ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
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(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
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ダイヤモンド社
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地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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タグ:ドイツ(Deutschland) ( 32 ) タグの人気記事

ブランデンブルク州ユーターボークの旧市街を歩く(2)

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Dammtor in Jüterbog (2014-01-04)

ダム・トーアと呼ばれる門が、鉄道でユーターボークに来る場合の街の入り口になる。ユーターボークの帰属は何度も変わっている。

30年戦争期間中の1635年、この街はザクセン選定侯領に組み込まれた。そして1756年、プロイセンのフリードリヒ大王はザクセンとの国境に近かったユーターボークに進軍したことで、7年戦争が始まった。次にこの街が歴史の表舞台に出てくるのは、19世紀になってから。1813年9月6日、ナポレオン解放戦争の最中、ユーターボークのすぐ西側のデネヴィッツ(Dennewitz)において「デネヴィッツの戦い」が行われた。この戦いで連合軍はナポレオンのベルリン進軍を完全に食い止め(わずか1日の戦いで、両軍合わせて約2万人が戦死している)、1ヶ月後のライプツィヒの戦いでナポレオンのドイツ支配は終わりを告げたのだった。1815年のウィーン会議の結果、ユーターボークを含めたザクセン王国はプロイセンに譲渡されることとなる。

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門の近くにソ連軍の名誉墓地があった。第2次世界大戦末期の1945年4月18日、ユーターボークはアメリカ軍に空爆されたが、旧市街は幸い無傷だった。その2日後、赤軍が大きな戦闘を行うことなくこの街を占領。以来、ユーターボークは赤軍の駐屯地となり、彼らが完全に撤退したのは1994年になってからのこと。

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ユーターボークの歴史を振り返ってみると、血なまぐさい争いの過去に彩られつつも、ほんのわずかのところでこの街は破壊から守られたことがわかる。これだけ人通りが少ないと、どうもわびしい気分から抜けられないけれど、ベルリン・ブランデンブルク州において希有な街なのは間違いない。

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Mönchenkircheという大きな教会の前に出た。ここが一応ユーターボークの文化の中心とパンフレットに書いてあるので、扉を開けてみたら、驚いた。ようやくここでまとまった数の人に出会えたのだった。中には舞台があり、ニューイヤーコンサートの休憩時間中らしかった。地元の人びとが談笑したり、コーヒーを飲んだりしている。小さな街の住民の大半がここに集まっているのではないかと思ったほど。何はともあれ、ユーターボークで人のぬくもりを感じることができて、少しほっとした。

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1507年に完成したレンガ造りの市庁舎。

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いくつかの場所では、城壁や市門が完全な状態で残っている。

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数は少ないものの、廃屋になっている建物もいくつか見かけた。東ドイツ時代、建物の外壁はどこもこんな感じだったのかもしれない。

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ひっそりと眠ったような街だったが、30年戦争以来の名残をとどめながら、ほかのベルリン・ブランデンブルクの都市では味わったことのない悠久の時が流れていた。

by berlinHbf | 2015-01-10 11:06 | ドイツ全般 | Comments(2)

ブランデンブルク州ユーターボークの旧市街を歩く(1)

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Dammtor in Jüterbog (2014-01-04)

ちょうど1年前、近所に住む友達の車を借りる機会を得て、妻と日帰りでどこかに行こうという話になった。私はこの機会に、ユーターボーク(Jüterbog)に行ってみようと思った。何年か前に、ベルリンの新聞で「中世の面影がほぼ完全に残る街」とユーターボークが紹介されていて、興味を持っていたのである。

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ユーターボークはベルリンから南に約60キロほど、ベルリンーライプツィヒの鉄道の線上にあるブランデンブルク州のテルトウ=フレーミング群の街だ。もっとも、ユーターボークの旧市街は駅から大分離れているので、車窓からこの街を望むことはこれまでなかった。ベルリンからさほどの距離ではないとはいえ、久々の車の運転、しかもナビも付いていない状態だったので、道に迷いながら結局2時間近くかかった気がする。

旧市街に入った頃から街の閑散ぶりに驚いた。土曜日のお昼にも関わらず、人通りが皆無なのだ。マルクト広場に車を止めて、営業している数少ないお店の中からAmerican Dinerという周囲から若干浮いた感じのレストランに入ってハンバーガーを食べる。地元の若い人が出入りしているような店だった。写真は広場から伸びているニコライキルヒ通りの様子。まずはニコライ教会の方に行ってみることにした。

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ユーターボークに都市権が与えられたのは1174年のこと。法的にはブランデンブルク州最古の都市になるそうだ。13世紀半ば以降、この街は遠隔貿易の中心地として栄え、3つの教会や市壁などがこの時期に形作られた。2つの対照的な塔を持つゴシック様式のニコライ教会もその時代に建設が始まった(写真)。しかし、1478年の大火災、そして17世紀の30年戦争で街は壊滅的な被害を受ける。現在の街並みは30年戦争以降に再建されたものが主体になっているそうだ。

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ここがGroße Straßeというまさに「大通り」という名のメインストリート、なのだが、道行く人はほとんどいない・・・

人口約1万2000人の街なのだが、この街の住民はどこでどういう生活を送っているのだろうと思う。

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19世紀までは、ユーターボークは「マルク地方のマントヴァ」「マルク地方のローテンブルク」などとも呼ばれていたそうだ。建築的には大変興味深いのだが、人があまりに少ないので、いくらかわびしい気持ちにもなってくる。

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次回はこのDammtorという門の向こう側に行ってみます。

by berlinHbf | 2015-01-06 11:55 | ドイツ全般 | Comments(1)

9年ぶりのバイロイト訪問(3)- バイロイトも工事中 -

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Markgrafen Buchhandlung Bayreuth (2012-08-04)

《タンホイザー》を観た翌日、バイロイトの市内を散策した。旧市街に入っていきなりびっくりしたのが、前夜の指揮者クリスティアン・ティーレマンが本屋でサイン会をしているのに遭遇したことだ。このMarkgrafen Buchhandlungでは音楽祭の期間中、連日のように出演アーティストによるサイン会が行われている。これも夏のバイロイトならではだろう。ラフな格好でファンのサインに応じ、時に歓談するティーレマン氏の様子を眺めながら、(よく言われるように)やっぱりちょっと気難しそうな感じの人だなあという印象を受けたり、前夜の圧倒的な音楽が目の前のこの大柄の男から紡ぎ出されたのかと思うと、なんとなく不思議な気持ちになったりもしたのだった。

このティーレマン、昨年はワーグナーやブルックナーといった十八番以外に、ドビュッシーの《夜想曲》、チャイコフスキーの《悲愴》、ヴェルディのバレエ音楽や聖歌四篇など、意外なレパートリーをベルリンの演奏会で聴く機会があった。どれも聴きごたえあったが、中でも歌や合唱が入る音楽での指揮、ドラマの作り方の見事さは、また格別だった。

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バイロイトの旧市街の見どころはコンパクトにまとまっている。まず訪れたのが、バイロイト辺境伯歌劇場(Markgräfliches Opernhaus)。ここは9年前にも中に入っているが、プロイセンの歴史がいくらか頭に入っている分、今回はより感動が大きかった。この劇場を建てさせたブランデンブルク・バイロイト辺境伯フリードリヒの妃ヴィルヘルミーネは、かのフリードリヒ大王の3歳年上のお姉さんなのだ。共に音楽をこよなく愛好し、作曲までしたのも同じ。大王が最後まで親愛の情を寄せたお姉さんだったという。ヴィルヘルミーネについては彼らの居城だった新宮殿に行くと詳しく知ることができるが、ポツダムのサンスーシ宮殿と同時期のロココ様式の建物だけに、雰囲気は似通っている。が、バロック様式のこの歌劇場の方は、以前ご紹介したポツダムの宮廷劇場と豪華さの度合いはまるで違う。18世紀当時、文化の中心とは言いがたい文字通りの辺境の地で、これほどの劇場が造られたというのはすごいことだ。考えてみたら、ヴィルヘルミーネがバイロイトに嫁がなかったらこの劇場は造られなかっただろうし、この劇場が存在しなかったら、ワーグナーがバイロイトを訪れることさえもなかったかもしれない。

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www.bayreuth.deより拝借

内部は残念ながら撮影禁止。6月に世界遺産に新たに登録されたばかりの劇場正面には、Welterbeの垂れ幕が誇らし気に掛かっていた。ときどきリートなどのコンサートが、ここで行われることもあるそうだ。その雰囲気たるやさぞや素晴らしいだろう。いつかここで音楽を聴いてみたい!

が、この辺境伯歌劇場、私たちが訪れた直後の9月に大規模な修復工事が始まった。最低4年間は内部見学は不可だそうだから、今回見ておくことができてよかったのかもしれない。

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バイロイトの音楽史跡でもうひとつ欠かせないのが、ワーグナー夫妻が住んでいたヴァーンフリート邸。が、こちらは改装の真っ最中。当初はワーグナーイヤーに合わせて工事が終了するだったのが、予算の問題から着工が遅れ、結局再オープンは2014年になってからだという。つまり、ワーグナーイヤーにも関わらず、ワーグナーに縁の深い上記の建物の内部見学が不可という、残念過ぎる事態になっているのだ。

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Foto: pa/dpa

改修工事といえば、急務を要するのが肝心の祝祭劇場なのだとか。老朽化からファサードの漆喰が崩れ落ちており、昨年11月から劇場正面はこのような覆いが被せられている。音楽祭の期間中もこのままの状態にする必要があるかどうかは、5月ぐらいに決められるらしい。改修工事に際しては予算などいろいろな問題があるにせよ、せっかくのメモリアルイヤー、いずれももう少し事前に適切な対策が取れなかったのかとは思う。

関連記事:
200 Jahre Wagner – Bauen, lästern, streiten (Die Welt)

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バイロイト滞在の後半は、メヒティルトさんの義理の姉妹であるルートさんのご自宅に泊めていただいた。ルートさんは10代からバイロイト音楽祭に通っているというワグネリアンだが、普通に話している分にはそんな感じには全然見えない。長年洋裁の仕事をしていて、この数年は音楽祭で使われる衣装の制作に携わっており、ときに歌手の衣装の着せ替えにも立ち会うのだそうだ(写真は《ローエングリン》でアネテ・ダッシュが使った同じ衣装の一部だとか)。「半分アルバイトみたいな仕事だから」とルートさんは謙遜するが、「好き」が嵩じてそれを仕事にするというのは、やはり素晴らしいことだと思う。バイロイト音楽祭は、こういう人々の情熱と愛によって支えられているのだ。部屋の棚にはここ40年ぐらいの音楽祭のプログラムが無造作に置かれていて、興奮しながら見させてもらったりもした。

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翌日は午前中、ルートさんにもう一度祝祭劇場周辺を案内していただく。その夏は「バイロイト音楽祭の反ユダヤ主義」という重いテーマの野外展示が行われていた。中には、日本に亡命して洋楽を広めたマンフレート・グルリットの名前もあった。《さまよえるオランダ人》の歌手起用を巡って一悶着あった夏だったが、今年はまた新たな角度から音楽祭やワーグナー受容を巡る歴史が掘り起こされるのだろうか。

その後、ルートさんに見送られながら、バイロイト駅前発13時半のバスに乗ってベルリンへの帰途についたのだった。

そろそろ今年の音楽祭の抽選結果が届く頃。多分外れるとは思うが、またいつかここには来たい。そう思わせてくれる、実りあるバイロイト滞在だった。
by berlinHbf | 2013-01-28 17:41 | ドイツ全般 | Comments(2)

9年ぶりのバイロイト訪問(2)- 祝祭劇場との再会 -

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Bayreuther Festspielhaus (2012-08-03)

ワーグナー生誕200周年というメモリアルイヤーが始まりましたが、(こちらも書きかけのままだった)昨夏のバイロイト旅行記の続きを書いておきたいと思います(第1回の記事はこちらより)。私の怠慢によりこうなってしまいましたが、これを書いておかないことには昨年が終わった感じがしないので・・・

8月3日14時半頃、メヒティルトさんの車で別荘を出る。見渡す限り自然に囲まれた中、スーツ姿でいる自分がちょっとおかしかった。雄大な山々を背景にアウトバーンを下り、バイロイトの市内へ。「さあ、次の角よ」とメヒティルトさんがこちらの期待を誘うように言い、車が右折すると、通称「緑の丘」につながるゆるやかな坂道が一直線に続く。その奥には祝祭劇場の花壇が色鮮やかに輝いていた。「ああ、この場所に還ってきた」という思いを強くする瞬間だった。

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祝祭劇場は、当然ながら前回訪れた9年前とは特に何も変わっていなかった。とはいえ、ヴォルフガング・ワーグナーの時代が終わってからだろうか。大きな総合プログラムがなくなり、個別の演目ごとに分かれるなど、細かな変化も感じはしたが。

開演直前、金管アンサンブルが奏でるメロディーにうっとり耳を傾け、劇場の中に入る。階段を上って、正面2階の一番後ろにあるGalerieという場所へ。このブロックには4本の柱が立っており、そのため柱によって舞台の3分の1ぐらいが見えない席、全く舞台が見えない音だけの席(Hörplatz)がいくつか存在する。私たちの席は前者で、ちなみにチケット代は15ユーロだった。現在のバイロイト音楽祭の最高額の席は280ユーロだが、一方でこんなにとてつもなく安い席が用意されているのはありがたく、また素晴らしいことにも思える。舞台の3分の1が見えないとはいえ、メヒティルトさんは「この《タンホイザー》は演出がヒドイから、音楽に集中できてかえっていいのよ」と笑う(確かにそうだったのだが)。まあ、席が高かろうが安かろうが、周囲をどんなに見回しても、1つの空席さえ見当たらないのは壮観だった。

客席の照明が落ちて、暗闇の中、序曲のクラリネットのメロディーが鳴り響く。バイロイトでは、オーケストラピットが見えないので、この音は一体どこから鳴り響いているのか、一瞬わからなくなる。すごく遠い場所からにも聴こえるし、ごく近い場所で鳴っている風にも聴こえる。祝祭劇場ならではの、心地よい幻惑にかけられるのだ。目で何も見えなくても、ティーレマンの音楽的方向性は、クラリネットの冒頭の数小節だけではっきりと伺えた。微妙に、そして嫌みにならないギリギリの範囲で、奏者に音量とテンポの面で抑揚の指示を与えるのだ。ティーレマンの場合、この細かな表情付けが裏目に出ることもままあるのだが、この《タンホイザー》に関しては、楽譜が内包するドラマにどれも見事なまではまっているように感じられた。音楽が次第に膨らんでゆき、全オーケストラによって初めて主題が奏でられるところで、私はすでに鳥肌が立っていた...。

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休憩中、隣接したレストランでお茶を飲んでいるとき、メヒティルトさんがワグネリアンとして知られるメルケル首相のことを話してくれた。メルケルさんはかれこれ20年来、(ほぼ?)毎年音楽祭に訪れるそうだ。(バイエルン州首相主催によるパーティーがある)オープニング公演は公人として、さらにプライベートで毎年1サイクル(つまりその年の全演目)を観て帰るそうだから、やはり相当お好きなのだろう。「プライベートで来る際は、そこにも普通に並んでいたりするわよ」と言って注文を待つ客の行列を指差した。

終演後、高揚した気分が冷めないまま、丘の上のイタリアレストランでみんなで食事していると、メヒティルトさんの義理の姉妹であるルートさんが合流。食後、市内の自宅に連れて行ってくださった。最後の2泊はルートさんの家でお世話になった。このルートさんについてはまた次回お話ししたいと思う。

(つづく)
by berlinHbf | 2013-01-11 17:20 | ドイツ全般 | Comments(2)

ハンブルクで迎えた年越し(2)

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St. Michaeliskirche Hamburg (2013-01-01)

内アルスター湖畔で迎えた年越しのカウントダウンは、花火と爆竹が乱れ合うすさまじいものでした。以前あれに懲りて、もう何年もカウントダウンは自宅で過ごしていました。ハンブルクはベルリンよりも上品なのではと思いきや、全然そんなことはなかった(笑)。時に目の前で放たれる爆音にビクビクしながら、半ば命がけの思いでホテルに戻った翌朝、ミヒェルこと聖ミヒャエル教会の塔にみんなで上ってみました。

エレベーターで上がった塔の展望台は、風と雨が吹き荒れ、少々つらいものがありましたが、私たちを喜ばせてくれたのが頂上で演奏していたアマチュアの金管アンサンブル。彼らが奏でる曲の中にはおなじみのコラールも入っていて、日本でいえば元旦に神社で甘酒を飲んだときのように(?)、心が少し温まりました。

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展望台からの眺め。内アルスター湖、右手には市庁舎の塔が見えます。こうして見ると、ハンブルクの中心部ではモダン建築がほとんどを占めているのがはっきり見て取れます。前回お話しした1842年の大火災と第2次世界大戦末期の大空襲により、歴史的建築は大部分が失われてしまったからです。

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こちらは港の方面。奥には大きなドッグがいくつも見えます。

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白亜の美しい礼拝堂の中に入ると、ラッキーなことに12時からの新年の礼拝が始まるところでした。説教の後、2つのオルガンを聴くことができたのがうれしかった。モーツァルトの自動オルガンのための音楽(だったか)も含まれていました。この教会はクラシック音楽とはとりわけ縁の深い教会ですよね。カールフィリップ・エマヌエル・バッハが音楽監督を務め(お墓は地下にあります)、ブラームスが洗礼を受け、マーラーが《復活》の着想を得た場所・・・。フェリックス・メンデルスゾーンもこのすぐ近くに生まれているので、ミヒャエル教会に全く来なかったとは思えません。

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元旦だけに閉まっているミュージアムもありましたが、倉庫街の一角にあるミニチュアワンダーランド (Miniatur Wunderland)は新年から観光客で大混雑。これが予想を超えるスケールでした。HOゲージのスケールにハンブルクを始め、世界の街並が再現されているのですが、世界最大規模というから驚きます(しかもまだ制作途中だとか)。ここはまた別の機会にご紹介できたらと思っています。

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ハーフェンシティにある紅茶メーカーMeßmerのカフェDas Meßmer Momentumで遅い昼食を取ってから、帰途につきました。ベルリンに戻るICEの車中での居眠りが心地よかったこと。2日間たっぷり歩きました。
by berlinHbf | 2013-01-09 23:57 | ドイツ全般 | Comments(2)

ハンブルクで迎えた年越し(1)

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St. Pauli-Landungsbrücken (2012-12-31)

遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。

ひょっとして東京よりも暖かいのでは?と思われた年末年始のベルリンの気候でしたが、天気は悪く、ほぼ毎日雨・雨でした。そんな大晦日に義理の両親たちを連れて、ハンブルクに行ってきました。あまり長くないドイツ滞在、ベルリン以外の街も見てもらいたいけれど、国外に出るほどの時間的余裕はないし、ということで選んだのがハンブルク。私自身これまであまり縁がなかった街なのですが、NHKドイツ語講座のハンザ都市の連載を機に、昨年から訪れる機会が増えました。私の故郷に近い横浜を思い起こさせる、港町の雰囲気が好きなのです。もっともここから北海まではまだ100キロ近くもあるのですが、かもめが頭上を飛び交い、塩の香りは(半分気のせいかもしれないけれど)十分に漂っています。

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2011年に100周年を迎えた旧エルプトンネル。対岸まで歩いて渡ろうと思ったのですが、日没が迫っていたために、ここで引き返しました。

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ランドゥングスブリュッケンから、公共交通のチケットで乗れるハンブルク交通の船に乗ってエルプ・フィルハーモニーまで行こうと思ったのですが、待てども待てども船はやって来ず。海風にさらされ、体も冷えてきたので、結局歩いてハーフェンシティの方に行くことに。

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やがて見えてきました、建設中のエルプ・フィルハーモニーが!一時工事は中断していたものの、最後に見た昨年3月よりは明らかに進行しているように見えましたが、実際はどうなのでしょうか。

ところで、今日の新聞の一面の見出しは「ベルリンの新空港、開業は早くて2014年に」。新空港については、怒りを通り越えてもはや諦めムードさえ漂っている気がしますが、このエルプ・フィルハーモニーも「その他の問題の工事現場」に挙げられているのですよね(こちらの新聞記事より)。

当初の完成予定は2010年だったそうですが、現段階では2017年だとか。もはや、ベルリンの国際空港といい勝負なのかもしれません・・・

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大晦日で印象に残っているのが「食事」です。夕方の17時頃、古くからの情緒が残るダイヒ通りDeichstr.を通った際、今年最後の夕食の予約をしようとダイヒグラフというレストランに入ってみたら、店内はまだガラガラにも関わらず、夜はもう予約で一杯とのこと。代わりに紹介してもらったお店も無下にお断り。「これはもうホテルで何か食べるしかないのかなあ」と諦めかけた4軒目で聞いてみたら、いま食べるのだったらいいとのこと。正直、それほどまだお腹は空いていなかったけれど、ここでありがたくいただくことにしました。

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このレストラン、店内の雰囲気だけでなく、店員の方もとてもあたたかい感じで、「捨てる神もあれば、拾う神もありだなあ」とみんなで喜び合ったのでした。Zum Brandanfang(火災の始まり)という店名がまた印象的。ハンブルクの歴史上、決して忘れられることのない1842年の大火災はこの家から始まったのです(そして奇跡的に焼失を逃れた)。火の粉を猛烈な勢いを増し、結局完全に消火されたのが、現在の中央駅に近いBrandsende(火災の終わり)という通りの辺りだったというから、その規模の途方もなさが伺われます。

天井に架けられているのは、実は古い紙幣。お店の人の話によると、かつてこの裏がハンブルクの港だった時代、航海に出る船乗りが旅の無事を願ってぶら下げていったものなのだとか。ハンザ都市の連載を持たせてもらった今年、最後にこのレストランで食事ができてよかったなあとしみじみ思ったのでした。

"Zum Brandanfang"
Deichstraße 25
20459 Hamburg

(つづく)
by berlinHbf | 2013-01-07 23:57 | ドイツ全般 | Comments(3)

秋のオランダ紀行(1) - ケルンに立ち寄って -

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ICEの車窓より

今年は取材旅行も含めると、旅に出る機会が例年より多いのですが、ブログに旅日記を書き始めてはみたものの、途中で止まってしまっているものが少なくありません。心苦しくはあるのですが^^:)、記憶の鮮明な順からということで、今回の家族旅行を振り返ってみたいと思います。


今回ドイツ初訪問の父。ベルリンの街を案内した後、せっかくだからということで、数日間遠出することになった。いろいろ話し合った結果、行き先はオランダに決まった(なぜオランダになったのかということはまた後で)。

23日(火)、ベルリン中央駅7時48分発のICEに乗って、一路ケルンへ向かう。ヨーロッパの主要都市へは飛行機で行くのが大抵一番早くて安いという時代だが、鉄道にも乗りたいし、自分で車も運転したいという弟の希望によりこのルートに。この日は曇り空だったが、ヴッパタールに着く前から好天し、山間部の美しい紅葉の車窓を楽しむことができた。DBにしては珍しく(?)遅延もなく、12時過ぎにケルン中央駅着。

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何度見上げてもその偉容に圧倒される大聖堂。荘厳な内部を見て回った後(下の写真は床のモザイク)、弟の希望で大聖堂のてっぺんまで上ることに。

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私自身はケルンに何度か来ているが、509段の階段を上るのは初めてドイツに来た98年2月以来となる。あの冬の日は厚い雲がたれ込めていたなと思う。決して広くはない階段のうえ、上り下り共用のため、人とすれ違うたびに緊張感を感じる。なんとかてっぺんに到達したときは太ももがパンパンに張っていたが、そろそろ70に近い父が自分たちと同じペースで上ってきたのには感心した。

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大聖堂の屋上からの眺めを見ても、現在のケルンは決して美しい街並みとは言いがたいところがあるのだが、さすがローマ時代に端を持つ古都だけに、ベルリンでは決して見られないものに出くわすことがある。これはローマ時代の下水道施設だとか。

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16世紀にルネサンス様式で建てられたケルン市庁舎。

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その横にこんなプレートを見つけた。1963年6月23日にJ・F・ケネディがケルン市民に向かって演説をした場所だそう。彼がベルリンであの有名な"Ich bin ein Berliner"の演説をしたのは、その3日後だ。

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市庁舎の周辺は、至るところで発掘作業が行われていた。それも驚くような規模で。通りゆく人が物珍しそうにフェンスから覗き込んでいる。ここはシナゴーグを始め、ヨーロッパでも最古にして最大の部類に入るユダヤ人地区があった場所らしい。この遺跡群を今後どのように保存するのかはわからないが、現代のケルンでこんな作業が熱心に行われているのは面白い。

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私にとってケルンでもう一つ興味を惹かれるのが、ハンザ都市としての側面。少々意外なことに、中世の時代、ケルンはハンザ同盟に属していた。NHK「テレビでドイツ語」の連載のお陰で、昨年から多くのハンザ都市を訪ねているが、あの時代に典型的な商人の館を見つけるとうれしくなってしまう。アルター・マルクトに面したカフェでお昼を取り、ライン川のほとりを少し散歩。

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フィッシュマルクトのかわいらしい住居群。

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時刻がいつの間にか16時に近づいたところで、短いケルン滞在も終わり。中央駅に戻って、レンタカーを借りる。弟の運転で、一路オランダへ。今回は自分で運転する必要がないので、気分が楽^^。時折うとうとしながら、20時を回った頃、暗闇の奥に風車の姿が浮かび、ライデンの旧市街に到着した。

(つづく)

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by berlinHbf | 2012-10-29 23:15 | ドイツ全般 | Comments(0)

9年ぶりのバイロイト訪問(1)- 田舎生活を体験! -

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Bayreuther Festspielhaus

「8月3日の《タンホイザー》を聴きにバイロイトまで来る気はある?私のところに泊まってくれて構わないし、バイロイトには義妹もいるわ」

7月の初旬だったか、知人のメヒティルトさんからこんな電話をいただいた。
メヒティルトさんは、私がベルリンに来た当初に知り合い、以来何かとお世話になっているドイツ人のご夫人。2007年に生粋のベルリンっ子の彼女とのロングインタビューをこのブログに掲載したことがある。

彼女は13歳(!)のとき以来、かれこれ半世紀近くバイロイト音楽祭友の会の会員というヴァグネリアンでもある。私が2003年に初めてバイロイト音楽祭を経験できたのも、彼女あってのことだったが、早いものであれからもう9年の月日が経っている。この上なくありがたい申し出を断る理由はもちろん何もなく、妻と出かけることになった。

関連記事:
バイロイト談義(上) - メヒティルトさんに聞く(2) - (2007-03)
バイロイト談義(中) - メヒティルトさんに聞く(3) -
バイロイト談義(下) - メヒティルトさんに聞く(4) -

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8月1日朝、ベルリンのバスターミナルからミュンヘン行きのバス「バイエルン・エキスプレス」に乗り、約4時間後、バイエルン州北部の町ホーフに到着。バス停までメヒティルトさんが車で迎えに来てくれた。彼女の夏の別荘は、ここからさらに車で30分近く行ったところにある。数日ぶりというほぼ快晴の天気。ゆるやかな丘陵をいくつも乗り越えて進むと、突如前方に、小高い山の頂きに白い球体が乗っかっている光景が目に入った。冷戦時代のアメリカのレーダーの跡だそうだ。この地域は旧東独のチューリンゲン州と境を接しているので、ここから東側の情報をキャッチしていたのだろう。私は、ベルリンのトイフェルスベルクの山頂に、同様に残るレーダーを思い出した。メヒティルトさんがこんな話をしてくれた。「1960年代に、別荘の物件をいくつか見て回ったとき、私の父が『ここからの眺めは(トイフェルスベルクに近い自宅のある)ライヒ通りに似ているね。よし、ここに別荘を買おう!』と言って、ほとんどその一言で、この場所に決まったのよ(笑)」

ヘルムブレヒツという町の郊外にあるメヒティルトさん一家の別荘には、2003年に私は一度訪れている。静かな農村で、周りの風景はあのときと何も変わっていない。私たちはここで2日間ほど、ドイツの田舎生活を経験することになった。

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後ろに見えるメヒティルトさんの家は、携帯の電波さえも届かないが、この丘の上まで来るとかろうじてネットにつながった。ここぞとばかり、必要最低限メールだけ大急ぎで送る。

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家のお庭。天気がよかったので、朝食と昼食はここでいただいた。ご主人のルートヴィヒさん(左)は今春で大学教員としての任を終えられたが、孫のやんちゃなミロン君の相手で結構忙しそうでした。

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ご馳走になった手作りのプラムとリンゴのケーキ。おいしい空気の中でのカフェタイムは格別!

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スーパーに買いものに行くにも、車がないと非常に不便な農村。そんな中、2週間に一度、バーバラさんという女性が、赤いワゴンに乗ってこの辺りに野菜や果物を売りに来てくれる。メヒティルトさんとは10年以上前からの顔なじみとか。

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翌日は、30キロほど離れたクルムバッハ(Kulmbach)へ遠足に。山の上のプラッセンブルク城からの眺め。ここ数ヶ月、ハンザ都市の連載で、北ドイツの町を歩く機会が多かっただけに、地形、人々の気質、住居の建築、何もかもが異なる南ドイツの街歩きは新鮮でした。クルムバッハは古くからビール醸造で有名な町。右の方に見える煙突は、ビール工場のようです。

(つづく)

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by berlinHbf | 2012-08-08 23:12 | ドイツ全般 | Comments(0)

ハンブルクの港祭りにて - Queen Mary 2の出航 -

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忙しくもなかなか充実していた5月のことを、これから振り返ってみたいと思います。まずは、先月初旬の週末にハンブルクに行った時のこと。ベルリンからハンブルクまで、一昔はインターシティでも3時間近くかかりましたが、今はノンストップのICEでわずか1時間40分ほど。近くなったものです。にも関わらず、この港町を訪れるのは実質10年ぶりでした。

大学時代の同級生で、現地に住む友人夫婦がハンブルク中央駅まで迎えに来てくれ、地下鉄で港の方に行ってみることにしました。偶然、この日は港創立記念日(Hafengeburtstag)だったのです。Rödingsmarkt駅を過ぎると地下鉄は大きく右に回り、エルベ川に沿って走ります。ここからの車窓は素晴らしい。川といってもさすがに貫禄十分で、ここから海まで110キロも離れているとは到底思えません。どこか横浜の港にいるような気分になりました。ハンブルクの港祭りは、毎年約100万人が訪れる世界最大の港祭りだそうで、地下鉄のLandungsbrückenの前には、日頃は見ることのできない大型帆船などがたくさん集まっていました。

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HafenCityと呼ばれる斬新な建築が建ち並ぶエリアを歩いて行くと、港祭りの目玉が目の前に現れました。世界最大級の客船、イギリスの「クイーン・メリー2世」がこの日に合わせて、停泊していたのです。

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写真ではうまく伝わらないかもしれませんが、こんな大きな客船、実物では見たことがありません。もう少し待てば出航のシーンが見られるというので、せっかくの機会、強い風を浴びながらも妻と待ってみることにしました。

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しかし、待てども待てどもなかなか出てくれなくて、気付いたらもう2時間が経過。ようやく船員がせわしなく動き始め、岸壁とのロープが外れ、「ブオーー」という腹に響く汽笛と共に、この巨大な船体にしては驚くほど滑らかに動き出しました。

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周りの人が手を振ると、船上の彼らも応えてくれます。大型客船の出航というのは、鉄道とも飛行機とも違う、得もいえぬ感動がありますね。

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快晴の日曜日、手を振って歓声を上げる人々。

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ここまで離れて、ようやく全長345メートルの船体の全貌が、1枚の写真に収まりました。

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現在建設中のハンブルクの新しいコンサートホール、Elbphilharmonieを横目に、Queen Mary 2は悠然とニューヨークを目指して旅立って行ったのでした。

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by berlinHbf | 2011-06-08 17:03 | ドイツ全般 | Comments(5)

ルール地方見聞録

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今回の出張では写真はわずかしか撮っていないのですが、駆け足で振り返ってみたいと思います。まずこちらは、エッセンのツォルフェライン旧炭鉱跡 (Zeche Zollverein)。ご覧のように、バウハウスの影響を受けた建物のデザインから「世界一美しい炭鉱」などと呼ばれ、世界遺産にもなっています。昔の建物はほとんどそのまま残し、美術館、コンサート会場、夏はプール、冬はスケートリンク、などといった具合に再利用され、巨大な文化施設に生まれ変わっています。その規模たるや圧巻。入場は無料ですが、ある程度言葉がわかる方はガイドツアーに参加することをおすすめします。いくら建物のデザインはすぐれていても、炭鉱の労働条件は最悪だったそう。ドイツの高度成長を支えたルール地方、そこでの労働者がどういう環境で汗水を流していたのかが五感で伝わるようになっていて、感銘を受けました。

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炭鉱に隣接したコークス工場。
2日間車を運転してくれたトルコ人のドライバーさんは、父親がやはりあの時代出稼ぎでドイツに来たそうで、この地域にまつわる話をいろいろ聞かせてくれました。ちなみに、彼の息子さんはU17のトルコ代表にも選ばれているサッカー選手。ひょっとしたらこれから有名になるかもしれないので、Tolga Erginerという名前を覚えておこうと思います。

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ルール地方には、炭鉱時代のボタ山がいくつも残っていて、頂上にユニークなモニュメントを置いて人目を引いているものがあります。これはボットロップという町にあるTetraederなるもの。手前の人影と比べれば、どれほどの大きさかわかると思います(高さは50メートル!)。高所恐怖症の人でなくても、てっぺんまで上るには勇気がいりそう^^;)。時間が限られていたこともあって、私は遠慮しました。

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ボタ山からの眺め。ルール地方の風景は基本的にこんな感じです。地味でどこか殺伐としているという印象は否めません。トルコ人のドライバーさんは、「このルール地方がドイツを今のドイツにしたんだよ」と何度も言っていましたが、これもまた納得。中央の丸い筒のような建造物はオーバーハウゼンのガスタンクで、ヨーロッパでも最大級の規模。現在はアートスペースに生まれ変わっていて、„Sternstunden – Wunder des Sonnensystems"という太陽系をテーマにした展覧会は一見の価値があるものでした(月のインスタレーションがすごかった)。

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やはり近年再開発されたデューイスブルクの内港(Innenhafen)。昔の倉庫を改装した古い部分と対岸の現代建築とのコントラストは、ベルリンをもどことなく想起させます。

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デュッセルドルフ近郊のノイスという街のさらに外れにあるランゲン美術館。安藤忠雄の建築。かつてNATOのロケット基地だったという平原にぽつんと建っているのですが、ここは本当に行ってよかったです。月曜日もオープンしているのがありがたかった。

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最後に訪れたフランクフルト・アム・マインは、ちょうどLuminaleという光の祭典が開催中で、街の多くの場所がアーティスティックなイルミネーションで彩られていました。旧市街のレーマー広場にて。

今回お世話になった方々は無事日本に飛べたのか、それがちょっと気がかりです。

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by berlinHbf | 2010-04-22 00:45 | ドイツ全般 | Comments(4)

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