ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

Amazonにてネット購入ができます。



『街歩きのドイツ語 』
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豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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季刊誌「考える人」(新潮社)と本との出会い

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新潮社に「考える人」という私の好きな季刊誌がある。この秋の一時帰国でのある出会いから、自分と「考える人」、そして本そのものとの出会いについて綴ってみたくなった。


小学3年生の夏、私は親に連れられてたまたま観に行ったある映画に感化され、人生初ともいえる大きな目標を立てた。それは、「中学1年生になったら、ブルートレイン『はやぶさ号』の個室寝台に乗って1人で旅をする」というものだった。「はやぶさ」というのは、東京から西鹿児島までを結び、当時日本最長距離を走った寝台特急のこと。2013年現在、ブルートレインはいよいよ全廃の危機に立たされているが、当時東京駅を発着する寝台列車には少年たちを見知らぬ世界へと誘う独特の華があったように思う。中でも「はやぶさ」や「富士」といった列車には1泊1万4千円の個室寝台が連結されており、これが当時国鉄でもっとも「ぜいたくな」寝台車と言われていた。中学1年になって一人旅をしようと決めたのは、大人料金となる中学生から、一人で旅行するのも許されるだろうというイメージがあったからに過ぎない。私は早速時刻表を買ってきて、空想旅行をするようになった。地図を眺めるのが好きになったのもこの頃からだ。

その年(1984年)の秋、両親のどちらかが「こんな本が出たよ」と新聞に載った新潮社の新刊案内を私に教えてくれた。そこにこんな題名の本が紹介されていた。『旅の終りは個室寝台車』(宮脇俊三著)。タイトルだけに惹かれて、早速この本を買ってもらった。それは私が生まれて初めて買った活字だけの本であり、いわば大人が読む本だった。宮脇俊三という紀行作家が日本のあちこちを一風変わったルートで旅したり、いまや消えて久しい昭和の名物列車に乗ったりする紀行文。最初は毎晩寝る前に父親に読んで聞かせてもらっていたが、宮脇さんの文章は、使われている語彙こそ豊富だが、比較的平易な文体で書かれている。その面白さに気付くと、私は一人でも読むようになった。ここでの旅の特徴は、新潮社の若い編集者(藍孝夫氏という)が毎回同行することで、鉄道に全然興味がない編集者と宮脇さんとの時にちぐはぐなやり取りがユーモアを生む。お目当ての「個室寝台」は最後の章にちょこっと出てくるだけだったが、私はこの本で、活字だけを用いながら車窓からの山河やそこに住む人々の暮らしをも想像させてしまう読書の面白さに開眼した。山陰線に乗れば長門と石見とで瓦の色が違う。日本列島は中央構造線とフォッサ・マグナによって分けられているのか……。宮脇さんの旅を通して、日本各地の地理や風土を楽しみながら学んだ。

この本には続編がある。やはり「小説新潮」の連載から生まれた『途中下車の味』という旅行記だ。この本を書店で見付けたのは、私が中学に上がった春だった。同行者は藍孝夫氏から松家仁之氏という同じ新潮社の若手編集者へと引き継がれる。松家さんも特に鉄道には興味がないらしく、車中で居眠りをするシーンが出てくる一方、地理の洞察をさりげなく示して宮脇さんを驚かせたりもする。この1988年の夏、私は「念願」が叶い、「はやぶさ」に乗って九州へ一人旅をした。この時の旅の話はまたいつかしたいとも思うが、不思議なことに、実際にブルートレインに乗った時間よりも、宮脇さんの旅行記を読みながら、未知の土地や列車に想いを馳せていた時間の方が印象深い記憶として残っているのである。

それから大分時が流れて、2004年ぐらいのことだったと思う。たまたまネット上で松家仁之さんの書かれた文章を見つけた。新潮社の「考える人」という雑誌のメールマガジンで、その前年に76歳で亡くなった宮脇俊三さんの1周忌に関する内容だった。宮脇さんは旅行作家として独立する前、中央公論社の「婦人公論」や「中央公論」の編集長を務め、数々のベストセラーを出す名編集者として知られた。そこでは彼の功績と仕事ぶりについて触れられ、「かつて宮脇さんの担当で一緒に全国をまわったとき、うかつにも何度か居眠りをしてしまった。あの長い時間の中で、うかがえることはいろいろあったはずなのに」と結ばれていた。最後に「編集長 松家仁之」とあった。

宮脇さんの本で名前をずっと覚えていた松家さんが新しい雑誌の編集長になっていたことに、変な話だけれど、私にはいささかの感慨があった。それから「考える人」のメールマガジンを読むようになった。日々の雑感から読んだ本や見た映画の話、時事のテーマに至るまで話題は多彩で、松家さんの流れるようなリズムの、しかも芯の強い文章にすっかりとりこになった。やがて、氏が音楽にも造詣の深い方であることがわかってきた。2007年夏のクラシック音楽の特集号はどうしても読みたくて、日本からの客人に持ってきてもらった。作家の堀江敏幸さんが聞き手役となった音楽評論家の吉田秀和さんへのロングインタビューは、それまで出会ったことのなかった新鮮な空気にあふれ、雑誌というものがまだ持ち得ている可能性さえ感じた。

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松家さんは2010年に作家として独立し、処女小説の『火山のふもとで』が最近読売文学賞を受賞したのは周知の通りである(残念ながら私はまだ未読だが)。作家としての松家さんの文章をこれからたくさん読めるのが待ち遠しい。

松家さんの後任として「考える人」の編集長になったのは、河野通和さんという方だった。この方のメールマガジンの文章も素晴らしく、どんなテーマを題材にしても優しく語りかけてくるようで、本への愛と深い教養がにじみ出ている。もともと河野さんは中央公論社の編集者で、「中央公論」と「婦人公論」の編集長を歴任していたことを後に知った(特に「婦人公論」では大胆な刷新をして、一時期の低迷から生き返らせたという)。つまり、宮脇俊三さんと同じ道を歩まれてきた方だったのだ。面白いのは、宮脇さんが中央公論社を退社した1978年に河野さんが入社され、1、2ヶ月ほど時期が重なっていたことで、お2人の間にはいくばくかの交流もあったようだ。

たまたま自分が好きになった雑誌の編集長が2人共、私の読書体験の原点ともいうべき人と直接のつながりがあったことに、私はささやかな興奮を覚えた。これは何かの縁なのか。もちろん自分の思い込みに過ぎないことはわかっていても、河野さんからのメールマガジンが届く度に、一度お会いしてみたいという思いを抱くようになった。とはいえ、新潮社にコネクションがあるわけでもなく、今回の一時帰国中もそんなことを思いながら時間ばかりが流れていた。が、ベルリンへ戻るまで1週間を切ったある日、私は思い切って新潮社に電話をかけてみた。いきなり知らないところに電話して、口頭で自己アピールをするというのは自分のもっとも苦手とすることである。だが、次に日本に帰って来るのは間違いなく来年だ。そんなことも言っていられなかった。受付の方が「考える人」の編集部につないでくれると、しばらくしてハキハキした口調の女性編集者の声が電話の向こうに聞こえた。私は簡単な自己紹介と、編集長にお会いしたい旨を伝えた。「そういうことでしたら、一度メールをいただけますか。編集長の都合を聞いた上で、折り返しご連絡しますので」。そのわずか20分後ぐらいにお返事が届いた。なんと翌日会っていただけるという。ひょっとしたら私が普段海外に住んでいることで便宜をはかってくださったのかもしれないが、それにしても「まさか」だった。

その翌日、神楽坂にある新潮社のロビーで河野編集長と、前日電話で応対してくださった編集部のKさんにお目にかかることができた。河野さんは物腰穏やかで、包容力を感じさせる人物という印象。中央公論の新人時代、宮脇俊三さんと接したときのことも話してくださった。自分がベルリンでどういうテーマについて書いてきたかもお話ししたが、少々舞い上がってしまい、しどろもどろになってしまった……。びっくりしたのは、ベルリンに共通の知人がいたこと。20分ぐらいだったけれど、今回の日本滞在の中でも特に印象深い時間となった。

ベルリンに戻ってから河野さんにお礼のメールをお送りしたら、すぐに返信をいただいた。そこに、ある新聞のリンクが貼られていた。「考える人」最新号の巻末にある村上春樹氏の寄稿「厚木からの長い道のり」を紹介した日経新聞の記事だった。ご存知の方も多いだろう、村上春樹が指揮者の小澤征爾を連れてジャズピアニストの大西順子の「ラストコンサート」に行った。大西さんの最後の挨拶の最中、突然小澤さんが立ち上がって「おれは(引退に)反対だ」と言い放ち、そこから今年9月の両者の奇跡的な共演に至る道のりを詳しく追った内容だ。日経新聞の記事では最後の方にこう書かれている。
ふだん小説というフィクションの世界に住む村上が「事件」の当事者としてかかわり、克明に書きとめたノンフィクションはまれだろう。筆致には、コンサートさながらのライブ感覚があふれる。雑誌の編集作業を少しでも知るなら、9月6日の出来事を長々、10月発売の季刊誌に入れるのは「ほぼ不可能」と考える。「考える人」の河野通和編集長も、3カ月後の次号に載せるつもりだった。だが「村上さんは熱く語り、どうしても直近の号に収めてほしいと、最速で原稿を届けてきた」。河野編集長は大作家の特別寄稿には異例の巻末とじ込みで対応し、埼玉県内の印刷所で陣頭指揮をとった。
これを読めば河野編集長にとっても大変思い入れの強い記事となったことは想像できるが、それでも河野さんご自身は、このエッセイの存在が周知されていないもどかしさを感じているという。私自身大変面白く拝読したが、不可解に感じる点もあった。それは、ジャズピアニストとして確固たる地位を築き、まさに脂ののった最中にある大西さんが、「なぜ音楽をやめなければならず、そのためにピアノを売り払い、生活していくためのアルバイト(音楽とは全く関係のない仕事だという)をしなければならないのか」ということ。村上さんはその背景として、日本の音楽ビジネスの状況に強い疑問を投げかけているが、詳しい事情までは書かれていない。周知の通り、松本での小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラとの共演は大きな話題を集めた。だが、打ち上げ花火のように華々しいコンサートが終わった今、大西さんが音楽活動を再開するための環境が改善され、復帰の目処はついたのか、とても気になる。河野さんからのメールには、「特集や他の記事ももちろんですが、一人でも多くの方にこれを読んでもらいたい。中村さんの方からもご紹介いただけたら」ということが書かれていた。世界的作家の記事を私なんぞが紹介するのも不思議な話だけれど、雑誌「考える人」と最新号の「厚木からの長い道のり」をご紹介する前に、まず私自身の「『考える人』へとつながる長い道のり」について書いてみたくなった。そのことを河野さんに伝えたら、10月にお会いしたことも含めて、拙ブログに書くことを快く了承いただいた次第。

大学生になる前、一度だけ宮脇俊三さんに手紙を書いたことがある(几帳面な字で書かれたお返事をいただいた)。実際にお会いする機会はついぞなかったが、今回の出会いは10年前に亡くなった宮脇さんが引き合わせてくれたようにも思う(こんなことを書くと、笑われてしまうかもしれないけれど……)。とはいえ、書物には長い時間をかけて人と人とを結びつける不思議な潜在力がある。「考える人」という雑誌は、毎回冒険心にあふれながらも、長い人生の中でじわじわと栄養がつきそうな読み物がぎっしり詰まっている。秋の読書のお供にいかがだろうか。


季刊誌「考える人」2013年秋号
定価1,400円

特集
人を動かすスピーチ

村上春樹 厚木からの長い道のり
小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』

「考える人」メールマガジンの登録はこちらより
by berlinHbf | 2013-11-21 22:53 | ベルリンを「読む」 | Comments(10)

フィルハーモニー50周年の『マタイ受難曲』

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フィルハーモニー50周年を記念して上演された『マタイ受難曲』
© Monika Rittershaus


ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地のホール「ベルリン・フィルハーモニー」がこの10月、1963年のオープンから丸半世紀を迎え、3つのプログラムによる記念公演が行われました。

私が聴いたのは、バッハ作曲の『マタイ受難曲』。これは新約聖書の『マタイ伝』を元にしたオラトリオで、上演時間が3時間を超える大作。その内容の深さから「西洋音楽史上の最高傑作」と評されることも珍しくありません。私はこれまでに何度かこの作品の実演を鑑賞したことがありますが、今回、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィル、ピーター・セラーズの演出によって上演されたのは、これまでとは全く異なる『マタイ』でした。

冒頭の音楽が鳴り響くと、棺桶を模したオブジェの周りに合唱団のメンバーが群れを成し、キリスト受難の情景を歌い上げます。2つの合唱がステレオ効果を出し、さらに舞台横の客席の上からは少年合唱によるコラール「おお、神の子羊」が鳴り響いて、壮大なハーモニーが生まれます。舞台を客席が取り囲み、両者の間に垣根がないフィルハーモニーの空間を存分に生かした演出。私はいきなり圧倒されました。

ピーター・セラーズによる演出では、イエスや弟子たち、群衆の行動や心の揺れが具象化され、聴き手の前に提示されます。例えば、イエスが捕らえられた後、弟子たちが逃げ出す場面では、合唱団のメンバー全員がホール中に散らばり、あらゆる場所からコラールが鳴り響きます。そして、イエスとの関係を3度否定したペテロが自らの行為を嘆く有名な場面では、アルト・ソロがアリアを歌う最中、下を向いて泣くペテロ役の歌手の肩に、福音史家が手を置いて慰めるのです。

私は衝撃を受けました。舞台の上で喜び、嘆き、嘲笑し、後悔し、泣き叫び、懺悔する人々の姿は、2000年前に起きた一宗教の事象という枠組みを超え、現代に生きる我々と何ら変わりないように思えたからです。こんなに生々しく「人間的な」宗教音楽の上演に接するのは初めてのことでした。

ラトルによるテンポの良い指揮ぶりも素晴らしかったのですが、ドラマを牽引する福音史家(マーク・パドモア)の歌唱と、アリアを彩る弦と木管楽器のソロはまさに圧巻。ユダが自殺した直後に歌われるバス・アリアをリードする力強いヴァイオリン・ソロ。そして、「愛よりしてわが救い主は死のうとしている」と歌うソプラノ・ソロの背後で奏でられるフルートの親密な響き。奏者は歌手の目の前で演奏し、まるで直に励まし、慰めているかのようです。最後、イエスの棺桶の前で「わが心よ、おのれを潔めよ」と歌うバスのアリアで、私の感動は頂点に達しました。

10月20日のガラ・コンサートに臨席したメルケル首相は、「シャロウン設計のフィルハーモニーは外観も音楽体験の上でも、並外れて成功した建築作品」と評しました。これからも音楽で人々の心にあかりを灯す場所であり続けてほしいと願います。
ドイツニュースダイジェスト 11月15日)

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ピーター・セラーズ演出による『マタイ受難曲』は、ほぼ同じキャストによる2010年の舞台がDVD化されています(詳しくはこちらより)。今回こちらも聴きましたが、バリトンのトーマス・クヴァストホフの歌唱にとりわけ感動しました。
by berlinHbf | 2013-11-16 23:18 | ベルリン音楽日記 | Comments(5)

「水晶の夜」事件から75年

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Tauentzienstr. (2013-11-08)

昨日の夕方、クーダムから伸びるタウエンツィエン通りを歩いていたら、いくつもの商店のショーウィンドウに、割れたガラスをモチーフにした透明のシールが貼られているのに気付きました。

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このことを今日ブログで紹介しようと思っていたのですが、早速時事通信が報じていました。

反ユダヤ暴動を再現=「水晶の夜」から75年―ドイツ
時事通信 11月9日(土)16時25分配信
 【ベルリン時事】ドイツでナチス政権下の1938年に反ユダヤ主義暴動「水晶の夜」が発生してから75年となる9日、ベルリン中心部の商店や飲食店のショーウインドーに、ガラスが割れたように見える粘着シートが貼り付けられた。惨状を再現することで、市民が一丸となって差別や偏見に立ち向かう姿勢を示すのが狙いで、国内最大の高級デパート「カーデーウェー」など約140店が参加した。
 38年11月にフランス滞在中のユダヤ人青年が在仏ドイツ大使館の書記官を殺害したのをきっかけに、ナチス支持者が9日夜から10日にかけ、ドイツ全土でユダヤ人商店を襲撃し、シナゴーグ(ユダヤ教礼拝所)を焼き打ちした。割れたガラスが月明かりに照らされてきらめいた様子から、事件は「水晶の夜」と呼ばれる。事件後、ユダヤ人約3万人が強制収容所に送られた。
 粘着シートが貼られたのは、ベルリンの中でも特に被害が大きかったクーダム通りやアレクサンダー広場など3地区の店舗。主催団体の担当者は「恐ろしい時代に対する若い世代の関心と理解を深めたい」と話す。 

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これは先月、ベルリン大聖堂の前の様子。いずれも、2013年のベルリン市のイヤーズ・テーマ「破壊された多様性」として行われているもので、「水晶の夜」75周年の今週末は特に多くの行事が行われるようです。

関連記事:
「破壊された多様性」について考える年 (2013-05-26)

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今、地下鉄の駅でよくこのような大きなポスターを見かけます。"Vielfalt ist Freiheit"(多様性とは自由)と書かれています。ポスターの情報によると、今日の15時「赤の市庁舎」前からスタートして「つまづきの石」を掃除しながら散歩するという行事が行われます。明日10日の17時からはブランデンブルク門前でも大きなイベントが行われるそう(若者たちが作った映画の紹介、インゲ・ドイッチュクローンさんら生存者の証言、ヴァイオリンのダニエル・ホープの演奏など)。詳しくはこちらにて。

関連記事:
アウシュヴィッツへの旅(5)-「つまずきの石」ドキュメント(上)- (2008-02-22) 
アウシュヴィッツへの旅(6)-「つまずきの石」ドキュメント(下)- (2008-02-27)

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久々に歩いたクーダム。かれこれ3年以上修復工事中だったカイザー・ヴィルヘルム記念教会の屋根部分が、ようやく顔を覗かせています。

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昨夜はコンツェルトハウスで、バーンスタインとマーラーの演奏会を聴きました(奇しくも両方ユダヤ系の作曲家ですね)。ジャンダルメンマルクトの広場では、大きなクリスマスツリーの上でイルミネーションの取り付け作業が行われていました。
by berlinHbf | 2013-11-09 12:23 | ベルリンのいま | Comments(0)

2013年秋の一時帰国(下)

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大分時間が空いてしまいましたが、日本滞在記をあともう少しだけ。10月6日の横須賀での講演会が無事終わった翌日、人形町に趣きベルリンで知り合った友人2人に久々の再会。音楽家の友人はこの界隈に住んでおり、風情ある街並を少し案内してもらってから、「芳味亭」という洋食屋さんで夕食をご一緒しました。昭和8年創業というだけあって、佇まいもこの洋食弁当の味わいも、昔ながらという感じでよかったです。それにしても、かつては日本橋経由で毎日大学に通っていたのに、日本橋も1つ先の人形町も地上に上がることはほとんどなく、通過するだけだったのが今となっては残念。

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10月8日、この日は銀座へ。N先生ご夫妻と素晴らしい日本料理屋で会食。N先生とは数年前、旅行で来られたベルリンで出会いました。昭和4年生まれのNさんは、中学生のときに台湾へ出兵し、そこで終戦を迎えられた。軍隊の中で一番下っ端の自分たちがいかにボロ雑巾のように扱われたか。隣にいた同級生が自分の目の前で米軍に撃たれて死んだ話、山の中で蛇を焼いて食べて生き延びた話・・・いろいろ伺いました。震災以降、N先生は震災の報道写真集から昭和史、原発、音楽に至るまで、何度も私に本を送ってくださいました。とても穏やかで上品な先生ですが、震災以降の政府の対応や、現行の安倍政権への見方は極めて厳しい。でもそれも当然だと思わせるものがあり、この世代の方々には今のうちにたくさんお話を聞いておきたいと思っています。普段は関西にお住まいですが、ちょうど奥様と新国立劇場にオペラを観に来られるタイミングと合い、今回お会いすることができたのでした。

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10月10日、この日は神楽坂に1つ用事があったので、夜からの約束の前に久々に早稲田界隈を散歩。変わらないお店もある一方、馴染みだったラーメン屋さんがなくなっていたり、変化も感じました。夜は、今回知り合った雑誌の編集長の方が誘ってくださり、大久保のガード下の居酒屋で楽しいお酒の席。

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その翌日は、横浜で高校時代のフルートの先生、そのお友達とランチをご一緒しました。夜は中学時代の吹奏楽部の飲み会。ありがたいことに、私の一時帰国に合わせて開いてくれたのでした。23年ぶりぐらいに会う先輩もいて、本当に懐かしく楽しい夜でした。

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12日、追浜からの帰りに印象に残る出来事に遭遇。大型スーパーの屋上に駐車したその直後、すぐ近くで衝突音が鳴り響きました。びっくりして出て行ったら、ご覧の様子。白い軽乗用車が猛烈なスピードで次々に車にぶつかりながら、奥の壁に突っ込んでいったのでした。周りの人も唖然として、でも声を荒げる人も文句を言う人もおらず、警察が来るまでの間、穏やかな時間が流れていました。やがて警察の現場検証が始まったのですが、加害車から出てきたのは意外にも若い普通の女性。ショックの大きさから歩くのもやっとの様子。近くの被害車の人から聞いた話だと、アクセルとブレーキの上にマットが載っていたそうで、アクセスとブレーキの踏み間違い?とのこと。怪我人がゼロだったのだが何より幸いでした。

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実家に行く途中に横を通る京急の久里浜工場。静かに解体のときを待っている電車の佇まいが印象的で、1枚パチり。

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最後の週末は浅草へ。東武電車に1駅乗って、スカイツリーの真下にも行ってきました。

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仲見世通りを歩くのも久々。その後、「モンブラン」という店に並び、おいしいハンバーグを賞味。

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夜の浅草寺も風情がありました。

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日本での最終日、新宿に行った帰り、東京駅八重洲口地下の「みはし」に妻と駆け込んで、好物の白玉クリームあんみつをいただきました◎

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そして丸の内側に回り、東京ステーションギャラリーで始まったばかりの植田正治展を鑑賞。昨年、ここのオープニングの展覧会に出展された友人の写真家、大洲大作さんから招待券をいただいたのですが、展示の質とボリューム、そして駅の創業当時の面影を残した空間に大満足でした。

数日前から、大洲さんの個展が大阪の画廊で行われているので、関西方面の方はぜひお立ち寄りください。

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生まれ変わった東京駅の内装と外観もしばし鑑賞。ようやく見ることができました。東京とベルリンは来年姉妹都市20周年を迎えるので、交流行事も活発に行われるみたいです。双方の都市にとって、有益な1年になることを願いながら。
by berlinHbf | 2013-11-06 18:30 | ニッポン再発見 | Comments(3)

発掘の散歩術(40) -クーダムの地下世界をのぞいて-

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Museum "The Story of Berlin"

数カ月前、ベルリン西地区の目抜き通りクーダム207-208番地の商業ビルが、来年秋に取り壊されるという記事が新聞に掲載された。このビルの中には劇場のほか、「ザ・ストーリー・オブ・ベルリン」という私営の博物館がある。その中に以前から一度見ておきたいと思っていたものがあり、秋も深まるある日の午後、足を運んでみた。

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博物館のあるKu'damm-Karreeの入り口

地下鉄U1ウーラント通り駅から近いKu'damm-Karreeというビルは、ファサードの老朽化が目立つ。内部も空きテナントが多いようだ。寂しげに、静かに解体の時を待っているようにも感じられる。が、博物館の入り口前は高校生くらいの生徒たちでごった返し、賑やかな声が響き渡っていた。この博物館は、学校の課外授業先として人気があるようだ。

「ザ・ストーリー・オブ・ベルリン」では、ベルリンの800年に及ぶ歴史を20以上のブースに分け、マルチメディアを多用した展示が特徴。一通り見終わった後、見学ツアーの所定の時間に入り口で待っていると、いつの間にかたくさんの人が集まった。ガイドに率いられてぞろぞろと歩き始め、出た先は建物の駐車場。細い階段を下りてたどり着いた場所には、Dusche(シャワー室)と書かれている。クーダムの真下にドイツ最大規模の核シェルターがあることを、日常生活の中で意識することはそうないだろう。この核シェルターの内部見学は、博物館のもう1つの目玉になっている。

東西冷戦時代の1973~74年に掛けて、建物の地下駐車場を利用してこのシェルターは造られた。核攻撃による有事を想定して造られた、当時の西ベルリンに16あった避難施設の1つで、全部の施設を合わせると約2万4000人の収容が可能であった。もっとも、これは当時の西ベルリンの人口の約1%に過ぎない。これらのシェルターに入れるのは「早い者勝ち」。身分も社会的地位も関係ない。定員に達した時点で、入り口の重い扉が閉じられるようになっていたという。

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クーダム207-208番地の地下にある核シェルター

放射能で汚染された服を脱ぎ、除染するためのシャワー室を過ぎると、3592人を収容できるというシェルターに入る。青白い光で照らされ、奥の方まで見通せない広さ。そこに3段式のベッドがぎっしりと並ぶ。窮屈そうな上、収容時は立ったり周りを歩いたりすることさえ「許可」がないとできない。非常用発電や換気装置、食料などについての説明を受ける。この中では最大14日間生活できる備蓄があるという。パニックが起きた際は、大きな部屋が扉によって2つに区切られるそうだが、もはや想像したくない世界である。

30分近く中にいただろうか。暗く淀んだ地下からようやく地上に上がった時の感想は、ただ「空気がうまい!」だった。

ふと、昨年のベルリン国際映画祭で観た、船橋淳監督の『フタバから遠く離れて』というドキュメンタリー映画を思い出した。あの映画に出ていた福島県双葉町の人たち、故郷の空気を思い切り吸い込むことが突如叶わなくなってしまった人たちは、今どういう生活を送っておられるのだろう。

建物の再建に当たって、このシェルターを取り壊すという報道もあるが、実際のところはよく分からない。夕方に差し掛かったクーダムの街路樹は黄金色に輝き、西日が落ち葉を照らしていた。
ドイツニュースダイジェスト 11月1日)


Information
ザ・ストーリー・オブ・ベルリン 
The Story of Berlin


1999年にオープンした私営の歴史博物館。13世紀の都市の起源から壁の崩壊まで、ベルリンの歴史を豊富なマルチメディア資料を通して体感できる。言葉が理解できなくても楽しめる作りになっているのが特徴だ。地下の核シェルター見学ツアーは、通常1時間ごとにドイツ語と英語のガイドで交互に行われている。

オープン: 月〜日10:00〜20:00
住所: Kurfürstendamm 207-208, 10719 Berlin
電話番号: 030-887 20 100
URL: www.story-of-berlin.de


「ベルリンの地下世界」協会 
Berliner Unterwelten e.V.


ベルリンの地下世界を研究し、資料の整理や遺構の保存を目的とする協会。戦時中の防空壕や高射砲塔など、知られざる世界を巡る様々なツアーを定期的に行っている。同団体の設立者、ディートマール・アルノルト氏の『ベルリン 地下都市の歴史』は、東洋書林より邦訳が刊行されている。

住所: Brunnenstr. 105, 13355 Berlin
電話番号: 030-499 10518
URL: http://berliner-unterwelten.de
by berlinHbf | 2013-11-01 18:52 | ベルリン発掘(西) | Comments(0)

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