ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


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地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


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ベルリンの地下ツアーに参加

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夏の暑い日、ベルリンの地下空間にもぐって涼んでみるのはいかがでしょうか。地下といっても地下鉄駅やデパチカのことではありません。戦時中の防空壕、核シェルター、建設されたものの結局使われなかったトンネルなど、ベルリンの地下にはそんなおどろおどろしい過去の遺構がいくつも眠っているのです。

1997年以来、知られざるベルリンの地下世界を研究している「ベルリンの地下世界協会」(Berliner Unterwelten e.V)が定期的に開催するツアーに参加してみました。いくつか用意されているコースの中からこの日選んだのは、「気送郵便」(Rohrpost)の舞台を巡るツアー。

気送郵便と聞いてピンとくる方はどれだけいらっしゃるでしょうか。これは、圧縮空気によって、手紙や葉書、電報の入った筒のケースを地下のパイプを通して瞬時に送る郵便方式で、ベルリンでは1865年に実用化され、1945年までが最盛期でした。当時張り巡らされていたパイプの全長は400キロにも及び、パリに次いで世界2番目の規模だったというから驚きです。

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かつて郵便物を入れたケースを手に説明するアーノルトさん

毎週日曜日の11時と13時に行われるツアーの集合場所は、ミッテのオラニエンブルク通り、新シナゴーグのほぼ向かいにある、かつての中央電信局の横です。気送郵便の本も著しているイングマール・アーノルトさんが1時間半にわたって案内してくれました。

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ドイツ語のみの説明を聞き取るのは容易ではありませんでしたが、複雑怪奇な機械類を見て回るだけでも、電信からEメールにいたる人類のコミュニケーションの歴史が垣間見られて興味深かったです。かつて手紙の入った筒のケースが次々と送り込まれてきた受信室に立っていると、往年の活気が眼前によみがえってくるようでした。

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いまにもお化けが出てきそうな雰囲気の地下

気送郵便は、ベルリンが東西に分断された後も活躍しましたが、1976年に東側で廃止されたのを最後に、人々の記憶から急速に忘れ去られていきます。数十年間放置されたままの地下内は、涼しいというよりも肌寒いほどで、床にはキノコが生えていました。

ドイツニュースダイジェスト 8月22日)

追記:
建物の再開発のため、この気送郵便ツアーは2008年11月をもって終了となったそうです。

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by berlinHbf | 2008-08-31 15:06 | ベルリン発掘(全般) | Comments(12)

山根寿代さんのこと(5) - 仕事、旅、そして人生 -

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このシリーズの最後に、ここまで貴重なお話をたくさん聞かせてくださった山根寿代さんご自身のことを触れておきたい。春に初めてお会いしたとき、こんな元気な90歳の方がいるのかと私は驚いた。頭の回転が速く、話の話題が豊富。この方の人生も、お祖父さんに負けず劣らず興味深いのだった。

今回の話は、春にお会いしたときの会話をもとに構成するつもりだったのだが、寿代さんに新たに聞いてみたいことがいくつも出てきて、それをリストにまとめて送ったところ、実に16枚もの便箋に返事を書いてくださった。そこから多くを引用させていただいた。

寿代さんは、あの時代の女性にしては珍しく、長い会社生活を送られている。夫が結核という不治の病に倒れたことで、戦後、朝鮮戦争のころから東京にあるアメリカの船会社の代理店で働きながら、子供2人を育て上げた。
私達の時代は女学校の5年を終えますと、大学へ行くか家で習い事をして結婚するかの二通りで、仕事に就く事は殆どございませんでした。同級生の殆どは家庭で主婦をして一生を送っていますが、私は訳あって30歳から社会に出て働きました。それが38年間続きましたので、結構世の中を見て参りました。別に偉くなったわけでもなく、足りない頭を使ってやっと仕事をこなした程度でございます(手紙より)。

外に出て働くというのは、計算外のことでした。会社は全部日本人だったけど、内容は全部英語で報告するような会社で、それまでは普通の主婦でしたから大変でしたよ。私は経理担当でしたが、いまみたいに計算機もなかったから、なおさら大変。為替レートはドル立てなので掛け算ばっかり。そろばんをまた習いに行きました(笑)。すごいお金になりますよ、1つの船だから。それまで子供におしめ上げていたのに突然そんなことになっちゃって。だからしたたかにもなります(笑)。世の中が見えて面白かったですけどね。まだアメリカの兵隊がいっぱいいた時代でした(春にお会いしたときに)。
定年で辞めたかったという山根さんだが、会社から重宝され、結局10年延長して68歳まで働いた。その後、山根さんは海外旅行に頻繁に出かけるようになる。ツアーが主だったが、時には家族旅行も。訪れた国は約20カ国になる。「特に印象に残った国・都市は?」と聞いてみたら、ロンドン、モロッコ、トルコ、メキシコ、アメリカなどを挙げられた。手紙に書いてくださった旅の思い出話から、少し引用させていただく。

航空機の開発者である息子さんの赴任先、アメリカを訪ねたときのこと。
空港を出て余りの広大さに驚き、どうしてこんなに大きな国と戦ったのかと思ったのが第一印象でした。ヨーロッパに憧れていましたが、この様な理由で米国行きとなりました。ヨーロッパに比べますと、歴史も浅く遺跡も少なく物足りませんが、それを補うに足る自然が溢れ、沢山学ぶこともありました。息子は一仕事が終って帰国しましたが、また10年後次の機種ボーイング777の為再び渡米、この時も息子の家内の両親も誘い、7人のツアーを組んで最初はカナダへ行き、その後又シアトルへ参りました。アメリカの人々はとても親切で、よく声をかけてきます。百聞は一見に如かずとは本当でございます。体験は私の宝となりました。

所謂先進国をいくつか見たせいかもしれませんが、面白い楽しい国はモロッコでした。本で例えれば1ページ捲る度にまるで違った風景が現れる様な国でした。ベルベル人はとてもいい人達で日本人に好意を持っていました。迷路のようなマラケシュやフェズ、少し走れば熱帯植物が見られ、次は雪景色と目まぐるしい変化は驚きの連続でした。フェズでは裏道にあるホテルでしたが、まだ夜の明けぬ4時頃下の方にある町の家々からコーランの声が立ち昇る様にきこえて来た時は、本当に神秘的で感動しました。

何処の国でも未知の国ですから、興味津々、ワクワクしていますので、時差の辛さも余り感じません。
祖父との関係から、やはりドイツには特別な親近感を感じている。ベルリンの壁崩壊1ヶ月前の東ベルリンに居合わせたこともある(これについては別の機会に触れよう)。そういえば、私が寿代さんのことを知ったのも、旅先のイタリアからの絵葉書だった。

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いろいろな国を訪れるたびに、山根さんが必ずしていることがある。それは、その国の郵便ポストとマンホールの写真を撮ること(笑)。どういうきっかけで路上観察者になられたのかは知らないが、いつしか旅行仲間の間でもそのことが知られるようになり、一度も会ったことのない人から、ある日突然、外国のマンホールやポストの写真が届くこともあるのだそうだ。それを聞いて、私もベルリンから写真をお送りした。

山根寿代さんへの質問状の最後に、私はこんなことを書いてみた。

月並みな質問ですが、長寿の秘訣は?
歳をとっても、日々楽しく充実した人生を送るためには、どういうことに心掛ければいいでしょうか?

何て難しいご質問でしょう。
単純に言えば、「元気だからこそ生きている」の一語に書きます。幼いときは大変な弱虫で病気ばかりして居りました。でもここ迄生きてみますと、「命」と「病」は全然別のものと信じています。私の周囲もこの様な方が沢山いらっしゃいます。
もう一つ、あなたのお父様にも言われましたが、好奇心を人より少し多く持っているかもしれません。わからないものがある時は、何故かと追及します。広辞苑にもよくお世話になります。ここに書き切れませんが、とても不思議な事に、素晴らしい方に出会い、お知り合いとなりますが、その儘で終らず、次へと発展し、楽しいことが続いて居ります。
春にお会いしたときには、こんなことをおっしゃっていたのをよく覚えている。
(いろいろあったけれど)こんな人生も面白かったかなあと。それだけ神様が寿命をくれたと思っていてね。だからそれを活用しなきゃと思っているんです。済んだことなんかどうでもいいんですよ。

(了)

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by berlinHbf | 2008-08-29 22:36 | ベルリンの人々 | Comments(8)

地下鉄クロステル街駅

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U2 Klosterstrasse(2006年12月26日)

山根寿代さんのお話の最終回は準備がもう少し必要なので、今回は別の話題を(といってもいくらかは関連がありますが)。私の好きなベルリンの地下鉄の駅を一つご紹介します。U2のKlosterstrasseで、この界隈が描かれる森鴎外の『舞姫』での表記にならってクロステル街駅としましょう。

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ベルリンの地下鉄(特に古い路線)は駅ごとに個性があって面白いのですが、この駅は照明といい柱の装飾といい、一際レトロチックな雰囲気にあふれています。開業は1913年。ベルリン市750周年の1987年に改修された際、ホームの両面に歴代のバスや地下鉄の絵が掲げられ、ちょっとした交通博物館にもなっています。

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その中で私が好きなのはこれ。1890年の馬車鉄道を描いたものです。森鴎外や山根正次がちょうどベルリンに留学していた頃、こういうものが街の主要な交通手段だったわけです。車体の行き先票を見ると、クロイツベルクのGörlitzer BahnhofからMoritz Platzを経由してFriedrich Strasseまで結んでいたことがわかります。

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この駅の周辺は、また別の機会にご案内しましょう。

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by berlinHbf | 2008-08-28 02:03 | ベルリン発掘(東) | Comments(8)

山根寿代さんのこと(4) - ベルリンの恩師との再会 -

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このシリーズの最初にご紹介した森鴎外との写真のほかに、ベルリンでの貴重な1枚を寿代さんから見せていただいた。これは1900年10月、山根正次(後列向って左より3人目)がパリ万博の出張の途中、ベルリンに住む萩中学時代のドイツ語教師ヒレルの家族を訪ねた際に、日本人の関係者と撮ったという写真だ。

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1900年のベルリンというと、ヴァルター・ベンヤミンの「1900年頃のベルリンの幼年時代」を思い出してしまう。それはともかく、写真という技術がまだ一般的でなかった時代の1枚。画面は温かい雰囲気に満ちている。男性のほぼ全員が、いわゆるカイゼル髭をたくわえているのも微笑ましい。このヒレル家については、寿代さんがコピーを送ってくださった大阪学院大の郡司健教授の「R.Hillerファミリーと山根正次」(大阪日独協会会報)に詳しく紹介されている。面白いと思ったのが、ヒレルが萩滞在中に生まれた長女(写真左下)で、女中のお米さんに可愛がられたことから「オヨネ(Oyone)」と名付けられたそうなのだ。ちなみに次女の名前はフリダ(Frida)で、こちらは普通のドイツ名。

R.ヒレルは1903年にベルリンで亡くなっているが、子孫はいまどこにいるのだろうか。郡司教授は、現在ヒレルの子孫を探しておられるという。ベルリン在住だったとはいえ、Hillerという苗字は珍しい名前ではないため(ドイツの電話帳で検索すると、ドイツ全土で5000以上出てくる)、手がかりはいまだつかめていないとのこと。万が一、明治時代初頭に萩でドイツ語を教えていたReinhold Hillerのご子孫に関して何らかの情報をお持ちの方がいたら、私宛にご一報いただけると幸いです。

山根正次は明治24年(1891)に帰国すると、警察医長に任じられた。これは森鴎外が軍医総監になったのと好対照をなす。後には国会議員にもなり、大正14年(1925)に69歳で亡くなった。

寿代さんは、ご自身が7歳のときまで生きていた祖父の記憶をいくらか持っている。
私の覚えている祖父は晩年で、文字通り私のおじいちゃまであって、優しい子供好きだったと思います。勿論、どんな人生を過ごしたか知りませんでしたが、長男の父へ嫁いで参りました母は、とても懐の深い温かい祖父だったと私に話してくれた事を覚えて居ります。
山根正次の功績について、先の郡司氏はこう書かれている。
このように山根正次は、医家の家に生まれ、萩明倫館(独逸語学所)でHillerのもとにドイツ語を学んだことが、欧州留学・視察・医療行政にあたってもドイツ医学・公衆衛生学に範をとることとなった。彼はコレラやペストだけでなくハンセン病のような国民生活に重大な影響を及ぼす伝染病に対し医学・公衆衛生面から対応し、わが国の公衆衛生・健康福祉の発展に大きく貢献した。
福祉や医療への信頼が根本のところで揺らいでいるいま、明治の日本を支えた気骨ある人物たちを振り返ってみるのも悪くない。

(つづく)

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by berlinHbf | 2008-08-25 23:33 | ベルリンの人々 | Comments(2)

山根寿代さんのこと(3) - 森鴎外からの手紙 -

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山根正次がベルリン留学に向けて発ったのは、1887年10月8日のこと。森鴎外が留学していた時期と重なるが、そもそも2人の間にはどれだけの交流があったのだろうか。
森鴎外の小説は沢山読んで居りますが、直筆を目にしたのは祖父宛の手紙でした。元々鴎外も祖父も医者ですので、帰国後も色々と交流があったと思って居ります。
いつか寿代さんが横須賀を訪れたとき、鞄から何気なく取り出したのが、なんと森鴎外が山根正次に宛てた直筆の手紙だった。実家にあった鴎外の手紙はすでに何通か鴎外記念館に寄贈したが、「生きているうちは自分で楽しみたい」と一通は手元に残してあるのだそうだ。もちろん私の母はびっくりして、写真を撮らせてもらった。和紙の巻紙に書かれた鮮やかな筆致は、なんと美しいことか。

一体どんなすごいことが書かれているのかと私が興味を示したら、寿代さんが内容を現代風に訳してくださった。

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来る七日の紅葉館のお知らせを有難うございました。然し当日生憎差し支えで欠席いたしますので、残念ながらお断りまで。草々 四日 森 山根君侍史
現代ならば携帯メール1本で簡単に済みそうな内容である。
それを明治の文豪は、巻物のような和紙の上に毛筆で書いて、切手を貼って郵送していたのだ。ちなみに、封筒の差出名は「森林太郎」となっている。
コミュニケーションの発達に伴ってどんどん便利になったけれど、われわれはそれによって大事な何かを失ったのではないだろうか?この美しい筆致の手紙を眺めていると、そんな思いも頭を過ぎる。

私が興味を示したせいか、寿代さんは私宛の手紙の中に、この鴎外の手紙のコピーを同封してくださった。しかも、オリジナルの状態そのままに折りたたんでくださって。少し大袈裟かもしれないが、山根正次、寿代さん経由で、ある日突然私のもとに森鴎外から手紙が届いたような、そんな気分を味わった。

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ちなみに、長州人の山根正次は生前、吉田松陰、高杉晋作など幕末維新期に活躍した志士たちの手紙を熱心に収集していたことでも知られ、2006年に萩博物館で「幕末志士たちの手紙展 ~山根正次コレクション~」という展覧会が開かれている。こういう几帳面な人だったからこそ、いくら鴎外のものとはいえ、ちょっとした内容の手紙まで残してくれたのかもしれない。

(つづく)

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by berlinHbf | 2008-08-24 13:05 | ベルリンの人々 | Comments(7)

山根寿代さんのこと(2) - 祖父山根正次 -

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山根正次は、医師山根孝中(松下村塾門下生)の二男として1857年萩城下東郊の香川津に生まれた。孝中はかの松下村塾に入門し、吉田松陰に師事した人物である。正次は、藩の医学校で蘭学を修め,萩中学校でドイツ人教師ラインホルト・ヒレル(Reinhold Hiller)についてドイツ語を学んだ(おそらく今なら「ヒラー」と表記するところだろう)。日本が開国してまだ間もない頃、長州の萩にドイツ人教師がいたことに驚くが、明治初期に各藩は競うようにして外国人教師を高給で招聘したのだという。
明治初頭に毛利家がベルリンのヒレルを呼んで来たんです。それで、祖父たちが14、5歳のときからドイツ語を習ったわけですが、もう日本語とおんなじね。父がドイツ語で書いたもののコピーを、知り合いのドイツ語の先生にお見せして訳してくださったことがあるのですが、もう完璧なドイツ語だったそうです。明治時代の人にとって、留学というのは国を背負っていますね。意気込みからして違う。物事、やる気があるとないとでは大違いでしょう。そんな祖父なのに子孫は全然ダメ(笑)。
当時の萩については、寿代さんはこう語る。
私は幼年期に10ヶ月ほど関西に住んだことがありますが、それっきり東京です。でも、もともとは山口の萩なので、子供の頃は夏休みなどで何度か遊びに行きました。昨年、私が差し上げた祖父の遺品を集めて、萩の博物館で展覧会が行われたのです。そこで学芸員の方と知り合ったり、そこからどんどん話が広がったりして、もうなんか、死ぬにも死ねないのですけどね(笑)。
萩は空襲に遭っていないから、(古いものが)全部残っているんです。300メートルぐらいの山があり、そこから街が一望できます。川が2本流れていて、その中州が萩の街で、向こうはもう海。そこに立ってみて、とっても不思議に思ったんです。この狭いところに、明治維新のとき、なんであれだけいろいろな人が出たのかと。層が厚いでしょう。一番優秀だった久坂玄随とかは22、3歳で亡くなっているのに、その後の何流かが大臣とか総理大臣になっていますよね。まあ、よしあしもあったでしょうけれど。
そういうわけで、去年は何度も萩に行って、急に萩づいちゃいました(笑)。
山根正次はその後,東大医学部を卒業し,明治15年(1882)長崎医学校一等教諭として赴任。同18, 19年に長崎でコレラが大流行した時に伝染病予防委員に任ぜられ、コレラの病理解剖に取り組み、同20年(1887)、新学説によるコレラの実地研究書としては日本初の『虎列刺病汎論(コレラびょうはんろん)』を刊行。ドイツに留学したのは、1887年10月のことだった。

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長崎行きを命じられたときの、月給百弐拾円と書かれた辞令も残っている。
私が驚いたのは、明治15年の120円というのがどれだけの価値があったのかということ。すごいお金だったと思いますよ。
コレラの猛威がどれだけすごかったか。明治18年から19年にかけて全国で10万人以上が死亡したという事実だけでも、そのすさまじさの一端が伝わってくる。人々は感染するのを恐れて家にこもり、長崎の街は死んだように静まり返ったという。

1884年に、すでにロベルト・コッホがコレラ菌を発見していたが、治療法はまだ確立されていなかった。さらに、外国と不平等条約を結んでいた当時の日本には、検疫に関する法律もまだ存在しなかった(開港検疫法の制定は1899年になってから)。古くからの海外との接点ゆえ、しばしば伝染病の発信地となった長崎で、コレラ患者に直に接し、さらに病理解剖まで行う山根の仕事は、まさに命懸けといっていいものだった。
私の父は明治17年に長崎で生れて居ります。ペストが猛威を振るった時期ですから、祖父を送り出す時は毎日「水盃」の気持ちだったと話してくれたことを納得しました。日々、戦々恐々だったことでしょう。
このときの経験から山根は長崎に上水道を整備する重要性を訴え続け、大きな議論を経た後、明治21年に工事が始まった。近代的な水道が建設されたのは、横浜や函館などに次いで、日本では最初期のことだった。

(つづく)

参考:
萩博ブログ:山根正次と高杉晋作   
長崎新聞@コラム:コレラと水道
山崎光夫「森鴎外と山根正次」(大塚薬報。2008年3月)

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by berlinHbf | 2008-08-23 15:07 | ベルリンの人々 | Comments(3)

山根寿代さんのこと(1) -ベルリンで出会った一枚の写真-

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Mori-Ôgai-Gedenkstätte(2007年2月)

私が日本に一時帰国していた2006年11月のある日、実家に1枚の絵葉書が届いた。イタリアからのもので、すばらしい達筆で書かれている。手紙の主は、山根寿代さんという88歳の女性からだという。「88歳でイタリア旅行?」 
一体どういう人なのかと思ったら母が説明してくれた。

その年の5月、両親が横浜の野口英世ゆかりの細菌検査室の隣にある長浜ホールでのコンサートを聴きに行ったときのこと(生物学者の父は、大分前から趣味で?野口英世の研究をしている)。開演まで時間があるので、検査室を見学していたら、「私の祖父も長崎で検医官をしていました」という女性に会ったという。それが山根寿代さんだった。

山根寿代(ひさよ)さんは1918年2月生まれ、現在90歳。祖父の山根正次(1857:安政4年 ~1925:大正14年)は、萩に生まれ、明治時代に活躍した医政家。日本の医事衛生行政に尽くし、日本医科大学の創立者の一人で、森鴎外と同時期にベルリンに留学していた人物でもある。

母によると、山根さんとは会ってすぐに親しくなったそうで、それからお付き合いが始まった。何かお誘いすると、わくわくすると言ってはいつも出てきてくださるという。その後も、寿代さんの話は折に触れて聞いていたので、機会があれば私もぜひお会いしたいと思っていた。そして日本に一時帰国した今年4月初め、横須賀の実家にお招きし、ご本人から直接話を伺うことができたのである。後でも触れるが、寿代さんは若々しく、頭もクリアでとても90歳の老人とは思えない。この日も、東京狛江の自宅から電車とバスを乗り継いで、お1人で横須賀まで来てくださったのである。

話をどこから進めていいものか迷うのだが、まずこの写真から見ていただこう。

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これは、「石黒忠悳を迎えた医学留学生たち」という有名な写真だそうで、明治20年(1887)6月3日、ベルリン・フリードリヒ街の写真館にて撮影されたものである。石黒忠悳(前列右より3人目)とは、当時の陸軍省医務局長(兼内務省衛生局次長)、のちに陸軍軍医総監となる人物で、このときベルリンの留学生を視察に来たらしい。写真には明治の日本を支えた錚々たる面々が並ぶ。有名な人物を何人か挙げるだけでも、山根正次(前列左より2人目)、森林太郎(つまり森鴎外、中列左端。鴎外のサインも下に見える)、中浜東一郎(ジョン万次郎の長男、中列左より3人目)、北里柴三郎(中列右より2人目)、等々。

9年ほど前、寿代さんが団体ツアーでベルリンを旅行し、ルイーゼン通りの森鴎外記念館を訪れたときのことだ。
記念館で手紙や写真を見たりして居りましたら、鴎外と共に留学生たちが写っている一枚の大きい写真が目に入り、その中に祖父がいるのがわかりました。エーッと思いましたが、時間が無く、その儘記念館を後にしました。
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前列右が正次。後列左が鴎外

その後、鴎外の特別展が文京区で開かれたので足を運んでみたところ、寿代さんがベルリンで見たのと同じ写真が展示されていた。写真を撮らせてほしいと頼むと断られたが、千駄木の鴎外記念室に行けば複写してくれるとのことだった。それがきっかけで団子坂の記念館に何度か足を運ぶうち、館長の方とも親しくなった。ところがその後、東京の実家の押入れの天袋から、偶然まったく同じ写真が出てきたのだという。写真のクオリティも保存状態もよく、私の父に複写してくださったのがこれである。実家が関東大震災や第2次大戦の被害に遭っていないことから、このような貴重なものが残っていたのだと寿代さんは語る。

では、山根正次とは一体どんな人物だったのだろうか。

(つづく)

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by berlinHbf | 2008-08-22 13:26 | ベルリンの人々 | Comments(2)

萩、東京、長崎、ベルリン

今日からおよそ4回に分けて、しばらく前から書き綴っていたインタビュー記事をアップしたいと思います。インタビューというよりも、人物ルポと言った方がふさわしいかもしれません。春に私が一時帰国した際にお会いした、ある年配の女性とそのお祖父さんをめぐる話で、舞台となる街は、萩、東京、長崎、ベルリン。時間は明治から平成にまたがり、誰もが知るあの文豪も登場します。私自身感銘を受けた、非常に興味深い話です。ただ、読者の方に面白いと思ってもらえるかどうかは自分のまとめ方にもかかってくるので、その点いくらか不安ではありますが。

もったいぶらずに始めましょう(笑)。少々長くなりますが、お付き合いいただけるとうれしいです。

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by berlinHbf | 2008-08-22 01:16 | ベルリンの人々 | Comments(0)

ドイツ連邦大統領と国家公式訪問の舞台(2)

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ベルビュー宮殿の北側は広大な公園になっており、軍隊セレモニーはそこで行われます。指定された場所で待っていると、公園内を大きく旋回して、大名行列のような物々しさで軍隊がやって来ました。

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最初にドイツのケーラー大統領が1人で現れて、セレモニーの予行練習のようなものが行われます。隊長の掛け声で、一斉が一糸乱れず動く様は圧巻でした。ちなみに、軍隊の中にもしこの日誕生日の人がいたら、大統領が個人的にお祝いの言葉をかけるんだそうです。

12時ちょうどベルビュー宮殿に到着したモザンビークの大統領は、ドイツ大統領夫妻に迎えられると、まず入り口で記帳をします。やがて公園に両国大統領が姿を見せ、モザンビークとドイツの国歌が続けて演奏されました。

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セレモニーが終わると、両国の大統領が赤じゅうたんの上をゆっくりとこちら側に向かって来ました。ちょっとドキドキ^^;)。

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左からモザンビークのアルマンド・ゲブーザ大統領とドイツのホルスト・ケーラー大統領。ケーラーさんは、聡明さとその率直な物言いから現在国民に最も人気のある政治家と言われ、来年の大統領選挙にも再選の意思を見せています。私の前にいた高校生のグループに一言二言話しかけた後、そのまま宮殿に戻り、やがて首脳会談が始まったようです。

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私はそのまま宮殿を後にしましたが、約1時間後、再びその前を通ったら、一旦帰途につくゲブーザ大統領のお見送りシーンに遭遇しました。その夜はベルビュー宮殿で公式晩餐会が催されたようです。

これら一連の流れに興味のある方は、連邦大統領のHPで公開されているStaatsbesuch in Schloss Bellevueという映像がおすすめです。2006年3月のイタリアのチャンピ大統領のベルリン訪問を例に、現場に携わっている人の話も交えて、国家公式訪問の1日が目で見ながらわかるようになっています。

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最後にお知らせ。今週末(23日、24日)は、毎年夏の恒例となったドイツ政府の一般公開日です。首相官邸や外務省など、ベルリンの省庁の多くが公開されるほか、家族向けのイベントなども用意されているようです。今回ご紹介したような雰囲気もどこかで味わえるかもしれません。

関連記事:
べルビュー宮殿へようこそ(1) (2006-01-09)
べルビュー宮殿へようこそ(2) (2006-01-10)

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by berlinHbf | 2008-08-20 13:14 | ドイツ全般 | Comments(4)

ドイツ連邦大統領と国家公式訪問の舞台(1)

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Bellevueallee(2007年11月1日)

このブログではこれまで、ベルビュー宮殿、首相官邸、連邦議会、そして前回の連邦参議院など、ドイツ連邦政府の活動の舞台を紹介してきましたが(詳細はタグの「政治」を参照のこと)、このシリーズの一応の締めとして、最後にあるとっておきのものをお見せしたいと思います。

昨年の11月1日、アフリカのモザンビーク共和国の大統領がドイツを公式訪問した朝の様子です。普段は100番のバスが行き交うベルビュー宮殿前の道路は封鎖され、警察のバイクや、黒塗りの車、軍隊の人々を乗せたバスなどが物々しく止まっていました。外国の国賓をMilitärische Ehrenと呼ばれる軍隊式の方法で迎えるためです。

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11時少し前、マーチを演奏する軍楽隊が先導しながら、軍隊がベルビュー宮殿前の道路を行進してきます。初めて見る光景でした。

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やがて彼らは大統領府の門のところで右折し、中に入っていきます。行進しながら楽器を演奏するのは大変そうですが、彼らはそんな気配を微塵も見せません。

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普通はここから先へは入れませんが、私はこの日特別に内部のセレモニーを見学することができたので、次回ご紹介しましょう。

(つづく)

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by berlinHbf | 2008-08-19 13:53 | ドイツ全般 | Comments(0)

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