ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
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(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


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指揮者キリル・ペトレンコのこと

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6月24日のベルリンの日刊紙より

音楽に限らず、こんなに興奮させてくれるニュースは最近ほかになかった。6月23日、パリの知人宅で「キリル・ペトレンコがベルリン・フィルの次期首席指揮者に決定」という知らせを同団のプレス用メールで知ったときは、思わず声を上げてしまった。その後も折に触れて「あのペトレンコがベルリン・フィルの次期シェフになるのか……」と思うと、それだけでドキドキするという日が10日間ぐらい続いた。有力候補とされていた他の指揮者、例えばネルソンス、ティーレマン、ドゥダメルの誰かが選ばれても、こんな気持ちにはおそらくならなかっただろう。もうそれだけで、ベルリン・フィルのメンバーが下した決断に感謝したくなるほどだ。

キリル・ペトレンコという音楽家は、ベルリンに住んだからこそ出会えた人だと思っている。初めて彼の生演奏に接したのは、2002年9月、コーミッシェ・オーパーだった。ちょうどラトルがベルリン・フィルの音楽監督になって最初の公演が行われた前後の日ではなかったかと思う。このオペラ劇場で音楽を聴いたのは確かそのときが初めてだった。当時私は30歳以下限定の「クラシック・カード」というのを持っていて(今もあるのだろうか)、わずかな年間費を払えば、オペラもコンサートも10ユーロほどでその日余っている良席のチケットを買うことができた。そのときも平土間の、ほとんど最前列に近い席だったと記憶している。演目はスメタナのオペラ《売られた花嫁》。事前の準備といえば、話の筋を簡単に予習したぐらいで、そのシーズンからこの歌劇場の音楽監督になるペトレンコという指揮者のことは何も知らなかった。正直言うと、当時のコーミッシェのオケはあまり上手くないと聞いていたので、失礼ながらやや甘く見ていた面は否めない。

ところが、序曲が鳴り始めた瞬間から度肝を抜かれてしまった。ピットの底からマグマがわき上がってくるかのような音楽の怒涛の勢いと、惚れ惚れとするような表現の冴え!それでいて、力技だけで音楽を引っ張っていく人だけでないことは明らかで、細かい音符まで音楽が何と息づいていたことだろう。オケの力の入れようも素晴らしく、最初の序曲だけで公演全体の半分ぐらいのエネルギーを使ってしまったのではと思うほどの熱演が繰り広げられたのだった。カーテンコールの際、驚くほど小柄なペトレンコが現れ、真下のオケに向かってニコニコと拍手で称える姿は、どこか可愛らしくもあった。この男が先ほどまであのキレキレの音楽を生み出していたのかと、その落差にも私はびっくりした。

ペトレンコというすごい指揮者がベルリンにやって来たという評判はすぐに広まり、当時私の周りの音楽好きの間でもよく話題になった。それからは、意識的に彼の公演に聴きに出かけるようになった。《イェヌーファ》、《ファルスタッフ》、《コジ・ファン・トゥッテ》、レハールのオペレッタ《微笑みの国》という珍しい演目まで。とりわけ感動したのは、2006年4月の《ばらの騎士》のプレミエだった。上演が進むにつれて客席のボルテージが上がり、第3幕でペトレンコが登場したときは、それだけでブラボーが飛び交った。伝説的なカルロス・クライバーの上演をも思い出したほどだった。近年、ウィーンで彼の振る《ばらの騎士》を聴いた知人は、「彼がウィーンで振った《ばらの騎士》は生で3回聴いたクライバーを上書きしかねない程、鮮烈な印象」とTwitterに書いていたので、私の印象もまんざら大げさなものではなかったと思う。

オペラに比べると、オーケストラ演奏会を聴いた数は限られているが、そのどれもが印象に残っている。2005年7月に聴いたコーミッシェ管とのコンサートでは、冒頭に演奏されたチャイコフスキーの《イタリア奇想曲》がすごかった(当時の手帳をめくると、この曲の横に赤字で「超名演」と書き込まれている・笑)。ペトレンコの音楽は決して情緒に流されることがなく、きっちりとした構成力というか確固たる枠組みがあるのだが、音と音がぶつかるエネルギーが化学反応を起こして、ある地点に来ると音の力が枠を飛び越えてしまうという幸福な瞬間がある。このときがその最たる例だった。2006年の年末に聴いたニューイヤーコンサートでは、母国ロシアの聞いたこともないような作曲家の映画音楽ばかりを取り上げ、そこでも聴衆を興奮の渦に巻き込んだ。そのとき彼は進行役も務め、初めてドイツ語を話す姿を聞いたが、声は小さめでシャイな人柄を伺わせた。

2007年にベルリンを去った後は、ペトレンコの実演に接する機会はめっきりなくなってしまった(ただ一つ、2013年のバイロイトの《指環》を除いては)。世界を忙しく駆け巡るタイプの活動をする人ではないし(日本にもまだ行ったことがないという)、録音でさえほとんどない。チケットを買っていた2011年末のベルリン・フィルとの公演は、直前にキャンセルになってしまった。聞くところによると、ペトレンコは天才肌の音楽家に特有の(というべきなのか)、非常に繊細な内面を持っている人らしい(昨年12月のベルリン・フィルとのマーラーの公演のドタキャンの後は、もう次期監督候補から落ちてしまったとも囁かれていた)。そういう意味では懸念材料もなくはない。ベルリン・フィルの首席指揮者への注目度は並大抵ではないし、何より本番の数が多い。あのクラウディオ・アバドも、首席指揮者の座から降りた後、何かのインタビューで「あまりに多くの本番を振って、私は疲弊していた」というニュアンスのことを言っていた。ペトレンコには才能を消耗してほしくないと切に願う。

レパートリーに関しても、秘密のヴェールに包まれた部分が結構ある。考えてみたら、コーミッシェ時代の5年間で、ベートーヴェンやブラームスのシンフォニーを振ったことは、一度でもあったのだろうか?(マーラーやショスタコーヴィチは取り上げたらしいが、残念ながら私は聴いていない)。でも、そんな謎な部分も含めて私はペトレンコに惹かれている。楽譜を丁寧に読み込み、音楽に対してひたむきで謙虚な姿勢を持っており、同時に天才的な閃きも持ち合わせた類い稀な人。その印象は、初めて聴いた頃から何ら変わっていない。ペトレンコが指揮するベートーヴェンやモーツァルト、さらには同時代の曲をベルリン・フィルの演奏で聴ける日が来るのかと思うと、やはり興奮を抑え切れないのである。

by berlinHbf | 2015-07-13 23:09 | ベルリン音楽日記 | Comments(1)

ベルリン・フィルのジルベスターコンサート

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サイモン・ラトル指揮ベルリン・フィルと共演したメナヘム・プレスラーさん
© Holger Kettner

毎年大晦日恒例のベルリン・フィルのジルベスターコンサートは、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートと並んで、クラシック音楽ファンが一度は生で聴いてみたいと憧れる公演です。チケットが取りにくいことでも知られるこのコンサートを、昨年末、幸運にも聴く機会に恵まれました。

公演は12月29日、30日、31日の3回にわたって行われ、すべて同一プログラム。中でも世界中から注目を浴びる大晦日の公演は値段もワンランク上がり、チケットが殊のほか取りにくいことで知られています。

さて、当日17:30の開演に合わせてフィルハーモニーの大ホールに入ると、舞台は普段と違うブルーの照明に彩られていました。周りの席を見渡すと、スーツや華麗なドレスに身を包んだ紳士淑女の姿が目立ちます。ベルリンでは、クラシックの公演においても普段はラフな姿の若者をよく見掛けますが、この日は趣が異なり、独特の祝祭感に包まれていました。

女性司会者によるテレビ中継用の挨拶の後、指揮者のサイモン・ラトルが登場。フランス人作曲家のラモーが1735年に作曲した《優雅なインドの国々》組曲でコンサートの幕を開けました。打楽器による小気味良いリズムに導かれ、フルートやピッコロがエキゾチックなメロディーを奏でます。

舞台が温まってきたところで、この夜の特別ゲストがゆっくりと舞台に上がりました。ピアニストのメナヘム・プレスラー(91)です。長年、ピアノ三重奏団「ボザール・トリオ」のメンバーとして活躍した彼が、ベルリン・フィルにソロデビューしたのは実に90歳になってからのこと。そのときの演奏に感銘を受けたラトルが直々に今回の共演を打診したのだと言います。曲はモーツァルトのピアノ協奏曲第23番。天から降り注ぐようなヴァイオリンの優美な旋律に乗って音楽が始まり、その絨毯の上をピアノのソロが舞い始めます。最初はタッチがやや弱々しく感じられたものの、そのニュアンスの無尽蔵の豊かさと、天国と現実世界が同居したような深淵な表現に惹き込まれました。第2楽章では木管楽器とのやり取りから味の濃い情感が生まれ、フィナーレではゆっくりめのテンポのソロにラトルが愛情を込めて寄り添います。音楽家も聴衆もこれほど息を凝らして演奏に聴き入るコンサートに、私は近年出会ったことがありません。まさに一期一会と言える瞬間が生まれ、聴衆は総立ちでプレスラーを称えました。

関連記事:

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モーツァルトの演奏後のカーテンコールから © Holger Kettner

後半はドヴォルザークのスラヴ舞曲から2曲、そしてハンガリー人作曲家コダーイの《ハーリ・ヤーノシュ》組曲。いずれも激しいリズムと東欧の民俗的なメロディーに支配された作品で、ラトルとオーケストラがそれらを自由自在にドライブすると、フィルハーモニーの熱気は最高潮に高まりました。

大晦日の公演では、終演後ロビーにてシャンパンやソフトドリンクが無料で振る舞われます。偶然そこで出会った知人と素晴らしい音楽を語らい、反芻しました。人生でおそらくそう何度も経験することがないであろう、印象深い2014年の大晦日でした。

by berlinHbf | 2015-02-07 01:32 | ベルリン音楽日記 | Comments(1)

「考える人」(新潮社) 2014年秋号 - オーケストラをつくろう -

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小学生の頃からクラシック音楽が大好きだった。別に「クラシック音楽」だからというので近づいていったのではない。小学2年生のとき、たまたま転校先の学校の掃除の時間にモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が流れていて、毎日聴いているうちに好きになったのである。そういうわけで、その音楽を生み出す母体である「オーケストラ」というものに対しても自然と興味を抱くようになった。

生のオーケストラを聴いて、初めて心の底から揺り動かされた。そんな衝撃的ともいえる原体験が私にはある。それはベルリン・フィルでもウィーン・フィルでもなく(さすがに当時生で聴く機会などなかった)、かといって地元のプロのオケでもなく、日本の10代の少年少女が演奏するオーケストラだった。

1988年の1月末だったと思う。小学6年生だった当時、私はリコーダーの音色が好きで、リコーダーアンサンブルのクラブに入っていた。山本典子先生の指導のもと、横須賀市立森崎小学校の音楽クラブはTBSこども音楽コンクールの東日本大会に出場した。会場は東京の郵便貯金会館だったと思う。東京での大舞台ということで緊張もあったのか、私たちのクラブは力を十分に出し切れず、やや不甲斐ない気持ちのまま残りの学校の演奏を聴いていた。今でもよく覚えているが、最後の2つの小学校はオーケストラ演奏だった。確か2つとも千葉県の公立の学校で、そしてなぜか二校ともドヴォルザークの新世界交響曲の第4楽章を演奏した。そして、これがすごかったのだ。

音楽自体のかっこよさはもちろんのこと、その音が放射するエネルギーと輝かしさに圧倒された。何より目の前で音を奏でているフルオーケストラのメンバーが、自分と年の変わらない小学生であるという事実・・・。あれこそが、「自分もいつかあの中に入って音楽をしてみたい!」と真剣に思った最初の瞬間ではなかったかと思う(もちろん、金賞に輝いたのはこの2つのどちらかのオーケストラだった)。幸い私は、アマチュア音楽家にしてはこれまでかなり恵まれたオーケストラ環境で音を奏でることができた方だと思う。いろいろな意味で、心が震えるような体験をしたことも一度や二度ではないし、仲間とのアンサンブルの難しさや苦労も含めて、オーケストラという世界で学んできたことは数限りない。

前置きが長くなってしまった。最近発売になった新潮社の季刊誌「考える人」秋号の特集は「オーケストラをつくろう」。前から愛読していた雑誌がこんなテーマの特集を組むとは、やはりちょっと興奮させられた。オーケストラ特集といっても、「ベルリン・フィルの演奏がいかに素晴らしいか」とか、「あの指揮者のあの曲の何年盤の録音がどうのこうの」といった音楽専門誌の視点ではなく、オーケストラそのものが持つ可能性と夢について存分に語っているのが面白い。紹介されるのも、プロの第一線で活躍する音楽家もいれば、50歳以上でないと入れない「老人オケ」、小学校の PTAを母体にした親子アンサンブルもある。特集の核になっているのが、ベネズエラから始まり世界に旋風を巻き起こしたエル・システマだ。いわば、「エリートだけではないオーケストラ」がテーマともいえる。

曲がりなりにもにもオーケストラに長年関わってきたからゆえに、(時にいくばくかの自省の念とともに・笑)共感を持って感じられる言葉に数多く出会った。例えば・・・
〈私もクラシックのアマチュアオーケストラに入っているので身にしみて分かるが、この種の団体を運営するのは本当に大変だ。練習場の確保、経理、連絡事務、楽譜管理。演奏会をやればホールとの交渉、受付や案内係の手配といった雑用が山のようにある。ところが音を出す以外の仕事はみんなやりたがらない。一方で選曲や練習方法の話になるとてんでに勝手を言う。そのうちに人間関係がもつれてくる。そのあたりが小説にする時の妙でもあったけれど、現実にもゴタゴタ続きの団体は枚挙に暇がない〉(荒木源「実録『オケ老人!』」より)
〈なぜそこまでして、オケに打ち込めるんだろう?
「それはもう・・・・・・アンサンブルで音が合ったときの喜びといったら!コンサートが近づいてきて、それまでなかった打楽器なんかが参加して初めて合わせたときの、あの震えるような感動・・・・・・鳥肌が立つような瞬間ったらない」(竹内さん)〉(『親子で奏でるアンサンブル』より)
日本での大学時代の4年間は、本当にどっぷりオーケストラ活動に浸かった。あんな時間はもう二度と持てないだろう。当時の仲間の近況をSNSなどで読み知ると、今も会社員や主婦をしながら複数のアマオケを掛け持ちしている人もいれば、きっぱりやめてしまった人もいる。その両方の気持ちが何となくわかる。このデジタル時代においても、オーケストラでは数十人、ときには100人近いメンバーが集まらないことには基本的に練習が始まらない。娯楽にあふれ、スケジュールが過密な現代社会において、これはなかなか大変なことだ。もちろんお金だって結構かかる。私の場合は、ベルリンのアマオケでも演奏する機会を得たことで、また別の角度から音楽に触れる楽しみを味わうことができた。日独のアマチュアオケを比較してみて思うのは、日本のアマオケのレベルや広がり方は、なかなかすごいものではないかということだ。弦楽器のレベルは総じて高いし(おそらくドイツよりも)、マーラーやブルックナーの大曲に挑む団体だって少なくない。そういえば昨年、世界的に活躍する指揮者の友人がこんなことを言っていた。「例えば東京には、山手線の駅ごとにアマチュアオーケストラがあるでしょ。そんな国は日本だけ」と。

アマチュアオケや吹奏楽に親しんでいる人口がこれだけいる。毎年12月になると全国津々浦々でベートーヴェンの第9が奏でられる。海外から来日する一流楽団やソリストの数は相変わらずだし、時々著名アーティストにインタビューをすると、誰もが例外なく日本の聴衆のことを絶賛する。なのに、それらが文化としての豊かさに今ひとつつながっていないと感じられてしまうのはなぜなのだろうか。作家の赤川次郎さんのエッセイ『オーケストラは生きている』の中に、こういう箇所があった。
〈しかし、その一方でプロのオーケストラはどこも大変だ。大阪のように、音楽に全く理解のない市長の下、わずかな補助金も打ち切られ、解散の危機に追い込まれている所もある。
もともと日本の、文化にかける予算の乏しさはとても先進国と言えない状況である。
世界の一流国と言うなら、防衛庁を防衛省にするより、文化庁を文化省にするのが先だろう〉
作曲家の久石譲さんのインタビューも、オーケストラの未来を考える上で示唆に富んでいる。
〈最終的に僕が言いたいことは一点。クラシックが古典芸能になりつつあることへの危機感です。そうでなくするにはどうしたらいいかというと、”今日の音楽”をきちんと演奏することなのです。昔のものだけでなく、今日のもの。それをしなかったら、十年後、二十年後に何も残らない。
(略)
ところが、過当競争の中にある日本の指揮者は実験できないのです。多くのオーケストラが公益法人になって赤字を出すことが許されない中で、集客できる古典ばかりを演奏することになる。
(略)
もちろん、僕がかかわる新日本フィルハーモニー交響楽団をはじめ意欲的に取り組んでいる楽団はあります。だがトータルで言うと、”今日性”につなげる努力はものすごく少ない。このままだと、先細りすると心配しています。オーケストラのあり方を考えるのは、日本の音楽、文化としての音楽について考えることと一緒だと思うのです〉
ところで、冒頭の思い出話を書こうと思ったのは、千葉県の少年少女オーケストラを長年指導されてきた佐治薫子さんのインタビューを読んでいたときだった。ここに紹介されている、佐治先生が指導されてきた学校のひとつ「市川市立鬼高小学校」という名前には記憶がある。私が小学6年の時に聴いた「あの忘れがたき」2つの《新世界》うち、どちらかを佐治先生が指揮されていた可能性はかなり高い。
〈小学生が交響詩『フィンランディア』や『エグモント』序曲を演奏するのがすごいとよく言われますが、難しい曲を上手に弾けるかどうかよりも、日々の練習の過程が大事。結果はあとからついてくるものです。楽しくないところに子供は来ない。合奏クラブに行けば毎日楽しいと思わせることが何より大事なのです。
それから良い演奏にたくさん触れさせる。自分もこんないい音を出したいと思わせる。ベートーベンの『運命』を鑑賞するのに大人も子供も関係ないのです〉
レベルの差はあれど、自分で楽器を持って、オーケストラの中で音を奏でる。そこで学べる大きなこと、これは他の芸術ジャンルについても当てはまることだと思うが、人や文化の多様性であり、「共に生きること」そのものではないかという気がする。今回の特集で私はベルリン・フィルの教育プログラムについて書かせていただいたが、取材中にもそのことを強く感じた。振り返ってみると、4年間大学のオケで活動していても、(大所帯だったこともあって)会話らしい会話をしないまま卒業してしまった仲間もいる。いろいろな考えの人が集まっているから、中には「アイツは気に入らない」ということだってあるだろう。だが、例えばホルンがメロディを奏でているときは、全員で耳を澄ませて一生懸命それに合わせる。そこからベートーヴェンならベートーヴェンの音楽が、意志を持って沸き上がってくる。指揮者グスターボ・ドゥダメルの冒頭のインタビューの言葉を借りれば、「すべては音楽への"奉仕"である」。ここにこそ、オーケストラが持つ力とかけがえのなさがあるように思うのだが。
〈オーケストラはコミュニティであり、社会です。すべてにおいて最も大切なのはハーモニー。それは音楽的、技術的なハーモニーだけでなく、共に生きるという意味でのハーモニー。音楽が創り出すのはまさにそのハーモニーであり、時には社会が見失いがちだけど、いちばん大切なものなのです〉(『グスターボ・ドゥダメル インタビュー』より)
他にも面白い記事が満載の「考える人」秋号をお読みいただけると幸いです。

by berlinHbf | 2014-10-27 17:06 | ベルリンを「読む」 | Comments(5)

樫本大進さんインタビュー(ドイツニュースダイジェスト掲載)

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5月に実現したヴァイオリニストの樫本大進さんのインタビュー記事が、6月第3週号の
ドイツニュースダイジェストに掲載されました。オンラインでも読めるようになったので(こちらより)、ブログでもご紹介させていただきたいと思います。

今回のインタビューは、1月に亡くなったクラウディオ・アバド追悼演奏会のリハーサル初日の直前に行われました。前半のプログラムは指揮者なしだったゆえに、樫本さん自身「僕らにとっても(リハーサルが)どうなるかわからない」とおっしゃっていて、独特の緊張感の中でインタビューは始まりました。時間は限られていましたが、樫本さんとドイツとの関わりにテーマを絞ったためか、いいテンポで会話が進んだのは幸いでした。

実力・知名度共に抜群の樫本さんだけに、今回の記事はいつになく反響がありました。樫本さんの奥様までもが、「こういう内容のインタビューを、特にドイツに住む方々に読んでいただけるのは嬉しい」とおっしゃってくださったのは、何より嬉しかったです。実際、日本の音楽ファンだけでなく、異国の地で生活・勉強・仕事をしている方などにも、何かしらの力を感じ取っていただける内容になったのではないかと思います。

5月のインタビューの前後に、樫本さんがソロで出演する室内楽の公演を2回聴く機会がありました。中でも、ユダヤ博物館の室内楽フェスティバルで聴いた、シマノフスキの「神話~ヴァイオリンとピアノのための3つの詩」と、フィルハーモニーのリサイタルで演奏されたショスタコーヴィチのヴァイオリンソナタは、心底圧倒される演奏でした。一昨日、ジュネーブで山田和樹さん指揮スイス・ロマンド管とチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を共演し、いよいよこれから日本ツアーが始まりますね。聴きに行けないのが残念ですが、きっと素晴らしい公演になるだろうと思います。樫本さんがこれから音楽家としてどのような進化を遂げて行くのか、ますます楽しみです。


by berlinHbf | 2014-07-01 14:17 | ベルリン音楽日記 | Comments(1)

ピアニスト メナヘム・プレスラー

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ハンス・アイスラー音大のマスタークラスで指導したメナヘム・プレスラー氏

メナヘム・プレスラーというピアニストをご存じでしょうか? クラシック音楽に興味がある人でも、誰もが知る名前ではないかもしれません。それは、プレスラー氏がソリストとしてよりも、「ボザール・トリオ」という米国のピアノ三重奏団で長年活躍してきたからなのですが、驚くべきことに90歳の今もなお、精力的に演奏活動を続けています。1月中旬、この超ベテランピアニストがベルリン・フィルと“初共演“すると聞き、期待を胸に出掛けてきました。

万雷の拍手の中、小柄なプレスラー氏が舞台に現れました。曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第17番。セミヨン・ビシュコフ指揮の柔らかな伴奏に乗って、ピアノのソロが始まります。極めて軽く透明なタッチに耳を奪われました。何より驚いたのは、彼独自の世界観を感じさせながらも、オーケストラと完全に調和していたこと。木管楽器が活躍するこの作品で、愛らしいメロディーの掛け合いが幾度も交わされ、協奏曲というよりは室内楽を聴いているかのような親密な演奏でした。

アンコールで演奏されたのが、ショパンの遺作となった夜想曲第20番。忍び寄る死と生が同居したような、不思議な軽みと温かみに包まれた演奏で、聴衆は最後、総立ちでピアニストを讃えました。

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マスタークラスの様子

その翌日、プレスラー氏がベルリンのハンス・アイスラー音楽大学の若手ピアノ三重奏団に対してマスタークラスを行うというので、見学に行きました。前夜、天上のような音楽を奏でていた人とは思えないほど厳しく、また細かい指導に驚きます。「タッチが乱暴過ぎる。手を無重力のまま下ろすような感じで」「楽譜をよく見て! ピアニッシモと書いてあるでしょう」。英語だけでなく、時折流暢なドイツ語も交じります。彼は1923年にマグデブルクでユダヤ人として生まれ、1938年の「水晶の夜」事件の後、ナチスによる迫害を逃れて米国に亡命した経歴を持ちます。ドイツに帰化したのは2012年と言いますから、祖国への果てしない道のりに思いが至ります。

レッスンの後、プレスラー氏と少し言葉を交わすことができました。別れ際、にっこり笑みを浮かべて一言、「春に日本に行くよ。サヤカと共演するんだ」。この4月、ヴァイオリニストの庄司紗矢香さんと日本でデュオ・リサイタルを行うそうです。

何かを達観したような美しいピアノの音色とその背景にある激動の歩み。そして、今も持ち続けている好奇心と向上心。プレスラー氏の歩みはこの先も続きます。
ドイツニュースダイジェスト 2月21日)
by berlinHbf | 2014-02-22 21:50 | ベルリン音楽日記 | Comments(2)

クラウディ・アバドの死去に際して

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BZ紙面より(2014-01-21)

今週を振り返ってみて、やはり自分の中で大きかったのが指揮者クラウディオ・アバド逝去のニュースだった。病状がよくないらしいと聞いていたので、そう遠くない先にこの日が来ることを予感はしていたが、悲しみと哀悼の気持ちが予想以上に長く続いている。それは、カラヤン、チェリビダッケ、ザンデルリンクといった巨匠指揮者が亡くなった時の感慨とは明らかに違う。直接の面識はないとはいえ、もっとずっと身近な存在だった人が亡くなったときの感情に近い。個人的な思い出話になるが、いくつかの時期に分けて振り返ってみたいと思う。


- 1990〜2000
私がクラシック音楽を本格的に聴き始めたのが、中学3年の夏だった。NHK-BSで放映されたカラヤン没後1周年の番組を録画し、特にベートーヴェンの《英雄》のライブ映像を飽きることなく繰り返し見た。アバドの映像を初めて見たのは、その秋(1990年)のベルリン芸術週間のブラームスの交響曲第1番で、若々しく颯爽とした指揮ぶりが鮮烈だった。その前年ベルリンの壁が崩壊し、テレビでアバドを初めて見たちょうどその前後に東西ドイツが統一した。アバドに出会ったのは、まさに世界が揺れ動いていた時期であり、私もまた多感な年代だった。

アバドの映像でブラームスの第1番が大好きになっただけに、1992年のアバド&ベルリン・フィルの初来日公演のチケットが手に入れられなかったのは悔しかった。だが、NHKがブラームスの交響曲第2番のサントリーホールでの演奏会を放映してくれたのはせめてもの慰めで、生中継の音楽を興奮しながら聴いた。当時はNHKが比較的よく海外の公演を放映してくれていて、ベルリン・フィルのジルベスター・コンサートは何より楽しみにしていた。もっとも、アバドの新譜が出る度に買うようなファンではなかったのも事実なのだが。

そして念願かなって、本拠地のベルリンでアバド指揮ベルリン・フィルを聴く機会が巡ってきた。早稲田大学のオーケストラの演奏旅行でドイツを初めて訪れた98年3月である。フィルハーモニーの上手側の一番上の席に他の仲間たちと座った。演目は、それまで馴染みのなかったマーラーの交響曲第3番。舞台場にところせましと並んだフル編成のベルリン・フィルを前に私は夢心地だった。アバドが舞台に現れ、さっと指揮棒を降ろした瞬間、8本のホルンが鳴らされたときの胸の高鳴り。その後のドスンと胸に響いたトゥッティの強奏。あれだけ音量が小さいのに、生き生きとしたたるピアニッシモ。安永徹さんの艶のあるヴァイオリン・ソロ。そして、終楽章の音の洪水・・・。あの夜受けた感動はいまでも色褪せることがない。

- 2000〜2002 
大学卒業後、割と軽い気持ちでベルリンに来てしまったのも、あの時のマーラーが脳裏に焼き付いていたことが私のどこかに影響していたからだ、と言えなくもない。2000年9月末にベルリンにやって来て、まだ住む場所も決まっていないまま、最初に聴いたのが10月3日のベルリン・フィルの演奏会だった。演奏に先駆けて、聴衆全員が起立し、客席の奥の方で弦楽四重奏が美しいメロディーを奏でた。恥ずかしながら、私はこの時初めてこのメロディーがドイツ国歌なのだと知った(この日はドイツ統一10周年の記念日だった)。その時のベートーヴェンの《英雄》はそれほど印象に残っていないのだが、確かその翌日だったかに聴いたガラ・コンサートで私は目を疑った。舞台に割と近い位置で聴いたので、目を覆うばかりのアバド激やせぶりがあまりに痛々しかったからだ(もっとも演奏はすばらしく、この時聴いたロッシーニの《アルジェのイタリア女》のフィナーレ(?)は最高だった。残念ながら、アバドが指揮するオペラを聴く機会はやってこなかったけれど)。その公演は結構空席が目立っていたのだが、まさにその時期彼が胃ガンであるとの情報が世界に知れ渡り、それ以降彼のベルリンでの演奏会のチケットは入手困難になっていく。

10月から住み始めた私の最初のアパートは、フィルハーモニーから歩いて5分ほどの距離。とにかく刺激の強い毎日だった。もちろん、アバドの演奏会の一つ一つもよく覚えている。11月のワーグナー・プログラムで聴いた《トリスタンとイゾルデ》の《愛の死》の弦楽器の音のさざ波に乗って生まれる陶酔は、永遠の時間のようにさえ感じられた。その頃、ベルリンの音楽好きの間ではアバドの病状がよく話題になった。翌2001年1月、ギュンター・ヴァントの演奏会を聴きに日本からやって来た大学時代の先輩がふと、「あの様子を見ていると1年ともたないのではないか」と口にした時はドキッとした。私も半ば覚悟していた。

1月のヴェルディのレクイエムの演奏会の時は、氷点下の寒い中、フィルハーモニーの外で立ち見席を求めて並んだのが懐かしい。この時期は、聴衆だけでなく、おそらくベルリン・フィルのメンバーも、「ひょっとしたらこれが最後の舞台になるかもしれない」という気持ちを心のどこかで持っていたのではないかと思う。実際、それだけ全身全霊を込めた演奏会が続いたのだ。病と戦っているアバドへの共感と励ましの気持ちが、毎回のコンサートを特別なものにしていた。私たち聴衆は精一杯拍手を送ることしかできなかったけれども。

果たして、アバドは帰ってきた!5月頭のマーラーの交響曲第7番の演奏会は、このシーズンでもっともチケットが入手困難を極めていたのではないかと思う。幸い私は二晩聴くことができた。マーラーの《夜の歌》というのは、この時初めて生で聴き、その後もいろいろな指揮者で聴いたのだけれど、この時のアバドほど生の喜びにあふれた、天高く突き抜けるような演奏で聴いたことがない。複雑に錯綜した第1楽章も、ほの暗い夜想曲も、「死の舞踏」を思わせるグロテスクな第3楽章も、なぜかすっと心に入ってきた。そしてフィナーレで、120%の力を出し切ろうとするベルリン・フィルの合奏力のものすごさ!月並みな言い方になってしまうが、それはやはり死と戦い、死の際から還ってきた人間にした奏でられない音楽だったのではないかと思う。振り返ってみると、2000/2001シーズンというのは、私とクラウディオ・アバドという音楽家との関わりの中で特別な意味合いを持っていた。人が音楽を奏でることの根源的な意味をも突きつけられたし、今後の自分にとって何かしらの糧にしなければいけないとも思わせる種類の体験だった。

ベルリン・フィル音楽監督としての最後のシーズンはアバドらしい思索的なプログラムが並んでいた。メンデルスゾーンの交響曲《讃歌》とかシューマンのゲーテの「ファウスト」からの情景など。最後の演奏会がブラームスの《運命の歌》、ショスタコーヴィチの《リア王》のための映画音楽というのも、ずいぶん意表を衝かれた。文学や思想の分野にも造詣の深い、読書家のアバドならではの締めくくりだったと思う。最後のコンサートでは、フィルハーモニーの舞台に多くの花束が投げ込まれていたと記憶する。

- 2004〜2013
その後も、毎シーズン1回、決まって5月にアバドはベルリン・フィルを振りにやって来た。彼は退任後いつかのインタビューで、「私はこれまであまりに多くの演奏会を指揮し過ぎました」というようなことを言っていたが、ベルリン・フィル音楽監督の激務から解き放たれて、本当に自分が振りたい曲ばかりを選んで指揮しているように見えた。なにせチケット入手が困難だったので、毎回というわけではなかったけれど、数年に1回はアバドを聴くことができた。マーラーでは、第6と第4交響曲、そしてこの世ならぬ美しさをたたえた2011年の第10番《アダージョ》が印象深い。ベルクの歌曲やブラームスの交響曲第3番もよかった。そして、昨年5月のメンデルスゾーンの《真夏の夜の夢》とベルリオーズの幻想交響曲が最後の機会となった。

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Der Tagesspiegel (2014-01-21)

享年80歳。長寿が多い指揮者の世界では、格別の高齢ではなかったかもしれない。できれば、彼が指揮するオペラを聴いてみたかったとか、マーラーの《復活》を体験してみたかった、などの思いも若干あるけれど、ガンと戦い始めたあの当時、まさかこれほど長い間、私たちに音楽の恵みを届けてくれるとは正直思わなかった。そして、アバドは私にとって音楽だけの存在ではなかった。1990年以降の「新しいドイツ」のイメージを、コール首相やシュレーダー首相以上に、このイタリア人音楽家が担っていたと言っても過言ではなかったからだ(あくまで私にとっては、だけれど)。自分の人生はまだまだ続くが、今後何か困難なことに直面した時、アバドさんが全身全霊をかけて音楽で伝えようとしていたいくつもの姿を思い出したいと思う。
by berlinHbf | 2014-01-25 23:09 | ベルリン音楽日記 | Comments(6)

フィルハーモニー50周年の『マタイ受難曲』

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フィルハーモニー50周年を記念して上演された『マタイ受難曲』
© Monika Rittershaus


ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地のホール「ベルリン・フィルハーモニー」がこの10月、1963年のオープンから丸半世紀を迎え、3つのプログラムによる記念公演が行われました。

私が聴いたのは、バッハ作曲の『マタイ受難曲』。これは新約聖書の『マタイ伝』を元にしたオラトリオで、上演時間が3時間を超える大作。その内容の深さから「西洋音楽史上の最高傑作」と評されることも珍しくありません。私はこれまでに何度かこの作品の実演を鑑賞したことがありますが、今回、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィル、ピーター・セラーズの演出によって上演されたのは、これまでとは全く異なる『マタイ』でした。

冒頭の音楽が鳴り響くと、棺桶を模したオブジェの周りに合唱団のメンバーが群れを成し、キリスト受難の情景を歌い上げます。2つの合唱がステレオ効果を出し、さらに舞台横の客席の上からは少年合唱によるコラール「おお、神の子羊」が鳴り響いて、壮大なハーモニーが生まれます。舞台を客席が取り囲み、両者の間に垣根がないフィルハーモニーの空間を存分に生かした演出。私はいきなり圧倒されました。

ピーター・セラーズによる演出では、イエスや弟子たち、群衆の行動や心の揺れが具象化され、聴き手の前に提示されます。例えば、イエスが捕らえられた後、弟子たちが逃げ出す場面では、合唱団のメンバー全員がホール中に散らばり、あらゆる場所からコラールが鳴り響きます。そして、イエスとの関係を3度否定したペテロが自らの行為を嘆く有名な場面では、アルト・ソロがアリアを歌う最中、下を向いて泣くペテロ役の歌手の肩に、福音史家が手を置いて慰めるのです。

私は衝撃を受けました。舞台の上で喜び、嘆き、嘲笑し、後悔し、泣き叫び、懺悔する人々の姿は、2000年前に起きた一宗教の事象という枠組みを超え、現代に生きる我々と何ら変わりないように思えたからです。こんなに生々しく「人間的な」宗教音楽の上演に接するのは初めてのことでした。

ラトルによるテンポの良い指揮ぶりも素晴らしかったのですが、ドラマを牽引する福音史家(マーク・パドモア)の歌唱と、アリアを彩る弦と木管楽器のソロはまさに圧巻。ユダが自殺した直後に歌われるバス・アリアをリードする力強いヴァイオリン・ソロ。そして、「愛よりしてわが救い主は死のうとしている」と歌うソプラノ・ソロの背後で奏でられるフルートの親密な響き。奏者は歌手の目の前で演奏し、まるで直に励まし、慰めているかのようです。最後、イエスの棺桶の前で「わが心よ、おのれを潔めよ」と歌うバスのアリアで、私の感動は頂点に達しました。

10月20日のガラ・コンサートに臨席したメルケル首相は、「シャロウン設計のフィルハーモニーは外観も音楽体験の上でも、並外れて成功した建築作品」と評しました。これからも音楽で人々の心にあかりを灯す場所であり続けてほしいと願います。
ドイツニュースダイジェスト 11月15日)

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ピーター・セラーズ演出による『マタイ受難曲』は、ほぼ同じキャストによる2010年の舞台がDVD化されています(詳しくはこちらより)。今回こちらも聴きましたが、バリトンのトーマス・クヴァストホフの歌唱にとりわけ感動しました。
by berlinHbf | 2013-11-16 23:18 | ベルリン音楽日記 | Comments(5)

2012/13の音楽シーズンを振り返って

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Wiener Musikverein (2012-12)

久々にブログに向き合う時間ができたので、遅ればせながら2012/13シーズンで印象に残った音楽会やオペラをいくつか振り返ってみたいと思います。

まずオーケストラのコンサートから。
今でも心から楽しかった思い出として残っているのが、昨年11月、イヴァン・フィッシャー指揮ベルリン・フィルの演奏会。ストラヴィンスキーの《カルタ遊び》、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲、ドヴォルザークの交響曲第8番というプログラムでしたが、ドヴォルザークが音楽的に完全無比ともいえる素晴らしさでした。フィッシャーが繰り広げる音楽の表情と響きのパレットの豊かさ、ユーモア、そして終楽章で聴かせたぐつぐつと沸騰するようなダンスの躍動!昨年からコンツェルトハウス管弦楽団の音楽監督を務めるイヴァン・フィッシャーは今、最高に充実のときを迎えているように思います。ベルリン・フィルとの相性もよく、ここ数年は毎シーズンのように呼ばれているのも納得しました。

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Geneva Victoria Hall (2012-11)

鮮烈さで印象に刻まれたのが、若手の山田和樹さんが指揮したコンサート。11月末、スイス・ロマンド管弦楽団の主席客演指揮者就任コンサートと5月のベルリン放送響の定期デビュー演奏会を聴きました。5月頭のベルリン放送響のデビュー公演は、チャイコフスキーの交響曲第4番を取り上げたのですが、第2楽章ではじっくり丁寧に歌い上げる一方、フィナーレではマーチ風の主題に絶妙なルバートをかけ、緩急自在の指揮ぶり。聴衆を興奮のるつぼへと導いたのでした。自分と同世代の山田さんが欧州の檜舞台に次々に立つ様子を見ていると、胸がすく思いがします。けれども、ご本人はあくまで自然体。来シーズンはウィーン・デビューも予定されており、若きマエストロ(もちろん彼に限らずですが)をこれからも応援していきたいです。

オーケストラという表現形態がなし得る合奏力のものすごさを見せつけられたのが、マンフレート・ホーネック指揮ベルリン・フィルで聴いたルトスワフスキの管弦楽のための協奏曲(2月)。そして、5月にハンブルクまで出向いて聴いたサロネン指揮フィルハモニア管の《春の祭典》とヴァレーズの《アメリカ》。ソロ協奏曲では、コンツェルトハウス管弦楽団の伴奏で、同オケソロ奏者のピルミン・グレールが吹いたニールセンのフルート協奏曲に興奮しました(5月)。ある作品を自家薬籠のものにするというのはこういうことかと思い知らされた次第。ベルリンのオーケストラのフルート奏者というと、よく脚光を浴びるのはパユさんですが、グレールさんも素晴らしいし、一段と円熟味を増しているベルリン・フィルのブラウさんの音色も他では聴けないもの。ベテランのブラウさんは来シーズンをもってついに引退されるようなので、耳に焼き付けておきたいと思います。

巨匠指揮者では、まず12月にウィーンで聴いたアーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスのモーツァルト。楽しみにしていたポストホルン・セレナーデは巨匠の体調不良で指揮者なしの演奏でしたが、楽友協会の黄金のホールに木管楽器の雅な音色がきらめき、冬の寒い日にしみじみと幸福感を味わいました。そして、峻厳なト短調交響曲。このときのライブ録音が今度CDになるようなので楽しみです。

あともう1つは、5月に聴いたアバド指揮ベルリン・フィルでしょうか。今年80歳になるアバドもさすがに大分背中が丸くなり、指揮ぶりにダイナミックさがなくなりつつあるのを感じましたが、特にメンデルスゾーンの《真夏の夜の夢》の格調の高さ、歌わせ方の優美さと響きの透明感は至芸といえるものでした。

2月と3月にオスモ・ヴァンスカ指揮ベルリン・ドイツ響とパーヴォ・ヤルヴィ指揮ベルリン・フィルという、それぞれ好対照の解釈で聴いたシベリウスの交響曲第5番も幸せな体験。合唱作品で感銘を受けたのは、ラトル指揮のブリテンの戦争レクイエム(6月)など。

室内楽で印象に残っているのは、2月のライプツィヒ弦楽四重奏団。ブラームスのピアノ五重奏曲を聴きたくて当日思い立って出かけたら、いかにも好々爺という温和な表情のおじいさん(それもかなりの高齢の)が出てきてびっくりしました。そのピアニスト、メナヘム・プレスラーが、長年ボザール・トリオで活躍した人だと知ったのは恥ずかしながらコンサート後のこと。心からの敬意をもってピアニストに寄り添うカルテットのメンバーと、感動的な瞬間が幾度も生まれたのでした。アンコールのドヴォルザークで聴かせてくれた「軽み」の境地もすごかったです。今年90歳になるプレスラーさん、来シーズンは何とベルリン・フィルにソリストとしてデビュー(!)を果たすそうで、できることならぜひ聴きたいものです。

ピアノでは、昨年10月のツィメルマン、そして3月のフェストターゲで聴いたポリーニが弾くベートーヴェン最後の3つのソナタ。第30番のソナタの終楽章、いくつもの変奏を経て主題が戻ってくるときのえもいえぬ感動は、巡礼の旅の最後でそれまで見たこともない美しい夕暮れに出合ったような、そんな光景を思い起こさせるものでした。

オペラでは、コーミッシェ・オーパーで観たヘンデルの《セルセ》(ヘアハイム演出)や《魔笛》などがよかった。後者はバリエ・コスキー演出による、無声映画とアニメーションの要素を組み合わせた奇妙に斬新な舞台で、ベルリンでも異例のヒットを続けています。ラトルが指揮した国立歌劇場の「ばらの騎士」では、レシュマン、コジェナー、プロハスカらが織りなす歌によるアンサンブルの美に酔いました。そして忘れられないのが、1月に観た細川俊夫作曲のオペラ「松風」。サシャ・ヴァルツの振付、塩田千春による細い糸を無数に絡ませた舞台美術、そして毛筆を思わせる細川さんの躍動的かつ幽玄な音楽。日独の芸術家による共同制作としては、近年稀に見る成果と言えるのではないでしょうか。それほど長い時間の作品ではないのに、観終わってから確かに心の中が浄化されたような、そんな芸術体験でした。

(ここからは余談ですが)アマチュアオーケストラでの自分の演奏体験を振り返ると、一番強烈だったのが2月に演奏したショスタコーヴィチの交響曲第11番。夏学期にはがらっと変わってビゼー、サンサーンス、ラヴェル、デュカスのフランス音楽のプログラムを演奏しました。ピッコロのパートは難しかったけれども、その響きの魔術に何度も陶然としたのがラヴェルの《マ・メール・ロワ》。次の冬学期ではマーラーの《復活》を演奏することになり、マーラーの交響曲を初めて吹けるのかと思うと、今から楽しみです。

この1週間はバイロイト音楽祭で新演出の「リング」に接する機会に恵まれました。こちらもいろいろな意味で忘れがたい体験だったので、落ち着いたらじっくり振り返りたいと思っています。
by berlinHbf | 2013-08-20 22:21 | ベルリン音楽日記 | Comments(0)

ネルソンス&ベルリン・フィルのR.シュトラウス

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ベルリン国際映画祭のポスターが並ぶポツダム広場周辺 (2012-02-02)

●日本の皆さんもニュース等でご存知だと思うけれど、中・東欧では先週から極寒の日が続いていて、昨日も最低気温−13度ぐらいまで下がった。手袋はもちろん耳元までかぶる帽子はもはや必須。午後、手袋なしで歩いてみたけれど、5分も経つともう耐えられなくなる。こうも寒いとどうしても家にこもりがちになるが、幸い天気はいいし、身を切るような寒さの中コンサートに行くのは結構好きである。

●当夜はアンドリス・ネルソンス指揮のベルリン・フィル。2007年6月にベルリン・ドイツオペラのオケのコンサートで初めて彼を聴き、強烈なインパクト受けてからもうすぐ早5年。その間の躍進ぶりは目覚ましく、いつの間にかバイロイト音楽祭やベルリン・フィルの定期にも呼ばれるような存在になっている。ベルリン・フィルを振るのも今シーズンすでに2回目だとか。

●前半はブラームスのヴァイオリン協奏曲。ソロはベルリン・フィルのコンマスのブラウンシュタイン。こういう曲をそのオケのコンマスが務めてコンサートが成り立つのはやはりすごいこと。冒頭の序章で、彼は第1と第2ヴァイオリンの間に入って一緒にオーケストラパートも弾いていた。その後も、長い間奏のときは一歩下がってこの場所に戻り、周りの音に耳を傾けるなど、いつもの仲間と室内楽を楽しんでいるような、そんな趣さえあった。もちろんソリストとしての腕も見事だったけれど、改めてブラウンシュタインのヴァイオリンをじっくり聴いて、彼の音や節回しに潜む独特の哀愁味を感じた。最近彼が出したソロアルバムを視聴したときも(「自分のルーツと深くつながった小品ばかりを選んだ」と語っている)同じ印象を受けていたが、それがユダヤ人としての素性と関係しているかどうかはわからない。でも、20世紀の大ヴァイオリニストの系譜につながるような、渋みやくすんだ音色を聴き取ることができたのは興味深かった。

●後半はシュトラウスの「英雄の生涯」。要のヴァイオリンソロを樫本大進さんが弾いたのだが、これがもうあまりに見事で感嘆。「英雄の生涯」はベルリン・フィルの他の2人のコンマスのソロでも聴いたことがあるけれど、樫本さんの音は一段ときめ細やかでまろやかな美しさをたたえ、往年のミシェル・シュヴァルベもかくやと思わせるほど巧みだった。ネルソンスの指揮も素晴らしい。演奏中、絶えず何をしたくてたまらない小動物のように動き回るのだが、横の流れを大事にしているため、音楽のうねりが途切れることがない。内側からの充実を伴った、ふっくらと肉感的で丸い響きが生まれてくるのである。こんなにオペラティックで感興豊かな「英雄の生涯」は初めてで、彼の棒でシュトラウスのオペラを聴いてみたくなる!

●それにしても、ブラウンシュタインのブラームスに大進さんのシュトラウスと、コンチェルトを2曲分聴いたような気分が残った。これがオーケストラのコンサートマスターによる演奏なのだから、いまさらながらベルリン・フィルのずば抜けた能力を思い知らされる。ただ、華やかなプログラムにしては、客席にはちらほら空席が目立った。ポディウムの舞台席が用意されていなかったのも少々意外。

Berliner Philharmoniker
Andris Nelsons Dirigent
Guy Braunstein Violine

Johannes Brahms
Violinkonzert D-Dur op. 77
Richard Strauss
Ein Heldenleben

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by berlinHbf | 2012-02-02 12:56 | ベルリン音楽日記 | Comments(3)

夏の終わりに聴くヴァルトビューネ2011

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日本からのお客さんがここのところ相次ぎ、しばらく間が空いてしまいました。

今週はベルリン・フィルのヴァルトビューネのコンサートを聴いてきました。これを聴けたのは、何ともラッキーというか不思議な巡り合わせでした。この公演、本来ならベルリン・フィルのシーズン最後のコンサートとして7月頭に行われるはずで、私が日本にいる時期と重なっていました。ところが、まさかの豪雨により、次のシーズン開始直前の8月末に延期されることに…(非常に珍しいことです)。日本に帰国中、私は久々に小学校時代の音楽の先生にお会いし、8月半ばにベルリンに遊びに来る予定の話をしていました。「せっかくだからコンサートにでもお連れしたいけど、この時期はまだシーズンオフだしなあ」。ふと、ヴァルトビューネの延期のニュースを思い出し、調べてみたらスケジュール的にドンピシャだったというわけです。

山本典子先生は私に音楽の楽しさと喜びを教えてくださった方。小学校2年生になった最初の頃、転校してきたばかりの学校の掃除の時間に、えも言われぬほど美しく、心ときめく音楽が教室のスピーカーから流れてきました。私はたちまち虜になったのですが、それがモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」でした。自分にとって音楽というものに魅了された最初の瞬間だったと言うことができます。大分後になって、毎日給食後約15分間の掃除の時間に合わせてこの曲を選んだのが山本先生だったことを知りました。

その先生と一緒にベルリン・フィルを聴けるというのは、実に感慨深いことでした。先生夫妻の他、一緒に来られた娘さん夫妻たちと、23日のコンサートを聴きに行きました。この日の午後、突然雷が鳴り、「まさかまた延期?」との思いも一瞬よぎりましたが、天気は何とか持ちこたえてくれました。

今年の指揮はリッカルド・シャイー。ベルリン・フィルの客演も10年ぶりだとか。何といっても、冒頭のショスタコーヴィチのジャズ組曲第2番がよかったです。軽妙で陽気で、どこかノスタルジック。夏の終わりの夕暮れ時にしみじみ聴くには最高の音楽なのかも。有名なワルツ2では、前の方に座っていた年配のお客さんたちが肩を揺らしながらメロディーを口ずさんでいました。続く、ニーノ・ロータがフェリーニの映画「道」のために書いた音楽の組曲では、物悲しい「ジェルソミーナのテーマ」がヴァイオリン、トランペットと楽器を変えて何度も夜空に鳴り響きます。

いつもなら、休憩が始まる頃はまだ明るいのですが、さすがに8月も終わり頃になればもう真っ暗。後半のメインはレスピーギの「ローマの松」。古代ローマの円形劇場を模して造ったヴァルトビューネでこの曲を聴けるというのが最大の楽しみだったのですが、PAの限界なのか、想像していたスペクタクルな効果はもうひとつ足りなかったかなあというのが正直なところ(後でDVDで見たらまた違う印象かもしれませんが)。でも、いつもながら、このコンサートはその場で聴けただけで幸せな気分になります。途中眠そうにしていた先生の孫のかわいい双子ちゃんも、アンコールの「ベルリンの風」では大はしゃぎでした。

山本先生との思い出でもうひとつ重要なのは、リコーダーの魅力を教えてくれたこと。先生はリコーダーのアンサンブル指導に非常に熱心で、高学年の頃、周りはほとんど女の子しかいない音楽クラブに入れてもらって、私はそこでソプラノリコーダーを吹いていました。有名無名問わず、ここでもかけがえのない音楽にいくつも出会いました。

これまたラッキーなことに、ヴァルトビューネの翌日、今度はベルリン大聖堂でフルートのエマニュエル・パユらによるバッハの夕べが開かれることを知り、こちらも先生たちと聴いてきました。すでにCDになっているピノックとのバッハのフルートソナタ4曲がメイン。フルートとチェンバロ、チェロの精妙なやり取りを味わうには、いかんせん教会のキャパが大き過ぎましたが、それでも、パユがソロで1曲だけ吹いたテレマンのファンタジー第7番は圧巻。音楽の根幹をなすフレーズごとの最初の低音の厚みと空間的広がりが素晴らしく、しばしば1本の笛で奏でられていることを忘れてしまうほどでした。

山本先生は昨年定年を迎えられたのですが、いまもほとんどフルタイムで横須賀市内の小学校で音楽を教えておられるそう。今後も元気でご活躍いただきたいものです。またベルリンに来られたら、今度はフィルハーモニーにもお連れしたいと思っています。

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by berlinHbf | 2011-08-28 23:57 | ベルリン音楽日記 | Comments(7)

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