ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
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地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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タグ:中欧 ( 28 ) タグの人気記事

NHK「テレビでドイツ語」1〜2月号 -ゴスラーとグダニスク-

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NHK「テレビでドイツ語」のテキストに連載中の「ハンザ都市を巡る」も残りわずかとなりました。

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先月は告知し損なってしまいましたが、2013年1月号ではゴスラーを取り上げました。ハルツ地方にある美しい街で、郊外のランメルスベルク鉱山と共に、世界遺産にも登録されています。ハンザ同盟がこのような内陸部にも影響が及んでいたことをご紹介したくて、取り上げた次第です。これは教会の塔上からマルクト広場方面を眺めた様子。山間の街というのは北ドイツでは珍しく、小道を歩いていても心がすがすがしくなるような、清涼な空気が流れていました。

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2月号はポーランドのグダニスク。ベルリンから直通列車で6時間半かけて、はるばるまで出かけてきました。ドイツ語名のダンツィヒでもよく知られている街です。このマリーエン教会の塔上からは、彼方にバルト海を望むことができました。その「付け根」に位置する地点で第2次世界大戦が勃発し、その40年後にはこの街の造船所で東欧の民主化の出発点となる「連帯」が発足するなど、歴史に興味のある人間にとっては興味の尽きない街。眼下に見える教会や破風屋根の建物は、その大部分が造り直されたものだというのも信じられない思いがしました。観光案内所ではドイツ系住民の子孫という方に出会い、ベルリンに戻ってからもメールのやり取りが続いています。

どちらもご一読いただけるとうれしく思います。
by berlinHbf | 2013-01-22 12:19 | ドイツ語関連 | Comments(0)

第1アドヴェントのウィーン

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Stephansdom Wien (2012-12-03)

この2週間の間に、ウィーンに2度ほど行く機会がありました。最初は雑誌の取材で、そして先週末はプライベートで(これは数ヶ月前から計画していた旅でした)。先週末はちょうど第1アドヴェントと重なったので、ウィーンのクリスマスの様子を何枚かご紹介したいと思います(今回はモノクロ写真で)。

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王宮の入り口にあるミヒャエル広場(Michaelerplatz)。モーツァルト時代の旧ブルク劇場はこの広場に面していたようですが、記念プレートらしきものは見つけられませんでした。

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その先、Herrengasseに面したCentralという著名なカフェ。とても寒い日で、少し並んでからようやく中に入れました。カフェとは思えない優美な天井が印象的。

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市庁舎前のクリスマス・マーケット。売っているものがドイツのマルクトと微妙に違っていて、面白かったです。あまりに寒かったので、アム・ホーフのマルクトで帽子を買いました。

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賑やかなアム・ホーフから奥に一歩入っただけで、人通りがぱったり途絶えました。ここは昔ユダヤ人の居住地区だったJudenplatz。右に見えているのは、ウィーンのホロコースト記念碑です。人の気配のない広場でたたずんでいると、遠くに馬車の音がこだましました。

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床が低い最新型のトラムも増えてきましたが、まだまだ昔ながらの(?)路面電車が活躍していて、彼らが織りなすテンポ感にほっとさせられます。

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国立歌劇場裏のCafé Mozartにも行きました。どのカフェも重厚な雰囲気で素敵だったなあ。とはいえ、ウィーンの中心部でメランジェを1杯注文すると、平均3.7ユーロぐらい。ベルリンに比べると、大分高めに感じられたのも確かです。

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カフェもよかったけれど、なんといっても最高だったのはウィーンで聴いた音楽!今回のウィーン行きのお目当てだったウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのモーツァルト、翌日立ち見券(5ユーロ!)で何とか聴けたウィーン・フィルの定期演奏会(特に、ビシュコフ指揮のチャイコフスキーの第5交響曲が本当に素晴らしかった)、そしてやはり立ち見(4ユーロ!!)で聴いたオペラ《愛の妙薬》。後の2つは長時間の立ちっぱなしで疲れたけれど、「はるばる来た甲斐があったなあ」としみじみ思わせてくれるものでした。

ある雑誌にウィーンについてのエッセイを書かせていただくことになったので、何を書こうかあれこれ考えを思いめぐらせているところです。
by berlinHbf | 2012-12-08 12:21 | 欧州を感じる旅 | Comments(8)

テレージエンシュタット訪問記(4) - 小さな画家と音楽と -

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私の怠慢によりすっかり時間が空いてしまいましたが、昨年5月にチェコのテレジン(ドイツ語名はテレージエンシュタット)を訪れた時の話の最終回を綴りたいと思います。ご興味のある方は、過去の記事をご参照ください。テレジンの「小要塞」を訪れた後に向かったのは、「大要塞」つまり現在のテレジンの街でした。

まず訪れたのは、中心部にあるマルクト広場。子供たちがボール遊びをしていました。こう見るとごく普通の街のようですが、テレージエンシュタットは上から見ると要塞の姿を完全に留めた特異な外観をしています。街の区画は完全に左右対称で、そのど真ん中に位置しているのがこの広場です。

関連記事:
テレージエンシュタット訪問記(1) (2010-11-28)
テレージエンシュタット訪問記(2) (2010-12-05)
テレージエンシュタット訪問記(3) (2011-01-30)

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テレージエンシュタットでまず訪れるべきなのが、マルクト広場に面したゲットー資料館でしょうか。旧テレジン市学校だった建物の中にあり、テレージエンシュタットのゲットーの歴史や投獄された人々の日常生活の一端が紹介されています(簡潔ながら日本語のパンフレットがあるのがありがたかった)。

この中で心打たれる展示物の1つが、テレジンに収容されていた子供たちが残した絵や詩の数々です。野村路子さんの『テレジンの小さな画家たち』(偕成社)やその展覧活動などを通して、テレジンの子供たちの絵は日本でも知られてきているようですね。2011年からは、小学6年生の国語の教科書にこの絵にまつわる話が載せられているのだとか。

関連記事:
命のメッセージ、教科書に ナチス収容所の子が描いた絵 (asahi.com)

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今も人が住んでいる街についてこんなことを言うのは失礼かもしれませんが、言いようのない悲しみが漂っている場所という印象を受けました。

テレージエンシュタットは、われわれが一般にイメージするナチ時代のユダヤ人の強制収容所とは違います。パンフレットにはこう書かれていました。「当初はユダヤ人の囚人は兵舎にのみ収容されたが、後に1942年半ばまでに元々の住民を強制的に移住させることとなった。テレジン市全体が収容所と化したのである」。

テレージエンシュタットはまた、ナチスによる宣伝の役割も担わせられることになりました。すなわち、「美化キャンペーン」による「ユダヤ人自治移住地」として、ユダヤ人に一定の「自由」を与えたのです。ここには多くの芸術家、作家、学者なども収容され、過酷な条件の中で彼らが作った音楽や劇が上演されました。テレジンの旧マグデブルク兵舎にはゲットー内の文化的催しに関する常設展示があり、駆け足ながら見ることができました。

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一昨年の秋、フィルハーモニーの室内楽ホールで、ダニエル・ホープ(ヴァイオリン)やフォン・オッター(ソプラノ)ら(上の写真のCDの出演者)によって、テレジンの音楽が演奏されました(この日はHAUで坂本龍一のピアノコンサートもあり、私は最後まで迷ったのですが、土壇場になってフィルハーモニーに走ったのでした)。プログラムに並んだのは、V. ウルマン、 P. ハース(前回の記事で紹介したヤナーチェクの弟子でもあります)、 E. シュルホフといった作曲家たちの作品。いかにも苦しみの中から生まれた感の音楽もある一方、オペレッタ風の楽しい曲、収容所から生まれたとは思えない洒脱な雰囲気の音楽もありました。これらの音楽は、ゲットーに収容された人々にささやかな喜びをもたらしたことでしょう。しかし同時に、時々ここを視察した赤十字の調査員に、この場所の真実を覆い隠すためのプロパガンダの意味合いもあったのでした。

このコンサートの最後のアンコールで、フォン・オッターがある歌を歌い出した時、私は突如心がふわっとなるのを感じました。どこか温かい気持ちにさせてくれる音楽だったのです。後から知ったのですが、その曲はアドルフ・シュトラウスという作曲家による、 "Ich weiß bestimmt, ich werd Dich wiedersehn"(僕には確かにわかる。君に再び会えることを)というタンゴのナンバーでした。「今は別れ別れだけど、いつかまたきっと会える」という男女の恋を描いたテキスト、そこに出てくるSehnsucht(憧れ)という言葉・・・。作曲家自身はもちろん、ユダヤの人々はどんな思いでこの歌に聴き入ったのかと思うと、胸に込み上げてくるものがありました。

シュトラウスはこの歌を作曲して間もない1944年秋、妻と子供と共に、アウシュヴィッツで殺されています。

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さらに私が衝撃を受けたのは、街の外れにひそやかに残っている1本の鉄道の線路でした。パンフレットにはこう書かれています。「移送を迅速化するため、1942-1943年にかけて囚人によりボフショフ駅からテレジンまで敷設された鉄道の引き込み線の一部」と。

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私が真っ先に思い出したのは、2007年にベルリンのグルーネヴァルト駅17番線ホームを訪れた時のことです(その時のレポートはこちら)。警告碑のホームに刻まれたユダヤ人の強制輸送の目的地で、もっとも頻繁に目にしたのがこのテレージエンシュタットなのでした。ベルリンからぎゅうぎゅう詰めの貨物に押し込まれ、ようやく「解放」されて降り立ったのがこの場所だったのかと思うと、身震いするものを感じました。もっとも、多くのユダヤ人にとってテレージエンシュタットは中継収容所(Zwischenlager)であり、ここからさらにアウシュヴィッツなどの絶滅収容所に送られ殺された人もたくさんいたわけです。

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ここが線路の終わり。

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街を半周ほどしてマルクト広場に戻って来ました。パンフレットによると、正面に見える「テレジン市役所は、いわゆる『ユダヤ人自治銀行』やその他の役所の所在地となった。ここで文化的催しも行われた」。

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かつて左の建物は「SS司令部」、右の建物は「女子寮」だったそう。そして、「広場は囲いがなされており、囚人は入れなかった」。

もう少しゆっくり見て回りたかったけれど、広場から出る次のバスに乗らないと、ベルリン行きの最終列車を逃すことになります。「ここで感じたことは、これからも考え続けていきたい」。そんな思いで、私は妻とプラハ市内行きのバスに乗り込みました。

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by berlinHbf | 2011-11-18 00:29 | 欧州を感じる旅 | Comments(2)

テレージエンシュタット訪問記(3)

すっかり間が空いてしまいましたが、昨年5月、チェコのテレージエンシュタット(現テレジン)を訪れた話の続きを書きたいと思います。来週更新する記事の関連性も考えて、今のうちに書いておきたいと思ったのです。テレジンの話が初めてという方は、最初にこれまでの記事をお読みいただけるとうれしいです。

関連記事:
テレージエンシュタット訪問記(1) (2010-11-28)
テレージエンシュタット訪問記(2) (2010-12-05)

前回書いたのは、テレジンの「小要塞」の方でした。そこにはハプスブルク帝国時代の要塞の中に刑務所が設置され、それまで実際に行ったことのあるアウシュヴィッツやベルリン郊外のザクセンハウゼンの強制収容所の雰囲気と重なるところがありました。最初の回で、「『要塞として建設され、その後ナチスの強制収容所になり、いまはまたそこに普通に人が住んでいる』と言われても、一体どういう場所なのか、ひまひとつ想像がつかなかった」と書きましたが、それは小要塞ではなく、大要塞、つまりテレジン市本体のことだったのです。

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1本道を500メートルぐらい歩いて行くと、オフジェ川が見えてきます。そこを越える際に、昔の城壁の跡らしきものが視界に入りますが、それを除けば「また別の街に入ったのかなあ」というぐらいの感覚でしかありません。時々、トラックやバスが横を通り過ぎて行きます。事前に何も知らなかったら、特に何も気付くことなく、私はこの街を通過していたかもしれません。

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しばらく歩くと、この街の中心地らしき広場にたどり着きました。少し閑散とはしていたものの、ベンチでは人がくつろぎ、公園では子供たちが遊ぶ光景が見えてきます。小さな街のごくごく普通の日常の風景という趣です。一見、本当に普通の街なのです。

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ところが、ネットから借用したこの街の空中写真を見れば、テレジンの特異性が一目でわかります。第2次世界大戦中、かつての大要塞の特性を生かす形で、テレージエンシュタットは大迫害施設へと生まれ変わり、数々の悲劇が起きたのでした。

(つづく)

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by berlinHbf | 2011-01-30 01:15 | 欧州を感じる旅 | Comments(0)

ベルリン放送響で聴くヤナーチェク2曲

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ベルリン放送交響楽団の演奏で、レオシュ・ヤナーチェクの作品を2曲聴く機会があった。

まず、昨年11月20日に聴いた〈グラゴル・ミサ〉。指揮は音楽監督のヤノフスキ。このミサ曲はベルリンでもめったに演奏されることがない。2000年9月にラトルがベルリン・フィルを指揮したのと(私がベルリンに来る直前で聴けなかった)、2003年春にギーレンがベルリン響を振ったのと(これは聴いたがあまり印象に残っていない)、他にあったかないか。実は学生時代に、あるアマチュアオケでこのミサ曲を演奏したことがあるのだが、独特のアクの強さ(?)が耳から離れず、〈シンフォニエッタ〉に比べてその時もあまり深くのめり込めなかった。でも、そうそう実演に触れることのできない曲だからと、チェコ文化を研究している友達と今回聴きに行ってみたら、これが実に素晴らしかった。

まず冒頭、荘厳なファンファーレではなく、快速でエネルギー全開の「イントラーダ」(通常は一番最後にくる)で始まったものだから、椅子から転げ落ちそうになった。プログラムをよく見ると、1926/27の初稿版とある。これは初めて聴くものだった。「グロリア」もCDで聞き慣れている音楽に比べて、響きの生々しさにおいて際立っている。印象的だったのは、「クレド」の中間部に出てくるクラリネット3本のソロ(ソリ?)で、バンダとして舞台後方の客席の場所から演奏させていたことだ。この部分の歌詞を読むと、「主はわれら人類のため、またわれらの救いのために天よりくだり」とあり、ヤナーチェクはまさに天上からの響きをイメージしてあのメロディーを書いたのだろうと納得した。そういう叙情的な部分も素敵だったのだが、このミサ曲全体にみなぎる荒々しさ、そしてはち切れんばかりの生命力は一体どう表現したらいいのだろう。ヤノフスキ&ベルリン放送響は、昨年のベートーヴェン・チクルスで見せた好調さを持続し、私のこの曲に対するイメージを刷新してくれた。同放送合唱団のマッシブでありながら透明感のあるコーラスも万全。最後2曲のあのかっこいいオルガンソロ、そして冒頭にも奏でられた「イントラーダ」には本当に興奮した。ヤノフスキはすごい形相で追い込みをかけるし、金管群はもうノリノリ状態(笑)。この日の演奏は、DeutschlandradioによりCD化されるそうなので、改めてじっくり聴き直すのが楽しみでならない。

MAREK JANOWSKI
Aga Mikolaj | Sopran
Iris Vermillion | Alt
Stuart Neill | Tenor
Arutjun Kotchinian | Bass
Iveta Apkalna | Orgel
Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin
Rundfunkchor Berlin

Paul Hindemith
Sinfonie "Mathis der Maler"
Leoš Janáček
Glagolitische Messe für Soli, Chor, Orgel und Orchester
(Erstfassung von 1926/27, Herausgeber: Paul Wingfield)


1月23日に聴いたのは、日本でもおなじみのゲルト・アルブレヒト指揮の〈シンフォニエッタ〉。私はこの人の実演に接するのは確か初めてなので、かつてどういう指揮ぶりだったのかはわからないのだが、大分お歳を召されたなあというのが正直な感想。棒は時にやや安定感を欠き、コンサートマスターが必死にリードを取ろうとしているように見えた。演奏は、ヤノフスキとはかなり対極的。冒頭の金管のファンファーレは、オケの一部として座らせて吹かせていたし、3楽章中間部のフルート4本が荒れ狂う場面では、ほとんどインテンポでさらりと進むので正直拍子抜け。純音楽的というか、この曲の祝祭的でスペクタクルな要素を極力排した演奏に感じられた。ではつまらなかったかというと、そんなこともなく、内側から自然と音楽が沸き上がってくるところなどは捨てがたい魅力があったし、最後はやはりホール全体が高揚感に包まれた。とはいえ、私が実演で接することができた故マッケラスとラトルの演奏(どちらもベルリン・フィル)は、やはり特別だったと実感する。

余談だが、ホールでの休憩中と、終演後にクロークで待っている間、近くで誰かが〈シンフォニエッタ〉の冒頭部分を口笛を吹いているのが耳に入ってきた。多分別人だとは思うけれど、やはりあの冒頭のメロディーは誰でも一度聴いたら耳について離れないのですね^^。

ちなみに、それぞれ前プロに演奏されたヒンデミットの〈画家マティス〉とツェムリンスキーの〈叙情交響曲〉も充実した演奏だった。どちらもヤナーチェクの曲と初演が数年しか違わないのが興味深い。特に後者はバリトンのフランツ・グルントヘーバーの深い味わいのある歌唱が素晴らしかった。

GERD ALBRECHT
Camilla Nylund | Sopran
Franz Grundheber | Bariton
Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin

Alexander Zemlinsky
Lyrische Sinfonie für Sopran, Bariton und Orchester op. 18
auf Gedichte von Rabindranath Tagore
Leoš Janáček
Sinfonietta für großes Orchester

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by berlinHbf | 2011-01-25 00:09 | ベルリン音楽日記 | Comments(3)

テレージエンシュタット訪問記(2)

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「労働は人を自由にする」と書かれた門をくぐり抜けると、中庭があり、いくつもの監房や独房の建物が並んでいた。

前回書いたように、もともとこの小要塞は18世紀末に作られた。当初ここに投獄されたのは軍人の他、中欧や南東ヨーロッパの民俗解放戦線に携わった人々だったという。入り口でもらったパンフレットによると、ナチス・ドイツの占領後、1940年にこの小要塞にゲシュタポのプラハ本部の刑務所が造られ、同年6月14日に最初の囚人が送られてきた。チェコ人が多かったそうだが、それ以外にもソ連、ポーランド、ドイツ、旧ユーゴ、もちろんユダヤ人も。大多数は、ナチスに対する抵抗運動のかどで逮捕された人々だった。

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テレジンの小要塞は、パンフレットに番号と経路が記されているので、それに従って見学するのが一番よい。ところが、この17、18と番号が書かれた場所まで来て、一瞬立ちすくんでしまった。18は「死体保安所。ここに拷問死した囚人の遺体が置かれた」そうだ(いやだなあ・・・)。隣の17は地下道。すぐにでも引き返したくなる場所だったが、経路図を見ると、この地下道をくぐり抜けないと次の19に行けないようになっている。しかもこれがたいそうな距離で、ざっと400メートルはありそう。「まさか囚人の遺体を運ぶのに使われた地下道じゃないよな」と思いつつパンフレットを見ると、「元の要塞の一部。戦時中は利用されなかった」と書かれていた。とはいえ、細長く暗い(もちろん明かりはあるものの)地下道を延々と歩いて行くのはかなり気が滅入った。1人で来ていたら、もっと恐かったかもしれない。

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ようやく地下道をくぐり抜けたと思ったら、そこは処刑場跡・・・。「小要塞で死刑執行が始まったのは1943年。ここで、約250人の囚人が銃殺された。最大の処刑が行われたのは1945年5月2日で52人が処刑された。その大部分は、レジスタンス組織のメンバー」。

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この門をくぐると、再び小要塞の中に戻ることになる。これは通称「死の門」。囚人にとっては、処刑場へと導く門だったのだ。

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あまりゆっくり見て回る時間がない中、東側の突端部に行ってみる。中庭に監房が並ぶその奥は、やはり見せしめのための処刑場だった・・・。「1945年3月、38号監房から脱走を図り、失敗した3人の囚人のうち1人が、他に無作為に選び出された2人の男性と1人の女性と共に、中庭の先端部で見せしめのため処刑された。逃亡を試みた残る2人も逮捕され、第一中庭の独房近くで石たたきの刑で処刑された」。

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劣悪な居住条件の中、戦争末期にはチフスが広がり、多くの人が亡くなったという。ここが開放されたのは、1945年5月5日に看守が逃げ出した後、ソ連軍がやって来た5月8日のことだった。

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どこを歩いても、いまでも死の気配がすぐそばに感じられるテレジンの小要塞を一通り見終え、入り口に戻ってきた。決して長い時間ではなかったが、疲労感を感じる。ここは要塞全体が完全に隔離された刑務所だった。が、テレジンはこれでおしまいではなかった。

(つづく)

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by berlinHbf | 2010-12-05 23:30 | 欧州を感じる旅 | Comments(4)

テレージエンシュタット訪問記(1)

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5月のプラハ旅行の最終日、以前から一度訪ねてみたいと思っていた場所に、行ってみることにした。ドイツ名はテレージエンシュタット、チェコ名はテレジンというこの街が、プラハから約60キロの距離にあるというのは少々以外だった。夕方のベルリン行きの列車に間に合うよう戻って来なければならないが、何とかなるだろうと思い、テレジン行きのバスが出る街の北側のHolešoviceのバスターミナルに地下鉄で行ってみた。が、そこはだだっ広い乗り場があるだけで、人も少なく、とてもバスターミナルという雰囲気ではなかった。停留所を1つ1つ回りながらTerezinの文字が書かれた路線の乗り場を探し、何とかたどり着く。バスに乗り込む際、運転手に「このバスでいいのか?」と確認したら、後ろのおじさんが親切に答えてくれた。彼の後ろに席を陣取ると、車中英語でいろいろ話をしてくれた。あれはチェコの有名な伝説の舞台になった山だ、とか、あの古い列車は近郊の小さな街の間を40年ぐらいひたすら行ったり来たりしているんだ、という話だったが(冒頭のかわいらしい気動車)、さすがに半年経つと記憶は薄れてきている。新緑の美しい季節、1時間ぐらいののんびりとしたバスの車中だった。

(テレジンはプラハの郊外だが、結構広い上にバスの便は決してよいわけではないので、午前中のうちに出かけるべきだろう。少なくとも午前中は1時間に1本はバスが出ている)

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持参してきたドイツ語版のlonely planetのガイドに、テレジンのことは比較的詳しく紹介されていた。ただ、「要塞として建設され、その後ナチスの強制収容所になり、いまはまた普通に人が住んでいる」と言われても、一体どういう場所なのか、ひまひとつ想像がつかなかった。見どころは大きく2箇所あるというので、まず手前のTrezin Blovetaで降りて「小要塞」に行ってみることにした。少し戻るようにバスの道を歩いて行くと、そこから左に延びる大きな並木道が見えてきた。隣は国立墓地になっていて、無数の墓石が並んでいた。

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ここが「テレジン小要塞」の入り口。テレージエンシュタットは、ハプスブルク帝国時代の18世紀末、ヨーゼフ2世によってエルベ川とオフジェ川が合流する地点に要塞都市として作られた。女帝マリア・テレジアの栄誉を称えるためにこの名前になったのは、有名な話だ。とにかく、ここが昔要塞だったというのは、この前に立てば一目瞭然だ。入場料を払って中に入る。地図付きの日本語のパンフレットが用意されていたのにはびっくりしたし、とてもありがたかった。

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入り口から左手に歩いて行くと、やがてアウシュヴィッツでもベルリン郊外のザクセンハウゼンでも目にした、あのおなじみの標語を掲げた門が見えてきた。すなわち、「労働は人を自由にする」。

(つづく)

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by berlinHbf | 2010-11-28 18:50 | 欧州を感じる旅 | Comments(4)

プラハ、最後は駆け足で

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プラハは観光客の数が常に多く(特に旧市街の密集率にはびっくり)、2000年末初めて来た時に比べても顕著だったように思います。そういうわけで、少し間が開いてしまいましたが、プラハの街の風景の続きを駆け足でご紹介します。

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旧市街広場とティーン聖母教会。

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ヨゼフォフと呼ばれるユダヤ人地区は、土曜日の休息日にも関わらず、やはり観光客でいっぱい。

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カレル橋とプラハ城を背景にしての眺めは、やっぱり素晴らしい。初めてここに立った時の感動をよみがえらせてくれました。

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カレル橋を渡って。

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聖ヴィート大聖堂のステンド・グラス。この中も大混雑でした。

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芸術家の家(ルドルフィヌム)の前のドヴォルザークの像。

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モルダウの両岸は音楽家にちなんだ通りが多く、チェコ軍団橋の向こうにヤナーチェク通り(?)というのもありました。

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昼間の「黄金の虎」。きっとまたここに来るぞ〜。

プラハはそれまでにも来たことがあったので、大きな驚きは正直あまりなかったのですが、最終日に訪れた郊外のある街は、私の心に深く刻まれました。近々じっくり書きたいと思っています。

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by berlinHbf | 2010-06-05 14:57 | 欧州を感じる旅 | Comments(0)

プラハ、トラムのある風景

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久々に歩いたプラハ、トラムがとてもよく似合う街だなという印象を受けました。前から後ろからトラムがゴトゴト聞こえてくると、ついカメラを構えてしまいます。ここで何枚かご紹介しましょう。

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さて、プラハでもっともよく見かけるトラムが、タトラ社のこのT3と呼ばれるタイプです。Wikipediaによると、共産主義時代の1960年から1989年まで、約14000両が製造され、世界でもっとも多く造られた路面電車というから驚きです。ソ連や東ドイツなど、旧共産圏の各国へ輸出されました。旧東独のケムニッツでは、現在も走っているそうです。

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2006年からは、低床式のŠkoda 14Tという型の車両も走っています。デザインをしたのは、あのポルシェだそう。どうりでスタイルがいいわけです。

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保存車両でしょうか、戦前製のトラムが走っているのも見かけました。ちなみに、プラハで初めて電気式の市電が走ったのは1891年のこと(ベルリンは1881年なので、ちょうど10年後ということになります)。現在34路線、合わせて141キロのネットワークが張り巡らされています。

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ヴァーツラフ広場で、やはり昔のトラムを使ったこんなカフェを発見。

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最後は、フランク・ゲーリー設計による有名な建築「踊る家」の前を走るT3。プラハの新旧を象徴する組み合わせといえるかもしれません。

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by berlinHbf | 2010-05-27 11:52 | 欧州を感じる旅 | Comments(6)

「百塔の街」をパノラマで

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見知らぬ街に来ると(いや、それに限らずですが)、高い場所から街を俯瞰するのが好きです。プラハだとまずはやはりここでしょうか、プラハ城に上ってみました。

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バロック様式の聖ミクラーシュ教会方面。天気はいまひとつでしたが、雨が降らなかっただけでもありがたい。

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カレル橋の1つ南側、かわいいトラムが走行中のチェコ軍団橋方向を望む。重厚なアパート群が並ぶ中で、斬新な現代建築「踊る家」(また別の機会に)も真ん中に顔をのぞかせています。右側に見えるのはヴィシェフラト城でしょうか。

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こちらが有名なカレル橋方向。こうして見ると、「百塔の街」という形容がよくわかる気がします。

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プラハ城を下って出たすぐのところに(黄金小道はあいにく改装中)、ぶどう畑があり、そこからの眺めがまた素晴らしかった。8年前に来た時、このぶどう畑はなかった気がしますが、どうでしょうか。

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今回はドイツ語版のlonely planetで回ったので、何か日本語のプラハガイドが欲しいなあと思っていたのですが、さすがにプラハは日本語の案内本も土産物屋でよく見かけました。その中でも、黄金小道前の土産物屋で買ったプラハのパノラマ・マップ(ATPイフラバ出版社。日本語版もあり)はよくできた絵地図で、ベルリンに戻ってからも時々眺めては楽しんでいます。

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by berlinHbf | 2010-05-23 13:51 | 欧州を感じる旅 | Comments(4)

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