイツ在住の方で義援金の送付を考えている方は、検討されてもいいかもしれません。

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by berlinHbf | 2011-03-16 23:57 | ドイツから見た日本 | Comments(0)

ティーアガルテンの「迷宮」にさまよう

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Tiergarten(2009年1月6日)

ある都市で道が分からないということは、大したことではない。だが、森のなかで道に迷うように都市のなかで道に迷うには、習練を要する。この場合、通りの名が、枯れ枝がポキッと折れるあの音のように、迷い歩く者に語りかけてこなくてはならないし、旧都市部の小路は彼に、山あいの谷筋のようにはっきりと、一日の時の移ろいを映し出してくれるものでなければならない。この技術を私が習得したのは、ずっとのちのことである。

ヴァルター・ベンヤミンの「1900年頃のベルリンの幼年時代」の「ティーアガルテン」の章はこのように始まる(「ベンヤミン・コレクション③記憶への旅」ちくま学芸文庫より引用)。

私がこの本に出会ったのは、2001年の春だったと思う。ベンヤミンに詳しい方から、当時私が住んでいたアパートがベンヤミンが幼年期に住んでいた場所と非常に近い距離にあって、当時のその界隈の様子が描かれていることを教えてもらい、これはぜひ読んでみなければと思ったのだった。私がベルリンで最初に住んだアパートの濃密な思い出とベンヤミンの祖母の家との関連性については、以前書いたことがある。

関連記事:
ベルリン生活は家探しから(3) -100年前のアパート- (2005-11-14)
ベルリン生活は家探しから(4) -歴史との接点-
ベルリン生活は家探しから(5) -ベンヤミンとベルリン-
ベルリン生活は家探しから(6) -「生き残った」アパート-

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高度に詩的で難解な部分もあるこのエッセーだが、冒頭に引用した「ティーアガルテン」の最初の文章は出会った時から好きで、特に「森のなかで道に迷うように都市の中で道に迷う」という感性に惹かれた。その後の文章をいくつか引用してみよう。
そこに至る道はベンドラー橋を渡っていくもので、やわらかに反ったこの橋の昇りが、私にとってはじめて体験する丘の斜面になった。そのたもとからほど遠からぬところに、目指すものがあった。フリードリヒ・ヴィルヘルムの像と、ルイーゼ王妃の像である。円形の台座のうえに聳え立つ彼らは、ひと筋の水の流れがその足許の砂地に描いている魔法の曲線によって呪縛されているかのように、花壇のあいだから姿を覗かせていた。
ベンヤミンがたどったのと全く同じ道を通って、初めてルイーゼ王妃の像の前にたどり着いた時は感動したものだ。また、アパートから徒歩5分の距離にこれだけ静かで心休まる場所があることにも驚いた。

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けれども私は、この王侯たちに目をやるよりも、その台座を見ることの方が好きだった。台座に描かれているもののほうが、その意味関連はよく分からなかったにしろ、空間的に身近だったからである。
「ベンヤミン・コレクション③記憶への旅」の充実した注によると、この台座側面のレリーフは対ナポレオン解放戦争時の「婦人の働き」を描いたものだそう。

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この迷宮には何かしら重要なものが潜んでいることを、前々から私は像の前広場に感じ取っていた。それはとりとめのない、ごくありふれた広場で、秘密をそっと漏らしているものはそこには何もなかったが、辻馬車や儀装馬車の行き交う大通りからわずかしか離れていないここにこそ、この公園の最も不可思議な部分が眠っているのだ。
ルイーゼ像の前の広場は、初夏になると花々が咲き乱れる非常に美しい庭園なのだが、冬場のこの日はご覧の通り。小さな川の向こうに、フリードリヒ・ヴィルヘルムの像が立っている。

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ティーアガルテンの中をしばらくさまよっていると、マタイ教会(写真奥)のお昼の鐘が白銀の風景の中に溶け込んできた。ベンヤミンのエッセーにも描かれているこの教会の遥かなる響きを聞いていると、どこかしら遠い過去と対話しているような、そんな気分になった。

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by berlinHbf | 2009-01-12 23:56 | ベルリン発掘(西) | Comments(8)

白銀のティーアガルテン

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一体どこの雪山かと思われたかもしれませんが、れっきとしたベルリンの中心部の風景です。数日前からベルリンは猛烈な寒波に襲われていて、昨日がそのピーク。日中でも零下15度、夜は20度近くまで下がったのではないでしょうか。これほどの寒さを味わうのは、個人的には3年前の1月以来で(その時の記事)、さすがにもう参っています(しかもこんな時に限ってアパートのシャワーの調子が悪く、明日は大家さんに訴えなければ。トホホ・・・)。

冒頭の写真は、200番のバスに乗っている時、目に入ったティーアガルテンの風景です。寒そう!と思いつつも、都心のど真ん中のこの公園の中を歩いてみたい欲求に駆られ、たまたま時間のあった午後散策することにしました。

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庭園内の池は完全凍結。今頃ヴァンゼーの湖も凍っているのではないかしら。

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手袋をしていても、15分歩けば痺れを感じる寒さでしたが、快晴の雪原の中を歩く気分はいいものでした。

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散歩している人もちらほらいます。

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Bellevuealleeにて。この道をひたすら真っ直ぐ歩くと、べレビュー宮殿にぶつかる。

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フィルハーモニーの室内楽ホールを奥に。今度、この日も訪れたティーアガルテン内にある私のお気に入りの場所を紹介したいと思っています。

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by berlinHbf | 2009-01-07 01:20 | ベルリン発掘(西) | Comments(8)

Shell-Hausのモダニズム

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Shell-Hausにて(9月2日)

今日は私が好きなベルリンの建築を一つご紹介しましょう。
新ナショナルギャラリーからラントヴェーア運河(Landwehkanal)に沿って歩くと2分ほどで見えてきます。もともとはシェル・コンツェルンが建てたShell-Hausと呼ばれるこの商業ビル、段々状のカーブのうねりが実に印象的です。

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新ナショナルギャラリー方面を望む。

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そしてこちらは反対から。

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現在はエネルギー供給会社のGASAGが使用しているこのShell-Hausですが、最近の建築かと思いきや、実は建てられたのは1930年から32年にかけてというから驚きます。設計はエミール・ファーレンカンプ(Emil Fahrenkamp)。ワイマール共和国時代の傑作の一つで、現在は文化財に指定されています。

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by berlinHbf | 2006-09-29 11:40 | ベルリン発掘(西) | Comments(7)

天使の降りた場所(4) - 戦勝記念塔 -

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Siegessäule(9月5日)

おお こんがりと焼きあがった凱旋記念塔よ
幼き日々の 冬の砂糖をまぶされて。
ヴァルター・ベンヤミン「1900年頃のベルリンの幼年時代」より

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映画「ベルリン・天使の詩」では、中年の天使が戦勝記念塔の女神像に腰掛けて、ベルリンの街を眺めるシーンが繰り返し出てくる。それはこの映画の顔ともいえるほどよく知られたシーンだろう。

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戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)は、対オーストリア、デンマーク、フランス戦争の勝利の記念として1871年に建てられた。実はこの塔、当初は現在の連邦議会議事堂前の広場に建っていた。1938年、この巨大な塔をティーアガルテンのど真ん中に移させたのは、ヒトラーの命を受けてかの「ゲルマニア」計画に着工した若き建築家、アルベルト・シュペーア(Albert Speer)だった。

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このシリーズを始めるにあたり、映画の中で印象的なシーンを演じている戦勝記念塔はやはり外せないということで、先日私は約5年ぶりにこの塔に上って来た。汗をかきながら285段の階段を上っている最中は、自分のブログのために別に足腰を鍛えなくてもと半ば自嘲気味だったが(笑)、てっぺんからの眺めはそんな気分も吹っ飛ぶほどのものだった。やはり久々に来てよかった。

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1986年、天使ダミアンは戦勝記念塔からこういう風景を眺めていた。

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2006年の私はこういう風景を眺めている。
手前から延びているのは6月17日通り。その終着点にあるブランデンブルク門、テレビ塔、その左のビルは昔と変わらず。その横の連邦議会議事堂はてっぺんにドームが付いた。さらにその左、パウル・ローベ議員会館、首相官邸、シュプレー川を渡ったところに見えるベルリン中央駅と、この地区の変貌ぶりは著しい。一方で、今も昔も変わらずにあるティーアガルテンの緑の豊かさは目を和ませてくれる。

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時計回りに眺めてみよう。まずこちらはポツダム広場方面。画面のほぼど真ん中、黄金に輝いている横長の建物は前回お話した国立図書館。その左にサーカス屋根のフィルハーモニー、ソニーセンター、ポツダム広場の高層ビル群などが見える。20年前にはありえなかった風景だ。

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動物園(ツォー)方面を望む。一番高いビルはヨーロッパセンター。その右隣にちょこんと出っ張っているのが、先日ご紹介したカイザー・ヴィルヘルム記念教会。

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完全な逆光になってしまったが、こちらが6月17日通りの西側になる。この通りをひたすら真っ直ぐ行くとオリンピック・スタジアムが見えてくる。画面中央のやや左寄りに、先日出てきた放送塔がかすかに見えるのだがおわかりいただけるだろうか。そしてその隣の丘のような地形。これは戦争の瓦礫で作り上げた人口の山、Teufelsberg(「悪魔の山」)だ(こちらでご紹介しました)。

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その右、ハンザ地区を望む。森の向こうには、1950年代にアルヴァ・アアルトやマルティン・グロピウスらが設計した実験的な集合住宅群が見える。

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さらに目を移すと画面ほぼ中央に見えるのは、いつかご紹介したべレビュー宮殿。手前の円形の建物は、新しい連邦大統領府。

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女神ヴィクトリアには、これからもずっとベルリンを見守っていただきたい。


Siegessäule
夏季オープン時間 (1.4.-31.10.):
Mo-Do 9.30-18.30 Uhr, Fr-So 9.30-19.00 Uhr
冬季オープン時間 (1.11.-30.3.):
Mo-Do 9.30-17.30 Uhr, Fr-So 9.30-18.00 Uhr
Tel. 391 29 61

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by berlinHbf | 2006-09-09 17:37 | ベルリン天使の降りた場所 | Comments(4)

天使の降りた場所(3) - ベルリン国立図書館 -

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Staatsbibliothek zu Berlin(9月4日)

「ベルリン・天使の詩」を見て、図書館のシーンを覚えていない人はいないと思う。荘厳な雰囲気と神秘的な音楽によって、「ベルリン・天使の詩」という映画に一種独自の効果を与えていた。

今回はその舞台、ポツダマー・シュトラーセにある国立図書館を取り上げてみよう。私がこの図書館の中に入るのは久々だった。といっても今回は勉強目的ではなく、どちらかというと不純な動機によるものだから、怪しまれないように細心の注意を払いつつ(笑)中に入る。

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ベルリン国立図書館はハンス・シャロウンによって設計され、1978年にオープンした。シャロウンはこのすぐ向かいに建っているフィルハーモニーを設計をした人でもあるゆえ、内部の雰囲気や柱や階段の作りなど、フィルハーモニーと非常によく似ている。私が初めてベルリンに来た時のことだが、運河沿いの通りを歩いていて黄金色に輝くこの図書館が遠くから視界に入った瞬間、あれこそがフィルハーモニーに違いないと勝手に思い込んだものだ。ウンター・デン・リンデンにあるもう一つの国立図書館と並んで、ベルリンの人には"Stabi"(シュタービ)の愛称で親しまれている。

ここからのカットは、「ベルリン・天使の詩」の後半、天使たちがたむろう図書館の夜のシーンで出てくる。あのシーンは神秘的でちょっとこわかったけれど。

図書館の中は、当然ながらというべきか、20年前と基本的に何も変わっていなかった。撮影に使われた場所も比較的簡単に見つかり、それらのシーンの雰囲気に浸ることができた。

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天使ダミアン(ブルーノ・ガンツ)とカシエル(オットー・ザンダー)は人々の声に耳を傾けるべく、国立図書館に現れる。というよりも、天使たちはこの図書館を住処にしているという設定らしい。いろいろな天使が出てくる。

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国立図書館はもともとヴェンダースのお気に入りで、この中で撮影することを前提に映画のコンセプトを考えていたらしい。ところが、撮影許可がどうしても下りない。とうとうベルリン市長まで介入した結果、閉館日である日曜日に撮影できることになったのだとか。「毎週日曜日に撮った、この図書館でのシーンは忘れられない」と、ヴェンダースと映画の脚本を書いたペーター・ハントケは語る。

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机に向かう人々の様子を覗き込むこのおっさんも、実は天使。

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ほぼ同じ場所から。

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この手すりに手をかけて、瞑想に浸るダミアンの表情が実に印象的だった。

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数年前、私の古くからの友達で、やはり「ベルリン・天使の詩」が好きな友達(かなりの読書家)がベルリンを訪ねてきたことがあった。彼がこの図書館の中を見学した後、ため息混じりに私に言ったことを思い出す。

「こんな場所でベンヤミンやゲーテを読んだら最高だろうなあ」

同じようなことはヴェンダース自身も語っている。

「本を借りるためだけに図書館に駆け込むということがよくあるが、この図書館ではゆっくり座って本を読みたいと思うことができる。本を愛する者によって設計されたすばらしい建築だ」

私のブログもこの中で書いたら、また違ったものが生まれるかもしれない。
なんて・・

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これはダミアンと詩人ホメロスがすれ違う階段。

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詩人ホメロス(クルト・ボイス)はここに腰掛けて、人生について語る。クルト・ボイスは名脇役だった俳優で、1941年の映画「カサブランカ」にもわずか10秒ほどだが登場するらしい。「この映画を撮影した時、クルトは90歳を超えていた」とヴェンダースは語るが、1901年生まれらしいので、これはおそらく間違いだろう。クルト・ボイスは1991年にベルリンで亡くなっている。この人については、ポツダム広場のところでまた触れることになるだろう。

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それにしても何と絵になる空間だろうか。机に向かっている一人一人が俳優に見えてきてしまうほどだ。この図書館がヴェンダースの想像力を刺激したのも納得できる。

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図書館の外に出ると美しい夕暮れが広がっていた。正面の建物はマタイ教会。

Staatsbibliothek (Haus Potsdamer Straße)
Mo-Fr 9-21 Uhr
Sa 9-19 Uhr
1ヶ月パス 10 EUR, 年間パス 25 EUR
昔は1日券もありましたが、去年なくなってしまったようです。

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by berlinHbf | 2006-09-07 15:09 | ベルリン天使の降りた場所 | Comments(12)

首相官邸訪問!

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Bundeskanzleramtにて(8月26日)

例年8月最後の週末、ベルリンではドイツ政府主催の"Tag der offenen Tür"というイベントが行われます。これは、普段は入れない連邦首相府や外務省などの主要省庁ほぼ全てを一般に公開するというものです。"Tag der offenen Tür"とは「扉が開かれる日」という意味ですが、ベルリンにはこの名前のイベントがかなり多くて、このブログでもこれまでいくつかご紹介してきました。例えば、「べルビュー宮殿へようこそ」、「ティーアガルテン・トンネルツアー」、音楽関係で「フィルハーモニーの音楽の日」などです。その他にも例えば、ベルリン中にある各国の大使館を公開する日なんてのも毎年春にあります。

私が見てきた中で、これらのイベントの多くに共通しているのが、1.入場無料で、市民が気楽に参加できること(それだけに多くの人が押し寄せるので並ぶことも多いが)。2.単に中を見せるというのではなくて、屋台が並んでいたり、コンサートが行われたり、ディスカッションの場が設けられていたりと内容が充実していて、かつお祭り気分でも楽しめる。3.大人だけでなく、子供も楽しめる工夫がこらされていることが多い。

などが挙げられます。今回の役所の公開日もその例外ではなく、私が訪れた土曜日の夕方も大いに賑わっていました。

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さて、今回公開された数ある連邦関係の役所の中でも、やはり一番人気は連邦首相府(Bundeskanzleramt)。国の最高権力者の館の中は一体どうなっているのか、一度中を覘いてみたいと思う人は少なくないはずです。案の定、官邸前にはすごい行列ができていましたが、建物が大きいためべレビュー宮殿の時ほどは並ばずに済みました。それでも1時間近くは待ったか。今日日曜日の14時からは、メルケル首相がここにやって来て市民からの質問に直接答える機会が設けられることで、より混雑が予想されるため、私は昨日行って来たというわけです。

この斬新な首相官邸はAxel Schultesの設計によるもので、完成は2001年。外観から想像がつくように、愛称は「洗濯機」です(笑)。

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入り口付近に何やら人だかりができていますね。
実はここには、首相らが乗る車、護衛のバイクなどが展示されているのでした。

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連邦首相府ご用達の車はメルセデスではなく、アウディでした。中も自由に覗き込むことができ、その傍には実際に現場で働いている人たちが立っていて、質問などにも気楽に応じてくれます。

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外国の首脳が公式訪問をする際は、ここでアンゲラ・メルケル首相に迎えられ、赤じゅうたんの上をまたいで中に入るわけです。では、早速中へ!

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明るく、とてもオープンな雰囲気のエントランスホール。

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1階フロアの一角に、外国の国王や首脳から贈られた品々などが展示されています。

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その中でも私が一番感動したのはこれ。ヴィリー・ブラント首相が1971年に受賞したノーベル平和賞の賞状。本物です。ただし意外なほど簡素。ノーベル賞といえども、こうして見ると紙切れですね^^;)。ノーベル平和賞の選考はノルウェー国会が行うので、文学賞などのようにスウェーデン語ではなくノルウェー語で記されています。

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Markus Lüpertz作の彫像"Philosophin"を横目に、2階へ上がります。

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さてこちらが2階。手前のソファーの座り心地は最高でした^^)。奥には、アデナウアーからコールに至る(シュレーダーのものはまだない)戦後ドイツの歴代の首相の肖像画が掲げられています。

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これが先ほどのヴィリー・ブラント(1913-1992)。ベルリン市長の在任中にベルリンの壁が建設され、1969年に首相になってからはいわゆる「東方外交」でロシアや東ドイツなどとの関係改善に努めました。壁崩壊とドイツの再統一を見届けてから1992年に死去。ベルリンとの関係も強く、その功績を称えてか、現在の連邦首相府のアドレスはこうなっています。

Bundeskanzleramt
Willy-Brandt-Str.1, 10557 Berlin

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さてこれも2階ですが、中央に円形の物体がありますね。あの中には何があるのでしょう?

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これは国際会議室で、EUの首脳会談などもここで行われるようです。画面奥のほぼ真ん中にドイツの旗が見えます。

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国際会議室を出てすぐ、この場所に見覚えのある方は多いのでは?首相がマスコミへの会見を行う場所で、首脳会談直後の共同記者会見などが行われるのもここです。

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その隣には同時通訳用のブースがあります。

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中にはこんな和み系のスペースもあったり。

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さて、入り口とは反対側の建物の外に出ると、広大な芝生が広がっています。

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そばを流れるシュプレー川を越えた向こう側まで、首相府が所有する広大な公園になっているのです。さすが。この細い橋を渡って向こう岸に行きます。

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手前のモルトケ橋をバックに、ここから眺めるベルリン中央駅もいいものでした。

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18時からは、この公園の一角でベルリン・ドイツ交響楽団の野外コンサートが始まりました。周りには屋台や子供用のテントが張ってあって、お祭り気分なのですが、あいにくの天気だったのが残念。

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小雨がちらついてきたので、オール・モーツァルトプログラムの前半だけを聴いて出て来ましたが、首相官邸の内部や雰囲気がよくわかり、とっても得した気分になって帰って来ました。また、こういうことを毎年実行するドイツ政府のオープンさにも好感を抱いた次第です。

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by berlinHbf | 2006-08-27 17:14 | ベルリンのいま | Comments(8)

ティーアガルテン・トンネル・ツアー!

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ティーアガルテン(Tiergarten)を南北に結ぶ自動車専用のトンネル(Tiergartentunnel)が、先月26日に開通した。着工から10年、町の中にあるトンネルとしてはドイツで最長(といっても全長2,4キロ)だそう。その一週間前の日曜日、トンネルの一般公開が行われたので、今回はその様子をお届けしたいと思う。前にも言った通り、ベルリーナーはこういう無料のイベントが大好き。今回は、今後歩くチャンスはもうないであろう自動車専用のトンネルが舞台ということもあって、大勢の人々が押し寄せた。

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集合場所はソニーセンターのすぐ裏手にあるケンペル広場(Kemperplatz)。屋台も並び、ほとんどお祭りのような雰囲気だ。

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さて、それでは早速もぐってみよう。

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トンネルは一度入ってしまうと、風景が変わることはないのだが、開通前ということもあって、これがなかなか楽しい。この日、何と7万人ものベルリーナーがこの下をくぐったとのこと。私が訪れたのは夕方だったが、昼間はすごい人だかりだったそうだ。このように、犬の散歩を兼ねてやって来ている人もちらほら見かけた。

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車椅子でやって来る人。

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カップルももちろんいれば、

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こんなところでパンを売っている人まで・・

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そして何といっても子供連れが多い。ベビーカーを押しながらあちこち出歩くのは、こちらでは普通のこと。

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所々でこのような張り紙を見かける。これはこの上に首相官邸(Bundeskanzleramt)の建物があるということを意味する。この日は、緊急時の脱出用出口も公開されていたらしい。

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工事の経緯やトンネル内の最新の設備などが、パネルを使って解説されている。

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かれこれ2キロ近く歩いて来て、「出口はまだかなあ」と思い始めた頃、右に大きく旋回すると、

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やがて地上への出口が見えてきた!
さて、ここはどこでしょう?

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この真新しい建物に見覚えがありませんか?実は、ベルリン中央駅の北側が出口なのです。

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後ろを振り返ってみるとこんな感じ。トンネルと駅の隙間に見える奥の建物が、今くぐってきた首相官邸です。

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道路の他に、中央駅を通ってティーアガルテンを南北に結ぶ鉄道もいよいよ来月開通する。5月27日には、この南北線を無料で体験できるとのこと。多くのベルリーナーがまた押し寄せるのだろう。その中に私も混じっていることはほぼ間違いないが。

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by berlinHbf | 2006-04-11 13:53 | ベルリンのいま | Comments(3)

ベルリン生活は家探しから(6) -「生き残った」アパート-

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(前回のつづき)
ヴァルター・ベンヤミンの「1900年頃のベルリンの幼年時代」の中の「ブルーメスホーフ12番地」。その後半では、ベンヤミンのおばあちゃん宅でのクリスマスの様子が描かれている。盛大な食事やプレゼント交換といったあたたかい情景の後、最後はこのように終わる。

この日、祖母の住まいに来てから、もう何時間も経っていた。それから、しっかり包まれ紐をかけられた贈り物を腕に、私たちが夕暮れの路上に出ると、建物の入り口のまえに辻馬車が待っていて、雪は軒蛇腹や格子垣のうえでは誰にも触れられぬままに白く、舗石の上ではいくらか汚れて積もり、リュッツォ岸通りからそりの鈴の音が響き来たり、そして、ひとつまたひとつと点っていくガス灯が、点灯夫の足取りをこっそり教え、甘美な祝祭日の宵にも点灯夫は点灯竿を肩にかつがねばならなかった、この夕暮れどき―そのとき街は己れ自信のうちに深く沈潜していた。私と私の幸福を包んでずっしりと重くなった袋のように。

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この運河沿いの道を幾度となく歩いた私には、ここに描かれている甘美な情景を思い浮かべるのはそれほど難しいことではない。20世紀初頭、ティーアガルテン南側のこの界隈では、裕福な市民(ブルジョワ)の生活がまだ平和に営まれていたのだった(写真は現在のリュッツォ岸通り)。

ところで、Berliner Stadtplanarchivというサイトでは、1906年当時のベルリンの地図をネット上で見ることができる(ベルリンの年代別の地図をつぶさに観察できる、このすばらしいサイトを教えてくださったla_vera_storiaさんに感謝!)。もしご興味があったら、こちらをご覧いただきたい。
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ここにコピーするのはその一部分だけだが、ベンヤミンの祖母の家があったブルーメスホーフ(Blumesh.)をはっきり確認することができる。その右隣にエリザベート病院という大きな病院があるが、私が住んでいたアパートは、"Elisabeth Krankenh."と書かれた中の、ほぼ"s"の位置の中庭(Hof)にある。ブルーメスホーフとは、まさに目と鼻の距離ということがおわかりいただけると思う。

私が住んでいたこのシェーネベルク岸通りのアパートに、当時どのような人が住んでいたのかは残念ながらわからない。だが、ベンヤミンが言うように、アパートの造りから見て、ここにもかなり裕福な人々が住んでいたのは間違いないだろう。ユダヤ人も多く住んでいたはずだ。この近所にはかつて、ユダヤ教の礼拝堂であるシナゴーグもあったのだから。

この地図では他に、ベンヤミンが生まれたマグデブルク広場(Magdebg.pl)やラントヴェーア運河(Landwehr Kanal)も確認できるし、前回ご紹介したマタイ教会(Matthäus K.)も運河の北側にイラストで描かれている。南から北東へ伸びる、白で太く描かれた線は、ポツダム通り。運河の上に架けられたポツダム橋(Potsd.Br.)を渡って道なりに沿って行くと、繁華街のポツダム広場(Potsdamer Platz)にぶつかる。以上が、この界隈の20世紀初頭の大まかな様子である。

ではその後、ヴァルター・ベンヤミンとブルーメスホーフの彼の祖母の家、そしてシェーネベルク岸通りの私が住んでいたアパートには、どのような運命が待ち受けていたのだろうか。

「1900年頃のベルリンの幼年時代」の序文は、このような文章で始まる。
1932年に外国にいたとき、私には、自分が生まれた都市に、まもなくある程度長期にわたって、ひょっとすると永続的に別れを告げなければならないかもしれない、ということが明らかになりはじめた。
ベンヤミンがこのエッセーを書き始めた翌1933年、ヒトラー率いるナチスが政権を握ると、ベンヤミンは故郷のベルリンに残ることができなくなった。それどころかユダヤ人作家である彼は追われる身にさえなっていたのだった。ベンヤミンは同年パリに亡命。その後もナチの手から逃れようとするが、1940年9月、ヴァルター・ベンヤミンは亡命行のピレネーの山間で自ら命を絶った。「1900年頃のベルリンの幼年時代」は、彼の生前出版されることはなかった。

時代はどこからか狂い始め、もう逆戻りできないところまで来てしまっていた。第2次世界大戦が始まると、ベルリンにはさらに恐ろしい運命が待ち受けていた。ドイツ軍が劣勢になり、連合軍によるベルリンへの空襲が本格的に始まったのは1943年のことである。この年の11月21日から翌年の5月25日にかけて、再三に渡って激しい空爆が繰り広げられた。特に、11月22日から26日にかけての爆撃は凄惨さを極め、5日間だけで4000人の市民が亡くなり、34万戸ものアパートが爆撃されたという。もちろんこのティーアガルテン一帯も甚大な被害を被った。

私の手元に1945年のベルリンの空撮地図がある(これは、大きな本屋や土産物屋で手に入れることができる)。この地図の解説によると、ティーアガルテン地区はベルリンの中でも2番目に空襲の被害が大きかった地区なのだという(ここには書いていないが1位は間違いなくミッテだろう)。全建物のうち、完全倒壊が32%、修復不可能なレベルのものも22%あった。つまり、半分以上の建物が、戦後この界隈から消えたことになる。完全に被害を免れたか、軽い被害しか受けなかった建物は、全体の31%だけだった。

確かにこの空撮地図を見ると、この界隈の被害のすさまじさが一目瞭然だ。爆撃によって屋根に穴が開いたことで、内部の部屋の仕切りが浮き出ていたり、それさえもよくわからずぐちゃぐちゃになっている建物の割合が非常に高いのである。ベンヤミンの生まれたマグデブルク広場とその西側のリュッツォ広場はほぼ壊滅状態。ラントヴェーア運河の北側は、日本とイタリアというドイツの枢軸国の大使館が並んでいたこともあり、その周辺の被害の度合いも極めて大きかった。

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ポツダム橋を渡って、ポツダム広場へと通じる道の周辺の惨状については、どのように形容したらいいのだろう。戦前のポツダム広場は、東京に例えるならば銀座のような繁華街だった。そのすぐ北側には、「帝国宰相官邸」があり、ヒトラーの防空壕もあった。米英の連合軍が、この地区を爆撃の対象にしない理由はなかった。とにかくここは、文字通り焼け野原と化したのだった。

先にご紹介したBerliner Stadtplanarchivのサイトでは、1945年の地図も見ることができる。これはちょっと変わった地図である。通りの名前が大まかにしか記されていない代わりに、ブルーで色分けされている。もうお気づきだと思うが、戦争の被害の大きかった建物には濃いブルー、被害がそれよりも小さかった場所には薄めのブルーで色分けされているのである。
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上の画面真ん中の通りがブルーメスホーフ。ベンヤミンのおばあちゃんの家があった12番地がどこにあったのかわからないけれど、いずれにせよこの通りに面した建物はほぼ完全に爆撃でやられてしまったということが、色だけでわかる。後の50年代初頭の写真を見ると、この通りの西隣のスペースは完全なさら地となった。ブルーメスホーフ自体は1964年まではあったようだが、その後は消えてしまった。ベンヤミンの幼少期の思い出がいっぱいつまったこの通りは、完全に歴史から消えてしまったのである(現在この場所にはユースホステルが建っている)。
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先の地図の右横につながるのがこの部分。ここも被害の程度はひどい。だが、左上の青い部分と、右下から左上へと斜めに長く伸びる青い部分とが交差するところに、四角の小さなスペースがぽっかり空いているのが確認できないだろうか。この部分こそが、私が住んでいたアパートなのである。それにしても、周りの建物は爆撃の犠牲となったのに、なぜここだけは残ったのだろうか。1945年の空撮地図を見ると、コの字型のこのアパートがよりはっきりと具体的に確認できるのだが、初めて見つけた時は感動を抑えることができなかった。

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なんという歴史の因果だろう。私がベルリンに来てすぐ、偶然のように見つけたアパートは、こういう歴史を持ったアパートなのだった。ヴァルター・ベンヤミンは間接的にナチスの犠牲となり、ブルーメスホーフの彼の祖母のアパートは空爆の犠牲となった(はずだ)。だが、そこから数10メートルも離れていないこのアパートは、なぜか「生き残った」。ベンヤミンの幼少の時代も、ナチスが台頭した時代も、戦争の時代も、このすぐそばに壁があった時代も、シェーネベルク岸通りのこのアパートには、どんな時にも確かに人が住んでいた。そして、これまたどういう因果か、東洋からやって来た日本人の私がそこに住んでいるという不思議な縁・・・

このアパートに1年間住んだことは、私のベルリン生活のひとつの原点ともいえる体験なので、どうしても一度文字にしてみたかった。

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(長文でしたが、最後まで読んでくださった方々には心より感謝します。よかったらワンクリックもお願いします)
by berlinHbf | 2005-12-03 03:54 | ベルリン思い出話 | Comments(7)

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