ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

Amazonにてネット購入ができます。



『街歩きのドイツ語 』
¥1,575
三修社

豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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クロイツベルク回想録1988-89(5) - あれから20年 -

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映画『クリスチーネ・F』(原題は『われら動物園駅の子どもたち』)

長野順二さんによる「クロイツベルク回想録1988-89」の最終回をお送りします。


<クリスチーネ・F>
かなり冷え込んでいた秋の夜遅く、公園の脇を通りかかると暗がりの中から10代中頃のドイツ人の少女がこちらに近づいて来て、力なく「5マルク(だったか3マルクだったか?)くれないか」と言いました。その少女、姿はごく普通の女の子でしたが、お腹をすかしての物乞いではなく、見るからにドラッグを買いたいがための物乞いでした。その少女の表情からは、まるで生気が感じられませんでした。僕はその頼みを無下に断って、さっさとその場を去って行きました。

ただそれだけの出来事であり、僕にとってはドラマチックに語るような出来事ではありませんでしたが、その時僕はふと「ああ、彼女がクリスチーネ・Fか」と思いました。クリスチーネ・Fとは、西ベルリンに住むごく普通の少女が、ドラッグに手を出し堕ちていく姿を描いた映画の事です(この映画は、日本でも81年に公開されました)。もちろん、映画のモデルとなった少女本人という意味ではありませんが、当人と同じ街で同じ問題を抱えた同年代の少女を実際に見て、何ともやるせない思いを味わった、そんな出来事でした。これはクロイツベルクでの体験ではありませんが、当時の西ベルリンの負の部分を象徴する出来事に思えたので、記しておきました。

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<あれから20年>
1988年秋と翌89年夏、この2度のクロイツベルクをメインとしたベルリン訪問。両方合わせてもたった1ヶ月ほどの滞在でしたが、その後のベルリンの壁崩壊に端を発した大きな時代の変化を考えると、とても貴重な体験を得られたのだなとつくづく思います。また、もっとメンタルな面での貴重な体験もありました。それはウォルフガングを始めクロイツベルクで出逢えた人たちの暮らしに感じた“人生のスタンス”の様なものが、まだ20代だった僕に新鮮な衝撃を与えてくれたことです。その衝撃的なほどの人生のスタンスとは「こんな生き方もあり」といった感覚です。もう少し言い換えると「自分と他者が違うのは当然」、そんな感覚でしょうか。まあ、自分と他者とが違うのは当然であって、本来そんなこと、20代も後半に差し掛かった大人が驚き知ることでもないのでしょうが、それでもやはり、これは当時の僕にとっては大きな衝撃であり刺激でした。

帰国してから映像業界に戻り、再スタートしてなんとかディレクターとなり・・・・と、その後日本で忙しく過ごした10数年。この間にクロイツベルクで感じた人生のスタンスは、物事を見ようとする目線など少なからず仕事をする上で影響を受けました。そしてカナダに移住後、子供の誕生を機に育児のために専業主夫というポジションを選べたのも、カナダではそんな生き方が比較的できやすいという理由以上に、クロイツベルクで感じたこの人生のスタンスが大きく影響しています。

ベルリンの壁崩壊からもうすぐ20年。この20年間一度もベルリンには行っていません。ただ、マスメディアやインターネットを通してベルリンの変化を伝え聞いているだけです。壁崩壊によって大きく変わったのは、世界情勢以上にパンク・トルコ人・芸術家・空家不法占拠者たちの住むクロイツベルクであり、この地区の人々の暮らしではないかな?と時々現在のクロイツベルクに思いを馳せたりします。クロイツベルクで出逢った人たちの人生のスタンスは今どうなっているのか、とても気になります。

(了)


印象深いお話を聞かせてくださった長野順二さんに心よりお礼を申し上げます。
長野さん、数日前カナダのご自宅に『素顔のベルリン』を送らせていただきました。私の写真と文章を通じて、この20年のベルリンの歩みをいくらかでも感じ取っていただけると幸いです。

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by berlinHbf | 2009-10-31 15:43 | ベルリンの人々 | Comments(3)

クロイツベルク回想録1988-89(4) - パンクたち -

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当時ベルリンで盛んに行われていた“空家不法占拠居住運動”のシンボルマーク。落書きの様にしてアパートの壁などにデカデカと描かれているのを所々で見かけた(長野順二さん所蔵の写真より)


<パンク>
クロイツベルクではパンクの若者をよく見かけましたが(稀に老いたパンクも)、一般的なカフェやバーで見かける事はありませんでした。見かけたのは、ほとんどが歩道や公園、広場、古びたアパートの前にたむろしている様子でした。特に2度目に訪れた夏には、道端のあちこちで(言葉は悪いですが)ゴロゴロしている姿をよく見ました。歩道と車道の段差に腰掛けたり、歩道に寝転んだりして缶ビール片手に雑談している彼らの様は、何とものどかでした。幼い子供を連れた若いお母さんパンクの姿も、時々見かけました。彼らパンクの様相で特に目を引かれたのは、夏に素足でいる人が妙に多かった事です。座り込んでいる時にだけ靴と靴下を脱いでいたのではなく、明らかに裸足で出歩いていました。スーパーマーケットで、裸足のまま買い物をしているパンクを見かけた事もあったと思います。クロイツベルクで見かけたパンクたちの姿は、微笑ましい光景からシンナーの入ったビニール袋を持ってヨロヨロと歩いているものまで様々でした。

<クロイツベルクの治安>
この街自体は、押し並べて色褪せたスラムっぽい雰囲気はありましたが、その度合いも地域によって違う印象でした。シャミッソー広場の辺りは、クロイツベルクの中でも健全な雰囲気があり、逆にSchlesisches Tor界隈は、かなり寒々とした胡散臭さが漂っていたと思います。それでも、アメリカの都市部のスラム街のように、いつ凶器を持った輩に襲われるかもしれない、といった危険は感じませんでした。また、あまり悪い噂やニュースも耳にしませんでしたし。当時の街の見た目の雰囲気と治安の実情には、結構なギャップがあったのではないかと思います。ただし、自転車泥棒は頻発していた様です。僕も実際に、鍵のかかったままの自転車を大慌てで物陰に引き込んで行く若い男女の姿を見かけました。

ただ、一度だけ本当に「ヤバい!」と思った事があります。夜、U7 Südstern駅の上にある公衆トイレで一人小用を足していた時、20歳位のパンクの青年がふらりと入って来て洗面台の脇で立ち止まるなり、突然刃渡り20センチ程もあるサバイバルナイフを懐から出しました。この瞬間、本当に心臓が口から飛び出しそうな恐怖を感じました。それは、叫び声をあげたくても声も出ない程の恐怖でした。これがもし小用を始める前であったなら、おそらくズボンの中にしてしまっていた事と思います(汚い話で申し訳ありません!!)。

しかし、このパンクの青年はその後こちらには見向きもせず、もう片方の手に握っていたハッシッシを洗面台の上に置いて、大きなサバイバルナイフを打ち付け一心不乱にそれを砕き始めました。怯えながら、なかなか終わらぬ小用をようやく終えると、僕はその青年の脇をゆ~っくりとすり抜けてトイレのドアを出るなり、人通りのある方へ一目散に駆け出しました。今でも想い出すとあの時の驚き(恐怖)は、鮮明に蘇ってきます。

<パンクの来る店>
先に「パンクをカフェやバーで見かける事はない」と書きましたが、まったくなかったのではなく、パンクの集う店というのもありました。その一つが、シャミッソー広場とウォルフガングのアパートとの中間辺りにあった”パンク・バー(?)”です。確かアパートの一階にあり、外からは何の店だかわからず、中に入るとその造りは、薄暗い中に所々蛍光色の灯りがあり、激しいサウンドのロックがガンガン鳴り響いている、まるで高校の文化祭のロック喫茶の様な店でした。ここもウォルフガングに連れて行ってもらった店の一つですが、その時店内に居た客は、僕たち一行以外は皆パンクの若者でした。どうやらウォルフガングは、この店の常連の一人のようでした。2度目に行った時も同じ状況だったと思います。

ウォルフガングは、行く先々の店で全て僕の勘定まで払ってくれたので、この店のビールの価格がいくら位だったか、まったく記憶にありません。

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マサトさんのブログでも取り上げられたことのある、L字の角を曲がった先のT字路のコーナーにある”小さい塔の様な建物”の中の店でも、パンクを見かけました。店といっても、ここはライブハウスのような店で、僕がウォルフガングに連れて行ってもらった時には、高校生くらいの年頃の子達のヘビーメタルバンドが、演奏をしていました(音楽は全く素人の僕が聞いても、そのヘタさが分かる演奏でしたが、不思議とその気迫には何かハートを掴まれるものがありました!)。ここの客層はパンクだけでなく、それ以外の10代や20代の若者が混在していたと記憶しています。

もう一つが、Südstern駅の入口のすぐ近く(Gneisenaustr.沿い)にあった店です。夏の夜にこの店の前を通りかかったら、大勢のパンク達が店の外にまで溢れ出して、道端に座り込んだり寝転んだりしながらビールなどを飲んでいました。この店には入ってみたかったのですが、あの状況の中で日本人の観光客然とした僕に、一人で入って行けるだけの気合いがありませんでした。

(つづく)


(ブログ管理人による追記)
長野さんの回想録を拝読して、クロイツベルクも変わったものだと思います。長野さんがここで触れているパンクのバーが現存しないのはもちろん、シャミッソー広場周辺(『素顔のベルリン』のKreuzberg2で紹介)でパンクの若者を見かけることなどまずなくなりました。私がこの界隈に住んでいた6年半の間にも、周辺の店の顔ぶれは変わり、大分洗練されたような気がします。家賃もずいぶん上がりました。

それでも2枚目の写真に如実に現れているように、街並みは20年前とほとんど何も変わっていません。また、長野さんが語っている人々の「質実剛健なカジュアルさ」も健在だと感じます。ここで触れられている「L字の角を曲がった先のT字路のコーナーにある”小さい塔の様な建物”の中の店」は、実は今週末に予定している出版記念のパーティー会場(詳しくはこちらより)の給水塔です。パーティー会場がなかなか決まらなくて困っていた時、ここの中で働く初対面のおじさんに自分の本の話をしたら熱心に聞いてくれ、「ぜひここを使いなさい」と言ってくれました。こういうところに、この街の「懐の広さ」を感じます。

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by berlinHbf | 2009-10-29 23:37 | ベルリンの人々 | Comments(0)

クロイツベルク回想録1988-89(3) -この街に生きる人々-

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写真家ヴォルフガング・クローロフ(Foto: Jana Farley)

長野順二さんによる「クロイツベルク回想録1988-89」の第3回目は、写真家ヴォルフガング・クローロフを通じて出会ったクロイツベルクの人びとについてです。


<クロイツベルクの人々>
ウォルフガングの所には、様々な友人知人が訪ねて来ていました。その大半の人たちが、何らかの形で創作活動をしているクロイツベルクの住人だったと思います。 ミュージシャン、絵描き、役者、(建物や街の)模型職人、写真家、etc(中にはテニスプレーヤーもいましたが)。ウォルフガング以上にお世話になった当時の彼のガールフレンドのタマラも、生業にはしていませんでしたが画を描く人でした。二人にはよくシャミッソー広場界隈のカフェやバーへ連れて行ってもらいました。シャミッソー広場のテンペルホーフ側正面にあるカフェもその一つです(現在でもあるかどうかは分かりませんが)。夕方になるとどこかの店に赴き、ビールやワインを飲みながら顔見知りの客達と何やら談義をする(ドイツ語だったので、何を話しているのやらわからなかったのが残念至極!)。その様子を見ていて、昔のパリのカフェもこんな風だったのだろうな、などと思ったりしたものです。

ウォルフガングを訪ねて来る友人知人も、連れて行ってもらった店の客達もウォルフガング同様、服装を含め実にカジュアルな感じの人たちばかりでした。東京やパリ、ロンドンやミラノでよく見かけるクリエーター然とした(フッション誌のモデルの様な気合いの入った着こなしの)人は皆無だったと思います。質実剛健なカジュアルさとでも云うか、ここで出逢った人達を見ているうちに、「肩に力の入っていない地に足の着いた暮らしとは、こういう風なものなのかな」と感じられる様になり、それまで感じていた胡散臭さが、一風変わった不思議な魅力へと変わっていきました。当時バブルの真っ最中だった日本(東京)から来たので、余計そう感じられたに違いありません。

ウォルフガングを訪ねて来た人達の中で、特に記憶に残っているのが、西ベルリンで前衛舞台を中心に活動している女優さんと東ベルリンに住むその妹さんです。(僕の記憶が正しければ)この姉妹はオランダ系なので、妹さんは東ドイツ人と結婚し主婦として東側で暮らしていながらも、東・西を自由に出入り出来る、という境遇でした。

もう一人が、ウォルフガングに自分の撮った写真を見せに来てアドバイスを受けていた20歳前後のフランス人青年です。彼は当時、西側に駐留していたフランス軍の兵士で、西ベルリンに配属されてからウォルフガングと知り合ったようです。

ウォルフガングの紹介で知り合った人ではありませんが(クロイツベルク在住でもないと思いますが)、もう一人忘れ難い人がいます。それは(Sバーンの)WilhelmsruhかFrohnau駅近辺の壁際を散策していた時、僕に声をかけてきた老人です。この老人は、東側から穴を掘り壁の下をくぐって西側に亡命して来たそうで、その抜け穴のあった場所を指し示しながら、その時の事を聞かせてくれました。これも残念ながら詳細は思い出せません。

ちなみに、この辺りの壁は、クロイツベルクで見る壁ほどものものしい造りではありませんでした。また(Uバーンの)Rudow駅に近い辺りの壁は、それよりも一層ヤワな造りに見えました。あくまでも、見た目での印象ですが。

(つづく)

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by berlinHbf | 2009-10-27 17:40 | ベルリンの人々 | Comments(0)

『素顔のベルリン』出版記念パーティーのお知らせ

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今日から冬時間に変わったベルリンより、1つ告知をさせていただきます。
私の著書『素顔のベルリン』の出版に際して、11月1日に出版記念パーティーを開催させていただくことになりました。今回お世話になった「地球の歩き方」プロデューサーの伊澤さんとドイツ在住の共通の友人「クニさん」が、「本が無事完成したらぜひ何かやりましょう」と前々から話をしてくださっていたもので、ありがたくそのお話に乗らせていただくことにしました。

日時:11月1日(日)13時〜
場所:DTK-Wasserturm Kreuzberg
Kopischstraße 7
10965 Berlin
最寄り駅:U6 Platz der Luftbrücke駅より徒歩5分。

飲み物は会場にバーがありますが、何か召し上がりたい方はそれぞれご持参いただけると大変ありがたいです(もちろん手ぶらでも大歓迎です)。また当日、出版元のご好意により(数に限りはありますが)『素顔のベルリン』を販売させていただけることになりました。こちらもどうぞよろしくお願いします。

会場のWasserturmというのは1908年建造の古い給水塔で、その下のスペースをお借りできることになりました。『素顔のベルリン』(P114)でも写真付きで紹介しているこの場所で出版記念のパーティーを行えるのは、私にとってうれしいことです。シャミッソー広場周辺は戦前のアルトバウが多く残る素敵な界隈ですし(現在連載中の「クロイツベルク回想録」の舞台でもあります)、よかったら日曜日の散歩がてらいらしてください。多少の変更がある場合は、またこのブログでお知らせします。どなたでもお気軽にどうぞ!

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by berlinHbf | 2009-10-25 16:49 | ベルリンを「読む」 | Comments(18)

クロイツベルク回想録(2) -ウォルフガングとの出逢い-

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西側の壁際で無邪気に遊ぶ子供たち(長野順二さん所蔵の写真より)


<クロイツベルクの第一印象>
晩秋というよりも冬のような、曇天の多い底冷えするベルリンは、繁華街でもどこか寒々しい白黒写真の様なモノトーンの街、それが第一印象でした。

クロイツベルクは、その寒々した風景の中にパンク、老人、トルコ人、アラブの黒い衣装を被った女性、パンクではないけどどこか薄汚れた風体の若者が混在した、正直うさん臭さをも感じてしまう街でした。これは、いわゆるビジネススーツや(日本人的感覚での)小じゃれた身なりをした壮年期の人をほとんど見かけなかったから、そう感じたのかと思います。 

<西ベルリンの壁際>
ベルリン滞在中は、壁際をよく歩きました。特にクロイツベルクの壁際は、何度も何度も行ったり来たりを繰り返していました。列車での体験とは裏腹に、当時の西側の壁際では想像していたような緊張感は感じられませんでした。それどころか人通りはそれほど多くなかったものの、カップルや老人、犬を連れた人達が散歩をしていたり、子供達が無邪気に遊んでいたりと、むしろ遊歩道のようなのどかさでした。「遊歩道のような」ではなく、多くの壁際はまさに市民の遊歩道として利用されていたと思います。それでも、壁際の所々に在る東ベルリン側を見るための櫓に登り壁の向こう側を眺めると、東西対立の現実を再認識させられました。

この櫓に登ると、常に東側の見張り台の兵士から双眼鏡で監視されましたが、その時感じたのは監視される緊張よりも「彼らは、どんな思いで西側に立つ人たちを見ているのかな?」という疑問でした。
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壁沿いに犬の散歩をする老人。壁際は恰好の散歩道として西側市民に利用されていた

<ウォルフガングとの出逢い>
西ベルリンに着くとすぐに写真集『Seiltanze』を求めるべく、あちこちの書店を見てまわりました。そしてジョン・F・ケネディが、かの有名な演説をした市庁舎の近くにある小さな書店で、件の写真集をようやく見つけたのですが、書店の店主曰く「これは預かり物なので売れません」とのこと。がっかりしている僕を見た店主は、「この写真家は、西ベルリンに住んでいるはずだから」と電話帳でウォルフガングの番号を探し出し、電話をかけて本人に事情を説明してくれました。するとウォルフガングは、「取りあえずこちらへ来ないか」と言ってくれたので、早速御自宅へ伺う事になりました。この伺った先が、シャミッソー広場のすぐ近く、L字の曲角の辺りに在る重厚な建物のアパートでした。

ウォルフガングに会った第一印象は、カジュアルな服装に少し長髪の、まったくアーティストという気取りや過剰な気難しさのない穏やかな感じの人でした。ドイツ語などまったくわからない上に、英語さえもろくに出来ない僕の話を、ウォルフガングは気長に聞いてくれ、また、クロイツベルクの事をいろいろと話してくれました。残念ながら、その時ウォルフガングがクロイツベルクについてどんな話を聞かせてくれたのか、今となっては詳細までは思い出せませんが、とにかく、この地区の住人の特徴や空家不法占拠居住運動、数年前に起きた暴動などについて聞かせてくれました。拙いコミュニケーションながらも、あれこれと話し合っているうちに「居心地の悪い宿に泊まっているくらいなら、うちに来たらどうだ?」との申し出をいただき、厚顔無恥な僕はその晩だったか翌日からだったか、とにかくウォルフガングのアパートで西ベルリンを発つまでの1週間程、居候をさせてもらうことになりました。

その当時でも自分のしている事が厚かましいだけでなく、かなり無謀でもあるとは思いましたが、クロイツベルクでこの街のアーティスト(しかも『Seiltanze』の写真家)の創作や暮らしぶりが垣間見られると思うと、これぞ千載一遇のチャンスでしかありませんでした。突然現れた見ず知らずの日本人を自宅に居候させてくれるとは、ウォルフガングの懐が果てしなく深いのか、クロイツベルクの人達の気風がそうなのか?きっと両方が相まっての幸運だったと思います。

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写真家ウォルフガング・クローロフ氏の撮った2人の少女(ドイツ人とトルコ人)がキャッチボールをしているこの写真は、クロイツベルクという特殊な地区を象徴した写真として、ベルリンを始めドイツでは有名な作品。この反人種主義運動(?)のような市民運動のポスター等に時々この写真は使われていた

(つづく)

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by berlinHbf | 2009-10-24 21:25 | ベルリンの人々 | Comments(0)

クロイツベルク回想録1988-89 (1) -国境越え-

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今回より長野順二さんのクロイツベルク回想録をお届けします(写真も長野さん所蔵のもの)。

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二十年近くも前の話、まず何からお聞かせしたらよいのやら?迷いつつ記憶を辿っております。ちょっと長くなるかも知れませんが、まずは、クロイツベルグに向かう事になったきっかけから始めます。

<クロイツベルグを知ったきっかけ>
クロイツベルグを知ったのは、作家・小田実さんの著書『西ベルリンで見たこと 日本で考えたこと』を1988年の夏に読んだのがきっかけです。ここには小田氏のベルリン滞在記を通して、クロイツベルグの事が紹介されています。その一端に、この地区の日常を収めたウォルフガング・クローロフの写真集『綱の上のダンス』(『Seiltanze』)も紹介されています。もっとも、小田氏の本の中に、ウォルフガングの名前は記されておりませんが。

当時の僕は大学卒業後、東京の映像制作会社でアシスタントディレクターとして四年半程働いていた頃で、「この先もしディレクターになれたとしても、今の様な狭い視野のままで果たして面白い作品を撮る事が出来るのだろうか?」。そんな疑問を自分自身に抱き、「今のうちにせめて1年位は、日本の外を色々と見ておいた方がいいのでは?」などと漠然と考えていた時でした。そんな折、小田氏の著作『ベルリン日録』でベルリンに興味をひかれ、次作の『西ベルリンで見たこと 日本で考えたこと』が決定打となり、「東・西のベルリンを、そしてクロイツベルグを体感せねば!」と好奇心に駆られ、遂に会社を辞めてこの年の秋から一年間ヨーロッパを巡る事を決意。そうして10月下旬から11月上旬にかけて初めてベルリンを訪ねました。クロイツベルグに住むウォルフガングとは、その際に出逢いました。また、ウォルフガングと再会する為、翌1989年の7月下旬から8月の中旬にもベルリンを訪ねました。

<国境越え>
1988年秋、ハノーバーから鉄路での西ベルリン入りは、東・西ドイツ国境でのチェックが、スパイ映画や戦争映画さながらの緊張したものでした。自分の乗った列車が、幾重もの鉄柵を徐行と停止を繰り返しながら通り、自動小銃を抱えジャーマンシェパードを連れた東側の兵士達が、大きな鏡でその列車の底をも隈無く調べる。当時は東・西がある意味戦争状態だったのだから、それは当然なのですが、戦後生まれで平和ボケしている日本人の僕には、今自分が体験している状況に緊張しながらもどこか現実味が感じられませんでした。

翌年の夏は、ロンドンから出ている長距離バスで西ベルリンに入りました。鉄路が道路に変わっただけで、この際も東西国境での緊張感は前年の秋と同様のものでした。この頃既にチェコスロバキア〜ハンガリー~オーストリア経由で大量の東ドイツ国民が亡命を続けていて、国家体制が危うくなっているとニュースで大々的に報じられていましたが、まさかその数ヶ月後にベルリンの壁が崩壊するとは、想像も出来ませんでした。

(つづく)

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by berlinHbf | 2009-10-22 21:47 | ベルリンの人々 | Comments(1)

「クロイツベルク回想録1988-89」を始めるにあたって

壁崩壊からちょうど20年というこの秋、6年半住んだクロイツベルクを離れるにあたって、ぜひともこのブログで紹介したい話がありました。

事の発端は2年前の秋にさかのぼります。クロイツベルクを撮り続けてきたヴォルフガング・クローロフという写真家の展覧会の紹介をした際に、ある読者の方から次のコメントをいただいたのです(その時の記事はこちら)。
Commented by Takora at 2007-09-11 16:03 x
はじめまして。バンクーバー在のTakoraと申します。きっといつか、ウォルフガングの話題も取り上げられるだろうと思っておりました。僕は19年前、クロイツベルグの日常を収めたウォルフガングの『Seiltanze』と云う写真集をベルリンで探していた際、幸運にも氏と巡り合う機会を得、以降ベルリンに足を向けて寝られない程お世話になりました。氏のお陰で滞在中(88年秋と89年夏)、当時のクロイツベルグを象徴する様なアーティストやパンク、カフェやバーの人達と接しリアルなクロイツベルグを体感出来た事は、僕の人生の宝となっています。今でもあの街の混沌の中に潜む魅力は忘れられません。壁崩壊後、街がどう変わりつつあるのか?マサトさんのブログ、これからも目が離せません。余談ですが、ウォルフガングはマサトさんのすぐご近所に住んでいるはずです!
ヴォルフガング・クローロフは、クロイツベルクを写したそのいくつかの写真は比較的知られているものの、世界的に著名な写真家というわけではありません。その彼を直接知り、壁崩壊直前のクロイツベルクを体感した日本人がいるということに私は少なからず驚き、興味を持ったところ、やがてカナダ在住のTakoraさんこと長野順二さんからメールが送られてきました。しかも、ご自身のクロイツベルクでのかなり長い体験記を書いてくださったのです。それがとても面白かった。自分が住む広場周辺が舞台ということで親近感を感じただけでなく、日本のごく「普通の」若者がクロイツベルクに突然やって来て、そこで感じた新鮮な驚きが素直に綴られていました。

2009年のこの秋、2年前にいただいたクロイツベルク回想録に長野さんがエピローグを書き加えてくださり、このブログに掲載させていただけることになりました。私としてはこの上ない喜びです。

1989年のいわゆるWende(転換年)というと、東の人々が味わった大変動を中心に語られがちですが、「陸の孤島」だった西ベルリンが終わりを迎えた年でもあったのです。「昔の方がずっと刺激的だった」とクーダム周辺に長く住むある日本人女性が、あるとき私に言いました。「昔の西ベルリンは店を始めるためのいろいろな優遇措置があって、街も店も活気があったわねえ」と日本食屋さんを長く経営するご夫婦も話しておられました。西ベルリンの中でも、特にこのクロイツベルクが特異な場所であったということは、当ブログでもたびたびご紹介してきましたが、長野さんの回想録は、あの時代のベルリン、そしてクロイツベルクにしかなかった空気を感じていただくためにも、とても貴重な内容だと思います。

素顔のベルリン』でも取り上げた場所がいくつも出てきます。拙著をお持ちの方は、地図を照らし合わせて読んでいただけると、感興はさらに深まるのではないかと思います。全5回程度を予定しています。どうぞご期待ください。

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by berlinHbf | 2009-10-20 20:16 | ベルリンの人々 | Comments(2)

Coyote No.39 特集:スペイン彷徨

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最近発売されたCoyoteという雑誌に、「ひとつの駅のふたつの世界」というタイトルのルポルタージュを書かせていただきました(大分後ろの方のページです)。夏に『コヨーテ』の編集部の方から執筆のご依頼をいただいたとき、恥ずかしながらこの雑誌の存在は知りませんでした。でも、出版元の「スイッチ・パブリッシング」という名前にはピンときました。学生時代、好きでよく眺めていた沢木耕太郎の『天涯』という写真集を出していた出版社だったのです。他にも一時期よく読んでいた藤原新也や池澤夏樹といった書き手も、ここから本を出されており、不思議なご縁だなあとうれしくなりました。

旅心にいざなわれる1冊です。今回の特集の「スペイン彷徨」の終着点、サンチャゴ・デ・コンポステーラは11年前私が初めてヨーロッパを訪れたときの街。懐かしさとともに、ダイナミックな美しい写真の数々に圧倒されました。ご一読いただけると幸いです。


COYOTE No.39
フランスからスペインのガリシア地方まで約1500キロ続く道がある。サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼の道だ。悠々と自然のなかに身を置き、未だ見ぬ聖地を目指して前へと進むとき、人は何を想うのだろう。千年以上前から人々を魅了してやまない巡礼の道を歩く
2009年10月10日発売 価格1470円(税込)

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by berlinHbf | 2009-10-17 20:12 | ベルリンを「読む」 | Comments(3)

久々の引っ越し

しばらくご無沙汰していました。この10日間は、久々の引っ越しでとても慌ただしく、ネットにもほとんどつなげない日々が続いていました(メールのお返事も滞りがちになってしまい、すみません!)

何しろ6年半ぶりの引っ越しだったので、荷物の梱包から不要となった家具の解体、そして運び出しと予想以上に大変でした。自分でもイヤになったのが、この間にたまった本を中心とした紙類の多さ。必要な本などはしょうがないのですが(ということにしておこう)、例えばコンサートなどのプログラム類など、なかなか扱いに困ります。また、オーケストラやオペラ座の年間プログラムとか、ただでさえ大判でかさばるものが、5年も6年も経つと結構な量になります。ベルリン・フィルが2ヶ月おきに出しているマガジン(最近有料になりましたね)は2002年から毎号取ってあるのですが、これも相当な分量に・・・。「ゆっくり読み直すことはあるのかあ」と思いつつ、資料にもなるしで結局捨てられず新居に運んで来ました。

今回ラッキーだったのが、秋から日本に赴任する友人のMさん夫妻のアパートを引き継ぐことができたことです。引っ越しに関わる面倒な手続きも最小限で済み、また家具をいくつも譲っていただき、大変ありがたかったです。しかも、引っ越しの日には、Mさんのお父さんが手伝いに来てくださり(年金生活者だというのに信じられないぐらいエネルギッシュな方でびっくり!)、韓国人の友人Y君も荷物運びを手伝ってくれるわで、本当にいろいろな方々に感謝するばかりです。

ともかく、6年半住んだクロイツベルクを離れ、旧西側のヴィルマースドルフという地区に越してきました。住み始める前は「普通の住宅街」というか、何もなさそうな印象だったのですが、決してそんなことはありません。これから新しいエリアを開拓するのも楽しみです。

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by berlinHbf | 2009-10-17 19:17 | ベルリン発掘(全般) | Comments(11)

転換年カレンダー「1989年10月6日」

1989年10月6日(金)
東ドイツが西ベルリンのラジオを妨害 「サービスの夜」をめぐる論争


Der sowjetische Parteichef Gorbatschow ist in Ost-Berlin eingetroffen. Er will an den Feierlichkeiten zum 40. Jahrestag der DDR teilnehmen. Stasi und Polizei sind in Alarmbereitschaft. Auch „betriebliche Kampfgruppen der Arbeiterklasse“ sollen aktiviert worden sein, verlautet aus Ost-Berlin. Oppositionsgruppen rufen ihre Anhänger zur Zurückhaltung auf. Bei einem Gottesdienst in der Gethsemanekirche in Prenzlauer Berg wird vor 1500 Teilnehmern zu Gewaltlosigkeit aufgerufen. „Neues Forum“-Sprecher Jens Reich sagt, auch in der SED gebe es Reformwillige, die genau wüssten, dass „die DDR den Zug in die Moderne verpasst hat“.

東ドイツ建国40周年の祝典に参加するソ連のゴルバチョフ書記長が、東ベルリンに到着した。シュタージと警察は、警報に備えて出動準備をしている。東ベルリンからの発表によると、「労働者階級の武装民兵隊」も活動している模様だ。反体制グループは、同調者に対して行動を自制するよう呼びかけている。プレンツラウアー・ベルクのゲッセマネ教会の礼拝では、1500人の参加者を前に非暴力が呼びかけられた。「新フォーラム」のスポークスマン、イェンス・ライヒは「社会主義統一党の中にも改革の意思があり、『東ドイツが近代性への流れに乗り損なった』ことを彼らは正確にわかっている」と語った。

An den Grenzübergängen werden hunderte Besucher aus dem Westen abgewiesen, darunter auch Rentner und eine Schulklasse. Die Bundesregierung protestiert gegen die Behinderung. Auch wird der West-Berliner Radiosender 100,6 durch Störsignale behindert. Das ergaben Peilmessungen der Post. „Die Störungen traten stets während der Nachrichtensendungen auf“, sagt ein Postsprecher. Hörer aus Ost-Berlin hatten beim Sender über schlechten Empfang geklagt. Andere Anrufer berichteten von einem Militärlaster „mit offenkundiger Sendeeinrichtung“, der nahe der Sektorengrenze unterwegs gewesen sei. CDU-Oppositionsführer Eberhard Diepgen protestiert scharf gegen die „Behinderung freier Pressearbeit“ und fordert den Senat auf, bei der DDR-Führung einen offiziellen Protest einzulegen.

国境地点では、数百人もの西側からの訪問者が通過を拒否され、その中には年金生活者や学校の生徒もいた。連邦政府はその妨げに対して抗議した。西ベルリンのラジオ放送局100,6もまた、妨害信号によって妨害された。それを明らかにしたのは、郵便の方位測定だった。「ニュース放送の最中、妨害は常に起こっている」と郵便のスポークスマンは語る。東ベルリンからのリスナーも、受信状況が悪いことをラジオ局に訴えた。その中に、「『明らかに放送の機器を備えた』軍隊用トラックが、国境地点の近くにいた」と電話で報告する人もいた。CDUの野党党首エバーハルト・ディープゲンは、「言論活動の自由への妨げ」に対して強く抗議し、(西ベルリン)州政府に対し、東ドイツの首脳部に公式の抗議を申し立てるよう要求した。

In West-Berlin streiten sich Parteien, Wirtschaft und Gewerkschaften um den neu eingeführten Dienstleistungsabend. Laut Gewerkschaft Handel, Banken und Versicherungen sei der erste Abend ein „Reinfall“ gewesen. Behörden, Banken, Ärzte und viele Warenhäuser hätten nicht mitgezogen. Der Dienstleistungsabend sei nur der erste Schritt, um die Ladenöffnungszeiten weiter zu flexibilisieren.

西ベルリンでは、政党や経済界、労働組合が、新しく導入された「サービスの夜」に関して論争している。貿易、銀行、保険の労働組合によると、初日の夜は「期待はずれ」だった。役所、銀行、医者、多くのデパートは歩みを共にすることなく、この「サービスの夜」は、店の開業時間を柔軟にするための第一歩にすぎなかった、とのことである。

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by berlinHbf | 2009-10-07 23:57 | ベルリンあれこれ | Comments(3)

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