ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


by berlinHbf

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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

Amazonにてネット購入ができます。



『街歩きのドイツ語 』
¥1,575
三修社

豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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タグ:読書(Lesen) ( 40 ) タグの人気記事

「知識人とは何か」(エドワード・W・サイード著)

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最近読んだ本の第2弾は、パレスチナ出身の文学者エドワード・サイードがBBCに残した講演をまとめた有名な知識人論。サイードの著作の中ではこれが一番読みやすいというので、わざわざ日本の実家から送ってもらったもののずっと放ったらかしにしていたのだった。表紙の言葉に集約されている通り、彼の言う知識人とは「亡命者にして周縁的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である」ということになる。この中で私が特に印象に残ったのは3つめの「アマチュアたること」だった。
ここで論じてみたいのは、知識人の独創性と意志とを脅かすかに思われる四つの圧力である。(それらは)どれも、あらゆる社会に蔓延しているのだが、その蔓延ぶりにもかかわらず、そうした圧力にゆさぶりをかけることはできる。そのようなゆさぶりをかけるもの、それをわたしはアマチュア主義と呼ぼう。アマチュアリズムとは、専門家のように利益や褒章によって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ、より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越えてさまざまなつながりをつけたり、また、特定の専門分野にしばられずに専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう。
この箇所を読み直して、つい最近読んだ別の本の一節を思い出した。「フューチャリスト宣言」(ちくま新書)という本の中で、梅田望夫さんという人がこういうことを語っている。
僕自身は、好きなことを一つずっと深堀りするというよりも、世の中を俯瞰して理解したいという気持ちがあるほうで、理解したい対象全体の正規分布がこうなっているんだとか、いつもそういうふうにモノを考えがちです。
(中略)
異質なものと異質なものを結びつけるとか、歴史との比較で未来を考えるとか。いまここで起きていることは19世紀だと何にあたるのだろう、といったことをいつも考えます。そこでなるべく誰も考えていないような組み合わせで、とか腐心しますね。
(中略)
ちょっと手前味噌になるかもしれないけど、たくさんの分野に興味があって、関係性に興味がある、俯瞰してものを見て全体の構造をはっきりさせたいという志向がある人は、これからの時代に有利になってくる気がします。
上の2人の言っていることを自分に当てはめるのは全くおこがましいけれど、ひょっとしたら私も何らかの「俯瞰図」を手に入れたいという欲求が強い人間なのかもしれない。そういう意味でベルリンという街は私には面白い。例えば、過去との比較で現在や未来を考えるということだけをとっても、この街はまたとない機会を私に与えてくれる。このブログもそのようなアマチュアリズムを持って続けていけたらと思う。

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by berlinHbf | 2007-08-11 00:25 | その他 | Comments(6)

「カラヤンとフルトヴェングラー」(中川右介著)

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2日間通った週末のビールフェスティバルの余韻がまだ抜けませんが^^;)、最近読んだ本のこととかも少しずつ書いていきたいと思います。

まずは先月読んだ「カラヤンとフルトヴェングラー」という新書。
フルトヴェングラーとカラヤン、そして題名には入っていないがチェリビダッケという3人の指揮者をめぐる、戦中、戦後の混乱期の血みどろの権力争いが、筆者のかなり強い主観も交えて描れている。

これまであまり知ることのなかったフルトヴェングラーの意外な一面にも結構驚いたが、私としては「帝王」になる以前のカラヤンの話がとりわけ面白かった。
「カラヤン」は間違いなく私をクラシック音楽の世界に誘ってくれたうちの一人であるけれど、この人の録音や経歴を知るにつれていろいろな疑問が湧いてくることがある。例えば、

「1938年のカラヤン最初の録音は、(ベルリン・フィルでなく)なぜベルリンのシュターツカペレだったのか?」
「カラヤンが合唱曲で必ずといっていいほど起用するウィーン楽友協会合唱団というのはどういう団体なのか?(他の著名指揮者がこの団体を起用することはまずないので)」
「1953年の時点で、カラヤンがそれまでベルリン・フィルを振ったのは10回に満たないのに(ちなみに、ライバルのチェリビダッケはすでに403回も振っていたという)、なぜその数年後ベルリン・フィルの監督になれたのか?」

この本を読むと、それらの出来事の裏にある生々しい政治的な背景、カラヤンの策謀やその時々の思いが浮かび上がってくる。カラヤンにとって大きな転機となった、1955年のベルリン・フィルの初めてのアメリカ・ツアーが「首相のアデナウアー自身が企画したようなものだった」というのにも驚いたが、いまでもドイツでは政治と芸術の結び付きが日本とは比較にならないほど強いのをよく感じる。

ところで、今年創立125周年を迎えるベルリン・フィルは、記念の年にこれまで深くメスの入ることのなかったナチス時代のこのオケについて追求することを発表している。8月末からホール内で展示会が始まる他、ミシャ・アスターによる「帝国オーケストラ」という本の出版もその一環だ。中でも興味を引かれるのが、rbbで11月に放映される75分のドキュメンタリー番組(監督は"Rythm is it!"のエンリケ・サンチェス・ランチ)。1945年以前にベルリン・フィルで演奏していた最後の生き残りメンバー2人のインタビューも含まれているらしく、ぜひ見てみたいと思う。

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写真は昨年再オープンしたフリードリヒ・シュトラーセ駅前のアドミラル・パラスト(Admiralspalast)。旧フィルハーモニーが44年に1月に空爆されてから、この劇場に移して終戦直前までベルリン・フィルのコンサートは続けられたという。


今日は広島の原爆の日だ。あの年から62年。昨年の秋に初めて広島を訪れたので、いろいろな情景が目に浮かんでくる。

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by berlinHbf | 2007-08-06 14:20 | ベルリン音楽日記 | Comments(6)

「現代ドイツのパフォーミングアーツ」(堤広志編)

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先週は友達の紹介で舞台の演出を志す日本人の女性に知り合い、自分にとって新しい世界を垣間見させてもらった。彼女が日本から持ってきた本の中にあって、1週間の滞在中に借りて読んだのがこの本
(結局全部は読みきれなかったけれど)

内容は現在のドイツの演劇とダンスの分野で中心的な役割を担う人物へのインタビューなのだが、フランク・カストロフ、ミヒャエル・タールハイマー、ウラジーミル・マラーホフ、ヨハネス・オーデンタールなど多くはベルリンを拠点に活躍する人たちで、それは結局現在のベルリンの舞台シーンを知ることにもなる。こういうガイドを私は欲していたのかもしれない。現在のドイツの劇場シーンが大変刺激的なのはわかっているけれど、あまりに多彩過ぎて全貌をつかむのがなかなか大変なのだ。何も知らないまま作品を観て、口をあんぐり開けたまま帰ってきたことは一度や二度ではない。演出家なりダンサーなりが、どういう理念なり政治背景を持っていて、それをどのように舞台上に反映させようとしているか。そういうことはやはりある程度は知っていた方がよい。この本の執筆者の中には数年前何度かベルリンで舞台をご一緒した方の名前をちらほら見かけ、さらに本への親しみが増した。巻末の「人名・グループ名解説」は舞台鑑賞の指南としても重宝しそうだったので、コピーさせてもらう。

演劇といえば、ベルリンではペーター・シュタイン演出、ベルリナー・アンサンブルによるシラーの「ワレンシュタイン」がいま大きな話題を呼んでいる。先週末にプレミエを迎えたのだが、上演時間はなんと14時から23時30分までの計9時間半。これから10月までの毎週末に行われるだそうだ。会場がノイケルン地区のかつてのベルリナー・キンドルのビール工場というのも興味を引かれる。一度観てみたいとは思うが、自分にも楽しめるかどうか。

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by berlinHbf | 2007-05-24 23:57 | ベルリンを「読む」 | Comments(2)

「パリ五段活用」(鹿島茂著)

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ベルリンに住み、ベルリン関連の本を読み、ベルリンについて書いてばかりいると、たまにはこの街を離れたくなる。せめて空想上だけでも、ということで、先日読んだ「パリ五段活用」(中公文庫)という本について少し書いておきたい。筆者の鹿島茂さんはパリについての本を何冊も書いている方だから、ご存知の方も多いことだろう。背表紙の紹介文によると、『「食べる・飲む」「歩く」など8つの動詞からパリのもつ「唐突で曖昧な」魅力を展開した知のガイドブック』。

雑誌などに書かれたものをまとめた本なので、やや統一感に欠ける印象も受けたが、さすがに内容は読ませる。自分としてはベルリンとの接点を探しながら読んでも面白かった。とりわけ鮮やかだったのは、それまで前近代的だったパリが、19世紀半ばの都市改造をきっかけに街に光が入り込むようになり、同時期に誕生したデパートと第1回印象派展の間に実は大きなつながりがあったという話。河合純枝さんの「地下のベルリン」で知った気送郵便の話も出てくる。パリのプヌマティック(気送郵便)は比較的最近の1984年まで現役だったのだそうだ。読みながら思わずゴクリとなった、フランスパンの歩き喰いというのも一度やってみたい。

こういう都市の歴史探索的な本は、パリに関してなら日本語で書かれたものだけでも無数にあるだろうに、ベルリンに関してとなると途端に少なくなる。ベルリンだって探せば面白い話はいくらでもあるのになと思う。日本人一般の関心度でいえば、ベルリンがパリにかないっこないのはわかっているけれど。

奇妙に印象に残ったのは、「かぐ」という章のパリの地下鉄の匂いに関するエピソードだった。ベルリンの地下鉄の匂いはかなり独特だと思うが、パリのそれもかなり独特なものであるらしい。
なんのことはない、パリのメトロの匂いとは、浮浪者たちの体臭と、小便の染み込んだ新聞紙の匂いと、芳香剤入りの消毒薬の混じり合った匂いだったのだ。もちろん、これにパリの浮浪者たちに欠かせない葡萄酒の甘酸っぱい匂いを加えれば、メトロの匂いのアマルガムとしては完璧に近いものが出来上がるだろう。だが、この匂いがまったく不快なものかと言えば、必ずしもそうとは断定できない何かがある。それは奇妙に懐かしく、またどことなく恥ずかしい、人間そのものへのノスタルジーをかきたてるような匂いだった。
こういう話を読んでパリに行きたくなったら、それは作者の罠にはまったということなのだろう。

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by berlinHbf | 2007-04-27 19:10 | ベルリンを「読む」 | Comments(9)

「カレーソーセージをめぐるレーナの物語」

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●知り合いの方からお借りして、「カレーソーセージをめぐるレーナの物語」(ウーヴェ・ティム著。浅井晶子訳)という本を読んだ(原題:Die Entdeckung der Currywurst)。ベルリンではおなじみのカレーソーセージ(カリーヴルスト)の誕生にまつわる物語である。カレーソーセージの起源はベルリン説とハンブルク説があるらしいのだが、これは後者に基づくもの。「僕」が聞き手となって、当時80歳を越えたブリュッカー夫人が第2次世界大戦末期のハンブルクを回想する。小説の形式を取っているが、完全なノンフィクションなのかそれとも若干の脚色が混じっているのかその辺はよくわからないけれど、とにかく話としては非常に面白い。「カレー」と「ソーセージ」というよく考えたらかなり異色の組み合わせの食べ物はこのようにして生まれたのかと、私は大いに納得してしまった。

●カレーソーセージのことを何も知らない人がこの本を読んだら、カレーソーセージのことが気になって仕方がなくなるのではないか。終戦直後、ブリュッカー夫人がある男性との思いも込めて生み出したこの食べ物が、本書ではそれほど魅惑的に描かれている。
彼女はフライパンにカレーとその他の香料を混ぜたものをふりかけた。はるかな香りがした。次に彼女はケチャップを加え、最後に軽く焼いたソーセージの輪切りを入れた。そしてできあがったソーセージを小さなアルミの皿に載せて彼に差し出した。彼は木の楊枝に一切れ刺し、濃い赤色のソースにもう一度浸した、するとどうだろう、(中略)彼の舌の上で楽園の門が開かれた。
こうして読むと、今普通にインビスで食べるあのカレーソーセージとは調理法が微妙に(いや大分?)異なるように思われる。ブリュッカー夫人のレシピにはどういうことが書かれていて、どんな味がしたのだろう。

●200ページほどの本だが、カレーソーセージの話になるのはようやく最後の最後になってから。それまでどこか甘美でありながらも重苦しい室内での話がずっと続くので、読み手としてはかなりじらされるのだが、後半は久々に時間が経つのを忘れて読みふけった。終戦直後、物々交換を繰り返して何もないところから物を生み出していく昔の人のアイデアと執念には感動させられる。本物のカレーソーセージはここに描かれているほど魅惑的な食べ物ではないかもしれないけれど、本書を読めばそれまでと一味違った気分でこの食べ物と向き合えることは請け合いだ。

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by berlinHbf | 2007-04-13 13:58 | ベルリンを「読む」 | Comments(9)

「地下のベルリン」(河合純枝著)

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先日、ベルリンとピョンヤンの地下鉄の意外な接点についてお話したので、最近読んだベルリンの地下にまつわるある本をご紹介してみたい。「地下のベルリン」(河合純枝著。文藝春秋)という本である。

「ベルリンの地下世界」・・・
私は「地上のベルリン」なら隈なく歩いてみたいと思う人間だが、「地下のベルリン」となると、少々足がすくむ。評判を呼んでいる「地下ツアー」に参加するのならまだしも、何10年も人が足を踏み入れていないような地下空間に懐中電灯を持って入って行く勇気は私にはなさそうだ。はっきり言って気味が悪い。何しろベルリンの地下である。狂気、残酷、絶望、希望、挑戦といった人間のあらゆる感情が渦巻く魑魅魍魎とした世界というイメージがある。ベルリンには、今でもその存在が把握し切れていない地下空間がたくさんあるらしい。

著者の河合純枝さんという方は、そんなベルリンの地下に果敢にも下りていった。ソ連軍による「特殊収容所」という名の拷問室やSAの牢獄、シュタージの「銅の釜」なる場所、ヒトラーの地下壕、冷戦時代の巨大な核シェルター。ベルリンの地下世界というと、多くの人がまず想像するのはこういう負の歴史の場所ではないだろうか。実際すさまじい話が次々と出てきて圧倒される。

だが、この本で取り上げられているのは、そのようなおぞましい場所ばかりではない。地下世界に希望や夢、あこがれを託して人々が潜った場所もたくさん出てくるからだ。有名なところだと、東から西へ脱出するために掘られたベルナウアー通りの逃亡トンネルだろうか。そこまでドラマチックではないが、冷却装置がない時代のビール工場の地下貯蔵庫や圧縮空気の力で手紙を運ぶ気送郵便の話も、もう一つのベルリン史を見る思いだった。

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庶民の生活誌も時に顔を覗かせる。先日、メヒティルトさんにクロイツベルクを案内してもらった時、多くのアパートにある半地下部分を指差しながら「昔はこういう場所に、石炭やジャガイモが売られていたのよ」と教えてくれたのだが、この本に出てくるベルリンに一軒だけ残るという(もっとも、今もあるのかどうかはわからないが)クロイツベルクの「薪・石炭商店」には、ぜひ一度訪ねてみたいと思った(地図も通りの名も記されていないのが少々残念だけれど)。

つい最近、来年秋での閉鎖が正式に決まったテンペルホーフ空港の地下に、「自動車で回らないとくたびれ切ってしまうほどの」空間があるなんて、地上世界を歩いているだけでは知る由もないだろう。そして、本当かとも思うが、空港の緑地帯に多くいるという「耳の聞こえないうさぎ」のエピソードにも悲哀を感じる。この前、壁の写真を撮りに行った「アルフレード・デープリン広場」の真下に、一度も使われたことなく使命を終えた地下鉄駅があったということも、私にはある意味驚愕の事実だった。

読み進めていくにつれて、「こんないわくつきの数々の場所に、河合さんは一体どうやって入ることができたのだろうか」という疑問が湧いてくる。その訳はあとがきで明かされるのだが、役所に申請書を書いてから実際に見せてもらうまで、やはり相当大変だったようだ。ある日、見知らぬ日本人女性から「どこどこの地下とその資料を見せてほしい」と言われて、まともに対応するドイツ人の役人がどれだけいるだろうか。「絶対に資料をいい加減なことに使わないと宣言させられ、サインもさせられた」うちはまだいいが、中にはどうしても見せてくれない場所もあったという。またある時は、長年閉ざされた地下空間に棲息しているバクテリアにやられ、1週間の入院生活を送るハメにもなる。

「ベルリンの地下」へ思いを寄せる河合さんの情熱と執念が生んだ一冊といえようか。現在廃刊中なのが残念だが、この街に関心のある方なら読んで決して損はない本だと思う。

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by berlinHbf | 2007-02-27 16:48 | ベルリンを「読む」 | Comments(11)

「ねずみトンネル」の謎 - ベルリン・トンネル物語 -

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U6 Stadtmitte駅にて(7月24日)

最近またベルリンに関する本を一冊読んだ。三宅悟さんという方が著した「私のベルリン巡り(中公新書)」という本。前回ご紹介した「舞台・ベルリン」は一人の市民から見た戦後直後のベルリンだったが、この本では権力者の栄枯盛衰という視点からベルリンが描かれている。普通はあまり注目されることがないポツダムやシュパンダウといった周縁の地にもスポットが当てられているのが面白く、また壁崩壊直前の数年間を東ドイツで過ごした筆者ならではのエピソードも随所に織り込まれていて、とても読ませる内容になっている。

さて、この本を読んで私が一番リアルな歴史を感じたのは、私が日常よく利用する地下鉄Stadtmitte駅を巡る話だった。今回はそのStadtmitte駅の、あるトンネルにまつわるお話をしてみたいと思う
(少々長いですが、お読みいただけるとうれしいです)。

私はベルリンを南北に結ぶ地下鉄U6の沿線に住んでいる。そこから例えばポツダム広場に行く場合は、Stadtmitte(市中央駅)で降り、東西線であるU2に乗り換える。どちらも同じ名前の駅なのになぜかお互い離れていて、毎回異様に長い地下の連絡通路(全長160メートルもある)を歩かされることになる。急ぎの用があって、しかも乗り換え時間が数分しかないような時は毎回走らなければならず、何度この通路のことをうらめしく思ったかしれない。ただ、毎回歩かされるのはいいとしても、この駅がどうしてこんな面倒な構造になっているのか私はずっと不思議に思っていた。
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写真:こちらはU2のStadtmitte駅。

20世紀の初頭、ベルリンの中央部を東西に結ぶ地下鉄が建設されることになった。設計側としてはこの地図の中央に東西に伸びているライプチヒ通りに沿って地下鉄を通らせたかったらしいが、道路事情から市は反対した。結局、この地図を見てもわかるように、目抜き通りであるライプチヒ通りを迂回する形で現在のU2は建設されることになる。

しばらく経った後、今度はベルリンを南北に結ぶ地下鉄が作られることになった。しかし、この南北線とすでに完成している東西線(U2)は、当時全く別の会社でライバル関係にあった。新しい南北線(U6)は東西線の事情を無視して、東西線の駅から200メートルも離れた場所に「ライプチヒ通り駅(現在のStadtmitte駅)」を建ててしまった。それではあまりだというので、少しでも乗り換えの便宜を図るため、両方の駅を結ぶ全長160メートルもの地下トンネルが作られた。これが現在にまで至る、Stadtmitte駅の不思議の理由である。この長い地下トンネルは、いつしかベルリンっ子たちから「ねずみトンネル(Mäusetunnel)」と呼ばれるようになった。なぜ「ねずみ」なのかは、よくわかっていないらしい。
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この「ねずみトンネル」は、その後思わぬところから歴史の舞台になる。
市中央駅の隣のカイザーホーフ駅(現在はモーレン通り駅)周辺は、戦前は官庁街として知られ、ヒトラーの総統官邸もこのすぐ近くにあった。時は第2次世界大戦末期、ヒトラーが自殺した翌日の1945年5月1日の夜のこと。ヒトラーの取り巻きを始めとした総統官邸の人間は、ソ連軍に捕まるのを避けるため、地下鉄のトンネルを通って町の北側に抜けようとしたのだった。

準備に手間取り、11時近くになってやっと最初のグループが出発した。20人ばかりの男女で、そのリーダーはベルリン官庁街防衛司令官として、ベルリン最後の拠点となった総統官邸の防衛を指揮したモーンケ少将であった。官邸から地下鉄2番線のカイザーホーフ駅(現在はモーレン通り駅)の入り口まではわずか200メートルにすぎなかったが、ソ連の狙撃兵に撃たれる危険があった。しかし一行は無事入り口に着いた。階段はこなごなに破壊されていた。一行はすべったり、つまずいたりしながらトンネルに降りた。真暗なトンネルの中は、避難してきた付近の住民や負傷した兵士でごったがえしていた。次の市中央駅までは300メートルの距離であるが、足場の悪い枕木や線路を伝って行くのに1時間近くもかかった。それから右に折れて地下道(これがつまり「ねずみトンネル」)をくぐり、もう一方の市中央駅まで行き、地下鉄6番線の線路に降りた。次のフランス通り駅を通り、ウンター・デン・リンデンの下をくぐり、フリードリヒ通り駅から少し先のシュプレー川の地下まで来た。しかし夜間なので河水流入防止の隔壁が閉まっていた。やむをえず一行は、フリードリヒ通り駅に引き返して地上に上がり、Sバーンの線路沿いにシュプレーを渡った。それから通りを避け、破壊された家の中庭や地下室を通り抜け、ベルリンの北にあるビール工場に着いたところで、全員ソ連軍の捕虜になった。女性はすぐに釈放されたが、将校たちはその後ソ連に送られ、10年以上抑留されることになる。(「私のベルリン巡り」より)
その後第3グループとして逃げた中に、ヒトラーが次期ナチス党首に任命したマルティン・ボルマンがいた。

しかし一行は、普段は車ばかりで、地下鉄はろくに乗ったことのない連中だった。市中央駅の乗り換え通路を知らず、次のハウスフォークタイ広場駅まで行って道を間違えたことに気がついた。しかしもはや引き返す余裕はなかった。地上に上がり、歩いてフリードリヒ通り駅の方向に向かった。それから一行にはぐれたボルマンは、ヒトラーの待医と一緒に、Sバーン・フリードリヒ通り駅から次のレーテル駅の近くまで歩いたが、そこでもはやこれまでと観念して、ともに青酸カリのカプセルを飲んだ。
ボルマンの死についてはきちんとした証言がなく、ブラジルに逃亡したのではないかとも噂された。しかし、1972年になってレールテ駅(つまり現在のベルリン中央駅)近くで2つの骸骨が発見される。調査の結果、これがボルマンと待医のものであると確認された。ぞっとする話だが、「ねずみトンネル」が彼らの運命を分けたと言えなくもない。

1961年にベルリンの壁ができると、「ねずみトンネル」もその波に巻き込まれた。南北線は西側、東西線は東側とそれぞれ別の管轄化に入り、2つの路線が交差するStadtmitte駅は無用の長物となった。東ベルリン領内の南北線はフリードリヒ通り駅を除き、全て閉鎖されることとなる。「ねずみトンネル」の入り口はセメントで塞がれ、トンネル内は倉庫として利用されたらしい。トンネル内をつたって西側に逃げる人間を見張るため、列車が止まることがない「幽霊駅」Stadtmitte駅のホームに、四六時中機関銃を持った兵士が立っているという異常な光景が28年に渡って続くことになる。
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写真:U2側から見た「ねずみトンネル」の入り口(1985年)。トンネルは塞がれている。http://www.berliner-untergrundbahn.de/mi.htm より借用。

1990年11月、ドイツ再統一によってついに約30年ぶりに息を吹き返した「ねずみトンネル」は、再びベルリンっ子に利用されるようになった。しかし、トンネル内は暗く危険で、しかもU6側からトンネルを歩くとトンネルの幅が次第に狭くなっていくため、人々からは敬遠されたという。そこで、1998年このトンネルは全面的に改修され、現在の姿になった。トンネル内で“Hilfe!“(助けて!)と叫ぶとセンサーが反応するシステムまで導入され、夜間でも安心して歩けるようになった。
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写真:現在の「ねずみトンネル」の入り口付近。上の写真とほぼ同じアングルから筆者撮影。

「ねずみトンネル」を巡る物語も、ひとまずこれで終わりだ。人間の栄枯盛衰を眺め続けてきた「ねずみトンネル」は、おそらく人間の愚かさに呆れているだろうが、運動不足のベルリンっ子にこれからもほどよい運動の場を提供してくれることだろう。

参考:
「私のベルリン巡り 権力者どもの夢の跡」
三宅悟著
中公新書(1993年)

http://www.berliner-untergrundbahn.de/mi.htm

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by berlinHbf | 2006-07-31 01:58 | ベルリンを「読む」 | Comments(13)

「舞台・ベルリン」 - 占領下のドイツ日記 -

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日本に完全帰国する友達から、何冊か日本語の本を譲ってもらった。最近読んだ「舞台・ベルリン(朝日選書)」という一冊はその中でも特に面白く、ほとんど一気に読んでしまった。これはルート・アンドレーアス=フリードリヒという女性ジャーナリストが、1945年から48年にかけて残した手記(日記)をまとめたものである。

今年で戦後61年が経つが、私がベルリンに住むようになってつくづく思うのは、60年前というのはそれほど遠い昔ではないということだ。そのように感じる理由はまた別の機会に書いてみたいが、この本ではナチスに抵抗した一人の女性の目を通し、45年4月末の壮絶な地上戦から終戦を経て、ベルリン空輸に至る戦後大混乱期のこの町の様子が克明に描かれている。61年前の終戦前後のベルリンは、例えばこんな感じだった。
ここ数日間に、彼ら(ソ連兵)は多くの人間にとって危険な存在になった。市内はパニック状態である。不安と恐怖。私たちが行くさきざきに、強奪が、掠奪が、暴行が行われていた。抑制を知らぬ情欲で、勝利者の軍隊は、ベルリンの女性たちに襲いかかった(5月6日)。
太陽はますます暑く照りつけた。私たちはますます足どり重く進んで行った。ブランデンブルク門を通り過ぎた。パリ広場に人が群がっていた。アドロン・ホテルから家具をかつぎ出しているのだった。金メッキの縁飾りのついた鏡、ビロードの安楽椅子、マットレス。《分捕り主義者たち》とフランクが理解のこもった笑みを浮かべて言った。《取れるだけのものは取ってしまうのだ》疑いようもなく、盗んでいるのだった(5月12日)。
ベルリンは暑い。日一日と暑くなる。6日の暑熱が町じゅうをうだらせ、数多くの、掘り返されたばかりの墓の上に立ち込める。薄い埃の層の下で死者たちは身じろぎする。瘴気のように彼らの死の臭いが大気中に立ちまじる。ラントヴェーア運河からそのように耐え難い臭いが吹き寄せて、道行く者はハンカチを鼻に押し当てる。「悪い伝染病がはやらないといいけど」 フランクが心配げに言う(6月8日)。
読んでいてぞっとするような話がいくつも出てくるが、決して悲惨な出来事だけではない。音楽が好きな私にとっては興味深いことに、筆者の当時の恋人は、戦後ベルリン・フィルを初めて指揮した指揮者のレオ・ボルヒャルトだった(この名前は今ではほとんど知られていないが)。ベルリンに最後の爆弾が落とされてからわずか3週間後の5月26日、ボルヒャルトは「12日間おんぼろの自転車でベルリン中を走り回ったあげく、許可を取り、楽器を調達し、楽員を鳴り物入りで集め、廃墟から演奏会場を探し出し」、ティタニア・パラストでの演奏会を実現させるのだった。この歴史的なコンサートについての記述は感動的で、読んでいて癒される思いがする(ちなみに彼女の手記は、ナチ側に見つかって読まれることを恐れ、登場人物は全て変名で書かれている。ここでは「アンドリク」がボルヒャルトを指す)。
ホールは暗くなった。千人に近い人々が鳴りをひそめて待ちかまえていた。彼らは徒歩や自転車で来たのだった。瓦礫と化した住まいから、日々の憂いの中から、夜な夜なの不安の中から。何とすばらしいことだったろう。何とすばらしく、何と心に慰安を与えることだったろう。幸福な思いにひたされて私はフランクの腕をつかんだ。「なかなかいいお客さんよ」と彼に囁いた。それからアンドリクが現れた。指揮棒をふり下ろした。ヴァイオリンが歌い始めた。甘美に、優美に歌った。「真夏の夜の夢」の演奏だった。第三帝国の宣伝相はこの曲を、「ユダヤ人の愚作」として禁止リストに載せ、存在する権利を奪ったのだった。「ユダヤ人の愚作」よ、栄えあれ!憂いに包まれた何百という人々に、この愚作は今日憩いをもたらしているのだ。ヴァイオリンが歌った。はずむピチカートでチャイコフスキーの第4交響曲を歌った。「まだこんなことがあり得るなんて!」と私の隣席の男の人がとぎれとぎれに言った。映画館のホールは目に入ってこなかった。廃墟は目に入ってこなかった。ナチがいたことも、戦争に敗けたことも、占領軍に占領されていることも忘れてしまった。突然、すべてがどうでもよくなった。重要なのは、ヴァイオリンが歌っていることだけだった。-チャイコフスキーだった、モーツァルトだった、メンデルスゾーンだった。
しかし、ボルヒャルトには悲劇的な運命が待ち構えていた。コンサートからわずか3ヵ月後の8月23日、夜間の帰宅時、イギリス兵の誤射によって彼はあっけなくその生涯を終えてしまうのである。その際、車に同乗していた筆者の描写は生々しく、衝撃の深さがうかがい知れる。急逝したボルヒャルトの後を受けてその後しばらくベルリン・フィルの指揮台に立つことになったのは、ルーマニア人のセルジュ・チェリビダッケだった。歴史はどこでどう転がるかわからない。

その後も、ベルリン、そして筆者へ課される苦難は続く。例えば、46年から47年にかけての冬はとりわけ厳しいものだったらしく、ベルリンの冬の寒さを知っている者としては読んでいて身が凍ってくる。
電気も来ない、水もない、石炭もない。しかもあいかわらず毎晩、零下15度から20度の寒さである。ベッドの中で凍死した人間が何人もいるとのことである。ちゃんとした仕事をしようという考えがまるで思い浮かばない(1946年12月30日)。
48年6月の通貨改革時の混乱ぶり。それに対するソ連の報復とベルリン空輸についての記述も興味深い。東西対立が激化していく最中にいた彼女の文章からは、第3次世界大戦の不安ものぞかせる。ベルリンについてのこんな記述を見つけた。
外からベルリンにやって来るものはみな、ベルリンは世界でいちばん興味深い街だという。私たちとしては、ベルリンがもう少し興味深くなければと思う。私たちは、2人のプロレスラーが世界選手権を争っているマット以外の何ものだろうか。もし彼らがケッチェンブローダ(町の名前)を対決の場に選んでいたら、いま頃はケッチェンブローダが興味の中心になっていただろう。鉄のカーテンの隙間となるまで、マリーエンボルンについては誰も何も知らなかった。運命はベルリンを選び、4カ国占領都市の役割をふり当てたのだった。ベルリン市民は誠実に、この運命の定めに従おうとしている。1945年には、“東西の懸け橋となること”が使命だったし、46年と47年には“橋頭堡となること”が使命だった。1948年には“闘技場のマットになること”が使命に、そして1949年には“戦場になること”が使命になるだろうか?(1947年10月20日)
1948年の年末、筆者のルート・アンドレーアス=フリードリヒは、ついにベルリンからの脱出を決意する。その後、彼女は西ドイツで再びジャーナリストとして活動し、1977年にミュンヘンでその生涯を終えた。

この本は、私が今繰り返し観ている映画「ベルリン天使の詩」と共通するテーマを含んでいるので、出会えてよかったと思う。ドイツ語版では、本作の前編である戦中の手記「影の男」を含めて一冊にまとめられており、機会があったらぜひ読んでみたいところだ。

「舞台・ベルリン 占領下のドイツ日記」
ルート・アンドレーアス=フリードリヒ著 飯吉光夫訳
朝日選書(1988年)

Der Schattenmann / Schauplatz Berlin. Tagebuchaufzeichnungen 1938 - 1948. (Broschiert)
von Ruth Andreas-Friedrich

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by berlinHbf | 2006-07-15 20:19 | ベルリンを「読む」 | Comments(17)

ベルリンの人々(2) - アーデルベルト・フォン・シャミッソー -

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シャミッソーが住んでいた家の近くの広場では、子供たちがそりで遊んでいた(2月4日)。

アーデルベルト・フォン・シャミッソー(Adelbert von Chamisso: 1781-1838)という作家に、私は最近とりわけ親しみを感じている。まず、私が住んでいるアパートのすぐ近くに、彼の名を冠した「シャミッソー広場」があること(この美しい広場についてはこちらをご参照)、それだけでなくシャミッソーのお墓が、前回ご紹介したメンデルスゾーンと同じ墓地に眠っていることを最近知ったのである。私の家から歩いて15分ほどの距離だ。このメーリングダムの墓地に、「音楽家通りツアー」の同行者である指揮者のT君と、先日また一緒に見に行くことになった。

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とにかく広い墓地なので探すのが大変だったが、何とかシャミッソーのお墓は見つかった。ベルリンの紋章の付いた赤いレンガは、ベルリン市から贈られた栄誉の印である。さて、彼の名前が記されたプレート下にはこう書かれている。「詩人、植物学者、世界一周航海者、シェーネベルクの植物園館長。『ペーター・シュレミールの不思議な物語』を著した」

「詩人なのに植物学者?しかもあの時代に世界一周?」
「ペーター・シュレミールの不思議な物語」を読んだことのあるというT君から、シャミッソーのことを教わっていなかったら、私はおそらくこのような感想をもらしたことだろう。彼は実に興味深い生涯を送った人なのである。

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名前からご察知の通り、シャミッソーはフランス人で、1781年貴族の息子としてシャンパーニュ地方に生まれた。Louis Charles Adélaïde de Chamissoというのが元々の名前だったそうだ。彼の幼少期は折りしもフランス革命が始まった頃。1794年、一家はプロイセンに亡命し、ベルリンに住むようになる。両親はその後フランスに戻ってしまったが、シャミッソーはドイツに残り、1798年からは軍役義務を果たすべく軍に入隊する。つまり、プロイセン軍の一員としてナポレオン軍と戦わなければならなかったのである。フランス側から見たら当然祖国への裏切りに他ならないから、いろいろな場面で侮辱を受けたであろうことは想像がつく。

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ナポレオン戦争に敗れ、シャミッソーはすでにフランスに戻っていた両親のいる故郷に戻るが、2人ともすでにこの世を去っていた。結局彼はベルリンに戻り、詩や小説を書く一方で、植物学にも熱中した。作品はもっぱらドイツ語で書いた。1813年のメルヘン風の物語「ペーター・シュレミールの不思議な物語」は「影をなくした男」というタイトルで、現在岩波文庫で読むことができる(私もぜひ読んでみたい)。シャミッソーが書いた詩は、現在でもドイツの学校の教科書によく使われているそうで、また、シューマンの歌曲「女の愛と生涯 Frauenliebe und -leben 」はこのシャミッソーの詩によるものである。

1815年から3年間、シャミッソーは植物学者として世界一周の航海に出る。太平洋、ポリネシア、ハワイと巡り、アラスカでは海岸線の地図を作成し、同時に植物の研究も続けた(アラスカには彼の名前を冠した島まであるらしい。「シャミッソー広場」だけではなかったのだ!)。またエスキモーの生活習慣についてもつづり、そこを支配するロシアの植民地政策を批判した。とにかく型破りの人だったようだ。やがてベルリンに戻ると、1819年からはベルリン植物園(Botanischer Garten)の館長を勤め、この地で生涯を終える。

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先週新聞を読んでいたら、全くいいタイミングで、シャミッソーの新しい記念プレートの除幕が行われるという小さい記事が掲載されており、昨日、早速見に行って来た。シャミッソーの生誕225周年の記念だという。場所はFriedrichstraßeの235番地。先ほどの墓地を北に歩き、Hallesches Torを越えると、南北に長いフリードリヒ・シュトラーセの南の先端が見えてくる。前にも少し書いたが、Hallesches Torから北側は、戦争の被害が著しかったので、戦前の面影はほぼ皆無といっていい。

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戦後に建てられたごく普通の建物の入り口に、このぴかぴかのプレートを見つけた。世界一周旅行から戻ったシャミッソーは、1822年から1838年の死までここに住んでいたのだという。その建物は1908年まで残されていたそうだが、とにかく、シャミッソーがこんな近所に住んでいたのかと思うとうれしくなった。このプレートの一番下には、彼の言葉が引用されている。
私はドイツの中ではフランス人で、フランスの中ではドイツ人。新教徒の中ではカトリック教徒で、カトリック教徒の中では新教徒。貴族の中ではジャコバン党員で、民主主義者の中では貴族。私はどこにも属していない。どこへ行っても私はよそ者だ。
彼は生涯にわたってアイデンティティーの問題に悩み続けた。しかし今ではどうだろう。例えば、フランス人とドイツ人はお互いの国を自由に行き来できるし、どちらで仕事を探すのも自由だ。また、トルコやハンガリーで生まれた人が、ドイツに移住してドイツ語で作品を書くということも、珍しいことではなくなった。

1985年に、ドイツ語を母語とせずに、ドイツ語で優れた執筆活動をした作家に贈られるシャミッソー文学賞が設立されたが、受賞者の中に日本人の多和田葉子さんがいる。多和田さんは大学時代に第2外国語でドイツ語を始め、現在はハンブルクを拠点にドイツ語で小説を書いているという恐るべき方である。私の手元に「エクソフォニー」というエッセー集があるが、私はこの中で多和田さんが語っている言葉が好きだ。
昔なら、数年ごとに住む場所を変えるような人間は、「どこにも場所がない」、「どこにも所属しない」、「流れ者」などと言われ、同情を呼び起こした。今の時代は、人間が移動している方が普通になってきた。どこにも居場所がないのではなく、どこへ行っても深く眠れる厚いまぶたと、いろいろな味の分かる舌と、どこへ行っても焦点をあわせることのできる複眼を持つことの方が大切なのではないか。あらかじめ用意されている共同体にはロクなものがない。暮らすということは、その場で、自分たちで、言葉の力を借りて、新しい共同体を作るということなのだと思いたい。

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by berlinHbf | 2006-02-05 02:56 | ベルリンの人々 | Comments(7)

「夕凪の街 桜の国」(こうの史代)

昨日、実家から郵便物が送られて来た。外国生活が長くなると、わざわざ日本から物を送ってもらうということはめったにないのだが、今回はぜひ(それもできるだけ早く)読んでみたい本があったので、久々にお願いした。

こうの史代さんという方が描いた、「夕凪の街 桜の国」というヒロシマがテーマのマンガ。先月、「ほぼ日刊イトイ新聞」のメルマガで、イトイさんがこの本について「借りてでも読んでみてください」と紹介している記事を読んで、日本から送ってもらってでも読んでみたくなったのである。そんな時に、「フィガロジャポン」のベルリン特集号がいいタイミングで発売されたので、一緒に送ってもらうことになった(その他、新聞や雑誌の切抜きがいくつか同封されていた)。

「フィガロ」の方はパラパラとめくっただけなので、まだ何とも言えないが、「夕凪の街 桜の国」は先ほど読み終えた。正直、言葉が出ない・・本自体はとても薄いし、表紙の絵だけを見たら一見普通の少女マンガかと見間違えるかもしれないが(とても優しいタッチの絵です)、内容と読後の余韻の深さについてはもう・・日本にいるみなさんは、私のように高い郵送料を払って送ってもらう必要もないのだから、もしまだだったら、ぜひ一読されることをおすすめします。すでに20年前から独訳されている「はだしのゲン」は確かに名作だが、この本もドイツ人に読ませたいと思った。

昨夜はArteというチャンネルで、"Nach Hiroshima (after Hiroshima)"という優れた内容のドキュメンタリーの前半部分が放映され、終戦直後の東京や横浜の貴重な映像をたくさん見た。昨日はまた、Simon Wiesenthalという一人のユダヤ人が96歳で亡くなったことがメディアで大きく報道されていた。この人物はホロコーストの生還者で、戦後数多くのナチスの戦犯者を探し出し、法廷に送り込んだことで知られている。

こういう出来事があった日に読んだ、「夕凪の街 桜の国」というマンガ。戦争が人に与えた衝撃の大きさというものを、このような角度から衝かれたのは、ひょっとしたら初めての体験かもしれない。少し時間を置いてから、また読み直そうと思った。
by berlinHbf | 2005-09-22 03:22 | ドイツから見た日本 | Comments(2)

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