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ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


by berlinHbf

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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
¥1,680
ダイヤモンド社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。




『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
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ダイヤモンド社
(2009年発売)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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ベルリーナーになるための100の問い(2) - 歴史編 -

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S-Bahnhof Alexander Platzにて(3月24日)

さて、意外に好評をいただいている(かもしれない)「ベルリーナーになるための100の問い」。今回から2回に分けて「歴史編」をおおくりします。この歴史編は全体の中で一番高い割合を占めていますが、ベルリンのことを知るために「この町で過去に何が起きたか」を知ることは必須なのでしょう。このブログで過去話題になった事柄も出てきますよ。では、今日もクイズ感覚でいきましょう。

II. ベルリンの歴史の基本(Grundlinien der Berliner Geschichte)

13. ローザ・ルクセンブルクの虐殺後、遺体が投げ込まれたのはどの運河?
(In welchen Kanal wurde die Leiche von Rosa Luxemberg nach ihrer Ermordung geworfen?)
14. 1933年2月27日、帝国議会を放火したとして、ナチが法廷の前に立たせたブルガリア人の名前は?
(Wie hieß der Bulgare, den die Nationalsozialisten vor Gericht stellten, weil er am 27. Februar 1933 den Reichstag angezündet haben soll?)
15. ゴルデルゼ(戦勝記念塔)はいつの時も現在の場所に立っているか?
(Stand die Goldelse immer da, wo sie heute steht?)
16. 第2次世界大戦の終結以降、ベルリンはどの国によって4つのゾーンに分割されたか?
(In welche vier Zonen war Berlin nach Ende des Zweiten Weltkrieges aufgeteilt?)
17. エルンスト・ロイターとは誰か?そして、1948年9月9日、彼は誰に対してこの町を見るよう要請したか?
(Wer war Ernst Reuter und wen forderte er am 9. September 1948 auf, auf diese Stadt zu schauen?)
18. 「干しぶどうの爆撃機」はいつ西ベルリンに飛んで来た?そして何を持って来た?
(Wann flogen die "Rosinenbomber" nach West-Berlin - und was brachten sie mit?)
19. 東から西へ逃げるための最も有名なトンネルは、どの通りの下にあった?
(Unter welcher Straße führte der bekannteste Fluchttunnel von Ost nach West?)
20. 東西間のどこで、スパイが交換された?
(Wo wurden zwischen Ost und West Spione ausgetauscht?)
21. 1987年、東西ベルリンは祝祭を催した。なぜ?
(1987 wurde in beiden Berliner Stadthälften gefeiert - warum?)
22. 1989年10月7日、共和国宮殿で何を祝った?
(Was wurde am 7. Oktober 1989 im Palast der Republik gefeiert?)
23. エーリッヒ・ホーネッカーが拘留されていたのはどこ?
(Wo saß Erich Honecker in Untersuchungshaft?)
24. シュタージ(東ドイツの秘密警察)の犠牲者はどのようにして拘留されたか、今日まだ見ることができるのはどこ?
(Wo kann man heute noch sehen, wie Stasi-Opfer inhaftiert wurden?)
25. ホロコースト記念碑には石碑がいくつ並んでいる?
(Wie viele Stelen hat das Holocaust-Mahnmal?)
26. ベルリンの壁の長さは?そして、壁はいつ崩壊した?
(Wie lang war die Berliner Mauer - und wann fiel sie?)

それでは解答です。
重要項目は太字にしました。私もがんばって覚えます(笑)。

II. Grundlinien der Berliner Geschichte
13. 1919年1月15日ローザ・ルクセンブルクの遺体はラントヴェーア運河(Landwehkanal)に投げ込まれた。
14. ナチスは、ブルガリア人ゲオルギ・ディミトロフ(Georgi Dimitrof)を、帝国議会を放火したとして法廷の前に立たせた。
15. 戦勝記念塔の上の女神ヴィクトリアことゴルデルゼは、ヒトラーのゲルマニア計画に基づき、1939年、塔もろとも帝国議会の前からグローサー・シュテルン(Großer Stern)に移された。
16. ベルリンは第2次世界大戦後、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4つのセクトに分割された。
17. エルンスト・ロイター(社会民主党)は、西ベルリンの市長だった。1948年9月9日、彼は「世界市民"Völker der Welt"」に対して、この町を見るように訴えた。
18. 西側連合軍の「干しぶどうの爆弾機"Rosinenbomber"」は1948年6月24日から1949年5月12日まで、いわゆるベルリン空輸でこの町にやって来た。それらの飛行機は、ソ連による封鎖の際、生活必需品を持って西ベルリンを援助した。特にアメリカ軍は、着陸する前に甘いものを小さなパラシュートで子供たちに落としていた。また、ドライフルーツも地面に落としたため、この「干しぶどうの爆弾機」の名前が付いた。
19. 西側に逃げる最も有名なトンネルは、ベルナウアー通り(Bernauer Straß)の下にあった。
20. スパイはグリニッカー橋(Glienicker Brücke)の上で交換されていた。
21. 1987年10月28日、「ベルリン」が最初に文書に登場してから750年を迎えた。
22. 1989年10月7日共和国宮殿では東ドイツ建国40年が祝われた。
23. エーリッヒ・ホーネッカーモアビット(Moabit)で拘留されていた。
24. ベルリンのホーエンシェーンハウゼン(Hohenschönhausen)にある記念館で、シュタージの犠牲者がどのように拘留されたかを知ることができる。
25. ホロコースト記念碑には2711もの石碑がある。
26. 1989年、西ベルリンを囲む境界設備は155キロもの長さがあり、そのうち43,1キロがコンクリートの壁だった。壁は1989年11月9日に崩壊した。

18番の「干しぶどうの爆弾機」は面白かったです。終戦直後の日本の「ギブ・ミー・チョコレート」に似た話がベルリンでもあったんですね。

21番ですが、1237年に最初に文書に登場するのは、正確に言うとベルリンの双子都市だった「ケルン(Cölln)」(あの大聖堂のケルンではありません)のことで、ベルリンが最初に登場するのは1244年だといわれています。この話はまたいずれ。

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by berlinHbf | 2006-03-31 12:57 | ベルリンクイズ100 | Comments(3)

BZ Lexikon(86) 「トルネード、または竜巻」

今週月曜日夜、ハンブルクに竜巻が襲来し、死者2名の惨事を引き起こしました。3月29日の紙面より。

Lexikon: Tornado oder Windhose(トルネード、または竜巻)

Ein Tornado – in Deutschland spricht man von einer Windhose – ist eine Form des Wirbelsturms. Für seine Entstehung müssen mehrere Voraussetzungen erfüllt sein: Wolken, entgegensetzte Windrichtungen in unterschiedlichen Höhen und große Temperaturunterschiede zwischen Boden und Luft. Dann kann wie nun in Hamburg ein rotierender Rüssel aus Staub und Wassertropfen entstehen – allerdings ohne windstilles Auge. Dafür ist ein Tornado, im Gegensatz zum Hurrikan oder Taifun, zu klein. Rund 15 bis 20 Tornados werden jedes Jahr in Deutschland registriert. Ähnlich der Richter-Skala für die Intensität von Erdbeben gibt es für Tornados die Fujita- oder F-Skala.

(メモ)
Der Wirbelsturm: 大暴風雨,嵐.
Der Rüssel: 鼻,(象・豚などの)突き出た鼻.
Fujita-Skala: 藤田スケール.竜巻研究の権威だった藤田哲也(1920-1998)シカゴ大名誉教授に因んで名付けられた測定方法.

訳)トルネード - ドイツではWindhose(竜巻)について話すことになるが - は、嵐の一種である。その形成には、いくつもの前提条件が満たされなければならない。つまり、雲、様々な高さで風の方向が対抗すること、地面と大気の間に大きな温度差があること、などである。それによって、今回のハンブルクのように、塵と水滴から成る、回転する「鼻」が生まれる。もっとも、風の穏やかな「目」はないので、トルネードはハリケーンや台風とは対照的に非常に小さい。ドイツでは毎年15から20のトルネードが記録されている。地震の強さを測るリヒタースケール(マグニチュード)に似たものとして、トルネードの大きさを測る藤田スケール(またはF-スケール)がある。

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by berlinHbf | 2006-03-31 11:51 | BZ Lexikon (51-100) | Comments(2)

ベルリーナーになるための100の問い(1)

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S-Bahnhof Alexander Platzにて(3月24日)

ドイツでは今、外国人の帰化に関する議論が活発になっています。ドイツへの帰化を希望する外国人に対して、ドイツ語ができる、ドイツ社会に溶け込む意思があるかを見るだけでなく、この国についてどれだけ知っているかを筆記でチェックしようじゃないかと主張する人たちもいまして、CDU(キリスト教民主同盟)が主導するヘッセン州の議会が先日、外国人向けのドイツの政治、歴史、地理などに関するテスト(Einbürgertest)の例題を発表しました。2週間ほど前、その例題が新聞に掲載されるやいないや、論議を呼んでいます。

その議論の中身はとりあえずここでは置いておき、Berliner Zeitung紙がその流れに乗って「ベルリン市民になるための100の問い(Einberlinerungstest)」なるものを(半分冗談で)作りました。これがなかなか面白いんです。確かにこれは知っていた方がいいな、というものから、珍質問、爆笑の回答まで様々。お勉強サイトにするつもりはないのですが、ベルリンにこだわる当ブログとして、この100問は無視できそうにありません。皆さんの反応も見ながらということになりますが、最初の部分をちょっと一緒にやってみませんか?

I. Berlin und die Berliner
1. ベルリンの人口は何人?(Wie viele Einwohner hat Berlin?)
2. 首都を流れる川を3つ挙げなさい。
(Nennen Sie drei Flüsse, die durch die Hauptstadt fließen!)
3. ベルリンで最も標高が高い山を3つと、その高さを挙げよ。
(Nennen Sie drei höchsten Berge Berlins und deren Höhe!)
4. 市の紋章の動物はどこに住んでいる?
(Wo lebt das Wappentier der Stadt?)
5. ベルリンにはいくつの行政区域がある?
(Wie viele Bezirke hat Berlin?)
6. ベルリンの姉妹都市を3つ挙げよ。
(Nennen Sie drei Partnerstädte Berlins!)
7. 子供の大部分が生まれるのはどの区域?
(In welchem Bezirk werden die meisten Kinder geboren?)
8. 首相メルケルはプライベートの住居からどの島を眺めることができる?
(Auf welche Insel schaut die Bundeskanzlerin aus ihrer Privatwohnung?)
9. 世界何か国からの人々がベルリンに住んでいる?
(Menschen aus wie vielen Ländern leben in Berlin?)
10. 過去2年間で、「最も恥ずかしいベルリーナー」に選ばれた3人を挙げよ。(Nennen Sie drei Berliner, die in den letzten zwei Jahren zum peinlichsten Berliner gewählt wurden.)
11. ベルリンでは1年の間に結婚したカップルと離婚したカップル、どちらの方がより多い?(Werden innerhalb eines Jahres in Berlin mehr Ehen geschlossen oder geschieden?)
12. 1月にベルリンの道路で交通事故は何件起きた?
(Wie oft krachte es im Januar auf Berlins Straßen?)

いかがでしょうか。
では、注目の回答です。

I. Berlin und die Berliner
1. 2005年12月1日時点で、333万9436人が届け出ている。
2. ベルリンを流れるのは、Spree, Havel, Wuhle, Panke など。
3. MüggelbergeとTeufelsbergが115 m で最高。 Ahrensfelder Berge (112 m)が次に続く。
4. 紋章のベルリン熊は、ケルン公園(Köllnischer Park)に住んでいる。
5. 12の行政区域。
6. ベルリンは17の姉妹都市がある(Brüssel, Budapest, Buenos Aires, Istanbul, Jakarta, London, Los Angeles, Madrid, Mexiko-Stadt, Moskau, Paris, Peking, Prag, Taschkent, Warschau, Windhuk, Tokio)。
7. 絶対数で見ると、出生数が1番多いのはパンクー地区(2004年:3628人)。住民数に比較すると、フリードリヒスハイン・クロイツベルク地区(2004年:住民1000人につき、11,4人)。
8. メルケル首相の私邸からは博物館島(Museumsinsel)が望める。
9. 世界183カ国の人がベルリンに住んでいる。
10. 都市情報誌Tipによると、2006年の「最も恥ずかしいベルリーナー」はドイツ鉄道のトップHartmut Mehdorn、2005年は壁博物館館長のAlexandra Hildebrandt、2004年はホロコースト記念碑のLea Rosh。
11. 結婚(Eheschließungen)したカップルの数の方が、離婚(Scheidungen)したカップルよりも多い(2004年:12569件の結婚に対して、離婚数は10245)。
12. 警察によると、2006年1月、9122件の交通事故があった。

個人的に最も衝撃的だったのは、質問11でしょうか。質問内容もすごいですが(笑)、答えを見て納得。つまり結婚の数と離婚の数が、あまり変わらないのです。ベルリンの人にとって、結婚って何なのだろう、なんて思ったり・・

1回目はこんな感じですが、質問内容は後半になるにつれて面白くなっていきます。これから折に触れてお付き合いいただけたらと思います。

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by berlinHbf | 2006-03-30 02:42 | ベルリンクイズ100 | Comments(8)

BZ Lexikon(85) 「クネセト」

28日に行われたイスラエルの総選挙の結果、アリエル・シャローンが結成した新党カディマが最大の議席を獲得した模様です。3月28日の紙面より。

Lexikon: Knesset(クネセト)

Die Knesset ist das israelische Parlament. Er hat seinen Sitz in Jerusalem und besteht aus nur einer Kammer. Der Name Knesset und die Zahl von 120 Abgeordneten leitet sich ab von der Knesset Hagdola, der Großen Versammlung, wie sie im Buch Nehemia beschrieben wird. Diese jüdische Ratsversammlung tagte im 5. vorchristlichen Jahrhundert unter Esra und Hehemia in Jerusalem. Die ersten Wahlen zur modernen Knesset, die gemäß der Unabhängigkeitserklärung die Verfassung Israels verabschieden sollte, fanden am 25. Januar 1949 statt. Gewählt wird regulär alle vier Jahre. Parteien müssen eine Sperrklausel überwinden, um Abgeordnete stellen zu dürfen. Da diese Schwelle mit 1,5 Prozent aber relativ niedrich ist, ziehen stets sehr viele Gruppierungen ins Parlament ein, was die Bildung einer Regierungsmehrheit erschwert.

(メモ)
gemäß(3格支配の前置詞): ・・により,・・に基づき

訳)クネセトとはイスラエルの議会のことである。本拠はエルサレムにあり、一院のみから成る。クネセトという名前と120人という議員の数は、ネヘミアという書物に記載されている、「クネセト・ハグドラ」という大集会に由来する。このユダヤ人の会議は、紀元前5世紀にエズラとネヘミアの2人のもとで開かれた。独立宣言に基づいて、イスラエルの憲法が可決した近代クネセトの最初の選挙は、1949年1月25日に開催された。通常は4年ごとに選挙が行われる。政党が議員を立てるためには、封鎖条項を越えなければならない。この障壁は1,5%と比較的低いため、常に議会では非常の多くのグループ化が起こり、それが議会における過半数の形成を困難にしている。

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by berlinHbf | 2006-03-30 01:21 | BZ Lexikon (51-100) | Comments(5)

BZ Lexikon(84) 「白い騎士」

前回のLexikonで話題になった、ベルリンの製薬会社シェリング社の買収に関する話です。金融の世界の話なのに、なぜかワーグナーのオペラが出てくるところがおもしろい。3月24日の紙面より。

Lexikon: Weißer Ritter(白い騎士)

Weißer Ritter ist ein Begriff aus der Wirtschafts- und Finanzwelt. So werden Firmen genannt, die einem von einer feindlichen Übernahme bedrohten Unternehmen zu Hilfe kommen. Die Hilfe kann von der Unterstützung in der Abwehrschlacht bis zu einer Fusion oder einer freundlichen Übernahme gehen. Der Begriff Weißer Ritter soll seinen Ursprung in der Artus-Sage haben. Auch in Wagners Oper „Lohengrin“ wird die Herzogin Elsa von Brabant von einem Bösewicht bedrängt und von Lohengrin – zumeist ein Ritter in silberner Rüstung, der in einem von einem weißen Schwan gezogenen Kahn naht – gerettet. Nun spielt Bayer diese Rolle und hat ein Angebot für den Berliner Pharma-Konzern Schering abgegeben. Damit wurde der Konkurrent Merck überboten, der eine feindliche Übernahme plante.

訳)白い騎士とは、経済、金融の世界からの概念である。敵対的な引継ぎに脅かされている企業に、救いの手を差しのべる企業のことをこう呼ぶ。この援助は、防御戦の支援から合併、友好的な引継ぎに至るまでありえる。「白い騎士」という概念は、アーサー王伝説に起源を持つと言われている。また、ワーグナーのオペラ「ローエングリン」においても、ブラバント公国の公女エルザが悪人によって苦境に追い込まれるところで、ローエングリン(白鳥に曳かせた小船で近付いてくる、大抵は銀の甲冑を身にまとった騎士)によって救済される。いまバイエル社がこの役目を演じ、ベルリンの製薬会社シェリング社に提供を申し出た。これによって、敵対的な引き継ぎを計画していた競争相手のメルク社は高い値を付けられることになった。

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by berlinHbf | 2006-03-30 01:06 | BZ Lexikon (51-100) | Comments(0)

元祖クロイツベルクに登る

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Kreuzbergにて(3月27日)

ベルリンのクロイツベルク(Kreuzberg)というと、いまやすっかり「トルコ人街」というイメージが定着してしまったが、「クロイツ(十字)」と「ベルク(山)」という2つの単語が合わさってできたこの地名の由来は意外と知られていないかもしれない。そのクロイツベルクの元祖ともいえる場所が、実は私の住んでいる場所のすぐ近くにあるので、今回はそれをご紹介してみたいと思う。

時は1813年、解放戦争(Befreiungskriege)でプロイセンも加わった同盟軍がナポレオン軍を破ると、民族解放を記念する記念碑がベルリンに作られることになった。

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選ばれた場所はハレ門(Hallesches Tor)の南側にある、当時Tempelhofer Bergと呼ばれていた高さ66メートルの小高い丘の頂上だった。すでに著名な建築家だったカール・フリードリヒ・シンケルはそこに、ライプチヒ、パリなどの4つの戦いをシンボリックに表現した、ゴシックのカテドラル風の国民碑を設計した。この高くそびえ立つ塔は1821年に完成したのだが、てっぺんに十字架(Kreuz)が構えることから、いつしかこの丘そのものがクロイツベルクと呼ばれるようになったらしい(ちなみにドイツ軍の紋章である「鉄十字(Eisernes Kreuz)」を、現在のデザインに改良したのもこのシンケルといわれている)。1888年以降はその周囲が公園に改造されて、ヴィクトリア・パークとして市民憩いの場所となる。

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1920年、新しい自治法が成立し、いわゆる「大ベルリン」が成立すると、この周辺地区は丘の名前に因んで、「クロイツベルク」と名付けられた。結局、現在の「クロイツベルク」生みの親は、建築家のシンケルとも言えるわけである。

2001年には2つの地区が合併し、「クロイツベルク・フリードリヒスハイン」が現在のこの地区の正式名称。

こんなところが「クロイツベルク」の簡単なあらましだろうか。
では、この上に登ってみよう。標高66メートルとはいえ、意外と登り甲斐がある。

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天気のいい日は、どこからともなくこの上に人がやって来る。犬の散歩でやって来る人、カップルでいちゃつく人・・(手前のビールは定番のBecksです・笑)

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自転車を担いで登って来る人もいれば、

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頂上の展望台では、太鼓をたたく人、双眼鏡で遠くを眺める人、なぜか逆立ちの練習をしている人などさまざま。

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こちらはチェスに興じる人たち。

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でも、美しい夕暮れ時は、見る方向はみんな一緒。

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これは昨日(27日)の夕暮れ。訪れた甲斐があった。

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ポツダム広場方面を望む。中央のとんがり屋根はソニーセンター。

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こちらが南側の風景。この丘の斜面では、16世紀以来ワイン製造が続けられていて、現在でも市内で唯一ワインが作られているという。正面の赤いレンガの建物は、ベルリンのビールメーカーSchultheißの長年工場だったところ。私の知り合いの生粋のベルリンっ子に言わせると、工場が現在の場所に変わってからは、「水が変わったために味が落ちた」とのことだが。

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この元祖クロイツベルクは、U6の"Platz der Luftbrücke"からが近い。この駅は、世界史の教科書に頻繁に登場する1948年の「ベルリン空輸(Berliner Luftbrücke)」の舞台となったテンペルホーフ空港の最寄り駅であるためこの名前が付いたのだが、1926年から37年まではその名の通り「クロイツベルク」駅と呼ばれていた(地図:http://www.stadtentwicklung.berlin.de より)。

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その当時の駅名標が、ホームの南側に2つだけ記念に残されている。

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元祖クロイツベルクは、ベルリンで私の好きな場所のひとつ。

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by berlinHbf | 2006-03-28 02:03 | ベルリン発掘(西) | Comments(16)

BZ Lexikon(83) 「バイエル社」

ベルリンの大手製薬会社シェリング社がバイエル社に買収されることになり、新聞などで大きく取り上げられています。3月25/26日の紙面より。

Lexikon: Bayer AG(バイエル社)

Die Bayer AG ist schon jetzt - vor der Fusion mit Schering - das größte deutsche Pharma-Unternehmen. Der Konzern mit Sitz in Leverkusen erzielte im vergangenen Jahr Umsatzerlöse von 27 Milliarden. Er ist mit 350 Gesellschaften auf fünf Kontinenten vertreten. Weltweit beschäftigt Bayer 93 700 Mitarbeiter. Gegründet haben das Unternehmen der Farbstoffhändler Friedrich Bayer und der Färbermeister Johann Friedrich. Ihre "Friedr. Bayer et comp." begann am 1. August 1863 in Wuppertal-Barmen damit, synthetische Farbstoffe herzustellen. Heute hat der Bayer-Konzern rund 5 000 Produkte im Programm. Das bekannteste ist Aspirin.

(メモ)
synthetisch: 総合の,《化》合成の.

訳)バイエル社は今やすでに(シェリング社との合併前から)ドイツで最大の製薬会社である。このレーバークーゼンに居を置くコンツェルンは、昨年270億ユーロの売上金を獲得した。バイエル社は5大陸350社を代表し、世界全体で93700人の従業員がいる。この会社を設立したのは、染料商人のフリードリヒ・バイエルと染色マイスターのヨハン・フリードリヒだった。合成の染料を製造する"Friedr. Bayer et comp."社は、ヴッパタール・バルメンで1863年8月1日に開業した。今日バイエル社のコンツェルンは約5000の製品をプランに入れており、中でも最も知られているのはアスピリンである。

ちなみに「アスピリン」は、バイエル社が1899年に一般名アセチルサリチル酸に対し付けた名前なんだそうです。

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by berlinHbf | 2006-03-27 18:11 | BZ Lexikon (51-100) | Comments(0)

Wachturm am Potsdamer Platz

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Erna-Berger-Straßeにて(3月22日)

数日前に書いた「私とベルリンとの出会い」という長文に対して、いろいろな方からコメントをいただきました。どうもありがとうございます!

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前回が長かったので、今日は短くいきます。前回の記事2枚目の壁の写真を撮っていたときのこと。これはポツダム広場の南側Stresemannstraße(右)とErna-Berger-Straße(手前)という2つの通りの角にあるのですが、初めて歩いたErna-Berger-Straßeの奥に偶然こんなものを見つけてしまいました。

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周りが工事現場の短い通りの先に、塔らしきものがぽつんと立っているのです。こ、これはひょっとして・・

家に戻ってすぐに調べてみたら、やっぱりそうでした。これは東西分断時代の見張り台(BT-11というタイプとか)で、ベルリンの中心部に現存しているものでは最後のうちの一つなんだそうです。正面の建物はBundesrat(連邦参議院)で、左側は建設が進むライプチヒ広場です。

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この目の前がTodesstreifen(死の危険のある立ち入り禁止地帯)だった頃は、ここから何もかもが見渡せたのでしょう。今や周囲に真新しい建物が立ち並ぶ中、ポツンと佇む塔は、何ともいえず寂しげでした。

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by berlinHbf | 2006-03-26 03:10 | ベルリン発掘(境界) | Comments(9)

BZ Lexikon(82) 「プッツ・グループ」

3月22日の紙面より。

Lexikon: Putzgruppe(プッツ・グループ)

Die so genannte Putzgruppe war ein Zusammenschluss von zwei Dutzend junger Männer aus der linksradikalen Szene in Frankfurt am Main, die in den 70er-Jahren aktiv war. Für den Namen gibt es mehrere Erklärungsansätze - beispielweise dass "Putz" für Randale steht oder dass es eine Abkürzung für die "Proletarische Union für Terror und Zerstörung" ist. Die Gruppe lieferte sich Straßenschlachten mit der Polizei, verteidigte besetzte Häuser und trainierte in den Taunus-Wäldern den Nahkampf. Zur Gruppe gehörte damals der spätere Außenminister Joschka Fischer, der deshalb gestern als Zeuge vor Gericht aussagte. Weitere Mitglieder sollen der frühere Chef des Planungsstabs im Auswärtigen Amt, Georg Dick, und der heutige Leiter der Afghanistan-Mission der Vereinigten Nationen, Tom Koenings, gewesen sein.

(メモ)
das Dutzend: ダース,12名ほどの人.
die Randale: ばか騒ぎ,乱暴狼藉.
der Nahkampf: 接近戦,肉弾戦.
das Auswärtige Amt: 外務省.

訳)いわゆるプッツ・グループとは、70年代フランクフルト・アム・マインで活発だった極左シーンから、20数名の若者たちが集まってできた連合である。その名称にはいくつか説明の手がかりがあり、例えば"Putz"(喧嘩、口論という意味がある)が乱暴狼藉(ろうぜき)の側に立っていること、あるいは「テロと破壊のプロレタリア連合」の略である、など。このグループは警察と街頭での殴り合いを引き起こしたり、占拠した建物を防衛したり、タウヌスの森で肉弾戦のトレーニングを行っていた。グループの中には当時、後に外務大臣となるヨシュカ・フィッシャーがおり、それゆえ彼は昨日証人として法廷の前で供述した。その他のメンバーには、かつて外務省立案スタッフのトップだったゲオルグ・ディックや、現在国連アフガン使節団の主任であるトム・ケーニングスがいたとされている。

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by berlinHbf | 2006-03-25 23:57 | BZ Lexikon (51-100) | Comments(0)

私とベルリンとの出会い 1988-2006

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ポツダム広場にて。手前はかつての壁の一部(2006年1月9日)。

今回は非常に長い内容になってしまいましたが、私がいかにしてベルリンという町を知り、興味を持つようになったのか、その一部について書いてみたいと思います。自分がなぜここにいるのかを問い直す上でも、一度書いてみたいことでした。大変長いですが読んでいただけると幸いです。



私がベルリンという町の存在を知り、漠然とした興味を抱いたのはいつかと考えると、まず思い至るのは1988年という年だ。私はこの年の春に中学校に進学したのだが(完全に歳がバレる^^;)、その中学時代最も楽しかった授業の一つに、1年生の地理の授業がある。私はもともと地図を眺めるのが好きで、日本地図を眺めては見知らぬ土地に思いを馳せていた。思いが高じて、この年の夏には九州を一人で旅して回ったほどだった。だが日本だけでなく、世界にも興味を持つようになったのは、この地理の授業がきっかけだったかもしれない。

社会科の山田先生は世界中を回られているという方ではなかったが、とても誠実な人柄の先生で、毎回世界のいろいろなことを教えてくださった。ご自身が訪れた国の写真を持って来て授業中に見せてくれることもあったし、地図帳や写真の豊富な資料集も折々参照しながら、ちょっとした旅行気分も味わえる楽しい授業だった(少し前に聞いた話によると、山田先生は横須賀市内のある中学校で、現在は校長先生として活躍されているらしい)。

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授業はアジアから中東、アフリカの順で進み、ヨーロッパに入ったのはその年の10月ではなかったかと思う。「ドイツ連邦共和国(首都ボン)」と「ドイツ民主共和国(首都ベルリン)」をセットにして覚えた。そして、「ヨーロッパ共同体(EC)」と「経済相互援助会議(コメコン)」のセット、また「北大西洋条約機構」と「ワルシャワ条約機構」の組み合わせもよく覚えている。国際河川ライン川については、山田先生がコブレンツ(ライン川とモーゼル川がここでぶつかる)を訪れた時の写真を見せてくれた。いずれも教科書では太文字になっていたと記憶している。教科書の太文字の項目というのは、まず重要だからそうなっているのであり、そしてそれはずっと続くものなのだと当時の私は漠然と思っていた。

学校で習った時期とどれぐらい前後しているかは定かでないが、私は母親からソ連の話を聞いたことがあった。母は70年代前半にソ連を旅したことがある。スーパーにいかにものがなかった話とか、それに関連してだったかベルリンの壁の話もしてくれた。詳しい内容はもう覚えていないが、こういうことを言ったのだけは覚えている。
「ベルリンの壁は私が死ぬ頃までなくならないだろうね」

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ベルリンに漠然と興味を抱くようになったきっかけとしてもう一つ、私が横須賀という基地のある町で生まれ育ったということと、どこかで関係している気がする。80年代の冷戦の最中、米軍の基地という特殊な環境下の横須賀では平和運動が盛んだった。親に連れられて、原爆や核の脅威が一体どれほどのものなのかを示した展示会や映画を結構いろいろ見せられた。厚木基地や横須賀基地にソ連からの核ミサイル「トマホーク」が落とされたら、どのくらいの被害を受けるのかをリアルにシミュレーションした映像も見たことがある。そういうことが大真面目に語られていた時代だったのである。それらの映像は、小学生の私には夢にまで出てきそうなくらい、恐ろしいものだった。

今にして思えば、横須賀という基地の町に住む自分、米ソの冷戦、そしてその最前線にあるベルリンという町、その3つの現実が私の中で徐々に重なり合っていたような気がしてならない。

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現実のベルリンの映像を初めて見たのは、同じ年の12月だったと思う。1988年の秋、オリエント急行が日本にやって来た。フジテレビの開局何10周年かの記念企画の一環で、かの豪華列車がパリから、東ヨーロッパ、シベリア鉄道を経由して、ユーラシア大陸の果ての北京へ。そして最後は上海から船に運ばれて日本にやって来たのである。当時の政治の状況下で、よくこのような壮大な計画が実現したものだと思う。そのオリエント急行が日本に来るまでの様子を追ったドキュメンタリー番組が、12月にフジテレビで放映されたのだった。

パリでの華やかな出発の様子、番組の最後でオリエント急行が広大な黄河を渡る場面など、見どころは少なくなかったと思うが、私が一番印象に残っているのは列車が東ベルリンに入るシーンだった。駅(フリードリヒ・シュトラーセの駅かな?)に到着すると、物々しいDDRの警備隊が車内に乗り込んでくる。「列車に緊張が走ります」というナレーター氏の一言。短いシーンだったが、東西に分断されたベルリンの様子がリアルに伝わってきて、私は食い入るようにして画面を見つめた(その番組はビデオに録画したのだが、直後壊れてしまい、残念ながら再び見直すことはできなくなってしまった)。

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昭和天皇が亡くなり重い空気の中で始まった1989年、その3学期最初の登校日の授業で、なぜか横須賀の核脅威に関するビデオを見せられたのはよく覚えている。市の教育委員会が作ったのか、ちゃちな再現VTRが入った映像だったが、横須賀は依然ソ連からの核の脅威にさらされている現実に対して、改めて念を押されているような感じがした。

ゴルバチョフがテレビのニュースによく登場するようになって、何かが少しづつ変化しているのに気付いていたと思うが、私は学校と部活動に追われていて、その年の世界の出来事については天安門事件を除いてあまり覚えていない。あの11月9日までは。

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ベルリンの壁崩壊のニュースは、夜の「ニュースステーション」で私は知った。いきなり目の前に飛び込んでくる映像を見て、全く信じられない思いだった。大勢のベルリンの人々が抱き合い、人目を憚ることなくみんな泣いている。そして、トラバントに乗った東の人々を西の人が拍手で迎える。あれはまさに歓喜というにふさわしいものだった。私はテレビの前で呆然となった。物が溢れ、バブル期の絶頂だった日本のテレビで目にするのは、大学生がコンパでバカ騒ぎしている映像とか、そういうものが多かったように思う。人間がああいう風に喜びと感動を表しているシーンを私はそれまで見たことがなかったのかもしれない。

画面のベルリンの人々の様子を見て全く興奮が抑えられなくなった私は、次に何をしたかといえば、2階で寝ていた母親をたたき起こしに行くことだった。「ベルリンの壁が壊れたよ!」と。

「壁は自分が死ぬ頃までなくならない」と私に言っていた母親に、「それ見たことか」と言ってやりたい気持ちも働いていたのだと思う。80年代の重苦しい現実と、あのベルリンの人々の歓喜との対照は実に鮮やかだった。世界がこうもひっくり返るなんてことがあるんだ。横須賀にトマホークが撃たれる危険もとりあえずはなくなったのだった(ほっ)。

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激動の1989年も年の瀬を迎えたが、その月で印象に残っているシーンが2つある。まず冷戦の終結を告げるマルタ会談でゴルバチョフ書記長とブッシュ(シニア)大統領ががっちりと握手している場面、そして年末に処刑されたルーマニアのチャウシェスク大統領の遺体の写真だ。両方とも新聞のトップ面にでかでかと掲載されたので、極めて印象に残っている。あの2つのシーンで、共産主義独裁体制の終焉と新たな時代の幕開けを期待した人はきっと多かったはずだ。おぼろげだったとは思うが、中学生の私もその1人だった。

あれから16年。世界はよくなるどころか、逆に悪くなっている印象さえ受ける。核の脅威は依然なくならないし、文明国家はテロという別の脅威に直面することになった。あの輝かしい歓喜の渦で満たされたベルリンとて、明るい話題はむしろ少ない。相変わらず失業率は高いし、東西の格差は今後も簡単には埋まらないのだろう。壁の崩壊と早急なドイツの再統一を今となっては醒めた目で見る人がいることも、もちろんわかっている。

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さらに言うと、当時私が見たベルリンというのは、全てメディアを通したものに過ぎない。壁の崩壊は「西側世界の勝利」であるかのように、日本のメディアは劇的に報道したが、当時の事情を詳しく知る方はまた違う意見をお持ちだろう。このブログでも分断時代の跡をいろいろ訪ねてはいるものの、勉強不足だったり私の勘違いが含まれていたりと、笑止千万なところもあるのは承知の上のこと。実際のところ、いろいろ書いてはいるが私はあの時代について何もわかっていないのかもしれない。本物のベルリンを私が初めて訪れたのは、その約10年後の1998年のことだった。

しかし私はメディアを通してとはいえ、1988年から89年にかけて目の当たりにした一連の出来事を決して忘れることはないだろう。世界が動くということをこれほど実感させられた年もないし、そのことを私に教えてくれたのがベルリンであり、あのベルリンの人たちだった。世界は変わり得るし、また時には自ら変えることさえできる。こう言うと楽観的に過ぎるかもしれないが、私にとってベルリンという町は、人間のそんなポジティブなエネルギーの象徴として今もあり続けているのかもしれない。

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by berlinHbf | 2006-03-23 00:14 | ベルリン思い出話 | Comments(28)

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