ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


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本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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カテゴリ:ベルリン音のある街( 23 )

平和のためのコンサート

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日本大使館で講演を行った田邊雅章さん(写真:在ドイツ日本国大使館)

広島への原爆投下から67年が経った8月6日、ベルリンの日本大使館で「平和のためのコンサート」が行われ、外交団を中心に日独約100人が出席し、私も参加する機会を得ました。  

コンサートに先立って、田邊雅章氏による短い講演がありました。広島出身の田邊さんはご自身が被爆者で、今回は日本政府の非核特使としてドイツに来られたとのことです。今の原爆ドーム(当時は広島県産業奨励館)の東隣で生まれ育った田邊さんは、原爆が投下された当時8歳(小学2年生)。その数日前に疎開をしていたため助かりましたが、2日後に家族の安否を求めて家の跡にやって来ました。「そこで見たもの、臭ったもの、触ったものの不気味さは、今でも忘れることができない」と語ります。

「後で分かったことですが、母と弟は、朝食を片付けていた台所で犠牲となり、今も行方不明で、原爆ドームの側の地面深くに眠っています。せめて苦しまないで、あの世へ行ってほしかった。祈らない日はありません。諦め切れずに、いつか帰ってくるのではという思いから、2人の葬式はいまだに行っておりません」  

田邊さんは、父と母、弟を一度に失いました。「祈らない日はありません」という言葉に私は、被爆者の方々が抱えてきた悲しみと苦しみ、その時間の重さが突然心にのしかかってきたようで、ショックを感じました。  

講演後、映像作家である田邊さんによる、被爆前の原爆ドーム周辺の街並みや暮らしを再現した自作のドキュメンタリーが流されました。原爆ドームというと、私も含め多くの人は、現在の廃墟の姿しか知りません。しかし、その周辺を「ふるさと」として過ごした田邊さんは、建物や内部の様子から働いていた人々、街並み、暮らしまでを克明に記憶しています。「ほとんど知られていない被爆以前の情報をよみがえらせ、後世に伝えることは、生き残った者の使命である」と考え、ドキュメンタリーの制作に取り組まれたそうです。  

私は映像を見ながら、本誌836号(2010年10月1日発行)の「独日なひと」でご紹介し、昨年末に惜しまれつつ亡くなった科学者、外林秀人さんのことを思い出していました。外林さんもまた、その晩年、ドイツで被爆体験を伝えることを自らの使命と考えていらっしゃった方。自身の講演会で毎回聴衆に見せていたのが、田邊さんが制作したこの映像だったのでした。  

戦後67年が経ち、被爆者、そして戦争体験者から直接話を聞ける機会は確実に減ってきています。彼らがこれからの世代に残そうとしているメッセージに、真摯に耳を傾けたいと改めて思った夜でした。  講演会の後は、バイエルン国立管弦楽団のメンバーで構成されたシューマン弦楽四重奏団とピアニストの西村信子氏による室内楽のコンサート。中でも、「ファシズムと戦争の犠牲者の想い出に」捧げられたというショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲第8番は、田邊さんのお話を聞いた後だけに、作曲者が込めた表現の切実さが一層胸に迫ってきました。
ドイツニュースダイジェスト 9月14日)

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by berlinHbf | 2012-09-21 22:43 | ベルリン音のある街 | Comments(0)

「壁とベルリン」第6回 - ゲッセマネ教会の英雄交響曲 -

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ベートーヴェンの交響曲第3番の浄書総譜表紙(Wikipediaより)

11月2日、旧東側のプレンツラウアーベルク地区のゲッセマネ教会で、「非暴力への記念コンサート」と題する入場無料の公演が行われた。演奏は、ダニエル・バレンボイム指揮のシュターツカペレ・ベルリン。このコンサートは、20年前のある出来事を思い起こさせるものだった。

1989年の秋、ゲッセマネ教会は、平和と東独政府の改革を求める人々の牙城となっていた。50万人以上が集まったと言われる、11月4日のアレクサンダー広場でのデモのわずか翌日、緊迫した状況の中、シュターツカペレ・ベルリンがこのゲッセマネ教会で「非暴力コンサート」を行った。演奏されたのは、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」だった。

「寛容を要求するならば、まず自分が寛容でなければならない」というオーケストラのチェリスト(当時)、ホルスト・クラウゼの20年前のスピーチが、満員の聴衆の前で再び読み上げられた。「私が当時何を話したか、ほとんど何も思い出せないのですが、あの時感じた恐怖ははっきりと覚えています。前日に大きなデモがあったとはいえ、権力はまだ党の側にありました。その夜がどのような形で終わるか、誰にもわからなかったのです」。そういう状況下、指揮をしたロルフ・ロイターは聴衆に向かってこう言った。「壁はなくならなければならない!」。クラウゼは息が止まりそうになったという。11月9日の4日前にして、まだ誰も頭に描いていなかった言葉が発せられたのだ。

「このコンサートを指揮することは私にとって大変名誉なことです。なぜなら20年前のあのコンサートで、シュターツカペレのメンバーは象牙の塔にこもるのではなく、音楽を通して人を、そして世界を理解できることを示したからです」と挨拶したダニエル・バレンボイムによって、当時と同じ「英雄」の冒頭の2つの和音が力強く鳴り響いた。ベートーヴェンが旧体制からの打開を込めて書き上げたこのシンフォニーが、これほどの迫真をもって鳴り響いた例は、少なくとも私の中ではかつてなかったと思えるほど、感動的な演奏だった。

私の2列先にはヴァイツゼッカー元大統領が座っていた。教会の中を不思議な熱気と一体感が包んでいた。社会的な立場云々は問題ではなく、意思を持った人間が集まり体を寄せ合っている親密な空間。私は、直接には知らない20年前のコンサートを追体験しているような錯覚さえ抱いた。

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終演後、20年前のコンサートで指揮をしたロイターの未亡人に花を手渡すクラウゼ。それを見つめるバレンボイム

2009年の今年、印象に残ったのは「平和革命」という言葉を目にすることがかつてないほど多かったことだ。89年を指すのにこれまで一般的だった「転換期」(Wende)という言葉をしのぐほど、人権主義者のみならず、学者やメディアの間でも頻繁に用いられるようになった。11月9日の記念式典では、政治家のスピーチとドミノ倒しに注目が集まったが、一方で旧東独の人権活動家も多く招待された。アレクサンダー広場の「平和革命展」にはすでに100 万人以上が訪れ、来年10月までの公開延長が決まったという。

89年秋の出来事は転換ではなく、革命だった。ただ、ベートーヴェンが英雄交響曲を書くきっかけとなった、その200年前のフランス革命とは違って、非暴力の革命。「自由」は、ゴルバチョフやブッシュら政治指導者から与えられた贈り物ではなく、人々が自らの意思と勇気で勝ち取ったもの。派手なドミノ倒しは巨大なショーのようでもあったが、人々がこの価値ある事実を忘れなければ、大規模な20周年祭は意義があったと言えるのではないだろうか。
ドイツニュースダイジェスト 11月27日)

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by berlinHbf | 2009-11-28 00:15 | ベルリン音のある街 | Comments(12)

ベルリンに帰った貴志康一

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©甲南大学貴志康一記念室所蔵

1930年代前半、ベルリンで信じられないようなキャリアを築いた若き日本人音楽家がいました。その名は貴志康一。大阪の商家に生まれ、ジュネーブとベルリンでヴァイオリンの研鑽を積みながら、ヒンデミットに作曲を、フルトヴェングラーに指揮を学び、25歳でベルリン・フィルを指揮するという快挙まで成し遂げます。交響曲や歌曲、オペレッタまで多くのジャンルで曲を残したほか、映画製作にも力を入れ、並々ならぬ意欲を持って日本文化の紹介に努めました。しかし帰国後、わずか28歳で急逝すると、戦中・戦後の混乱の中、その名は忘れ去られていきました。

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2009年は貴志の生誕100年目に当たる記念の年。生まれ故郷の関西を中心に彼への関心がじわじわと高まる中、ベルリン日独センターが、展覧会「貴志康一、ベルリンに帰る」を貴志に縁のある甲南大学と共催しました。日本大使館や甲南大学の関係者も出席したオープニング式典の様子をお伝えしたいと思います。最初に、今回の企画の実現に尽力したソプラノ歌手の中嶋彰子さんが、貴志作曲の「赤いかんざし」と彼の編曲による「さくらさくら」を情感豊かに歌い上げました。中嶋さんは、この日の昼に行われたフィルハーモニーでの「ランチコンサート」でも貴志とその同時代の音楽を紹介し、大変好評を博したそうです。

また、貴志が製作した短編映画2本が上映されたほか、ベルリン・フィルの資料室長ヘルゲ・グリューネヴァルトさんによる1930年代のベルリンについての小講演や、写真や楽譜などから成る展示物によって、貴志のマルチタレントぶりと彼が生きた時代背景が鮮やかに浮かび上がってきました。中嶋さんによると、貴志の音楽がベルリンに鳴り響くのは記録を遡っても70数年ぶりだったそうで、戦前、必死に日独の橋渡しに努めたこの若き音楽家が、確かに「第2の故郷」であるベルリンに帰って来たのだと実感しました。当展覧会は、日独センターにて4月17日(金)まで開催されています。
ドイツニュースダイジェスト 4月3日)

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by berlinHbf | 2009-04-03 09:56 | ベルリン音のある街 | Comments(4)

ベルリンと走り続けた音 (「ベルリン 音のある街」最終回)

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当連載の最後にあたって、筆者の知人で生粋のベルリンっ子のFさんに、「あなたの記憶と深く結びついた『ベルリンの音』は何ですか?」と聞いてみた。

1939年生まれのFさんは間髪を入れずにこう答えた。「Sバーンのブレーキ音だよ。あれは他の街では聴けないベルリンの典型的な騒音だった」
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東西分断時代、ベルリンのSバーンは特殊な状況下にあった。第2次大戦後、連合国の指令によりベルリンのSバーンは一括して東ドイツ国鉄ライヒスバーンの管轄化に置かれた。それにより、たとえ西ベルリン領内を走る列車であっても収益は東側に渡ることになったのだ。

西ベルリンの人々の心境は複雑だった。1961年に壁ができると、彼らはSバーンの利用をボイコットして抗議の意思を示した。いくつかの路線は廃止され、駅は荒れ果てた。西側で運行していたのは2つの路線のみ。それでも車内は常時ガラガラだったという。

筆者と同世代のWさんは、ユーモアを交えてこう振り返る。「でも乗る人が少なかったお陰で、車両は長持ちしたと言えるかもしれませんね」。実際、 1930年代から40年代にかけて製造されたSバーンは、修理も満足になされないまま走り続けた。この旧型のSバーンが完全に引退したのは、つい最近の2003年になってからである。一体どんな音がしたのか。自分も乗ったことがあるはずだが、もはや記憶から薄れている。

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そんな折、クリスマス用の特別列車として古いSバーンが運行されるという情報を知り、大勢の子どもたちに混じって乗ってみることにした。硬い手動のドアに木製の椅子。そうそう、確かにそうだった。列車が走り出すと、うなるような独特の加速音が床の底から響いてくる。だが、肝心のブレーキ音は周りの雑音に埋もれて思っていたよりも存在感がなかった。Fさんの言う「ブレーキ音」は、東西分断下のくたびれた交通インフラ状況の中で醸し出された音であって、手入れの行き届いた保存列車では、もはや望むべくもないのかもしれない。

マンフレード・シュトルペ元連邦交通大臣が、かつてのSバーンの音についてこう回想している。

「この古い列車が消えるとともに、慣れ親しんだ物音が聞こえなくなりました。ベルリンを、あらゆる破壊を超えて、ぎこちないテーマ音楽のように1つに結びつけていた騒音が消えてしまったのです」(「ベルリン〈記憶の場所〉を辿る旅」(昭和堂)より)

現在走っている最新型のSバーンからは、もはやこの音を聞くことはできない。だが、分断時代のベルリンを生きた人には、今も記憶のどこかに通奏低音のごとく流れている身近な音なのかもしれない。


カイザー・ヴィルヘルム記念教会の鐘の音から始まった当連載は、ベルリンのさまざまな響きを経て、この失われたSバーンの音をもってひとまず終わりとなります。最後までお付き合いいただき、どうもありがとうございました。
ドイツニュースダイジェスト 1月23日)


追記:
クリスマス電車に乗った時は、その「ブレーキ音」が何であるのか実感できなかったのですが、最近Kino ArsenalBerliner Stadtbahnbilder(1982年)というマニアックな映画を観たら、今度はすぐにわかりました。列車が停止した直後に聞ける、圧縮空気が開放される音ではないかと思われます。YouTubeで見つけたこの映像でもいくらかは感じ取れますが、列車の外からの方がずっとインパクトがあります。

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by berlinHbf | 2009-01-24 21:39 | ベルリン音のある街 | Comments(7)

アネッテ・ダッシュのサロン・コンサート

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Foto: Daniel Pasche

クラシック音楽シーンで、アネッテ・ダッシュ(Annette Dasch)という名前を最近よく耳にする。ダッシュはベルリン生まれの若手ソプラノ歌手。豊かな声と容姿にも恵まれ、若くしてすでに各地の歌劇場で活躍してきたが、2007年にザルツブルク音楽祭でハイドンのオペラ《アルミーダ》のタイトルロールを歌って成功を収め、一躍注目を集めるようになった。ザルツブルクには今夏も《ドン・ジョヴァンニ》のドンナ・アンナ役で招かれ、つい最近はドイツの権威あるレコード賞である「Echo Klassik 2008」のオペラ・アリア部門で受賞するなど、まさに縦横無尽の活躍ぶりを見せている。
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世界的な名声を築きつつあるダッシュだが、もう1つ、生まれ故郷のベルリンで力を入れている活動がある。シュプレー河畔にあるアートスペース「Radialsystem V」で、今年から定期的に開催している「ダッシュ・サロン」(Annettes DaschSalon)だ。これはドイツ語で「コインランドリー」を意味する「Wasch Salon」と掛けた造語。普通のリートコンサートとは一味違うというので、11月に行われたコンサートに足を運んでみた。

会場の舞台にはソファーや調度品などが置かれ、くつろいだ雰囲気が醸し出されている。やがてそこに、やや緊張した面持ちでダッシュは登場し、シューベルトの「さすらい人が月に寄せて」を冒頭に歌った。この日のプログラムは、ブラームス、R.シュトラウス、フォーレ、シマノフスキといった作曲家の、「月」にまつわる曲ばかりが選ばれた。ダッシュ自身は歌うのみならず、マイクを持ってホスト役にもなり、屈託のない笑顔でゲスト出演者とのトークを楽しみ、時には音楽の解説もする。この日共演したピアニストで姉のカトリン・ダッシュやソプラノのアンナ・プロハスカ、バリトンのディートリヒ・ヘンシェルといった人たちは、ダッシュと個人的なつながりがある人ばかり。私も、彼女の自宅に招かれてサロン・コンサートを楽しんでいるような気分になった。合間には、ダッシュが客席にやって来て一緒に詩を朗読したり、観客全員が4声に分かれてドイツの民謡を歌ったりと、聴き手側も参加できるのが面白い。プログラムの最後に置かれた、シューマンの「月の夜」での静謐な歌も印象的だった。

「出演するオペラ劇場が大きくなるにつれ、自分たちのしていることが匿名性を帯びてくる」と彼女はインタビューで語っている。自ら「ホームグラウンド」と呼ぶベルリンで親しい友人や同僚、親戚を招き、お客さんの顔の見える距離で歌うこのサロン・コンサートは、ダッシュ自身にとっても歌うことの楽しさを再確認させてくれる大事な場なのだと思った。

多忙を極めるアネッテ・ダッシュは、2012年までスケジュールがいっぱいだという。だが、「ダッシュ・サロン」での彼女を見ている限り、「気高いプリマドンナ」というイメージとは今後も無縁であり続けそうだ。
ドイツニュースダイジェスト 12月5日)

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by berlinHbf | 2008-12-08 14:07 | ベルリン音のある街 | Comments(8)

メンデルスゾーンと壁崩壊の関係

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連邦大統領府儀典長マルティン・レーア氏の執務室には、作曲家フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディの胸像が飾られている。ある日の午後、この胸像と19年前のベルリンでの出来事にまつわる数奇な話を氏から伺った。

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話はベルリンが建都750周年を祝った1987年にさかのぼります。この年、ロンドン市長が西ベルリン市長を訪問しました。その際、シェークスピアの胸像がロンドン市長から贈られたのです。当時、西ベルリン市の儀典部門に勤めていた私は、そのお返しとしてメンデルスゾーンの胸像を贈ってはどうかと提案しました。メンデルスゾーンはベルリンに縁の深い作曲家ですし、一方でロンドンのセントポール大聖堂のオルガニストを勤めた時期もありますから。この提案は受け入れられ、ベルリンの国立図書館が所有する1848年製のオリジナルの胸像のレプリカを製作することになりました。注意深く型を取り、贈り物用の像を作る前にまず石膏で試作。それがここにある胸像なのですが、なぜ私の仕事部屋にあるのかは後でお話しましょう。

やがて胸像は無事完成し、当時の西ベルリン市長ヴァルター・モンパー氏がロンドンを訪問する機会がやってきます。それが1989年11月9日でした。この日、ロンドン市長の官邸であるマンション・ハウス近くのバービカンセンターに関係者が出席し、胸像の除幕式が華々しく行われることになりました。ところが、ベルリンの事態が急変し、モンパー氏は2日前になって予定をキャンセル。代わりに夫人がロンドンに送られることになったのです。私もそれに同行しました。

11月9日の式典にはロンドン市長も臨席し、モンパー夫人と共に挨拶しました。その後は確かロンドン・フィルによるコンサートで、夜は歓迎の食事会がありました。

翌朝、ホテルの部屋のテレビを付けると、いきなり飛び込んできたのがベルリンの映像。私はすぐにモンパー夫人の部屋に電話しました。「モンパーさん、今すぐテレビを付けてください! ベルリンの壁の上で人が踊っています」

夫人はちょうど寝起きだったせいか、tanzen(踊る)という単語をPanzer(戦車)と聞き間違え、ベルリンが流血の事態になったのではないかと一瞬ぎょっとしました。しかし、すぐに私が言わんとしたことを理解したようでした。私たちは一緒にテレビを見て、喜びのあまり激しく泣いたのです。

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試作用に作ったこのメンデルスゾーンの胸像は、本来ならば取り壊さなければならなかったのですが、幸いなことに私が所持することを許されました。私の職場はその後、ベルリン市からブランデンブルク州、ベルリン芸術アカデミー、そして現在の大統領府へと移ったのですが、このメンデルスゾーンはその都度私の仕事部屋に飾っています。そして、それを見るたびに、1989年11月9日を思い出すのです。(談)


来年2009年はベルリンの壁崩壊からちょうど20年。同時に、フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディの生誕200年という記念の年でもある。
ドイツニュースダイジェスト 11月7日)

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by berlinHbf | 2008-11-10 22:36 | ベルリン音のある街 | Comments(4)

音の記憶を探し求めて - 旧フィルハーモニー跡 -

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Alte-Philharmonie(10月24日)

現在のベルリン・フィルハーモニーと同じく、旧フィルハーモニーも、ポツダム広場からほど近い場所にあった。戦前、Uバーンのポツダム広場の駅を上がると、目の前にはHaus Vaterland(「父なる国の家」)という名の有名な歓楽施設が立っていた。そこを横目に、南側のケーテナー通り(Köthener Str)を歩いていこう。この辺りに戦前から残っている建物としては、「ハンザ音響スタジオ」でご紹介したマイスターザールぐらいだろうか。

参照:
天使の降りた場所(9) - 戦前のポツダム広場を歩く - (2006-10-05)
伝説のハンザ・スタジオ (2008-04-30)

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最初に見える横道を左折すると、これがベルンブルガー通り。この界隈はクロイツベルクの西端にあたり、低所得者層の外国人住民が多い印象を受ける。昔日の面影は、やはり皆無に等しい。

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やがて右手に見えてくるこのアーチの向こうに、1944年までベルリン・フィルの本拠地が建っていた。ポツダム広場から5分強。戦前の大ターミナルだったアンハルター駅からも徒歩5分の距離ゆえ、当時は一等地だったことがわかる。

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前回ご紹介した映画『帝国オーケストラ』で、エーリヒ・ハルトマンが1943年にベルリン・フィルのオーディションを受けにやって来た日のことを語るシーンがある。「ベルリンは私にとって未知の都市だった。アンハルター駅で降り、母たちに付き添ってもらい、自分はコントラバスを担いで急いでフィルハーモニーに向かったんだ」

アーチを後ろに見ながら歩いて行くと、そこが中庭。やがてフィルハーモニーが目の前にそびえる。このアングルからの映像は、『帝国オーケストラ』の中でも紹介されるので、ぜひご覧いただきたいところ。

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戦前の絵葉書より。この中で聴くブラームスがどんなにすばらしかったであろうかは想像に難くない。タイムマシンがあったら、自分ならベルリンで行きたい場所の3本指に入れるだろう!

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現在は、学生寮とスーパー、アパートなどに囲まれた、ただの中庭の空き地でしかない。しかし何も建てられなかったがゆえに、ここを訪れる者は記憶の響きを想像する余地が残されているように思う。

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その響きとは、フルトヴェングラーの指揮するベートーヴェンだろうか。それとも、フィルハーモニーが崩れ去る日の夜の爆撃音だろうか。おそらく今も残るホール唯一の残骸を眺めながら・・・。


帝国オーケストラ ディレクターズカット版公式サイト
ベルリン・フィル創立125周年記念第一弾 10月下旬より渋谷・ユーロスペース他全国順次公開

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by berlinHbf | 2008-11-07 23:57 | ベルリン音のある街 | Comments(14)

フィルハーモニーの「舞台席」

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©Lauterbach / Berliner Philharmoniker

ベルリンという街が遠い彼方の存在だった頃、テレビでベルリン・フィルハーモニーのコンサートの様子が映し出される度に気になる場所があった。舞台のすぐ後方にベンチのような簡素な席が何列か並び、そこで人々が体を寄せ合うようにして音楽を聴いている。若い音楽好きにはそこが特等席のように映り、いつかあの場所でベルリン・フィルを聴いてみたいと夢に描いた。

ベルリンに来て音楽に詳しい人に聞いてみたら、なんのことはない、あのスペースは合唱団用の席で、プログラムに合唱曲がない場合に安い値段で開放されているに過ぎなかったのだ。
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Podiumsplätzeと呼ばれるこの舞台席は全部で約120席あり、ベルリン・フィルでは原則としてコンサートの数日前にフィルハーモニーの窓口でのみ販売される(値段は8~16ユーロ)。何しろオーケストラの舞台のすぐ後方なので、響きのバランスは決して最上のものとは言えない。また自由席なので、開演ギリギリにやって来ると、金管楽器やティンパニのすぐ後方しか空いていないということもある。その代わり、指揮者と完全に向かい合う形で座るため、あたかも自分がオーケストラのメンバーの1人になったような気分で、ハーモニーが創造される生の現場に立ち会える稀有な場所でもあるのだ。

ベルリン・フィルのドラマトゥルク(文芸)部門のヘルゲ・グリューネヴァルト氏が、舞台席での思い出を語ってくれた。

「1967年に音楽学の学生として西ベルリンにやって来た私は、この舞台席で初めてベルリン・フィルのコンサートを聴きました。ジョン・バルビローリが指揮するブラームスだったのですが、私は大変感動してそれ以来、伝説的な指揮者のコンサートのほとんどをこの席で体験したのです。ジュリーニ、セル、ヨッフム、ベーム、カラヤン……。彼らの表情や動きといったら!当時2マルクぐらいでこの席のチケットが買えたので、若い私は貪るように音楽を聴きました。それが自分にとってかけがえのない財産になっています」

指揮者だけでなく、オーケストラのメンバーを観察するのもスリリングだ。舞台に現れる時のリラックスした表情と演奏が始まってからの集中力、指揮者の細かな動きに奏者が瞬時に反応する様、プレーヤー同士のアイコンタクト、時には予想外のハプニングが起こることだってある。氏が語るように、特に音楽を勉強している人にとっては最高の席だろう。ベルリンの音大に留学中のある友人は、「ここは百戦錬磨の彼らから技を『盗める』場所なんです」と語っていた。ジーンズ姿の若者も多く、他の席に比べてラフな雰囲気があるのが特徴だ。

「確かに、ヴァイオリンや歌のリサイタルをこの場所で聴くのはやや奇妙な体験ではありますが、フィルハーモニーのコンサートは舞台席でしか聴かないというファンもいるんですよ。こういう席は他のホールにはありませんから」(グリューネヴァルト氏)

客席が舞台を取り囲むという民主的な理念によって造られたフィルハーモニーには、値段が安くても音楽を間近に感じられる席が存在する。それがまた、この音楽空間の豊かさを物語っていると言えないだろうか。
ドイツニュースダイジェスト 10月17日)

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by berlinHbf | 2008-10-17 21:48 | ベルリン音のある街 | Comments(13)

新シーズンを迎えた州立歌劇場

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8月30日、ベルリン州立歌劇場の新シーズンが幕を開け、そのオープニングの2公演が大きな話題を集めた。初日のオペラ《フィデリオ》(ベートーヴェン作曲)は、歌劇場横のベーベル広場に設置された巨大スクリーンに舞台が同時中継されるという、いわばオペラのパブリックビューイングで、昨年の《マノン》に引き続いての試みだ。聴こえてくる音はスピーカーを通しているとはいえ、熱気溢れるライブの感興はかなり伝わってくるものがあった。
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その翌日は、同じくベートーヴェンの第9交響曲が広場の仮設舞台で演奏された。両日とも指揮を務めたダニエル・バレンボイムは、どのような上演形式だろうが、自分の演奏スタイルを決して変えない。強い日差しが照りつける中、聴き手にやや忍耐を強いるほどのゆったりしたテンポを終始保ったまま、重厚に音楽を練り上げていく。4楽章冒頭で低弦がメロディーを奏でるレチタティーボの部分は、大見得を切るような豪快さ。その濃厚な表情付けには好みと賛否が分かれそうだが、音楽にも人生にも信念を貫く氏の姿が垣間見られた。

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2日間とも入場無料の上、天気にも恵まれたことで、熱心なオペラファンだけでなく、足を止めて聴き入る散歩途中の人から観光客まで、広場に面した通りの向こう側にまで人が溢れる大盛況だった。「すべての人にオペラを」をモットーに、ベルリンのBMWがスポンサーとなった今回の試みは、来年も続けられるという。オペラ上演の新たな可能性を探るものとなるだろうか。
 

昨シーズンのベルリン州立歌劇場は、舞台に関する話題以外で何度も新聞の見出しを賑わせた。劇場の支配人だったペーター・ムスバッハの突然の辞任劇、そして劇場の大規模な改修に関する問題だ。後者については昨年秋に当連載でも取り上げたが、改修費を巡る議論が一段落したかと思いきや、その後は客席の内観をどのようにするかで大論争となった。というのも、この春、コンクールで1等を獲得したクラウス・ロートのデザインが、1950年代に劇場が再建されたときのロココ様式とは完全に決別したモダンなものだったからだ。

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音楽監督のバレンボイムは、フリードリヒ大王の時代に建てられたオリジナルの劇場の構造に触れ、「オペラ座は(特定の層だけではなく)全ての人に開かれたものであるべきだ。いまの構造では音響の大幅な向上も望めない」とロート案を支持。一方で、改修費用の一部を受け持つ歌劇場の友の会は、「ロート案が採用されるならばお金は出さない」と主張し、それにベルリンのCDUとFDPの議員が後ろ盾をするなど、議論は政治色の濃いものへと発展した。

結局6月になって、市のトップの話し合いにより、「劇場の内観は大きく変更しない」という条件でデザインを新たに公募するという異例の事態で今後の方向が決まった。歌劇場の改修工事は、2010年の夏から約3年半かけて行われる予定だ。それまであと2年、ドイツ屈指の伝統を誇るオペラ座の将来にも関わる大事なシーズンが始まった。
ドイツニュースダイジェスト 9月12日)

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by berlinHbf | 2008-09-12 09:30 | ベルリン音のある街 | Comments(4)

CD「ベスト・オブ・ベルリン」

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この5月、ベルリンの音のベスト盤とでもいうべきCDが発売された。その名も"Best of Berlin"(EMI MUSIC)。ベルリナー・モルゲンポスト紙とシュプレーラジオの共同制作で、収録曲は7000人以上のリスナーが参加したネット投票から選ばれた。ベルリンをテーマにした81の歴代ヒット曲の中から人気の高かった上位40曲を、2枚組みに収めてできあがったCDがこれだ。
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選ばれた音楽は、時代もジャンルもまさに多種多様。1枚目は流行歌が中心で、1950年代のシェーネベルク少年合唱団から2001年のディー・プリンツェンまで、やや詰め込み過ぎの印象も受けるが、その分内容は豊富だ。マレーネ・ディートリッヒの《私はベルリンにまだトランクを置いてある》では、この大女優の故郷への消しがたい思いが伝わってくるし、2005年に亡くなった最後の「ベルリン・オリジナル」の1人と言われるハラルド・ユーンケや、ベルリン訛りが印象的なヴォルフガング・グルーナーなど、その歌には全体的にノスタルジーが漂う。イタリアの名歌手ミルバも、《アレクサンダー広場》という哀愁豊かな歌を残している。

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2枚目は、1970~80年代のロックやポップスが中心で、名曲が目白押しと言ってよい。冒頭のウド・リンデンベルクの《パンコウ行きの特別列車》は、今回の投票でとりわけ人気が高かった曲だそうだ。83年、リンデンベルクは東ドイツでのコンサートを当時の首脳陣から拒否されたことからこの曲を書いた。軽快なスイングのメロディーに乗って歌われるのは、最高指導者ホーネッカーへのパンチの効いた皮肉(パンコウはホーネッカーの居城があった地区の名)。これが功を奏したのか、同年東ベルリンでのコンサートは実現した。その後のドイツ再統一にもいくらか貢献した歌と呼べるかもしれない。

リンデンベルクは西ドイツ出身のミュージシャンだが、Puhdys、City、Silly、Keimzeitといった東ドイツの人気バンドの魅力も捨てがたいものがある。Sillyの《Mont Klamott》というタイトルは、第二次大戦のがれきで作られた山を指し、その作業に携わった女性が登場する。歌詞を理解しながら聴くと、歴史の影が時折顔をのぞかせるのに気付く。一方、壁を隔てた西ベルリンのバンドIdealの《Berlin》では、ボーカルの刺すような歌声と挑発的な歌詞から、80年代初頭の空気が伝わってくる。いずれもあの時代のベルリンでなければ生れなかった音楽だろう。

ベルリンをテーマに曲を書いたのはドイツのミュージシャンに留まらない。ルー・リード、デヴィッド・ボウイ、ロビー・ウィリアムスといった大物も、ベルリンから何らかのインスピレーションを受け、曲を書いているのは周知の通りだ。

ライナルト・グレーベの《ブランデンブルク》は、そんな多くの人を惹きつけて止まないベルリンへの憧れを、「何も起きない辺境の地」ブランデンブルクの視点からユーモアを込めて歌った傑作。サッカーチーム、ヘルタ・ベルリンの応援歌《Nur Nach Hause…》は、多くの人が一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。

憧れ、ノスタルジー、退廃、混沌、愛着、反発・・・。歌詞カードが付いていないのが残念だが、戦後ベルリンの音をめぐる歴史を俯瞰することができる楽しいCDだ。
ドイツニュースダイジェスト 8月8日)

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by berlinHbf | 2008-08-12 00:03 | ベルリン音のある街 | Comments(13)

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