ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
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ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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シュテーグリッツのティタニア・パラスト

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Titania-Palast (2008-03-08)

シェーネベルク地区の南にあるシュテーグリッツ地区は、このブログで取り上げた頻度がもっとも低い部類に入るかもしれません。考えてみたら、大分前にバウムクーヘンのおいしいお店Rabienを紹介して以来かも(こちらより)。今日はこの地区にある歴史的な建物をひとつご紹介しましょう。

U9 Walter-Schreiber-Platz駅を降りて、賑やかな買い物通りSchloßstr.を南に歩いて行くとすぐに見えてくるのがこの立派な建物。「ティタニア・パラスト」(Titania-Plast)といえば、わかる方はすぐにわかるでしょうね。建物の前の記念プレートにはこう書かれています。
1928年1月26日に、客席数2000のベルリン最大の映画館として落成。1945年5月26日、レオ・ボルヒャルト指揮のもとでベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の戦後最初のコンサートが、また1948年12月4日にはベルリン自由大学の創立式がここで行われた。
最近はしばらく工事中だったのですが、去年久々にその前を通ったら、正面にガラス張りのお店ができていてびっくりしました。現在も映画館として使われているようですが、内部は完全に改装されているため、表現主義様式の当時の面影はないだろうと思います(昔の内部はこんな感じでした)。

関連記事:
ベルリン・フィル戦後最初のコンサートについて
「舞台・ベルリン」 - 占領下のドイツ日記 - (2006-7-15)

Titania-Palast(ドイツ人の方のサイト。興味深い写真などが多数)

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by berlinHbf | 2009-04-23 12:14 | ベルリン発掘(西) | Comments(8)

ベルリンに帰った貴志康一

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©甲南大学貴志康一記念室所蔵

1930年代前半、ベルリンで信じられないようなキャリアを築いた若き日本人音楽家がいました。その名は貴志康一。大阪の商家に生まれ、ジュネーブとベルリンでヴァイオリンの研鑽を積みながら、ヒンデミットに作曲を、フルトヴェングラーに指揮を学び、25歳でベルリン・フィルを指揮するという快挙まで成し遂げます。交響曲や歌曲、オペレッタまで多くのジャンルで曲を残したほか、映画製作にも力を入れ、並々ならぬ意欲を持って日本文化の紹介に努めました。しかし帰国後、わずか28歳で急逝すると、戦中・戦後の混乱の中、その名は忘れ去られていきました。

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2009年は貴志の生誕100年目に当たる記念の年。生まれ故郷の関西を中心に彼への関心がじわじわと高まる中、ベルリン日独センターが、展覧会「貴志康一、ベルリンに帰る」を貴志に縁のある甲南大学と共催しました。日本大使館や甲南大学の関係者も出席したオープニング式典の様子をお伝えしたいと思います。最初に、今回の企画の実現に尽力したソプラノ歌手の中嶋彰子さんが、貴志作曲の「赤いかんざし」と彼の編曲による「さくらさくら」を情感豊かに歌い上げました。中嶋さんは、この日の昼に行われたフィルハーモニーでの「ランチコンサート」でも貴志とその同時代の音楽を紹介し、大変好評を博したそうです。

また、貴志が製作した短編映画2本が上映されたほか、ベルリン・フィルの資料室長ヘルゲ・グリューネヴァルトさんによる1930年代のベルリンについての小講演や、写真や楽譜などから成る展示物によって、貴志のマルチタレントぶりと彼が生きた時代背景が鮮やかに浮かび上がってきました。中嶋さんによると、貴志の音楽がベルリンに鳴り響くのは記録を遡っても70数年ぶりだったそうで、戦前、必死に日独の橋渡しに努めたこの若き音楽家が、確かに「第2の故郷」であるベルリンに帰って来たのだと実感しました。当展覧会は、日独センターにて4月17日(金)まで開催されています。
ドイツニュースダイジェスト 4月3日)

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by berlinHbf | 2009-04-03 09:56 | ベルリン音のある街 | Comments(4)

安永徹さんドイツ連邦功労賞受章 - 「音楽の友」4月号 -

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現在発売中の「音楽の友」4月号に、2月のベルリン・フィル定期演奏会の模様と、最近同オケを退団された安永徹さんのドイツ連邦功労賞受章式のレポート記事を書かせていただきました。一読いただけるとうれしく思います。

昨年、安永さんの師匠にあたるミシェル・シュヴァルベさんにインタビューした時、ベルリン・フィルの第1コンサートマスターを約30年間勤め上げたことへの誇りを盛んに口にされていましたが、日本人の安永さんが同じポジションに就いてからいつの間にか26年の月日が流れているわけで、その偉業に改めて思いを馳せずにはいられません。

個人的には、高校生の時に横須賀の文化会館で初めて安永さんとご夫人の市野あゆみさんとのデュオを聴いた時の感動(フランクとヤナーチェクのソナタでした)、98年3月初めて本拠地でベルリン・フィルを聴いた際のコンマスが安永さんで、アバド指揮のマーラー交響曲第3番の叙情楽章で聞かせてくれたソロの凛とした美しさ・・・。私がベルリンに来てからは、アバドが病から復活した直後のマーラー7番とか、アーノンクール指揮での《音楽の冗談》やバッハ、ソリストとして弾かれたハルトマンなど舞台での思い出は数知れません。

安永徹さん、本当にどうもありがとうございました。
これからのご活躍とご多幸を願っています。

追記:
安永さんのベルリン・フィル退団に関連した、貴重な新聞記事を見つけました。これは必読の内容です(特にカルロス・クライバーとの共演について触れている箇所など!)。
安永徹:ベルリン・フィル退団 北海道に拠点、デュオ中心の活動へ
(毎日新聞 2009年3月4日 梅津時比古記者)

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by berlinHbf | 2009-03-22 14:47 | ベルリン音楽日記 | Comments(10)

映画「ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて」

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ベルリン・フィルのメンバーが今週韓国から日本入りしたそうだ。いよいよ明日から始まる3年ぶりの来日公演は、今クラシック音楽ファンの間で大きな話題になっているのではないだろうか。とはいえ、日本でベルリン・フィルを幸運にも生で聴ける人など、結局ごくわずかでしかない。今回は、このツアーに合わせて現在東京で上映中の新作映画をご紹介したいと思う(全国順次公開予定だとか)。先日紹介した「帝国オーケストラ」と並んで、ベルリン・フィル125周年に合わせて製作された「ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて」(原題:Trip to Asia)がそれだ。

「帝国オーケストラ」は時代背景についての知識があるとより興味深い映画だが、こちらは説明不要というか、音楽が好きな方にまずはともあれ観ていただきたい。2005年秋のベルリン・フィルのアジアツアーに密着したドキュメンタリーで、北京、ソウル、上海、香港、台北、東京へと移動する過程で、この名門オケの内部事情が克明に描かれる。まずびっくりするのは、慌しいツアーの中、ラトルや有名な音楽家から驚くほど本音のコメントを引き出していること。これはやはり実際に見ていただくほかないと思う。

ベルリン・フィルのすごい演奏を目の当たりにする時、「ここまで個々の技術が卓越しているオーケストラが、決して個を埋没させることなく、なぜかくも美しいハーモニーを奏でられるのか」といつも不思議に思うのだが、個人として、同時に集団(オケ)の一員としての彼らの心のせめぎあいをここでは垣間見ることができる。音楽界ではエリート中のエリートのベルリン・フィルの団員も(そしてラトルも)、どこかで悩み、心の葛藤があり、それでも日々成長しようと努力している。そのことがわかっただけでも、この映画を見る価値はあった。「オケで演奏することは本当に楽しい。だがそれは、個の人間として機能できての話だ」(ゲッツ・トイチュ)。音楽に限らず、組織の中で働いている人は誰でも、共感できる言葉に出会えるのではないだろうか。

もともとベルリン・フィルのファンだという人は、おなじみの奏者が次々に出てくるのでときめきを感じるはず。R.シュトラウスの《英雄の生涯》、ベートーヴェンの《英雄》、アデスの《アサイラ》などの演奏シーンも迫力十分。インタビューに答える女性奏者はなぜか美しい方ばかりで、そういう意味でも楽しめるかと^^;)。

渋谷ユーロスペースでのこの連休中の上映には、ベルリン・フィルのメンバーも舞台挨拶に見えるそう。足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

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ベルリン国際映画祭での記者会見より(2月12日)。右よりラトル、グルベ(監督)、マニンガー(BPOソロ・チェリスト)ら。

ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて公式サイト
東京・渋谷ユーロスペース
11/15(土)~
☆ベルリン・フィルメンバーによる舞台挨拶あり(予定)
11月23日(日)・24日(月/祝)両日ともに 16:20の回上映終了後、18:45の回上映前

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by berlinHbf | 2008-11-22 23:43 | ベルリンを「観る」 | Comments(29)

音の記憶を探し求めて - 旧フィルハーモニー跡 -

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Alte-Philharmonie(10月24日)

現在のベルリン・フィルハーモニーと同じく、旧フィルハーモニーも、ポツダム広場からほど近い場所にあった。戦前、Uバーンのポツダム広場の駅を上がると、目の前にはHaus Vaterland(「父なる国の家」)という名の有名な歓楽施設が立っていた。そこを横目に、南側のケーテナー通り(Köthener Str)を歩いていこう。この辺りに戦前から残っている建物としては、「ハンザ音響スタジオ」でご紹介したマイスターザールぐらいだろうか。

参照:
天使の降りた場所(9) - 戦前のポツダム広場を歩く - (2006-10-05)
伝説のハンザ・スタジオ (2008-04-30)

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最初に見える横道を左折すると、これがベルンブルガー通り。この界隈はクロイツベルクの西端にあたり、低所得者層の外国人住民が多い印象を受ける。昔日の面影は、やはり皆無に等しい。

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やがて右手に見えてくるこのアーチの向こうに、1944年までベルリン・フィルの本拠地が建っていた。ポツダム広場から5分強。戦前の大ターミナルだったアンハルター駅からも徒歩5分の距離ゆえ、当時は一等地だったことがわかる。

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前回ご紹介した映画『帝国オーケストラ』で、エーリヒ・ハルトマンが1943年にベルリン・フィルのオーディションを受けにやって来た日のことを語るシーンがある。「ベルリンは私にとって未知の都市だった。アンハルター駅で降り、母たちに付き添ってもらい、自分はコントラバスを担いで急いでフィルハーモニーに向かったんだ」

アーチを後ろに見ながら歩いて行くと、そこが中庭。やがてフィルハーモニーが目の前にそびえる。このアングルからの映像は、『帝国オーケストラ』の中でも紹介されるので、ぜひご覧いただきたいところ。

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戦前の絵葉書より。この中で聴くブラームスがどんなにすばらしかったであろうかは想像に難くない。タイムマシンがあったら、自分ならベルリンで行きたい場所の3本指に入れるだろう!

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現在は、学生寮とスーパー、アパートなどに囲まれた、ただの中庭の空き地でしかない。しかし何も建てられなかったがゆえに、ここを訪れる者は記憶の響きを想像する余地が残されているように思う。

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その響きとは、フルトヴェングラーの指揮するベートーヴェンだろうか。それとも、フィルハーモニーが崩れ去る日の夜の爆撃音だろうか。おそらく今も残るホール唯一の残骸を眺めながら・・・。


帝国オーケストラ ディレクターズカット版公式サイト
ベルリン・フィル創立125周年記念第一弾 10月下旬より渋谷・ユーロスペース他全国順次公開

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by berlinHbf | 2008-11-07 23:57 | ベルリン音のある街 | Comments(14)

映画「帝国オーケストラ」ディレクターズカット版を観て

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今月のベルリン・フィル来日に合わせて、関連の新作映画が2本上映される。そのうちの1本、「帝国オーケストラ」(原題:Reichsorchester)を最近観る機会があった。

これは「第三帝国下のベルリン・フィル」というテーマで描いた、エンリケ・サンチェス=ランチ監督によるドキュメンタリー作品で、2007年のベルリン・フィル125周年に合わせて作られた。ドイツではすでに一般公開もされ、私も一度観ている。今回改めて鑑賞したのは、日本公開用に合わせて編集され直したというディレクターズカット版の方。

ナチス支配下のベルリン・フィルという主題では、これまで多くが語られ、また著作もたくさん出ている。だが、ほとんどの場合、その中心にいたのは当時首席指揮者だったフルトヴェングラーだ。著作によっては、作者の勝手な主観や思い込みによって歪められているものもある。この映画では、フルトヴェングラーが指揮している記録映像は何度も出てくるが、それ以外でこの人物が表に出てくることは一切ない。代わりに主役となっているのは、当時の異常な状況下で音を奏で続けたオーケストラのメンバーである。

1933年、ベルリン・フィルは未曾有の財政危機から脱するため、ゲッベルスにより国有化され、その管轄下に置かれた。映画はそこから始まる。解体の危機からは免れたものの、それ自体が一つの小宇宙とも言える名門オーケストラの内部は、錯綜した状況にあった。身の危険を感じていたユダヤ人音楽家、団員の中にわずかながらもいた危険なナチ党員、その他大勢の団員たち。彼らが何を感じ、苦難の時代をどのように生きたか、またどのような結末が待っていたのか。関係者の証言と当時の豊富な映像資料によって話は進行していく。

この映画において主人公と呼べる人物が2人いる。1人は元コンサートマスターのハンス・バスティアン(現在96歳!)。どことなく気弱く、芸術家らしい繊細さを感じさせる人物。「私たちは政治的には子供だった」。当時のことを静かに語るその口調は、時に苦渋がにじみ出る。

映画の序盤、彼が語る中で印象に残ったのは、フィルハーモニーのホール内部に飾られていた作曲家の肖像から、メンデルスゾーンのものが突然外され愕然としたというエピソードだ。やがてドイツが破滅への道に突き進む、恐ろしい段階性への萌芽が、すでにこの時点で見て取れる。映画ではその後、ベルリン・フィルが舞台に立つ「帝国文化院」の式典の壇で、露骨な反ユダヤ主義の方針を唱えるゲッベルスの映像が流れる。若いバスティアンは「衝撃を受けた」と語る。当時、そのすぐ後ろで演説を聞いていた団員の大部分も、「これはとんでもない事態になりつつある」と戦慄を感じたに違いない。歴史に「たられば」はないのかもしれないが、今にして考えれば、ベルリン・フィルはこの時期が1つの分岐点だった。名コンサートマスターのゴールドベルクなど団員の中にはユダヤ人もいた。何らかの形で権力者に対して抵抗を示す手段はなかったのだろうか・・・。

「自分だったら、どうしただろうか?」(ランチ監督)。この作品はただの音楽映画ではない。現代に生きるわれわれにも、切実な問いを投げかけてくれる。

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もう1人の主人公、エーリヒ・ハルトマンは、現在86才の元コントラバス奏者。1943年にベルリン・フィルに入団する前、軍隊も経験していた人物だ。「われわれはそうせざるを得ない状況下で、音楽のみをした。政治のことは頭になかった。『ナチスのオーケストラ』などと呼ばれる覚えはない」。このきっぱりとした物言いをする彼の話でとりわけ忘れがたいのが、旧フィルハーモニーが空爆で崩れ去れる日の回想だ。1944年1月30日の夜、ハルトマンは見張りの1人として現場にいた。「その様子が今も脳裏に焼きついている。私たちはみんな泣いていた」。ベルリンの芸術文化の象徴が崩れ落ちる瞬間を、眺めるしかなかった無念。その悲しみは、ベルリンの記憶として今もこの街のどこかに漂っているような気がする。

生存する数少ない当時の団員の他、その子息らのインタビューも織り込まれる。当時子供だった彼らが、「今となってはそうだったかもしれない」と、どこかで異変を感じ取っていた戦争中の日常も興味深い。そうそう、ベルリンの戦争回想録を読むと、ほぼ必ずといっていいほど登場するコーヒーの話もやはり出てきた。「ベルリンでは、コーヒーはダイヤモンドに匹敵したよ」(バスティアン)。

やがて空爆が激しくなる戦時下といえども、人々には日常があった。そして驚くべきことに、コンサートは場所を変えて終戦間際まで続けられた。戦時下のコンサートというのは、例えばこういうものだったらしい。空襲の起きる時間を避けるため、開演時間が早められた。演奏中、空襲警報が鳴ると音楽は中断。その場にいる人は全員避難する。空襲が去ると、中断された箇所から演奏が再開・・・。そのような状況下でも、多くのお客さんが集まった。なぜなら、「生きるための活力」を求めていたから。その言葉に偽りはないだろう。音楽が内包する根源的な力を感じずにはいられない。何しろ音楽自体に罪はないのだから。

ベルリン・フィルのみ演奏活動が続けられたのは、兵役義務を免除され、ドイツの文化水準を国の内外に誇示するという特権的な役割を担わされたためだ。フルトヴェングラーのもとで演奏できる魅力もあった。映画の終盤でバスティアンが語るエピソードが胸に迫る。ある日、ヴァイオリンケースを持ってきれいな身なりでSバーンに乗ったら、周りの乗客から好奇の目で見られた。「彼らの中には息子が前線に送られている者もいただろう。何ともいえない気まずさを感じた」。

また、戦争の末期、オリンピック村で行われた兵士のための慰問演奏会で、大勢の負傷した兵士を前にベートーヴェンの《運命》を演奏した時の話。60年以上の時を経て、同じ場所を訪れて回想するこのシーンは、映画の一つのハイライトと言えるかもしれない。

亡命したユダヤ人チェリストの子息を訪ねて、カメラは時に海をも越える。そして日本にも・・・。1つ1つの話のディティールにリアリティーがあり、想像力が喚起される。あの時代を直接体験した人がいよいよ少なくなりつつある今、「帝国オーケストラ」が撮られた意義は大きい。ぜひ多くの方に観ていただきたい映画だ。

ベルリンという街の記憶、そして音に興味のある私は、この映画に触発されて、いくつかの場所を再訪してみたくなった。今度はそれを書いてみたいと思う。


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by berlinHbf | 2008-11-05 19:58 | ベルリンを「観る」 | Comments(17)

フィルハーモニーの「舞台席」

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©Lauterbach / Berliner Philharmoniker

ベルリンという街が遠い彼方の存在だった頃、テレビでベルリン・フィルハーモニーのコンサートの様子が映し出される度に気になる場所があった。舞台のすぐ後方にベンチのような簡素な席が何列か並び、そこで人々が体を寄せ合うようにして音楽を聴いている。若い音楽好きにはそこが特等席のように映り、いつかあの場所でベルリン・フィルを聴いてみたいと夢に描いた。

ベルリンに来て音楽に詳しい人に聞いてみたら、なんのことはない、あのスペースは合唱団用の席で、プログラムに合唱曲がない場合に安い値段で開放されているに過ぎなかったのだ。
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Podiumsplätzeと呼ばれるこの舞台席は全部で約120席あり、ベルリン・フィルでは原則としてコンサートの数日前にフィルハーモニーの窓口でのみ販売される(値段は8~16ユーロ)。何しろオーケストラの舞台のすぐ後方なので、響きのバランスは決して最上のものとは言えない。また自由席なので、開演ギリギリにやって来ると、金管楽器やティンパニのすぐ後方しか空いていないということもある。その代わり、指揮者と完全に向かい合う形で座るため、あたかも自分がオーケストラのメンバーの1人になったような気分で、ハーモニーが創造される生の現場に立ち会える稀有な場所でもあるのだ。

ベルリン・フィルのドラマトゥルク(文芸)部門のヘルゲ・グリューネヴァルト氏が、舞台席での思い出を語ってくれた。

「1967年に音楽学の学生として西ベルリンにやって来た私は、この舞台席で初めてベルリン・フィルのコンサートを聴きました。ジョン・バルビローリが指揮するブラームスだったのですが、私は大変感動してそれ以来、伝説的な指揮者のコンサートのほとんどをこの席で体験したのです。ジュリーニ、セル、ヨッフム、ベーム、カラヤン……。彼らの表情や動きといったら!当時2マルクぐらいでこの席のチケットが買えたので、若い私は貪るように音楽を聴きました。それが自分にとってかけがえのない財産になっています」

指揮者だけでなく、オーケストラのメンバーを観察するのもスリリングだ。舞台に現れる時のリラックスした表情と演奏が始まってからの集中力、指揮者の細かな動きに奏者が瞬時に反応する様、プレーヤー同士のアイコンタクト、時には予想外のハプニングが起こることだってある。氏が語るように、特に音楽を勉強している人にとっては最高の席だろう。ベルリンの音大に留学中のある友人は、「ここは百戦錬磨の彼らから技を『盗める』場所なんです」と語っていた。ジーンズ姿の若者も多く、他の席に比べてラフな雰囲気があるのが特徴だ。

「確かに、ヴァイオリンや歌のリサイタルをこの場所で聴くのはやや奇妙な体験ではありますが、フィルハーモニーのコンサートは舞台席でしか聴かないというファンもいるんですよ。こういう席は他のホールにはありませんから」(グリューネヴァルト氏)

客席が舞台を取り囲むという民主的な理念によって造られたフィルハーモニーには、値段が安くても音楽を間近に感じられる席が存在する。それがまた、この音楽空間の豊かさを物語っていると言えないだろうか。
ドイツニュースダイジェスト 10月17日)

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by berlinHbf | 2008-10-17 21:48 | ベルリン音のある街 | Comments(13)

カラヤンとグールドの1957年ベルリン・ライブ

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すでにあちこちで話題になっているカラヤンイヤーのこの目玉録音、ドイツでも結構売れているようで、私も買って家でじっくり聴いてみた。すっかり気に入ってしまい、最近こればかり聴いている。
まずジャケットのデザインと写真に惹き込まれる。ゴルトベルク変奏曲の伝説のレコーディングからまだ翌々年の24歳のグールドと、ベルリン・フィルの音楽監督に就任して間もない49歳のカラヤン。歳もルーツも異なれど、共に20世紀後半の芸術とメディアの関係に大きな影響を及ぼし、今まさに時代の寵児としてキャリアの絶頂に上り詰めようとしつつあるこの2人の音楽家が、ツォー駅からほど近いベルリン芸術大学のホールの舞台上で出会い、打ち解けた表情でなにやら話している。この貴重な光景をよくぞ写真に収めてくれたものだと思う。

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ちなみに、このジャケット写真を撮ったのは、エーリッヒ・レッシング(Erich Lessing)というウィーン生れのカメラマンで、アメリカの雑誌“Esquire“から依頼を受け、この年カラヤンの数々の舞台や私生活を写真に捉えている。今年そのときの記録を集めた写真集が発売され、ウィーンでは現在展覧会も開かれているようだ(詳細はこちら)。

客席のノイズは多いものの、モノラルの実況録音としては当夜のコンサートの模様を生々しく伝えている。前半のベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。この時点でグールドがコンサートピアニストとしても、すでに完成された域にいることを窺わせる。1つ1つの音がキラキラ輝いていて、明晰なこと。1楽章のカデンツァなんて、これほど弾き込んでいるのに音が決して割れることがない。そして、あの反逆的な彼にしては、ここでの演奏は意外なほど正統的。フルトヴェングラーが最後に振ってからまだ3年しか経っていないベルリン・フィルのうねりあるサウンドには、さすがのグールドも唸らされ、カラヤンの棒に自然と寄り添ったのではと勝手ながら思う。1楽章の最後の音など、腹の底にどすんと響く。

ブックレットの解説に書かれている、後半のシベリウスの5番とグールドについての箇所がとても印象的だった。このコンサートが、グールドとシベリウスの音楽との最初の出会いだったこと。彼はその演奏に大変感動し、1964年のカラヤンの同曲のスタジオ録音を「無人島に持っていきたいレコード」に挙げていること(これは別の新聞記事に書いてあった)。さらにその録音を、グールドが1967年に作った『北の理念』というラジオドキュメンタリーのエンディング音楽に使っていること等々。終生カナダの北の地に住んだグールドだが、このベルリンでの演奏が自身の「北の理念」に何らかの影響を及ぼしたのだと考えると、なかなか感慨深いものがある。カラヤンとグールドとの共演は、結局このときと翌年の2回で終わったが、彼らはその後も互いを高く評価し合っていたという。

このシベリウスは、64年盤における細部の彫琢度には及ばないかもしれないが、ベルリン・フィルを自分の掌中に収めつつある当時のカラヤンの勢いと覇気が如実に伝わってくる演奏だ。北国の春の到来を予感させるような、ホルンを主にした終楽章のハーモニーのふくらみは、あらゆる芸術の中でも音楽にしかなしえない至福の瞬間だと思う。

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この「世紀の」共演が実現したハルデンベルク通りにあるベルリン芸術大学のホールでは、実は私も何度か演奏したことがあり、2年前の1月に撮った写真が出てきた。いかにも50年代という内装や指揮台のデザインなど、CDのブックレットに写っている当時の様子と何も変わっていないように見える。ちなみに、このCDには当夜のコンサートのプログラムがPDFファイルに収録されており、当時の広告やミシェル・シュヴァルベのコンサートマスター就任のニュースなど、なかなか興味深い。

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by berlinHbf | 2008-07-31 21:44 | ベルリン音楽日記 | Comments(6)

森の音楽会―ヴァルトビューネの楽しみ

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Berliner Waldbühne(6月15日)

毎年6月末になると、コンサートホールや劇場が夏休みに入る一方で、ベルリンの街のあちこちで野外コンサートが開かれるようになる。中でも広く知られているのが、シャルロッテンブルク地区の森の中にあるヴァルトビューネ(「森の劇場」の意)だろう。毎年6月半ば、シーズンの最後に行われるベルリン・フィルのコンサートはテレビでも放映されるので、ご覧になったことがある方も多いはずだ。
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そもそもヴァルトビューネは、古代ギリシャの円形劇場をモデルに、1936年のベルリン・オリンピックに合わせて造られた建造物のひとつ。当初はディートリヒ・エッカートビューネという名称で、オリンピックでは器械体操などの競技がここで行われたという。

第2次世界大戦後、現在の名称になったこの野外劇場は、当初は主にボクシングの試合などに使われていたが、1960年代に入ってコンサート会場としても用いられるようになる。ところが、65年9月のローリング・ストーンズのコンサートで事件が起きた。コンサートの短さに失望したファンが暴動を起こし、警官隊が放水して鎮圧する事態にまでなったのだ。損傷額は膨大なものとなり、その後しばらくはほとんど使われなくなった。
ヴァルトビューネが再びコンサート会場として活況を呈するのは、80年代に入ってから。サーカス小屋を思わせる現在の白い屋根が舞台上に設置され、やがてベルリン・フィルが毎年ここで演奏するようになると、テレビ放映もあって世界的に知られるようになった。いまやベルリンの夏の音楽シーンに欠かせない舞台である。
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先日、弱冠27歳のベネズエラ人指揮者グスターボ・ドゥダメルの登場で話題を呼んだ、ベルリン・フィルのコンサートに足を運んでみた。2万2000枚のチケットは数カ月前からすでに完売。お客さんは2時間ぐらい前から会場にやって来て場所を確保し、持ってきた弁当をほおばりながら和気あいあいと楽しんでいる。この開放感は野外ステージならではで、コンサートが始まると、音楽に混じって小鳥の鳴き声なども耳に入ってくる。

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劇場の一番上に立つと、意外と傾斜がきついのに驚くだろう。舞台との高低差は30メートルもあり、石の階段の上り下りはなかなか大変だ。だが、曲目が進むにつれて、この構造が舞台とのすばらしい一体感を生み出す。夕暮れ時、空の色合いは刻一刻と変わり、音楽と溶け合うかのように感じられるときさえある。やがて、ろうそくや花火を灯す人が増えてくると、コンサートは佳境に。「リズムの夜」と題してラテンアメリカの音楽を並べたこの日のプログラムは、若武者ドゥダメルのまっすぐな音楽作りと極彩色のオーケストラの響きによって、アルトゥーロ・マルケスの《ダンソン第2番》で壮大なクライマックスが築かれた。最後は、手拍子と口笛が入り乱れての恒例のアンコール曲《ベルリンの風》で幕。

これから夏本番にかけてヴァルトビューネでは、R.E.M(7/16)、ヘルベルト・グリューネマイヤー(7/22)、エリック・クラプトン(8/15)、ダニエル・バレンボイム指揮ウエスト=イースタン・ディヴァン・オーケストラ(8/23)などのコンサートが予定されている(公演情報はこちらより)。夏の心地よいベルリンの風を感じながら、この上なく贅沢な時間が待っているはずだ。
ドイツニュースダイジェスト 7月18日)

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Programm des Abends
by berlinHbf | 2008-07-15 19:21 | ベルリン音のある街 | Comments(8)

シーズン終盤のベルリンのオーケストラ

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Berlin Philharmonie(5月20日)

2007/08のシーズンが終わって落ち着いたので、5月から6月にかけて聴いたベルリンのオーケストラのコンサートをいくつか振り返っておきたい。

ベルリン・フィル(BPh)は、3人の指揮者のもとベルリオーズの大曲を取り上げた。そのうち、アバドの《テ・デウム》とラトルの《幻想交響曲》のコンサートは、例のフィルハーモニー火災事故の影響でそれぞれヴァルトビューネ、テンペルホーフ空港格納庫で行われる非常事態となったが、5月のドナルド・ラニクルズ指揮の《レクイエム》は、かろうじて本拠地で聴くことができた。アトランタからわざわざ連れて来た合唱団(しかもアマチュアだとか)、巨大編成のオケ(ティンパニだけで確か8人いた)、さらに4箇所の金管のバンダが作り成す宇宙的スケールの迫力はすさまじく、でもただうるさいだけの音楽だけではなかった。終盤のサンクトゥスで、突如客席最上階から聞こえて来たテノールのソロは、宗教画がイメージできるほど絵画的だったし、アカペラ部分の繊細な味わいも忘れがたい。12月のドヴォルザークもよかったけど、これまた唯一無二の《レクイエム》体験だった。

ベルリン・ドイツ響(DSO)は、5月頭に聴いたロジャー・ノリントン指揮のコンサートが白眉だった。ノン・ヴィブラート奏法による、信じられないくらい美しい響きが随所で聴かれたヴォーン・ウィリアムズの交響曲第5番とエマニュエル・アックスをソロに迎えての心踊るベートーヴェンの《皇帝》。それにしても、ノリントンの指揮って、その指揮ぶりやしぐさを見ているだけでニヤけてきてしまう。ノリントンの他、マンゼ、コープマンといった古楽畑の指揮者をほぼ毎シーズン呼び、彼らの意図に応えようとするDSOの柔軟性もすばらしいと思った。個人的には、次はG.アントニーニあたりを迎えて欲しい。来シーズンは、「1909年」というテーマでプログラムが組まれている。

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コンツェルトハウス管は、R.ツァグロゼク、S.ヴァイグレ指揮で2度聴いた。旧東の流れを汲む魅力的な響きを持つオケに、最近日本人の日下紗矢子さんがコンサートミストレスに就任した(まだ20代だとか!)。ヴァイグレ指揮のもと、リムスキー=コルサコフの《シェラザード》で聴かせたヴァイオリン・ソロには、ぐっと惹きつけられた。お客さんだけでなく団員からの反応もとてもいいように感じられたし、試用期間を無事乗り切っていただきたい。コンマスといえば、長年ベルリン・フィルの顔だった安永徹さんが来シーズン途中で退団されるというのが、非常に残念である。

EURO2008のドイツ対ポーランド戦の夜、ヤノフスキ指揮ベルリン放送響(RSB)でブルックナーの交響曲第6番を聴く。外見からは想像しにくいのだが(失礼!)、ポーランド生まれのドイツ人ヤノフスキ氏はサッカーが大好きらしく、このコンサートの休憩中も試合の様子を気にしていたという。ブルックナーの演奏中、ポドルスキーのゴールが脳裏に浮かんだかどうかはともかくとして(笑)、このオケとの近年の緊密な関係を窺わせる充実した演奏だった。ただ、演奏していた弦楽器の友人によると、ブルックナーの7番と8番はさらによかったとのこと。この日特に驚かされたのは、ベートーヴェンの"Ah! perfido"というアリアを歌ったソプラノのA.ハルテロス。音楽性、声量ともにずば抜けたものを持っている、しかも容姿も美しい。

今シーズンもすばらしい音楽をたくさん聴かせてもらって、幸せだった。ベルリンに感謝。

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by berlinHbf | 2008-07-04 20:29 | ベルリン音楽日記 | Comments(9)

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