ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


by berlinHbf

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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
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(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
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地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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2013年バイロイト音楽祭レポート

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生誕200年で沸いたバイロイト祝祭劇場

筆者は2003年からバイロイト音楽祭のチケットを毎年申し込み続けてきた。「外れても、とにかく送り続けることよ。それが大事」と知人のワグネリアンの方に諭され続けて早10年、今年ついに「当選」の通知が届いた。奇しくもワーグナーの生誕200周年というメモリアルイヤー。その中で一番の注目を集めた「ニーベルングの指環」新演出を体験することができた。
(ドイツニュースダイジェスト 9月20日)


「ニーベルングの指環」は4夜に分けて上演される、音楽史上稀に見る大作だ。記念すべき年の新演出を任されたのは、ベルリンのフォルクスビューネで長年芸術監督を務めるフランク・カストルフ。旧東独出身のカストルフは、指環をめぐる物語を米国やロシアといった超大国による「石油」をめぐる争いに置き換えた。「ラインの黄金」は米国の「ルート66」のガソリンスタンドとモーテル、「ワルキューレ」ではアゼルバイジャンの油田が舞台という具合に。「ジークフリート」の後半では、ベルリンのアレクサンダー広場が登場する。殺伐とした情景の中で、ジークフリートがカーニバルのパレードから飛び出したかのような派手な衣装をまとった森の小鳥と出会うシーンは、とても印象的だった。

ところがその後、「事件」が起こる。ようやく出会ったジークフリートとヒロインのブリュンヒルデが愛の歓喜を歌い上げるのだが、どうもお互いにあまり関心を持っていない様子。しかも、そこになぜか2 匹のワニが現れて、森の小鳥を食べてしまう。何時間も堅い椅子に座って聴き続けてきたワグネリアンにとって、普通ならば一番のカタルシスを味わうシーンだけに、最後の音が鳴り止むと、かつて体験したことのないほどのブーイングが劇場内に飛び交った。

オペラの休憩中、ワーグナー研究家の北川千香子さんにお会いした。北川さんは、2005 年から会場係の仕事をしながらこの音楽祭と関わり続けている。お話の中で印象に残ったのは、バイロイトに来てすぐの頃に出会ったというクリストフ・シュリンゲンジーフ演出の「パルジファル」のこと。「とても『変な』演出の舞台で、評判も悪かったんです。でも、即興性が豊かで、観る度に違うことが起こる。一体、演出家は何を意図して、あの舞台を作ろうとしたのか考えていったんです」。

北川さんはそれを機に「パルジファル」をテーマとする博士論文を書き上げた。「実験工房」の色が濃いバイロイトにおいて、ブーイングが起こるのはさほど珍しいことではないが、彼女の場合、その強烈な印象が立ち止まって考えるきっかけになったのだ。

最終日「神々の黄昏」の最後では、ニューヨークの証券取引所が目の前に現れた。結局、石油との関連性は不明確なままだったが、カストルフが込めようとしたであろう社会主義国家の理想と挫折、忘却。そして大国間の利権争い。それは、冷戦後の今も根本においてそう変わっていないのではないかと思わせる妙なリアリティーを残し、幕は閉じられた。

ところで今回、知人のワグネリアンのお孫さん、アダム君がバイロイト音楽祭に「デビュー」を果たした。5歳のアダム君は幕間に、好奇心たっぷりに周囲に質問を投げ掛け、約6時間の「ジークフリート」を最後まで見通した。舞台だけでなく、聴衆側にも新しい風あり。ワグネリアンはこうして次の世代へと受け継がれてゆく。

ワーグナーの生誕250年の頃には、アダム君は55歳。私は果たして生きているのか微妙な年代だ。その頃、世界はどうなっていて、指環は何に置き換えられているだろう。緑豊かなこぢんまりとしたバイロイトの町で、世の行く末に思いを馳せる。世界の生成と崩壊を描いたワーグナーの芸術には、そんな壮大な思いに至らせる何かがある。
by berlinHbf | 2013-09-28 00:07 | ベルリン音楽日記 | Comments(0)

オーバーフランケン地方にて

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数日前からバイエルンの北側、オーバーフランケン地方にある知人の別荘にお邪魔しています。ベルリンからICEに乗り、ライプツィヒ、ツヴィカウと乗り換えてオーバーフランケン地方のホーフまで約4時間半。そこからさらに車で40分ほど、ヘルムブレヒツという小都市の近くの村にある知人の別荘に着きました。小高い丘の麓にあり、見渡す限りの緑は目を癒してくれます(ここがどんなところかは、昨年の滞在記をよかったらご覧ください)。ここはインターネットの電波もごくわずかしか届かず、スマートフォンは数日前地面に落として液晶部分が破損してしまい修理中。でも、不便というよりは、久々にネット中心の生活から解き放たれて、何だかすがすがしさを感じています。

ご主人のルートヴィヒさんから伺ったのですが、このオーバーフランケン地方はもともとプロイセンに属していたのだとか。19世紀初頭のナポレオン戦争でフランス(バイエルンもフランス側に付いていました)がロシアとプロイセンの連合軍に勝ったことで、フランスはバイエルンに「お礼」としてこのオーバーフランケン地方を割譲。その数年後、ロシアとプロイセン、さらにイギリスの連合軍がフランスと再び戦ったとき、当初はフランス側に付いていたバイエルンが途中で連合軍側に鞍替えし、そちらが勝利を収めたため、バイエルンはオーバーフランケンをプロイセンに返さずに済んだのだとか。実際の状況はもっと複雑だけれど、大まかにいえばこんな歴史なのだよとルートヴィヒさんが教えてくれました。こういう歴史背景から、ホーフ、バイロイトといったオーバーフランケン地方はプロイセンとのつながりが深く、宗教的にもプロテスタント系住民が多いのだそうです。とはいえ、自然も言葉のニュアンスもベルリンとは大分異なるので、その変化も楽しんでいます。

今日からホテルに移ったので、折を見てまた更新したいと思います。
by berlinHbf | 2013-08-16 23:27 | ドイツ全般 | Comments(0)

9年ぶりのバイロイト訪問(3)- バイロイトも工事中 -

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Markgrafen Buchhandlung Bayreuth (2012-08-04)

《タンホイザー》を観た翌日、バイロイトの市内を散策した。旧市街に入っていきなりびっくりしたのが、前夜の指揮者クリスティアン・ティーレマンが本屋でサイン会をしているのに遭遇したことだ。このMarkgrafen Buchhandlungでは音楽祭の期間中、連日のように出演アーティストによるサイン会が行われている。これも夏のバイロイトならではだろう。ラフな格好でファンのサインに応じ、時に歓談するティーレマン氏の様子を眺めながら、(よく言われるように)やっぱりちょっと気難しそうな感じの人だなあという印象を受けたり、前夜の圧倒的な音楽が目の前のこの大柄の男から紡ぎ出されたのかと思うと、なんとなく不思議な気持ちになったりもしたのだった。

このティーレマン、昨年はワーグナーやブルックナーといった十八番以外に、ドビュッシーの《夜想曲》、チャイコフスキーの《悲愴》、ヴェルディのバレエ音楽や聖歌四篇など、意外なレパートリーをベルリンの演奏会で聴く機会があった。どれも聴きごたえあったが、中でも歌や合唱が入る音楽での指揮、ドラマの作り方の見事さは、また格別だった。

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バイロイトの旧市街の見どころはコンパクトにまとまっている。まず訪れたのが、バイロイト辺境伯歌劇場(Markgräfliches Opernhaus)。ここは9年前にも中に入っているが、プロイセンの歴史がいくらか頭に入っている分、今回はより感動が大きかった。この劇場を建てさせたブランデンブルク・バイロイト辺境伯フリードリヒの妃ヴィルヘルミーネは、かのフリードリヒ大王の3歳年上のお姉さんなのだ。共に音楽をこよなく愛好し、作曲までしたのも同じ。大王が最後まで親愛の情を寄せたお姉さんだったという。ヴィルヘルミーネについては彼らの居城だった新宮殿に行くと詳しく知ることができるが、ポツダムのサンスーシ宮殿と同時期のロココ様式の建物だけに、雰囲気は似通っている。が、バロック様式のこの歌劇場の方は、以前ご紹介したポツダムの宮廷劇場と豪華さの度合いはまるで違う。18世紀当時、文化の中心とは言いがたい文字通りの辺境の地で、これほどの劇場が造られたというのはすごいことだ。考えてみたら、ヴィルヘルミーネがバイロイトに嫁がなかったらこの劇場は造られなかっただろうし、この劇場が存在しなかったら、ワーグナーがバイロイトを訪れることさえもなかったかもしれない。

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www.bayreuth.deより拝借

内部は残念ながら撮影禁止。6月に世界遺産に新たに登録されたばかりの劇場正面には、Welterbeの垂れ幕が誇らし気に掛かっていた。ときどきリートなどのコンサートが、ここで行われることもあるそうだ。その雰囲気たるやさぞや素晴らしいだろう。いつかここで音楽を聴いてみたい!

が、この辺境伯歌劇場、私たちが訪れた直後の9月に大規模な修復工事が始まった。最低4年間は内部見学は不可だそうだから、今回見ておくことができてよかったのかもしれない。

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バイロイトの音楽史跡でもうひとつ欠かせないのが、ワーグナー夫妻が住んでいたヴァーンフリート邸。が、こちらは改装の真っ最中。当初はワーグナーイヤーに合わせて工事が終了するだったのが、予算の問題から着工が遅れ、結局再オープンは2014年になってからだという。つまり、ワーグナーイヤーにも関わらず、ワーグナーに縁の深い上記の建物の内部見学が不可という、残念過ぎる事態になっているのだ。

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Foto: pa/dpa

改修工事といえば、急務を要するのが肝心の祝祭劇場なのだとか。老朽化からファサードの漆喰が崩れ落ちており、昨年11月から劇場正面はこのような覆いが被せられている。音楽祭の期間中もこのままの状態にする必要があるかどうかは、5月ぐらいに決められるらしい。改修工事に際しては予算などいろいろな問題があるにせよ、せっかくのメモリアルイヤー、いずれももう少し事前に適切な対策が取れなかったのかとは思う。

関連記事:
200 Jahre Wagner – Bauen, lästern, streiten (Die Welt)

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バイロイト滞在の後半は、メヒティルトさんの義理の姉妹であるルートさんのご自宅に泊めていただいた。ルートさんは10代からバイロイト音楽祭に通っているというワグネリアンだが、普通に話している分にはそんな感じには全然見えない。長年洋裁の仕事をしていて、この数年は音楽祭で使われる衣装の制作に携わっており、ときに歌手の衣装の着せ替えにも立ち会うのだそうだ(写真は《ローエングリン》でアネテ・ダッシュが使った同じ衣装の一部だとか)。「半分アルバイトみたいな仕事だから」とルートさんは謙遜するが、「好き」が嵩じてそれを仕事にするというのは、やはり素晴らしいことだと思う。バイロイト音楽祭は、こういう人々の情熱と愛によって支えられているのだ。部屋の棚にはここ40年ぐらいの音楽祭のプログラムが無造作に置かれていて、興奮しながら見させてもらったりもした。

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翌日は午前中、ルートさんにもう一度祝祭劇場周辺を案内していただく。その夏は「バイロイト音楽祭の反ユダヤ主義」という重いテーマの野外展示が行われていた。中には、日本に亡命して洋楽を広めたマンフレート・グルリットの名前もあった。《さまよえるオランダ人》の歌手起用を巡って一悶着あった夏だったが、今年はまた新たな角度から音楽祭やワーグナー受容を巡る歴史が掘り起こされるのだろうか。

その後、ルートさんに見送られながら、バイロイト駅前発13時半のバスに乗ってベルリンへの帰途についたのだった。

そろそろ今年の音楽祭の抽選結果が届く頃。多分外れるとは思うが、またいつかここには来たい。そう思わせてくれる、実りあるバイロイト滞在だった。
by berlinHbf | 2013-01-28 17:41 | ドイツ全般 | Comments(2)

9年ぶりのバイロイト訪問(2)- 祝祭劇場との再会 -

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Bayreuther Festspielhaus (2012-08-03)

ワーグナー生誕200周年というメモリアルイヤーが始まりましたが、(こちらも書きかけのままだった)昨夏のバイロイト旅行記の続きを書いておきたいと思います(第1回の記事はこちらより)。私の怠慢によりこうなってしまいましたが、これを書いておかないことには昨年が終わった感じがしないので・・・

8月3日14時半頃、メヒティルトさんの車で別荘を出る。見渡す限り自然に囲まれた中、スーツ姿でいる自分がちょっとおかしかった。雄大な山々を背景にアウトバーンを下り、バイロイトの市内へ。「さあ、次の角よ」とメヒティルトさんがこちらの期待を誘うように言い、車が右折すると、通称「緑の丘」につながるゆるやかな坂道が一直線に続く。その奥には祝祭劇場の花壇が色鮮やかに輝いていた。「ああ、この場所に還ってきた」という思いを強くする瞬間だった。

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祝祭劇場は、当然ながら前回訪れた9年前とは特に何も変わっていなかった。とはいえ、ヴォルフガング・ワーグナーの時代が終わってからだろうか。大きな総合プログラムがなくなり、個別の演目ごとに分かれるなど、細かな変化も感じはしたが。

開演直前、金管アンサンブルが奏でるメロディーにうっとり耳を傾け、劇場の中に入る。階段を上って、正面2階の一番後ろにあるGalerieという場所へ。このブロックには4本の柱が立っており、そのため柱によって舞台の3分の1ぐらいが見えない席、全く舞台が見えない音だけの席(Hörplatz)がいくつか存在する。私たちの席は前者で、ちなみにチケット代は15ユーロだった。現在のバイロイト音楽祭の最高額の席は280ユーロだが、一方でこんなにとてつもなく安い席が用意されているのはありがたく、また素晴らしいことにも思える。舞台の3分の1が見えないとはいえ、メヒティルトさんは「この《タンホイザー》は演出がヒドイから、音楽に集中できてかえっていいのよ」と笑う(確かにそうだったのだが)。まあ、席が高かろうが安かろうが、周囲をどんなに見回しても、1つの空席さえ見当たらないのは壮観だった。

客席の照明が落ちて、暗闇の中、序曲のクラリネットのメロディーが鳴り響く。バイロイトでは、オーケストラピットが見えないので、この音は一体どこから鳴り響いているのか、一瞬わからなくなる。すごく遠い場所からにも聴こえるし、ごく近い場所で鳴っている風にも聴こえる。祝祭劇場ならではの、心地よい幻惑にかけられるのだ。目で何も見えなくても、ティーレマンの音楽的方向性は、クラリネットの冒頭の数小節だけではっきりと伺えた。微妙に、そして嫌みにならないギリギリの範囲で、奏者に音量とテンポの面で抑揚の指示を与えるのだ。ティーレマンの場合、この細かな表情付けが裏目に出ることもままあるのだが、この《タンホイザー》に関しては、楽譜が内包するドラマにどれも見事なまではまっているように感じられた。音楽が次第に膨らんでゆき、全オーケストラによって初めて主題が奏でられるところで、私はすでに鳥肌が立っていた...。

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休憩中、隣接したレストランでお茶を飲んでいるとき、メヒティルトさんがワグネリアンとして知られるメルケル首相のことを話してくれた。メルケルさんはかれこれ20年来、(ほぼ?)毎年音楽祭に訪れるそうだ。(バイエルン州首相主催によるパーティーがある)オープニング公演は公人として、さらにプライベートで毎年1サイクル(つまりその年の全演目)を観て帰るそうだから、やはり相当お好きなのだろう。「プライベートで来る際は、そこにも普通に並んでいたりするわよ」と言って注文を待つ客の行列を指差した。

終演後、高揚した気分が冷めないまま、丘の上のイタリアレストランでみんなで食事していると、メヒティルトさんの義理の姉妹であるルートさんが合流。食後、市内の自宅に連れて行ってくださった。最後の2泊はルートさんの家でお世話になった。このルートさんについてはまた次回お話ししたいと思う。

(つづく)
by berlinHbf | 2013-01-11 17:20 | ドイツ全般 | Comments(2)

9年ぶりのバイロイト訪問(1)- 田舎生活を体験! -

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Bayreuther Festspielhaus

「8月3日の《タンホイザー》を聴きにバイロイトまで来る気はある?私のところに泊まってくれて構わないし、バイロイトには義妹もいるわ」

7月の初旬だったか、知人のメヒティルトさんからこんな電話をいただいた。
メヒティルトさんは、私がベルリンに来た当初に知り合い、以来何かとお世話になっているドイツ人のご夫人。2007年に生粋のベルリンっ子の彼女とのロングインタビューをこのブログに掲載したことがある。

彼女は13歳(!)のとき以来、かれこれ半世紀近くバイロイト音楽祭友の会の会員というヴァグネリアンでもある。私が2003年に初めてバイロイト音楽祭を経験できたのも、彼女あってのことだったが、早いものであれからもう9年の月日が経っている。この上なくありがたい申し出を断る理由はもちろん何もなく、妻と出かけることになった。

関連記事:
バイロイト談義(上) - メヒティルトさんに聞く(2) - (2007-03)
バイロイト談義(中) - メヒティルトさんに聞く(3) -
バイロイト談義(下) - メヒティルトさんに聞く(4) -

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8月1日朝、ベルリンのバスターミナルからミュンヘン行きのバス「バイエルン・エキスプレス」に乗り、約4時間後、バイエルン州北部の町ホーフに到着。バス停までメヒティルトさんが車で迎えに来てくれた。彼女の夏の別荘は、ここからさらに車で30分近く行ったところにある。数日ぶりというほぼ快晴の天気。ゆるやかな丘陵をいくつも乗り越えて進むと、突如前方に、小高い山の頂きに白い球体が乗っかっている光景が目に入った。冷戦時代のアメリカのレーダーの跡だそうだ。この地域は旧東独のチューリンゲン州と境を接しているので、ここから東側の情報をキャッチしていたのだろう。私は、ベルリンのトイフェルスベルクの山頂に、同様に残るレーダーを思い出した。メヒティルトさんがこんな話をしてくれた。「1960年代に、別荘の物件をいくつか見て回ったとき、私の父が『ここからの眺めは(トイフェルスベルクに近い自宅のある)ライヒ通りに似ているね。よし、ここに別荘を買おう!』と言って、ほとんどその一言で、この場所に決まったのよ(笑)」

ヘルムブレヒツという町の郊外にあるメヒティルトさん一家の別荘には、2003年に私は一度訪れている。静かな農村で、周りの風景はあのときと何も変わっていない。私たちはここで2日間ほど、ドイツの田舎生活を経験することになった。

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後ろに見えるメヒティルトさんの家は、携帯の電波さえも届かないが、この丘の上まで来るとかろうじてネットにつながった。ここぞとばかり、必要最低限メールだけ大急ぎで送る。

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家のお庭。天気がよかったので、朝食と昼食はここでいただいた。ご主人のルートヴィヒさん(左)は今春で大学教員としての任を終えられたが、孫のやんちゃなミロン君の相手で結構忙しそうでした。

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ご馳走になった手作りのプラムとリンゴのケーキ。おいしい空気の中でのカフェタイムは格別!

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スーパーに買いものに行くにも、車がないと非常に不便な農村。そんな中、2週間に一度、バーバラさんという女性が、赤いワゴンに乗ってこの辺りに野菜や果物を売りに来てくれる。メヒティルトさんとは10年以上前からの顔なじみとか。

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翌日は、30キロほど離れたクルムバッハ(Kulmbach)へ遠足に。山の上のプラッセンブルク城からの眺め。ここ数ヶ月、ハンザ都市の連載で、北ドイツの町を歩く機会が多かっただけに、地形、人々の気質、住居の建築、何もかもが異なる南ドイツの街歩きは新鮮でした。クルムバッハは古くからビール醸造で有名な町。右の方に見える煙突は、ビール工場のようです。

(つづく)

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by berlinHbf | 2012-08-08 23:12 | ドイツ全般 | Comments(0)

バイロイト談義(下) - メヒティルトさんに聞く(4) -

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(前回のつづき)

メヒティルトさんから時代のドキュメントというべき貴重な写真をたくさん見せていただいたが、私が最も驚いたのはひょっとしたらこの一枚かもしれない。

ヴィニフレート・ワーグナー(Winifred Wagner, 1897-1980)。
リヒャルト・ワーグナーの息子ジークフリートの未亡人で、ナチス支配下の時代のバイロイト音楽祭の主催者だったのが、イギリス生まれのこのヴィニフレート。当時ヒトラーとは極めて近い関係にあり、晩年に至るまでヒトラーへの賛美を止めなかったといういわく付きの人物でもある(興味のある方は、フンメルさんのBlog「ドイツ音楽紀行」の「バイロイトの影~ヴィニフレッド・ワーグナー」をご覧ください)。

メヒティルトさんの話によると、ヴィニフレート・ワーグナーはこの時何かの用を済ませ、車に乗って帰ろうとしていたところだったらしい。そばには他にも何人かいて、カメラを向けたら嫌がる素振りを見せることもなく、普通に撮影に応じてくれたそうだ。その後、彼女は自分で車を運転して劇場を後にしたという。

バイロイトは今でこそドイツの大統領や首相を始め、内外から多くの政治家が訪れますが、戦後20年の当時はどうだったんでしょう?

メヒティルト:当時もすでに多くの招待客が来ていたわ。でも、連邦大統領は「ヒトラーの模範に従わない」(Sie wollten nicht in die Fußstapfen von Hitler treten.)ことを示すために、バイロイトとは距離を置いていました。初代のホイスがそうでした。ただ、その次のリュプケになると、確かバイロイトを訪れていたと思います。

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戦後、バイロイトの職から追放されたヴィニフレートに代わって、バイロイト再建の道はヴィーラントとヴォルフガングという彼女の2人の息子に委ねられた。特にヴィーラントは数多くの演出を担当し、「新バイロイト様式」と呼ばれる新しい演出スタイルを確立させるが、66年に急死してしまう。この直筆のサインも貴重なお宝だ。

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日本でもおなじみの指揮者オトマール・スウィトナー。60年代に「タンホイザー」や「オランダ人」などをバイロイトで振っている。

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メヒティルト:ソプラノ歌手のグレース・バンブリーです。バイロイトに出演した初の黒人歌手ということで、当時はちょっとした論議を巻き起こしました。

バイロイトには70年代以降も毎年通われていたんですか?

メヒティルト:長女のユリアが生まれた75年は行かなかったわね。その後も毎夏バイロイトの近くの村で休暇を過ごしていたので、劇場のある「緑の丘」には毎年行っていましたが、子供が小さいこともあってその後10年ぐらいは舞台から遠ざかっていました。いつだったか、子供たちがそばにいる時に「トリスタン」のレコードをかけていたら、1人に「ママ、何でこの女の人はこんな風に叫んでいるの?」と言われて、ガクッときたわ(笑)。でも、長男のマルティンは、コーブルクという街の劇場で、今歌手として活躍しています。

祝祭劇場のちょっと変わった場所で聴いたものとして、舞台照明がある塔(Beleuchtungsturm)の上から何回かオペラを見たことがあります。そこは楽団員の知り合いなどに用意される無料の席で、高い位置から舞台上を見渡すことができたんです。他には、あの深いオーケストラピットの中で、アンドレ・クリュイタンスが指揮する「タンホイザー」を一度体験しました。弦楽器のすぐ横にいくつか席が置かれていて、そこで聴くことができたのよ。その2つの場所は、今はもう座席が置かれなくなってしまったけれど、普通の客席とは違う角度から見られるのでファンとしては興奮しました。

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「右は指揮者のカール・ベーム。そして左の写真、テノール歌手のジェームズ・キング(左)と一緒に写っているのがカール・ベームの息子カールハインツ・ベームです。彼は当時、非常に有名な映画俳優でした」

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やはり一度は聞いてみたかった質問なのですが、バイロイトでこれまで体験された数々の上演の中で、特に印象に残っているのは何でしょう?

メヒティルト:ちょっと考えてみたけれど、今までで一番興奮した上演となると78年に観たパトリス・シェロー演出の「リング」かしら。それまでに観たものと比べて、とにかく全てが新しかったんです。私は1人でその舞台を観たんですが、家に戻ってからも興奮が収まらず、ベッドにいた母に毎回その内容を話して聞かせていました。母は、私が一体何に興奮しているのか、よくわからなかったようだけれど(笑)。それからもちろん、ヴィントガッセンが歌いベームが指揮したあの「トリスタン」は、やはり特別でしたね。

最後はやはりメヒティルトさんとヴィントガッセンのスナップショット(サイン付き!)。数々の貴重な写真を公開させていただいたメヒティルトさんに心から感謝し、このシリーズを終わります。

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by berlinHbf | 2007-03-10 01:41 | ベルリンの人々 | Comments(10)

バイロイト談義(中) - メヒティルトさんに聞く(3) -

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Festspielhaus Bayreuth, Foto: Deutschlandradio

(前回のつづき)

「バイロイトのチケットを手に入れるのに、6年7年待つのは当たり前」なんて言われていますが、当時はどうだったんですか?

メヒティルト:昔はそんなに待つことはなかったわね。

音楽祭の期間中、当時の私たちはほぼ2日おきにバイロイトに通っていました。隣村まで歩いてそこからバスに乗ると、11時頃に祝祭劇場のある丘に着きます。さて、それから一体何をするのかですって?

歌手の写真を撮ったり、サインをもらうために奔走するんです(笑)。当時のフィルムでは12枚しか撮れなかったから、誰を撮るためにその12枚を使おうかでさんざん悩んだものです。その合間に、ジュースを飲んだりソーセージを食べたりして、5時半に出る村行きの最終のバスでいつも帰っていました。疲れて村に戻ると、今度はその日に見た歌手の話ばかり。私たちが滞在していた小さな村にはワーグナーに興味のある人なんて他にいなかったから、周りの大人たちからは半分奇異の目で見られていました(笑)。

その時の写真を見せてあげるわ。ここにはないけれどピンボケの写真もたーくさんあって、そばで写真を撮っていた人とアドレス交換をして、後で送ってもらったりしたことも一度や二度ではありません。

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やはり一番多いのがテノールのヴィントガッセンの写真。
「彼はいつもサングラスをかけていて、下を向いてサインをするので写真を撮るのが難しかった」

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指揮者のオットー・クレンペラー。
「クレンペラーはこの時期すでに高齢で指揮はせず、ゲストとして招かれていました」

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「バイロイト音楽祭の合唱指揮者だった、ヴィルヘルム・ピッツ(Wilhelm Pitz)です。手前に写っているのが私たち2人よ」

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今も現役で歌っているソプラノのアニア・シリア。
「この写真を撮った時、彼女はまだ20歳そこそこだったのではないかしら。周囲に笑顔を振りまいてくれました」

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「65年に撮った指揮者のクナッパーツブッシュです。写りはあまりよくないけど、これが唯一の写真。私は彼が指揮した『パルジファル』を観ています。とにかく遅いテンポで、10代の私にはよくわからなかったけれど・・・」

ちょっと調べてみたら、クナッパーツブッシュはこの年の10月末に亡くなっていたことがわかった。巨匠最晩年の貴重なドキュメンタリーといえるかもしれない。

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この老人は誰ですか?

メヒティルト:ジルベルト・グラヴィーノ伯爵といって、コレペティトゥア(オペラの稽古ピアニスト)の他、音楽祭のいろいろなことに関わっていた人です。例えば、舞台上のカーテンを上げ下げするのもこの人で、ある時はゆっくり、ある時は素早く、またある時は、最初ゆっくりでその後素早くという風に、カーテンの動きに緩急をつける技を心得ていました(笑)。

実はこの人、作曲家フランツ・リストのひ孫なのよ。リストの娘コジマは、最初の結婚相手であるハンス・フォン・ビュロー(ベルリン・フィル初代の指揮者)との間に2人の娘を儲けました。そのうちの一人ブランディーネは、イタリア人の伯爵と結婚したんですが、彼らの間に生まれた息子がこの人なんです。

バイロイトをめぐる一つの文化史ですね。プロフィール欄にはなんと、「1912年からバイロイト音楽祭に従事」と書いてあります(笑)。

(つづく)

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by berlinHbf | 2007-03-08 13:55 | ベルリンの人々 | Comments(12)

バイロイト談義(上) - メヒティルトさんに聞く(2) -

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テノール歌手のヴォルフガング・ヴィントガッセンとメヒティルトさん
(1960年代のバイロイト祝祭劇場前にて)

さて、今回から2回はバイロイト音楽祭の話です(この音楽祭については、以前「バイロイト音楽祭」というもので取り上げたことがあるので、興味のある方はどうぞ)。 ワーグナーが好きという方も嫌いという方も無関心な方も、よかったらぜひお読みください。 こんな経験をしている人は、おそらくドイツ人でも他にそういないと思われますので。

- 13歳の「バイロイト・デビュー」

メヒティルト:ちょうどその頃(1962年の冬)、両親が私にバイロイト音楽祭というものがあることを話してくました。冬のある日、父が1961年のバイロイト音楽祭の冊子を私に贈ってくれたんです。その時私の中で何かが起こりました(笑)。

(その時のパンフレットを持ってきて)ほら、最後のページに、音楽祭の会員へのすすめと寄付金のお願いについて書かれているでしょう。これを読んでしばらくしてから、私は音楽祭の事務所宛てに1通の手紙を書いたんです。「私は今12歳ですが、ワーグナーの作品を支援するために何かできることはないでしょうか?」と。

マサト(以下斜体):12歳の女の子の行動とは思えないですね(笑)

メヒティルト:すると、音楽祭の事務局長がとても親切な方でね、私に丁寧な返事を書いてくれました。その方と手紙のやり取りが始まったんです。
すると翌62年、「トリスタン」と「タンホイザー」のゲネプロに私を招待してくださいました。指揮はカール・ベーム。ヴィントガッセンとニルソンが、トリスタンとイゾルデを歌いました。
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私はその組み合わせのCDを持っていて、愛聴しています。
日本だと中学1年生の年頃だと思いますが(笑)、バイロイトへは一人で行かれたんですか?


メヒティルト:そのことを話すと少し長くなるわ(笑)。
それまで私は母と2人で休暇を過ごしていたんですが(父は仕事が忙しくて長い休暇は取れませんでした)、私がよくダダをこねたりするものだから、(母は)たまには一人で過ごしたいということになりました。そんな時、私の異父兄弟の奥さんが南ドイツのフィフィテル・ゲビルゲという山間の地で毎夏バカンスを過ごしていることを知りました。私は彼女に「そこからバイロイトはどのくらいの距離なの?」と聞いてみたら、「約15キロ」とのこと。これはシメタと思って、私はそれから毎年彼女と一緒に夏休みを過ごすことになったんです。私だけでなく、娘の送り先を見つけた母も大喜びでした(笑)。

62年の夏に私は初めてフィフィテル・ゲビルゲに行ったのですが、そこで私たちに休暇用のアパートを提供してくれたのがトレペルさんという一家でした。私はその家族の、自分とほぼ同い年の娘さんと仲良くなりました。それがルートという子。彼女には兄が2人いて、長男のルートヴィヒはとりわけ私に親切にしてくれました。私はそのルートヴィヒと後に結婚することになりますが、それはまだずっと後の話です。

この話は私はすでに一度伺っていますが、初のバイロイトもご主人に初めて会われたのも、13歳だったわけですね!!初めて生で聞くヴィントガッセンのトリスタンはいかがでしたか?

メヒティルト:(胸に手を当てて)本当にドキドキしました。それはもうすばらしかったわ。

話を続けましょう。私は仲良くなったルートにバイロイトの話をしたら、とても興味を示しました。そして翌63年から、私はルートと一緒にバイロイト音楽祭へ行くことになったんです。その時もゲネプロを見せてもらいました。

62年に音楽祭を初めて体験した後、バイロイトの会員になるためには200マルクの入会金が必要でした。その後の年会費は20マルクです。当時13歳の私にとってそれはそれは大変な額で、その後1年間私は貯金しました。そして63年に晴れて会員になれたんです。会員になると毎年チケットを申し込めるのですが、私が実際に申し込むようになったのは大分後になってからのことです。

ではどうやって本公演を聴くことができたのですか?

メヒティルト:ルートと2人で会場の前にいると、大抵は誰かがやって来てチケットをプレゼントしてくれたんです。大半が大人という中に混じって、2人の女の子が会場の前をうろうろしていたから目立ったんでしょうね。そういうわけで、私たちは毎夏ゲネプロの他に、本公演も2、3本観ることができました。

問題は、オペラの終演後の夜遅い時間に、どうやって15キロ離れた家に帰るかでした。家に連絡すれば車で迎えに来てもらえるのですが、それをどう伝えるかが大変だった。ある時、「マイスタージンガー」の第1幕の休憩中に、2人の方がチケットをプレゼントしてくださったんです。ところが、私たちが住む村には電話というものがありませんでした。するとルートは、電話が確実にあるとわかっていた隣村の居酒屋に電話をして、「すいませんが、隣村の私の家に行って、終演後に私たちを迎えに来るよう伝えてください!」とお願いしたんです(笑)。私だったら、そんなことをする勇気はなかったでしょうね。他にも、1人でオペラを観た後、タクシー代が足りずに家の数キロ手前でタクシーを降りなければならず、夜道をトボトボ歩いて帰ったこともあります(笑)。

(つづく)

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(次回は60年代のバイロイトを彩った数々の伝説の人物が登場します。よかったらワンクリックをお願いします)
by berlinHbf | 2007-03-07 01:32 | ベルリンの人々 | Comments(15)

BZ Lexikon(102) 「(バイロイトの)緑の丘」

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Festspielhaus Bayreuth, Foto: Deutschlandradio

今週の火曜日、ワーグナーの作品のみを上演することで知られるバイロイト音楽祭が幕を開けました。ドイツでは、この「緑の丘」がバイロイト音楽祭の一種の代名詞になっていて、新聞やテレビでもよく出てきます。今年の目玉は何といっても、タンクレード・ドルスト演出、クリスティアン・ティーレマン指揮による新演出の「リング」だけに、チケットの入手は一段と困難を極めているのでしょうね。7月26日の紙面より。

Lixikon: Grüner Hügel(緑の丘)

Der Grüne Hügel ist eine 370 Meter hohe Anhöhe am nördlichen Rand der fränkischen Stadt Bayreuth. Bekannt ist er durch das Festspielhaus, das der Komponist Richard Wagner hier zwischen 1872 und 1875 bauen ließ. Seit 1876 finden hier alljährlich die Richard-Wagner-Festspiele statt, gestern wurden die 95. eröffnet. Unklar ist, warum der Grüne Hügel so heißt. Bis zu seiner Bebauung war die damals noch kahle Anhöhe anonym. Eine Erklärung ist, dass der Name von den später angelegten Gärten herrührt; eine andere führt die Bezeichnung auf die Flur namens Grüner Baum zurück, die westlich des Festspielhauses liegt. Neben dem Grünen gibt es in Bayreuth auch einen Roten Hügel.

訳)「緑の丘」とは、フランケン地方の町バイロイトの北端にある高さ370メートルの丘のことである。その高台は、作曲家リヒャルト・ワーグナーが1872年から1875年にかけて建設させた祝祭劇場によって知られている。1876年以来、毎年ここでリヒャルト・ワーグナー音楽祭が開催され、昨日95回目の開幕を迎えた。なぜ「緑の丘」という名前になったのかははっきりしていない。この丘ができるまで、当時の草木の生えていない丘には名前が付いていなかった。説明の一つとしては、その名前は後に作られた庭園に起因するものであるということ。もう一つの説明としては、その名称は祝祭劇場の西側にある「緑の木」という名前の耕地に由来するというものだ。バイロイトには、緑の丘の他に赤い丘も存在する。

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この記事を訳しながら、3年前に初めてバイロイト音楽祭を体験した時のことを思い出しました。バイロイト中央駅を右に出ると、直線の長い道が延々と続きます。音楽祭が行われるのは夏の最中なのでなにせ暑い。格式ある音楽祭なのでスーツなんぞ着て行ったものだから余計暑いです。そのようにして汗をかきながら「緑の丘」の坂道を上って行くとやがて祝祭劇場が写真のような形で視界に入ってくるのですが、ワグネリアンというわけでもない私でも、それは十分感動的な対面でした。真正のワグネリアンにとっては、まさに聖地を巡礼する信者のような気分なのでしょうね。機会があったら書きたいと思いますが、その時に観た「ジークフリート」と「神々の黄昏」は、やはり忘れられないものがありました。

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by berlinHbf | 2006-07-28 01:29 | BZ Lexikon (101-150) | Comments(0)

「バイロイト音楽祭」というもの

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Festspielhaus Bayreuth, Foto: Deutschlandradio

先週、2006年のバイロイト音楽祭のチケット申し込み用紙が自宅に送られてきた。2年前の2003年、幸運にもたまたまチケットが手に入り、私はこの音楽祭を体験することができたのだが(「ジークフリート」と「神々の黄昏」の2演目)、それ以来、毎年秋のこの時期になると、翌年の音楽祭のチケット申込書が送られてくる。バイロイト音楽祭の存在は、たとえワーグナーに興味がなくても、一般に広く知られている。それはおそらく、この音楽祭がリヒャルト・ワーグナーの作品のみを上演するという特異なフェスティバルであること、そしてそのチケット入手が恐ろしく困難である、という2点によるところが大きいのではないだろうか(ワーグナーの思想云々については、ここではさておき)。

ところで、送られてきた水色のチケット申込書だが、私のアドレスの横に、

************SA-

というなにやら記号のようなものが記されている。これは一体何だろうか。

私のベルリンでの身近な知り合いの中にMechthildさんという方がいる。私の母親とほぼ同い年の、一見ごく普通のおばさんなのだが、実はワグネリアンである。先週、久々に彼女に会った時、見逃してしまいそうな上記の記号の意味を教えてくれた。一番右側の"A"は彼女もよくわからないが、おそらく"Anfang"の略ではないかとのこと。つまり、申し込みの最初の年を意味する。その隣の"S"は"spaet"の略。その翌年も申し込んだが、締め切りを過ぎていたということ。単に抽選に外れた時はどのように表記するのかはわからないが、こんな具合に毎年申し込むと、右側から左側に向かってその度に何らかの印が付けられていく。

では、一体いつになったらチケットが当たるのかというと、普通は最低6年と言われている。世界中にフェスティバルと呼ばれるものは星の数ほどあれど、1枚のチケットを手に入れるのに最低6年もかかるのは、おそらくバイロイトだけだろう。Mechthildさんはこの音楽祭の会員なので、毎年何らかのチケットが買えるらしいが、それでもそれが希望の演目でないということはざらのようだ。そんなわけで、彼女は自分の子供や知り合いにも頼んで、彼らの名前でチケットを申し込んだりもする。彼らはもともとワーグナーには興味はない。しかし、5年、6年経っても毎年送られてくるのは落選の通知のみという状況になると、だんだん興奮してきて、ついにチケット当選の知らせが届いた日には、「やっぱり自分が行きたい!」ということになるのだそうだ。観たいという希望者がここまで多い音楽祭とは一体どういうものなのだろうか、ワーグナーとやらには興味はないが、ここまで人を巻き込む音楽祭のチケットが手に入ったのだから、とりあえず行ってみようじゃないかと考えても、それは不思議なことではない。

今年のバイロイト音楽祭、大きな話題を呼んだのは、プレミエ(新演出)の「トリスタンとイゾルデ」を日本人の大植英次氏が指揮したことだろう。東洋人の指揮者がこの音楽祭で振ること自体、史上初という快挙だった。それで、この上演を聴いたMechthildさんに一体どうだったか聞いてみたところ、残念ながら指揮はよくなかったとのこと(あと演出も)。そうか・・こういう場で指揮することを任されたのだから大植さんは才能豊かな指揮者であることに違いはないのだろうが(私は聴いたことはないけれど)、ほとんどオペラ経験のない指揮者がいきなりバイロイトで成功できるほど甘くはない、ということかと私は思った。「では、今までバイロイトで観た中で最高の『トリスタン』は?」と聞いてみたら、「そうねえ。60年代に何度も聴いた、ベームが指揮して、ヴィントガッセンがトリスタンを歌ったあの舞台ね」とMechthildさん。ふぅー。CDにもなっている伝説的な上演を生で体験しているのだ、この人は。こういう演奏と比べられてしまったら、大植さんにとってはたまらないだろう。しかし、バイロイトの指揮台に立って「トリスタン」を振るということは、そういうことなのである。

では、そのバイロイト音楽祭、チケットもさぞかし高いのだろうとつい想像してしまいがちだが、送られてきたパンフレットを見ると、実はそれほどではないことがわかる。一番高い席は208ユーロだが、ウィーンやミラノのオペラ座が日本公演をする際の最高席である6万や7万という値段に比べると、その半分以下だ。席はさまざまなカテゴリーに分かれているが、一番多いのは100から150ユーロの間。安い方になると、32とか24ユーロという具合。一番安い席はなんと6,5ユーロ。ラーメン一杯とそう変わらない。ただしこれは、舞台がほぼ全く見えない、音を聴くのみの席だという。しかし、Mechthildさんは、「ひどい演出の時もあるから、この席で聴いてよかったと思う場合もあるのよ」と笑って話してくれた。ちなみに私が2年前に観た2公演のうち、「ジークフリート」が15ユーロぐらいの席だった(目の前に大きな柱があって、舞台は半分しか見えなかったが)。ワーグナーという人は、意外に寛大なところがあって、自身が始めたバイロイト音楽祭、自分の音楽を聴きたい人には無料で聴かせるというのが当初の理想だったらしい。資金難ゆえに、この理想は実現しなかったが、現在でも彼の理想は多少なりとも叶えられていると言っていいのではないだろうか(実際は、チケットの枚数に比べて観たい人の数があまりに多いため、裏でのチケットの値段は高騰する一方なのが皮肉ではあるけれど)。

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私はもともとワグネリアンではないし(ワーグナーは好きだが)、日本にいた当時は、バイロイト音楽祭なんて遠い世界の話でしかないと思っていたのだが、ドイツに来て、Mechthildさんのような「大らかな」ワグネリアンの話を聞いているうちに(彼女からは他にも楽しいエピソードをたくさん聞いた)、この音楽祭が次第に身近なものとして感じられるようになっていった。まさにこういう時に、バイロイト音楽祭を生で体験する機会がふとやってきたのである。ずいぶん長くなってしまったが、機会があったらこの時の話もまたしたいと思う。

関連記事:
後に、ここに登場するMechthildさんに往年のバイロイト音楽祭の話を伺いました。バイロイトファンの方はよかったらご一読を。
バイロイト談義(上) - メヒティルトさんに聞く(2) - (2007-03)
バイロイト談義(中) - メヒティルトさんに聞く(3) -
バイロイト談義(下) - メヒティルトさんに聞く(4) -

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by berlinHbf | 2005-09-21 02:10 | ベルリン音楽日記 | Comments(5)

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