ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


by berlinHbf

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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
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本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


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カテゴリ:- 2005ウクライナ紀行( 10 )

ウクライナ紀行(9) 旅の終わり

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(前回の続き)
10月15日、いよいよキエフを後にする。帰りはベルリン行きの直通列車に乗る予定だったのだが、2日前に窓口に行ったら、すでに全席売り切れ。帰国を一日遅らせることも考えたのだが、こーどーくんの勧めでワルシャワ経由で帰ることにした。少し遠回りにはなるが、運賃は安くなる。キエフからワルシャワまでの切符は290グルブナ(約48ユーロ)だった。ちなみに、ベルリンに戻ってから、今回の旅行の総費用を計算したところ、約235ユーロという数字が出てきた。8日間これだけ堪能してこの値段。言葉の壁などはあるが、ウクライナは十分旅行するに値する国であるとお勧めしたい。

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さらに1週間ほどウクライナの旅を続けるというこーどーくんと別れ、12時36分発の列車で4日間滞在したキエフを後にする。列車内では、本を読んだり、昼寝したりとのんびり過ごした。深夜、ウクライナとポーランドとの国境を越えたが、ヨーロッパの国境越えでこれほど厳しいチェックを受けたのは、初めてだったかもしれない。

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翌朝早朝の5時41分、ワルシャワ中央駅着。少し時間があったので、駅の外に出てみると、社会主義時代に建てられた文化科学宮殿がどーんと目に入ってきた。ワルシャワ中央駅を利用するのは2回目だが、首都の中央駅としての雰囲気に乏しく、どうもあまり好きになれない。ちょうどこの時期、5年に1回のショパン・コンクールがこの町で行われていた。

7時25分発の「ベルリン・ワルシャワエキスプレス」に乗り継ぐと、後はベルリンへひたすら走るのみ。ウクライナで乗った列車に比べ、それはなんと快適だったことだろう。スピードを出しても揺れがほとんどないし、内装もシートもきれいだ。食堂車に移動して朝食を取ったが、コーラを注文してチキンが出てくることも、もうない(こちらをご参照)。ウェイターはポーランド人だったが、ドイツ語が話せるし、会計もユーロでできる。EU圏に戻って来たのだと実感。

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再びオーデル川を渡り、ポーランドとドイツの国境を越える。

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やがてベルリンの中心部が視界に入ってくる。8日間ほど離れただけなのに、ベルリンに戻るといつもほっとしてしまう。

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やがて、テレビ塔が見えると、ベルリンに帰って来たことを真に実感する。

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13時半頃、定刻より少し遅れてベルリン・ツォー駅に無事到着。長らくベルリンの長距離列車のターミナルとして役割を担ってきたツォー駅だが、来年ベルリン中央駅が開業すると、その座を明け渡すことになる。ツォー駅には、短距離の列車しか発着しなくなる予定。

人気blogランキングへ(長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。次回からは再びベルリン中心の話に戻る予定です)
by berlinHbf | 2005-10-31 02:24 | - 2005ウクライナ紀行 | Comments(4)

ウクライナ紀行(8) キエフ最終日

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(前回の続き)
10月15日。今日は中心部から少し離れたペチェルスク修道院を観に行く。地下鉄のDnipro駅の地上ホームに降り立つと、茫漠たるドニエプル川が目の前に広がっていて感動した。

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そのドニエプル川を背に向け、汗をかきながら丘の上を上っていくと、ペチェルスク修道院の建物が遠くに見えてくる。そこに向かう途中、ウェディング姿のカップルを何組も見かけた。ここはキエフの人々の結婚式のメッカなのかもしれない。

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カメラを向けたらにっこり微笑んでくれたカップルも。どうぞお幸せに。

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ペチェルスク修道院の壮麗なカテドラル。28ヘクタールという広大な敷地の中に、大小さまざまな寺院が並んでいる。敬虔な信者をたくさん見かけた。それもそのはず、ここは全ロシア・ウクライナでもっとも権威のある修道院なのだという。先日ご紹介したソフィア聖堂と共に、ユネスコの世界遺産に登録されている。

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「ペチェルスク」とは、「洞穴の」という意味。その名の通り、聖堂の地下にはたくさんのほら穴が掘られている。ペチェルスク修道院ができたのは11世紀のことだが、かつてここの修道士たちは地下のほら穴で礼拝をしながら、生活していたという。彼らが死ぬと、遺体は温度の冷えた洞穴の中で自然のままに保存され、ミイラ化された。現在の信者は、ロウソクを持って地下の聖人の棺が並べられている部屋を巡るのだが、真っ暗闇の上、通路は迷路のように入り組んでおり、全くの外部の人間には少々息が詰まってくる。

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南側の修道院の敷地内には、はちみつ売りの露天だけが並ぶ一角があった。そのボリュームにびっくり!

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街中に戻り、再び地下鉄に乗って、北側の終点へ。駅を出たこの場所の名前は「バービ・ヤール(Babyn Yar)」。ショスタコーヴィッチの交響曲13番がこのタイトルなので、名前は知ってはいたが、キエフの郊外にあるとは知らなかった。ここもまたヨーロッパにおける暗黒の歴史の舞台である。1941年9月、ユダヤ人3万4千人が、このバービ・ヤールの谷間に集められ、射殺された後、埋められたという。ヨーロッパのユダヤ人受難の地の一つ。

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バービ・ヤールのこの記念碑はソ連時代に建てられたもの。あまりにモニュメンタルなデザインゆえ、あまり評判はよくないようだが。

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再び中心部に戻る。日が暮れてきたが、翌日ベルリンに帰るので、もう一度このメインストリートを歩いておきたかった。

そういえば、キエフ滞在でお世話になったカーチャさんのことをまだ何も話していなかったので、簡単に紹介しておきたい。既に一度大学を卒業している彼女は、現在はプロジェクト・マネージメントを専攻し、働きながら2つ目の学位取得を目指している。まだ20代前半なのに、英語、ドイツ語が堪能で、かなりの才媛だ。本当は最後もう一度会ってお礼を言いたかったのだが、彼女の仕事の都合で残念ながら叶わなかった。

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金曜日の夕方だけあって、通りはとても賑やか。何となく暗いイメージのあったウクライナだが、人々の表情は決してそんなことはない。噂には聞いていたが、きれいな女性が多かった。今回の旅で、ウクライナのいろいろな面を直接見ることができて、とてもよかったと思う。

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独立広場前にて。昨年末の大統領選挙の際、野党のユーシェンコ(現大統領)支持者は、党のシンボルカラーであるオレンジ色の旗、マフラー、風船などを持ってこの広場に集結した。その様子は世界中に映像を通して伝えられたので、記憶に残っている方も多いと思う。

さて、明日はいよいよベルリンに戻る。

人気blogランキングへ(先ほど午前3時をもって、夏時間が終わりました。時計の針を1時間戻します。毎年のことですが、1時間だけ得した気分になれる瞬間です^^)
by berlinHbf | 2005-10-30 02:57 | - 2005ウクライナ紀行 | Comments(1)

ウクライナ紀行(7) チェルノブイリは終わらない

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(前回の続き)
10月13日。着いた日を含めてのキエフ3日目は、前日に続き曇り空。訪れた順序は逆になるが、この日観て回った中で一番強烈だったものから紹介したい。

1986年のチェルノブイリ原発事故のことを知らない人はいないだろう。しかし、そのチェルノブイリが現在のウクライナにあって、しかもキエフの北方約130キロに位置していることは意外と知られていないのではないだろうか。キエフからこれほど近い場所だとは、実は私も知らなかった。そのチェルノブイリ博物館が、キエフの中心部からほど近いところにある。

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1階は入り口で、展示物のほとんどは2階にある。その階段には、このように地名を記したと思われる看板が多く掲げられているのだが、これは一体何だろう。

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2階に上がり、後ろを向いた瞬間に全てが明らかになる。これはチェルノブイリ原発事故で廃墟と化した町や村の名前なのである。ざっと見渡したところ、10や20の数ではなかった。史上最悪といわれる1986年4月26日の原発事故で甚大な被害を被ったのは、ウクライナよりもむしろ、事故当時の風向きで大量の放射能が注ぎ込まれた北側のベラルーシ(当時はもちろんソ連)だった。ネットで見つけた「ベラルーシ共和国放射能汚染図」を見ると、死の灰の70%が降り注いだというこの国の惨状をおぼろげながら実感することができる。チェルノブイリについては、かおるさんの「チェルノブイリ訪問記」を読むと、現在の様子がよくわかる。

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館内に英語の説明はないが、その場に立てば当時どういうことが起こったのかが何となくわかる展示の仕方になっている。写真の時計は、発電所の4号炉が爆発した時刻を指している。ところで、素朴な疑問、この爆発事故で一体何人亡くなったのだろうか。詳しい実態は掴めていないというのが実情のようだが、Wikipediaの記事にこういう記述を見かけた。
2000年4月26日の14周年追悼式典での発表によると、ロシアの事故処理従事者86万人中、5万5千人が既に死亡した。またウクライナ国内(人口5千万)の国内被爆者総数342.7万人のうち、作業員は86.9%が病気にかかっている。
もちろん白血病やガンで苦しんでいる人たちは今も大勢いるし、生態系への影響も計り知れないものがある。放射能がしみ込んだ大地、その放射能の濃度が事故当時の1000分の1まで減るのに、約300年かかるという。

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ガイドの説明を熱心に聞き入るアメリカ人観光客たち。世界最大の核保有国は言うまでもなくアメリカだが、アメリカだけを責め立ててどうにかなる問題でもない。いずれにしろこの博物館は、キエフに来たら訪れるべき場所の一つだろう。

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さて、キエフで最も賑やかな通りの一つ、Khreshchatyk通りを歩こう。このブログを最初から読んでくれている方なら、この町並みを見て以前ご紹介したある通りを思い出す方もいるのではないだろうか。

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そう、ベルリンのカール・マルクス通り(こちらを参照)を賑やかにした感じにかなり近い。社会主義時代の同じ建築様式に基づいているので、似ていて当然と言えば当然なのだが。

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これは何とアパートなのだが、手元にあるドイツ語のガイドブックによると、第二次世界大戦後ドイツ人の捕虜によって建てられたものだという。

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再び丘の上を上がって旧市街へ。ソフィア聖堂の真向かいにあるミハイル聖堂は、ブルーと黄金のドームが鮮やかな教会。晴れていたらもっと色鮮やかだったろうにと思う。12世紀に建立されたが、1936年スターリンによって破壊された。ウクライナ独立後に、国家事業として再建され、再オープンしたのはつい最近の2001年のことだった。

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ミハイル聖堂の入り口近くには、このような展示パネルがある。1932年から33年にかけて、スターリンの強制的な農業集団化がきっかけで人為的に起こった、恐るべき大飢饉の実態について明らかにしたものである。説明しようとすると長くなるのでやめるが、何しろ想像を絶する出来事で、「物語 ウクライナの歴史」のこの飢饉について触れた箇所を読んでいると背筋が凍ってくる。ソ連政府は情報を明るみにすることなく、長い間事実を隠し続けていた。

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ミハイル聖堂の横には、1936年から39年にかけて建てられた、元ウクライナ共産党中央委員会の建物がある。現在はウクライナの外務省として使われている。

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その外務省を右手に見ながら歩いて行くと、露天がたくさん並ぶAndriyivsky uzvizという坂道にぶつかる。座布団の上でたたずんでいるネコを見つけて心がなごんだ。ドイツではネコは家の中で飼う習慣になっているので、通りで見かけることはまずない。

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Khreshchatyk通りの夜の風景。当初はこの翌日帰る予定だったのだが、キエフは見どころが多く、また簡単に来れる場所でもないため、滞在を一日延ばすことにした。

(続く)

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by berlinHbf | 2005-10-28 04:29 | - 2005ウクライナ紀行 | Comments(3)

ウクライナ紀行(5) 雨の日のキエフ

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(前回の続き)
10月12日。前日は長時間の移動だったので、この日の朝はゆっくり起きる。キエフの宿はカーチャさんが予め押さえてくれていた。ホテルではなく、家具付きの普通のアパートで、短期滞在者でも借りられるようになっている。キエフのホテルは西ヨーロッパの大都市とそう変わらないぐらい高いので、短期の滞在でもアパートを借りた方が安く上がることが多いようだ。このことは、lonely planetのガイドブックにも書いてあった。

さて、キエフはどこから見て回ろうか。前日カーチャさんから、このアパートの近くに大きなマーケットがあることを聞いていたので、キエフの町歩きはまずそこから始めることにした。どこの町でもマーケットをぶらぶら歩くのは楽しい。ここでおいしいぶどうとパンを買って食べた。

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ここまで毎日すばらしい天気に恵まれてきたが、ついに運が尽きてしまったか。朝から厚い雲が立ち込めている。今日は何といってもウクライナ対日本のサッカーを観る日なので、雨だけは降らないでほしいと願う。

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もう10月だというのに、スイカが山積みになって売られていた。日本の感覚とは違うようだ。

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キエフは人口250万人の大都市だが、町の距離感を知るためまずはできるだけ歩こうと、地下鉄を使わないで私たちは中心部へと向かった。歩けない距離では決してない。町を東西に横切る大通り、タラス・シェフチェンコ通りの入り口には、今もレーニン像が立っている。この通りの名前の由来となっているのは、ACミランのサッカー選手ではもちろんなく、ウクライナ史上最大と言われる19世紀の文学者である。アンドリュー・シェフチェンコ通りも、いずれできるのかもしれないが。

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この通りを登り切ったところで右折し、オペラ座のある通りをさらに真っ直ぐ歩くと、宮崎アニメにも出てきそうな異様な形態の建築物が見えてくる。キエフの町のシンボルである、この「黄金の門」を私はまず見ておきたかった。

クラシック音楽に興味のある方なら、「キエフの門」でピンとこないだろうか。そして、この絵に見覚えがないだろうか。

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19世紀ロシアの作曲家ムソルグスキーは、友人ハルトマンの残した絵画の印象をもとに「展覧会の絵」というピアノ曲を作曲したが、一番最後の曲「キエフの大門」の門とはここのことである。

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コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)にある黄金の門をモデルにこの門が建てられたのは、1037年のこと。当時はこの門が旧市街の入り口だった。1240年のモンゴル人の襲来で大部分が破壊されてしまい、現在のこの門は1982年に再建されたものである。少し見比べたらわかるが、ハルトマンの絵と実際の門とはかなり(というか全く)外観が違う。というのも、ハルトマンが生きた時代、この門は荒れ果てていて、ここに新しく門を再建する際のデッサンとして彼は描いたということらしい。残念ながら、ハルトマンが描いた大門は実現することはなかった。

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ムソルグスキーはいわば架空の想像図をもとに、あの音楽を作曲したことになる。とはいえ、この門の前に立つと、私はあの壮大な終曲を思わずにはいられなかった。ベルリンに戻ると、私は早速ホロヴィッツが弾く「展覧会の絵」のCDを聴いた。大ピアニストのウラディーミル・ホロヴィッツはここキエフ出身である。

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キエフの歴史は大変古い。ロシア文化の発祥とされるキエフ公国(キエフ・ルーシ)の首都となったのは、882年のこと。このソフィア聖堂は、ヤロスラフ賢王によって1037年に建てられた。ここを中心とした旧市街は丘の上にある。

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いわゆるビザンチン様式の内部のモザイク画には、本当に感銘を受けた。この教会が世界遺産に登録されているのも頷ける。玉ねぎ型のドームがまた印象的。ところで、ついにしとしと雨が降ってきてしまった。

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このまま地底までもぐるのではないかと思うほど、深く掘られているキエフの地下鉄。モスクワの地下鉄はこんな感じだと話に聞いたことはあるが、これにはびっくり。冷戦時代、核シェルターとしても使えるようこの深さにしたのだろうと何となく想像がいく。

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下から見上げるとこんな感じ。エスカレーターの速度が異様に速いので、乗る時のタイミングをつかむのに最初は戸惑う。それはそうだ。日本のエスカレーターの速度で動かしていたら、地下鉄のホームにたどり着くまで5分ぐらいは優にかかるだろう。

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昨年のオレンジ革命の際、世界中にここでの集会の映像が流れた独立広場の地下はショッピングモールになっている。マクドナルドなどもあって、西側世界と全く変わらない風景だ。

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このようにハリボの屋台まで。ハリボのグミに目がないというこーどーくんも買い込むが、思ったより高かったらしく、買い過ぎたと少し後悔していたようだ。

地下から出ると、雨は一段と強くなっている。こんな天気でサッカーを観るのか、と私たちは少々足取り重く、試合の行われる五輪競技場へと向かった。キックオフは夕方の5時である。

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by berlinHbf | 2005-10-25 03:06 | - 2005ウクライナ紀行 | Comments(6)

ウクライナ紀行(4) 列車に乗って首都キエフへ

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(前回の続き)
10月11日、朝の7時半。リヴィウ中央駅の長いホームに、キエフへ向かう列車が横たわっていた。ブルーの車体、明らかにソ連製だ。旧ソ連の鉄道の線路幅は広軌と呼ばれるもので、1524ミリあり、これは欧米の大部分や日本の新幹線などが採用している標準軌(1435ミリ)よりも幅がある。ホームが低いこともあって、前に立つと列車は一際大きく見える。

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この列車はリヴィウ始発で、行き先はなんとモスクワ。キエフで降りず、そのままこの列車に乗り続けたら翌朝モスクワに着くのかと思うと、なかなか感慨深いものがある(もちろんロシアはビザがないと入れないが)。

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列車は7時54分に発車。リヴィウの町を大きく周回して一路西へと進む。キエフまでは約10時間の長丁場である。旧ソ連の鉄道に乗るのは初めてだが、昔読んだ宮脇俊三さんの「シベリア鉄道9400キロ」で予備知識は少し持っていた。列車に乗り込む際は、車両の入り口ごとに立っている女性の車掌さんから検札を受ける。切符は車掌さんが預かり、目的の駅に着く寸前に返してくれる仕組みだ。2等車両は4人用のコンパートメントで、完全指定席。日本のB寝台に作りが似ていると言っていい。長時間の移動だけに、昼間から布団を敷いて、ごろごろ横になっている乗客が多かった。私たちの部屋の相客は、ロシア人のおばあちゃんと中年の婦人。2人ともモスクワまで行くという。

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このような平原地帯が延々と続く。ウクライナは「ヨーロッパの穀倉」と呼ばれていて、世界の黒土地帯の30%を占めているというのだから驚く。21世紀に世界で食糧危機が起きるとすれば、それを救う可能性のある国とまで言われているらしい。

それにしてもよく揺れる列車だった。おそらく保線整備が行き届いていないのだろう。帰りにキエフから別の幹線ルートでワルシャワに抜けた時は、ここまでひどくなかった。

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大きな駅に停車すると、物売りの人たちが続々と車両の入り口近くにやって来る。売られているのは、パンやピロシキ、魚の干物、雑誌など。

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お腹がすいてきたので、食堂車に移動しサラダとボルシチを頼む。飲み物は、こーどーくんがコーヒー、私はコーラ。ところがスープを飲み終わって、最初に出されるはずの飲み物がいまだに出て来ない。おかしいなと思った頃、こわそうなおばさんのウェイターがやって来て、骨付きチキンの盛り合わせを無造作にどかんと置いた。唖然として顔を見合わせる私たち。「私たちが頼んだのはコーヒーとコーラだ」とこーどーくんがロシア語で説明すると、「だから私はクーラを持って来たのよ」とおばさん。

どうやらロシア語ではチキンのことをクーラ(Kyla)と言うらしい。なるほど、確かに響きは似ているが、食後にコーラか骨付きチキンかでは雲泥の差がある。こんなもの出されても今さら食べられるわけがない。こーどーくんは確かに「コカ・コーラ」と言って注文していたのでそう主張するが、対するおばさんもなかなか引き下がらない。私はロシア語がわからないので「コカ・コーラ!」とひたすら連呼。それが効いたのかはわからないが、ようやくおばさんはむっとした表情でチキンの皿を持って引き下がって行った。2人ともほっとする。

しかし、その後彼女が持って来たのは、コーラではなくなぜか2カップのコーヒーだった。ひょっとしたらこのおばさんは、コカ・コーラという飲み物の存在を本当に知らなかったのかもしれない。

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陽が傾いてきた。郊外電車が見えてきて、キエフの町がいよいよ近付いて来たことが実感される。

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キエフ中央駅には約30分遅れの18時40分頃到着。ありがたいことに、私の友達が紹介してくれた、キエフ在住のカーチャさんがホームに迎えに来てくれていた。

ところで、前日リヴィウの町のチケットセンターで買ったキエフまでの切符は、ユーロ換算するとわずか約6,2ユーロ。つまり、前にお話したベルリンからリヴィウまでの29ユーロと合わせて、約35ユーロでベルリンからキエフまで来れたことになる。これは、ベルリンからキエフまで直通列車の切符を買う場合の約3分の1の値段で、正直ここまで安く来れるとは思っていなかった。

人気blogランキングへ(次回はキエフの町の様子をお届けします。何とか再び10位以内をキープ中。よかったらワンクリックお願いします)
by berlinHbf | 2005-10-23 18:05 | - 2005ウクライナ紀行 | Comments(7)

ウクライナ紀行(3) リヴィウ 光と影

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(前回の続き)
リヴィウの町の郊外にあるLychakivsky共同墓地。42ヘクタールの敷地の中に、40万人以上の霊が眠っているというこの広大な共同墓地は、墓地という特殊な場所であるにも関わらず、リヴィウ最大の見どころのひとつである。

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今回の旅行に持参したlonely planet社のウクライナ編のガイドブックには、「Lychakivsky共同墓地を訪れることなしに、リヴィウを去ることなかれ」というようなことが書いてあるのだが、実際に訪ねてみて、この言葉は間違いでないことがわかった。

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地元の石工職人が腕によりを込めて彫った芸術作品のようなお墓から、非常に簡素なものまで、ここで見られるお墓は多彩を極めていて、歴史の重みに圧倒される思いがする。墓石に彫られている名前を見ると、ウクライナ人、ポーランド人、ドイツ人とこれもさまざま。この多様性は、一体どこに由来するのだろうか。

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もしご興味があったら、世界地図を開いて、リヴィウがウクライナのどこにあるのか、確認していただきたい。東西に長いウクライナのほぼ一番西側、ポーランド、ハンガリー、スロヴァキアといった中欧諸国に限りなく近い位置にあることがわかる。これは重要なポイントである。

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リヴィウの町の起源は13世紀に遡るが、中世以来、この町を長く支配していたのはポーランド人だった。1772年、ポーランドが分割されてしまうと、次にここを支配したのは、かのハプスブルク帝国。町の名前はレンベルク(Lemberg)とドイツ語風になり、公用語もドイツ語になる。19世紀の黄金期には、ウィーン、ブダペスト、プラハに次いで、ハプスブルク帝国の中で4番目に大きな町だったというから、当時の栄華のほどがしのばれる。

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上の2つはドイツ人のお墓。

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20世紀に入り、ハプスブルク帝国(オーストリア・ハンガリー帝国)が終焉の時を迎えると、西ウクライナ共和国が独立を果たすものの(1918年)、わずか1年ほどで挫折。ウクライナ人とポーランド人の激しい戦闘の後、再びこの地はポーランドの支配下に入る。

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第二次世界大戦後はソ連の一部に組み込まれるわけだが、意外なことに、この時までリヴィウが帝政ロシアの支配下に入ったことは一度もないのである。リヴィウの町を歩いてみるとよくわかるが、典型的なヨーロッパの町並みで、美しいユーゲント様式の建物なども多く見ることができる。つまり、ロシア的要素が薄く、西欧の影響が強い。それは昨年末のいわゆる「オレンジ革命」でも明らかになった。大統領決選投票の際、キエフとリヴィウを中心としたウクライナ西部の人々は、親ロシア派の与党ヤヌコヴィッチを支持した東部に対し、西欧型の民主化を推進しようとする野党のヴィクトル・ユーシェンコをこぞって支持したのである。

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リヴィウの歴史を語る上で、忘れることができないのがユダヤ人である。この町のあるガリツィア地方を始めとして、ウクライナには中世から多くのユダヤ人が住んでいたのだが、リヴィウの住民を構成していたのも主にユダヤ人とポーランド人だった。町の郊外にはゲットーがあり、迫害の対象となっていた。19世紀末には、ウクライナ全土で約200万人ものユダヤ人が住んでいたという。迫害を避けるため、多くの人々はこの時期新大陸に逃れたが、彼らは現在のユダヤ系アメリカ人の核となっている(余談になるが、ジョージ・ガーシュインやレナード・バーンスタインは、19世紀末このようにアメリカに逃れたウクライナ系ユダヤ人の子孫である。またミュージカル「屋根の上のバイオリン弾き」も、やはりこの時期の南ウクライナのユダヤ人コミュニティーが舞台の話だ)。

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ナチス・ドイツのユダヤ人狩りにおいて、リヴィウもまた例外ではなかった。第二次世界大戦中の1941年から1944年までの3年もの間に、リヴィウに住む約35万人ものユダヤ人がナチスによって強制収容所に送られ、殺されたという。この町には別の場所にユダヤ人墓地もあるのだが、今回は時間の関係で訪れることはできなかった。

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この英雄的なモニュメントは前回触れたウクライナの国民的作家、イワン・フランコのお墓。入り口の近くということもあって、一際目に付く。

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広大な墓地を歩き終えた私たちは、再び中心部に戻り、今度は町を一望できるという展望台に向かった。

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ここからの眺めはすばらしかった。郊外には、社会主義時代に建てられたブロック状のアパート群が多く見られる。

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明日は列車でいよいよ首都のキエフへと向かう。

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by berlinHbf | 2005-10-21 17:57 | - 2005ウクライナ紀行 | Comments(9)

ウクライナ紀行(2) 古都リヴィウ散策

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(前回の続き)
リヴィウ中央駅の前に降り立った私たち二人は、宿を探すべく町の中心部へと歩いて向かった。

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リヴィウは人口83万人の都市。中央駅から旧市街までは約2キロほど離れている。リヴィウは地形的にかなり起伏のある町で、この長い坂を下っていくとやがて旧市街が見えてくる。

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私たちが選んだ宿はHotel George。このホテルはlonely planet社のウクライナ編のガイドブックに紹介されている。町のメインストリートの目の前というロケーションにも関わらず、ツインルームが朝食なしで120グリブナ(約20ユーロ)と極めてお手頃。ユーゲント様式の建物と内装は見ごたえがある。ただ、誤解のないように言っておくと、ウクライナのホテルの値段がどれもこのレベルというわけではなく、首都のキエフでは西ヨーロッパの水準とあまり変わらないようだ。

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昨夜は寝不足だが、少し休憩して早速街に出る。日曜日ということもあって、のんびり休日を楽しむ人々の姿が多く見受けられた。

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オペラ劇場の前から続く600メートルの通りpr Svobody(「自由」の意)が、リヴィウのメインストリート。

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劇場の正式名称は「イワン・フランコ オペラ&バレエ劇場」といい、19世紀末の建築。イワン・フランコはウクライナの国民的詩人で、20グルブナ紙幣のモデルにもなっている。

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劇場の前から「自由」通りを望む。

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その先に歩いて行くと、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」の音楽に合わせて、野外バレエが繰り広げられていた。写真の小さな女の子が、その場に「乱入」している模様。

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翌10月10日。この日もご覧の通り、ほぼ快晴に恵まれる。リヴィウの旧市街はユネスコの世界遺産に登録されている。この町の複雑な歴史については、次回少し触れることにしたい。

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旧市街のど真ん中にある、リヴィウ市の市役所。

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町歩きに少し疲れた私たちは、Dzygaという名前のカフェに入って一休み。コニャック入りのコーヒーというのがあったので飲んでみたが、これがなかなかうまい。まったりと甘く、その後体がぽかぽか温まってきて、何となく日本の甘酒を思い出してしまった。

さて、ここからは「リヴィウ乗り物カタログ」の様相を呈してくるが、この町で見かけた交通機関についてご紹介したいと思う。

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まずは乗用車。かなりくたびれた車だが、こーどーくんによると、これはソ連製の車とのこと。今でもたまに走っている。またドイツに比べると、日本車も比較的多く見かけた。

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これは公共のバスで、かなり古いタイプのもの。うっかり撮り損なってしまったが、日本では一部を除きほぼ絶滅したトロリーバスも、リヴィウでは重要な交通手段として活躍している。

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私たちがリヴィウに来る時に乗ったマイクロバスは、公共バスとタクシーの中間のような存在か。普通のバスよりも少し値段が高い。この狭い車内の中に大柄なウクライナ人がぎっしり乗っていることが多く、これなど日本のラッシュアワーも顔負け状態か(これは極端な例)。

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もちろん市電も大活躍している。手前からこちらへと走って来たこの電車、なぜかここで一旦停車し、おばさん運転手が出てきて、線路の前で何やら動かして再び運転席へと戻って行った。一体何をしていたのだろう。後で実際に同じ電車に乗った時に、このなぞが解けた。

この運転手さんは、線路のポイントの切り替えを手作業で行っていたのである。

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この市電に乗って、私たちは町の郊外にある共同墓地へと向かった。リヴィウで一番感銘を受けたのは、ひょっとしたらここかもしれない。

(つづく)

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by berlinHbf | 2005-10-19 02:53 | - 2005ウクライナ紀行 | Comments(5)

ウクライナ紀行(1) 徒歩でウクライナの国境を越える

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10月8日、Berlin Friedrichstrasse13時48分発の列車で出発。これは偶然にも、その一週間前にフランクフルト・オーデルに行く時に乗った列車と同じだった。あの時のどんよりした天気に比べ、この日は本当にいい天気に恵まれた。15時04分、フランクフルト・オーデル着。

隣のホームにはご覧のような、ポーランド国鉄の緑色の車体が横たわっていた。車内は思いのほかきれいで、乗り心地のいいコンパートメント車だった。接続よく、ポズナニ行きの鈍行列車が15時21分に発車。ポーランド随一の商業都市ポズナニ(Poznan)まで、約3時間の旅となる。

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オーデル川を越えて列車はポーランドに入る。パスポートチェックの後、女性の車掌さんが切符の検札にやって来た。私たちはフランクフルト・オーデルまでの切符しか持っていなかったので、ポズナニ行きの切符を2枚買う。今回の行程は、できるだけ安くウクライナに行くという見地から、同行者のこーどーくんが発案したものである。ベルリンからキエフまで、普通に直通列車の切符を買うと、約100ユーロほどかかる。私たちはキエフに行く前にリヴィウ(L'viv)の町も見ておきたかったし、そこまでの道程も楽しみたかった。では、このルートでキエフまで行くと一体いくらかかるのか。それはまた後でお話したいと思う。

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ポーランドの国名は、「野原」「空き地」を意味する言葉に由来するという。それだけに国土の大半がなだらかな平地である。

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定刻より少し遅れて18時半頃、ポズナニ中央駅に到着。次の列車まで5時間もの待ち時間がある。町に出る前に、まず夜行列車の切符を買わねばならない。

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ポズナニは人口58万人のポーランドで5番目に大きい町。しかし、駅の構内の案内には、どこにも英語表記がない。窓口のおばさんに「プシェミシルまでの切符を買いたいのですが、英語かドイツ語はできますか?」と聞くと、反対方向の窓口を指差した。そこに行くと若いお兄さんが窓口に座っている。今度は大丈夫かと思ったが、この人も英語はだめとのこと。困っていたら、そばにいた学生風の男の人が通訳を名乗り出て、切符を買うのを手伝ってくれた。

やれやれ、切符一枚買うだけでも大変だ。だが、考えてみたらここはポーランド語の国。その場所にある濃密な地域性に身を置くということも、旅することの意義であり、醍醐味である。世界のどこに行っても英語が通じるようになったら便利だろうが、それはそれで味気ないものだ。

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旧市街までは少し離れていたが、市電の乗り方がよくわからなくて、結局30分ぐらい歩いてたどり着く。この日は土曜日ということもあって、旧市街はとても賑わっていた。もっと地味な町を想像していたが、旧市街は歴史的な建物がよく保存(というか再現か)されていて、華やかだった。適当なレストランを見つけ、旅の安全を願ってこーどーくんとビールで乾杯。私はピエロギという餃子に少し似た料理を食べたが、これがビールによく合う。

23時18分、プシェミシル行きの夜行列車は定刻に発車した。私たちは座席車だったが、少し多めに払っても簡易寝台車(クシェット)にすればよかったと、深夜になってから後悔する。座席車は自由席なので、頻繁に客が出入りするし、深夜でも容赦なく切符の検札でたたき起こされる。1時頃だったか、2人の中年の男が同じコンパートメントに乗り込んでくると、一人はでかい声で向かいのおばさんにしゃべり始め、それがようやく終わったと思ったのもつかの間、今度は別の男がすごいいびきを立てて寝始めた。こちらはたまったものではないが、持参していた耳栓がこういう時に役立ち、なんとか再び眠りにつく。

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目が覚めたら9時を回っている。あれから意外とよく眠れたようで、列車はいつの間にかクラクフも通り過ぎていた。

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10時50分頃、ポーランドとウクライナの国境近くの町、プシェミシル(Przemysl)に到着。今日もすばらしい天気だ。プシェミシルからウクライナの最初の目的地リヴィウまでは、直通バスが一日に何本か出ている。私たちは11時のバスに乗るつもりだったのだが、バス乗り場に行って聞いてみると、そのバスが出るのは週末のみという。次のバスは15時半。それまで町で時間をつぶすしかないかと諦めてバス乗り場を出ようとしたら、入り口近くにマイクロバスが停まっているのが目に入った。その行き先の地名に見覚えがあるというので、こーどーくんがそばのバックパッカーの人に聞いてみたら、国境まで行くバスだという。ウクライナ国境は徒歩で越えることができ、そこから先はリヴィウまでのバスが出ていると親切に教えてくれ、私たちは喜んでそれに従った。ガイドブックには、さすがにこういうことまでは載っていない。

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狭いバスに20分ほど揺られると、そこはもう国境近く。バスを降り、ポーランド人のバックパッカーの後ろについて歩くと、検問所が見えてきた。

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ここでまずポーランドの出国手続きをする。並んでいる人はほとんどいなく、手続きは簡単に終わった。

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そこを出て細い通路に沿って歩くと、今度はウクライナ側の検問所が出現する。

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こちらではずいぶん待たされた。並んでいる人を見ると、買い物袋を持って日常的に国境を行き来している人が多いようだ。30分近く経ってようやく自分たちの番になる。パスポートチェックはかなりの時間がかかり、係の人はどこかに電話までしている模様。日本人をビザなしで入れてもいいのかどうか、その確認をしていたのかもしれない。

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こうして晴れてウクライナに入国。後ろを振り向くと、ウクライナからポーランドに向かう車の長い列ができていた。

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通りに並んでいる両替所で20ユーロほどウクライナ通貨に両替し、ここでリヴィウ行きのマイクロバスに乗り込む。

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狭い車内のバスに揺られること約1時間40分、ドイツ時間の14時40分頃、バスはご覧のような豪奢なリヴィウ中央駅の前に停車した。前日の午後にベルリンを出てから、ちょうど25時間が経過していたが、なかなかスリリングな道のりだった。ウクライナと西ヨーロッパとの間には1時間の時差があるので、時計の針を1時間進める。早速ベルリンからここまでの切符代を計算してみたら、約29ユーロということがわかった。

(つづく)

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by berlinHbf | 2005-10-17 22:31 | - 2005ウクライナ紀行 | Comments(4)

ウクライナから戻りました!

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今日(16日)の午後、ウクライナからベルリンに無事戻って来ました。本来ならキエフからベルリンへの直通列車で帰る予定だったのですが、2日前にチケットを買おうとしたらすでに売り切れで、急遽ワルシャワ経由で帰ることに。昨日の昼12時半にキエフを出て、今日の早朝5時半にワルシャワ着。そこからまた別の列車に乗り換えて、ベルリンに着いたのは13時半と、一日がかりの汽車旅で今は少々疲れていますが、何より無事に帰って来れてほっとしています。

ウクライナは非常に印象的でした。今回一緒に回ったこーどーくんやキエフでお世話になったカーチャさんのおかげもあり、とても充実した旅になりました。写真もたくさん撮ってきたので、ヨーロッパ最後の大国と言われるウクライナについて、次回からたっぷりレポートしたいと思っています。

写真はリヴィウという町の展望台に掲げられていたウクライナ国旗。上の青は空を表し、下の黄色は大地に実る小麦を表すと言われています。

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by berlinHbf | 2005-10-16 21:10 | - 2005ウクライナ紀行 | Comments(6)

ウクライナに行ってきます!

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戦勝記念塔にて(9月22日撮影)

突然でびっくりされるかもしれませんが、今日の午後から1週間ほどウクライナに行くことになりました。しかし一体なぜウクライナなのか、出発前に少しお話しておきたいと思います。


ウクライナは私にとって全くの未知の国である。ヨーロッパの国の中で2番目に面積が大きいという、知られざる大国でありながら、おそらくヨーロッパで最もマイナーな国のひとつではないだろうか。休暇が取れて、ウクライナを旅行しようと考える日本人はあまりいないだろう。首都のキエフとオデッサ以外に、ウクライナの主要都市の名前を挙げられる人はどのくらいいるだろうか。ユーシェンコ大統領とサッカーのシェフチェンコ選手以外で、ウクライナ出身の有名人を数人挙げられる人はどのくらいいるだろうか。

私もウクライナに関してはほとんど何も知らないうちのひとりで、格別大きな関心もなく、ベルリンからそう遠くないにも関わらず、どうしても旅行したいという気にはさせてくれない国だった。ところが、ここ最近になって、この国を訪れるちょっとしたいいきっかけができたのである。まず、民主化を推進するユーシェンコ大統領の影響下、この8月から日本人はビザなしでウクライナに入国できるようになった。そして、ご存知の方も多いと思うが、今月12日に、キエフでウクライナ代表対日本代表のサッカーの親善試合が行われる。すでに来年のW杯の出場が決まっている両国の、興味深い組み合わせの試合だし、私にとっては何よりウクライナという未知の国を知るいい機会なので、思い切って行ってみようかと実は少し前から考えていた。この夏はほとんどベルリンの外に出ることがなかったので、ちょっとした気分転換を求めていたというのもある。

それで、ウクライナへ行く方法を調べてみたのだが、これがなかなか一筋縄ではいかない。まず、ベルリンからキエフへの直行便はなく、安い航空券も見つからなかった。となると、列車かバスかということになるが、バスで行くとほぼ24時間かかる。これはさすがにキツそうだ。次に列車。ベルリンからキエフまでは直通列車が出ている。やはり丸一日かかるのはいいとしても、キエフ到着が夜の11時近くというのがどうかと思う。それなりに旅慣れているとはいえ、私はロシア語もウクライナ語も全くできないし、夜のそんな時間にキエフの駅のホームにひとり降り立つことを考えると、やはり心もとない。

そういうわけで、本当に行こうかどうか迷っていたところ、この1週間のうちに私にとって追い風が吹いてきた。まず、ポーランド在住の日本人の友人が、ウクライナ人の知人に連絡を取ってくれて、キエフで会えることになった。先ほど彼女に電話をしてみたのだが、感じのよさそうな方だし、何よりドイツ語で会話できるのがありがたい。仕事の都合次第では、サッカーの試合も一緒に観に行けるかもしれないという。

そしてもう一点、ベルリンの日本人の友人(こーどーくん)とウクライナの途中の町まで一緒に行けることになった。彼も9月にウクライナを旅行したいと前から言っていて、うまく出発の日を調整することができたのである。こーどーくんは私より何歳か年下だが、とても旅慣れているし、ロシア語も少しできる。おまけに大変な博識で、ウクライナのこともいろいろ教えてもらった。町中キリル文字だらけのウクライナを、彼と一緒に回れるとなると心強い。とはいえ、ウクライナはドイツに比べると治安面であまりよくないのは確かだろうから、その辺は十分気を付けるつもりだ。

今のところの予定では、ポーランド経由で列車でウクライナに入り、リヴィウという古都に数日滞在。その後、列車でキエフに移動し、町を観光し、サッカーの試合を観て、ベルリンに戻って来ます。それでは行ってきます。

人気blogランキングへ(というわけで、ブログは一週間ほどお休みになります。ブログランキングが大分上がってきただけに、しばらく更新できないのは残念ですが、帰ってきたらこの欧州の知られざる大国についてレポートする予定ですので、それまでどうかお待ちください!その間も気が向いたらクリックしていただけるとうれしいです^^;)
by berlinHbf | 2005-10-08 02:04 | - 2005ウクライナ紀行 | Comments(12)

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