ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

Amazonにてネット購入ができます。



『街歩きのドイツ語 』
¥1,575
三修社

豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

ベルリン更新情報
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10年分の感謝、ひとまずのお別れと新しいスタート!

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Mauerpark (2005-08)

8月1日をもちまして、ブログ『ベルリン中央駅』が丸10年を迎えました。この場を借りて、読んでくださった皆様に心より感謝申し上げます。10年間という歳月は、私の人生に当てはめるとほぼ4分の1の長さに相当するわけで、ベルリンという都市においても、個人的にも変化の大きかった時間を、この街に根を下ろしながらブログに綴ることができたのは、ありがたいことでした。

先日、このブログの最初のエントリー(2005年8月1日)を久々に読み直してみたら、当時の気持ちがよみがえってきました。日本に帰るべきか、ベルリンに残るべきかで個人的には悩んでいた時期でしたが、翌年のワールドカップドイツ大会を控え、町全体は高揚感に包まれていました。自分としてはまだベルリンにいたいという気持ちの方がずっと強く、ならばなぜ自分がベルリンに惹かれるのか、ブログに綴ってみてはどうかと思い、始めたのが当ブログでした。幸い、時間だけはたっぷりありました。

最初の3年間はかなり頻繁に更新したと思います。読者の方からいただくコメントにも触発されたからでもあり、単純に楽しかったからでもあります。少しずつですが、ブログを通して仕事をいただくようになりました。何の当てもないまま異国でフリーランスの身になった自分にとって、ブログは自分に希望を与えてくれる存在だったと言えるかもしれません。

10年を振り返ってみると、ブログを通して多くの出会いやお仕事に恵まれ、世界も広がりました。あのときベルリンに残ることを選んでよかったと思っています。

さて、今回の10周年に合わせて、開設以来初めてリニューアルすることになりました。これまでもいろいろな方からリニューアルやHP製作の勧めをいただいてきたのですが、重い腰が上がらなかったというのが正直なところで……。そんな折、イラストレーターの友人、高田ゲンキ美穂子さん夫妻にブログ10周年の話をしたら、この機会にやってみてはどうかとアドバイスを受け、彼らの心強いバックアップを頼りに新しくサイトを作ることにしました。こうしてできあがったのがこちら(http://berlinhbf.com)です。

ITに長けたイラストレーターのゲンキさんには、主にサイトのコンセプトやデザイン面で力になってくださいました。新しいURLの取得から1000以上ある記事の移し替え、全体のレイアウトまで、1人ではとうていできなかったであろう作業をスピーディーに進めてくださり、あっという間に形になってきました。そして、昨年このブログのトップ画像へのイラストを2回提供してくださった美穂子さんが、新サイトのタイトルのロゴを作ってくださいました。私の希望である駅やベルリンの街のモチーフをちりばめながらも、全体的にアナログテイストに仕上げてくださり(妻曰く「昭和の駄菓子屋さんの看板みたい」と^^)、このちょっと懐かしい雰囲気が気に入っています。写真もより大きいサイズでアップできますし、内容はこれからも変わらず、ベルリンの街歩きから、見たものや聴いたもの、育児のことまで、幅広く綴っていけたらと思っています。

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この写真、それから冒頭の写真は、ブログを始めた直後の2005年8月末の日曜日に壁公園Mauerparkで撮ったもので、この10年間のベルリンの変化を象徴するスナップとして選んでみました。最近たまたま見直してみて、驚きました。壁公園のしかも夏の日曜日、10年前はまだこんなに人がまばらだったのかと!

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こちらはこの7月頭に撮ったもの。現在はこのような賑わいが当たり前の光景になりました。

壁公園に限らず、通りを歩いていても、10年前に比べてベルリンに来る人が増えたのは確かに感じます。英語やスペイン語を街で聞く機会が格段に増えました。世界中からの旅行者、南欧からベルリンに移住する若者、ロマの人びと…。テレビや新聞を見ると、現在ヨーロッパを揺るがす難民の受け入れを巡るニュースに触れない日はないほどで、この辺りはメディアを通して知る情報に対して、まだ自分の体の感覚が付いていけていないところもあります。

さまざまな人を抱え込んで、この街はどこへ向かうのでしょう。歴史を振り返ると、ベルリンが人種と文化の坩堝と化した時代は確かにありました。ナチス時代、東西分断の時代を乗り越えてきたベルリン(そしてドイツ)は、過去の経験をどう生かすか、まさにいま試されているのではないかと思うときがあります。人当たりが多少ぶっきらぼうでも、多様性を重んじ、等身大の自分と他者を尊重し合える街であり続けられるのか。さほど裕福でない人にとっても、笑顔で心地よく過ごせる都市のままでいてくれるのか。

そんなベルリンの空の向こうに、私はやはり今大きく揺れている日本を見ています。

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エキサイトブログでの更新は今回がひとまず最後となります(完全な引っ越しが終わるまで、まだしばらくは残しておくつもりですが)。10年間本当にありがとうございました!新装オープンする『ベルリン中央駅』でもどうぞよろしくお願いいたします。
by berlinHbf | 2015-08-03 23:23 | ベルリンのいま | Comments(4)

長男誕生3、4ヶ月目 - 日本行き -

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月に1回ぐらいはベルリンでの子育てのことを綴っていけたらと思っていたが、いつの間にか前回の投稿から2ヶ月が経ってしまった。3月半ばからのこの間を少々振り返ってみたい。最初の2ヶ月との大きな違いは、まだまだ小さな赤ちゃんながら、生活のリズムが少しずつできてきたことだろうか。どうしても夜寝付いてくれなくて、深夜に抱っこ紐を身につけて近所を歩き回ることはこのところまずなくなった。顔の表情が豊かになって、にっこり微笑んでくれることも増えてきた。そして私たちにとってありがたかったのは、まだまだ気持ちがいっぱいいっぱいになることも多い時期に、季節が春を迎えたことだった。私は家で仕事をすることも多いので、そういう日は大体午前か午後に一度、ベビーカーで散歩に出る。今住むアパートは階下のスペースが狭いので、ベビーカーを下に止めておくことができず、毎回組み立てて下に運ぶのが少々難だが、一旦外に出てしまえば、ベルリンの土地は大体平坦なのでベビーカー移動は非常に快適。

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好きな散歩コースの1つは、徒歩10分ぐらいの距離にあるヴィルマースドルフのフォルクスパークという公園まで往復すること。行き方はいくつかあるが、私たちはよくプリンツレゲンテン通りを歩く。写真のヴァークホイゼラー通りと交差する辺りに、ヴァルター・ベンヤミンが1930年から亡命する1933年まで住んでいたアパート跡がある。残念ながら建物は戦争で破壊されたが、跡地に記念プレートが掲げられており、ベンヤミンはここに滞在している間に『ベルリンの幼年時代』の一部分を書いた。私がベルリンで最初に住んだアパートがベンヤミンの生誕地のすぐ近くだったこともあって、この人物には個人的な縁を感じてしまう。

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ここを過ぎると、フォルクスパークはもうすぐ。東西に細長いこの公園は、一周すると結構な距離になる。この斜面は、冬に雪が積もると子供たちのそり遊びの舞台になる。

それ以外で思いつくのは、毎月1回小児科に定期健診に行く。大変お世話になった助産婦さんとのお別れ(卒業)があった、などだろうか。助産婦さんからは「そろそろKita(幼稚園)を探し始めるといいわ」と何度も言われていたのだが、まだそこまではなかなか余裕がないというのが正直なところ。そして、4ヶ月目で早くも息子のパスポートをベルリンの日本大使館で作ってもらった。こんなに早くパスポートを作ったのは、首がほぼ据わったこの時期に合わせて初の一時帰国をするためで、この雑文は横須賀のスタバで海を見ながら書いている。

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ベルリンからは日本への最短であるヘルシンキ経由で帰ることにしたのだが、やはり約9時間という長時間のフライトが心配だった。気圧が変わる離陸と着陸時は、息子に授乳、またはおしゃぶりをくわえさせてしのぐ(普段おしゃぶりは嫌いなのだが、今回は持ってきて本当によかった)。途中もちろん何度か泣くことはあったし、赤ちゃん用ベッドではあまり寝てくれなかったけれど、成田に着いたときに、フィンランド人のフライトアテンダントさんは「まだ小さいのに、この子はよく頑張ったわね」と褒めて(?)くれた。実際、初フライトにしてはよく頑張ったのではないかと思う。飛行機ではちょうどバルト三国周遊の日本人ツアー客と乗り合わせたのだが、孫を持つ世代の何人もの方から声をかけられ、温かい目で見てくださったのがありがたかった。もっとも、私は飛行機の中でわずかながらも寝られたが、妻は結局一睡もできなかったそう。成田空港まで母が車で迎えに来てくれ、横須賀の実家に着いたときはさすがにほっとした。今日はこれから2人の弟が息子に初めて会いにやって来るなど、約3週間の今回の一時帰国は、これまでとは違う特別なものになりそうです。

by berlinHbf | 2015-05-23 21:39 | ベルリン子育て日記 | Comments(1)

長男誕生2ヶ月目

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Sバーンの車内にて(2015-03)

長男が誕生して早2ヶ月が過ぎた。当然ながら生活はがらりと変わり、すべてが子供中心に動くようになった。環境の変化も著しいが、赤ちゃんの表情や仕草も日が経つにつれて刻々と変わっていく。「寝られるときに寝る、やれることはやれるときに」を基本姿勢に、それでも大半のことは終えられぬまま、毎日があっという間に過ぎていくけれど、後から振り返ったらきっと貴重だったと感じられるであろうこの時間を少しでも記録に留めておきたいとも思う。この1ヶ月の間にやったことをいくつか書き留めておくと、

a. 子供手当(Kindergeld)と両親手当(Elterngeld)の申請手続きをした。
b. U3と呼ばれる1ヶ月検診、そして最初の予防接種(Impfung)を近所の小児科で受けた。
c. 区の青少年局の担当者が家庭訪問にやって来た。
d. 2月頭に日本大使館に提出した出生届が、日本に届き、月末に市の戸籍に息子の名前が反映された。

aは友人夫婦に見てもらいながら、(少々複雑な)書面の手続きを済ませることができた。子供手当(月額184ユーロ)の支給は比較的すぐに始まったが、両親手当の方は少し時間がかかる模様。bの1ヶ月検診からは、かかりつけの小児科を自分で探し、予約する必要がある(U1とU2は分娩病院で行なわれる)。定期的に行くことになるので、なるべく家から近くて、行きやすい小児科を探すのがいいとアドバイスされた。cは、ベルリン市から「いついつに担当者が伺います」ということが書かれた手紙が送られてくる。青少年局のベテランの方が、子供を持った両親のコミュニティの場だとか、幼稚園の探し方だとかを、持ってきた資料と共にいろいろアドバイスしてくださり、ためになった。dの戸籍謄本は、日本のパスポートを申請する際に必要となるもの。私の場合は、実家から送ってもらった。

まだまだわからないことも多いけれど、いろいろな人に助けられながら、少しずつ前に進んでいる感じです。

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生活面での大きな変化は、最初の1ヶ月目に比べると、ベビーカーで外に出る機会が格段に増えたことだろうか。友人夫妻から譲ってもらったベビーカー、初めて組み立てて外に出るときはそれだけでドキドキだったが、慣れればどうということはない。バスや地下鉄に乗ってと、行動範囲も少しずつ広がってきた。特にバスは利用しやすく、後部ドアから乗ることができるのが嬉しい。よほど混んでいない限りは、指定の場所に車を止めて、自分も椅子に座れる。

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一昨日足を運んだシェーネベルクのイタリアンカフェは、最初の部屋を抜けると、子連れの家族でも利用しやすそうな部屋がある。以前から気になっていた場所なのだが、ここに座ったのは今回が初めて。後からやって来た同じ子連れの人たちと自然に会話が生まれた。もう少し暖かくなったら、外で過ごす時間が増えてくるのかもしれない。
by berlinHbf | 2015-03-21 22:43 | ベルリン子育て日記 | Comments(8)

長男の誕生に際して

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分娩病院にて(2014-12)

めまぐるしく動いたこの1ヶ月だった。先月半ば、長男がベルリン市内の病院で生まれた。ようやく少し振り返る余裕ができたので、いくつか記憶に留めておきたいことを書こうと思う。

妻の陣痛が始まったのは、1月半ばのある日。分娩病院からは陣痛が3〜5分間隔になってから来るように言われていた。あまり早い段階で行くと、一度自宅に返されてしまうという話も聞いていた。そんなこんなで、病院に行くタイミングがつかめぬまま長い1日が終わり、いよいよ妻の痛みが増してきたのだが、間隔がなかなか縮まらない。朝になるまで待ってみるか、かなり迷ったのだが、とりあえずお泊まりセットを持ってタクシーで病院に行ってみることにした。深夜の1時半頃だった。

「グッド・ラック!」と別れ際に声をかけてくれたタクシーの運転手さんと別れて病院へ。電話をかけて、病院のドアを開けてもらう。検査が終わったところで、「あなた方はこのまま病院にいていいわよ」と看護師さんが言ってくれて、まずは一安心。陣痛室でほとんど寝られぬまま、朝になって分娩室へ移動。そして、その日の午後、冬のこの時期にしては穏やかな日が窓から差し込める中、長男がこの世に誕生したのだった。母体からニョキニョキと出てきたわが子を初めて見たときのその戸惑ったような表情、そして助産婦さんからいきなり「はい!」と言ってハサミを渡され、へその緒を切ったときの感触などは忘れられない。

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誕生の直後から母子同室が始まり(私もその日は家族部屋に一緒に泊まった)、その晩にオムツ替えや母乳の指導を受けてから、早速同じベッドでちっちゃな新生児と寝ることになった。翌日の夕方、日本からやって来た義理の母を迎えにテーゲル空港に行く。生まれたばかりの孫と嬉しい対面を果たしたものの、その少し前から気になっていた異変に対する不安が当たってしまう。生まれたばかりの子にしては、寝てばかりで、食欲もあまりなかったのだ。たまたまチェックに来た看護婦さんが体温を測ったところ、赤ちゃんにしてはかなり低めであることがわかり、早速新生児病棟に送られることになる。さすがにこのときは心配だったが、抗生物質などを投与してもらった結果、すぐに回復したが念のため様子を見てもらうことになった。大仕事をしたばかりの妻は部屋から離れた新生児病棟へ、数時間毎に母乳をあげに行くのが大変だったようだ。


ドイツでは、出産後何もなければ3日ぐらいで退院すると聞いていたが、私たちの場合はこのようにいろいろあって出産から6日後に退院。それから約2週間は、義理の母が食事などでいろいろサポートしてくれたのがありがたかった。もう一つ、自宅での育児が始まったばかりの私たちを助けてくれたのは、助産婦さんの存在だった。ほぼ毎日自宅に来て、授乳の仕方から赤ちゃんのケア、産後の母体のチェックなど丁寧に見てくれて、精神的にも大きな支えになった。これは日本と大きく違うシステムで、基本的に通常の健康保険ですべての費用が賄われるのも驚きだった。これからは子育ての視点を通して、ベルリンの街やドイツの社会の仕組みを見ることができるのが、楽しみである。

1月下旬のある夜、日頃から親しくさせてもらっている日本の新聞社の特派員の数人が、私のためにささやかなお祝い会を中華料理の店で開いてくださった。日頃は冗談をよく言うある記者さんが、突然私にこんなことを言った。「子供が生まれてきたとき、世界平和を願いませんでした?」。「世界平和」などという壮大な言葉がいきなり出てきてちょっとびっくりしたが、彼の語ることは何となくわかった。「僕も子供を持ってから、子供絡みの事件や事故により敏感に反応するようになった気がしますね」と別の知人は言う。ちょうどパリのシャルリー・エブドの襲撃事件と追悼デモの直後で、フランスの取材から帰ってきたばかりの彼らからいろいろ話を聞いた。後になって、長男が生まれた2015年1月を振り返ると、真っ先に思い出されるのはこの月に起きた一連のテロ事件なのかもしれない。息子が自分たちのところに来てくれてありがとうという気持ちは強いけれど、同時に人の命があまりに粗末に扱われている今の荒涼とした世の中に放り込まれてきたことに対して、なんだか申し訳ないという感情も少なからずある。この1ヶ月ちょっと、時間的に余裕がなかったせいもあるが、インターネットのニュースや言説空間にはなるべく触れないようにしようと務めていた気がする。自国民のみが良ければいいという利己主義や、他者や他民族への憎悪に満ちた今の世界。そしてそれがあっという間に連鎖し、波及するのを助長するネット世界の負の側面に嫌気がさしていたのだと思う。そんなものに関わるのだったら、シューベルトのピアノソナタを聴きながら、目の前にいる生まれたばかりの小さな生きものを眺めている方がどんなにいいか。たとえ、オムツを替えるときにおしっこをひっかけられても・・・(こんなことを書くようになったのも、親バカの第一歩なのかどうかはわからないけれど)。

少し前に、義理の母が日本から持ってきてくれた季刊誌『考える人』2015年冬号を開いた。「家族ってなんだろう」という特集記事にある人類学者の山極寿一さん(ゴリラ研究の第一人者)のインタビュー記事がめっぽう面白かった。家族が一人増えたばかりの自分にとって、特に印象に残ったのはこんな箇所だった。
家族というのは、実は他人とのつき合いから始まる。要するに妻と自分には全く血縁関係がない。しかも歴史を共有していない。育ってきたプロセスは知らないわけですから。他者ですよね。他者との間に子供をつくる。子供はゼロから自分が責任を負うわけです。あるいは子供にとったら、もう既にゼロから自分を取り巻いている人々がいる。それは一生つき合わなくてはならないもの。それを僕はネガティブなものと考えていたけれども、ポジティブなものかもしれない。
どういうことかというと、子育てをやってみたら膨大な時間を子供に対して与えなくてはいけないことがわかる。あらゆるものを犠牲にして。子供が病気になれば何もかも捨てないといけない。それは戻ってくるものではない。ただ価値観をそこでいったん麻痺させて、誰かのために自分の時間を捧げるのは、非常に人間的な行為です。人間的と言うよりも、むしろ生物としての行為です。ゴリラもそうなんだから。そして人間はそれを大きく広げたのです。
自分を犠牲にする行為がなぜなくならないかというと、根本的にうれしいことだからです。母親は自分のお腹を痛めて産んだ子だから当然かもしれないし、養子に迎えた子や、あるいは近所の子であっても、子供に対して尽くすのは、人間にとって大きな喜びです。不幸なことになったり、アクシデントが起こったときに、子供を助けてやりたいと思う気持ちは、人間が共通に持っている幸福感なのです。それがあるからこそ、そして分かり合えるからこそ、人間は存在すると思うのです。
私はアフリカでNGOの活動をずっとやってきました。文化も社会も違い、言葉も違う人たちだけれども、何が一番根本的に了解し合えるかといったら、「未来のため」ということ。子供たちのために何かをしてやりたい、現在の自分たちの利得感情で世界を解釈してはいけない。自分たちの持っている資源を未来の子供たちに託さなければいけないという思いです。そういうことを重荷と思ってはいけないのです。
人間というのは、現在から来る抑制ではなくて、タイムスケールの長い過去と未来に縛られる抑制によって生きている。それが人間的なものだと思います。
『考える人』(新潮社)2015年冬号 「山極寿一ロングインタビュー」より

自宅と病院の間を往復した日々、バスや地下鉄の中で、私は息子がこれからどのように育っていくのかあれこれ想像した。私の幼少期の原風景というと、生まれ故郷の横須賀の海や、そのすぐ近くにあった赤色の小さな貸家、周りの墓地や田んぼなどだが、この子にとっては、高い天井のアパートやベルリンの冬の曇り空、くすんだ街並になるのだろうか。いつの日か自分の幼少期をどんな風に振り返るのか、興味あるところである。そういえば、息子は『1900年頃のベルリンの幼年時代』を書いたヴァルター・ベンヤミンと同じく、シャルロッテンブルク区生まれとなった。正真正銘のベルリンっ子である。逆に今後、自分と日本との関係を彼はどのように築いていくのだろう。できれば早いうちに、日本の山河や人びとにも触れさせてあげたいなと思う。親として、これから喜びも悩みも尽きないと思うけれど、初めて共に過ごす春を迎えるのが待ち遠しい。

by berlinHbf | 2015-02-20 01:11 | ベルリン子育て日記 | Comments(16)

Frohes Neues Jahr 2015!

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Tauentzienstr.にて(2014年12月26日)

新年あけましておめでとうございます。

昨年はいつになく時間が経つのが早く感じられました。特に9月から12月中旬まではこれまで経験したことがなかったほどめまぐるしい日々でしたが、お仕事に恵まれ、充実した年を送ることができたように思います。本業の執筆の方では、この秋は多くの方にインタビューする機会がありました。少しずつですが、自分が本当に書きたいテーマのお仕事もいただくようになり、今後もたゆまず努力していきたいと思っています。

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ベルリンは12月28日に初雪が降り、一面雪景色となりました。翌29日のシェーネベルク地区のアカーツィエン・シュトラーセの様子。

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大晦日にスーパーに行ったら、パンコーナーに行列ができていました。ドイツは地域差があって一概には言えないのですが、ベルリンではこの日にプファンクーヘンPfannkuchenと呼ばれる揚げパンを食べるのが伝統です。一番ポピュラーなのはジャム入りのものですが、昨日は卵入りリキュール(左)やチョコ入りなど、いろいろな種類のものが店頭に並んでいました。部屋の掃除を終えてから、私はリキュール入りのパンをほおばりました^^

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昨日は直前になっておもいがけずにベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートを聴けることになり、夕方妻とフィルハーモニーに足を運びました。同じプログラムの29日の演奏会を聴いたことは何度かありますが、31日のコンサートを聴くのはラトルが音楽監督に就任した2002年以来のこと。テレビ中継が入る大晦日の公演はやはり雰囲気が特別で、夢の中にいるようでした。ベルリン・フィルの第1ヴァイオリンの音のシャワーを間近に浴び、ラトルの表情を眺めつつ、メナヘム・プレスラーが弾く枯淡のピアノに酔いました。心から感動したので、また別の機会に感想を書きたいと思っています。

2015年は戦後70年。ベルリンに住む私にとっても、執筆の大きなテーマになるだろうと思います。早いもので、このブログも夏に10周年を迎えます。皆さまと世界の人びとにとって、幸せな1年となることを願いながら。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

by berlinHbf | 2015-01-01 20:28 | ベルリンのいま | Comments(4)

2014、白アスパラの季節!

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今年は5月に入ってからも肌寒い日が続いていたのですが、今日はこれ以上ないというぐらい最高の五月晴れ。昨夜1つ大きな原稿を書き上げ、気持ちも少し楽になったところで、今日は自転車で街に出てみました。現在フルートメーカーに勤める大学時代の友人が出張でベルリンを訪れていたので、午後に楽器屋で会った後、ヴィルマースドルフのフォルクスパークに面したカフェへ。カフェの窓から見えるこの行列は、隣のアイス屋さんがお目当ての人たち。これから金曜日にかけて、気温は30度近くまで上がるそうです。

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ちょうど今、白アスパラが旬の時期を迎えているので、久々に食べ物のお話を。先日、ドイツ人の知人宅でアスパラをごちそうになってきました。以前このブログのインタビューコーナーでご紹介したメヒティルトさんのお宅。毎年5月になると、彼女はいつも旬の味覚でもてなしてくださいます。
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メヒティルトさんはベジタリアンで、食べ物もオーガニックにとてもこだわります。太い立派なアスパラも、ほくほくしたジャガイモも、近くの野外マーケットから仕入れてきた新鮮なもの。これに炒り卵とサラダが付け合わせとして出され、アスパラはバターと塩コショウのシンプルな味付けでいただきます。毎年ほぼ同じメニューですが、これを食べると今年も5月が巡ってきたなあと実感します。
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知人との会食で、一度レストランでも白アスパラを食べる機会がありました。これはシャルロッテンブルクのケネーゼベック通りにあるBelmondoというフランス料理のお店。メニューには他にも美味しそうなものがたくさん並んでいましたが、ちょうどシーズンが始まったばかりのアスパラメニューに目が行ってしまったのです。いくつか付け合わせのオプションの中から、私はサーモンのグリルを選びました。何気なく口に運んだところ、これが絶品。固すぎず柔らか過ぎず、湯で加減が絶妙な白アスパラから、カリッと香ばしく焼き上がったサーモン、しっとり味わい深いジャガイモまで、レストランで食べたアスパラ料理ではここ数年で屈指のお味でした(なんて、私の料理評などあまり当てにしないでいただきたいですが^^;)。こちらはクリーミーなオランデーズソースでいただきました◎

Restaurant-Bar Belmondo
Knesebeckstraße 93
10623 Berlin
Tel (030) 362 87 261
http://belmondo-berlin.de

by berlinHbf | 2014-05-21 00:18 | ベルリンあれこれ | Comments(4)

季刊誌「考える人」(新潮社)と本との出会い

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新潮社に「考える人」という私の好きな季刊誌がある。この秋の一時帰国でのある出会いから、自分と「考える人」、そして本そのものとの出会いについて綴ってみたくなった。


小学3年生の夏、私は親に連れられてたまたま観に行ったある映画に感化され、人生初ともいえる大きな目標を立てた。それは、「中学1年生になったら、ブルートレイン『はやぶさ号』の個室寝台に乗って1人で旅をする」というものだった。「はやぶさ」というのは、東京から西鹿児島までを結び、当時日本最長距離を走った寝台特急のこと。2013年現在、ブルートレインはいよいよ全廃の危機に立たされているが、当時東京駅を発着する寝台列車には少年たちを見知らぬ世界へと誘う独特の華があったように思う。中でも「はやぶさ」や「富士」といった列車には1泊1万4千円の個室寝台が連結されており、これが当時国鉄でもっとも「ぜいたくな」寝台車と言われていた。中学1年になって一人旅をしようと決めたのは、大人料金となる中学生から、一人で旅行するのも許されるだろうというイメージがあったからに過ぎない。私は早速時刻表を買ってきて、空想旅行をするようになった。地図を眺めるのが好きになったのもこの頃からだ。

その年(1984年)の秋、両親のどちらかが「こんな本が出たよ」と新聞に載った新潮社の新刊案内を私に教えてくれた。そこにこんな題名の本が紹介されていた。『旅の終りは個室寝台車』(宮脇俊三著)。タイトルだけに惹かれて、早速この本を買ってもらった。それは私が生まれて初めて買った活字だけの本であり、いわば大人が読む本だった。宮脇俊三という紀行作家が日本のあちこちを一風変わったルートで旅したり、いまや消えて久しい昭和の名物列車に乗ったりする紀行文。最初は毎晩寝る前に父親に読んで聞かせてもらっていたが、宮脇さんの文章は、使われている語彙こそ豊富だが、比較的平易な文体で書かれている。その面白さに気付くと、私は一人でも読むようになった。ここでの旅の特徴は、新潮社の若い編集者(藍孝夫氏という)が毎回同行することで、鉄道に全然興味がない編集者と宮脇さんとの時にちぐはぐなやり取りがユーモアを生む。お目当ての「個室寝台」は最後の章にちょこっと出てくるだけだったが、私はこの本で、活字だけを用いながら車窓からの山河やそこに住む人々の暮らしをも想像させてしまう読書の面白さに開眼した。山陰線に乗れば長門と石見とで瓦の色が違う。日本列島は中央構造線とフォッサ・マグナによって分けられているのか……。宮脇さんの旅を通して、日本各地の地理や風土を楽しみながら学んだ。

この本には続編がある。やはり「小説新潮」の連載から生まれた『途中下車の味』という旅行記だ。この本を書店で見付けたのは、私が中学に上がった春だった。同行者は藍孝夫氏から松家仁之氏という同じ新潮社の若手編集者へと引き継がれる。松家さんも特に鉄道には興味がないらしく、車中で居眠りをするシーンが出てくる一方、地理の洞察をさりげなく示して宮脇さんを驚かせたりもする。この1988年の夏、私は「念願」が叶い、「はやぶさ」に乗って九州へ一人旅をした。この時の旅の話はまたいつかしたいとも思うが、不思議なことに、実際にブルートレインに乗った時間よりも、宮脇さんの旅行記を読みながら、未知の土地や列車に想いを馳せていた時間の方が印象深い記憶として残っているのである。

それから大分時が流れて、2004年ぐらいのことだったと思う。たまたまネット上で松家仁之さんの書かれた文章を見つけた。新潮社の「考える人」という雑誌のメールマガジンで、その前年に76歳で亡くなった宮脇俊三さんの1周忌に関する内容だった。宮脇さんは旅行作家として独立する前、中央公論社の「婦人公論」や「中央公論」の編集長を務め、数々のベストセラーを出す名編集者として知られた。そこでは彼の功績と仕事ぶりについて触れられ、「かつて宮脇さんの担当で一緒に全国をまわったとき、うかつにも何度か居眠りをしてしまった。あの長い時間の中で、うかがえることはいろいろあったはずなのに」と結ばれていた。最後に「編集長 松家仁之」とあった。

宮脇さんの本で名前をずっと覚えていた松家さんが新しい雑誌の編集長になっていたことに、変な話だけれど、私にはいささかの感慨があった。それから「考える人」のメールマガジンを読むようになった。日々の雑感から読んだ本や見た映画の話、時事のテーマに至るまで話題は多彩で、松家さんの流れるようなリズムの、しかも芯の強い文章にすっかりとりこになった。やがて、氏が音楽にも造詣の深い方であることがわかってきた。2007年夏のクラシック音楽の特集号はどうしても読みたくて、日本からの客人に持ってきてもらった。作家の堀江敏幸さんが聞き手役となった音楽評論家の吉田秀和さんへのロングインタビューは、それまで出会ったことのなかった新鮮な空気にあふれ、雑誌というものがまだ持ち得ている可能性さえ感じた。

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松家さんは2010年に作家として独立し、処女小説の『火山のふもとで』が最近読売文学賞を受賞したのは周知の通りである(残念ながら私はまだ未読だが)。作家としての松家さんの文章をこれからたくさん読めるのが待ち遠しい。

松家さんの後任として「考える人」の編集長になったのは、河野通和さんという方だった。この方のメールマガジンの文章も素晴らしく、どんなテーマを題材にしても優しく語りかけてくるようで、本への愛と深い教養がにじみ出ている。もともと河野さんは中央公論社の編集者で、「中央公論」と「婦人公論」の編集長を歴任していたことを後に知った(特に「婦人公論」では大胆な刷新をして、一時期の低迷から生き返らせたという)。つまり、宮脇俊三さんと同じ道を歩まれてきた方だったのだ。面白いのは、宮脇さんが中央公論社を退社した1978年に河野さんが入社され、1、2ヶ月ほど時期が重なっていたことで、お2人の間にはいくばくかの交流もあったようだ。

たまたま自分が好きになった雑誌の編集長が2人共、私の読書体験の原点ともいうべき人と直接のつながりがあったことに、私はささやかな興奮を覚えた。これは何かの縁なのか。もちろん自分の思い込みに過ぎないことはわかっていても、河野さんからのメールマガジンが届く度に、一度お会いしてみたいという思いを抱くようになった。とはいえ、新潮社にコネクションがあるわけでもなく、今回の一時帰国中もそんなことを思いながら時間ばかりが流れていた。が、ベルリンへ戻るまで1週間を切ったある日、私は思い切って新潮社に電話をかけてみた。いきなり知らないところに電話して、口頭で自己アピールをするというのは自分のもっとも苦手とすることである。だが、次に日本に帰って来るのは間違いなく来年だ。そんなことも言っていられなかった。受付の方が「考える人」の編集部につないでくれると、しばらくしてハキハキした口調の女性編集者の声が電話の向こうに聞こえた。私は簡単な自己紹介と、編集長にお会いしたい旨を伝えた。「そういうことでしたら、一度メールをいただけますか。編集長の都合を聞いた上で、折り返しご連絡しますので」。そのわずか20分後ぐらいにお返事が届いた。なんと翌日会っていただけるという。ひょっとしたら私が普段海外に住んでいることで便宜をはかってくださったのかもしれないが、それにしても「まさか」だった。

その翌日、神楽坂にある新潮社のロビーで河野編集長と、前日電話で応対してくださった編集部のKさんにお目にかかることができた。河野さんは物腰穏やかで、包容力を感じさせる人物という印象。中央公論の新人時代、宮脇俊三さんと接したときのことも話してくださった。自分がベルリンでどういうテーマについて書いてきたかもお話ししたが、少々舞い上がってしまい、しどろもどろになってしまった……。びっくりしたのは、ベルリンに共通の知人がいたこと。20分ぐらいだったけれど、今回の日本滞在の中でも特に印象深い時間となった。

ベルリンに戻ってから河野さんにお礼のメールをお送りしたら、すぐに返信をいただいた。そこに、ある新聞のリンクが貼られていた。「考える人」最新号の巻末にある村上春樹氏の寄稿「厚木からの長い道のり」を紹介した日経新聞の記事だった。ご存知の方も多いだろう、村上春樹が指揮者の小澤征爾を連れてジャズピアニストの大西順子の「ラストコンサート」に行った。大西さんの最後の挨拶の最中、突然小澤さんが立ち上がって「おれは(引退に)反対だ」と言い放ち、そこから今年9月の両者の奇跡的な共演に至る道のりを詳しく追った内容だ。日経新聞の記事では最後の方にこう書かれている。
ふだん小説というフィクションの世界に住む村上が「事件」の当事者としてかかわり、克明に書きとめたノンフィクションはまれだろう。筆致には、コンサートさながらのライブ感覚があふれる。雑誌の編集作業を少しでも知るなら、9月6日の出来事を長々、10月発売の季刊誌に入れるのは「ほぼ不可能」と考える。「考える人」の河野通和編集長も、3カ月後の次号に載せるつもりだった。だが「村上さんは熱く語り、どうしても直近の号に収めてほしいと、最速で原稿を届けてきた」。河野編集長は大作家の特別寄稿には異例の巻末とじ込みで対応し、埼玉県内の印刷所で陣頭指揮をとった。
これを読めば河野編集長にとっても大変思い入れの強い記事となったことは想像できるが、それでも河野さんご自身は、このエッセイの存在が周知されていないもどかしさを感じているという。私自身大変面白く拝読したが、不可解に感じる点もあった。それは、ジャズピアニストとして確固たる地位を築き、まさに脂ののった最中にある大西さんが、「なぜ音楽をやめなければならず、そのためにピアノを売り払い、生活していくためのアルバイト(音楽とは全く関係のない仕事だという)をしなければならないのか」ということ。村上さんはその背景として、日本の音楽ビジネスの状況に強い疑問を投げかけているが、詳しい事情までは書かれていない。周知の通り、松本での小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラとの共演は大きな話題を集めた。だが、打ち上げ花火のように華々しいコンサートが終わった今、大西さんが音楽活動を再開するための環境が改善され、復帰の目処はついたのか、とても気になる。河野さんからのメールには、「特集や他の記事ももちろんですが、一人でも多くの方にこれを読んでもらいたい。中村さんの方からもご紹介いただけたら」ということが書かれていた。世界的作家の記事を私なんぞが紹介するのも不思議な話だけれど、雑誌「考える人」と最新号の「厚木からの長い道のり」をご紹介する前に、まず私自身の「『考える人』へとつながる長い道のり」について書いてみたくなった。そのことを河野さんに伝えたら、10月にお会いしたことも含めて、拙ブログに書くことを快く了承いただいた次第。

大学生になる前、一度だけ宮脇俊三さんに手紙を書いたことがある(几帳面な字で書かれたお返事をいただいた)。実際にお会いする機会はついぞなかったが、今回の出会いは10年前に亡くなった宮脇さんが引き合わせてくれたようにも思う(こんなことを書くと、笑われてしまうかもしれないけれど……)。とはいえ、書物には長い時間をかけて人と人とを結びつける不思議な潜在力がある。「考える人」という雑誌は、毎回冒険心にあふれながらも、長い人生の中でじわじわと栄養がつきそうな読み物がぎっしり詰まっている。秋の読書のお供にいかがだろうか。


季刊誌「考える人」2013年秋号
定価1,400円

特集
人を動かすスピーチ

村上春樹 厚木からの長い道のり
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』

「考える人」メールマガジンの登録はこちらより
by berlinHbf | 2013-11-21 22:53 | ベルリンを「読む」 | Comments(10)

ベルリンでの12年間 1933-1945, 2000-2012

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Prinzregentenstraßeにて (2013.02)

何のあてもないまま、私がベルリンにやって来たのは2000年の9月25日。高橋尚子がシドニー五輪で金メダルを獲得した翌日だ。いつの間にか、丸12年を迎えたことになる。2年前の10周年のときも一区切り付いた感じだったが、ベルリンで12年間を過ごしてきたことにも感慨がある。というのも、ナチスが政権を握ったのが1933年1月末、第2次世界大戦でドイツが降伏したのが1945年5月。12年という歳月は、ナチスがベルリン、そしてドイツ(に留まらないが)を支配していた年月にほぼそのまま当てはまるからだ。

12年間という年月は、私の経てきた人生の約3分の1の長さ。それなりに長かった気もするが、あっという間に過ぎ去った感覚も確かにある。世紀という単位で見れば、5分の1に過ぎない。なのに、70年以上昔の12年間が、いまもドイツでは繰り返し語られ、メディアで報じられる。新しく記念碑が建てられたり、著名人の誰々が当時ナチスに関わっていた事実が明るみになって社会問題になったりもする。

あの12年とは何だったのか。身近なところで考えさせられる出来事がここ最近続いた。

昨年9月半ば、グルーネヴァルト駅17番線の記念碑に日本からのお客さんを連れて行ったときのこと。夕刻の時間だった。かつて多くのユダヤ人が強制収容所に連れ去られたホームの周囲は閑散としていたが、記念写真を撮っていたとき、ホームに降りる階段に60代後半ぐらいの女性が座り佇んでいるのに気付いた。ほっぺに手を当て、視線は遠い空の方を向いていた。涙を流しているようにも見えたが、それは定かでない。その悲しみの表情が、映画『ベルリン・天使の歌』の地上防空壕の撮影シーンでワンカットだけ登場するユダヤ人女性の表情にそっくりだと思った。近くにいた私と同年代ぐらいの男の人に写真を頼まれ、ふと聞いてみたら、案の定彼女の息子とのことだった。彼らはイスラエル人。旅行でベルリンを訪れ、ホロコーストで犠牲になった親戚を偲ぶためにここに来たのだという。それにしても、あの年配の女性の悲しみの表情が忘れられない。70年も昔に起きたことだという事実を忘れさせる生々しさがあった。

昨年9月のある日、知人のインゲさんという年配の女性が突然亡くなったと聞かされた。親しい知人を通して知り合い、10代半ばの孫娘が日本に興味があるというので、何度か食事を共にする機会があった。実際にお会いしたのは計3回に過ぎないのだが、それでも強く印象に残っているのが、ご自宅で夕食をご馳走になったときのことだ。彼女のアパートは、女優マレーネ・ディートリッヒのお墓があるシェーネベルクの墓地のすぐ近くにある。「ディートリッヒの遺体があの墓地に埋葬された日、私はここから様子を見ていたわ。すごい人出が押し寄せて、警備も厳重だった」と話した後、インゲは「マレーネ・ディートリッヒって人知ってる?」と孫娘のアンナに語りかけた。「名前は知っているけれど」という若いアンナに対し、インゲはディートリッヒのことを説明し始めた。映画女優としての活躍だけでなく、ナチを嫌悪してアメリカに亡命したこと。第2次世界大戦中は戦場を訪れ、歌でアメリカ兵を慰安したこと。そのため、ディートリッヒが戦後ベルリンに戻ってきたときは、一部のドイツ人から非難と罵倒さえ浴びたこと…。私が聞いてもわかりやすく、かつ正確に話すので驚いたのだが、インゲは昔歴史の先生だったのだそうだ。「どうりで」と思ったら、そこから思わぬ方向に話が展開した。「私の父はナチだった」というのだ。

インゲはかつて東プロイセンと呼ばれた現在のポーランド領に生まれた。父親はドイツ国防軍の将校で、彼女が4歳の1944年にソ連で戦死している。翌年ドイツが敗戦を迎えると、突然故郷を追われ、一家は命からがら逃れて来たのだそうだ。父親が早くに亡くなった悲しみの一方、ナチスに信奉していたことで、父親に対して複雑な思いを抱えていたようだった。しかし、10年ぐらい前だったか、数10年ぶりに故郷を訪れ、初めて父親のお墓を訪ねたとき、いままでのわだかまりが溶けたという。「私ぐらいの歳になって、過去について語り始める人がドイツでは増えているの」とインゲは言った。

インゲの死後、共通の知人からインゲが出版したという本を見せてもらった。「Gegen das Vergessen(忘却に抗って)」というタイトル。「ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区フェアベリナー通り92番地 ユダヤ人の孤児院の記憶」とあり、その孤児院にいた子供や先生たちの足跡をたどった記録だ。びっくりするぐらい詳細な記録と写真に埋められた本をめくり、インゲがどういう気持ちでこの仕事にのめり込んでいったのだろうかと思った。インゲは、戦争の被害者と加害者の子供同士が交流をする組織「One by One」でも熱心に取り組んでいたそうだ。

もっといろいろ話を聞いておきたかった。その機会が失われたいま、後悔の念が強く残る。

昨年10月にはミシェル・シュヴァルベさんが91歳で亡くなった。シュヴァルベさんはユダヤ人のヴァイオリニストで、1957年から1986年までベルリン・フィルのコンサートマスターを務めた偉大な音楽家。それまでスイス・ロマンド管弦楽団のコンサートマスターだった彼が、ベルリン・フィルのコンマスに請われたのはカラヤンからの熱烈な誘いがあったからだった。「でも私はそこで半年間も悩みに悩んだんだ。ナチスの牙城だったベルリンに行くべきかどうかでね」といつかお話を聞かせてくださった。シュヴァルベさんが戦時中スイスに亡命している間、ポーランドに残った母親はトレブリンカ強制収容所で虐殺されていたのだ。彼はそのことを決して話題に出さなかったし、没後の報道でそれがトレブリンカだったことを私は初めて知った。

被害者側の癒えぬ思い、加害者側の苦悩。そして身も蓋もない事実として、あの12年間を直に生きた人は、そう遠くない将来この世界からいなくなる。奇しくも今年はヒトラーが政権を獲得してから80年にあたり、ベルリンでは多くの記念行事が予定されている(詳細はこちらより)。さまざまな立場の人の思いを、今のうちに少しでも多く聞いておきたいと思っている。
by berlinHbf | 2013-03-18 23:21 | ベルリン発掘(全般) | Comments(5)

Schreiben auf deutsch über Japan

かれこれ3年近くも放置していたドイツ語のブログですが、久々に記事を更新してみました。ドイツ語でも情報を発信できたらとじわじわ感じるようになったのは、一昨年の大震災以降のことでした。こちらにも転載しますので、ご興味のある方はお読みいただけると幸いです。

Vor ein paar Wochen habe ich von einer Berlinerin eine E-Mail bekommen. Die E-Mail ist teils auf deutsch, teils auf japanisch geschrieben. Ich habe mich gefragt, was das wohl bedeute, aber habe gleich darauf verstanden, dass die Frau meinen letzten Artikel in diesem Blog, den ich vor fast drei Jahren geschrieben hatte, gefunden, gelesen und sich für mein Buch über Berlin interessiert hat. Danach habe ich mit ihr ein paar Mal Mails ausgetauscht und ihr mein Buch zukommen lassen. Sie hat einmal in Japan an Japanischkursen teilgenommen und wollte „mit Ihrem Buch ein bisschen an meinem Japanisch arbeiten und gleichzeitig noch etwas über Berlin dazulernen.“

Das war eine kleine Begegnung. Ich habe die Berlinerin nicht in Person gesehen, aber sie hat mir die Motivation gegeben, wieder hier auf deutsch zu schreiben.

More
by berlinHbf | 2013-01-22 10:46 | Deutsch | Comments(0)

Frohes Neues Jahr 2012!

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スーパーで見つけたドイツの新年の縁起物、煙突掃除人くん

新年あけましておめでとうございます。

暮れも押し迫った12月30日、このブログでも何度かご紹介した外林秀人先生が入院先の病院で息を引き取られたという知らせを受け、大きなショックを受けました(外林先生についてはInterviewのタグをご参照ください)。「先生が残そうとされたメッセージは何だったのだろう」という思いが反芻したまま、年越しを迎えたような気がします。決して長い時間ではなかったものの、外林先生からは大切なことをたくさん学ばせていただきました。ご冥福を祈りながら、近いうちに追悼文を書こうと思っています。

2012年1月1日は、ユーロが生活の中で流通するようになってからちょうど10年なのですよね。あの直前、銀行でユーロの各種硬貨が入った入門キット(?)のようなものを受け取った時の新鮮感、そして元旦に当時の同居人が興奮して「オイロ!オイロ!オイロ!」と叫んでいたことはよく覚えています。あの強かったユーロがいまや100円を切ってしまうだなんて、当時はほとんど想像できませんでした。メルケル首相は新年の挨拶の中で、「ヨーロッパ大陸が平和的に統一されたことが歴史の贈り物であることを、私たちは忘れてはなりません。それは半世紀以上に渡って、平和、自由、平等、人権、民主主義をもたらしたのです。現代においても、その価値は評価し尽くせることではありません」と語っていますが、いまだ暴力や専制主義が横行している世界を見ると、その意義を忘れるべきではないのだと思います。ひょっとしたら1年後にはユーロを巡る状況はまた大きく変わってきているのかもしれませんが、この危機を何とか乗り切ることを願っています。

日本もヨーロッパも、年が変わったからといって現状が変わるものではありませんが、それでも友達やお世話になっている人たちから、年賀状やメッセージをもらい、新しい年の希望や目標などを伝え合うのはいいものです。今年は新しく北ドイツをテーマにした連載をいただいたので、旅をする機会が少し増えるかもしれません。日本に帰ったら今度こそ被災地に足を運びたいし、単行本もまた書きたいし、行きたいところややりたいことはいっぱい。でも、あれこれ手を出し過ぎて、どれも中途半端に散らかったまま、ということがないようにしないと、と思います。

そうそう、ベルリンに関して言えば、2012年6月には、いよいよベルリン・ブランデンブルク国際空港が開港します。フリードリヒ大王の生誕300年と森鴎外の生誕150年といった記念年も注目でしょうか。

このブログはといえば、昨年特に後半は更新意欲がやや衰えがちで、マメにチェックしてくださっていた方、ごめんなさい!FacebookやTwitterなど関わるものが増えてきたのと、ブログにおける(書き手と読み手の)相互作用性を以前ほど感じられなくなってきたことも原因だと思います。でも、自分にとって一番「積み重ねてきた」という気持ちを持てるブログというツールのよさを再認識する機会が最近いくつかあり、今年はまた時間のある限り更新していけたらと思っています。お気軽にコメントなどいただけるとうれしいです。

皆さまのご健康とご多幸を祈って。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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by berlinHbf | 2012-01-01 17:26 | ベルリンのいま | Comments(5)

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