ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005
by berlinHbf
中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。

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ベルリン更新情報
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カテゴリ:ベルリン都市探検(境界)
- ベルリンの壁 記憶の場所[ 2011-09-13 13:40 ]
- 発掘の散歩術(13) - 「ミニ東ドイツ」を訪ねて -[ 2011-08-11 18:47 ]
- クロイツベルクの天然リンクでスケートを楽しむ[ 2011-02-25 17:21 ]
- 「1989年11月9日広場」の落成式[ 2010-12-02 21:03 ]
- 壁の道に沿って(4) - 緑に囲まれた監視塔 -[ 2010-08-17 16:03 ]
- 壁の道に沿って(3) - ライニッケンドルフの北端へ -[ 2010-08-15 22:03 ]
- 壁の道に沿って(2) - リューバースまで -[ 2010-08-13 23:57 ]
- 壁の道に沿って(1) -ボルンホルマー通りから北へ-[ 2010-07-03 13:23 ]
- ミッテの朽ちたアパートから見えるもの[ 2010-01-17 14:48 ]
- 「壁とベルリン」第7回 - 壁の向こうを想う -[ 2009-12-27 01:35 ]
ベルリンの壁 記憶の場所

初めてベルリンに来た方に、ベルリンの壁の遺構を見せると、「意外に低いんですね」とか「背が高い人なら、よじ登れそう」という感想を漏らされることがあります。そう感じるのはやむを得ないことなのかもしれません。観光客によって削られ、中心部にわずかばかり残る1枚の壁を前にしても、当時そこで何が起きたかを想像するのは難しいからです。
今年の8月13日、壁建設からちょうど50年を迎えました。ミッテのベルナウアー通りでは、ヴルフ大統領やメルケル首相も参列しての追悼式典が行われ、同時に拡張工事が続けられていた「ベルリンの壁 記憶の場所(Gedenkstätte Berliner Mauer)」が正式にオープンしました。
同月のある日、地下鉄U8のベルナウアー通り駅で降りて、なだらかな坂を下りながら新しい部分を歩いてみました。外側の壁があったラインに沿って、茶褐色の鋼材の柱が壁を想起させるように並び、当時の無人の緩衝地帯は広大な芝生に変わっています。東独側の後背壁や金網の柵も一部は保存され、国境警備兵用の小道もその跡をたどれるようになっています。

芝生の上を歩いていると、茶褐色の板が地面に埋め込まれているのに気付きました。これは、かつてこの壁際に建っていたものの、東独政府によって爆破されたアパートの敷地跡でした。さらに、今度は緩衝地帯を横切る線が目に留まりました。これは1962年に東から西への逃亡を試みて掘られたトンネルの跡。このように、東西分断時代の出来事がさまざまな形で可視化され(ところどころに当時の写真や音声資料も設置されています)、訪れる人は歩きながら発見し、当時を具体的にイメージできるようになっているのです。

シュトレーリッツァー通りから北駅方面を見下ろす眺めは、広々と敷き詰められた緑の芝生によって、爽やかな気分をもたらしてくれました。しかし、当時はこの芝生がすべて砂地で、厳密な監視網が160キロ近くも続いていたことを思い出した瞬間、今度は壁の恐るべき規模に思いが至りました。
特に多くの人が集まっていたのは、遺跡のような形で保存された当時のアパートの地下部分の周り。ここは「人々の苦しみ」というテーマで、ある日突然終わりを告げられた人々の日常生活や、引き裂かれた人間関係が綿密なリサーチに基づいて紹介されています。
「壁のことを知りたい」という気持ちでベルリンに初めて来る方に対して、私はイーストサイドギャラリーやチェックポイント・チャーリー跡よりも、まずこのベルナウアー通りに来ることをお勧めしたいと思います。
(ドイツニュースダイジェスト 9月9日)
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発掘の散歩術(13) - 「ミニ東ドイツ」を訪ねて -

1961年8月13日の「ベルリンの壁」建設から50年という節目の今夏、『壁の後ろに』と題された展覧会の案内が目に留まった。壁の目の前で日常の生活を送っている人の写真はこれまで何度も見た。だが、この展覧会のテーマになっているクライン・グリーニッケという場所の地図を見てびっくりし、ともかく見に行ってみようという思いに駆られた。
Sバーンのヴァンゼーの駅から316番のバスに乗って、森の中を揺られること約10分、シュロス・グリーニッケのバス停で降りた。ここはかつて西ベルリンの最果てだった場所。向こうにはスパイの交換で知られたグリーニッケ橋が見える。プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の一番下の弟カール・フォン・プロイセン王子の夏の離宮だったグリーニッケ城。この敷地内の一角にあるオランジェリー(オレンジやレモンなどを冬場の寒さから守る温室)が展覧会の会場だった。
多くのドイツ人と同様(と言うべきか)、カール・フォン・プロイセン王子はイタリアやスイスに強い憧憬を持っており、1863年から67年にかけて、その南側のクライン・グリーニッケにスイスの山小屋風の邸宅をいくつも造らせた。王子もその1つに住み、いたくお気に入りだったようだ。こうして20世紀初頭にかけて、クライン・グリーニッケは風光明媚な高級住宅街へと発展した。1930年代、ここに住んでいた著名人の中には、映画女優のリリアン・ハーヴェイがいる(もっとも彼女は、ユダヤ人と接触を持っていたことを理由にゲシュタポに監視され、数年後にドイツを去ることになるのだが)。

事情が複雑になるのはここからである。戦後、グリーニッケ城は西側の領土に含まれたが、そこから目と鼻の先のクライン・グリーニッケは東側に属すこととなった。地図でこの区域を見ると、湖に隔てられたうさぎかロバの耳かという奇妙な形をしている。いわば西ベルリンへの「飛び地」。61年8月に壁が造られると、クライン・グリーニッケの500人ほどの住民は突如取り残された。対岸のバーベルスベルクへは1本の橋が結ぶのみ。飛び地という特殊な環境から、ここは「特別安全区域」なるものに指定され、許可証を持っていないと中に入ることができなかった。区域中で親戚が集まるパーティーを開こうものなら、何カ月も前から計画し、役所に申請しなければならなかったのだ。壁と壁との間の一番幅の狭い部分はわずか15メートルしかない。クライン・グリーニッケは、壁というものの愚かしさが凝縮されたミニ東ドイツ国家だった。

展覧会を見た後、実際のクライン・グリーニッケを歩いてみた。スイス風の屋敷をはじめ、19世紀に建てられた美しい建築は今も比較的多く残っており、緩衝地帯だった空き地にもポツポツと新しい家が建ち始めていた。とはいえ、展覧会で見たばかりの灰色の写真の記憶が強かったからだろうか、一通り歩き終えて旧西側の大通りに出た時、心なしかほっとした。
(ドイツニュースダイジェスト 8月5日)
Information
展覧会『壁の後ろに』
Hinter der Mauer

開館:火~日10:00~18:00
住所:Schloss Glienicke Orangerie, Königstr. 36, 14109 Berlin
電話番号:(030)467 9866 66
URL:www.hinter-der-mauer.de
ビュルガースホーフ
Bürgershof

営業:月~金12:00~、土日祝11:00~
住所:Waldmüllerstr. 4-5, 14482 Potsdam
電話番号:(0331)237 88 89
URL:www.buergershof.de
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クロイツベルクの天然リンクでスケートを楽しむ


関連記事:
クロイツベルク時空散歩(3) - 水路とコンクリートの狭間で - (2007-05-04)





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「1989年11月9日広場」の落成式

1989年11月9日の21時20分頃、押し寄せた東独市民の波に抗えずに同検問所が開放され、彼らが西側になだれ込んだことが、この夜の壁崩壊の端緒となりました。約半世紀に及ぶ東西冷戦の終結をも告げた歴史的な場所が、あれから21年経ち、「1989年11月9日広場」という名前で記念碑と共に人々の記憶に留められることになったのです。
Sバーンのボルンホルマー通り駅の階段を上がり、ベーゼブリュッケと呼ばれる橋を渡ると、大通りの歩道スペースに大勢の人が集まっていました。北側一面には、かつて検問所で実際に使われていた壁の一部が並び、壁崩壊の日の熱気を生々しく伝える写真や資料が、大きなパネルで展示されています。また地面に目をやると、あの日に起きた出来事を表示するプレートが、時系列順にいくつも埋め込まれていることに気付くでしょう。

ベルリンのクラウス・ヴォーヴェライト市長はお昼の落成式で、「ドイツの分断の歴史はここでハッピーエンドを迎えた。あの夜、世界史を書き換えたのは、権力者ではなく東ドイツのごく普通の市民であり、心の中で制服を脱ぎ捨て、人間的に行動した人たちだった」とあいさつしました。同時に、ユダヤ人の商店やシナゴーグなどが破壊され、ホロコーストへの転換点となった事件、1938年11月9日の「水晶の夜」も、「われわれの記憶に留めなければならない」と語りました。

「おや」と思ったのは、この式典に神余隆博駐ドイツ大使が招かれていたことです。テレビ朝日系列の「桜キャンペーン」をご存知でしょうか? 壁崩壊直後の1990年、テレビを通して視聴者から寄付金を募り、ベルリンの壁跡に沿って桜の苗木を植えるというキャンペーンが行われました。これまでに、すでに9000本以上もの桜の木が植えられたそうですが、今回「11月9日広場」に贈呈された23本の桜をもって、このキャンペーンも幕を閉じるそうです。ヴォーヴェライト市長は、「日本が長年に渡って贈ってくれた桜は、日本とベルリンの連帯を示すものだった」と大使に謝意を伝えていました。
(ドイツニュースダイジェスト 12月3日)
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壁の道に沿って(4) - 緑に囲まれた監視塔 -




塔の上で出会った地元の少年は、毎週金曜日に参加しているはちみつ作りについて語ってくれました。監視塔の周りには、多種多様な植物や花からなるビオトープが設置され、子どもたちが自然や生態系について学べる場となっています。また現在、この環境団体の事務所になっている塔の内部も、事前に連絡すれば誰でも見学可能です。

(ドイツニュースダイジェスト 8月13日)
ベルリンの壁サイクリングツアーは、ここで一旦お休みします。ホーエン・ノイエンドルフから再スタートできるのは、いつになるかなあ^^。
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壁の道に沿って(3) - ライニッケンドルフの北端へ -


やがて、Oranienburger Chausseeという交通量の多い通りに出ると、今度は北上します。途中マクドナルドを見つけたので、小休憩。暑い日だったので、「マックフルーリー」の冷たさと甘さが体に沁み入りました^^。


(つづく)
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壁の道に沿って(2) - リューバースまで -

今日8月13日は、「ベルリンの壁」の建設が始まった歴史的な日。もう49年前になるのですね。壁の犠牲者を追悼しながら、かつての壁の道に沿って自転車で走るツアーを再開させましょう。





(つづく)
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壁の道に沿って(1) -ボルンホルマー通りから北へ-

関連記事:
「壁の道」に沿って (2007-06-15)

関連記事:
18年前の歓喜 - ボルンホルマー通りにて - (2007-11-09)


今回壁に沿って自転車で走ってみたくなったのは、少し前に、ある知人から"The Invisible Frame"という映画のDVDを借りて見たことも影響していました。これは、女優のTilda Swintonが1988年に壁に沿って自転車で走った映像と、その20年後に同じ場所を走った映像とで組み合わされた作品で、壁に興味のある方には一見をおすすめします。分断時代のヴォランク通り駅の映像も、この映画に登場します。

関連記事:
音楽が鳴り響く界隈(2) (2006-01-21)




複雑に入り組んでいる「壁の道」ですが、この表示板のお陰で、この日一度も道に迷うことなく走り切ることができました。
(つづく)
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ミッテの朽ちたアパートから見えるもの

先日ご紹介したミッテのゾフィーエン墓地を出て、墓地に面したベルク通りを歩いていたら、偶然こんな古めかしいアパートに出会いました。
関連記事:
石炭屋さん (2007-12-01)
古いアパートに浮かぶ文字 (2008-06-04)
家具屋という名のカフェ、石鹸屋という名の服屋 (2009-03-31)
肉屋という名の靴修理工房 (2009-04-01)
主に東地区に見られる、過去の痕跡が刻まれたアパートについては、これまでもこのブログで紹介してきました。初めて歩く通りで、こういう古いままのものを見つけると本当にうれしくなります。それだけ、今のベルリンでは数少なくなっているからです。
このアパートは、ベルナウアー通りのすぐ裏手に位置することがミソといえるでしょう。よく知られる通り、国境のベルナウアー通りに面したアパートは、壁建設後、東の政府が住民を強制的に立ち退かせた後、大部分を爆破させました。でも、ほんの少しだけそこから離れていたこのアパートは、何の因果によるものか生き延びた・・・。あれこれ思いをめぐらせていると、この古ぼけたアパートに奇妙な愛着が湧いてくるのです。


急ぎの用事にも対応してくれたということでしょう。



プレンツラウアーベルクは街全体が古くて美しく、朽ち果てている感じだった。吹く風はコークスの匂いに混じって、コンクリートの粉末を運んでいた。人間の皮膚が剥けるように、コンクリートの壁が剥け、通りに面した壁にはコールタールで描かれた看板文字が、数十年の歳月が過ぎ去ったにもかかわらず新しく塗られたペンキの下からくっきりと浮かび上がっていた。食料品屋にタバコ屋、床屋と、壁に残された文字をたどるだけでも、19世紀の終わりから20世紀初めにかけてのベルリンの街角の賑わいを彷彿とさせてくれる。僕らはある時など写真を撮るのをやめて、壁に残された文字だけを頼りに昔の地図作りに没頭したりもした。牛乳屋さんだった所の壁には「ジャガイモの皮を持ってきてくれた人には薪を差し上げます」と書いてあった。当時ジャガイモの皮は牛のエサで、アパートの中庭で乳牛を飼っていたのだという。またワンブロックの中には床屋が3軒も4軒もあったので不思議に思っていると、道で会った老人が、昔は床屋が歯医者も兼ねていたのだと教えてくれた。(中略)
プレンツラウアーベルクでの毎日は、本当に驚きと発見の毎日だった。そこにはツィレの画集の中に出てくるような酒場の人間模様や道行く人たちのただずまい、19世紀終わりから20世紀初めのベルリンが息づいていた。ノスタルジーではなく、紛れもない現実が僕の目の前にあった。
僕の心を騒がし、揺り動かしていたものの正体は、この街角を流れている時の澱みだった。2度に渡る世界大戦の戦火を逃れ、ベルリンが近代都市として成立した時そのままの姿を残し、長い歳月の中で自然に朽ち果ててきた建物を見ていると、僕はいとおしさを感じずにはいられなかった。
それと同時に、誰に邪魔されることなく自然に朽ち果ててきたプレンツラウアーベルクを歩いていると、本来街そのものが生命を得た時からそなえ持つ時間軸が存在することを僕は知った。
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「壁とベルリン」第7回 - 壁の向こうを想う -

初めてここに来た人は、「また新たに壁でも造るのか?」と驚くかもしれない。
あながち間違ってはいない。壁崩壊20周年の記念行事は終わったが、今度は2011年8月13日の壁建設50周年に向けて、「ベルリンの壁 記憶の場所」の拡張工事が本格的に始まったのだ。
壁のあった時代、ベルナウアー通りは、東西の分断を象徴する場所の1つだった。1990年、すでにこの通りの壁の保存が決められていたが、通り全体のほぼ半分を「記憶の場所」とするプランが実行に至るまでには長い時間を要した。


イーストサイドギャラリーの代表者、カニ・アラヴィ氏は、現在あるプロジェクトのスポンサー探しのために奔走している。来年、朝鮮半島の南北の国境にイーストサイドギャラリーと同じ約1300メートルの人工的な「壁」を置き、約100人のアーティストに絵を描いてもらうというものだ。その「壁」を、ベルリンを経た後、南北キプロスの境、イスラエルとパレスチナの国境へと巡回させたいという。「その国の政府を挑発するのではなく、自由と人間の尊厳の価値を知るベルリンからのメッセージとして、このプロジェクトを実現したい」とアラヴィ氏は意気込む。ベルリンが30年かけていやおうなしに学んだことから、世界の現実に対して示せるものは決して少なくない。ベルナウアー通りの記憶の場所から、私はかなたの世界へと思いをはせた。
(ドイツニュースダイジェスト 12月25日)
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Tags:#壁のあった時代(Mauerzeit)
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