ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
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本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

ベルリン更新情報
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ザクセンハウゼン強制収容所跡を歩く(4) -壁の向こうのガス室-

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Gedenkstätte und Museum Sachsenhausen (2014-02-22)

2007年に私が初めてザクセンハウゼン強制収容所跡を訪れたとき、正三角形の頂点に近い位置まで歩いたのだが、そこで引き返してしまった。それだけに、その数年後、壁の向こうに「隠れて」いたものを目にした驚きは大きかった。

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壁を抜けると、大きな壕が最初に視界に飛び込んでくる。

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この場所に立ってみれば、これが銃殺用に作られた塹壕だということがすぐにわかるだろう。博物館のパンフレットには、「抵抗運動の闘士、兵役拒否者もしくはナチ特別裁判所で有罪判決を受けた者が処刑された」とある。奥まで寄って見上げてみたら、処刑のときに使われたであろう釣り鉤がまだ生々しく架かっていた。

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横の壁には、ヨーロッパの各国語で書かれた記念碑が掛けられていた。ドイツから見た「外国人」の多くもここで殺されたのだった。

この塹壕の隣には、目立たないが墓地の跡がある。火葬場で焼かれた犠牲者の灰が、親衛隊によってここでまかれたという。

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そしてもう一つ、私がわかっていることがある。あの当時、途方もない侮蔑と憎しみの中で殺され、拷問や空腹の中で死に至り、ガス室で殺され、絞首刑で殺戮された人々のことを国籍問わず心に刻むことなしに、将来のヨーロッパは存在し得ない。
Andrzej Szczypiorski, 1995
かつてザクセンハウゼンの捕虜だったAndrzej Szczypiorskiという人の言葉が刻まれた入り口から中に入ると、そこは火葬場跡。ここは「Z部」と呼ばれ、現在ザクセンハウゼン強制収容所の犠牲者の中央追悼所になっている。ザクセンハウゼンに来て、毎回いくらかの希望を感じることができるのは、いつ訪れても若い人々のグループに出会うことだ。

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1942年、ここにガス室と4つの焼却場からなるクレマトリウムが造られた。『戦時下のベルリン』(ロジャー・ムーアハウス著。白水社)という本によると、ガス室はシャワー室に見せかけられ、もはや働けなくなった囚人を処刑するために使われたという。この建物は1952年に爆破されたので、現在残るのは土台部分だけである。私はてっきりナチスが証拠隠滅のために爆破したのかと思っていたが、年号を見るとそうではないようだ。

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強制収容所跡を訪れて何を考え学ぶべきか、戦後30年の年に生まれた私はなかなか実感を持って語ることができない。それゆえ、最近読んで感銘を受けたアウシュヴィッツの生存者、プリーモ・レーヴィの著作からの一節を最後に引用したい。1947年に書かれた文章だが、ラーゲル(強制収容所)は「いま」の問題であり続けているのだと考えざるを得ない。

個人にせよ、集団にせよ、多くの人が、多少なりとも意識的に、「外国人はすべて敵だ」と思いこんでしまう場合がある。この種の思いこみは、大体心の底に潜在的な伝染病としてひそんでいる。もちろんこれは理性的な考えではないから、突発的な行動にしか現われない。だがいったんこの思いこみが姿を現わし、いままで陰に隠れていた独断が三段論法の大前提になり、外国人はすべて殺されなければならないという結論が導き出されると、その行きつく先にはラーゲルが姿を現わす。つまりこのラーゲルとは、ある世界観の論理的発展の帰結なのだ。だからその世界観が生き残る限り、帰結としてのラーゲルは、私たちをおびやかし続ける。であるから、抹殺収容所の歴史は、危険を知らせる不吉な警告として理解されるべきなのだ。

『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』(プリーモ・レーヴィ著。朝日選書)の序文より
(つづく)
by berlinHbf | 2014-03-28 20:00 | ベルリン発掘(東) | Comments(2)

ベルリン・東京友好都市提携20周年

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中根駐独大使、ディープゲン元ベルリン市長らによって、式典の最後に執り行われた鏡開き

2月21日、ベルリン市と東京都の友好都市提携20周年の記念式典が赤の市庁舎の大ホールにて開催され、日本とドイツの関係者が多数参加しました。

ベルリンと東京は近代都市として発展した後、第2次世界大戦で甚大な被害を受け、そこから復興を遂げてきた共通の歩みを持っています。その過程で両都市の交流が育まれ、1994年5月14日、鈴木俊一都知事(当時)がベルリン市を訪問した際、エーベルハルト・ディープゲン市長(当時)との間で友好都市関係を締結する共同宣言に調印したのでした。近年では、クンストラウム・クロイツベルク/ベタニエンとトーキョーワンダーサイトの間でアーティストのレジデンス交流が始まるなど、芸術分野での両市の交換も盛んになっています。

式典では、ベルリン市を代表してヘラ・ドゥンガー=レーパー次官が「ベルリンと東京は大都市に共通の問題も抱えているが、共に多様性に満ちた魅力ある都市であり続けていきたい」と挨拶。中根猛駐ドイツ大使は、その祝辞の中で2020年の東京オリンピック/パラリンピックに触れ、今年、東京とベルリンの両都市のマラソン大会で行われる市民ランナー同士の交流を紹介しました。2月末に開催された東京マラソンでは、前年のベルリンマラソンで好成績を収めたドイツの市民ランナーが2人招待され、逆に9月28日のベルリンマラソンには東京からのランナーが招かれるそうです。ベルリン市が、東京大会の次の2024年夏季五輪に立候補するかどうかも、今注目されています。

その後、ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団のコンサートマスターを務めるヴァイオリニストの日下紗矢子さんと、ベルリン在住のピアニスト福間洸太朗さんという2人の音楽家の共演により、細川俊夫さん編曲の「五木の子守唄」、R・シュトラウスのヴァイオリンソナタが奏でられ、大喝采を浴びました。

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日下紗矢子さんのヴァイオリンと福間洸太朗さんのピアノによる共演

式後のレセプションでは寿司やカレーソーセージなどが振る舞われ、私は外交官や企業人として東京に縁の深いドイツ人の方々と歓談することができました。彼らが流暢な日本語で東京や日本への強い思い入れを語る様子を見て嬉しく思うと同時に、東京もベルリンも、外から来る人々を温かく迎える世界都市であり続けてほしいと強く感じた次第です。

今年は友好都市20周年を記念した多くの行事がベルリンで行われます。スポーツから音楽、講演会、落語などの古典芸能、学術交流に至るまでプログラムは多岐に渡ります。詳細はwww.berlin.de/senatskanzleiにてご確認ください。
ドイツニュースダイジェスト 3月21日)
by berlinHbf | 2014-03-21 11:25 | ドイツから見た日本 | Comments(0)

ザクセンハウゼン強制収容所跡を歩く(3) - バラック跡 -

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Gedenkstätte und Museum Sachsenhausen (2007-02-10)

ザクセンハウゼン強制収容所のことをブログに書き始めてから、ある知人の方が指摘してくださったのだが、ここはとにかく広いので、歩き慣れた靴で行くことは大事かと思う。またベルリン市内から片道1時間20分程度かかることを考えると、できるだけ午前中の早めの時間に出発することをお勧めしたい。ちなみに、強制収容所跡は毎日8時半からオープンしている(博物館は月曜定休)。

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ところで、過去に訪れたときの写真を見比べていると、あることに気付いた。これは2010年7月末に訪ねた際の写真。

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そしてこちらは2012年3月に再訪した際の写真。鉄でできた大きな長方形の枠の中に、無数の石が敷かれているのがわかる。このようなものがあちこちに点在するのだ。これは一体?

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今はもうないバラックが、かつてどこに並んでいたかがわかるよう可視化の試みがされていたのだ。本と同じように、こういった記憶の場所においても、最新の研究成果を取り入れつつ、よりよく伝えるための「改訂作業」が今も続けられているのだと実感した。

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やがて見えてくるのが、東ドイツ時代の1961年に建てられたモニュメンタルな記念碑。

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2007年冬に初めてザクセンハウゼンを訪れたときは、記念碑の右手奥にある壁の展示を見て、そのまま引き返してしまった。情報不足だったこともあるが、その向こう側に何かがあるとは当時は思いもしなかったのだ。

(つづく)
by berlinHbf | 2014-03-19 12:49 | ベルリン発掘(東) | Comments(0)

発掘の散歩術(44) -地下鉄博物館で途中下車!-

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オリンピアシュタディオン駅にある地下鉄博物館の入り口

地下鉄は、ベルリンの街並みを形作る上で欠かせない乗り物の1つだ。黄色い車体の電車が、今日も地下から高架まで縦横無尽に駆け抜ける。

ベルリン初の地下鉄がポツダム広場~シュトラーラウ門(現在のオーバーバウム橋のたもと付近)の間を走ったのは、1902年2月18日のことだった(これは欧州で5番目、ドイツでは初となる)。時の皇帝ヴィルヘルム2世は地下鉄道なる新しい乗り物に対して懐疑的で、多くの市民は「鉄道が轟音を立てながら地底を走るなど不気味」と感じていたらしい。

それから100年以上が経った。現在10路線、総延長146キロに及ぶ地下鉄は、ベルリンのランドマークとして、この街を舞台にした映画や小説にも脇役としてよく登場する。

そんなベルリンの地下鉄に特化した博物館があるのをご存知だろうか? 地下鉄U2のオリンピアシュタディオン駅で降りて階段を上がると、新旧の車両の先頭部分が並んだ入り口が目に入る。月に1日しかオープンしていないこともあって、ようやく都合を合せて訪ねることができた。

階段を上がって行くと、賑やかな声が聞こえてくる。2階の入り口には木製の古い窓口が構え、年配の「駅員さん」が昔の切符販売のように入場券を売ってくれた。いきなりの粋な演出にニヤリとしてしまう。

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1920年代の電車の運転台

鉄の匂いが立ちこめる館内はいくつもの部屋に分かれ、地下鉄に関する展示が所狭しと並ぶ。様々な時代の路線図、駅や行き先名のプレート、赤い光沢を放つ座席、制服等々。もちろんどれも昔、実際に使われていたものだ。子どもの頃、運転士に憧れていた者としては、各時代の電車の運転コントローラーを動かしながら、自然と頬がほころんでしまう。この博物館の1つの目玉が、長さ14メートルにおよぶコントロールパネルだ。もともとこの建物は、1931年から83年まで欧州最大規模の信号扱い所として使用されていた。窓の外を見ると今も広大な操車場が広がり、時々真新しい電車が通り過ぎて行く。

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地下鉄に関する無数の展示品が並ぶ館内

昔の切符のコレクションを眺めていたら、年配のおじさんが説明をしてくれた。「昔の定期券は自宅と勤務先を繋ぐ線しか使えず、今のようにゾーン別になっていなかったんですよ。ここには子どもたちも多く訪れるので、教育の一環としての役目も果たしています」と嬉々とした表情で語るヴォルフガング・クラウスさんは、ベルリン地下鉄研究会のメンバー。もちろん先ほどの「駅員さん」もそう。この小さな博物館が15年以上続いているのは、歴史的な車両や資料の収集と保存に務める彼らの存在があるからこそで、中には元地下鉄職員もいるそうだ。

懐かしい切符切りのはさみをいじっていると、子どもの頃憧れていた、そして時代の波を受け、いつの間にか消えていった駅や電車で働く人々の姿を思い出した。奥にある発着案内の体験コーナーの部屋からは、そんな時代を知らないであろう今の子どもたちの声で、「3番ホーム、お下がりください!」のアナウンスが響き渡っていた。
ドイツニュースダイジェスト 3月7日)


Information
ベルリン地下鉄博物館 
Berliner U-Bahn-Museum


1997年にオープンした鉄道博物館。350点以上のコレクションを誇り、100年以上に及ぶベルリンの地下鉄の歩みを一望できる。パネルの説明表記はドイツ語のみだが、英語のパンフレット(無料)も置かれている。入場料は2ユーロ、12歳以下は1ユーロ。グッズの販売のコーナーも。

オープン:毎月第2日曜日の10:30~16:00(入場は15:00まで)
住所:Rossitter Weg 1, 14053 Berlin(地下鉄U2 Olympiastadion駅構内)
電話番号:030-25627171
URL:www.ag-berliner-u-bahn.de


ベルリンSバーン博物館 
Berliner S-Bahn-Museum


ベルリンにはSバーンの博物館もある。こちらはSバーンの同好会によって運営されており、地下鉄同様、起伏に富む歴史を歩んできたベルリンの「テツ」の世界を楽しめる(はず)。電車の運転シミュレーションを体験できるコーナーもある。場所はポツダム中央駅の2つ手前、SバーンのGriebnitzsee駅に面している。

オープン:4~11月まで毎月1回の週末、11:00~17:00(詳細は下記URLを参照)
住所: Rudolf-Breitscheid-Str. 203, 14482 Potsdam
電話番号:030-63497076
URL:www.s-bahn-museum.de

by berlinHbf | 2014-03-14 21:07 | ベルリンあれこれ | Comments(3)

震災3周年の日に大船渡を想う

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東日本大震災から3周年の昨日、ベルリンの日本大使館の前で小さな祈念行事が行われるというので、足を運んできました。主催の「絆・ベルリン」はこれまで数度に渡って岩手県大船渡市を中心にボランティア活動を行ってきたNPO法人。キャンドルを灯して、地震が起きた時刻に黙祷。犠牲者の方々に哀悼の気持ちを表し、復興を祈念しました。

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家に戻ってから、一昨年の5月に大船渡や陸前高田を訪ねたときの写真を久々に眺めながら、当時を振り返っていました。ブログの旅行記は、被災地のことを書くことの難しさを実感する機会もあって、最終日だけ書かないまま時間が過ぎ去っていました。もう2年近く経ってしまいましたが、あの旅でお世話になった方々を想いながら、綴ってみたいと想います。

2012年5月20日(日)、泊めてもらった大学時代の友人に連れられて、仮設の飲食店街で昼食。その後、市内のリアスホールという文化会館へ行く。大ホールでは確かお笑い芸人によるモノマネショーが行われていたが、私たちは貸スタジオの方へ。もともと友人とは大学時代のオーケストラで知り合い、彼はオーボエ、私はフルートを吹いていた。2人ともまだ細々と演奏活動を続けていて、友人は休みの日にここに来ては楽器を吹いているのだそうだ。この日は1時間半ぐらい、コピーして持ってきたバッハの譜面を何曲か吹いて遊んだ。一緒に吹くのはかれこれ大学生以来だったから、なかなか新鮮な時間だった。

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心理カウンセラーとして地元の学校で仕事をしている友人は、日頃の激務もあって一旦アパートに戻る。私は少しでも大船渡の街を歩きたいと思い、そこから港の方に向かって散策することにした。途中、JR大船渡線のレールとぶつかる。大船渡の盛から北に延びる三陸鉄道がドラマ「あまちゃん」などの影響で脚光を浴びたとのとは対照的に、大船渡線の盛-気仙沼間は復旧の目処がまったく立っていないという。最近の記事をいくつか読むと、復旧に向けた話し合いが持たれているようではあるが、費用やルート変更などの多くの問題が積み重なっている。

関連記事:
時論公論 「震災2年半 足踏みする鉄道復旧」(NHK)

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「かもめの玉子」で有名なさいとう製菓の本社だった建物。震災直後、社長がこの高台から撮影した津波の映像が忘れられない。市内にさいとう製菓の仮設店舗があり、そこでお土産を買って帰ることに。

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港から太平洋セメントの工場を望む。

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リアスホールが結構賑わっていたのに対して、私が歩いた道沿いで人とすれ違うことはほとんどなく、周囲は静寂が支配していた。

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大船渡駅があったところ。仮設の飲食店街はこの近くにある。

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あのときお世話になった方々やその前日の運動会で出会った人々はいまどうしているかなと思う。夜、「やまちゃん」という居酒屋でおいしいちらし寿司を食べてから、友人に見送られ東京行きの夜行バスに乗り込む。少し寝て、どのぐらい経った後だろうか。目が覚めて窓の外を見たら、陸路にいるにも関わらず目の前に巨大な船がどんと横たわっている。私は突然SF映画の世界に紛れ込んだような超現実的な感覚に襲われたが、すぐに正気に戻った。テレビや写真で何度も見た、気仙沼市鹿折に打ち上げられた第18共徳丸に間違いなかった。今どうなっているのかと思って調べてみたら、昨年夏からの撤去作業が終わり、すでに4ヶ月が経ったそうだ。

関連記事:
消えた「震災の記憶」客足まばらに 宮城県・気仙沼 打ち上げられた第18共徳丸

昨日の祈念行事の最後に、「絆・ベルリン」の福澤啓臣さんが「これからも息長く被災地を支援していきましょう」と呼びかけた。数は減ってきたけれども、「絆・ベルリン」や柏木博子さんが主催する震災孤児を支援するNPO"KIBOU"などは、被災地の支援を今も継続的に行っている。距離は大分離れているが、ベルリンとこの風景とはどこかでつながっていると思いたい。そして、いつかまた大船渡や陸前高田をゆっくり訪ねたいと思う。
by berlinHbf | 2014-03-13 00:21 | ドイツから見た日本 | Comments(1)

プレンツラウアー・ベルクの"nazuna"

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先週末、ベルリンは気温が一気に18度近くまで上がりました。数日前、そんな春の気配を感じさせる"nazuna"という名のお店に足を運ぶ機会がありました。

もう何年も前になりますが、"nazuna"のオーナーのTさんとは、共通の友達とコンサートでご一緒したことがあります。当時Tさんは調理師としてミッテのレストランで働いておられました。その数年後、彼女が自分のお店をオープンしたという話を風の便りで聞き、ずっと気になっていたのですが、今回ようやく初めて訪ねることができました。

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場所はプレンツラウアー・ベルク地区。U2 Eberswalder Straße駅から東に延びるダンツィガー・シュトラーセに沿って行き、プレンツラウアー・アレーとの交差点近くにありました。カウンターで「今週のお弁当」(7.5ユーロ)とお茶を注文し、大きな窓に面したテーブルに座りました。ここからの眺めがなかなかいいのですね。コルヴィッツ通りの奥に昔の給水塔が見え、さらにその向こうにはテレビ塔がぼんやり浮かび上がっています。かと思うと、アヒルのような顔をしたM10の黄色いトラムが頻繁に通り過ぎて行きます。

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やがて、お弁当が私たちのテーブルに運ばれてきました。ポン酢ドレッシングによる鳥の唐揚げが、ちょっと新鮮でおいしかったです。他にも煮豆やほうれん草のごま和えなど、健康に気を配った付け合わせがうれしい。この店オリジナルのお菓子も添えられていて、全部おいしくいただきました。「弁当」という食文化は素晴らしいと久々に実感。

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カウンターにはお惣菜のほか、パートナーのドイツ人パティシエの方による手作りのお菓子が並んでいるのですが、これがまたどれもおいしそうで・・・ゆずケーキ、黒豆入りチーズケーキ、さくらケーキなどなど。次回はこちらの方も試してみたいです。

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テイクアウトする人、店内で食べる人が頻繁にやって来て(ただし、店内にトイレはありません)、1人で対応するTさんはとても忙しそう。この間、日本人の客は私たちだけでした。ようやく少し時間が取れて、Tさんと立ち話。2011年にオープンして以来、最近は地元の常連さんも増え、口コミでお店の評判が広がっていることを喜んでいました。帰り際、「また来てくださいね。おおきに!」と京都出身の彼女の元気な声で見送られました。プレンツラウアー・ベルクにお越しの際は、ぜひ"nazuna"にも足をお運びください。

関連記事:
ハンドメイドライフ」というサイトで"nazuna"とTさんのことが紹介されていました(こちらより)。

nazuna
Danziger Str. 65, 10435 Berlin
Tel. 030 68 07 50 43
E-mail. info@nazuna-berlin.com
http://nazuna-berlin.com

Opening hours
月〜金12:00〜20:00、土12:00〜18:00
(日曜、第3土曜、第4月曜は定休)
by berlinHbf | 2014-03-10 15:07 | ベルリンあれこれ | Comments(4)

ザクセンハウゼン強制収容所跡を歩く(2) - A塔を抜けて -

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Genkstätte und Museum Sachsenhausen (2014-02-22)

インフォメーションセンターから収容所通りと呼ばれる通りを経て、ようやくザクセンハウゼン強制収容所の入り口にやって来た。中心に位置するA塔("Turm A")から中に入る前に、この位置の右手にある新博物館(Neues Museum)の見学をお勧めしたい。ここには、ザクセンハウゼン強制収容所の前身にあたるオラニエンブルク強制収容所と、東独時代の記念施設の歴史をテーマにした展示が並んでいる。オラニエンブルク強制収容所は、ヒトラーが政権を取った約2ヶ月後の1933年3月21日、中心部の元ビール工場内にプロイセン初の強制収容所として設立された。特にナチスから政治犯と見なされた人々がここで屈辱的な仕打ちを受け、中には殺害された人もいた。1934年7月13日に閉鎖されるまで、3000人以上の人がここに拘留された。

展示部分を抜けると、小さなカフェテリアとトイレがある。ものすごく広大な強制収容所の敷地にトイレはないので、ぜひ最初に立ち寄っておきたい。

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さて、有名な「労働する者は自由になる」の標語が刻まれたドアを抜け、いよいよ収容所の入り口であるA塔を抜けて敷地内に入る。誰もがこの広さに圧倒されるだろう。かつてはこの奥に、4列に渡って68棟のバラックが並んでいたのだ。

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中に入ると、かつて点呼広場(Apellplatz)と呼ばれた半円状の広場がある。ここで1日3回、後には朝と夜の2回、囚人が点呼を受けなければならなかったことからこの名が付いている。雨や雪が降ろうが、一回の点呼はしばしば数時間にも及んだという。この記念碑の場所には、絞首台が置かれていた。点呼広場に整列した収容者の前で見せしめを目的とした処刑が行われたのである。クリスマスの時期になると、親衛隊はここにクリスマス・ツリーを立てたという・・・。

奥に2つのバラックが見える。左は収容者の洗濯場だった建物。右は収容者用の調理場だ。調理場にはザクセンハウゼン強制収容所で起きた主要な事柄に関する展示があり、必見と言える。

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ナチス時代の収容所跡をこのブログで紹介するのは、これが3カ所目になる。最初は、2007年11月に訪れたアウシュヴィッツ(現ポーランドのオフィシエンチム)。一般的によく知られているのは第2のビルケナウの方だろう。絶滅収容所(Vernichtungslager)と呼ばれ、主にユダヤ人を殺害するため「だけの」目的で造られた殺人工場である。2番目は、2010年5月に訪問したテレージエンシュタット(現チェコのプラハの近く)。ここはマリア・テレジア時代の要塞を利用して使われたゲットーであり、町全体が強制収容所のような特異な場所だった。ご興味のある方は当時の記事をご覧いただけたらと思う。

それらに対して、このザクセンハウゼンは強制収容所(Konzentlationslager)だった。私が以前読んだ日本語のガイドブックには、「1945年までにここで10万人以上のユダヤ人が犠牲になった」と書かれていたが、大きな誤解を与える表現だ。ここに収容されたのはユダヤ人だけでなかったし、アウシュヴィッツやトレブリンカといった「絶滅収容所」とは目的が明確に異なった。もちろんザクセンハウゼンの収容者は過酷な条件のもとに置かれたが、絶滅収容所に比べると、生き残れる可能性は「それでもまだ」ずっと高かったということも留意すべきではないかと思う。

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1936年7月、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーがドイツ警察長官に任命されてから初めて建てられたのが、このザクセンハウゼン強制収容所だった。ここの大きな特徴は、首都のすぐ近郊に位置していたこともあり、ナチズムのモデルとなる強制収容所の役割を担わされたことだ。正三角形の底辺の中心に位置するA塔の前に立ってみると、ここからバラックの収容者に対して絶対的に服従させる構造になっていることがよくわかる(画面左上)。施設は次第に拡張され、ドイツの支配下にあった全ての強制収容所の管理本部、SSのための住居などが造られていった。終戦時には、オラニエンブルク市の3分の1近くの敷地が強制収容所だったというから驚くほかない。右手下には1940年に建てられた悪名高きレンガ工場が見える。最近読んだロジャー・ムーアハウスの『戦時下のベルリン』(白水社)には、こう書かれている。
煉瓦工場の作業環境は恐るべきものだったので、最初から懲罰分遣隊に入れられた囚人のためのものだった。そこで働く囚人の平均余命はわずか3ヶ月で、ザクセンハウゼンの平均余命より遥かに短かった。

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当初ここに収容されたのは、ナチ政権の政治犯が多かったが、やがて、ユダヤ人やシンティ・ロマなどナチによって劣等と見なされた民族、同性愛者、1939年の開戦後はドイツ占領下のヨーロッパ諸国から多くの人々が送られてきた。1936年から45年までの間に20万人以上の人々が収容され、数万人が飢えや病気、強制労働、虐待のために命を落としていった。これは、かつて拷問のために使われた台らしい。

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1939年10月28日のチェコスロヴァキアの独立記念の日、プラハでドイツの占領に対してのデモが行われ、1人の学生が殺害された。プラハの学生たちは衝撃を受け、さらなる抗議行動をした。それに対しゲシュタポは9人の学生を処刑し、保護領内の全ての大学を閉鎖。そして、1140人ものプラハと他都市の学生をザクセンハウゼンへと強制連行したのである。左の手紙は、11月20日、ある学生がチェコの両親のもとに宛てた葉書。自分の健康状態が良好であることを伝えているが、実際はもちろん、ドイツ語でそう書くように強制されていたのだった。

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調理場の地下には、当時収容者が食事のためのじゃがいもの皮を剥かされていた地下室がある。ここに残されているいくつかの壁画は、ナチス時代の強制収容所、そしてその後のソ連特設収容所の時代に、囚人が描いたものだそうだ。人間のユーモアの精神はこんな状況下においても発揮されてしまうものなのかと、ここに来る度に驚きを禁じ得ない。

(つづく)
by berlinHbf | 2014-03-07 22:02 | ベルリン発掘(東) | Comments(2)

東日本大震災3周年関連イベント@ベルリン

東日本大震災からまもなく3周年を迎えます。被災地で生きる人々や原発の問題は常日頃から自分の問題として考え続けなければと思いますが、被災地のいまに想いを寄せ、周りの人々と連帯するいい機会です。ベルリンで開催される関連行事をここでいくつかご紹介したいと思います。

みどりの1kWhさんの東日本大震災3周年関連イベント リンク集
べるりんねっと789さんのベルリンカレンダーなどにも関連情報が載っていますので、ぜひご参照ください。

- 展覧会「Distant Observations. Fukushima in Berlin」
日時:3月8日〜4月27日12:00〜19:00(3月7日(金)のオープニングイベントのみ19:00〜)
場所:Kunstraum Kreuzberg/Bethanien (Mariannenplatz 2, 10997 Berlin)
福島原発事故をテーマにした25組のアーティストのグループ展。オープニングの日はAzusa Kunoによるパフォーマンス「We don't have to be Fernando Pessoa」が披露される。
入場無料
http://www.kunstraumkreuzberg.de/start.html


- 風車デモ “Kazaguruma-Demo”gegen Atomkraft in Berlin
日時:3月8日(土)13:00〜
場所:ブランデンブルク門前

私たちSayonara Nukes Berlinは、Anti-Atom Berlin、 Arbeitsgemeinschaft Schacht KONRAD e.V.、 NaturFreunde Berlin e.V. の3つの団体と協同し、日本の福島から始まるさようなら原発集会に連帯するため、ベルリンでも反原発デモを行います。

私たちは、原子力のもたらす命への不安に怯える事無く生きる権利を持っています。自然エネルギーへの早期転換を願うと共に、世界各地のデモ行動の同一化を目指し、ベルリンでのデモのテーマは風車に決まりました。福島第一原子力発電所の大惨事から、3年が経とうとしています。日本政府は、正しい道を歩んでいると云えるのでしょうか。また世界各地では、未来を見据えたエネルギーへの適切な進路は取られているのでしょうか。

私たち市民の声を届けるために、みなさんの希望の風車を回しましょう。

⋆ブランデンブルグ門(Platz des 18.März am Brandenbruger Tor)に集合後、日本大使館前までデモ行進します。
⋆ブランデンブルグ門では、Mad World Dance (Bodypoet kazuma glen)による風刺劇や、Greenpeaceソーラードラムス等のパフォーマンスが予定されています。
⋆風車を持ってご参加ください。鳴り物、プラカート大歓迎。

 <風車の作り方>
●風車をめぐる冒険①
http://sayonara-nukes-berlin.org/?p=507
●風車をめぐる冒険②
http://sayonara-nukes-berlin.org/?p=667

また、8日のデモに合わせ、私たちは日本政府に、国際社会において日本が安全で持続可能な未来を築けるよう、原子力事業からの撤廃、汚染地域からの移住の支援など、深刻化する重要課題への対応を求める公開書簡を提出します。この書簡には、ドイツに在住する学者、文化人をはじめとする著名人、環境保護団体らの賛同を募っています。これらは提出後にHPにて公開されます。


- 3月11日の祈念日にキャンドルを
東日本大震災の日が回ってきます。被災地では破壊の爪痕は大分見えなくなりましたが、まだたくさんの方が仮設住宅に住み、復興は思い通りに進んでいません。そして福島の状況は解決にはほど遠いです。大震災を風化させないように3月11日に日本大使館前でキャンドルを点します。そして大震災をしのび、復興を祈念します。ぜひご参加ください。

集合時間: 3月11日14時。
黙祷:   3月11日14時42分
集合場所: 在独日本大使館(Hiroshimastr. 10)
主催:「絆・ベルリン」
ブリギッテ・ブローゼ、フランク・ブローゼ、福澤啓臣


- バザー Hoffung Berlin-Japan
希望 ベルリン-日本

日時:3月16日12:00〜18:00
場所:Philipp-Melanchthon-Kirche
Hertastr. 11, 12051 Berlin

お寿司、おにぎり、ケーキなど、盛りだくさんのバザーです。収益金は 東日本大震災被災地復興のため、フライヤーに明記されている機関に送付されます。
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by berlinHbf | 2014-03-07 11:57 | ドイツから見た日本 | Comments(0)

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