ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


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「ねずみトンネル」の謎 - ベルリン・トンネル物語 -

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U6 Stadtmitte駅にて(7月24日)

最近またベルリンに関する本を一冊読んだ。三宅悟さんという方が著した「私のベルリン巡り(中公新書)」という本。前回ご紹介した「舞台・ベルリン」は一人の市民から見た戦後直後のベルリンだったが、この本では権力者の栄枯盛衰という視点からベルリンが描かれている。普通はあまり注目されることがないポツダムやシュパンダウといった周縁の地にもスポットが当てられているのが面白く、また壁崩壊直前の数年間を東ドイツで過ごした筆者ならではのエピソードも随所に織り込まれていて、とても読ませる内容になっている。

さて、この本を読んで私が一番リアルな歴史を感じたのは、私が日常よく利用する地下鉄Stadtmitte駅を巡る話だった。今回はそのStadtmitte駅の、あるトンネルにまつわるお話をしてみたいと思う
(少々長いですが、お読みいただけるとうれしいです)。

私はベルリンを南北に結ぶ地下鉄U6の沿線に住んでいる。そこから例えばポツダム広場に行く場合は、Stadtmitte(市中央駅)で降り、東西線であるU2に乗り換える。どちらも同じ名前の駅なのになぜかお互い離れていて、毎回異様に長い地下の連絡通路(全長160メートルもある)を歩かされることになる。急ぎの用があって、しかも乗り換え時間が数分しかないような時は毎回走らなければならず、何度この通路のことをうらめしく思ったかしれない。ただ、毎回歩かされるのはいいとしても、この駅がどうしてこんな面倒な構造になっているのか私はずっと不思議に思っていた。
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写真:こちらはU2のStadtmitte駅。

20世紀の初頭、ベルリンの中央部を東西に結ぶ地下鉄が建設されることになった。設計側としてはこの地図の中央に東西に伸びているライプチヒ通りに沿って地下鉄を通らせたかったらしいが、道路事情から市は反対した。結局、この地図を見てもわかるように、目抜き通りであるライプチヒ通りを迂回する形で現在のU2は建設されることになる。

しばらく経った後、今度はベルリンを南北に結ぶ地下鉄が作られることになった。しかし、この南北線とすでに完成している東西線(U2)は、当時全く別の会社でライバル関係にあった。新しい南北線(U6)は東西線の事情を無視して、東西線の駅から200メートルも離れた場所に「ライプチヒ通り駅(現在のStadtmitte駅)」を建ててしまった。それではあまりだというので、少しでも乗り換えの便宜を図るため、両方の駅を結ぶ全長160メートルもの地下トンネルが作られた。これが現在にまで至る、Stadtmitte駅の不思議の理由である。この長い地下トンネルは、いつしかベルリンっ子たちから「ねずみトンネル(Mäusetunnel)」と呼ばれるようになった。なぜ「ねずみ」なのかは、よくわかっていないらしい。
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この「ねずみトンネル」は、その後思わぬところから歴史の舞台になる。
市中央駅の隣のカイザーホーフ駅(現在はモーレン通り駅)周辺は、戦前は官庁街として知られ、ヒトラーの総統官邸もこのすぐ近くにあった。時は第2次世界大戦末期、ヒトラーが自殺した翌日の1945年5月1日の夜のこと。ヒトラーの取り巻きを始めとした総統官邸の人間は、ソ連軍に捕まるのを避けるため、地下鉄のトンネルを通って町の北側に抜けようとしたのだった。

準備に手間取り、11時近くになってやっと最初のグループが出発した。20人ばかりの男女で、そのリーダーはベルリン官庁街防衛司令官として、ベルリン最後の拠点となった総統官邸の防衛を指揮したモーンケ少将であった。官邸から地下鉄2番線のカイザーホーフ駅(現在はモーレン通り駅)の入り口まではわずか200メートルにすぎなかったが、ソ連の狙撃兵に撃たれる危険があった。しかし一行は無事入り口に着いた。階段はこなごなに破壊されていた。一行はすべったり、つまずいたりしながらトンネルに降りた。真暗なトンネルの中は、避難してきた付近の住民や負傷した兵士でごったがえしていた。次の市中央駅までは300メートルの距離であるが、足場の悪い枕木や線路を伝って行くのに1時間近くもかかった。それから右に折れて地下道(これがつまり「ねずみトンネル」)をくぐり、もう一方の市中央駅まで行き、地下鉄6番線の線路に降りた。次のフランス通り駅を通り、ウンター・デン・リンデンの下をくぐり、フリードリヒ通り駅から少し先のシュプレー川の地下まで来た。しかし夜間なので河水流入防止の隔壁が閉まっていた。やむをえず一行は、フリードリヒ通り駅に引き返して地上に上がり、Sバーンの線路沿いにシュプレーを渡った。それから通りを避け、破壊された家の中庭や地下室を通り抜け、ベルリンの北にあるビール工場に着いたところで、全員ソ連軍の捕虜になった。女性はすぐに釈放されたが、将校たちはその後ソ連に送られ、10年以上抑留されることになる。(「私のベルリン巡り」より)
その後第3グループとして逃げた中に、ヒトラーが次期ナチス党首に任命したマルティン・ボルマンがいた。

しかし一行は、普段は車ばかりで、地下鉄はろくに乗ったことのない連中だった。市中央駅の乗り換え通路を知らず、次のハウスフォークタイ広場駅まで行って道を間違えたことに気がついた。しかしもはや引き返す余裕はなかった。地上に上がり、歩いてフリードリヒ通り駅の方向に向かった。それから一行にはぐれたボルマンは、ヒトラーの待医と一緒に、Sバーン・フリードリヒ通り駅から次のレーテル駅の近くまで歩いたが、そこでもはやこれまでと観念して、ともに青酸カリのカプセルを飲んだ。
ボルマンの死についてはきちんとした証言がなく、ブラジルに逃亡したのではないかとも噂された。しかし、1972年になってレールテ駅(つまり現在のベルリン中央駅)近くで2つの骸骨が発見される。調査の結果、これがボルマンと待医のものであると確認された。ぞっとする話だが、「ねずみトンネル」が彼らの運命を分けたと言えなくもない。

1961年にベルリンの壁ができると、「ねずみトンネル」もその波に巻き込まれた。南北線は西側、東西線は東側とそれぞれ別の管轄化に入り、2つの路線が交差するStadtmitte駅は無用の長物となった。東ベルリン領内の南北線はフリードリヒ通り駅を除き、全て閉鎖されることとなる。「ねずみトンネル」の入り口はセメントで塞がれ、トンネル内は倉庫として利用されたらしい。トンネル内をつたって西側に逃げる人間を見張るため、列車が止まることがない「幽霊駅」Stadtmitte駅のホームに、四六時中機関銃を持った兵士が立っているという異常な光景が28年に渡って続くことになる。
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写真:U2側から見た「ねずみトンネル」の入り口(1985年)。トンネルは塞がれている。http://www.berliner-untergrundbahn.de/mi.htm より借用。

1990年11月、ドイツ再統一によってついに約30年ぶりに息を吹き返した「ねずみトンネル」は、再びベルリンっ子に利用されるようになった。しかし、トンネル内は暗く危険で、しかもU6側からトンネルを歩くとトンネルの幅が次第に狭くなっていくため、人々からは敬遠されたという。そこで、1998年このトンネルは全面的に改修され、現在の姿になった。トンネル内で“Hilfe!“(助けて!)と叫ぶとセンサーが反応するシステムまで導入され、夜間でも安心して歩けるようになった。
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写真:現在の「ねずみトンネル」の入り口付近。上の写真とほぼ同じアングルから筆者撮影。

「ねずみトンネル」を巡る物語も、ひとまずこれで終わりだ。人間の栄枯盛衰を眺め続けてきた「ねずみトンネル」は、おそらく人間の愚かさに呆れているだろうが、運動不足のベルリンっ子にこれからもほどよい運動の場を提供してくれることだろう。

参考:
「私のベルリン巡り 権力者どもの夢の跡」
三宅悟著
中公新書(1993年)

http://www.berliner-untergrundbahn.de/mi.htm

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by berlinHbf | 2006-07-31 01:58 | ベルリンを「読む」 | Comments(13)

ハンブルク駅現代美術館でミもココロも涼む

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Hamburger Bahnhof - Museum für Gegenwart(7月27日)

この木曜日、久々にハンブルク駅現代美術館に足を運んで来た。その名前からも建物の外観からも想像できるように、ここは19世紀末までハンブルク行きの列車が発着するターミナル駅だった。建物を改築し、美術館として生まれ変わったのは1996年のこと。今回は今年で10周年を迎える、ベルリンでも異色のこのミュージアムをご紹介してみたい。

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ハンブルク駅現代美術館はベルリン中央駅から歩ける距離にある。私が意図して木曜日の午後に訪れたのは、毎週この日の14時から18時までは入場無料だからだ。これは知っておいて損はないだろう。ベルリンは相変わらず30度を越える日々で、この日も猛暑。が、汗をかきながら館内に入ると、別世界に来たかのような心地よさを感じる。冷房が程よく効いているせいもあるが、この美術館はまず空間としてすばらしい。もともと駅だった面影を残す広々とした本館は白を基調とし、窓から光がシャワーのように心地よく差し込んでくる。ここは私のベルリンの好きな場所の一つだ。

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本館の後方からは、さらにRieckhallenという別館が延びているのだが、これがまた途方もなく広い。別館は地上階に加えて地下もある。

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もともと何かの倉庫だったのではないかと思わせるような建物なのだが、この広大なスペースに贅沢なほどゆったりと作品が並んでいる(見張りの係員も身をもてあましているような感じ^^;)。ここにはFriedrich Christian Flickが収集した、いわゆるフリックコレクションが集められている。

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ホール3ではRichard Jacksonというアーティストの特別展示をやっていた(8月13日まで)。

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作品は3つしかないのだが、その中で面白かったのはこれ。一体何だと思いますか?

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格子に囲まれた狭い1本道をぐるりと回ると(一方通行なので、ご覧のように入り口で入場制限がある)、正方形の檻のようなその中に入ることができる。格子とその奥の壁に描かれているペインティングとが重なり合って、目を動かす度に色彩の表情が変わる不思議な空間。こんな感じに見えます↓

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解体中の共和国宮殿に関する写真展もあった。

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こちらはアンディ・ウォーフォルの間。奥の毛沢東の絵、デカい。

この美術館は現代美術を「鑑賞」するというよりも、広大な館内を散歩するような感覚で訪れるのがいいのではないかと思う。とにかく広いので、歩いているうちに実際さまよっているような気分にもなってくる。冷房が効いているのでこの時期でもおすすめだし、何よりもその空間自体に圧倒されるはずだ。

Hamburger Bahnhof - Museum für Gegenwart - Berlin
Invalidenstraße 50- 51 · 10557 Berlin
Telefon (+49 30) 397834-11
Fax (+49 30) 397834-13
開館時間:10時~18時(土曜日は11時~20時。日曜日は11時~18時。
月曜閉館)
料金:8ユーロ/学割4ユーロ(木曜日の14時~18時は入場無料)

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by berlinHbf | 2006-07-29 02:01 | ベルリン文化生活 | Comments(9)

BZ Lexikon(103) 「バードアロルゼン・ナチス犠牲者公文書館」

日本語にすると長い名前ですが、ドイツの過去への取り組み方を示す内容の記事です。7月27日の紙面より。

Lexikon: NS-Opferarchiv Bad Arolsen(バードアロルゼン・ナチス犠牲者公文書館)

Der Internationale Suchdienst - so der offizielle Name - in der nordhessischen Kleinstadt Bad Arolsen ist das weltgrößte Archiv über die Opfer des Nationalsozialismus. Es umfasst etwa 50 Millionen Dokumente über etwa 17,5 Millionen Opfer des NS-Regimes, die in Konzentlationslager inhaftiert waren oder verschleppt wurden. Die Dokumente gehen zurück auf eine 1943 vom britischen Roten Kreuz angelegte Sammlung. Bislang erhielten nur Opfer und ihre Angehörigen Auskunft aus den Akten. Gestern wurde ein Vertrag unterzeichnet, der das Archiv auch Forschern zugänglich macht. Noch im Jahr 2005 gingen beim Suchdienst mehr als 150 000 Anfragen ein.

訳)ヘッセン州の北にある小都市バードアロルゼンにある「国際戦時行方不明者捜索機関」(というのが正式名称)は、ナチスの犠牲者に関する世界最大の公文書館である。そこでは、強制収容所に拘留または連れ去られたナチス政権の犠牲者、約1750万人に関する約5000万点の資料を包括している。その資料は、1943年イギリスの赤十字によって集められた収集品にさかのぼる。これまで文書からの情報は犠牲者とその身内以外得ることができなかったが、この公文書館が研究者も利用できるという内容の契約書に昨日署名がされた。2005年でさえなお、この捜索機関には15万件以上の問い合わせがあった。

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by berlinHbf | 2006-07-28 22:56 | BZ Lexikon (101-150) | Comments(0)

BZ Lexikon(102) 「(バイロイトの)緑の丘」

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Festspielhaus Bayreuth, Foto: Deutschlandradio

今週の火曜日、ワーグナーの作品のみを上演することで知られるバイロイト音楽祭が幕を開けました。ドイツでは、この「緑の丘」がバイロイト音楽祭の一種の代名詞になっていて、新聞やテレビでもよく出てきます。今年の目玉は何といっても、タンクレード・ドルスト演出、クリスティアン・ティーレマン指揮による新演出の「リング」だけに、チケットの入手は一段と困難を極めているのでしょうね。7月26日の紙面より。

Lixikon: Grüner Hügel(緑の丘)

Der Grüne Hügel ist eine 370 Meter hohe Anhöhe am nördlichen Rand der fränkischen Stadt Bayreuth. Bekannt ist er durch das Festspielhaus, das der Komponist Richard Wagner hier zwischen 1872 und 1875 bauen ließ. Seit 1876 finden hier alljährlich die Richard-Wagner-Festspiele statt, gestern wurden die 95. eröffnet. Unklar ist, warum der Grüne Hügel so heißt. Bis zu seiner Bebauung war die damals noch kahle Anhöhe anonym. Eine Erklärung ist, dass der Name von den später angelegten Gärten herrührt; eine andere führt die Bezeichnung auf die Flur namens Grüner Baum zurück, die westlich des Festspielhauses liegt. Neben dem Grünen gibt es in Bayreuth auch einen Roten Hügel.

訳)「緑の丘」とは、フランケン地方の町バイロイトの北端にある高さ370メートルの丘のことである。その高台は、作曲家リヒャルト・ワーグナーが1872年から1875年にかけて建設させた祝祭劇場によって知られている。1876年以来、毎年ここでリヒャルト・ワーグナー音楽祭が開催され、昨日95回目の開幕を迎えた。なぜ「緑の丘」という名前になったのかははっきりしていない。この丘ができるまで、当時の草木の生えていない丘には名前が付いていなかった。説明の一つとしては、その名前は後に作られた庭園に起因するものであるということ。もう一つの説明としては、その名称は祝祭劇場の西側にある「緑の木」という名前の耕地に由来するというものだ。バイロイトには、緑の丘の他に赤い丘も存在する。

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この記事を訳しながら、3年前に初めてバイロイト音楽祭を体験した時のことを思い出しました。バイロイト中央駅を右に出ると、直線の長い道が延々と続きます。音楽祭が行われるのは夏の最中なのでなにせ暑い。格式ある音楽祭なのでスーツなんぞ着て行ったものだから余計暑いです。そのようにして汗をかきながら「緑の丘」の坂道を上って行くとやがて祝祭劇場が写真のような形で視界に入ってくるのですが、ワグネリアンというわけでもない私でも、それは十分感動的な対面でした。真正のワグネリアンにとっては、まさに聖地を巡礼する信者のような気分なのでしょうね。機会があったら書きたいと思いますが、その時に観た「ジークフリート」と「神々の黄昏」は、やはり忘れられないものがありました。

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by berlinHbf | 2006-07-28 01:29 | BZ Lexikon (101-150) | Comments(0)

風車小屋のある村 - アルト・マルツァーン -

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Alt-Marzahnにて(5月14日)

今回は、普通の観光ガイドにはまず載っていないであろうベルリンのある場所をご紹介してみたい。といっても、私がもともと知っていたスポットではなく、拙ブログの読者で、あるベルリン通の方が「こういう場所がありますよ」と昨年秋に教えてくださったものだ。場所は東ベルリンのマルツァーン地区にあるアルト・マルツァーン。その時一緒に送ってくれたリンクの写真は私の興味を引いた。まずこのサイトの写真をご覧いただきたい。社会主義時代の無機的なアパート群に囲まれた中に、緑豊かな集落がこのようにポツンと佇んでいる。そのギャップがとても面白くて、これはぜひ訪れてみたいと思った。結局私がアルト・マルツァーンを訪ねたのはその半年後の5月半ばになってしまったが、その時の様子をここでご紹介したい。

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アルト・マルツァーンへは、中心部のミッテからトラムのM8で乗り換えなしで行くことができる。東へとひた走るトラムは意外と速くて、35分ぐらいで最寄の停留所に着いたように思う。

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興味のある方はアルト・マルツァーン周辺の地図をご覧いただきたい。2本の通りが、その真ん中にある「中洲」を囲むようにして延びているのが確認できるだろう。

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町というよりも、ご覧のように村の雰囲気を残す集落だ。このアルト・マルツァーン村ができたのは13世紀後半と言われているから、大都市ベルリンが産声を上げた時期とほとんど変わらないことになる。現在この一帯は文化財保護地域になっている。

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アルト・マルツァーンの「中洲」には、このようにネオゴシック様式の立派な教会まである(1877年に完成)。中に入ってみると、地元の合唱団が本番前の練習をしていた。

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小さな集落なので、500メートルも歩けばもう端っこにたどり着いてしまう。この日は日曜日で蚤の市をやっていた。背後に並ぶDDR時代の集合住宅とがやはり対照的。

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村のはずれの小高い丘の上には、何とこのように古い風車小屋が残っている。

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風車小屋の脇には小さな動物園(Tierhof Alt-Marzahn)があり、ヤギや羊がおいしそうに草を食べていた。背景の風車小屋と合わせて見ると、何とも牧歌的な光景だ。

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アルト・マルツァーンで食事をしようと思ったら、レストランは一軒しかない。村のほぼ中心にある"Marzahner Krug"という名前のお店で、"Krug"とは北ドイツ方言で「(田舎の)飲み屋、居酒屋」を意味する。とても古い店らしく、地元の人の重要な社交場であることは想像がついた。

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通りは人通りはまばらだったが、店に入ってみるとずいぶんと賑わっていた。それも年配の人が多い。席につくと、民族衣装(?)を着たおばさんがメニューを持ってやって来た。なんだか楽しくなってきて、私たちはビールを飲みながら旬のアスパラを食べた。

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ベルリンの中心部からそれほど離れていない郊外に、こんな場所があることに驚き、またちょっと得した気分にもなった。アルト・マルツァーンのことを教えてくださったLさんに感謝すると共に、興味のある方には一度訪れてみることをおすすめしたい。

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by berlinHbf | 2006-07-26 16:22 | ベルリン発掘(東) | Comments(9)

BZ Lexikon(101) 「国連レバノン暫定軍」

ドイツでも盛んに報道されていますが、イスラエル軍によるレバノン空爆には非常な憤りを感じます。25日には国連レバノン暫定軍の施設が意図的に空爆を受け、4人の監視員が死亡しました。7月25日の紙面より。

Lexikon: UN-Libanon-Truppe(Unifil)

Die Vereinten Nationen sind seit Frühjahr 1978 mit einer Truppe im südlibanon präsent. Sie umfasst 1990 Soldaten aus acht Ländern (China, Frankreich, Ghana, Italien, Irland, Indien, Polen, Ukraine). 50 Militärbeobachter sowie 95 internationale und 304 lokale Zivilisten. Das Kommando hat der französische Major-General Alain Pellegrini. Die Aufgabe der Unifil – abgekürzt für United Nations Interim Force in Lebanon - ist es, die langjährige Krisenregion zu beobachten. Der Weltsicherheitsrat hat die Truppe 1978 eingesetzt, nachdem Israel damals den Südlibanon für drei Monate besetzt hatte. Das Hauptquartier der Unifil ist in Nakur, ihr Jahresbudget beträgt 100 Millionen Dollar.

訳)国連は1978年の春以来、南レバノンに軍隊を置いている。その軍隊は8カ国(中国、フランス、ガーナ、イタリア、アイルランド、インド、ポーランド、ウクライナ)から成る1990人の兵士、50人の軍の監視人、及び国際的な民間人95人と地元の民間人304人を含む。指揮権はフランス人の少将Alain Pellegriniが持っている。「国連レバノン暫定軍(United Nations Interim Force in Lebanon)」の短縮形であるUnifilの任務は、長年危機的状況にある地域を見張ることである。国連安保理はイスラエルが南レバノンを3ヶ月間占領していた後、1978年に軍を投入した。Unifilの司令部はNakurにあり、年間予算は1億ドルに達する。

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by berlinHbf | 2006-07-26 10:50 | BZ Lexikon (101-150) | Comments(0)

ベルリーナーになるための100の問い(8) - これで最後! -

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フリードリヒシュトラーセ駅にあるTränenpalastにて(7月24日)

訳す側としても数々の難問、奇問(?)に悩まされてきましたが、「ベルリーナーになるための100の問い」、ついにこれで完結です。今回は最後だけあって、いつにも増して難問が多い気がします。問いを読んでも多くがチンプンカンプンだと思いますが、どうぞあまり気になさらずに。それにしても、この100問を考えた人ってすごいですね。よっぽどベルリンに精通した人か、よっぽどのヒマ人か。いや、それを全部訳した自分も自分ですが・・

91. 2種類の"Sperrungen" (禁止)がベルリンにはない。それは何か?
92. アルマジロの中で仕事をしているのは、どこの会議所?
93." Tränenpalast"(「涙の宮殿」)はPalastes der Republik (共和国宮殿)の解体を泣いている、かどうかはともかく、Tränenpalastはなぜこのような名前が付いているのか?
94. ベルリンの通りに犬が置いていくもの(つまりフン)は、一日何トンに及ぶ?
95. "Avus"は何の略語?
96. "Bonnies Ranch"はLübarsを舞台にしたベルリンのVorabendserieの名前だが、これはシュテーグリッツのカントリーバンドの名前?それとも他の何かを指すのか?
(この問いは何のことだかいまいちよくわかりませんでした)
97. „jwd”とはどこにある?
98. アメリカ人は自分たちの"Neighborhood"に住む。ドイツの小さな町の人たちは自分たちの"Viertel"(地域)に住む。では、ベルリーナーはどこに住んでいる?
99. 他の人々はこの付近を歩く。ベルリーナーはこの中で勉強をする。さて、求められている言葉は何でしょう?
100. ベルリーナーは口厚かましく、不機嫌(miesepetrig)なことが多い。しかし他方において、この町にはそれとは正反対のライフモットーがある。何という?

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それでは解答と補足説明です。

91. ベルリンには"Sperrbezirk"(売春禁止地帯)と"Sperrstunde"(飲食店・風俗営業などの法定閉店時刻)がない。
(両方とも普通は辞書に載っていない言葉です。ネットで調べて「なるほど」と思いました)

92. ベルリン商工会議所はファザーネン通り85(Fasanenstr. 85)に居を置くが、 グリムショウ(Grimshaw)が設計したその建物はアルマジロ(Gürteltier)のような外観をしている。
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Foto: http://www.tagungsplaner.de/

93. フリードリヒシュトラーセ駅のかつての国境検問所にあった“Tränenpalast”(涙の宮殿)で、東ベルリンの人々は西からの訪問者と別れなければならなかった。よってこのような名前が付いた。
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(現在ここはコンサート会場などに使われていますが、経営難のため今月末で閉鎖されることが決まっています。文化財ゆえ建物としては残るものの、一部は取り壊しになるそう。昨日初めて入り口から中に入った時、なんともいえない気分になりました。近いうちに写真をアップするつもりです)

94. 清掃会社のBSRによると、ベルリンの通りに犬が残していくフンの量は、一日55トンに及ぶ。
(もうちょっと何とかならないんでしょうか、これ)

95. „Avus”とは“Automobilverkehrs- und Übungsstraße”(自動車交通・練習道路)の略。
(「ベルリン郊外にあったサーキット。世界初の自動車専用道路でもある」ウィキペディアより)

96. "Bonnies Ranch”とは、ライニッケンドルフにあったかつての Karl-Bonhoeffer-Nervenklinik(カール・ボンフェッファー神経病院)の俗称。 今日この場所には処分執行の病院、Vivantesのセンター及び精神医学の移動診療所がある。

97. "Jwd""janz weit draußen"の意味で、いわば“Ende der Welt”(世界の果て)。
(こんなベルリン方言まで普通に載っている「独和大事典(小学館)」には感服します。町の中心からずっと離れた場所を指すときに使うそうです。
例:Er wohnt jwd. 彼はずっとへんぴな所に住んでいる)

98. ベルリーナーは自分たちの"Kiez"に住んでいる。
(これはベルリンではよく聞く言葉ですね。ベルリーナーは自分の住む家の界隈のことを、愛着を込めてキーツと呼びます。もともとはスラブ語からきた言葉です)

99. その言葉とは"Rostlaube"(さび色の葉っぱ)。ベルリン自由大学のある講義室は、その外観からこの名が付いた。

100. ベルリーナーの愉快なライフモットーとして"Lebe glücklich, lebe froh, wie der Mops im Paletot!"(幸せに楽しく生きよ!) というのがある。これは古い童謡にちなんだもので、Paletotは古い紳士用のコートと考えられている。
(Mopsというのはマルチーズ系の小型の犬のことなんですが、この比喩の意味がいまひとつわかりませんでした)

これでおしまいです。辞書には載っていない事柄も多かったですが、自分で調べていて相当いろいろな発見がありました。みなさんの出来はいかがだったでしょう?自分が何問できたかはいちいち確かめませんでしたが、ベルリーナーへの道はやはりかなり遠そうです(笑)。でも楽しませてもらいました。

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by berlinHbf | 2006-07-25 02:01 | ベルリンクイズ100 | Comments(2)

BZ Lexikon(100) 「キプロス」

昨年の11月に始めた、Berliner Zeitung紙のミニ事典を訳すこのコーナーですが、今回でちょうど100回目を迎えました。振り返ってみると、4月上旬の時点ですでに90回を越えていたのですが、自分の怠慢の他に、新聞に掲載されない日も増えてきたこともあって、そこから更新が大幅に滞ってしまいました。ワールドカップ後は新聞上のこのコーナーも復活したので、また地道に続けていきたいと思っています。少しでも何らかのお役に立っていればうれしいですが・・

Lexikon: Zypern(キプロス)

Zypern ist die östlichste Insel im Mittelmeer. Sie ist etwa halb so groß wie Sachsen, also 9 250 Quadratkilometer. Die Wasserversorgung der Insel, auf die sich jetzt viele Menschen aus dem Libanon flüchten, ist problematisch. Die Sommer sind heiß und trocken, es gibt nur wenige natürliche Süßwasservorräte. Wirtschaftlich ist die Insel vom Tourismus abhängig. Seit 1974 ist Zypern in einen griechischen Süden und türkischen Norden geteilt. Eine Million Menschen leben hier, etwa 750 000 in der international anerkannten griechischen Republik Zypern. Die "Türkische Republik Nordzypern", gut ein Drittel der Insel, wird nur von der Türkei anerkannt. Hier leben 260 000 Menschen.

訳)キプロスは地中海最東端の島である。面積はザクセン州のほぼ半分で、9250キロ平方メートル。現在レバノンから多くの人々が避難しているこの島の水の供給が問題になっている。夏は高温で乾燥しており、自然の淡水は少量しかない。経済的にこの島はツーリズムに依存している。1974年以来、キプロスはギリシャ側の南とトルコ側の北とに分裂している。100万人がこの島に住んでおり、そのうち約75万人が国際的に承認されているギリシャ系のキプロス共和国の住民である。キプロス島の3分の1を占める「北キプロス・トルコ共和国」は、トルコにのみ承認されている。ここには26万人の人々が暮らしている。

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(100回記念にワンクリックしていただけるとうれしいです)
by berlinHbf | 2006-07-24 22:02 | BZ Lexikon (51-100) | Comments(0)

ベルリーナーになるための100の問い(7) - 音楽・その他 -

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ワールドカップの終わりを告げる垂れ幕。ベルリン中央駅にて(7月11日)

ベルリンは連日うだるような猛暑が続いています。日本はもうそろそろ梅雨が明ける頃でしょうか。

さて、「ベルリーナーになるための100の問い」もかれこれ7回目。今回のテーマはベルリンの「音楽」と「特異なものごと」についてです。

X. Musik(音楽)
80. デヴィッド・ボウイはベルリン時代どこに住んでいた?
81. Jan Ulrich, Max Vetter, Dirk Felsenheimer und Hans Rungeは1982年に何という名前のバンドを結成した?
82. 「とどまるために来た」のは誰?
(Wer ist gekommen, um zu bleiben?)
83. ヴィルマースドルフの未亡人が今でも同じ地下鉄に乗っているのはどこ?
84. 特別列車に乗ってパンコウ(Pankow)に行こうとしたのは誰?

XI. Besonderheiten(特異なものごと)
85. コンラート・ツーゼ(Konrad Zuse)が1936年に発明したものを今日まだ見ることができるのはどこ?
86. ベルリンのワイン生産地を3つ挙げよ。
87. 警察官が犬のフンで滑ったために当初捕まらず、1994年4月22日にハーゲドルン通り(Hagedornstraße)の電話ボックスでようやく逮捕されたのは誰か?
88. Hauptstraße(中央通り)という名前の通りはベルリンにいくつある?
89. 交差点に今でも残っている東ドイツ時代のものは何?
90. 本当かウソか?ツォー動物園のパンダには、子供を作るための指南書としてパンダのポルノを見せる。

それでは解答です。

X. Musik(音楽)
80. デヴィッド・ボウイ(David Bowie)は1976年から79年にかけて、シェーネベルクのHauptstraße 155 に住んでいた。

81. Jan Ulrich Max Vetter (Farin Urlaub), Dirk Felsenheimer (Bela B.), Hans Runge (Sahnie) の3人は1982年に"Die Ärzte"というバンドを結成した。

82. バンド"Wir sind Helden"(直訳すると「オレたちはヒーローだ」)は、"Gekommen um zu bleiben"(とどまるために来た)をヒットさせた。
(ベルリン出身の人気バンドです)

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83. ミュージカル"Linie 1"で、ヴィルマースドルフの未亡人は今でもグリップス劇場(Grips-Theater) で地下鉄に乗っている。

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(この地下鉄を舞台にしたミュージカルは4月に観る機会がありました。また別の機会にご紹介しましょう)

84. ウド・リンデンベルク(Udo Lindenberg)は "Sonderzug nach Pankow"(パンコウ行きの特別列車)という歌を歌った。
(東ベルリン出身のウド・リンデンベルクは、政治的メッセージの強い曲を数々発表してきました)

XI. Besonderheiten(特異なものごと)
85. 科学技術博物館では、コンラート・ツーゼ(Konrad Zuse)によって初めて開発されたコンピューター“Z 1”を見ることができる。
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TU Berlinのホームページより。1936年の写真。「彼の最も重要な業績は、1941年に世界初の完全動作するプログラム制御式コンピュータ Zuse Z3 を完成させたことである」ウィキペディアより)

86. ワインはクロイツベルクノイケルンシェーネベルクウェディングヴィルマースドルフで作られているが、商業用ではなく、公園や学校の庭でという程度のもの。

87. デパートの恐喝者、アルノ・フンケ(Arno Funke)またの名前Dagobertは、1994年4月22日に逮捕された。
(1988年から94年にかけて、KaDeWeやKarstadtなど、数々のデパートに爆弾を仕掛けては大金を巻き上げた、ドイツの犯罪史上稀に見る人物らしいです)

88. ベルリンにはHauptstraße(中央通り)が7つある。 パンコウ(Pankow)に3つ、 リヒテンベルク(Lichtenberg)に2つ、 シェーネベルク(Schöneberg)とシュパンダウ (Spandau)に1つずつである。

89. 交差点で見られるアンペルマン緑色の矢印は、DDRの置き土産である。
アンペルマンはもはやベルリンで一番の有名人かもしれません。アンペルマンにちなんだグッズは、ベルリン土産の定番になりました)
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90. ツォーのパンダのヤンヤンは子供を産まなかったので、いろいろな試みがなされた。パンダのポルノを見せるということはなかったが、中国の動物園では行われている。
(本当か??)

さて、残るはあと1回。どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

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by berlinHbf | 2006-07-23 17:43 | ベルリンクイズ100 | Comments(4)

BZ Lexikon(99) 「クリストファー・ストリート・デイ」

ラブ・パレードの1週間後、昨日の土曜日は毎年恒例のクリストファー・ストリート・デイのパレードがありました。今回はちょっと様子を見てこようかとも思っていたんですが、機会を逃してしまったので写真はありません。7月22/23日の紙面より。

Lexikon: Christopher Street Day

Der Christopher Street Day erinnert an das erste bekannt gewordene Aufbegehren von Homosexuellen und anderen sexuellen Minderheiten gegen Polizeiwillkür. Am 27. Juni 1969 wehrten sich Besucher der zumeist von Schwulen besuchten Bar Stonewall Inn in der New Yorker Christopher Street gegen gewalttätige Razzien der Polizei. Es kam in der Folge zu tagelangen Straßenschlachten zwischen Homosexuellen und der Polizei. Seit 1970 wird in New York am letzten Sonnabend im Juni, dem Christopher Street Liberation Day, mit einem Straßenumzug an dieses Ereignis erinnert. In Deutschland fanden 1979 die ersten Paraden unter dieser Bezeichnung in Bremen und Berlin statt.

(メモ)
aufbegehren: 反抗する,逆らう.(口語)

訳)クリストファー・ストリート・デイは、同性愛者と他の性的マイノリティーが警察の専横に対して行った、最初に有名になった反抗を忘れないための日である。1969年6月27日、ニューヨークのクリストファー・ストリートにあるゲイバー「ストンウォール・イン」の客は、警察の暴力的な手入れに抵抗した。その結果、同性愛者と警察の間で街頭での暴動が何日間にも及んだ。1970年以来、ニューヨークでは毎年6月最後の土曜日をクリストファー・ストリート・リバレイション・デイとして、街頭パレードによりこの出来事を思い出す。ドイツでは、1979年にこの名称のもとで最初のパレードがブレーメンとベルリンで行われた。

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by berlinHbf | 2006-07-23 13:56 | BZ Lexikon (Berlin) | Comments(3)

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