ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

Amazonにてネット購入ができます。



『街歩きのドイツ語 』
¥1,575
三修社

豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

ベルリン更新情報
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元薬局のチョコレート屋さん

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先日、久々に会った友達と、前から一度行ってみたいと思っていたチョコレート屋に足を運んでみました。外観はそれほど目立たないのですが、中に入ってみて重厚な内装に驚くことになります。

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こちらがカウンター。高い天井とスタッコの彫刻。それだけでなく、木製の家具の重厚なこと。何も知らないでいきなり来た人は、ここで飲み物の注文をするだけでも緊張してしまいそうです。

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冒頭に答えを書いてしまいましたが、このチョコレート屋さん、元々は薬局だったのです。それも、1892年に創業したという古い古い薬屋。いつまで薬局として営業していたのかは知りませんが、現在建物は文化財に指定されています。そのため、内装を大きく変えることはできず、薬屋時代の棚や引き出しがそっくりそのまま引き継がれているというわけなのです(オープンは2009年6月)。ぎっしりとおいしそうなチョコレートが収められたこの向こうには、小さなカフェのスペースがあり、さらにその奥には子供用の小さな遊び部屋も用意されていました。

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入り口近くの大きな窓からの眺めもよかったです。向こう側に見えるのは、『素顔のベルリン』のシェーネベルクの章でも紹介している、硬質レンガを使った珍しい装飾のアパート。1895年建造なので、手前の薬局が建てられたのとわずか3年違いということになります。

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このWinterfeldt Schokoladenは、名前の通りヴィンターフェルト広場のすぐ南側(最寄り駅はU Nollendorfplatz)。カフェとしても利用でき、ここのホットチョコレートはなかなかおいしかったです。この2軒先には、私がベルリンに来た当初から時々通う韓国料理のインビスがありますが、その話はまたいずれ。

Winterfeldt Schokoladen
Goltzstraße 23/Ecke Pallasstraße
10781 Berlin
Tel.: +49 030 23 6 23 25 6
http://www.winterfeldt-schokoladen.de

Mo-Fr 9:00-20:00
Sa, So 9:00-18:00

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by berlinHbf | 2010-10-30 18:36 | ベルリンあれこれ | Comments(3)

最近のオーケストラの公演より

メモ書き程度ですが、ここ最近聞いたコンサートよりいくつか・・・

まず、9月に聞いたラトル指揮ベルリン・フィルの「プルチネッラ」全曲。これは圧巻だった。彼がハイドンなどで見せるような天性の輝き、いやそれをも上回っていたかも。とにかく雄弁極まりない。オケの合奏能力を生かし、筋肉隆々といった感じでパワフルに振ることもあれば、管楽器だけの「ガヴォット」など、ほとんど顔の表情だけで(?)指揮しているような曲もあった。それでいて、どんなキャラクターの曲でも、音楽が1つの求心力のもとにまとまっている。3人の歌手陣も巧みで、一緒に聞いていた音楽家の友達は、ラトルのベスト演奏の1つだと言っていたほど。

10月10日の佐渡裕さん指揮ベルリン・ドイツ響のコンサート。
前半は宮田まゆみさんを招いて笙の作品を2曲(武満と細川作品)。最初の「セレモニアル」。もう大分昔、この曲の初演をたまたまテレビで見ていたが、宮田さんはその時と変わらず凛としたたたずまいでいらっしゃる。やさしい息づかいが遠くからも伝わってくる繊細で重層的な笙の響きと、それに寄り添うたゆたうような弦楽器の波。普段ベルリンのコンサートホールでなかなか味わうことのできない時間の流れだった。お客さんの反応は、最初やや戸惑いも混じっているような感じだったが、黛敏郎の「バッカナール」になるとブラボーもかなり飛んでいた。後半のプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」は、佐渡さんの持ち味が出た好演。この曲は自分でも演奏したことがあるので、ついいろいろな思い出が蘇ってしまう。バルコニーのシーンの音楽とか、何度聞いてもうっとりとなるなあ。タイボルトの死の直前の場面では、もう少しで空中分解しそうなぐらいの高速テンポでハラハラしたが、これもライブの醍醐味。佐渡さんは4月にコンツェルトハウスで聞いた時よりも、動きがダイナミックで、今とても充実している様子が伺えた。

その1週間後は、ロジャー・ノリントン指揮ベルリン・ドイツ響のモーツァルトプログラム。交響曲の33番と36番「ハフナー」、間にピアノ協奏曲の22番という、少し地味ながら愛着のある作品ばかり。今回は楽器の配列が、いつにも増して独特だった。コントラバスが左右に半分ずつ分かれるだけでなく、木管楽器も舞台に向かって右にオーボエとファゴット。左にフルートとクラリネットと並び、彼らだけ立って演奏する。毎回楽しませてくれるノリントン、「ハフナー」のフィナーレでは、最後の最後というところで、曲のテンポに合わせてくるりと回転し、なぜかお客さんの方に向かって指揮。再びオケの方を向いて振るものの、最後の一音は再び客席に向かって決めのポーズ。今でもあの姿を思い出すと、笑いが込み上げてしまう。終演後、弦楽器奏者の知人が、「彼は一体何歳なの?心が若いわねえ」とふと話していた。ノリントンは来年春に再びDSOに客演し、マーラーの交響曲第4番を振るそうで、こちらも期待大。

最近は不況の影響からか、どこのオーケストラもお客さんを集めるのになかなか苦労しているようだ(ベルリン・フィルでさえ、ラトルが指揮する時以外、そういつもは完売にならないそう)。それに加えて、ベルリンの歌劇場のオーケストラのストライキも始まっており、コーミッシェ・オーパーでは後半がピアノ伴奏という公演もあったそうだ。今後が気になる。

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by berlinHbf | 2010-10-26 23:57 | ベルリン音楽日記 | Comments(5)

欧州最大の鉄道見本市InnoTrans (2)

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さて、これが最新型のICE、シーメンス社製の"Velaro"です。いかがでしょう、この外観。最高速度は時速320キロ。外観の目立った変化はありませんが、これまでの車両より10%エネルギー消費量を減らす工夫なども施されているそう。ICEといえば、この夏、猛暑の中の走行中に突然冷房が止まるというトラブルがありましたが、さすがにもうそんなことは起こらないのでしょうね^^;)。

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さすがに注目度は高いようで、この列車の前だけは長蛇の列ができています。私も並んでみました。

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中に入ってみて、「ドイツらしいなあ」というのが最初の感想。これで1等ですからね。確かに座席は非常にゆったりした作りになっていますが、「豪華な」印象はまったくと言っていいほどありません(それに比べると、日本の新幹線のグリーン車の方がよっぽどゴージャスな印象を与えるかも)。

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その一方で、居住性はなかなか素晴らしく、確かにこれならば長時間乗っても疲れないのかもしれません。あとこれはWさんに聞いたのですが、この新型ICEはきついカーブに差し掛かる直前、自動的に線路に油を流すシステムが搭載されていて、カーブ特有のキンキンした音をできる限り発生させない仕組みになっているのだとか。

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この新型ICEは2011年末からドイツで営業運転を開始するそう。楽しみですね。

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最後にもう1枚。シュコダ社の低床式トラム。RIGAと大きく書いてあったので、ラトヴィアの首都で走るのでしょうか。2002年に初めてバルト三国を訪れた時、リトアニアの首都ヴィリニュスでボロボロのトロリーバスが走っていて驚きましたが、それも過去の風景になったのかもしれません。

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by berlinHbf | 2010-10-22 12:26 | ベルリンあれこれ | Comments(2)

欧州最大の鉄道見本市InnoTrans (1)

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先月末、ベルリンの見本市会場で行われたInnoTransという国際鉄道技術専門見本市に足を運ぶ機会がありました。2年おきに開催されるヨーロッパ最大規模の鉄道見本市だとかで、今回は41カ国より1914社が出展しているというから驚きです(日本語ページはこちらより)。SバーンMesse Nord駅側の入り口から中に入ってみると、そのあまりのスケールにびっくり。こちらはご存知DB(ドイツ鉄道)のブースですね。

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鉄道見本市といっても、いわゆる鉄オタ風の人は皆無で、ほとんどがスーツ姿のビジネスマン。当然のことながら、みなさんあくまで仕事で来ているのです。実際、6日間の開催期間中のうち、4日目までは外部の人には公開されておらず、非常に専門性の高いメッセという感じでした。

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至る所に、車輪やら、何かのモーターやら、このようにパンタグラフだったり、ドアの開閉装置だったりが置いてあるのですが、鉄道に多少の興味はあっても、素人には何が何だかほとんどがチンプンカンプンです。

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この日は日本からやって来た知人のWさんが招待してくれたお陰で中に入れたのですが、彼が日本の鉄道会社に取引しているというのが、線路を固定するドイツ製の特殊な留め金。例えばドイツ鉄道ではほとんどのレールでこの会社のものが採用されているのだそうです。なんともマニアックな世界ですが、このことを知ってからというもの、電車を待っている間、たまにホームから線路を覗き込んでしまう始末(?)。Wさんとお昼をご一緒し、正直そろそろ帰ろうかなと思っていたら、「野外展示場の車両はもうご覧になりましたか?あれはすごいですよ。つい昨日、新型のICEが発表されたばかりで話題になっています」とWさんがおっしゃるので、これは行ってみねばと予定変更(笑)。

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実際行ってみたら、見本市会場の裏側に、こんな広大なヤードがあったのかとただただびっくり。何本もの線路にぎっしりと最新の車両が並んでおり、ここなら誰でも楽しめます。実際、見本市の最後の2日間、この野外展示場だけは、2ユーロの入場料で一般にも公開されるのです。

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まず私の目を引いたのは、超特急ペンドリーノの新型車両。流れるようなフォルムがかっこよく、カーブにも強い振り子式の車両です。

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ペンドリーノといえばイタリアのイメージがありましたが、至る所にスイス鉄道のロゴがあったのでスイス製?このように車内も見学でき、1等車の乗り心地を体験することができます。

(つづく)

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by berlinHbf | 2010-10-20 23:57 | ベルリンあれこれ | Comments(9)

NHK「テレビでドイツ語」11月号

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NHK「テレビでドイツ語」11月号のテキストが発売になりました。今月の表紙は、ミッテのシャルロッテン通りにあるアルド・ロッシのカラフルな建築群ですね。

連載「映画で歩くベルリン」は、映画の舞台となった時代に焦点を当て、過去から現在へたどる形でベルリンの映画を紹介していますが、今月は前回の『トンネル』に対して、東西分断時代の西ベルリンを描いた映画『クリスチーネ・F』(1981年)を取り上げました。なるべく幅広い時代とテーマの映画を紹介したいという思いがある一方、日本で(DVDなどで)視聴可能な映画でないとダメという条件から、作品選びには苦労が伴いましたが、ここからは有名作品が続く予定なので、来年3月号までお付き合いいただけると幸いです(「苦労」とはいうものの、映画を観て、舞台となった場所を探して歩いて書く、ものすごく楽しく続けさせていただいている連載です)。

最新号のトピック(NHK出版のHPより)
新講座スタート! これからベルリンのシンボルや穴場を探す旅に出かけましょう。「~はどこですか?」「~を探しています」などのフレーズから始めて、ドイツ語の基礎を少しずつ学んでいきます。テキスト冒頭にはウォーミングアップとして「あいさつ表現」も掲載しています。
(2009年4月~9月の再放送)

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by berlinHbf | 2010-10-19 11:30 | ドイツ語関連 | Comments(0)

発掘の散歩術(3) -ベルリンの氷河時代を感じて-

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M2 Mollstr./Prenzlauer Alleeにて (2010-9-30)

自分の足で歩いてみればすぐにわかることだが、ベルリンは極めて平坦な地形の街である。山らしい山はほとんどない。地図を見ると、プレンツラウアー・ベルク、クロイツベルク、シェーネベルクなど、語尾に「ベルク」(山)が付く地名は、そのような平坦な部分の北側か南側かのどちらかに位置することに気付く。だが、それが何を意味するのかを問う人はどれだけいるだろう。コンクリートの地面の上を歩き、ビルに囲まれた生活を送っている都会人に、それがどういう地盤の上に成り立っているのかなど、問いを向けさせること自体が難しい話だ。

最近、早稲田大学教育学部地歴学科で「ベルリン・ブランデンブルクの氷河地形」の研究をしている山本隆太さん(同大博士課程)に出会ってから、街を歩く時の感じ方が変わった。

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山本さんが提供してくれた図表をもとに話を進めるとイメージしやすい。左が氷河時代の終わり頃、今から約2万年前のベルリン・ブランデンブルクの景観。バルト海側から拡大してきた氷河がブランデンブルクをすっぽりと覆い、気温は現代より7度ほど低かったという。何よりベルリンが巨大な氷河に覆われていたという事実にまず驚く。氷河の高さは200メートル近くにも及んだそうで、その重さで地面は少しずつ平らになった。氷河の北と南の両側には、ものすごい圧力が掛かり、語尾に「ベルク」が付く地名の原型となる丘が生成された。このようにして、後に都市ベルリンの土台となる谷底ができあがったのである。

その後、現在の気候に向けて温暖化していく過程で、氷は解けていった。氷河の雪解け水が傾斜をつたって谷底に流れて生まれたのが、エルベ川やシュプレー川。いまや細々としたシュプレー川だが、山本さんによると、氷河時代の終わりにはアジアの大河のような大きな流れだったという。その光景を想像しただけで胸が躍るのを感じてしまう。

このような背景を知ると、ベルリン・ブランデンブルクの地形の特徴がすっと頭に入ってくる。ベルリンが沼沢地だったのは、かつて氷河の雪解け水がたまったがゆえに泥っぽいから(この街にいくつもある小さな湖も、解け残った氷の塊から生まれた)。地下を掘ればすぐに水が出てくるのは、ベルリンが谷底にあるため、地下水位が高いからだ。また、丘を構成する土壌は、氷河が運んできた大きな石や泥でごった煮状態になっており、植林地としてしか使えない。そのため、今でも車で走ると地面のデコボコが感じられるという。ブランデンブルクの特徴である松の植林景観は、このような土壌の上に成り立っているのである。

ベルリンの街を歩いていて、なだらかな坂に出会ったら、それは氷河時代に巨大な氷の圧力によって生まれたものと思って、まず間違いない。

山本さんはこう語る。「一見正反対のように見える都市と自然は、実は乖離していないんです。目や耳を澄ませば、ベルリンという大都市の中でも、氷河時代の痕跡をたくさん見つけることができますよ」。
ドイツニュースダイジェスト 10月8日)

Information
クロイツベルクの丘
Kreuzberg


地下鉄U6のメーリングダム駅から徒歩10分、ヴィクトリア公園(Viktoriapark)内にある「クロイツベルク」は、モレーンと呼ばれる土壌の淵にある丘。高さは66メートルあり、頂上の国民記念碑(Nationaldenkmal)からの眺めはすばらしい。

Viktoriapark
住所: Kreuzbergstraße 10965 Berlin
www.berlin.de/orte/sehenswuerdigkeiten/viktoriapark/


旧博物館の前の「迷子石」
Granitschale im Lustgarten

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ルストガルテンの旧博物館前にある花崗岩の巨大なお椀は、いわゆる「迷子石」(Findling)が元になっている。文字通り、かつて氷河が運んできた漂石のことで、建築家シンケルのアイデアによりブランデンブルク地方で見つかった約750トンの1つの石を彫って作られた。

Lustgarten
住所:Lustgarten, 10178 Berlin
www.berlin.de/orte/sehenswuerdigkeiten/lustgarten/

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by berlinHbf | 2010-10-16 12:10 | ベルリン発掘(全般) | Comments(3)

州立歌劇場の引っ越しの日

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この9月からいよいよ大規模な改装工事が始まったベルリンの州立歌劇場(Staatsoper)。丸3年間に渡る工事期間中は、西側のシラー劇場が仮の本拠地となるのですが、9月19日に行われた引っ越しは、その特別な趣向で話題を集めました。

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それは、州立歌劇場のあるミッテ地区からシラー劇場のあるシャルロッテンブルク地区へ、歌劇場の関係者が船に乗ってやって来るというものです。この日の夕方、船が到着するゴスコフスキー橋に行ってみると、すでに大勢の人々が周辺に集まっていました。そして18時頃、最初の船が着岸すると、周囲から大きな拍手で迎えられ、ベルリン・ドイツオペラの児童合唱団が歌で歓迎しました。シラー劇場はドイツオペラから徒歩10分ほどの距離で、この2つのオペラ劇場はしばらくの間、ご近所同士になるのです。音楽監督のダニエル・バレンボイムと劇場支配人のユルゲン・フリム夫妻が上機嫌で人々の前に姿を現すと、やがてシュターツカペレのメンバーや歌手、合唱団を乗せた計4隻の船も無事到着しました。

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今度はシラー劇場に舞台が移ります。フリムの掛け声で劇場のドアが開くと、待ち受けていた大勢のファンがなだれ込みました。“Kleine Nachtmusik”と題した入場無料のコンサートが皆さんのお目当てだったのですが、あまりの人混みで座れない人が続出。急遽舞台上にも椅子が組まれることになりました。その間、フリムが司会者となって開演までの間をもたせたのですが、そこで彼が始めたのが「劇場最初のリハーサル」。あるフレーズをお客さん全員に朗読させたり、上と下の階で分けてブラボーとブーイングを大音量で交互にさせたりと、この「音響チェック」により、演奏が始まる前から舞台の盛り上がりは最高潮に達しました。

やがて、シュターツカペレがバレンボイムの指揮で、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を華やかに奏でると(サプライズでバレンボイムのピアノのアンコールも)、この歌劇場のお馴染みのソリストたちが数曲ずつアリアやリートを、そして最後は専属の合唱団が「カルメン」や「タンホイザー」などから壮麗な歌を歌い上げました。

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シラー劇場の前で入場を待ちわびる人たち

改装されたばかりのシラー劇場は、元々は演劇用の劇場のため客席がやや窮屈に感じられたものの、音響はなかなかのものです。今シーズン最初のプレミエは、先日惜しまれつつこの世を去った舞台・映画監督クリストフ・シュリンゲンジーフ演出の『メタノイア』。州立歌劇場の新しいシーズンから目が離せません。www.staatsoper-berlin.org
ドイツニュースダイジェスト 10月8日)

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by berlinHbf | 2010-10-11 23:34 | ベルリン音楽日記 | Comments(6)

外林秀人さんインタビュー(3) -核をめぐる2つの場所-

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旧カイザー・ヴィルヘルム化学研究所の建物。当時のままの外観を保っている。

外林さんが長年勤めたマックス・プランク協会のフリッツ・ハーバー研究所は、奇しくも核をめぐるもう1 つの原点の場所と向かい合っていた。問われる政治家と科学者のモラル。

私のダーレムの研究所の近くに、旧カイザー・ヴィルヘルム化学研究所(現Otto-Hahn-Bau)があって、1938年にオットー・ハーン、フリッツ・ストラスマン、リーゼ・マイトナーたちはそこでウランの核分裂を発見しました。原子核のエネルギー利用が人間の手に渡ったのです。その7年後の1945 年7月16日、トルーマンがポツダム滞在中、原爆完成の報告を受け、25日に原爆投下の命令が出されました。そこから言えるのは、科学者の彼らは、原爆のことなどもちろん頭になく、ただ科学的な好奇心から研究を突き進めたわけです。ところが7年経って、その成果が爆弾という形になって現れてしまった。ここです。面白いと思ったら何をやっても良いのだろうか? 例えば、アインシュタインは最初原爆開発の提案をしましたが、その破壊力に恐ろしくなり、実際の開発には関わりませんでしたよね。そういう人間的なところがある。ところが、原爆は実際に生まれ、実行へと移されてしまった。私はここに科学者と政治家の道徳や倫理の不足を感じます。

それゆえ、私はこの記念碑の最後の文章にこう付け加えたかったのです。「われわれはよく考えなければならない。政治的、科学的な好奇心には限界がないのか? そこに道徳的、倫理的な障害物があるべきではないだろうか?」と。ベルリンのダーレムで核分裂が発見され、紆余曲折を経て7 年後、ポツダムのこの館での命令によって原爆投下が実行に移された。両者は20キロと離れていません。原子爆弾の歴史でこれほど意義のある場所はないと思うのです。私が提案した一節は、ポツダムの州議会での議論の末、残念ながら削除されてしまいましたが、この記念碑はそのような問いかけ、思索の場所になればと願っています。

子供を試験管で作ってもいいのか、あるいは広島・長崎の何千倍もの威力を持つ原爆を作ることにどんな意義があるのか。そういったことの限度を人間の文化の程度によって定める必要があるのではないだろうか。他に重要なのは原子力エネルギーの利用の問題です。プルトニウムというのは、元来自然界には存在しませんでした。核の開発の過程で人間が偶然作り出し、今その処理に困っている。アメリカの原子力委員会は、「(プルトニウムは)100万年管理せよ」ということを言っています。放射能が消えるまでそのぐらいかかるというのです。一体どれくらいの年月なのか想像してみてください。このプルトニウムを今どんどん作っていて、後の世代に管理を任せようとしている。これが原子力エネルギーの根本です。原発が世界中で稼働している現実を皆さんに考えていただきたい。自然界になかったものを人間が勝手に作り出し、それを100万年管理してくださいだなんて子孫に言えますか?CO2の問題とは根本的に違うんです。そういうことを結局政府は伝えようとしない。

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原爆記念碑と、後ろに写っているのが「トルーマン・ハウス」。ノルウェー在住の彫刻家・藤原信氏が制作した記念碑には、「1945年7月25日に大統領の同意の下、原爆投下命令が下された」などの碑文が日英独の3カ国語で記されている

倫理なき科学の進歩、そして原子力エネルギーの利用にも警告を唱える一方、核廃絶を目指すオバマ大統領の存在や、この夏米国駐日大使が広島の追悼式典に初めて参列したことなどは、希望と感じている。最後にこんなことを語ってくれた。

この前、完成した原爆記念碑を改めて1人で見に行ったのですが、ノルウェーから運ばれて来た大きな石が、太陽を浴びてぴかぴか光っていたのです。私にはその光がどこか精霊のように見えてきました。ひょっとしたらほかにもいらっしゃるのかもしれませんが、このベルリン・ブランデンブルク周辺の被爆者といえば、長い間私1人でした。でも、この慰霊碑ができてからは、何となくたくさんの慰霊が来てくれたような気がするんです。ずっと1人で叫んでいたのが、今は多くの人が後ろに付いて立ってくれている。とても心強い思いがします。
ドイツニュースダイジェスト 10月1日)

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原爆記念碑が除幕された7月25日夜、グリープニッツ湖畔で行われた灯籠流し。灯籠には「人類は生きねばならぬ」と書かれていた。

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by berlinHbf | 2010-10-08 18:04 | ベルリンの人々 | Comments(3)

外林秀人さんインタビュー(2) -なぜ被爆体験を封印してきたか-

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外林さんはヒロシマの被爆者である。16歳の時、広島高等師範学校の化学の授業中に爆風を受けた。爆心地から南にわずか1.7 キロの距離だった。奇跡的に生き延びたものの、原爆で母親、そして多くの親戚や知人を亡くしている。この体験を、外林さんは数年前まで公にすることはなかった。半世紀以上もの間、被爆体験を胸の奥に秘めてきた背景は何だったのだろうか。

「見ません、聞きません、しゃべりません」という猿のことわざではないですが、言い出すと思い出すし、思い出すと嫌になる。別にそれで何か得があるわけでもない。もちろん原爆について何かを伝えなければという思いはあります。ただ、被爆者ということで疎外される現実があるのです。例えば、今回のヒロシマ広場の原爆記念碑に広島と長崎からの被爆石が埋め込まれましたが、「被爆した石というと、ドイツ人が嫌がるからあえて書かない方が良いのではないか」という反応がありました。冗談ではないと。被爆者の悲劇が疎外されている。「触らない方が良いだろう。何が起こるかわからないから」ということですが、こういったことは被爆者に対しても当てはまります。科学的には全く意味のないことですが、かといって科学的には意味がないと言って削るわけにもいかないんです。実際わからないですから。被爆した人に何らかの影響が出るのは、10年後なのか20 年後なのか、あるいは次の世代なのか。恐いのはそこです。原爆というのは実験なんです。そして、その実験はまだ完了していない。

例えば、私の弟に息子と娘がいるのですが、「縁談に影響するから、(被爆のことは)あまり大っぴらに話さないでほしい」と言われたことがあります。エイズのように、いろいろな噂が流れ、それが疎外につながっていく。また、私は亡くなった母の慰霊を広島の国立の記念碑に登録したかったのですが、それも「ちょっと待ってほしい」と周りから止められました。自分の親族が原爆の被害者だということを知られるのを嫌がるのですね。被爆者への疎外というのは、広島の中でも外でも、いまだに根強くあるんです。そういうことがあるから私も口を控えて、人が嫌がることを敢えてやる必要もないだろうと思っていました。

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ホテル・ヒルトン内のカフェで2時間にわたり、ご自身の体験をお話ししてくれた外林博士

転機は2006年に訪れた。愛知万博の最終日に、『ドイツの原子力物語』(総合工学出版社)の共著者である科学者の外山茂樹氏、そして仁科浩二郎氏に後押しされ、3人で講演会を名古屋で行った。日本で被爆体験を語った最初の機会だったという。

反響は大きく、同じことをドイツでもやったらどうかということになったんです。特にその後押しをしたのが、私の妹でした。終戦の年、当時10歳以下だった妹は広島の郊外に強制疎開しており、母がその様子を定期的に見に行っていました。子どもたちにとっては母親と一緒に寝るのが楽しみだったのですね。8月の初頭、恋しがる妹の希望で、母は滞在を少し延ばしました。ところが、そのために、8月6日が勤労奉仕(空襲の際、火の回りを遅らせるために、建物を壊して道路を拡張する作業。町内ごとに分担が決まっていた)の分担の日に当たってしまった・・・・・・。もし母がそのまま帰って、前の日に勤労奉仕をしていたら、助かっていたかもしれない。妹はそのことに対して責任を感じていて、原爆の反対運動に対して熱心でした。それだけに、私が名古屋で話したことも喜んでくれて、「お兄さん、しっかりね」とドイツでの講演も応援してくれたのです。

2007年にベルリンの日独センターで講演を行って以来、ドイツはもちろん、ヨーロッパの諸都市で原爆の体験を語り続けてきた。そこで集まった募金は、記念碑設立の資金に回された。現地の人々の反応はどうだったのだろうか。

反応はとても良いです。私が原爆を受けた時と同じ、15、6歳ぐらいの若い皆さんの前で話す機会もありますが、後でいただいた手紙を読むと、アメリカを憎むとか、責任者は誰々だとか、そういうことではなくて、「人間が、こんなことをして良いのですか?」という純真な反応を示してくれます。

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被爆した広島電鉄の路面電車の敷石と、長崎市の山王神社境内の石が埋め込まれている原爆記念碑

今回のポツダムの原爆記念碑に関して、現地在住のアメリカ人による投稿が地元紙に掲載された。「この記念碑を作ることによって日本人は被害者の立場に立ち、戦争責任から目を反らそうとしている」という趣旨の投稿に対して紙面上で議論が交わされ、ちょっとした話題となった。

広島と長崎に原爆が落とされて、被害を受けたのはもちろん日本人です。でも私は、原爆というのは神が人類全体に対して行った行為だと思っています。私がいろいろ意見を言っているのも、日本人としてではなく、こういう悲劇は二度と人類に起きてはいけないという意味で、多くの人間の1人としてお話ししています。核の危険性が増す中で、ボタン1つ押せば原子爆弾は飛ぶんですから。すると、相手も自動的にボタンを押すでしょう。それによって人類は滅亡するんです。最後なんです。人類全体の問題として私は話をしているのに、議論の程度が低くなると、誰々が殺した、だからこちらも誰々を殺した、ということになってしまう。原爆の悲劇はわれわれだけでいい。その望みをこれからの人々に託したいという思いから、私は今いろいろな場所でお話ししているのです。

(つづく)

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by berlinHbf | 2010-10-06 00:59 | ベルリンの人々 | Comments(8)

外林秀人さんインタビュー(1) -ベルリンほど原爆に安全な場所はなかった-

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8月にインタビューをさせていただく機会のあったベルリン在住の科学者、外林秀人さんの記事が今週号のドイツニュースダイジェストに掲載されました。字数の関係で掲載できなかった部分も含め、これから3回に分けて再掲したいと思います。大変興味深い内容なので、お読みいただけると幸いです。

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外林 秀人 
そとばやし・ひでと

工学博士
1929年長崎市生まれ。16歳の時に広島で被爆。京都大学工学部を経て、マックス・プランク研究所教授、ベルリン工科大学非常勤教授(高分子物理化学)を歴任。1994年定年退職、ベルリン在住。
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ポツダム会談の会期中の1945年7月25日、トルーマン米大統領は、当時滞在していたポツダム市郊外のグリープニッツ湖畔の邸宅で、日本への原爆投下命令を下したと言われている。あれから65年が経った今年7月25日、歴史的な邸宅の前の「ヒロシマ広場」にて、新しい記念碑の除幕式が行われた。この「ポツダム・ヒロシマ広場をつくる会」の中心メンバーの1人として記念碑設立に尽力してきたのが、外林さんである。

外林さんは、1957年にフンボルト財団の奨学生として海を渡って以来、科学者としてほぼ途切れることなくベルリンに住んでいる。壁の建設、東西冷戦の実情、そして壁の崩壊に至るまで、直に体験してきたベルリンの昔の話からインタビューは始まった。



1957年、28歳の時にフンボルト財団の奨学生としてベルリンにやって来ました。当時すでにヨーロッパへ飛行機が飛び始めていましたが、京都大学の高分子学科の桜田先生は、「お前はまだ時間があるのだから、船で行きなさい」とおっしゃるので、神戸からジェノヴァまで貨物船に乗って約4週間かけてヨーロッパにやって来ました。

1961年8月13日は、車でイタリアを旅行していました。現地の新聞が盛んにベルリーノと報道していて、そこで壁ができたことを知ったんです。もちろんびっくりしましたが、自分にとって一番大事な所有物である車は持って出ていたので、急いで戻る必要もないなと。その約1週間後、ベルリンに帰る時に、ちょうどハノーヴァーからアメリカ軍の戦車が西ベルリンに入るのにぶつかって、一緒に走ってきました。西ベルリンの市民は大喜びしていましたよ。もちろん私に対してではなく、アメリカ軍に対してでしたけれども。ジョンソン副大統領が西ベルリンを訪れたのもちょうどその時だったと思います。よく覚えているのは、(西ベルリンに入ってすぐの)ヴァンゼーで市民から花束をたくさんもらったことですね。当時は西ベルリンを出て行く人ばかりだったから、ベルリンナンバーの車がわざわざ戻って来て、しかもそれが外国人だったから、「よく帰って来てくれた!」と歓迎されたのです。

いろいろな経験をしたのは、東ドイツと西ドイツ、表面上は喧嘩しているように見えても、下では手を握っているようでしたね。アメリカやソ連の援助を引き出すために、時々危ない場面も作り出すわけです。そういう政治の裏事情はよく感じられました。何か突拍子もない事件が起きても、「これは本当に喧嘩しているのか?どこまで本気なのか?」と思ってよく見ると、予め下の方で仕組まれていて、経済援助を引き出すためにわざとやったのではないかと思うことがよくありました。政治というのは作り事ですよ。壁を作って、(意図的に)緊張を生み出す。東独では車を運転する際に嫌がらせも受けましたね。検問所で丹念に検査をすれば、20〜30キロの渋滞はすぐにできます。車を追い越す時にウインカーを出したとか出さなかったとかで嫌がらせを受けましたし、ドレスデンにオペラの招待を受けて出かけた時は、ビザの関係でその日のうちに帰って来なければならなかったのですが、なにせ道路状態が悪いでしょう。10分ぐらい遅れただけなのに、もう大変。検問所で車の中のありとあらゆる場所を調べられました。

これだけ長く住んでいますから、やはりベルリンが好きなのでしょうね。フリッツ・ハーバー研究室の雰囲気も大好きで、昔からの伝統があり、やりたいことが自由にできる最高の環境でした。もう1 つ、ベルリンに長く住んでいる理由は、ベルリンほど原子爆弾に対して安全な場所は世界になかったからです。アメリカもソ連もここには決して原爆を落とせなかったでしょう。ソ連が西ベルリンに攻めて来るなんて言われていましたが、進撃にだって時間は掛かる。一番恐いのは原爆ですよ。ここにいれば二度と原爆には遭遇しないだろうと信じていましたから。

(つづく)

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by berlinHbf | 2010-10-03 14:09 | ベルリンの人々 | Comments(0)

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