ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

Amazonにてネット購入ができます。



『街歩きのドイツ語 』
¥1,575
三修社

豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

ベルリン更新情報
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タグ:旅(Reise) ( 96 ) タグの人気記事

消えゆく夜行・長距離列車

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廃止されたパリ東駅行きのシティーナイトライン(ベルリン中央駅にて。2013年6月撮影)

「夜行列車」という言葉には、洋の東西を問わず旅心を誘う響きがあります。今年の3月限りで日本のブルートレインは全廃されることになりましたが、残念ながら欧州でも、夜行列車や長距離列車は縮小傾向にあります。昨年12月14日のドイツ鉄道(Deutsche Bahn)のダイヤ改正で、いくつもの歴史ある列車が姿を消しました。

この改正で廃止になったのは、ベルリン発(およびハンブルク、ミュンヘン発)パリ行き、プラハ発ベルリン経由コペンハーゲン行きなど計6本のシティーナイトライン(CNL)。ただし、格安航空や格安長距離バスとの競合により、利用客が減ったとは一概に言えない部分があるようで、例えばベルリンとパリを結ぶCNL「ペルセウス」は乗車率も高く、特に個室寝台は予約が取りにくいほどでした。ところが、車体が古いため利用者のニーズに対応できず、また、フランス鉄道側の線路や駅の使用料が高額といった要因が廃止の決め手になったと言います。私は2003年にパリからこの列車に乗ったことがあります。3段ベッドの簡易寝台はさすがに狭さを感じましたが、心地良い横揺れとともによく眠れましたし、何より朝起きたらベルリンに着いていたのが魅力でした。食堂車横のスタンドバーで、ほかの旅行者と語らいながら飲んだことも、今となっては良い思い出です。

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かつてはハンブルク―クラクフ間を結んでいたユーロシティー「ヴァヴェル」の表示板

夜行列車以外にも、今回の改正でベルリンとウィーンを結ぶユーロシティーなど、何本かの長距離列車が消えました。象徴的だったのは、ベルリンとポーランドのヴロツワフ(ドイツ語ではブレスラウ)間を走るユーロシティー「ヴァヴェル」の廃止です。ベルリンからかつてドイツ領だったシレジア地方の中心都市ブレスラウまでは、実に1853年以来、直通の特急列車が結んでいました。ポーランドの古都クラクフにあるヴァヴェル城に因んだこの列車は、もともとハンブルクとクラクフ間を12時間半掛けて結んでいましたが、2012年にヴロツラフまでに短縮された後、その翌年に運行を開始した同じドイツ鉄道による高速バスに利用客を奪われたこともあって、今回の廃止が決まりました。昨年12月13日にベルリン中央駅を出た最終列車の客車はわずか2両編成。しかも、暖房設備の故障で発車が20分遅れるという悲しい幕切れとともに、由緒ある列車はポーランドへと旅立って行きました。

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「ヴァヴェル」号の車窓から(2007年11月)

欧州の鉄道の旅の魅力は、国境を越えるたびに車掌のアナウンスや乗客の話す言葉が変わったり、朝目が覚めると異国の地に着いていたりといった、多様に交錯する文化や歴史をじかに体感できることにあると思います。そんな旅の道程の楽しさそのものを味わわせてくれる列車が消えつつあるのは残念なことです。
ドイツニュースダイジェスト 1月23日)
by berlinHbf | 2015-01-23 23:20 | 欧州を感じる旅 | Comments(9)

震災3周年の日に大船渡を想う

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東日本大震災から3周年の昨日、ベルリンの日本大使館の前で小さな祈念行事が行われるというので、足を運んできました。主催の「絆・ベルリン」はこれまで数度に渡って岩手県大船渡市を中心にボランティア活動を行ってきたNPO法人。キャンドルを灯して、地震が起きた時刻に黙祷。犠牲者の方々に哀悼の気持ちを表し、復興を祈念しました。

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家に戻ってから、一昨年の5月に大船渡や陸前高田を訪ねたときの写真を久々に眺めながら、当時を振り返っていました。ブログの旅行記は、被災地のことを書くことの難しさを実感する機会もあって、最終日だけ書かないまま時間が過ぎ去っていました。もう2年近く経ってしまいましたが、あの旅でお世話になった方々を想いながら、綴ってみたいと想います。

2012年5月20日(日)、泊めてもらった大学時代の友人に連れられて、仮設の飲食店街で昼食。その後、市内のリアスホールという文化会館へ行く。大ホールでは確かお笑い芸人によるモノマネショーが行われていたが、私たちは貸スタジオの方へ。もともと友人とは大学時代のオーケストラで知り合い、彼はオーボエ、私はフルートを吹いていた。2人ともまだ細々と演奏活動を続けていて、友人は休みの日にここに来ては楽器を吹いているのだそうだ。この日は1時間半ぐらい、コピーして持ってきたバッハの譜面を何曲か吹いて遊んだ。一緒に吹くのはかれこれ大学生以来だったから、なかなか新鮮な時間だった。

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心理カウンセラーとして地元の学校で仕事をしている友人は、日頃の激務もあって一旦アパートに戻る。私は少しでも大船渡の街を歩きたいと思い、そこから港の方に向かって散策することにした。途中、JR大船渡線のレールとぶつかる。大船渡の盛から北に延びる三陸鉄道がドラマ「あまちゃん」などの影響で脚光を浴びたとのとは対照的に、大船渡線の盛-気仙沼間は復旧の目処がまったく立っていないという。最近の記事をいくつか読むと、復旧に向けた話し合いが持たれているようではあるが、費用やルート変更などの多くの問題が積み重なっている。

関連記事:
時論公論 「震災2年半 足踏みする鉄道復旧」(NHK)

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「かもめの玉子」で有名なさいとう製菓の本社だった建物。震災直後、社長がこの高台から撮影した津波の映像が忘れられない。市内にさいとう製菓の仮設店舗があり、そこでお土産を買って帰ることに。

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港から太平洋セメントの工場を望む。

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リアスホールが結構賑わっていたのに対して、私が歩いた道沿いで人とすれ違うことはほとんどなく、周囲は静寂が支配していた。

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大船渡駅があったところ。仮設の飲食店街はこの近くにある。

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あのときお世話になった方々やその前日の運動会で出会った人々はいまどうしているかなと思う。夜、「やまちゃん」という居酒屋でおいしいちらし寿司を食べてから、友人に見送られ東京行きの夜行バスに乗り込む。少し寝て、どのぐらい経った後だろうか。目が覚めて窓の外を見たら、陸路にいるにも関わらず目の前に巨大な船がどんと横たわっている。私は突然SF映画の世界に紛れ込んだような超現実的な感覚に襲われたが、すぐに正気に戻った。テレビや写真で何度も見た、気仙沼市鹿折に打ち上げられた第18共徳丸に間違いなかった。今どうなっているのかと思って調べてみたら、昨年夏からの撤去作業が終わり、すでに4ヶ月が経ったそうだ。

関連記事:
消えた「震災の記憶」客足まばらに 宮城県・気仙沼 打ち上げられた第18共徳丸

昨日の祈念行事の最後に、「絆・ベルリン」の福澤啓臣さんが「これからも息長く被災地を支援していきましょう」と呼びかけた。数は減ってきたけれども、「絆・ベルリン」や柏木博子さんが主催する震災孤児を支援するNPO"KIBOU"などは、被災地の支援を今も継続的に行っている。距離は大分離れているが、ベルリンとこの風景とはどこかでつながっていると思いたい。そして、いつかまた大船渡や陸前高田をゆっくり訪ねたいと思う。
by berlinHbf | 2014-03-13 00:21 | ドイツから見た日本 | Comments(1)

オーバーフランケン地方にて

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数日前からバイエルンの北側、オーバーフランケン地方にある知人の別荘にお邪魔しています。ベルリンからICEに乗り、ライプツィヒ、ツヴィカウと乗り換えてオーバーフランケン地方のホーフまで約4時間半。そこからさらに車で40分ほど、ヘルムブレヒツという小都市の近くの村にある知人の別荘に着きました。小高い丘の麓にあり、見渡す限りの緑は目を癒してくれます(ここがどんなところかは、昨年の滞在記をよかったらご覧ください)。ここはインターネットの電波もごくわずかしか届かず、スマートフォンは数日前地面に落として液晶部分が破損してしまい修理中。でも、不便というよりは、久々にネット中心の生活から解き放たれて、何だかすがすがしさを感じています。

ご主人のルートヴィヒさんから伺ったのですが、このオーバーフランケン地方はもともとプロイセンに属していたのだとか。19世紀初頭のナポレオン戦争でフランス(バイエルンもフランス側に付いていました)がロシアとプロイセンの連合軍に勝ったことで、フランスはバイエルンに「お礼」としてこのオーバーフランケン地方を割譲。その数年後、ロシアとプロイセン、さらにイギリスの連合軍がフランスと再び戦ったとき、当初はフランス側に付いていたバイエルンが途中で連合軍側に鞍替えし、そちらが勝利を収めたため、バイエルンはオーバーフランケンをプロイセンに返さずに済んだのだとか。実際の状況はもっと複雑だけれど、大まかにいえばこんな歴史なのだよとルートヴィヒさんが教えてくれました。こういう歴史背景から、ホーフ、バイロイトといったオーバーフランケン地方はプロイセンとのつながりが深く、宗教的にもプロテスタント系住民が多いのだそうです。とはいえ、自然も言葉のニュアンスもベルリンとは大分異なるので、その変化も楽しんでいます。

今日からホテルに移ったので、折を見てまた更新したいと思います。
by berlinHbf | 2013-08-16 23:27 | ドイツ全般 | Comments(0)

9年ぶりのバイロイト訪問(3)- バイロイトも工事中 -

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Markgrafen Buchhandlung Bayreuth (2012-08-04)

《タンホイザー》を観た翌日、バイロイトの市内を散策した。旧市街に入っていきなりびっくりしたのが、前夜の指揮者クリスティアン・ティーレマンが本屋でサイン会をしているのに遭遇したことだ。このMarkgrafen Buchhandlungでは音楽祭の期間中、連日のように出演アーティストによるサイン会が行われている。これも夏のバイロイトならではだろう。ラフな格好でファンのサインに応じ、時に歓談するティーレマン氏の様子を眺めながら、(よく言われるように)やっぱりちょっと気難しそうな感じの人だなあという印象を受けたり、前夜の圧倒的な音楽が目の前のこの大柄の男から紡ぎ出されたのかと思うと、なんとなく不思議な気持ちになったりもしたのだった。

このティーレマン、昨年はワーグナーやブルックナーといった十八番以外に、ドビュッシーの《夜想曲》、チャイコフスキーの《悲愴》、ヴェルディのバレエ音楽や聖歌四篇など、意外なレパートリーをベルリンの演奏会で聴く機会があった。どれも聴きごたえあったが、中でも歌や合唱が入る音楽での指揮、ドラマの作り方の見事さは、また格別だった。

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バイロイトの旧市街の見どころはコンパクトにまとまっている。まず訪れたのが、バイロイト辺境伯歌劇場(Markgräfliches Opernhaus)。ここは9年前にも中に入っているが、プロイセンの歴史がいくらか頭に入っている分、今回はより感動が大きかった。この劇場を建てさせたブランデンブルク・バイロイト辺境伯フリードリヒの妃ヴィルヘルミーネは、かのフリードリヒ大王の3歳年上のお姉さんなのだ。共に音楽をこよなく愛好し、作曲までしたのも同じ。大王が最後まで親愛の情を寄せたお姉さんだったという。ヴィルヘルミーネについては彼らの居城だった新宮殿に行くと詳しく知ることができるが、ポツダムのサンスーシ宮殿と同時期のロココ様式の建物だけに、雰囲気は似通っている。が、バロック様式のこの歌劇場の方は、以前ご紹介したポツダムの宮廷劇場と豪華さの度合いはまるで違う。18世紀当時、文化の中心とは言いがたい文字通りの辺境の地で、これほどの劇場が造られたというのはすごいことだ。考えてみたら、ヴィルヘルミーネがバイロイトに嫁がなかったらこの劇場は造られなかっただろうし、この劇場が存在しなかったら、ワーグナーがバイロイトを訪れることさえもなかったかもしれない。

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www.bayreuth.deより拝借

内部は残念ながら撮影禁止。6月に世界遺産に新たに登録されたばかりの劇場正面には、Welterbeの垂れ幕が誇らし気に掛かっていた。ときどきリートなどのコンサートが、ここで行われることもあるそうだ。その雰囲気たるやさぞや素晴らしいだろう。いつかここで音楽を聴いてみたい!

が、この辺境伯歌劇場、私たちが訪れた直後の9月に大規模な修復工事が始まった。最低4年間は内部見学は不可だそうだから、今回見ておくことができてよかったのかもしれない。

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バイロイトの音楽史跡でもうひとつ欠かせないのが、ワーグナー夫妻が住んでいたヴァーンフリート邸。が、こちらは改装の真っ最中。当初はワーグナーイヤーに合わせて工事が終了するだったのが、予算の問題から着工が遅れ、結局再オープンは2014年になってからだという。つまり、ワーグナーイヤーにも関わらず、ワーグナーに縁の深い上記の建物の内部見学が不可という、残念過ぎる事態になっているのだ。

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Foto: pa/dpa

改修工事といえば、急務を要するのが肝心の祝祭劇場なのだとか。老朽化からファサードの漆喰が崩れ落ちており、昨年11月から劇場正面はこのような覆いが被せられている。音楽祭の期間中もこのままの状態にする必要があるかどうかは、5月ぐらいに決められるらしい。改修工事に際しては予算などいろいろな問題があるにせよ、せっかくのメモリアルイヤー、いずれももう少し事前に適切な対策が取れなかったのかとは思う。

関連記事:
200 Jahre Wagner – Bauen, lästern, streiten (Die Welt)

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バイロイト滞在の後半は、メヒティルトさんの義理の姉妹であるルートさんのご自宅に泊めていただいた。ルートさんは10代からバイロイト音楽祭に通っているというワグネリアンだが、普通に話している分にはそんな感じには全然見えない。長年洋裁の仕事をしていて、この数年は音楽祭で使われる衣装の制作に携わっており、ときに歌手の衣装の着せ替えにも立ち会うのだそうだ(写真は《ローエングリン》でアネテ・ダッシュが使った同じ衣装の一部だとか)。「半分アルバイトみたいな仕事だから」とルートさんは謙遜するが、「好き」が嵩じてそれを仕事にするというのは、やはり素晴らしいことだと思う。バイロイト音楽祭は、こういう人々の情熱と愛によって支えられているのだ。部屋の棚にはここ40年ぐらいの音楽祭のプログラムが無造作に置かれていて、興奮しながら見させてもらったりもした。

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翌日は午前中、ルートさんにもう一度祝祭劇場周辺を案内していただく。その夏は「バイロイト音楽祭の反ユダヤ主義」という重いテーマの野外展示が行われていた。中には、日本に亡命して洋楽を広めたマンフレート・グルリットの名前もあった。《さまよえるオランダ人》の歌手起用を巡って一悶着あった夏だったが、今年はまた新たな角度から音楽祭やワーグナー受容を巡る歴史が掘り起こされるのだろうか。

その後、ルートさんに見送られながら、バイロイト駅前発13時半のバスに乗ってベルリンへの帰途についたのだった。

そろそろ今年の音楽祭の抽選結果が届く頃。多分外れるとは思うが、またいつかここには来たい。そう思わせてくれる、実りあるバイロイト滞在だった。
by berlinHbf | 2013-01-28 17:41 | ドイツ全般 | Comments(2)

9年ぶりのバイロイト訪問(2)- 祝祭劇場との再会 -

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Bayreuther Festspielhaus (2012-08-03)

ワーグナー生誕200周年というメモリアルイヤーが始まりましたが、(こちらも書きかけのままだった)昨夏のバイロイト旅行記の続きを書いておきたいと思います(第1回の記事はこちらより)。私の怠慢によりこうなってしまいましたが、これを書いておかないことには昨年が終わった感じがしないので・・・

8月3日14時半頃、メヒティルトさんの車で別荘を出る。見渡す限り自然に囲まれた中、スーツ姿でいる自分がちょっとおかしかった。雄大な山々を背景にアウトバーンを下り、バイロイトの市内へ。「さあ、次の角よ」とメヒティルトさんがこちらの期待を誘うように言い、車が右折すると、通称「緑の丘」につながるゆるやかな坂道が一直線に続く。その奥には祝祭劇場の花壇が色鮮やかに輝いていた。「ああ、この場所に還ってきた」という思いを強くする瞬間だった。

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祝祭劇場は、当然ながら前回訪れた9年前とは特に何も変わっていなかった。とはいえ、ヴォルフガング・ワーグナーの時代が終わってからだろうか。大きな総合プログラムがなくなり、個別の演目ごとに分かれるなど、細かな変化も感じはしたが。

開演直前、金管アンサンブルが奏でるメロディーにうっとり耳を傾け、劇場の中に入る。階段を上って、正面2階の一番後ろにあるGalerieという場所へ。このブロックには4本の柱が立っており、そのため柱によって舞台の3分の1ぐらいが見えない席、全く舞台が見えない音だけの席(Hörplatz)がいくつか存在する。私たちの席は前者で、ちなみにチケット代は15ユーロだった。現在のバイロイト音楽祭の最高額の席は280ユーロだが、一方でこんなにとてつもなく安い席が用意されているのはありがたく、また素晴らしいことにも思える。舞台の3分の1が見えないとはいえ、メヒティルトさんは「この《タンホイザー》は演出がヒドイから、音楽に集中できてかえっていいのよ」と笑う(確かにそうだったのだが)。まあ、席が高かろうが安かろうが、周囲をどんなに見回しても、1つの空席さえ見当たらないのは壮観だった。

客席の照明が落ちて、暗闇の中、序曲のクラリネットのメロディーが鳴り響く。バイロイトでは、オーケストラピットが見えないので、この音は一体どこから鳴り響いているのか、一瞬わからなくなる。すごく遠い場所からにも聴こえるし、ごく近い場所で鳴っている風にも聴こえる。祝祭劇場ならではの、心地よい幻惑にかけられるのだ。目で何も見えなくても、ティーレマンの音楽的方向性は、クラリネットの冒頭の数小節だけではっきりと伺えた。微妙に、そして嫌みにならないギリギリの範囲で、奏者に音量とテンポの面で抑揚の指示を与えるのだ。ティーレマンの場合、この細かな表情付けが裏目に出ることもままあるのだが、この《タンホイザー》に関しては、楽譜が内包するドラマにどれも見事なまではまっているように感じられた。音楽が次第に膨らんでゆき、全オーケストラによって初めて主題が奏でられるところで、私はすでに鳥肌が立っていた...。

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休憩中、隣接したレストランでお茶を飲んでいるとき、メヒティルトさんがワグネリアンとして知られるメルケル首相のことを話してくれた。メルケルさんはかれこれ20年来、(ほぼ?)毎年音楽祭に訪れるそうだ。(バイエルン州首相主催によるパーティーがある)オープニング公演は公人として、さらにプライベートで毎年1サイクル(つまりその年の全演目)を観て帰るそうだから、やはり相当お好きなのだろう。「プライベートで来る際は、そこにも普通に並んでいたりするわよ」と言って注文を待つ客の行列を指差した。

終演後、高揚した気分が冷めないまま、丘の上のイタリアレストランでみんなで食事していると、メヒティルトさんの義理の姉妹であるルートさんが合流。食後、市内の自宅に連れて行ってくださった。最後の2泊はルートさんの家でお世話になった。このルートさんについてはまた次回お話ししたいと思う。

(つづく)
by berlinHbf | 2013-01-11 17:20 | ドイツ全般 | Comments(2)

ハンブルクで迎えた年越し(2)

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St. Michaeliskirche Hamburg (2013-01-01)

内アルスター湖畔で迎えた年越しのカウントダウンは、花火と爆竹が乱れ合うすさまじいものでした。以前あれに懲りて、もう何年もカウントダウンは自宅で過ごしていました。ハンブルクはベルリンよりも上品なのではと思いきや、全然そんなことはなかった(笑)。時に目の前で放たれる爆音にビクビクしながら、半ば命がけの思いでホテルに戻った翌朝、ミヒェルこと聖ミヒャエル教会の塔にみんなで上ってみました。

エレベーターで上がった塔の展望台は、風と雨が吹き荒れ、少々つらいものがありましたが、私たちを喜ばせてくれたのが頂上で演奏していたアマチュアの金管アンサンブル。彼らが奏でる曲の中にはおなじみのコラールも入っていて、日本でいえば元旦に神社で甘酒を飲んだときのように(?)、心が少し温まりました。

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展望台からの眺め。内アルスター湖、右手には市庁舎の塔が見えます。こうして見ると、ハンブルクの中心部ではモダン建築がほとんどを占めているのがはっきり見て取れます。前回お話しした1842年の大火災と第2次世界大戦末期の大空襲により、歴史的建築は大部分が失われてしまったからです。

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こちらは港の方面。奥には大きなドッグがいくつも見えます。

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白亜の美しい礼拝堂の中に入ると、ラッキーなことに12時からの新年の礼拝が始まるところでした。説教の後、2つのオルガンを聴くことができたのがうれしかった。モーツァルトの自動オルガンのための音楽(だったか)も含まれていました。この教会はクラシック音楽とはとりわけ縁の深い教会ですよね。カールフィリップ・エマヌエル・バッハが音楽監督を務め(お墓は地下にあります)、ブラームスが洗礼を受け、マーラーが《復活》の着想を得た場所・・・。フェリックス・メンデルスゾーンもこのすぐ近くに生まれているので、ミヒャエル教会に全く来なかったとは思えません。

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元旦だけに閉まっているミュージアムもありましたが、倉庫街の一角にあるミニチュアワンダーランド (Miniatur Wunderland)は新年から観光客で大混雑。これが予想を超えるスケールでした。HOゲージのスケールにハンブルクを始め、世界の街並が再現されているのですが、世界最大規模というから驚きます(しかもまだ制作途中だとか)。ここはまた別の機会にご紹介できたらと思っています。

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ハーフェンシティにある紅茶メーカーMeßmerのカフェDas Meßmer Momentumで遅い昼食を取ってから、帰途につきました。ベルリンに戻るICEの車中での居眠りが心地よかったこと。2日間たっぷり歩きました。
by berlinHbf | 2013-01-09 23:57 | ドイツ全般 | Comments(2)

ハンブルクで迎えた年越し(1)

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St. Pauli-Landungsbrücken (2012-12-31)

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

ひょっとして東京よりも暖かいのでは?と思われた年末年始のベルリンの気候でしたが、天気は悪く、ほぼ毎日雨・雨でした。そんな大晦日に義理の両親たちを連れて、ハンブルクに行ってきました。あまり長くないドイツ滞在、ベルリン以外の街も見てもらいたいけれど、国外に出るほどの時間的余裕はないし、ということで選んだのがハンブルク。私自身これまであまり縁がなかった街なのですが、NHKドイツ語講座のハンザ都市の連載を機に、昨年から訪れる機会が増えました。私の故郷に近い横浜を思い起こさせる、港町の雰囲気が好きなのです。もっともここから北海まではまだ100キロ近くもあるのですが、かもめが頭上を飛び交い、塩の香りは(半分気のせいかもしれないけれど)十分に漂っています。

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2011年に100周年を迎えた旧エルプトンネル。対岸まで歩いて渡ろうと思ったのですが、日没が迫っていたために、ここで引き返しました。

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ランドゥングスブリュッケンから、公共交通のチケットで乗れるハンブルク交通の船に乗ってエルプ・フィルハーモニーまで行こうと思ったのですが、待てども待てども船はやって来ず。海風にさらされ、体も冷えてきたので、結局歩いてハーフェンシティの方に行くことに。

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やがて見えてきました、建設中のエルプ・フィルハーモニーが!一時工事は中断していたものの、最後に見た昨年3月よりは明らかに進行しているように見えましたが、実際はどうなのでしょうか。

ところで、今日の新聞の一面の見出しは「ベルリンの新空港、開業は早くて2014年に」。新空港については、怒りを通り越えてもはや諦めムードさえ漂っている気がしますが、このエルプ・フィルハーモニーも「その他の問題の工事現場」に挙げられているのですよね(こちらの新聞記事より)。

当初の完成予定は2010年だったそうですが、現段階では2017年だとか。もはや、ベルリンの国際空港といい勝負なのかもしれません・・・

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大晦日で印象に残っているのが「食事」です。夕方の17時頃、古くからの情緒が残るダイヒ通りDeichstr.を通った際、今年最後の夕食の予約をしようとダイヒグラフというレストランに入ってみたら、店内はまだガラガラにも関わらず、夜はもう予約で一杯とのこと。代わりに紹介してもらったお店も無下にお断り。「これはもうホテルで何か食べるしかないのかなあ」と諦めかけた4軒目で聞いてみたら、いま食べるのだったらいいとのこと。正直、それほどまだお腹は空いていなかったけれど、ここでありがたくいただくことにしました。

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このレストラン、店内の雰囲気だけでなく、店員の方もとてもあたたかい感じで、「捨てる神もあれば、拾う神もありだなあ」とみんなで喜び合ったのでした。Zum Brandanfang(火災の始まり)という店名がまた印象的。ハンブルクの歴史上、決して忘れられることのない1842年の大火災はこの家から始まったのです(そして奇跡的に焼失を逃れた)。火の粉を猛烈な勢いを増し、結局完全に消火されたのが、現在の中央駅に近いBrandsende(火災の終わり)という通りの辺りだったというから、その規模の途方もなさが伺われます。

天井に架けられているのは、実は古い紙幣。お店の人の話によると、かつてこの裏がハンブルクの港だった時代、航海に出る船乗りが旅の無事を願ってぶら下げていったものなのだとか。ハンザ都市の連載を持たせてもらった今年、最後にこのレストランで食事ができてよかったなあとしみじみ思ったのでした。

"Zum Brandanfang"
Deichstraße 25
20459 Hamburg

(つづく)
by berlinHbf | 2013-01-07 23:57 | ドイツ全般 | Comments(3)

カダケスへの道(3)

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カダケスの中心部を望む(2012-03-24)

今回車で来てみてわかったことだが、カダケスはスペインの最東北端に位置し、周りの街から隔絶されているがゆえ、昔からの漁村の風景が手つかずのまま残ったのだという。現在の人口は2800人ほど。小高い丘の上に建っているのが16〜17世紀に造られたサンタ・マリア教会。

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Port Alguer, 1923-24. Teatre-Museu Dalí, Figueres

上の写真とは反対側の場所からサンタ・マリア教会を望む風景を、ダリが1920年代に描いている。旅行前にこの絵の存在を知っていたら、同じ場所に立ってみたかった。おそらく街並はほとんど変わっていないはずだから。

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ホテルでの朝食後、街を散歩する。ぽかぽかの陽気、ほぼ白一色に統一された住居群、細い路地、気持ちよさそにひなたぼっこしている猫たち…。決して長い時間ではなかったけれど、人間の等身大の感覚に沿うような構造でできているカダケスの路地を歩くのは、至福ともいえるほど心地いいものだった。

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よく見ると、猫があちこちに・・・

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カモメの白さも印象的。ホテルに戻って部屋のバルコニーからもう一度街を眺め、夢想した。執筆に集中するべきとき、こんなところに長期滞在して作業できたら最高だなあと。ここにはまたいつか戻ってきたいと思う。

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カダケスーフィゲラス間は約33キロ。急勾配とカーブが多く、何度も絶景に見とれそうになりながらも、運転を任された私は慎重に下って行く。

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この旅でもうひとつ念願の場所だったフィゲラスのダリ劇場美術館で、一堂ダリを再び堪能。最高でした(ここはよく紹介される場所なので、何枚か写真をご紹介するのみにします)。

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美術館の閉館間際までいたので、フィゲラスを後にしたのは18時過ぎだっただろうか。ここからバルセロナまでは140キロほど。レンタカーのオフィスが閉まる22時までに車を返さなければならないとはいえ、まだ十分余裕があるはず。実際、高速道路を走っているまでは順調だったのだが、少し手前のインターで降りてしまったところから暗転する。行きの教訓から、途中のドライブインで道路地図は買っていたものの、自分たちがどこにいるのかさっぱりわからない。そのうち、行きにバルセロナを出る際にはまり込んだ中国語の看板が目立つ倉庫街の中に入ってしまったようで、気持ちを落ち着かせガソリンスタンドで道を尋ねるも、そこからバルセロナ市内に戻るのにさらに一悶着あった。ローマ時代からの歴史を持つ地中海都市はこうも複雑な構造をしているのか。それなりの方向感覚は持っているつもりだったが、目的地を目前にこんなにも迷宮に入り込んだのは他にそうない経験だった。翌朝バルセロナを発つことになっていたので、「車を返せなかったらどうしよう」という不安が高まる中、結局22時を10分ぐらい越えてサンツ駅屋上の駐車場に到着。絶望的な気分でとりあえず車を止め、これからどうしようかと思っていたところ、近くにおじさんがいたので恐る恐る歩み寄って聞いてみた。

「車の鍵?ああ、そこのボックスに入れておけばいいんだよ。それでおしまい」

「え?・・・」( ̄◇ ̄;)

カダケスの海と街並、ダリの空想と色彩に彩られた旅は、「なんでこんなことを最初に確認しておかなかったのか」という徒労感を最後に味わうことになるのでした。しかし、今年忘れられない旅のひとつです。

(おわり)
by berlinHbf | 2012-12-27 23:57 | 欧州を感じる旅 | Comments(0)

カダケスへの道(2)

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Casa-Museu Salvador Dalí (2012-03-23)

今年も残りわずかとなりましたが、書き初めてはみたものの休止状態になっている旅行記がいくつかあるので^^;)、何とかそれを年内に片付けたいと思います。

最初に3月のスペイン旅行から。母がお友達2人を連れてベルリンを訪れ、その後一緒にバルセロナへ飛び、そこで車を借りてカダケスという港町を目指したのでした。カダケスの目的は、この街の郊外ポート・リガートにあるサルバトール・ダリの「卵の家」を訪れること。かなりスリリングな道のりでしたが、何とか入場予約していた最終の17時10分に間に合ったのでした。

最初のお話はこちら:
カダケスへの道(1) (2012-04-09)

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内部はガイドツアーを通してのみ見学が可能になっており、英語の説明を聞きながら進む。ここはフィゲラスのダリ劇場美術館と並んで、今年訪れた中でもっともワクワクした場所に数えられるかも。

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この通称「卵の家」は、1930年にダリがもともと漁師が所有していた家を購入し、40年以上増改築を続けて今の姿になったという。書斎には、ダリにとって永遠を意味した白鳥を始めとする剥製が飾られていた。

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数々の名作が生まれたダリのアトリエ。1982年に愛妻のガラが亡くなった際、ダリは激しいショックを受けて、ジローナのプボル城に引きこもり、翌年には絵画制作から完全に身を引いてしまう。このアトリエは、ダリが絵を描いていた最後の状態でそのまま残されているようで、彼がいまもそこにいるかのような気分にさせてくれる。キャンバスの下に穴が見えるが、台はスライド式になって、キャンバスを上下に自由に移動させることができる仕組みだ。

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自作の彫刻、奇妙なオブジェ、そして色使い。決して真似できるものではないと思いつつも、その世界に入り込んでしまった。

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寝室のベッド。ここからの窓からの海の眺めも素晴らしい。

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この部屋では、発する声や音にエコーがかかる仕組みになっている。

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迷路のような室内から出ると、この家のシンボルの卵が見えてくる。先に行くとアルハンブラ宮殿の現代版をイメージして造った(?)というプールがあって、これまた一筋縄ではいかないスペースだった。

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いかにもダリらしいシュールなオブジェから

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グロテスクなもの、思わずくすっと微笑んでしまうものまで、飽きることがない。しまいには海や周囲の岩までもがダリの絵画とダブって見えてきてしまう。夕方に行ったせいか、それほど混雑もせず、ゆったり見学できてよかった。

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日が沈む中、再び迷いながらカダケスに到着し、ホテルにチェックイン。部屋のバルコニーからの眺めが幻想的で、はるばる来た甲斐があったと思う。

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ホテルの近くのレストランで食事。私はイカが好物なので、身の引き締まった小ぶりのイカやイワシを自然に食べさせてくれるのが何ともうれしかった。

(つづく)
by berlinHbf | 2012-12-25 12:06 | 欧州を感じる旅 | Comments(0)

第1アドヴェントのウィーン

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Stephansdom Wien (2012-12-03)

この2週間の間に、ウィーンに2度ほど行く機会がありました。最初は雑誌の取材で、そして先週末はプライベートで(これは数ヶ月前から計画していた旅でした)。先週末はちょうど第1アドヴェントと重なったので、ウィーンのクリスマスの様子を何枚かご紹介したいと思います(今回はモノクロ写真で)。

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王宮の入り口にあるミヒャエル広場(Michaelerplatz)。モーツァルト時代の旧ブルク劇場はこの広場に面していたようですが、記念プレートらしきものは見つけられませんでした。

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その先、Herrengasseに面したCentralという著名なカフェ。とても寒い日で、少し並んでからようやく中に入れました。カフェとは思えない優美な天井が印象的。

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市庁舎前のクリスマス・マーケット。売っているものがドイツのマルクトと微妙に違っていて、面白かったです。あまりに寒かったので、アム・ホーフのマルクトで帽子を買いました。

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賑やかなアム・ホーフから奥に一歩入っただけで、人通りがぱったり途絶えました。ここは昔ユダヤ人の居住地区だったJudenplatz。右に見えているのは、ウィーンのホロコースト記念碑です。人の気配のない広場でたたずんでいると、遠くに馬車の音がこだましました。

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床が低い最新型のトラムも増えてきましたが、まだまだ昔ながらの(?)路面電車が活躍していて、彼らが織りなすテンポ感にほっとさせられます。

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国立歌劇場裏のCafé Mozartにも行きました。どのカフェも重厚な雰囲気で素敵だったなあ。とはいえ、ウィーンの中心部でメランジェを1杯注文すると、平均3.7ユーロぐらい。ベルリンに比べると、大分高めに感じられたのも確かです。

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カフェもよかったけれど、なんといっても最高だったのはウィーンで聴いた音楽!今回のウィーン行きのお目当てだったウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのモーツァルト、翌日立ち見券(5ユーロ!)で何とか聴けたウィーン・フィルの定期演奏会(特に、ビシュコフ指揮のチャイコフスキーの第5交響曲が本当に素晴らしかった)、そしてやはり立ち見(4ユーロ!!)で聴いたオペラ《愛の妙薬》。後の2つは長時間の立ちっぱなしで疲れたけれど、「はるばる来た甲斐があったなあ」としみじみ思わせてくれるものでした。

ある雑誌にウィーンについてのエッセイを書かせていただくことになったので、何を書こうかあれこれ考えを思いめぐらせているところです。
by berlinHbf | 2012-12-08 12:21 | 欧州を感じる旅 | Comments(8)

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