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ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


by berlinHbf


中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


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カテゴリ:ベルリン都市探検(境界)

  • ベルリンの壁 記憶の場所
    [ 2011-09-13 13:40 ]
  • 発掘の散歩術(13) - 「ミニ東ドイツ」を訪ねて -
    [ 2011-08-11 18:47 ]
  • クロイツベルクの天然リンクでスケートを楽しむ
    [ 2011-02-25 17:21 ]
  • 「1989年11月9日広場」の落成式
    [ 2010-12-02 21:03 ]
  • 壁の道に沿って(4) - 緑に囲まれた監視塔 -
    [ 2010-08-17 16:03 ]
  • 壁の道に沿って(3) - ライニッケンドルフの北端へ -
    [ 2010-08-15 22:03 ]
  • 壁の道に沿って(2) - リューバースまで -
    [ 2010-08-13 23:57 ]
  • 壁の道に沿って(1) -ボルンホルマー通りから北へ-
    [ 2010-07-03 13:23 ]
  • ミッテの朽ちたアパートから見えるもの
    [ 2010-01-17 14:48 ]
  • 「壁とベルリン」第7回 - 壁の向こうを想う -
    [ 2009-12-27 01:35 ]

ベルリンの壁 記憶の場所

壁建設50周年の式典に際し、ドイツの各政党から贈られた花束

初めてベルリンに来た方に、ベルリンの壁の遺構を見せると、「意外に低いんですね」とか「背が高い人なら、よじ登れそう」という感想を漏らされることがあります。そう感じるのはやむを得ないことなのかもしれません。観光客によって削られ、中心部にわずかばかり残る1枚の壁を前にしても、当時そこで何が起きたかを想像するのは難しいからです。

今年の8月13日、壁建設からちょうど50年を迎えました。ミッテのベルナウアー通りでは、ヴルフ大統領やメルケル首相も参列しての追悼式典が行われ、同時に拡張工事が続けられていた「ベルリンの壁 記憶の場所(Gedenkstätte Berliner Mauer)」が正式にオープンしました。

同月のある日、地下鉄U8のベルナウアー通り駅で降りて、なだらかな坂を下りながら新しい部分を歩いてみました。外側の壁があったラインに沿って、茶褐色の鋼材の柱が壁を想起させるように並び、当時の無人の緩衝地帯は広大な芝生に変わっています。東独側の後背壁や金網の柵も一部は保存され、国境警備兵用の小道もその跡をたどれるようになっています。

敷地内をいくつも横切る、かつての逃亡トンネルの跡

芝生の上を歩いていると、茶褐色の板が地面に埋め込まれているのに気付きました。これは、かつてこの壁際に建っていたものの、東独政府によって爆破されたアパートの敷地跡でした。さらに、今度は緩衝地帯を横切る線が目に留まりました。これは1962年に東から西への逃亡を試みて掘られたトンネルの跡。このように、東西分断時代の出来事がさまざまな形で可視化され(ところどころに当時の写真や音声資料も設置されています)、訪れる人は歩きながら発見し、当時を具体的にイメージできるようになっているのです。

壁の建設によって爆破されたアパートの土台部分

シュトレーリッツァー通りから北駅方面を見下ろす眺めは、広々と敷き詰められた緑の芝生によって、爽やかな気分をもたらしてくれました。しかし、当時はこの芝生がすべて砂地で、厳密な監視網が160キロ近くも続いていたことを思い出した瞬間、今度は壁の恐るべき規模に思いが至りました。

特に多くの人が集まっていたのは、遺跡のような形で保存された当時のアパートの地下部分の周り。ここは「人々の苦しみ」というテーマで、ある日突然終わりを告げられた人々の日常生活や、引き裂かれた人間関係が綿密なリサーチに基づいて紹介されています。

「壁のことを知りたい」という気持ちでベルリンに初めて来る方に対して、私はイーストサイドギャラリーやチェックポイント・チャーリー跡よりも、まずこのベルナウアー通りに来ることをお勧めしたいと思います。
ドイツニュースダイジェスト 9月9日)

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by berlinHbf | 2011-09-13 13:40 | ベルリン都市探検(境界) | Trackback | Comments(3)

発掘の散歩術(13) - 「ミニ東ドイツ」を訪ねて -

クライン・グリーニッケで小菜園を営む人々。1978年撮影(Foto: Jutta Jagßenties)

1961年8月13日の「ベルリンの壁」建設から50年という節目の今夏、『壁の後ろに』と題された展覧会の案内が目に留まった。壁の目の前で日常の生活を送っている人の写真はこれまで何度も見た。だが、この展覧会のテーマになっているクライン・グリーニッケという場所の地図を見てびっくりし、ともかく見に行ってみようという思いに駆られた。

Sバーンのヴァンゼーの駅から316番のバスに乗って、森の中を揺られること約10分、シュロス・グリーニッケのバス停で降りた。ここはかつて西ベルリンの最果てだった場所。向こうにはスパイの交換で知られたグリーニッケ橋が見える。プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の一番下の弟カール・フォン・プロイセン王子の夏の離宮だったグリーニッケ城。この敷地内の一角にあるオランジェリー(オレンジやレモンなどを冬場の寒さから守る温室)が展覧会の会場だった。

多くのドイツ人と同様(と言うべきか)、カール・フォン・プロイセン王子はイタリアやスイスに強い憧憬を持っており、1863年から67年にかけて、その南側のクライン・グリーニッケにスイスの山小屋風の邸宅をいくつも造らせた。王子もその1つに住み、いたくお気に入りだったようだ。こうして20世紀初頭にかけて、クライン・グリーニッケは風光明媚な高級住宅街へと発展した。1930年代、ここに住んでいた著名人の中には、映画女優のリリアン・ハーヴェイがいる(もっとも彼女は、ユダヤ人と接触を持っていたことを理由にゲシュタポに監視され、数年後にドイツを去ることになるのだが)。

模型で見るクライン・グリーニッケ。左上にグリーニッケ橋が見える

事情が複雑になるのはここからである。戦後、グリーニッケ城は西側の領土に含まれたが、そこから目と鼻の先のクライン・グリーニッケは東側に属すこととなった。地図でこの区域を見ると、湖に隔てられたうさぎかロバの耳かという奇妙な形をしている。いわば西ベルリンへの「飛び地」。61年8月に壁が造られると、クライン・グリーニッケの500人ほどの住民は突如取り残された。対岸のバーベルスベルクへは1本の橋が結ぶのみ。飛び地という特殊な環境から、ここは「特別安全区域」なるものに指定され、許可証を持っていないと中に入ることができなかった。区域中で親戚が集まるパーティーを開こうものなら、何カ月も前から計画し、役所に申請しなければならなかったのだ。壁と壁との間の一番幅の狭い部分はわずか15メートルしかない。クライン・グリーニッケは、壁というものの愚かしさが凝縮されたミニ東ドイツ国家だった。

DDR時代、「もっとも幅が狭かった場所」

展覧会を見た後、実際のクライン・グリーニッケを歩いてみた。スイス風の屋敷をはじめ、19世紀に建てられた美しい建築は今も比較的多く残っており、緩衝地帯だった空き地にもポツポツと新しい家が建ち始めていた。とはいえ、展覧会で見たばかりの灰色の写真の記憶が強かったからだろうか、一通り歩き終えて旧西側の大通りに出た時、心なしかほっとした。
ドイツニュースダイジェスト 8月5日)


Information
展覧会『壁の後ろに』
Hinter der Mauer

ミニ東ドイツ国家の生活の実態、逃亡劇、当時の住民の証言などが、大判の写真や映像、模型を交えて程良い大きさのスペースに展示されている。ドイツ語のみの説明だが、窓口では英語の資料も用意。週末の14時には、クライン・グリーニッケの歴史をたどるツアーも開催されている(ドイツ語)。展覧会は10月3日まで。

開館:火~日10:00~18:00
住所:Schloss Glienicke Orangerie, Königstr. 36, 14109 Berlin
電話番号:(030)467 9866 66
URL:www.hinter-der-mauer.de


ビュルガースホーフ
Bürgershof

クライン・グリーニッケにあるレストラン&ビアガーデン。創業は1873年にさかのぼり、邸宅のような建物と広大な庭園が特徴。目の前のグリーニッケ湖を眺めながらのんびりくつろいでいると、19世紀後半から20世紀初頭にかけての華やかかりし頃を彷彿とさせる。最大1000人まで収容でき、 貸し切りも可能だとか。

営業:月~金12:00~、土日祝11:00~
住所:Waldmüllerstr. 4-5, 14482 Potsdam
電話番号:(0331)237 88 89
URL:www.buergershof.de

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by berlinHbf | 2011-08-11 18:47 | ベルリン都市探検(境界) | Trackback | Comments(0)

クロイツベルクの天然リンクでスケートを楽しむ

ここ数日の猛烈な寒さのせいで、昨日クロイツベルクのEngelbecken(天使の池)の前を通りかかったら、完全に凍結していました。看板には「氷が張った時の立ち入りは禁止。生命の危険!」と書かれていましたが、氷の上でキャーキャー言いながら遊んでいる人たちに誘われて、入ってしまいました。

このブログの前からの読者の方なら、この風景に見覚えのある方もいらっしゃるかも。向こうに見えるのは聖ミヒャエル教会。昔ちょうど東西の国境だった地点です。本格的に滑る人は、ここでスケート靴に履き替えます。

関連記事:
クロイツベルク時空散歩(3) - 水路とコンクリートの狭間で - (2007-05-04)

おお、ベビーカーを持って湖上を歩く人も^^;)。

教会の反対側を見渡すと、旧西側(クロイツベルク)は19世紀末〜20世紀初頭のアルトバウのアパートが多く並びます。

その反対側の旧東側(ミッテ)は、統一後に造られたと思われる新しいアパートが並んでいました。奥にはアイスホッケーのゲームをしているグループも見られます。とにかくみんなうまい。

小さな池とはいえ、これだけ大きな氷の上を歩くのは北国ならでは。結構興奮しました。でも、この向こうは見るからにちょっと危険そう。

厳寒の数日が終わり、今日から最高気温は氷点下から脱するみたいです。氷の上を歩けるのも、昨日がこの冬最後だったのかもしれません。

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by berlinHbf | 2011-02-25 17:21 | ベルリン都市探検(境界) | Trackback | Comments(3)

「1989年11月9日広場」の落成式

「ベルリンの壁」崩壊の記念日というと、昨年の壁崩壊20周年のドミノ倒しの記憶が強い方は多いかもしれません。今年の11月9日は、大規模な催しこそ行われなかったものの、数あるベルリンの壁の追悼施設に新たな場所が加わりました。プレンツラウアー・ベルク地区のボルンホルマー通り検問所跡です。

1989年11月9日の21時20分頃、押し寄せた東独市民の波に抗えずに同検問所が開放され、彼らが西側になだれ込んだことが、この夜の壁崩壊の端緒となりました。約半世紀に及ぶ東西冷戦の終結をも告げた歴史的な場所が、あれから21年経ち、「1989年11月9日広場」という名前で記念碑と共に人々の記憶に留められることになったのです。

Sバーンのボルンホルマー通り駅の階段を上がり、ベーゼブリュッケと呼ばれる橋を渡ると、大通りの歩道スペースに大勢の人が集まっていました。北側一面には、かつて検問所で実際に使われていた壁の一部が並び、壁崩壊の日の熱気を生々しく伝える写真や資料が、大きなパネルで展示されています。また地面に目をやると、あの日に起きた出来事を表示するプレートが、時系列順にいくつも埋め込まれていることに気付くでしょう。

右からヴォーヴェライトベルリン市長、神余駐ドイツ大使、旧東独の人権活動家エッペルマン氏

ベルリンのクラウス・ヴォーヴェライト市長はお昼の落成式で、「ドイツの分断の歴史はここでハッピーエンドを迎えた。あの夜、世界史を書き換えたのは、権力者ではなく東ドイツのごく普通の市民であり、心の中で制服を脱ぎ捨て、人間的に行動した人たちだった」とあいさつしました。同時に、ユダヤ人の商店やシナゴーグなどが破壊され、ホロコーストへの転換点となった事件、1938年11月9日の「水晶の夜」も、「われわれの記憶に留めなければならない」と語りました。

「11月9日広場」に贈られた桜の木。壁沿いの桜は、毎年春になると花を咲かせ、ベルリンの人々の間にもすっかり定着した

「おや」と思ったのは、この式典に神余隆博駐ドイツ大使が招かれていたことです。テレビ朝日系列の「桜キャンペーン」をご存知でしょうか? 壁崩壊直後の1990年、テレビを通して視聴者から寄付金を募り、ベルリンの壁跡に沿って桜の苗木を植えるというキャンペーンが行われました。これまでに、すでに9000本以上もの桜の木が植えられたそうですが、今回「11月9日広場」に贈呈された23本の桜をもって、このキャンペーンも幕を閉じるそうです。ヴォーヴェライト市長は、「日本が長年に渡って贈ってくれた桜は、日本とベルリンの連帯を示すものだった」と大使に謝意を伝えていました。
ドイツニュースダイジェスト 12月3日)

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by berlinHbf | 2010-12-02 21:03 | ベルリン都市探検(境界) | Trackback | Comments(0)

壁の道に沿って(4) - 緑に囲まれた監視塔 -

1989年まで「ベルリンの壁」が東西を分断していた全長約160kmの道程は、2007年に「壁の道」(Mauerweg)という遊歩道に整備され、かつての壁の跡をたどることができるようになっています。6月末、私もこの壁の道をたどってサイクリングに出掛けました。ボルンホルマー通りからスタートし、いくつもの湖や森を過ぎて、ベルリン北部のホーエン・ノイエンドルフが近付いてきた頃、ふと右手に冷戦時代の国境監視塔が目に入りました。

どこか恐ろしいイメージのある監視塔ですが、何かのパーティーでしょうか、 人々が楽しそうにくつろいでいるのが見えます。思わずその様子に誘われて、中に入ってみました。細く急な階段をつたって塔のてっぺんに上ると、そこには一面緑の海が広がっていました。たまたまそこにいたブランデンブルク州の地方紙「メルキッシェ・アルゲマイネ」の記者ヘルゲ・トライヒェルさんが、現在は「自然保護塔(Naturschutzturm)」と呼ばれるこの塔をめぐる活動について話してくれました。

壁が崩壊した直後の1990年、緩衝地帯だったこの監視塔の周りは、一面砂地の荒涼とした風景が広がっていました。

その年、この地域の東西それぞれで環境グループを率いていたヘルガ・ガルドゥーン氏とマリアン・プルツィビラ氏の2人が、目的を失った監視塔を拠点に、共同で環境保護の取り組みを始めます。地域の子どもたちが森と自然について学べる機会を作ろうと、塔の周辺に8万本の苗木を一緒に植えたのもその1つ。また、監視塔を保存することによって、若い世代にドイツ分断の歴史を伝える活動も続けてきました(実際、1964年から80年にかけて、西側へ超えようとした4人の東ドイツの若者がこの近くで射殺されています)。この日は、偶然にも「自然監視塔」の活動20周年の記念祭だったのです。トライヒェルさん自身、学校の生物の教師だったガルドゥーン氏の下で、かつてこの活動に参加した1人でした。

塔の上で出会った地元の少年は、毎週金曜日に参加しているはちみつ作りについて語ってくれました。監視塔の周りには、多種多様な植物や花からなるビオトープが設置され、子どもたちが自然や生態系について学べる場となっています。また現在、この環境団体の事務所になっている塔の内部も、事前に連絡すれば誰でも見学可能です。

最初、塔の上から当たり前のように眺めていた豊かな緑は、この20年の間に人々の努力によって再び育まれたものだったのです。これらの活動が評価され、ガルドゥーンとプルツィビラの両氏は、2010年のベルリン自然保護賞を受賞しました。http://naturschutzturm.de
ドイツニュースダイジェスト 8月13日)


ベルリンの壁サイクリングツアーは、ここで一旦お休みします。ホーエン・ノイエンドルフから再スタートできるのは、いつになるかなあ^^。

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by berlinHbf | 2010-08-17 16:03 | ベルリン都市探検(境界) | Trackback | Comments(0)

壁の道に沿って(3) - ライニッケンドルフの北端へ -

前回ご紹介したリューバースの湖を西に折れて、なだらかな坂を下って行くと、「壁の道」はライニッケンドルフ北側の住宅街を通って行きます。「壁の道」(Mauerweg)といっても、昔の壁のあった場所全てが道路になっているわけではないので、実際の壁のラインから少し外れることがあります。このあたりの住宅街は旧東側になるのですが、落ち着いたいい暮らしぶりが垣間見れて、ここが昔東西のどちらに属していたのか、ちょっと走っただけではもはやわかりません。

民家の庭に壁の1セグメントが丸ごと置かれていました。どこかのお金持ちがチャリティーオークションで買い取ったものなのかも。

やがて、Oranienburger Chausseeという交通量の多い通りに出ると、今度は北上します。途中マクドナルドを見つけたので、小休憩。暑い日だったので、「マックフルーリー」の冷たさと甘さが体に沁み入りました^^。

元気になったところで、再出発。このまま大通りを北に進めばわかりやすいのですが、「壁の道」は再び住宅街をうねうねし、やがて森の中へと突入します。「ベルリンの壁」というのがいかに複雑に入り組んでいたかを、体で実感します。

Hubertusseeという小さな湖をぐるりと回り、再び西へと走ります。この日の終着点ホーエン・ノイエンドルフが近づいて来た頃、思わぬ出会いが待ち受けていました。

(つづく)

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by berlinHbf | 2010-08-15 22:03 | ベルリン都市探検(境界) | Trackback | Comments(0)

壁の道に沿って(2) - リューバースまで -

ライニッケンドルフのWilhelmsruher Dammにて

今日8月13日は、「ベルリンの壁」の建設が始まった歴史的な日。もう49年前になるのですね。壁の犠牲者を追悼しながら、かつての壁の道に沿って自転車で走るツアーを再開させましょう。

団地街のMärkisches Viertelを越え、しばらく廃線に沿って走って行くと、突然視界が開けてくる場所があります。ここからのサイクリングは、とても快適でした。エリアでいうと、Rosenthalの少し北側あたりです。

壁の残骸らしきものを見つけました。注意して走っていると、やはりこういうものが目に入ってきます。

廃線の線路から離れて、ここから小高い丘を上って行きます。

ある程度上ったところで、後ろを振り返ると、遠くのテレビ塔まできれいに見渡せました。写真だと伝わりにくいですが、ここからの眺めもよかったなあ。

Bahnhofstr.という通りを越えると、今度は一気に下り坂で気分爽快。この辺りはLübarsといい、ライニッケンドルフ地区の中で一番古い村。豊かな自然にも恵まれ、自然保護区域に指定されているようです。他に誰もいない湖で、一組の親子がひっそりとくつろいでいる姿が印象的でした。

(つづく)

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by berlinHbf | 2010-08-13 23:57 | ベルリン都市探検(境界) | Trackback | Comments(0)

壁の道に沿って(1) -ボルンホルマー通りから北へ-

弟が計画しているヨーロッパ自転車旅行に触発されて、というわけでもないのですが、私も自転車に乗ってどこかに行ってみたくなり、この夏前々からやってみたかったあるプランを実行することにしました。それは、かつてのベルリンの壁に沿って、全長約160キロの「壁の道」(Mauerweg)を走ること。何年か前に、一部区間については走ったことがあったのですが、最近自転車デビューした妻と、何回かに分けて全区間を走ってみようということになりました。6月最後の週末、スタート地点に選んだのは、Sバーンのボルンホルマー通り駅。昔検問所があった場所です。

関連記事:
「壁の道」に沿って (2007-06-15)

この通りの向こうにかつて検問所がありました。89年11月9日の夜、東の人々がここから西側になだれ込んだことが引き金となって、「ベルリンの壁」は崩壊したのです。現在この一帯は、壁崩壊を記念する広場に整備する計画が実行中でした。

関連記事:
18年前の歓喜 - ボルンホルマー通りにて - (2007-11-09)

この橋の下から、北に向かって進みます。かつての緩衝地帯は、気持ちのいい遊歩道に整備されていました。

次の駅が、ヴォランク通り駅(Wollankstr.)。分断時代の写真を見ると、駅の出口はかろうじて西側に属していましたが、このガードのすぐ向こう側には壁がそびえ立っていました。

今回壁に沿って自転車で走ってみたくなったのは、少し前に、ある知人から"The Invisible Frame"という映画のDVDを借りて見たことも影響していました。これは、女優のTilda Swintonが1988年に壁に沿って自転車で走った映像と、その20年後に同じ場所を走った映像とで組み合わされた作品で、壁に興味のある方には一見をおすすめします。分断時代のヴォランク通り駅の映像も、この映画に登場します。

ここからSバーンにほぼ沿って、遊歩道を走って行くと、2つ先の駅がヴィルヘルムスルー駅(Wilhelmsruh)。ここには4年前に一度来たことがあります。ここからしばらく歩くと、音楽家に因んだ通り名がたくさんあり、友達とそれをわざわざ見に行ったのでした。懐かしい。

関連記事:
音楽が鳴り響く界隈(2) (2006-01-21)

風景としてはかなり単調なこの辺り一帯ですが、それでも結構頻繁に反対方向からの自転車とすれ違います。

Heinz-Brandt-Str.にて。ここから北東に方向転換します。

再び細い道に入ると、町中では外で見かけることのないネコちゃんに遭遇^^。

Märkisches Viertelという高層アパート群を左手に眺めながら、単線の鉄道の線路に沿って「壁の道」は続きます。今は走っていないようですが、この線路がどういう路線なのか気になりました。

複雑に入り組んでいる「壁の道」ですが、この表示板のお陰で、この日一度も道に迷うことなく走り切ることができました。

(つづく)

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by berlinHbf | 2010-07-03 13:23 | ベルリン都市探検(境界) | Trackback | Comments(8)

ミッテの朽ちたアパートから見えるもの

Bergstr.にて(2009年12月7日)

先日ご紹介したミッテのゾフィーエン墓地を出て、墓地に面したベルク通りを歩いていたら、偶然こんな古めかしいアパートに出会いました。

関連記事:
石炭屋さん (2007-12-01)
古いアパートに浮かぶ文字 (2008-06-04)
家具屋という名のカフェ、石鹸屋という名の服屋 (2009-03-31)
肉屋という名の靴修理工房 (2009-04-01)

主に東地区に見られる、過去の痕跡が刻まれたアパートについては、これまでもこのブログで紹介してきました。初めて歩く通りで、こういう古いままのものを見つけると本当にうれしくなります。それだけ、今のベルリンでは数少なくなっているからです。

このアパートは、ベルナウアー通りのすぐ裏手に位置することがミソといえるでしょう。よく知られる通り、国境のベルナウアー通りに面したアパートは、壁建設後、東の政府が住民を強制的に立ち退かせた後、大部分を爆破させました。でも、ほんの少しだけそこから離れていたこのアパートは、何の因果によるものか生き延びた・・・。あれこれ思いをめぐらせていると、この古ぼけたアパートに奇妙な愛着が湧いてくるのです。

近くに寄ってみましょう。Schuhとあるから、昔は靴屋か靴の修理工房だったのかな?

"Beeile Bedienung"
急ぎの用事にも対応してくれたということでしょう。

一番上の段は読み取りづらい。その下は、"Saubere Verarbeitung"(きれいな加工)ですね。それにしても、何とも味わい深い筆致。

どうやら牛乳屋さんも、この中にあったようです。

昨年11月末に、日独センターでの橋口譲二さんの講演会を聞きに行ったら、壁崩壊直後、プレンツラウアーベルクを歩き回って作ったという手書きの地図を見せてくれました。私にはそれがとても面白かった。少し長くなりますが、橋口さんの1992年の写真集「Berlin」(太田出版)から、該当する箇所を引用したいと思います。
プレンツラウアーベルクは街全体が古くて美しく、朽ち果てている感じだった。吹く風はコークスの匂いに混じって、コンクリートの粉末を運んでいた。人間の皮膚が剥けるように、コンクリートの壁が剥け、通りに面した壁にはコールタールで描かれた看板文字が、数十年の歳月が過ぎ去ったにもかかわらず新しく塗られたペンキの下からくっきりと浮かび上がっていた。食料品屋にタバコ屋、床屋と、壁に残された文字をたどるだけでも、19世紀の終わりから20世紀初めにかけてのベルリンの街角の賑わいを彷彿とさせてくれる。僕らはある時など写真を撮るのをやめて、壁に残された文字だけを頼りに昔の地図作りに没頭したりもした。牛乳屋さんだった所の壁には「ジャガイモの皮を持ってきてくれた人には薪を差し上げます」と書いてあった。当時ジャガイモの皮は牛のエサで、アパートの中庭で乳牛を飼っていたのだという。またワンブロックの中には床屋が3軒も4軒もあったので不思議に思っていると、道で会った老人が、昔は床屋が歯医者も兼ねていたのだと教えてくれた。(中略)

プレンツラウアーベルクでの毎日は、本当に驚きと発見の毎日だった。そこにはツィレの画集の中に出てくるような酒場の人間模様や道行く人たちのただずまい、19世紀終わりから20世紀初めのベルリンが息づいていた。ノスタルジーではなく、紛れもない現実が僕の目の前にあった。

僕の心を騒がし、揺り動かしていたものの正体は、この街角を流れている時の澱みだった。2度に渡る世界大戦の戦火を逃れ、ベルリンが近代都市として成立した時そのままの姿を残し、長い歳月の中で自然に朽ち果ててきた建物を見ていると、僕はいとおしさを感じずにはいられなかった。

それと同時に、誰に邪魔されることなく自然に朽ち果ててきたプレンツラウアーベルクを歩いていると、本来街そのものが生命を得た時からそなえ持つ時間軸が存在することを僕は知った。

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by berlinHbf | 2010-01-17 14:48 | ベルリン都市探検(境界) | Trackback | Comments(7)

「壁とベルリン」第7回 - 壁の向こうを想う -

ベルリンの壁記録センターがあるベルナウアー通りには、約200メートルにわたって本物の壁が残されているが、その周辺は数カ月前から工事現場になっている。かつての壁の緩衝地帯ではブルドーザーが唸り声を上げ、コンクリートの壁の延長線上には茶褐色の鋼材の柱が並び始めた。

初めてここに来た人は、「また新たに壁でも造るのか?」と驚くかもしれない。

あながち間違ってはいない。壁崩壊20周年の記念行事は終わったが、今度は2011年8月13日の壁建設50周年に向けて、「ベルリンの壁 記憶の場所」の拡張工事が本格的に始まったのだ。

壁のあった時代、ベルナウアー通りは、東西の分断を象徴する場所の1つだった。1990年、すでにこの通りの壁の保存が決められていたが、通り全体のほぼ半分を「記憶の場所」とするプランが実行に至るまでには長い時間を要した。

分断時代、東西境界地点に位置したがゆえ、列車が停まることなくひたすら通過した、通称「幽霊駅」と呼ばれたSバーンの北駅を降りてみよう。目の前には、かつての緩衝地帯を利用した新しい公園や、11月にオープンしたばかりの茶褐色の情報パビリオンが見える。壁記録センターの向かい側の保存用の緩衝地帯には、最近オリジナルの監視塔が設置された。その向こうでは、壁と壁の緩衝地帯に位置していたため、東ドイツによって爆破された和解教会を偲ぶ「和解のチャペル」の見学も可能だ。将来的には、かつて通りに沿って建っていたアパートの土台部分が目に見える形で残されるという。昔ここに住んでいたが、西へ逃げようと試みたか、あるいは政府によって退去させられた東の住民を想う意味が込められている。

多くの観光客は記録センターと壁の遺構を見て帰ってしまうが、もし時間的に余裕があったら、東側のアッカー通りからゾフィーエン墓地に入ってみることをお薦めしたい。墓地の奥へと歩いて行くと、やがて先ほどの壁が姿を現す。ベルリンでは、見慣れた光景が角度を変えることでまったく別の風景に見えることがあるが、ここはその好例だ。私は初めてこの位置から西側の方を見た時、「私たち東ベルリンの人間にとって、西ベルリンは月よりも遠い」という言葉や、当時壁に描かれていた“Next Coke 10.000 km”という落書きを思い出した。


イーストサイドギャラリーの代表者、カニ・アラヴィ氏は、現在あるプロジェクトのスポンサー探しのために奔走している。来年、朝鮮半島の南北の国境にイーストサイドギャラリーと同じ約1300メートルの人工的な「壁」を置き、約100人のアーティストに絵を描いてもらうというものだ。その「壁」を、ベルリンを経た後、南北キプロスの境、イスラエルとパレスチナの国境へと巡回させたいという。「その国の政府を挑発するのではなく、自由と人間の尊厳の価値を知るベルリンからのメッセージとして、このプロジェクトを実現したい」とアラヴィ氏は意気込む。ベルリンが30年かけていやおうなしに学んだことから、世界の現実に対して示せるものは決して少なくない。ベルナウアー通りの記憶の場所から、私はかなたの世界へと思いをはせた。
ドイツニュースダイジェスト 12月25日)

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by berlinHbf | 2009-12-27 01:35 | ベルリン都市探検(境界) | Trackback | Comments(4)

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