ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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Fête de la Musique体験記

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筆者が出演したフルート・アンサンブル。入場無料、ギャラなしがこの音楽祭の基本ルール ©Gerrit Wegener

「フルート・カルテットを組んで、
Fête de la Musiqueに出てみない?」。春のある日、フランス人とドイツ人の両親を持つ友人がふと言いました。彼女は、ベルリンのアマチュア・オーケストラで何度も一緒に演奏したことがある音楽仲間。私はこの「フェット・ドゥ・ラ・ミュージック」のことを何も知らぬまま、ほかのメンバーと定期的に集まってフルート四重奏の練習をすることになりました。

「音楽の祭典」を意味するこの音楽祭は、1982年にフランス文化省の提唱によって産声を上げました。「音楽はすべての人のもの」という基本精神に則り、プロ、アマ、老若男女問わず誰でも無料で参加できるのが特徴で、夜が1年で最も短い夏至の6月21日に毎年開催されます。人気の高まりとともに海外にも広まり、今やドイツだけでも45都市で開催されているそうです。

さて、迎えた6月21日の遅い午後、私たちは自転車に乗って地下鉄のシェーネベルク市庁舎駅の前に集まりました。この日の16:00から22:00まで、ベルリン市内の公共の場(街路、広場、公園など)であれば、基本的にどこでも事前申請なしに演奏して良いことになっています。

風がやや強かったので、譜面を洗濯バサミで留めて演奏開始! 正直なところ、「人通りがそれほど多くない街路で演奏して、聴いてくれる人がいるのだろうか」と若干心配していたのですが、自転車に乗った人やベビーカーを押した人たちが自然と足を止めて耳を傾けてくれました。私たちが演奏したのは、スメタナの「モルダウ」やメンデルスゾーンの「夏の夜の夢」(まさに夏至の夜がテーマの音楽!)のスケルツォなどクラシック作品から、「カリニョーゾ」「カーニバルの朝」といったブラジル音楽まで。最後はスピード感のある「熊蜂の飛行」を吹き終えると、お客さんが大きな拍手を送ってくれました。

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地下鉄のシェーネベルク市庁舎駅前にて ©Gerrit Wegener

続いて自転車に乗ってアイゼナハ通りへ。使徒パウルス教会の前の広場が次の「舞台」です。近くの公園にいた親子連れなどが足を止めてくれ、良い雰囲気になってきたのですが、突然強い雨が降り出しました。教会の方の厚意で中にしばらく避難させていただき、その後、肌寒い中なんとか最後まで吹き切りましたが、私たちの舞台はここで終了。近くのレストランで祝杯を挙げました。

この日はワールドカップのドイツ対ガーナ戦やCSD(同性愛者のパレード)もありましたが、ベルリンの多くの街角で無料コンサートが行われ、人気バンドの「エレメント・オブ・クライム」が登場したクロイツベルクのオラーニエン広場には、3000人以上ものファンが集まったそうです。私自身、コンサートホールや教会で演奏するのとはひと味違う、音楽の喜びを味わった1日となりました。
www.fetedelamusique.de
by berlinHbf | 2014-07-21 00:13 | ベルリン音楽日記 | Comments(1)

発掘の散歩術(21) - シェーネベルク自然公園を歩く -

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新緑が美しく映えるようになった季節、今回はちょっとユニークな公園をご紹介してみたい。

ベルリンの南側のターミナル駅、ズュートクロイツ駅からSバーンで南に一駅、森に囲まれたプリースターヴェーク駅を降りると、てっぺんの赤錆びた昔の給水塔が目の前に立ちそびえる。地図を見ると、ズュートクロイツ駅を頂点に、Sバーンと長距離列車、それぞれが走る2本の線路に挟まれた細長の三角形状の敷地があるのがわかる。遠くからも目立つ給水塔だが、ここがシェーネベルク南地域自然公園という大きな公園になっていることは、最近まで知らなかった。

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かつてのターンテーブルは今も稼働したのでびっくり

元々この敷地は鉄道の操車場だった。1952年、長年ベルリンの主要ターミナルだったアンハルター駅が廃止になると、その南側に位置する操車場も使命を終え、広大な土地は少しずつ自然に戻っていった。70年代後半に新しい貨物駅の建設計画が持ち上がると、環境運動に熱心な市民が猛反発し、開墾を食い止めた。多くの市民の努力の甲斐あって、やがて市から風景・自然保護地域に指定され、1999年に公園としてオープン。 2000年のハノーファー万博の公式プロジェクトに選ばれたことから、ベルリン以外でも知られる存在になったという。

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自然公園内に保存されている1940年製の蒸気機関車

入り口で1ユーロの入場料を払って中に入る。天気のいい日曜日だけに家族連れが多かった。給水塔の下には蒸気機関車の大きな車庫が今も構えている。近くに戦前の蒸気機関車も保存されており、わくわくした気分になってきた。この日は中に入れなかったが、車庫の中では前衛アートの展示やダンスのパフォーマンスが行われることもあるという。よく見ると、周囲にはさまざまなオブジェが飾られている。この自然公園は芸術や文化、教育との結び付きも大事にしているそうだ。

ここから北側に向かって歩いてみた。鉄道の操車場跡というと、だだっ広い空間を想像されるかもしれないが、意外にもこの自然公園にそういう場所はない。木がどこまでも生い茂り、細い遊歩道に 沿ってのみ歩けるようになっている。ベルリンのほかの多くの公園と違って、ここでは犬や自転車の持ち込みもバーベキューも禁止。「そのような余暇の楽しみは、隣接するHans-Baluschek公園でどうぞ」とHPにも書かれていたほどだ。ここはあくまで、貴重な植物や野鳥も生息する自然保護地域なのである。

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一直線の遊歩道が続くシェーネベルク自然公園

だが、この遊歩道に沿って歩くのは楽しかった。突然前にトンネルが現れたり、手作りの展望台があったり、ユニークなベンチやオブジェが置かれていたり、遊びが利いているのだ。遊歩道の下には、今もかなりの数の線路がそのままの状態で敷かれている。周囲の風景は自然に還りつつあり、枕木には苔が生えているが、産業化の象徴でもある鉄道の線路との調和が、奇妙な美しさを醸し出してい た。

緑のシャワーを存分に浴びながら、自然と産業遺産、アートとの融合を楽しむ公園、と言えるだろうか。そのために最適な季節がやって来た。
ドイツニュースダイジェスト 4月6日)


Information
シェーネベルク南地域自然公園
Natur-Park Schöneberger Südgelände


シェーネベルク南側に位置する18ヘクタールの自然公園。入場料は1ユーロ(14歳未満は無料)。敷地内には多くの線路のほか、今も機能するターンテーブルなども保存されている。マルツァーンの世界庭園やブリッツ庭園と同じく、グリーン・ベルリン有限会社が管理しており、3つの公園に共通の年間パス(20ユーロ)もお得。

住所:Prellerweg 47-49, 12157 Berlin
電話番号:(030)700 906 24
開館:毎日9:00~日没まで
URL:www.suedgelaende.de


カフェ・パレズュート
Café Paresüd


自然公園内にあるカフェ(Sバーンのプリースターヴェーク駅からすぐ近く)。土日のみの営業だが、緑に囲まれた中で、ブランチ(日祝の11:00~14:00)や種々のケーキなどを楽しむことができる。小さな子連れにもやさしい。150人まで収容可能な建物は、結婚式や各イベント会場としてもレンタルしているとのこと。

住所:Prellerweg 47-49, 12157 Berlin
電話番号:0173 208 30 23
開館:4~10月の土日祝11:00~18:00
URL:www.paresued.de

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by berlinHbf | 2012-04-12 12:43 | ベルリン発掘(西) | Comments(2)

元薬局のチョコレート屋さん

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先日、久々に会った友達と、前から一度行ってみたいと思っていたチョコレート屋に足を運んでみました。外観はそれほど目立たないのですが、中に入ってみて重厚な内装に驚くことになります。

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こちらがカウンター。高い天井とスタッコの彫刻。それだけでなく、木製の家具の重厚なこと。何も知らないでいきなり来た人は、ここで飲み物の注文をするだけでも緊張してしまいそうです。

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冒頭に答えを書いてしまいましたが、このチョコレート屋さん、元々は薬局だったのです。それも、1892年に創業したという古い古い薬屋。いつまで薬局として営業していたのかは知りませんが、現在建物は文化財に指定されています。そのため、内装を大きく変えることはできず、薬屋時代の棚や引き出しがそっくりそのまま引き継がれているというわけなのです(オープンは2009年6月)。ぎっしりとおいしそうなチョコレートが収められたこの向こうには、小さなカフェのスペースがあり、さらにその奥には子供用の小さな遊び部屋も用意されていました。

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入り口近くの大きな窓からの眺めもよかったです。向こう側に見えるのは、『素顔のベルリン』のシェーネベルクの章でも紹介している、硬質レンガを使った珍しい装飾のアパート。1895年建造なので、手前の薬局が建てられたのとわずか3年違いということになります。

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このWinterfeldt Schokoladenは、名前の通りヴィンターフェルト広場のすぐ南側(最寄り駅はU Nollendorfplatz)。カフェとしても利用でき、ここのホットチョコレートはなかなかおいしかったです。この2軒先には、私がベルリンに来た当初から時々通う韓国料理のインビスがありますが、その話はまたいずれ。

Winterfeldt Schokoladen
Goltzstraße 23/Ecke Pallasstraße
10781 Berlin
Tel.: +49 030 23 6 23 25 6
http://www.winterfeldt-schokoladen.de

Mo-Fr 9:00-20:00
Sa, So 9:00-18:00

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by berlinHbf | 2010-10-30 18:36 | ベルリンあれこれ | Comments(3)

シェーネベルクのカフェ「ダブル・アイ」

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第2次世界大戦中にベルリンに住んでいた人の回想録を読むと、コーヒーにまつわる話がよく出てくることに気付きます。当時、コーヒー豆がいかに貴重だったか、そして人々がそれを手に入れるためにどう工面したか等々。例えば『ベルリン戦争』(邦正美著)という本には、コーヒー豆でガソリンが買えたという驚きの事実が記されています。そんな時代は遠い過去となりましたが、ベルリーナーとコーヒーにまつわる話を読むと、1杯のコーヒーがより味わい深く感じられるから不思議です。

前置きが長くなりましたが、今回はそんなベルリンでとびきりのコーヒーを飲ませるお店をご紹介しましょう。

シェーネベルクのアカーツィエン通りは、カフェやレストランがとりわけ密集する通り。地下鉄U7のアイゼナッハー・シュトラーセ駅(Eisenacher Str.)で降り、なだらかな坂を上って行くと、やがて右手にそのお店は見えてきます。2つの目をイメージした大きな看板が目印のカフェは、名前もそのまま「ダブル・アイ」。しばしば行列ができているので、すぐにそれとわかると思います。

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小さな店内は人でいっぱい。ようやく順番が回ってカプチーノを注文すると、バリスタが立派なコーヒーマシンで煎れてくれます。何より目を見張ったのが、きめ細やかな泡の上に彩られたハート型模様の美しさ。これはもう芸術品といっても過言ではないほどです。

気になるお味ですが、「これほどまろやかでコクがあるカプチーノは初めて」と言いたくなるぐらいの美味しさ。エスプレッソの苦みはしっかり効いているのですが、のど越しがよく、まさにコーヒーを飲むことの至福を堪能できました。

それも驚くことなかれ。「ダブル・アイ」のオーナー、アルノ・シュマイルさんは、数年前にバリスタ世界選手権でチャンピオンに輝いたこともある名手なのです。エスプレッソ77セント、カプチーノ1.79ユーロ、ラテマキアート2ユーロという割安感も魅力で、このコスト&パフォーマンスにもこだわりを感じました。

店内はとても小さく、ゆっくりくつろげるタイプのカフェではありません。頼んだものをテイクアウトして足早に去って行く人の姿もよく見られます。それだけに、「本当に美味しいコーヒーを求めて、みんなが集まってきている」と思わせてくれるカフェなのです。
ドイツニュースダイジェスト 5月21日)

Double Eye
Akazienstraße 22
10823 Berlin
月~金 09:31~18:29
土 10:05~15:29

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by berlinHbf | 2010-05-21 01:30 | ベルリン発掘(西) | Comments(8)

シェーネベルクのガソメーター

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Leuthener Str.にて(2009年3月17日)

NHK「テレビでドイツ語」も今週から始まり、今日からいよいよ4月ですね。

「映画で歩くベルリン」の第1回で取り上げたマレーネ・ディートリッヒの生まれ故郷、シェーネベルクの通称「赤の島」。この近くを歩いていると、あるいは近くを走るSバーンに乗っていると、巨大な建造物が目に留まります。

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シェーネベルクのランドマーク、ガソメーター(Gasometer)です。ガソメーターとはガスタンクの意味で、ベルリンの有名な建築家アルフレード・メッセルの設計により、1908年から10年にかけて造られました。なので、今年で完成からちょうど100年ということになりますね。

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近くに寄って見上げると、これがすごい迫力。高さは78メートルあり、完成当時はヨーロッパで3本指に入る大きさのガスタンクだったそう。

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1990年代に操業を停止してからは、文化財として保存されています。ガソメーターを含めた旧Gasagの敷地をうまく再利用できないかと、3年ほど前から私立の環境・エネルギー研究の大学を作る案が挙がっているのですが、実現の目処は立っていないようです。が、去年、このガソメーターのてっぺんまで上るツアーというのが始まったんです(今年も4月から再開。詳しくはこちら)。

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Foto: DPA

写真を見る限り、この高さでも安全ベルトのようなものは付けていなさそう^^;)。Sバーンの車窓から、このツアーに参加中の人たちの姿が目に入ると、高所恐怖症でない私でもゾクゾクっときます。ちなみに、参加費用は35.95ユーロと結構なお値段。とりあえず私はいいので^^;)、参加した方の声を聞いてみたいですね。

ヨーロッパのガソメーターで、有名かつうまく再利用されているのは、オーバーハウゼンとウィーンのものではないでしょうか。そのうちオーバーハウゼンのは今月見に行く予定なので、楽しみにしています。

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by berlinHbf | 2010-04-01 23:57 | ベルリン発掘(西) | Comments(8)

フルトヴェングラーの生家

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先日、NHKドイツ語講座の連載「映画で歩くベルリン」の取材でシェーネベルクを歩いていたら、前々から探していたあるものにようやく出会いました。タイトルにある通り、指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886–1954)の生家です。

Uバーンのノレンドルフ広場(Nollendorfplatz)駅の南側にマーセン通り(Maaßenstraße)という賑やかな通りが続いていますが、この一角にあります。写真右手に見えるのが、ノレンドルフ広場の地上駅、左手のビル内には格安の語学学校Hartnackschuleがありますね(私もベルリンに来て間もない頃お世話になっていました。本館はモッツ通りの5番地)。

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フルトヴェングラーの生家はマーセン通り1番ということは知っていたのですが、どうしてもこの番地が見つからない。で、歩き回ってわかったのは、現在のNollendorfplatzの8-9番地にかぶさっているようでした。駅前のスーパーKaiser'sが目印のモダンなアパートがそれです。

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ドアの上のプレートには、「フルトヴェングラーの生家がここにあった」と確かに書かれていました(生まれたのは1886年1月25日)。「ベルリン・フィルの常任指揮者」の他に、「作曲家」だったとも記載されています。フルトヴェングラーは青春期をミュンヘンで過ごすことになるので、実際ここに住んだのはどのくらいの期間だったのでしょうか。

それにしても、フルトヴェングラーの生家が、こんな身近な場所にあったとは!ちなみに、お墓はハイデルベルクにあるそうなので、いつか訪ねてみたいと思っています。

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by berlinHbf | 2010-03-29 14:28 | ベルリン発掘(西) | Comments(16)

「赤の島」のマレーネ・ディートリッヒ

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Leberstraßeにて(2008年8月)

ベルリン生まれのもっとも有名な女性といったら、今でもやはりこの人だろうか。

マレーネ・ディートリッヒ(1901-1992)。彼女の生家は、シェーネベルク地区東端の三角地帯、通称「赤の島」の中にある。昨年夏、Café Bilderbuchで友達とブランチした後、散歩がてら訪ねてみた。「赤の島」は昔から政治的に左寄りの人が多く住んでいることからこの俗称があるのだが、周囲に比べてアパートに装飾が少ないせいかいくらか殺風景な印象がある。20世紀の大女優はこういう界隈で生まれた。

関連記事:
天使の降りた場所(5) - ランゲンシャイト橋 - (2006-09-12) 「赤の島」について
シェーネベルクのCafé Bilderbuch (2008-07-26)

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これが1901年12月27日、ディートリッヒが生まれたSedanstraße(現Leberstraße 65)のアパート。

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65番地のアパートには記念プレートが2つ掲げられている。1つはブロンズ製で、90年代終わりにこの地区によって寄贈されたもの。ディートリッヒの肖像画の周りに、「モロッコ」「嘆きの天使(Der Blaue Engel)」など代表作のタイトルが刻まれている。

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そしてこちらが昨年7月に除幕されたベルリン市公式の記念プレート。「彼女は国際的な意義を獲得した数少ないドイツ人女優に属する。ナチ政権の誘惑的な申し出にも関わらず、アメリカに移住し、アメリカ国籍を得た。死後の2002年、ベルリン市は彼女に名誉市民の称号を贈った」と記されており、その下の"Ich bin, Gott sei Dank, Berlinerin"という台詞が胸を打つ。「やれやれ、私はベルリーナーでよかった」というような意味になるだろうか。故郷ベルリンへの思いと、「ドイツ人」であることへの複雑な気持ちが秘められている気がする。

戦後、一部のドイツ人から裏切り者扱いをされたディートリッヒだが、90年代になっても、シェーネベルクでは彼女の名前を冠した通りを付けることに対して賛否両論があったという。その後、ポツダム広場近くに「マレーネ・ディートリッヒ広場」(ベルリナーレのメイン会場前)が生まれたが、今頃になってようやく生家に公式プレートが飾られたのもそういう背景と関係があるのだろう。現在この近くに建設中の大きな公園を「ディートリッヒ公園」とする案もあるのだろうだ(ドイツ語の関連記事)。

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by berlinHbf | 2009-03-17 23:51 | ベルリンの人々 | Comments(4)

シェーネベルクのCafé Bilderbuch

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数日前、ちょっと用があってシェーネベルクに足を運んだので、この界隈の好きなカフェBilderbuchに久々に立ち寄りました。場所は、U7のEisenacher Str.からAkazienstr.に沿って歩いて5分ほど。あるいは、Kaiser-Wilhelm-Platzのバス亭を降りてすぐです。このカフェの数軒隣には、Fidelioという中古レコード&CD屋もあります。

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Bilderbuchは「絵本」の意味なのですが、店の看板の下にGalerie Kleinkunst Bibliothek(ギャラリー、小工芸、図書館) と書かれている通り、文学サロンの雰囲気を持ちながら、それでいて気楽に入れる素敵なカフェです。写真は新聞風のメニューとミルヒカフェ。

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長い廊下を突き抜けたところにある奥の部屋は、家具やソファのインテリアが重厚で、本当に昔のサロンのよう。小さな舞台もあり、コンサートや朗読会などがたまにここで開かれています。

Café Bilderbuch
Akazienstraße 28
10823 Berlin-Schöneberg
Telefon 030-78706057

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by berlinHbf | 2008-07-26 13:53 | ベルリン発掘(西) | Comments(12)

パラス通りの防空壕 - 天使の降りた場所(17) -

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Pallasstraßeの地上防空壕にて(2006年7月21日)

シェーネベルクのパラス通りに今もそびえているコンクリート製の巨大な地上防空壕(Hochbunker)の前に私が初めて立ったのは、昨年のワールドカップの決勝戦の翌日だったと思う。この通りはそれまで自転車で何度も通っていたのに、私がその存在に気が付くことはなかった。ご覧のように極めて無機質かつ地味な外見であるし、その上に幾煉も建つ集合住宅に組み込まれているので、大きさの割には目立たないのである。

改めてこの前に立ってみると、その威容にはやはり圧倒されるものがあった。建物の表にはシダが生い茂り、長い年月の経過を物語っている。本来の目的を失った防空壕は、ひたすら静かにその場に佇んでいるという感じだった。

実はこの防空壕は第2次世界大戦の末期、当時のソ連領から強制連行されてきた人々によって建てられたものなのである。建設が始まったのは、前回お話したこの向かいの「スポーツ宮殿」でゲッペルスが総力戦演説を行った約半年後のことだった。

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私はいろいろ調べていくうちに、ゾフィー・ショル学校(Sophie-Scholl-Oberschule) のHPを見つけ、そこに防空壕の歴史が細かく書かれていた。ゾフィー・ショル学校はほぼ日本の高校に相当し、この防空壕に隣接した場所に建っている。数年前から学校の生徒たちは、自分たちの身近な場所にある歴史の負の遺産を通じて、あの時代を忘れないようにするための課外授業に取り組んでいるのだそうだ。そもそもそのプロジェクトは、ある日ふと送られてきたウクライナ人の兄弟からの手紙がきっかけだったという。それがとても興味深かったので、自分なりに再構成して以下に内容をまとめてみようと思う。

1994年6月、ゾフィー・ショル学校にウクライナ在住のマリア・デレブヤンコという人から一通の手紙が届いた。宛て先はこうなっていた。「パラス通りとIsholf通りの角にあるアウグスト学校の校長先生へ。ドイツ連邦共和国」

実はマリアと兄のワシリーは、当時それぞれ12歳と16歳だった1943年の春、他の家族と共にソ連領のウクライナからベルリンに連行され、この防空壕を作るための強制労働をさせられたのだった。1945年5月の終戦と共に一家はウクライナに戻ることになる。それから長い月日を経た後の1990年代の初頭、ドイツ政府が戦争中に強制労働を課されていた人々に対して補償金を支払う意思があるというニュースを彼らは耳にした。2人はそのための手続きを踏もうとしたが、申請のためには「オストアルバイター」として働いていたことを示す資料が必要という。だが2人は思った。そんなものがどこにあるかなんて、今さら誰が知っているというのだろう?

当時、マリアとワシリーは建設中の防空壕に面したアウグスト学校を収容施設として住んでいた。「あの学校はまだあるに違いない」 2人はそう思い、もっとも住所など知る由もないので、宛て先は上記のような書き方になった。強制労働のためにベルリンに連れて来られた2人は、当時自分たちがベルリンのどこにいたのかもわからず、学校が爆撃された夜付近の住民の会話の中に「アウグスト学校」という言葉がたまたま出てきたことによって、ようやく自分たちの居場所を知ったのだった。

学校の名前は「アウグスト」から、反ナチ運動を象徴するヒロイン「ゾフィー・ショル」に変わっていたが、郵便屋さんはこの手紙をちゃんとゾフィー・ショル学校に届けてくれた。そして、学校側はこの不可解な宛て先の手紙をぞんざいに扱うことなく、誠意を持って対応した。マリアとワシリーは今でもそのことに感謝しているという。

その後、ゾフィー・ショル学校の歴史の教師とデレブヤンコ家との間で手紙のやり取りが始まった。ついにはウクライナに住む彼らの生活を支援するプロジェクトが発足し、マリアとワシリーが学校に招かれることになった。1996年5月、2人がベルリンのリヒテンベルク駅に降り立つと、69歳となった兄のワシリーは何はともあれまずシェーネベルクの防空壕を見たいと願った。彼は実に51年ぶりに、かつて自分が建設に携わった防空壕の前に立ったのだった。その時の気持ちは忘れられず、生きているうちにこのような形でこの場所に招かれることになるとは思わなかったという。

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マリアとワシリーは自分たちの体験を、ゾフィー・ショル学校の生徒たちに話して聞かせた。1日12時間の過酷な労働と慢性的な空腹状態。ベルリンへの空爆が激しくなるにつれて、学校の地下へ避難する必要性が増えていく。しかし、ドイツ人の住民が地下に避難できたのに対して、オストアルバイターたちは危険な上の階に連れて行かれた(元々の学校の生徒たちはこの時すでに安全な地域に疎開していた)。とりわけ1945年の2月2日から3日にかけての爆撃はすさまじく、多くの人が亡くなった。2人の頭には助けを求める人々の叫び声が長い間こびりついて離れなかったという。

兄のワシリーは、アウグスト学校にやって来た日のことから始まる当時のことを非常によく記憶していた。彼は近くのノレンドルフ広場駅に行って、ポーターとしていくばくかの金を稼いだり、食料の配給券をもらおうと試みたことがある。しかし東からの強制労働者は「OST(東)」と書かれたユニフォームを着ることが義務付けられていたため、人々から拒否反応を受けることも多く、「くそったれロシア人」と罵られることもあった。一方で、パラス通りに住んでいた当時14歳のある住民は、家の前にオストアルバイターたちがたむろしている光景を覚えている。だが、彼らがアウグスト学校の施設に抑留されている人々だとは知らなかったという。

ゾフィー・ショル学校とデレブヤンコ家との交流はその後も続き、生徒たちもさまざまな活動に取り組んだ。防空壕の至る所に、かつてここで労働させられた人たちの声を記したプレートがドイツ語とロシア語の両方で掲げられているが、これも生徒たちの案だという。

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戦後、パラス通りの防空壕は連合軍が爆破を数度試みたが、あまりに頑丈にできているため壊すことができず、結局そこに残された。1970年代に入って、防空壕の上に大きな集合アパートが建てられた。かつてのスポーツ宮殿(Palast)の跡地であること、そしてそのアパートには社会保護を受ける多くの外国人が住んでいることから、「社会宮殿(Sozialpalast)」などと呼ばれている。いずれにせよ、歴史の亡霊はいまもパラス通りに立ち続けているわけだ。

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マリアとワシリーは強制労働者の証明書をドイツでもらうことができたが、肝心のウクライナの役所の対応がひどく、補償金はいまだもらえていないとのことである。

(敬称略)

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by berlinHbf | 2007-01-18 14:42 | ベルリン天使の降りた場所 | Comments(8)

ベルリン・スポーツ宮殿 - 天使の降りた場所(16) -

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Pallasstraßeにて(2006年10月23日)

映画「ベルリン・天使の詩」の舞台を訪ねるこのシリーズは、またしても間が開いてしまった。それには一応訳がある。これから取り上げる場所というのがドイツの負の歴史と深く関わっていて、そうお気楽には書けそうにないという思いがあったからだ。でも、ここを越えないことにはベルリンの天使はいつまで経っても人間になれないので^^;)、これから2回に分けて書いてみたいと思う。

その場所とは、アメリカからやって来る「刑事コロンボ」のピーター・フォークを主人公に、第2次世界大戦を舞台にした映画を撮影するロケ現場という設定で、作品中に何度も出てくる巨大なコンクリート製の建造物のことである。この建物がどこにあってどういう意味を持つものなのか、ご存知の方はいらっしゃるだろうか?「ベルリン・天使の詩」を観るまで、私は何も知らなかった。

それがシェーネベルクのPallasstraßeにある戦時中に作られた防空壕だということがわかった時も、「ああそういえば、あの通りに何かあったなあ」と思った程度である。私は自転車でこの通りを何度も通ったことがあったけれど、この建物の存在を意識したことは全くなかった。ただ、日本の公団住宅のような形状の無機質なアパートがやたらと立ち並んでいる、ちょっと変わった場所だという思いは抱いていた。

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ポツダム通りとこのパラス通りが交差するこの場所は、実は曰くつきとも言える場所である。まずこの話からしなければならないだろう。

「ベルリン・スポーツ宮殿(Berliner Sportpalast)」という建物が、かつてここにそびえていた。1910年にリヒャルト・シュトラウス指揮のベートーヴェンの第9でオープンしたこのスポーツ宮殿は、約1万人収容の当時ベルリンで最大のホールだった。中でもここのスケートリンクは当時世界最大級と言われていた。1920年代には、しばしばここでボクシングの試合が開催され、Max SchmelingやSabri Mahirといったスターの技に人々は熱狂した。

だが、ナチスが台頭し、戦争の色が濃くなるにつれて、スポーツ宮殿は政治集会の場に使われることが増えていく。何といってもこの場所を有名にしたのは、ナチスドイツがソ連とのスターリングラードの戦いで敗れた直後の1943年2月18日、ヨーゼフ・ゲッベルスが国民に「総力戦(Totaler Krieg)」の必要を訴えた演説によってだろう。その内容と生々しい録音は、こちらのサイトで聞き知ることができる。ゲッベルスの狂気の演説に対して圧倒的な歓声で答える党員たち。聞いていて身の毛がよだつのを感じるほどだ。

その後スポーツ宮殿は1944年の空爆で大破したが、戦後屋根を修復して主にコンサート会場として使われ、1973年に解体されるまでこの地に建っていた。

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「ベルリン・天使の詩」の一場面より(1986年)。

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その20年後の様子。Luftschutzbunkerと呼ばれるこの防空壕は、スポーツ宮殿の通りをはさんだ向かい側に戦時中建てられたものだ。いよいよ次回、それについて書いてみたいと思う。

(つづく)

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by berlinHbf | 2007-01-10 01:12 | ベルリン天使の降りた場所 | Comments(7)

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