ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

Amazonにてネット購入ができます。



『街歩きのドイツ語 』
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三修社

豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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タグ:Berlin(Ost) ( 105 ) タグの人気記事

発掘の散歩術(20) - 地上防空壕で観る現代アート -

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ミッテのラインハルト通りにそびえ立つ地上防空壕。屋上にボロス氏のペントハウスが見える

不要となった建物は解体して新しく造り替える。一方、残す価値のある古い建物は修復して大事に使い続ける。程度の違いこそあれ、ドイツでも日本でも、都市の進化の過程においてそれは変わらない だろう。が、例外もある。

フリードリヒ・シュトラーセ駅の西側出口からシュプレー川を渡り、アルブレヒト通りを直進。やがてラインハルト通りの角に、古代の要塞のようにも見える灰色一色の 建造物が、無言の圧力をもって目の前に迫ってくる。通称「帝国鉄道防空壕」。もはや不要だが、取り壊したくてもあまりに頑丈に造られているがゆえに解体不可能な地上防空壕が、ベルリンにはほかにもいくつか現存する。「帝国鉄道防空壕」は、第2次世界大戦中の1943 年、強制労働者を動員して建設された。近くのフリードリヒ・シュトラーセ駅が空爆を受けた際、最大2500人の駅の利用客を収容するのが目的だった。45年5月にソ連赤軍によって接収された後は、戦争捕虜の収容所として使われることになる。東ドイツ時代の57年からは果物の貯蔵施設、壁崩壊後の92年からは半ば不法なハードコアのテクノクラブになるなど、その時々の政治状況を背景に活用されてきた。

数年前、私がこの防空壕を初めて訪れたときは空っぽの状態だったが、しばらくしてから「ボロス・ コレクション」という名の現代アートの展示場に生まれ変わったというニュースを耳にした。しかも大人気でなかなか予約が取れないという。気になったまま時が流れていたのだが、先日ようやく中に入る機会が巡ってきた。

入り口で、まるで人が入ってくるのを拒むかのような重い扉を2つ押し開けて中に進むと、突然真っ 白な空間が開けた。頭上からは別のツアー客の声が聞こえてきて結構賑やか。きれいなロッカーに加 え、テーブルの上にはコーヒーが用意されている。外観とのギャップに驚くほかなかった。

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OLAFUR ELIASSON "BERLIN COLOUR SPHERE", 2006 © NOSHE

中に入ってすぐ、デンマーク人作家オラファー・エリアソンによる虹色の光が空間を包み込む美しい作品に出会う。ポーランド人作家モニカ・ソスノヴスカのインスタレーションでは、暗いトンネルの中を屈みながら前に進んで行く。 世界的に著名な作家が、この場に密着して制作した作品ばかりとい うから何とも贅沢だ。彫刻、インスタレーション、映像を使った作品などが、3000㎡にも及ぶコンクリートむき出しの空間に並ぶ。

とはいえ、現代アートであるから、にわかには理解しがたい作品も少なくない。階が進み少々疲れてきた頃、ガイドさんが一歩奥へ入った踊り場へ招き寄せ、「ボロスさんが使っているエレベーターです」と言って指し示した。

ボロス・コレクションのオーナーは、アートコレクターであるほか、 広告会社を営んでいるクリスティアン・ボロス氏。彼は防空壕を改造する際、自分と家族のためのペントハウスを屋上に建ててしまったのである。

ボロス・コレクションのアイデアとスケールには半ば呆れるほどだったが、ベルリンのアートシーンはこういう突拍子もない発想をする人物によって常に刺激を与えられているのかと感じ入った。
ドイツニュースダイジェスト 3月16日)


Information
ボロス・コレクション
Sammlung Boros


内部見学はガイドツアーのみで(英独)、下記HPより事前の申し込みが必要。ただし、30分ごとに行われるツアーは、 定員が最大12人と決まっており、予約は数週間先まで一杯ということも。所要時間は約1時間半。展示品は定期的に差し替えられており、リピーターも多いようだ。入場料は10 ユーロ(割引6ユーロ)。

住所: Bunker, Reinhardtstr. 20, 10117 Berlin
電話番号:(030)2759 4065
開館:金14:00~18:00 土日10:00~18:00
URL:www.sammlung-boros.de


総統地下壕跡
Führerbunker


ベルリンで最も有名な地下壕といえば、第2次世界大戦末期、ヒトラーの命によって総統官邸裏に造られた通称「総統地下壕」だろう。ここに籠ったヒトラーが45年4月30日に自殺するまでの過程は、映画『ヒトラー~最後の12日間~』で描かれている通り。やはり完全には破壊できず、地下部分は今も地中に眠っている。

住所:Gertrud-Kolmar-Str.とIn den Ministergärtenの2つの通りの角に案内板が立っている。

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by berlinHbf | 2012-03-17 00:09 | ベルリン発掘(東) | Comments(7)

発掘の散歩術(19) -シャルロッテの夢の館  グリュンダーツァイト博物館-

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グリュンダーツァイト博物館内にある女性の部屋

比較的暖かい冬とはいえ、長時間の散策にはまだ厳しい季節。こんな時は屋内で過ごすに限る。1月のある水曜日、私の中でのとっておきの博物館に行ってみようと思い立った。それが、ベルリンの東の外れ、ヘラースドルフ地区にあるグリュンダーツァイト博物館

1870年から翌年にかけての普仏戦争に勝利したプロイセンは、フランスから膨大な賠償金を獲得し、空前の好景気に湧いた。グリュンダーツァイトとは、「泡沫会社乱立時代」などと日本語で訳される、いわばバブル期である。工業化に伴い、多くの大企業が設立されたのもこの時代で、街にはゴテゴテと装飾豊かな建物が次々に建てられた。1880年から1900年頃までの住居や家具など生活文化をコレクションしたのが、この博物館だ。

緑に囲まれた昔の農場の邸宅が博物館になっていた。受付で「日本のメディアの取材で」と言ったら、館長のモニカ・シュルツ=プッシュさんが直々に案内してくれた。ドアを開けて最初に入ったのがガルテンザールという部屋。高い天井にガス灯のシャンデリア、得もいえぬ風格の漂う掛け時計に細かい彫刻を施された美しい木の戸棚、壁には皇帝ヴィルヘルム1世の肖像画が……。アンティークの家具に特別の関心がなくても、この部屋を満たす豊かな雰囲気には誰もが感じ入るのではないだろうか。博物館といっても、展示物に説明が書かれているわけではなく、すべてが「そのまま」の状態で置かれているので、今も誰かが住んでいるかのような気配さえ感じられる。

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続く寝室では、子ども用の精巧なおままごと用キッチンに、今も昔も変わらない子どもの姿が目に浮かんで微笑ましかったし、化粧台に置かれていた直接火で熱して使うカーラーには、当時の女性の日々の苦労を想った。さらにベルリンの商人が所蔵していた調度品で満たされた書斎、ネオゴシック様式の食事室へと続く。地下に降りて行くと、ミッテのムラック通りにあった伝説的な居酒屋の内装が出現した。雰囲気たっぷりだ。

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エジソンが創案した蓄音機(おそらく1888年の改良型)

グリュンダーツァイト博物館では目だけでなく、耳をも楽しませてくれる。大きな金属の円盤をはめて鳴らすポリフォン社のディスクオルゴール、さまざまな楽器の音色を出す回転式自動楽器「オーケストリオン」、エジソンが発明した蝋管蓄音機。こういうものを1つひとつ聞かせてくれたのだが、電気テクノロジーが台頭する前に生み出されたこれらの機械からは、素朴でやさしい音が聴こえてきた。

それにしても、これだけのコレクションを一体誰がどうやって集めたのだろう。モニカさんが博物館を創設した人物、シャルロッテ・フォン・マールスドルフのことを話してくれた。「シャルロッテは男性でしたが、女性の心を持っていました」。どういうことかというと、彼は異性装者で、1990年代に出版された自伝「アイ・アム・マイ・オウン・ワイフ」が大きな反響を呼び、やがて演劇化され、世界的に知られるようになったのだそうだ。

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この博物館のコレクションは、彼が10代の頃から生涯をかけて集めたもの。時には個人から譲り受け、また時にはがらくたから集めて再び組み立てた。長い白髪にスカートのようなものをはき、首には真珠のネックレスをかけたシャルロッテは、90年代初頭まで自ら訪問客の案内をしていたそうだ。ここに寝泊まりしていた時期もあったそうで、この上なく優美な博物館の中には、いまもシャルロッテがどこかにいるような気がした。
ドイツニュースダイジェスト 2月3日)

関連記事:
(グリュンダーツァイト博物館でエジソン製の蝋管蓄音機を聞かせてもらったばかりだったので、余計感慨深いニュースでした)

鉄血宰相ビスマルクの肉声発見、初めて甦る
【ベルリン=三好範英】19世紀のドイツ統一を導いた鉄血宰相ビスマルク(1815~98年)の肉声を録音した蓄音機のロウ管が米国で発見された。
 再生された声は小さく、しわがれているが、鉄血宰相の肉声が120年余りの時を隔て、初めてよみがえった。
 2日付フランクフルターアルゲマイネ紙などによると、「肉声」が発見されたのは米ニュージャージー州で保存されている発明王エジソン(1847~1931年)の実験棟内で、木箱の中にロウ管が残っていた。
 ビスマルクの肉声録音を巡っては、エジソンの助手が1889年、蓄音機の宣伝のために万博開催中のパリを訪れた際、ドイツにも足を延ばし、同年10月に独北部ハンブルク近郊のビスマルクの自宅で録音したとの記録は残っていた。ただ、録音したロウ管の所在が不明だった。
 今回、発見されたロウ管を調べた研究者が録音内容から「ビスマルクの肉声」と断定した。録音は75秒で、74歳のビスマルクはドイツ語の歌に加え、フランス国歌なども歌っている。現存する唯一の肉声とされ、ビルト紙は「驚きの発見」と伝えた。
(2012年2月3日07時28分 読売新聞)


Information
グリュンダーツァイト博物館
Gründerzeitmuseum


東独時代の1960年、シャルロッテ・フォン・マールスドルフことローター・ベルフェルデによってオープンした博物館。このテーマではヨーロッパ最大級のコレクションを誇る。2002年にシャルロッテが死去した後は、友の会により運営されている。S5のMahlsdorf駅から62番トラムに乗り、Alt-Mahlsdorfで下車。基本はガイド付きによる見学で、 希望により英語対応も可能とのこと。

住所: Hultschiner Damm 333, 12623 Berlin
電話番号:(030)567 83 29
開館:水日10:00~18:00
URL:www.gruenderzeitmuseum.de


シャミッソー広場
Chamissoplatz


グリュンダーツァイトの生きた姿を見たいという方にお勧めしたいのが、クロイツベルクの西側シャミッソー広場周辺だ。戦争の被害を受けなかったため、1890年代に建てられた街並みがほぼそのまま残るベルリンでも希有な場所。堂々たる偉容のアパートから街灯、バルコニーの装飾まで見どころは多く、それ自体が博物館のよう。
住所:Chamissoplatz, 10965 Berlin

関連記事:
「オールド・ベルリン」が残る界隈(2) (2005-12-20)

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by berlinHbf | 2012-02-05 11:54 | ベルリン発掘(東) | Comments(4)

開港が近づくベルリン・ブランデンブルク空港

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2012年のベルリンの大きな節目となる出来事のひとつは、6月3日ついに新空港がオープンすることでしょう。ベルリンに興味のある方にとっては特に気になるところだと思うので、比較的最近の様子をお伝えしたいと思います。

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今回お届けする写真は、昨年9月空港近くのBBI-Infotowerを訪れたときの様子。このタワーは毎日10~16時の間オープン。入り口で2ユーロ払って、らせん状の階段を上って行きます。

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ここに来るのは一面雪景色の2010年初頭以来でした。天気の印象の違いを除いても、工事は随分進んだものです。当時の写真と比較してみると、進行具合がよくわかると思います。

関連記事:
ベルリン・ブランデンブルク空港のいま (2010-02-19)

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目を凝らすと、蛍光色の作業着を着た現場の人の姿がちらほら目に入ります。ここまできたら、土日も関係なく作業をしているのかもしれませんね。ターミナルの中では、開港に向けてのさまざまなテスト(旅客用のトランクの移動作業など)も始まっているそうです。

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こちらが東側の様子。地下は鉄道駅になります。

この1年半ぐらいずっと論争の的になっていた飛行機のルートを巡る問題(騒音に悩まされるかもしれない周辺住民が繰り返し反対のデモを起こしていた)は、昨日正式なルートが確定したことで、ひとまずの終結を見ることになりました。もっともこのまま終わることはなさそうですが。

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タワーから臨む現在のシェーネフェルト空港。東独時代に建てられた空港ターミナルがなんとちっぽけに見えることか。

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12月にスペインのマラガに飛んだ際、Easyjetの窓から新空港の様子が見えましたが、外観はさらに完成に近づいていました。

われわれ日本人にとっては、「日本までの直行便が飛ぶのか?」が一番の関心事でしたが、(いろいろな噂は耳にしたものの)結局開港に合わせてどこかが飛ばすことはさそうな気配です。市内から少し空港が遠くなる上、あの煩わしい乗り継ぎも変わらずかと思うとテンションも下がりますが^^;)、ベルリン待望の国際空港のオープンがいよいよ4ヶ月後に迫ろうとしています。

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by berlinHbf | 2012-01-27 22:01 | ベルリンのいま | Comments(5)

橋口譲二『Hof ベルリンの記憶』

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昨年秋、写真家の橋口譲二さんから20年前のプレンツラウアー・ベルクの写真を何枚か渡され、「今度出版する写真集のために、それらの写真に写っているアパートの場所を調べてもらえないだろうか」という依頼を受けた。その時の模様は、「橋口譲二『Hof ベルリンの記憶』とプレンツラウアー・ベルク」で2回に渡ってご紹介した。

関連記事:
橋口譲二『Hof ベルリンの記憶』とプレンツラウアー・ベルク(1)
橋口譲二『Hof ベルリンの記憶』とプレンツラウアー・ベルク(2)

当初の予定からは遅れたものの、橋口さんの写真集は今年初頭に無事刊行された(ありがたいことに協力者として名前も入れていただいた)。私にとっても、思い出深い1冊。ここでご紹介したいと思う。

橋口譲二さんに初めてお会いしたのは、2年前の年末、ベルリン日独センターで行われた講演会の時だった。同センターに勤務されているある方の奥様が、ちょうど刊行されたばかりの拙著『素顔のベルリン』を橋口さんにプレゼントしてくださり、講演会の後にご紹介いただいたのだった。私の母と同い年の橋口さんは、とてもシャイで物腰穏やかな方という印象を受けた。

こういうご縁から、橋口さんがベルリンに来られる際にお会いするようになった。6月に私が一時帰国した際は、橋口さんのお住まいの吉祥寺を少しご案内いただいた後、駅中のカフェでお茶をした。ベルリンでも東京でも、橋口さんとカフェでご一緒する時のゆったりとした時間の流れ方が好きだ。表現者としての大事なアドバイスをくださることもある。口調はいつものように穏やかでも、そんな時には、橋口さんの芯の強さと厳しさを垣間見る。一度、「(あるテーマを)自分の中だけに抱え込むことも大事ですよ」と言われたことがある。ブログやらTwitterやらで、ちょっとしたつぶやきさえも簡単に公にできる時代。目に見えるわかりやすい結果ばかりをどこか求めていた私ははっとした。私も一応Twitterはやっているし、その利点も否定はしないけれど、あれこれつぶやくだけで何となく物事をわかったような気になったり、自分にとって何が大事なのかを見失わないようにしたいと思う。そして、できることなら、橋口さんやその「弟子」の星野博美さんのように、あるテーマを自分の中で抱え込み思考を深めていく延長で、作品を積み重ねていけたらと願う。

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話が逸れてしまった。写真集『Hof ベルリンの記憶』は、橋口さんが20年もの間「抱え込んできた」写真が中心になっている。壁崩壊直後、旧東のミッテとプレンツラウアー・ベルクの古いアパートやそのホーフ(中庭)を写したものだ。

人は1人も出てこないのに、また一見廃墟のようにも見えるほど建物は朽ちているのに、不思議なぬくもりの感じられる写真が並んでいる。それは、そこに人がずっと住み続けてきたこと、そしてそれらのアパートが19世紀末から20世紀初頭にかけて建てられたことも関係していると思う。橋口さんは、この写真集の巻末のエッセイでこう綴っている。
街並と身体と気持ちの相性というと変だが、僕はこの街とこの街で暮らす人々が気に入っていた。程良い道幅、家並と同じように蛇行する道路、停留所から次の停留所が見える路面電車のトラム。トラムの走る速度はちょっと頑張れば自転車でも追い越せてしまう。蛇行する道路もトラムも昔から存在していたことを思うと、世紀末から20世紀初頭にかけて出来あがった街は人間の感覚や生理に寄り添っていた気がする。
11年前、このベルリンに来て、最初にたまたま住んだアパート以来、私はアルトバウのアパートの魅力に取り憑かれた。この街で3回引っ越しているが、住まいは全てアルトバウだった。ゆったりした間取りと、幾世代に渡って人々が住んできた歴史の醸し出す安心感が心地よかったのだと思う。写真集「Hof」には、アパートの内部の階段やいぶし銀のように渋い光沢を放つ階段のてすりの写真なども挿入されていて、私はそれを見ながら最初に住んだティーアガルテンの築100年のアパートでの生活を思い出した。あるいは、夏の暑い日、(6年間住んだ)クロイツベルクのアパートの入り口から中に入った瞬間、ひんやりとした空気に体が包まれたことを。ベルリンが歩んできた歴史と、私個人の歴史が時に重なり合うのを感じた。

この写真集が私のもとに届いたのは、3月初頭だった。
しばらくの間、この本を枕元に置いて、寝る前にぱらぱらめくりながら楽しんでいた。そうこうするうちに、あの大震災が日本を襲った。
毎日深夜までショッキングな津波の映像を見てから、この本を開くと、写真の奥にまた違う光景が見えてきた。3月14日だったか、丘の上から「自分の店が流されたことよりも、(店の)歴史が途切れてしまったことの方がくやしい」と絞り出すように語っていた陸前高田の酒屋のおじさん。倒壊した家の瓦礫をかき分けながら、思い出の写真を必死に探す人々…。

あの光景を思うと、ベルリンのミッテやプレンツラウアー・ベルクの古いアパートが戦災を逃れ、地震などの自然被害にも遭わず、その貴重なアパートが1949年生まれの日本人の写真家によって記録され、20年もの間フィルムが大切に保管され、2011年という年に出版され得たということが、とても幸運でかけがえのないことのように思えるのだ。

今回の地震や津波で家を失った人々が、橋口さんの言う「人間の感覚や生理に寄り添った」住まいに再び戻れることを心から願う。

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この橋口さんの『Hof ベルリンの記憶』の写真展が、現在大阪のニコンサロンで開催中です(21日まで)。お近くにお住まいの方は、ぜひ足をお運びいただけたらと思います。

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by berlinHbf | 2011-12-12 18:22 | ベルリンを「読む」 | Comments(3)

発掘の散歩術(16) - マルツァーンの世界庭園 -

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世界庭園内のキリスト庭園

今年6月、皇太子殿下のドイツ公式訪問の際、「おや」と感じたのが、マルツァーンの保養公園(Erholungspark Marzahn)がベルリンでの日程に含まれていたことだった。日本の皇太子と旧東独の郊外の団地街の象徴であるマルツァーンという組み合わせが、どこか新鮮だったからである。今回皇太子殿下が訪問されたのは、同公園内にある日本庭園。この時期としては異例の陽気に恵まれた10月初頭の日曜日、今までなかなか足を運ぶ機会のなかった「世界の庭園」をじっくり見て回ることにした。

Sバーンのマルツァーン駅から195番のバスに乗って約10分、高層アパートの住宅群を抜けて間もなく、公園の入り口に到着した。マルツァーン保養公園は、まだ東独時代だった1987年に開催されたベルリン造園展覧会をきっかけに、マルツァーン・ヘラースドルフ地区の緑のオアシスとして生まれた。ベルリンの内外に広く知られるようになったのは、中国庭園がオープンし、同時に「世界の庭園」としての歴史が始まった2000年秋以降のことである。

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日本庭園内にある「如水亭」から枯山水を臨む

30ヘクタールもの広大な敷地を誇る公園だが、日本庭園「融水苑」は入り口から比較的近い場所にあった。横浜市の寺住職にして庭園デザイナーの枡野俊明氏の監修により2003年に造られた庭園で、全体が過去から未来への時間軸をもって構成されている。中に入り階段を上ると眺望台があり、滝が流れている(過去の歴史の流れを表現)。そこを下りると前庭が見えてきて、「現在」を表しているという建物「如水亭」に入る。そこから臨む枯山水の庭は、現在から未来への展望を象徴しているそうだ。過去から未来までを見据える精神の自在さと「融合すること水の如く、以って和と成す」という庭園全体のテーマが、確かにどこかで重なり合う。日本だったら芝生ではなく苔が生えているだろうなと感じる場所もあったが、細かな相違は別にして、美しく整えられた枯山水を眺めていたら、一瞬ここがドイツであることを忘れそうになった。

とはいえ、「融水苑」は世界庭園の見どころの1つに過ぎない。近くにある韓国庭園では日本との微妙な文化的相違を実感させてくれたし、ヨーロッパでは最大級という中国庭園は数年前「ドイツで最も美しい庭園」のベスト3に選ばれたこともあるそうだ。

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ブルーのモザイクが鮮やかなオリエント庭園の回廊

ここから西側の端にあるイタリアのルネサンス庭園まで一気に歩いてみた。そばにはIrrgartenという迷路庭園なるものまであって、これは子ども連れの家族でも楽しめるだろう。想像以上に広くて、とても全部は回りきれなかったが、最後にオリエント庭園に入ってみた。回廊の床のモザイクは美しく、庭の中心にある小さな噴水では子どもたちが裸足で遊び、アジアの庭園とは雰囲気ががらっと変わる。どの国の、そしてどの文化の庭園も甲乙つけがたい魅力があった。また、隅々まで手入れが行き届いているのにも感心した。

日本庭園の桜が咲き乱れる頃、マルツァーンをまた訪ねようと思う。
ドイツニュースダイジェスト 11月4日)


Information
世界の庭園
Gärten der Welt


「地理、宗教、民族など異なる背景を持つさまざまな庭園を体験できるように」という目的から2000年にオープン。本文で紹介した庭園以外にも、バリ島庭園、キリスト教文化をテーマにした庭園などがある。入場料は3ユーロ(11~3月は2ユーロ)。日本、韓国、オリエントの各庭園は4月~10月のみのオープンなのでご注意。

開館:11~2月(9:00~16:00)、3月と10月(9:00~18:00)、4~9月(9:00~20:00)
住所:Eisenacher Str. 99, 12685 Berlin
電話番号:(030)700906 699
URL:www.gruen-berlin.de/parks-gaerten/gaerten-der-welt


中国茶館
Chinesisches Teehaus Berghaus zum Osmanthussaft


中国庭園内にある本格的な中国茶館。約30種類もの中国茶を堪能できるほか、それによく合う焼き菓子も用意されている。天気が良い日は、池に面したテラスがお勧め。近くには中華インビスの“ Tsing Tao Pavillon“ も。世界庭園内には、ほかにもカフェやキオスクなど、一休みできる場所は豊富にある。

営業:4~10月(月~日10:30~18:00)、11~3月(天気の良い週末)
住所:Eisenacher Str. 99, 12685 Berlin
電話番号:(030)700906 699
URL:www.china-teehaus.de

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by berlinHbf | 2011-11-04 23:57 | ベルリン発掘(東) | Comments(3)

発掘の散歩術(14) -ミース・ファン・デル・ローエのバースデーパーティー-

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夕暮れ時のレムケ邸で踊る人たち (2011-08-14)

アレクサンダー広場からトラムのM4に揺られること約25分。ヴァイセンゼーという湖を過ぎて間もなく、ブッシュ・アレー/ハンザ通りという停留所で降りた。普段ベルリンの西側に住んでいる私にとっては、同じ市内とは言え、ここまで来るとさすがに遠くに来た感を抱かせる。このホーエンシェーンハウゼン地区には、つい20年ちょっと前まで秘密警察シュタージの刑務所があった。そんな過去も、実際の距離以上に「遠さ」を感じさせる要因になっているかもしれない。

今歩いている辺りには、2つの小さな湖が双子のように並ぶ。1つはオランケゼーで、これは氷河時代に自然生成された湖。通り1つ隔てたオーバーゼーは、19世紀末にビール会社が窪みに水をたくわえて造ったという人工湖だ。周辺はごく普通の住宅街だが、東独時代はシュタージの関係者が多く住み、その特徴として呼び鈴のネームプレートが必ず白紙になっていたそうだ。一般市民は安易に立ち寄れない場所だったのだろう。

夕暮れ時、そんなぞっとする歴史を持つ住宅群の向こうから、とてつもなく陽気な音楽が鳴り響いてきた。発信源はオーバーゼーの畔に立つミース・ファン・デル・ローエ・ハウス(通称レムケ邸)。今年生誕125周年を迎える同名の建築家の「バースデーパーティー」が行われると聞いてやって来たのだ。

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1932年から33年にかけて、印刷会社の社長で、子どものいなかったカール・レムケ夫妻の「天気の良い日には庭に延びるような、こぢんまりとした控え目な住居」という希望から、当時バウハウスの校長だったミースが設計した邸宅だ。L字型の平屋建築で、構造は非常にシンプル。ちょうどL字の角にある入り口から中に入ると、庭に面した側はどちらも大きな窓ガラスがはめ込まれ、光がまばゆいばかりに差し込む空間になっている。目の前の大きな庭と直につながっているような錯覚を受けるほどだ。自然との一体感を強調した平屋というのが、どこか東洋的でもあるせいだろうか、非常にモダンなのにとてもしっくりきた。

目の前で、比較的年配の男女がブギウギのリズムに乗り、両手を派手に動かしながら踊っている。その奥の芝生では人々がピクニックのようにくつろいでいる。アットホームな雰囲気が心地良い。ノリノリで踊っている中に日独協会のシュミットさんのお顔を見付けた。私たちに気付くと、レムケ邸のことを少し教えてくれた。

ミースはナチス台頭後の1938年にアメリカに亡命。レムケ夫妻は1945年までこの家に住んでいたが、戦後はソ連に接収され、1960年代から壁崩壊まではシュタージ関連の施設として利用されていたという。統一後、市民活動によってホーエンシェーンハウゼン区に買い取られ、現在は税金と友の会の募金で運営されているそうだ。

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湖に面した広大な庭には、「Mies 125」の文字が至るところに

「Mies 125」というかっこいいロゴが入った大きなじょうろを持っている人を何人か見かけた。これは20ユーロで購入でき、そのうちの何割かが募金に回されるそうだ。「なんでじょうろなの?」とも思ったけれど、じょうろで庭の草木に水をやるように、時間を掛けてレムケ邸とそこでのアートを育ててきた地元の人たちに敬意を感じて、1つ持って帰った。
ドイツニュースダイジェスト 9月16日)


Information
ミース・ファン・デル・ローエ・ハウス
Mies van der Rohe Haus


ミースが亡命前最後に手掛けた邸宅でもある。東独時代に何度も改築されたが、2000~02年にかけて、建物と庭はオリジナルの設計図に沿って造り直された。この空間に調和する作家の展覧会が定期的に開かれており、11月27日までユルゲン・パルテンハイマー展が開催される。入場無料。晴れた日は庭園の散歩も気持ちがいい。

開館:火~日11:00~17:00
住所:Oberseestr. 60, 13053 Berlin
電話番号:(030) 970 006 18
URL:www.miesvanderrohehaus.de


新ナショナルギャラリー
Neue Nationalgalerie


ベルリン市内でミースの建築を味わうなら、やはりこちら。1968年ミース晩年の作品で、巨大な鉄骨の天井を側面の軽やかなガラスが支えているかのように錯覚させるモダン建築の傑作。現在はマックス・ベックマンの自画像展が開催中で(10月3日まで)、11月からは1945~68年の作品の常設展が予定されている。

営業:火水金10:00~18:00、木10:00~22:00、土日11:00~18:00
住所:Potsdamer Str. 50, 10785 Berlin
電話番号:(030) 266 424242
URL:www.neue-nationalgalerie.de

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by berlinHbf | 2011-09-25 10:30 | ベルリン発掘(東) | Comments(2)

ベルリンの壁 記憶の場所

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壁建設50周年の式典に際し、ドイツの各政党から贈られた花束

初めてベルリンに来た方に、ベルリンの壁の遺構を見せると、「意外に低いんですね」とか「背が高い人なら、よじ登れそう」という感想を漏らされることがあります。そう感じるのはやむを得ないことなのかもしれません。観光客によって削られ、中心部にわずかばかり残る1枚の壁を前にしても、当時そこで何が起きたかを想像するのは難しいからです。

今年の8月13日、壁建設からちょうど50年を迎えました。ミッテのベルナウアー通りでは、ヴルフ大統領やメルケル首相も参列しての追悼式典が行われ、同時に拡張工事が続けられていた「ベルリンの壁 記憶の場所(Gedenkstätte Berliner Mauer)」が正式にオープンしました。

同月のある日、地下鉄U8のベルナウアー通り駅で降りて、なだらかな坂を下りながら新しい部分を歩いてみました。外側の壁があったラインに沿って、茶褐色の鋼材の柱が壁を想起させるように並び、当時の無人の緩衝地帯は広大な芝生に変わっています。東独側の後背壁や金網の柵も一部は保存され、国境警備兵用の小道もその跡をたどれるようになっています。

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敷地内をいくつも横切る、かつての逃亡トンネルの跡

芝生の上を歩いていると、茶褐色の板が地面に埋め込まれているのに気付きました。これは、かつてこの壁際に建っていたものの、東独政府によって爆破されたアパートの敷地跡でした。さらに、今度は緩衝地帯を横切る線が目に留まりました。これは1962年に東から西への逃亡を試みて掘られたトンネルの跡。このように、東西分断時代の出来事がさまざまな形で可視化され(ところどころに当時の写真や音声資料も設置されています)、訪れる人は歩きながら発見し、当時を具体的にイメージできるようになっているのです。

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壁の建設によって爆破されたアパートの土台部分

シュトレーリッツァー通りから北駅方面を見下ろす眺めは、広々と敷き詰められた緑の芝生によって、爽やかな気分をもたらしてくれました。しかし、当時はこの芝生がすべて砂地で、厳密な監視網が160キロ近くも続いていたことを思い出した瞬間、今度は壁の恐るべき規模に思いが至りました。

特に多くの人が集まっていたのは、遺跡のような形で保存された当時のアパートの地下部分の周り。ここは「人々の苦しみ」というテーマで、ある日突然終わりを告げられた人々の日常生活や、引き裂かれた人間関係が綿密なリサーチに基づいて紹介されています。

「壁のことを知りたい」という気持ちでベルリンに初めて来る方に対して、私はイーストサイドギャラリーやチェックポイント・チャーリー跡よりも、まずこのベルナウアー通りに来ることをお勧めしたいと思います。
ドイツニュースダイジェスト 9月9日)

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by berlinHbf | 2011-09-13 13:40 | ベルリン発掘(境界) | Comments(3)

発掘の散歩術(8) -オットー・ヴァイトと人知れぬ英雄たち(後)-

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Museum Blindenwerkstatt Otto Weidt

(大分時間が空いてしまいましたが、オットー・ヴァイト盲人作業所博物館の話の後編をお届けします。前編はこちらよりどうぞ)

当時の工房の様子が再現された部屋を抜け、トイレと物置だった部屋を過ぎると、最後の4部屋に行き着く。思わずはっとした。ここだけは改装をまったく施さない状態で残してあったからだ。「幸運な救出」という部屋では、最終的に大戦を生き延びたごくわずかな生存者のことが紹介されていた。その1人、インゲ・ドイチュクローンという女性は、ヴァイトが偽名を使った労働証明書を発行したため、収容所送りを免れたという。

最後の部屋では救出に失敗した事例が紹介されていた。例えばホルン一家をヴァイトはこの部屋の奥に匿ったが、後にゲシュタポに見つかり全員がアウシュヴィッツに送られ殺害された。洋服ダンスにカモフラージュされたその奥には、彼らが不穏な日々を送ったであろう小部屋が隠れていた。この前に立って感じた気分はうまく言葉にできない。

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Inge Richterの偽名を使ったインゲ・ドイチュクローンの労働証明書(1943年12月15日)。

帰り際、博物館で働くジョイア・カルナーゲルさんが、いくつか印象に残る話を聞かせてくれた。

「この場所を博物館として保存しようとする動きが出てきた時、大きな役割を担ったのが生存者のドイチュクローンさんです。彼女が奥の部屋を見て、『昔と何も変わっていないわ。この部屋は改装しないで残してほしい』と言ったので、そのまま保存することになったのです」

「え?ドイチュクローンさんは今もベルリンにお住まいなのですか?」

「ええ、88歳になりますが、信じられないくらいパワフルな女性です。今でも時々生徒のグループを連れて、ここを案内していますよ」。


大通りに出ると、見慣れた風景がいつもと違う色合いを帯びていた。勇気ある者の尽力によって生き延びた1人のユダヤ人女性が今もベルリンのどこかで元気に生活している。そう思うと、少しは救われる気持ちだった。機会があれば、ドイチュクローンさんにお会いしてみたい。
ドイツニュースダイジェスト 3月11日)


Information
オットー・ヴァイト盲人作業所博物館 
Museum Blindenwerkstatt Otto Weidt


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1999年、歴史を学ぶ学生グループがここでヴァイトについての展示を行ったことが、この場所を博物館として保存する動きにつながった。入場無料で、説明は英独表記。毎週日曜の15時からは無料のガイドツアーが開催される(事前申し込み不要)。ヴァイトは死後、イスラエルより「諸国民の中の正義の人」としてその名誉を称えられた。

開館:10:00~20:00
住所:Rosenthaler Str. 39, 10178 Berlin
電話番号:(030)285 99 407
URL:www.museum-blindenwerkstatt.de


記念館「人知れぬ英雄たち」
Gedenkstätte Stille Helden


ハウス・シュヴァルツェンベルクの入り口を入ってすぐ左手の2階にある、2008年にオープンした新しい記念館。「オットー・ヴァイト」と同じくドイツ抵抗運動記念館が運営しており、ナチス支配下の時代、ユダヤ人を救おうとした無名の英雄たちに焦点を当てている。数々の「シンドラー」とここで出会えるはずだ。こちらも入場無料。

開館:10:00~20:00
住所:Rosenthaler Str. 39, 10178 Berlin
電話番号:(030)23 45 79 19
URL:www.gedenkstaette-stille-helden.de

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by berlinHbf | 2011-03-21 13:30 | ベルリン発掘(東) | Comments(4)

発掘の散歩術(8) -オットー・ヴァイトと人知れぬ英雄たち(前)-

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ハッケシェヘーフェの隣にあるHaus Schwarzenbergの入り口

Sバーンのハッケシャー・マルクト駅から徒歩2分ほど、ローゼンターラー通り39番地にその場所はある。ハッケシェヘーフェとローゼンヘーフェという観光客がひっきりなしに集まる小綺麗なスポットに挟まれたこの入り口には、しかし同様に人の往来が途絶えることはない。壁にびっしりと描かれた落書きに興味本位からカメラを向ける若い観光客、そして頻繁にやって来るガイドツアーのグループ。とにかく何かが「におう」場所であることは多くの人が感じている。

入り口から中庭に抜けると、一気に数十年ぐらい時代をさかのぼった感覚を味わうだろう。外壁のはがれ具合はこの建物が歩んできた歴史を物語る。小さな映画館、ギャラリー、クラブなどを収容するこの「ハウス・シュヴァルツェンベルク」は、現在文化財に指定されており、華やかなこの界隈の中であえて改装せずに残してあるのだ。

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中央がオットー・ヴァイト盲人作業所博物館の入り口

オットー・ヴァイト盲人作業所の博物館は、その中庭の一角にある。階段を上って2階に行くと、外観とは打って変わってきれいに改装された空間があった。ドイツ人のオットー・ヴァイト(1883〜1947)は、ほぼ全盲になった後、ほうきやブラシを製造する小さな工房を創業した。時はすでにナチスによる反ユダヤ人政策が着々と進められていたが、1940年に工房がローゼンターラー通り39番地のこの地に移ってからも、反ナチの彼は主として盲目と耳の聞こえないユダヤ人約35人を雇い続けた。当然大変なリスクを伴う行為だったが、納入先の中には国防軍もあったため、ヴァイトは「国防上重要な」製品を作っているからと主張し、時にはゲシュタポに賄賂を手渡して、ユダヤ人の同僚が強制収容所に送られるのを防ごうとした。1942年以降、ついにこの工房のみならず、ベルリンの多くのユダヤ人が中継収容所のテレージエンシュタットに送られるようになる。ヴァイトはそれでも、収容所に物資を送るなどして、彼らを救うためにあらゆる手段を講じた。(つづく)
ドイツニュースダイジェスト 3月11日)

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印象に残った展示品の1つ。1943年11月、盲人作業所で働いていたゲオルク・リヒトがテレージエンシュタットからベルリンのオットー・ヴァイトに宛てた「荷物受け取りの確認葉書」。個人的なメッセージを書くことは許されていなかったが、リヒトは宛先の下にKartoffel-Grosshandel(ジャガイモ卸売業)とさりげなく記すことで、食べ物を送ってほしい旨を暗に伝えようとしたという。彼は44年7月にアウシュヴィッツで殺害された。一方、娘のアリスは奇跡的な生還を果たした。

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by berlinHbf | 2011-03-10 23:57 | ベルリン発掘(東) | Comments(1)

ギャラリー・ラファイエットで魚料理を食する

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ドイツに住んでいて時々どうしても恋しくなるのが魚です。

フリードリヒ通りに面したフランス系のデパート、ギャラリー・ラファイエット(Galeries Lafayette)。ここの地下に魚料理を食べさせるお店があると友達から教えてもらい、先日日本からのお客さんと足を運んで来ました。食品売り場のコーナーを歩いて行くと、上りのエスカレーターの目の前にありました!ちょうど牡蠣のシーズンだったので、食べている人もちらほら。ショーケースには新鮮なお魚がずらりと並んでいます。

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黒板に書いてある手書きのメニューはとても読みにくい^^;)。ウェイターさんは、白身魚2種類とイワシの盛り合わせ(18ユーロ)を勧めるのでそれにしてみることに。で、出てきたのがこちらです。

レモンをたっぷりかけていただいたところ、これが大変美味でした^0^。白身魚の種類は残念ながらわからなかったのですが、淡白でくせのない味わい。イワシのグリルはかなり香辛料が効いていて、それがまた香ばしくて食欲をそそります。ライスはこちらにはよくあるパサパサ系だったものの、サラダのドレッシングに至るまで、それを補って余りある満足度でした。日本に住んでいた時は、焼き魚で感動することなんてほとんどなかったのですが、こちらではもう大変貴重なご馳走です。

エスカレーターのすぐ近くのテーブルで食べていたら、香ばしい匂いがそばを通りかかる人々の心に触れたのか、たちまち周りのテーブルが一杯になりました(笑)。決して安くはありませんが、魚が恋しくなったら、訪ねてみてください。

Galeries Lafayette Berlin
Friedrichstraße 76-78
10117 Berlin

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by berlinHbf | 2011-02-17 15:48 | ベルリン発掘(東) | Comments(6)

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