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ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
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地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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クロイツベルクの行列ができるケバブ屋

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私の地元、横須賀・三浦のタウン紙「はまかぜ」に最近書いた記事を転載します。

日本のような流行の伝播がないドイツで、いわゆる「行列ができるお店」というのはまずお目にかかりません(もちろん従業員が少ないため仕方なく並ぶことはありますが・・・)。ただ、例外はあります。2012年の最初は、ベルリンでおそらくもっとも人気のあるケバブ屋さんをご紹介したいと思います。

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串に刺した肉を回転させながら焼き、それをスライスして野菜と一緒にパンに挟んで食べるドネル・ケバブは、最近日本でも屋台で売られているそうなので、ご存知の方も多いと思います。元々はトルコの伝統的な料理ですが、パンに挟んで食べるようになったのは、1970年代のベルリンが最初だとか。戦後、西ベルリンに出稼ぎ労働者としてやって来たトルコ人が考案し、やがて世界中に広まりました。トルコ系移民が多いクロイツベルク地区を中心に、ベルリンには数えきれないほどのケバブのスタンドがあります。

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時間帯によっては1時間近く並ぶことも

地下鉄メーリングダム駅を上がってすぐの「ムスタファズ・ゲミューゼケバブ」の前を通ると香ばしい匂いが鼻を突いてきます。店の前には昼も夜も常に長い行列ができているのですが、毎回並んでも食べたくなってしまう。そんなケバブ屋は他にそうそうありません。

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何が違うのでしょうか。チキンや野菜が新鮮なのはもちろんですが、ここのお店はさらに油で炒めた野菜が盛り込まれているのがミソ。全体の味を決定付けるタレ、さらに締めのチーズとぎゅっとひと絞りのレモン汁。値段は日本円で約300円。これだけで一食分のボリュームがありますから、おいしい上にお得感もたっぷりです。

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このお店は3年半前にも一度ブログで紹介していますが、ここ数年の人気沸騰ぶりはすさまじく、よほどの時間帯を除けば並ばないと買えないようになってしまいました。それでも、この前を通るとどうしても食べたくなってしまうときがあるんですよねぇ。

Mustafas Gemüse Kebab
Mehringdamm 32, 10961 Berlin
http://mustafas.de

関連記事:
メーリングダムの野菜ケバブ屋さん (2008-06-25)
メーリングダムの"Curry 36" (2006-05-09)

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by berlinHbf | 2012-01-30 18:42 | ベルリン発掘(西) | Comments(9)

開港が近づくベルリン・ブランデンブルク空港

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2012年のベルリンの大きな節目となる出来事のひとつは、6月3日ついに新空港がオープンすることでしょう。ベルリンに興味のある方にとっては特に気になるところだと思うので、比較的最近の様子をお伝えしたいと思います。

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今回お届けする写真は、昨年9月空港近くのBBI-Infotowerを訪れたときの様子。このタワーは毎日10~16時の間オープン。入り口で2ユーロ払って、らせん状の階段を上って行きます。

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ここに来るのは一面雪景色の2010年初頭以来でした。天気の印象の違いを除いても、工事は随分進んだものです。当時の写真と比較してみると、進行具合がよくわかると思います。

関連記事:
ベルリン・ブランデンブルク空港のいま (2010-02-19)

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目を凝らすと、蛍光色の作業着を着た現場の人の姿がちらほら目に入ります。ここまできたら、土日も関係なく作業をしているのかもしれませんね。ターミナルの中では、開港に向けてのさまざまなテスト(旅客用のトランクの移動作業など)も始まっているそうです。

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こちらが東側の様子。地下は鉄道駅になります。

この1年半ぐらいずっと論争の的になっていた飛行機のルートを巡る問題(騒音に悩まされるかもしれない周辺住民が繰り返し反対のデモを起こしていた)は、昨日正式なルートが確定したことで、ひとまずの終結を見ることになりました。もっともこのまま終わることはなさそうですが。

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タワーから臨む現在のシェーネフェルト空港。東独時代に建てられた空港ターミナルがなんとちっぽけに見えることか。

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12月にスペインのマラガに飛んだ際、Easyjetの窓から新空港の様子が見えましたが、外観はさらに完成に近づいていました。

われわれ日本人にとっては、「日本までの直行便が飛ぶのか?」が一番の関心事でしたが、(いろいろな噂は耳にしたものの)結局開港に合わせてどこかが飛ばすことはさそうな気配です。市内から少し空港が遠くなる上、あの煩わしい乗り継ぎも変わらずかと思うとテンションも下がりますが^^;)、ベルリン待望の国際空港のオープンがいよいよ4ヶ月後に迫ろうとしています。

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by berlinHbf | 2012-01-27 22:01 | ベルリンのいま | Comments(5)

発掘の散歩術(18) - プレッツェンゼーの悲劇を忘れない -

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「プレッツェンゼー」には2つの顔がある。1つは、地名の由来になっている同名の湖。太陽が照る夏の日にここを訪れたことがあるが、西側の岸には人口の海水浴場もあり、誰もが上機嫌、パラダイスのような光景が広がっていた。もう1つは、運河をはさんで湖の西側に位置するプレッツェンゼー刑務所。ここはナチス時代、国内外の反体制派の人々を送り込んで処刑したという暗黒の歴史を持つ場所として知られる。

テーゲル空港からTXLバスで市内に向かう際、運河に沿って走る記憶をお持ちでないだろうか。プレッツェンゼー刑務所の記念館は、この運河沿いにある。昨年12月の暮れも押し迫った日の午後、私はGedenkstätte Plötzenseeのバス停に降り立った。

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高い壁がそびえる記念館の入り口。この奥は現在も市の刑務所として使われている

運河側とは反対の方向に歩くこと数分、目の前に赤煉瓦を積み上げた高い壁がそびえ立ち、それが通りに沿ってずっと続いていた。遠くを見ると、工場の煙突からもくもくと煙が上がっている。どこか殺伐とした気配を漂わせる場所だが、それだけではない。1933年から45年までの間、この壁の向こうで2891もの人が絞首刑にされたのだ。

門をくぐると、そこは壁に囲まれた大きな中庭になっており、奥には「ヒトラー独裁の犠牲者に捧ぐ」と書かれた銘板が、その裏には2つの部屋からなる小屋が立っていた。最初の部屋に入り、私は思わず後ずさりした。手前にはいくつもの献花が置かれ、奥には2つの縦長の窓。その上には鉄製の竿が架けられ、5つの釣り鉤がぶら下がっている。ここが処刑室であることは明らかだった。

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プレッツェンゼー記念館の処刑室

ここでの処刑は元々手斧で行われていたが、1936年にはヒトラーの命でギロチンに取って代わったという。死刑判決を受けた人々は、ここに面した大きな監房(現存せず)に収容された後、中庭の処刑室に運ばれた。

もう1つの部屋では、刑務所の歴史と犠牲になった人々に関する資料が展示されていた。私が特に見入ったのは、当時ドイツ最大のレジスタンスグループの1つだった「赤いオーケストラ」について。ドイツの軍事情報を通信やビラを通じてソ連に伝えようとした彼らは、42年夏ゲシュタポによって捕らえられ、プレッツェンゼーで死刑判決を受けた。現在この部屋に見られる釣り鉤の付いたギロチン台が設置されるようになったのは、彼らを一段と残酷な手法で殺すためであったという。私は映画『白バラの祈り』での理不尽な法廷のシーンを思い出し、また絞首刑に要した分秒まで几帳面に記された報告書を見て、その冷酷さに身が凍った。「赤いオーケストラ」のメンバーの死刑の日付は、私の父が生まれるちょうど前後の時期でもあった。そのことを連れてきた妻に伝えたら、一瞬間を置いて、声を上げた。「え、それってつい最近のことじゃないの!」。

大晦日のカウントダウンを控えて華やぐ中心部から、わずか20分ほどの距離だった。世界でいくつもの独裁政権が崩壊した2011年。私はそれらの出来事を思い返しながら、決して遠くない過去と現在とを重ね合わせようとした。
ドイツニュースダイジェスト 1月20日)


Information
プレッツェンゼー記念館
Gedenkstätte Plötzensee


「赤いオーケストラ」同様、1944年7月20日の有名なヒトラー暗殺未遂事件(通称「ワルキューレ作戦」)に関わった89人もここで絞首刑にされた。最寄りのバス停Gedenkstätte Plötzenseeには、以前のようにTXLバスは停車せず、123番バスに乗る必要がある。バス停からは徒歩3分。入場無料。

住所: Hüttigpfad, 13627 Berlin
電話番号:(030)344 32 26
開館:(3~10月)毎日9:00~17:00 (11~2月)毎日9:00~16:00
URL:www.gedenkstaette-ploetzensee.de


プレッツェンゼー
Plötzensee


ヴェディング地区のレーベルゲ公園に面した全長1.7キロの湖。毎年6~8月にオープンする西岸の海水浴場(Freibad Plötzensee)は、水の清潔度も良好とのこと。天気の良い日には、日光浴など湖畔でくつろぐ人の姿が多く見られる。106番バスのSylter Str.が最寄りのバス停。

住所:Nordufer 24, 13351 Berlin
電話番号:(030) 4502 0533 (Freibad Plötzensee)

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by berlinHbf | 2012-01-19 23:22 | ベルリン発掘(西) | Comments(0)

フリードリヒ大王の生誕300周年

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サンスーシ宮殿とその下に広がる美しい庭園

ポツダムのワイン畑の丘の上に建つフリードリヒ大王の夏の離宮、サンスーシ宮殿を訪れ、魅了された方は多いのではないでしょうか。2012年は、「大王」ことフリードリヒ2世(1712〜86年)の生誕300周年。今年は、彼が足跡を残したベルリン、ブランデンブルク州の州都ポツダムを中心に、多数の記念行事が予定されています。

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フリードリヒ大王と言うと、どんなイメージをお持ちでしょうか。哲学者ヴォルテールを議論の友に迎えた、18世紀を代表する啓蒙専制君主。いくつかの戦争によって領土を拡大し、プロイセンを欧州の列強にのし上げた軍国主義者。絵画やフルートを愛し、自ら作曲までした芸術家としての顔。妃とはすぐに別居、一方で犬をこよなく愛したどこか孤独な私生活……。歴代のプロイセン王の中でも、フリードリヒ大王ほど多彩な側面を併せ持ち、今なお人々の関心を引き付けて止まない人物はいないかもしれません。

実際、メモリアルイヤーに予定されているプログラムの内容も多岐に渡ります。最初のハイライトは、大王の誕生日である1月24日にかけてでしょう。ポツダムでは1月12日から音楽、劇、朗読、講演など多くの文化行事が予定され(詳細はこちら)、24日にはベルリン・フィルハーモニーで記念コンサートが、同日コンツェルトハウスではヴルフ大統領も臨席しての記念式典が行われます。

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ポツダムの旧市街に置かれた新宮殿の特別展「FRIEDERISIKO」の巨大なシンボルマーク

4月28日から10月28日まで、ポツダムの新宮殿で開催される特別展「FRIEDERISIKO」は、一連のプログラムの中でも目玉と言えるものです。1756年から続いた七年戦争の終結後、フリードリヒ大王がプロイセンの国力を誇示するために建てさせたという新宮殿は、長らく修復工事が行われていましたが、今回初公開の部屋も含めて70ものホールが一般公開されます。主催するプロイセン宮殿庭園財団史上「最もお金を掛けた」展覧会と言われるだけあって、いやが上にも期待は膨らみます。

このほか、大王が皇太子時代を過ごしたラインスベルク宮殿、ベルリンのドイツ歴史博物館でも関連の展覧会が予定されており、ポツダムのブランデンブルク・プロイセン歴史館では、「王とじゃがいも」というテーマの展覧会も!フリードリヒ大王がプロイセン国民に初めてじゃがいもを食べさせたというのは、有名な話です。

2012年、フリードリヒ大王にどのような形で新たに出会えるのか楽しみです。皆さんもこれを機に、ベルリンやポツダムを訪れてみてはいかがでしょうか。
http://friedrich300.eu
ドイツニュースダイジェスト 1月13日)

ドイツ/フランスのテレビ局Arteでもフリードリヒ大王の特集が組まれています。1月22日には、昨年新宮殿で行われたエマニュエル・パユとカンマーアカデミー・ポツダムのコンサートも放映されるそうで、これは必見ですね。

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by berlinHbf | 2012-01-13 13:25 | ベルリンのいま | Comments(2)

追悼・外林秀人先生

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先日、べるりんねっと789外林秀人氏の追悼ページに寄稿させていた追悼文をここに再掲いたします。

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2011年12月30日の夜、外林秀人先生の訃報の知らせを受け取った。ここ数ヶ月、ご無沙汰していたとはいえ、「先生のメッセージはこの時代においてますます重要な意義を持つものと思います」と書いてご自宅にクリスマスカードをお送りしたばかりだった。私は愕然とした。

外林秀人さんという方の存在を知ったのは、確か2006年だったと思う。「ベルリン在住の日本人科学者が、半世紀以上の沈黙を経て、ヒロシマでの被爆体験を語り始めた」というニュースはドイツのメディアでも話題となり、私もいくつかの新聞記事を読んでいた。また、トルーマン大統領が原爆投下を決定したと言われるポツダム・バーベルスベルクの邸宅前の広場に「ヒロシマ広場」をつくる活動に外林先生が関わられていることも知った。私は、子供の頃から原爆の問題にはどちらかといえば強い関心を持っていたので、いつか直接お話を伺ってみたいという思いを漠然と抱いていた。

2010年の7月末、日本食レストラン「よしおか」に食事に行った時のこと。店主の吉岡さんと話していて、ふと外林先生の話題になった。先生は毎週土曜日の夕方、奥様と「よしおか」に来られるという。吉岡さんは私がドイツニュースダイジェストに寄稿している記事を毎回読んでくださっており、「一度外林先生にインタビューしてみるといいですよ。よかったらご紹介しましょうか?もうご高齢だし、いつまでお元気でおられるかは誰にもわからないから」と言ってくださった。ちょうどヒロシマ広場の記念碑が除幕したばかりで、原爆投下から65年目の日が目前に迫っていた。私にとって願ってもない機会だった。

8月10日の午後、ヒルトン・ホテルのカフェでゆっくりお話を伺った。まぶたに刻まれた深いしわと時折見せる寂し気な表情が印象的だった。それでいて、(こんなことを言うのは失礼かもしれないが)どこかチャーミングな魅力のある方だった。半世紀以上住んでおられるベルリンの話から始まったのだが、「ベルリンに長く住んでいる理由は、ベルリンほど原子爆弾に対して安全な場所は世界になかったからです。ここにいれば二度と原爆には遭遇しないだろうと信じていました」と真顔でおっしゃった時には体に衝撃が走った。50年以上被爆体験を胸の奥に秘めてきた理由、原発のこと、問われる政治家と科学者のモラル、等々。ゆっくりとそして思いを込めて語ってくださった。
(この日のインタビューはドイツニュースダイジェストおよび拙ブログにも掲載)

それから1年数ヶ月という決して長い時間ではなかったものの、外林先生は私に対して随分懇意にしてくださった。時々電話もいただくようになった。2010年8月にターゲスシュピーゲル紙に掲載されたロングインタビューは、「今までドイツのメディアに書いてもらった記事で一番内容がいいので、日本語に訳してもらえないだろうか」と言って、翻訳を依頼してくださった。

ある日、バスの2階席で偶然お会いした時は、「ドイツや他の国でしてきた講演の記録が大分たまってきたので、いつかまとめられないかと思っている。その時は中村さんにもぜひ協力して欲しい」とおっしゃった。ベルリンのフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ学校で中学生ぐらいの子供たちに話をされる時にはご招待くださり、聞きに伺ったこともあった。あの福島第一原発の事故が起きてからは、ドイツの新聞やテレビで先生のお顔を見る機会が増えた。あまり体調がよくない中、各地で講演会を精力的にされていることも聞いていた。

印象に残っているのが、昨年4月初頭、日本のあるメディアに「こういう記事が載っていた」と電話をかけてこられた時のことだった。ドイツの南部の州の総選挙で緑の党が大躍進した直後で、「ドイツの原発は予定より早く廃止されるだろう。だが、選挙の結果が、日本の震災を起爆剤にしてもたらされたものであるように思え、日本人としては複雑な気持ちだ」というような内容の記事だった。正直、最初に私が読んだ時は特に違和感を感じなかった。当時、ドイツメディアのフクシマの報道の仕方は過剰にセンセーショナルな部分があったし、その波に後押しされた形で脱原発を求める声が一気に加速したのも事実だと思ったからだ。しかし、外林先生の捉え方は違っていた。

「どうしてこんな記事を書くのだろう。原発がなくなることのどこが悪いのか。それに、ドイツの人々は日本人に対して心から追悼の気持ちを示してくれているではないか」。

外林先生のこれほど怒った声を聞くのは、この時が最初で最後だった。

先生の核についての考えは一貫していた。「左か右かとか、勝つか負けるかとか、アメリカに責任があるかないかとか、つまり誰がどういう立場かという問題ではない。核兵器も原発も、『人類全体』を考えるとよくない。だから私たちはそれらを早く捨てるべきだ」。これまで先生から伺ってきたお話を集約すると、結局こういうことではないかと思う。

50年以上、外林先生が被爆体験をひたすら内に秘めてこられたのは、放射能をめぐる差別の問題が過去も今も根強く存在するからだ。そのことも私たちは忘れてはならないだろう。

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昨年8月6日の式典で挨拶をする外林先生。両側はアストリッド夫人とポツダム・ヤコブス市長

外林先生に最後にお会いしたのは、昨年の8月6日だった。この日、ポツダム市の名誉市民の称号が贈られることになり、ヒロシマ広場での式典に伺った。先生は手術をされた直後で、すっかりお痩せになったことに驚いた。それでも私の顔を見つけると、笑顔を見せて手を差し出してくださった。その時のことが忘れられない。

ポツダム市長も臨席した式典の挨拶で、外林先生は「長崎にも原爆が落とされたのだから、この広場の名称に『ナガサキ』も加えて欲しい」という希望をおっしゃっていた。

12月7日、ポツダム市の市議会は、「ヒロシマ広場」を「ヒロシマ・ナガサキ広場」に改称する決議を賛成多数で可決した。「ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会」の副会長で、外林先生と長く一緒に活動されてこられた福本榮雄さんから、数日前こんなメールをいただいた。
「(外林先生との最後の電話で)広場の名称をヒロシマ・ナガサキ広場と改名することが市議会で決議されましたとお伝えできたことが救いです。念願のベンチが設置されたことも。一度も座っていただくことはできませんでしたが」。

「ベンチ?」と思った。だが、外林先生に最初にインタビューした際の録音を聞き直してみたら、最後の方で確かにこうおっしゃっていた。「ヒロシマ広場にベンチを置いたらどうかと思っているんです。記念碑を前にして、そこに座ってゆっくり考えられるようにね」。

外林秀人先生、短い間でしたが、大切なことをたくさん教えてくださり、どうもありがとうございました。今度ヒロシマ・ナガサキ広場に行く時は、そのベンチに座りながら、先生が残されたメッセージの意味をじっくり考えたいと思います。どうか安らかにお眠りください。

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ヒロシマ・ナガサキ広場の原爆記念碑の前に立つ外林先生

関連記事:

外林秀人氏死去(ドイツ在住の被爆語り部)
 外林 秀人氏(そとばやし・ひでと=ドイツ在住の被爆語り部)12月28日、ベルリンの病院で死去、82歳。長い闘病生活を送っていた。
 29年11月長崎生まれ。45年8月に広島で被爆した。留学生としてベルリンに渡り、ベルリン工科大で教授を務めた。原爆投下命令が出された地とされるドイツ東部ポツダムに、「ヒロシマ・ナガサキ広場」や原爆碑を設置する活動に尽力。ドイツ各地で被爆体験を伝えながら寄付を呼び掛けた。(ベルリン時事)(2012/01/02-19:55)

NACHRUF: Hiroshima-Opfer gestorben - Jakobs würdigt Hideto Sotobayashi
(2011-12-31, Märkische Allgemeine)

Letzter Wunsch - Sotobayashi wird in Potsdam beerdigt
(2012-01-06, Märkische Allgemeine)
この記事によると、外林先生の葬儀は1月23日に行われることになったそうです。

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by berlinHbf | 2012-01-07 14:45 | ベルリンの人々 | Comments(7)

Frohes Neues Jahr 2012!

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スーパーで見つけたドイツの新年の縁起物、煙突掃除人くん

新年あけましておめでとうございます。

暮れも押し迫った12月30日、このブログでも何度かご紹介した外林秀人先生が入院先の病院で息を引き取られたという知らせを受け、大きなショックを受けました(外林先生についてはInterviewのタグをご参照ください)。「先生が残そうとされたメッセージは何だったのだろう」という思いが反芻したまま、年越しを迎えたような気がします。決して長い時間ではなかったものの、外林先生からは大切なことをたくさん学ばせていただきました。ご冥福を祈りながら、近いうちに追悼文を書こうと思っています。

2012年1月1日は、ユーロが生活の中で流通するようになってからちょうど10年なのですよね。あの直前、銀行でユーロの各種硬貨が入った入門キット(?)のようなものを受け取った時の新鮮感、そして元旦に当時の同居人が興奮して「オイロ!オイロ!オイロ!」と叫んでいたことはよく覚えています。あの強かったユーロがいまや100円を切ってしまうだなんて、当時はほとんど想像できませんでした。メルケル首相は新年の挨拶の中で、「ヨーロッパ大陸が平和的に統一されたことが歴史の贈り物であることを、私たちは忘れてはなりません。それは半世紀以上に渡って、平和、自由、平等、人権、民主主義をもたらしたのです。現代においても、その価値は評価し尽くせることではありません」と語っていますが、いまだ暴力や専制主義が横行している世界を見ると、その意義を忘れるべきではないのだと思います。ひょっとしたら1年後にはユーロを巡る状況はまた大きく変わってきているのかもしれませんが、この危機を何とか乗り切ることを願っています。

日本もヨーロッパも、年が変わったからといって現状が変わるものではありませんが、それでも友達やお世話になっている人たちから、年賀状やメッセージをもらい、新しい年の希望や目標などを伝え合うのはいいものです。今年は新しく北ドイツをテーマにした連載をいただいたので、旅をする機会が少し増えるかもしれません。日本に帰ったら今度こそ被災地に足を運びたいし、単行本もまた書きたいし、行きたいところややりたいことはいっぱい。でも、あれこれ手を出し過ぎて、どれも中途半端に散らかったまま、ということがないようにしないと、と思います。

そうそう、ベルリンに関して言えば、2012年6月には、いよいよベルリン・ブランデンブルク国際空港が開港します。フリードリヒ大王の生誕300年と森鴎外の生誕150年といった記念年も注目でしょうか。

このブログはといえば、昨年特に後半は更新意欲がやや衰えがちで、マメにチェックしてくださっていた方、ごめんなさい!FacebookやTwitterなど関わるものが増えてきたのと、ブログにおける(書き手と読み手の)相互作用性を以前ほど感じられなくなってきたことも原因だと思います。でも、自分にとって一番「積み重ねてきた」という気持ちを持てるブログというツールのよさを再認識する機会が最近いくつかあり、今年はまた時間のある限り更新していけたらと思っています。お気軽にコメントなどいただけるとうれしいです。

皆さまのご健康とご多幸を祈って。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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by berlinHbf | 2012-01-01 17:26 | ベルリンのいま | Comments(5)

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