ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


ベルリンガイドブック
「素顔のベルリン」増補改訂版
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(Amazon、全国各書店にて発売中)

本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。


現在のトップ画像は、ベルリン在住のイラストレーター、高田美穂子さんによるオリジナル作品です(詳しくはこちらより)

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カテゴリ:ベルリン発掘(東)( 90 )

発掘の散歩術(42) -生を見つめ直すクレマトリウム-

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29本の柱が並び立つバウムシューレンヴェーク・クレマトリウムのホール (2013-11-24)

プロテスタント教会の暦では、第1アドヴェントの直前の日曜日を死者慰霊日(Totensonntag)と呼ぶ。毎年この日、ベルリンにある2つの火葬場が一般公開されるのが定例だそうだ。その数日前、たまたまそのことを地下鉄のテレビで知った私は、建築物としても評価が高く、以前から興味を持っていた火葬場の1つを訪ねることにした。

東の郊外、トレプトウ地区にあるSバーンのバウムシューレンヴェークの駅から徒歩15分ほど。両側に広大な墓地が広がり、バウムシューレンヴェーク・クレマトリウム(火葬場)の門が見えた。

キリスト教社会において、火葬の歴史というのは比較的新しい。それまでは主として土葬だったからだ。ヨーロッパで最初の火葬場がミラノに造られたのは1876年。ドイツでも、人口の急増による土地不足や衛生上の理由により、火葬場を造る動きが出てくる。このバウムシューレンヴェーク・クレマトリウムは、今からほぼ100年前の1913年に完成した。

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ドイツの連邦首相官邸を思わせるクレマトリウムの外観

その当時造られた三角屋根の古い門を抜けると、キューブを思わせる幾何学的なデザインを持つ、打ち放しコンクリートの斬新な建物が現れた。「首相官邸にそっくり!」というのが私の最初の感想。それもそのはず、1999年に再建された現在のクレマトリウムの設計者、アクセル・シュルテスとシャルロッテ・フランクは、ほぼ同時期に「洗濯機」の愛称を持つ連邦首相府や、「連邦の絆」と呼ばれる一連の建築群も設計しているのだ。

関連記事:
首相官邸訪問! (2006-08-27)
祝U55開業@ブンデスターク駅 (2009-08-11)

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大きな自動ドアが開いて中に入ると、そこは円柱がいくつもそびえ立つホール。屋根を支える柱の支柱には丸い開口があり、天井から入る光によって、静謐な空間が作られている。これほどコンクリートを多用しているのに、人工的な匂いがまるでない。私は森の中をさまようように歩いた。壁に沿った正方形の穴に敷かれたさらさらの砂は、砂時計の砂が落ちて、消え去った時間を象徴しているそうだ。ホールの真ん中の丸い池の上には、キリスト教において復活や実りのシンボルである小さな白い卵が浮かんでいる。その周りに葬儀を行うチャペルが計3つある。

とはいえ、このクレマトリウムではキリスト教の象徴である十字架はほとんど見掛けなかった。様々な宗教の儀式にフレキシブルに対応しているところが、多文化が混ざり合うベルリンらしい。

この日は地下部分も見学することができた。ヨーロッパ最新鋭を誇る施設であるだけに、628体を保管できる遺体安置所から火葬炉まで、電動システムによる管理が行き届いている。日本と違うと感じたのが、火葬された骨は完全な粉になるまで砕くこと。ガイドの方が「これが骨を挽く機械です」と紹介すると、挽く(mahlen)という単語に私は、反射的にコーヒー豆の機械を連想してしまった。そして最後に紹介されたのは、小さな骨壺。

人の世は必ずしも平等ではないけれど、1国の首相であろうが、どんな国や宗教に属していようが、死は必ず訪れるという点においては平等だ。新年早々、火葬場の話で恐縮だが、限りある人生の時間を意識することで、逆に今という時が大切に思える。今年はどんな目標を立てようか。
ドイツニュースダイジェスト 1月3日)


Information
バウムシューレンヴェーク・クレマトリウム 
Krematorium Baumschulenweg


1911年にプロイセンが火葬を許可した後、ベルリンの2番目の火葬場として造られた。1992年から99年にかけて再建。柱がそびえるホールは、建築家がエジプトの神殿とコルドバのモスクからインスピレーションを受けて設計したという。これとよく似た地下鉄U55のブンデスターク駅も同じ建築家のデザインによるもの。
住所:Kiefholzstr. 221, 12437 Berlin
電話番号: 030-63958121
URL: www.krematorium-berlin.de


ゲリヒト通りのウルネン墓地 
Urnenfriedhof Gerichtstraße


地下鉄U6とSバーンのヴェディング駅からほど近い公共墓地。1912年に完成した、ベルリンで最初のクレマトリウムがこの中に残されている。現在は火葬場としては使われていないが、古典様式の寺院を模した立派な外観は一見の価値あり。将来的には、ギャラリーやアトリエなどを収容する文化施設として、再利用される計画もあるという。
住所: Gerichtstr. 37-38, 13347 Berlin
by berlinHbf | 2014-01-06 21:39 | ベルリン発掘(東) | Comments(1)

ベルリン王宮の再建始まる

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Schlossplatz (2012-04-06)

このブログを始めた2005年から折に触れて、ベルリンの王宮広場の移り変わりをお伝えしてきましたが、この6月、ついに王宮の再建工事が始まりました。冒頭の写真は昨年4月の様子。この数年間、芝生が敷かれ市民の憩いの場だった旧共和国宮殿の跡地は、いつの間にか様子が大きく変わりました。

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6月16日は取材で慌ただしい日だったのですが、夕方に何とか間に合いました。王宮の定礎式が行われた数日後というこの日曜日、Tag der offenen Baustelleとして工事現場が一般に公開されたのです。今後5年以上はかかる国家的な大工事、中を歩ける機会もそうないだろうと思いぜひ見てみたかったのでした。

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フンボルト・ボックスの横から敷地内に入ると、仮説の通路に沿って歩けるようになっています。特設ステージで演奏されるビックバンドの音楽が鳴り響く中、先へと行ってみました。

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共和国宮殿の時代のものか、鉄骨の残骸が生々しい形で置かれていたりもします。写真を撮っていたら、隣から「何だかアート作品みたいね」という声が聞こえてきました(笑)。

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一番奥に人だかりができています。何が置かれているのでしょうか?

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これこそが王宮の礎石。重さ2.5トンのこの石は、バンベルクの工房が1950年に破壊された王宮の第4門の破片を組み込んで作ったものだそうです。多くの人がこの前で記念撮影をしていました。

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その翌日、別の用事があってフンボルト・ボックスに上ったのですが、昨日歩いた道は消え去り、もう何事もなかったように工事が再開されていました。

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奥に見える建物の正面ファサードこそ、旧王宮の第4門です。1950年に東独政府は王宮を爆破したわけですが、この第4門はカール・リープクネヒトがドイツ社会主義共和国の宣言をした場所ということで、国家評議会の建物に組み込んだのです。先ほどの礎石に第4門の破片が混ざっているのも、表面の「1443 - 2013」の文字も、「王宮再建」の象徴的な意味が込められてのことでした。

共和国宮殿の解体と王宮の再建を巡ってはいまも賛否両論分かれているほどですが、ここまで来たらもう引き返すことはできないでしょう。王宮広場がいよいよ本格的に動き出しました。


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ベルリン王宮の再建始まる=巨費に批判も-ドイツ
 【ベルリン時事】ドイツのベルリン中心部で12日、第2次大戦中に連合軍の空爆を受けて廃虚となり、その後、旧東独政府が破壊したベルリン王宮の再建工事が始まった。2019年完成の予定で、博物館や大学施設として利用する。
 旧王宮は15世紀半ばに一部が建立され、18世紀初めにほぼ完成。大戦中の空爆で炎上し、修復は可能だったが、王宮を「軍国主義の象徴」とする旧東独政府が1950年に爆破した。
 旧東独は76年、跡地に人民議会の議場のほか、コンサートホールやボウリング場などの娯楽施設を備える「共和国宮殿」を建設した。しかし、90年のドイツ統一直前、大量のアスベスト(石綿)の使用が判明して閉鎖され、2008年に解体した。
 横120メートル、縦200メートルの巨大な新王宮の建設費は5億9000万ユーロ(約760億円)。欧州が債務危機に直面する中、巨額な費用に批判の声も上がっており、シュテルン誌の世論調査では、再建に反対との回答は65%で、賛成の30%を大幅に上回った。(2013/06/13-07:38)
by berlinHbf | 2013-07-11 15:07 | ベルリン発掘(東) | Comments(1)

近代化の最中のオストクロイツ駅

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S-Bahnhof Ostkreuz (2012-09)

久々に変わりゆくベルリンの風景をお届けしたくなりました。まずは、あのオストクロイツ駅。2008年から折りに触れて変化の様子をブログで紹介してきましたが(下の「オストクロイツ駅」のタグをクリックすると、ご覧いただけます)、前回の記事からいつの間にか3年も経ったことに気付きました。

昨年秋、久々にオストクロイツ駅の環状線のホームに降り立ったとき、あまりに変貌ぶりに呆気に取られてしまいました(ちなみに、2008年の様子はこちら。今にも蒸気機関車がやって来そうな雰囲気を残していました)。

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なんだか地に足が付かない気分のまま、Sバーン東西線のホームに降りてみました。

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すると懐かしい駅の風景が。幸い(と言うべきか)、こちらのホームはまだ大部分が昔のままでした。石造りのホームも、装飾がちりばめられたホームの鉄骨も。

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この向こうに見えるレンガ造りのホームの残骸。そこにはオストクロイツ駅で特に好きだったS9のホームがありましたが(こちらより)、数年前に消え去っています。橋口譲二さんの1992年の写真集『Berlin』で、東西統一直後のオストクロイツ駅の情景を見ることができますが、芸術作品というだけでなく、当時の気配を封じ込めた実に貴重な記録となっています。

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Sonntagstrasse「日曜日通り」側の出口に続く通り道。数年前までは、右手に簡素な駅舎がありました。

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「Schnellinbiss」と書かれた昔のインビスの建物も、いつの間にか解体されて跡形もなくなっていました。

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一方で、Ketwurstなる東独時代のホットドッグの屋台は健在!

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今回ご紹介した写真は、昨年9月末に撮ったもの。オストクロイツ駅の改装工事は、こちらの東西線のホームにももう及んでいるのかもしれません。

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駅の改装工事ごときであまり感傷的になるのもどうかと思いますが(笑)、好きな風景がベルリンからまたひとつなくなるのは、寂しいものです。次に訪れるときは、果たしてどうなっているか?
by berlinHbf | 2013-03-30 16:24 | ベルリン発掘(東) | Comments(1)

発掘の散歩術(29) - 解剖劇場へようこそ -

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Brandenburger Tor (2009-06)

初めてベルリンを訪れる人の多くは、まずブランデンブルク門に立ち寄る。あの古代ギリシア様式の門を設計し、歴史に名を残したのが建築家カール・ゴットハルト・ラングハンス(1732-1808)。この10月、彼が手掛けたもう1つの建築が改修工事を終え、一般公開された。その名もTieranatomisches Theater(動物解剖劇場)。

解剖劇場? 初めて耳にしたときは、何とも奇妙な印象を持った。動物の解剖をする場所であろうことは思い浮かぶが、それがなぜ「劇場」と結び付くのか。答えを求めて、見に行ってみることにした。

フリードリヒシュトラーセ駅を降り、シュプレー川を越えて歩くこと約10分。森鴎外記念館のあるルイーゼン通りを真っすぐ歩いて行くと、そこはフンボルト大学のシャリテー大学病院の敷地だ。忙しげに歩く白衣姿の医師の姿がときどき目に入るが、「Humboldt Graduate School」の黄色い建物の脇を抜けると、ふいに表通りの喧噪が消え、落ち葉で敷き詰められた芝生が目の前に広がった。古い建物が並ぶ中、均整の取れたプロポーションを持ち、てっぺんに丸いお椀のようなドームがかぶさった白亜の解剖劇場は、遠目からでもすぐにわかった。

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ラングハンスの設計により建てられた動物解剖劇場の外観

プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世が、ラングハンスにこの建物の設計を命じたのは1787年のこと。新しく設立された王立獣医学校の中心機関となるべく計画された。当時、騎兵隊の馬が病気や疫病にかかれば、それは国家にとっての重大な危機を意味した。ゆえに、獣医の養成が急務とされたのである。

ラングハンスは北イタリアの名建築「ラ・ロトンダ」に倣って新古典主義様式で建物を設計し、2年の工事期間の後、1790年にそれは完成した。ちなみに、ブランデンブルク門が完成したのは1791年なので、当時彼は2つの建設現場を慌ただしく行き来していたではないだろうか。

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動物解剖劇場の舞台。馬や古代の英雄をモチーフにした天井の壁絵まで、美しく蘇った

建物やその改修にまつわる半地下部分での展示を見て回った後、いよいよ2階に上がる。入り口のドアを抜けると、そこが解剖劇場の舞台である講壇だ。神殿のような丸い天井、そして観客席が講壇を囲む様子は、まさに古代の円形劇場を思わせる。夢心地になるほどの美しさだが、そこで行われていたことを想像すると目が覚める。

講壇の前で案内してくれたおじいさんが、「昔は手動のエレベーターで、と殺された馬が下から講壇の中央に運ばれました。夏場は特に大変だったようですよ」と言って鼻をつまんだ。

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オランダ・ライデン大学の解剖劇場(Wikipediaより拝借)

16世紀末以降、このような解剖劇場はヨーロッパ中の大学に造られ、人体や動物の解剖が公開で執行された。時には一般市民が入場料を払って見学することもあったという。自然の神秘を体感する劇場というわけか。

ブランデンブルク門を見上げると、まず目に入るのは「勝利の女神」ヴィクトリアではなく、それを率いる4頭の馬の像であることを思い出す。彼らが率いる馬車のことを古代ローマではクアドリガと呼んだが、人類がまだ馬より速い乗り物を手にしていなかった時代、馬力こそが国力の礎だったのだ。
ドイツニュースダイジェスト 12月7日)


Information
動物解剖劇場
Tieranatomisches Theater


1790年に王立獣医学校の敷地内に完成。さまざまな歴史を経て、1990年代までここで講義が行われていた。2005年から7年間の改修工事を終えて、この秋から一般公開されている。現在の形での展示は来年4月14日まで(入場無料)。その後はフンボルト大学の講義や講演、展覧会、コンサートなどがここで行われる予定だという。

オープン:火〜土14:00〜18:00(2013年4月14日まで)
住所:Campus Nord, Philippstraße 13, Haus 3, 10115 Berlin
URL:www.kulturtechnik.hu-berlin.de


ブランデンブルク門 
Brandenburger Tor


いわずと知れた、ラングハンスの代表作。宮廷彫刻家ヨハン・ゴットフリート・シャドウ制作によるクアドリガが設置されたのは、門の完成からしばらく経った1793年のこと。シャドウの回想録によると、彼は生きた馬だけでなく、動物解剖劇場に展示されていた馬の骨格を観察してクアドリガを造ったという。1806年、ナポレオンがこれを「戦利品」としてパリに持ち去ったのは有名な話(その後、ベルリンに戻された)。
by berlinHbf | 2012-12-10 16:21 | ベルリン発掘(東) | Comments(0)

発掘の散歩術(28) - レトロなトラムに揺られて水門のある街へ -

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森の向こうから現れたトラム87番線

ベルリンの路面電車といえば、多くの人はBVG(ベルリン交通局)が運営する黄色のトラムを思い浮かべるだろうが、旧東独のケーペニック地区に、それとはひと味違うトラムが走っているという。以前この連載で取り上げた「世界ベスト10に選ばれた絶景トラム」の続編として、乗ってみたいという気持ちがうずく。秋晴れの日曜日、ベルリンの東の郊外にあるラーンス ドルフに行こうと思い立った。

ベルリン中央駅から東にひたすら40分ほど、Sバーンのラーンスドルフ駅で降りると、駅前に1本の小さなホームがある。しばらく待っていると、森の木々を縫って、わずか1両編成のクリーム色の路面電車が現れた。「何だか『トトロ』の世界に出てきそう!」と、連れて行った妻ははしゃいでいる。確かに、ベルリンの外れとはいえ、21世紀にもなって走り続けているのが不思議に思えるくらい古色蒼然とした、しかしどこかかわいらしい電車である。

地元の人ばかり、わずかな乗客を乗せて、ヴォルタースドルフ電気軌道の87番トラムは発車した。電車はいきなり森の中を走る。年配の女性運転手が運転するトラムは、かなりの唸り声を上げて疾走する。長い森を抜けると、そこはもうブランデンブルク州。電車が停留所を発車する度に、「チーン」というベルが鳴らされる。これが結構大きな音で、静かな車内に響き渡る。やがて、レンガ造りの市庁舎や教会が構えるヴォルタースドルフの中心街を通り、ゆるやかな坂を上って行くと、終点のシュロイゼ(水門)前に到着した。所要時間20分弱の小さな旅だった。

ヴォルタースドルフの街中でさえ閑散としていたので、終点は一体どんな寂しいところだろうかと思っていたのだが、意外にも行楽客で賑わっていた。すぐ近くには、停留所の名前の通り、長さ65メートルの水門がある。カルクゼーとフラーケンゼーという2つの湖をつなぐ位置にあるこの水門は、創業1550年という古い歴史を持っているそうだ。

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信号が青に変わると、船が水門をくぐっていく

湖畔を少し散歩した後、岸辺にあるレストランの1つに入ってみた。オープンテラスの席に座ると、向こうに水門がきれいに見渡せる。ときどき船が横を通り過ぎ、湖水の赤信号の前で止まる。ほどなく先ほどまで車が通っていた橋がゆっくり上がっていった。やがてほぼ直角の高さにまで上がると信号は青に変わり、船は門をくぐっていく。

のどかな光景だが、実はベルリンの歴史において要衝ともいえる場所だということを後から知った。この北側にリューダースドルフという石灰岩の産地がある。ベルリンのブランデンブルク門やオリンピックスタジアム、ポツダムのサンスーシ宮殿といった重要な建築は全てここの石灰岩で造られた。膨大な量の石灰岩を水路で市内に運ぶ際、必ず通ったのがこの水門だったのだ。

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1850年当時、年間約1万5500隻もの船がこの水門を通っていたというが、それも過去の話。遊歩道には家族連れの笑い声が響き、紅や黄に色を変えた森の木々は、湖畔を美しく彩っていた。
ドイツニュースダイジェスト 11月2日)


Information
ヴォルタースドルフ電気軌道
Woltersdorfer Straßenbahn


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ラーンスドルフからヴォルタースドルフを結ぶ、全長5.6キロの電気軌道。創業は1913年。ドイツで最小の電気軌道に属する。東独時代に製造された2軸単車の電車が今も活躍し、日中は10~20分おきに走っている。鉄道ファンでなくとも楽しめる路線だ。創業100周年を迎える来年の5月17 ~19日は、記念のお祭りが予定されている。

電話番号:03362-881230
URL:www.woltersdorfer-strassenbahn.com


リーベスクヴェレ
Restaurant Liebesquelle


カルクゼーの湖畔にあるレストラン。メニューはドイツ料理が中心で、フランクフルターというキレのあるピルスナーは美味。パーティー会場としても利用可能だそう。天気のいい日は、水門がよく見える湖畔のテラス席がお勧めだ。南側のフラーケンゼーの湖畔にも、雰囲気の良さそうなカフェやレストランが並んでいる。

営業:月~日12:00~22:00
住所:Brunnenstr. 2, 15569 Woltersdorf
電話番号:03362-5340
URL:www.restaurant-liebesquelle.de

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by berlinHbf | 2012-11-05 21:29 | ベルリン発掘(東) | Comments(1)

発掘の散歩術(27) -よみがえる市営浴場-

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Stadtbad Prenzlauer Berg (2012-09-09)

「アルトバウ」と呼ばれるベルリンの古いアパートは、19世紀末から20世紀初頭に建てられた、つまり築100年を越えるものが多い。私が今住んでいるアパートもその時代の建物なのだが、ときどきバスルームでふと思う。「昔の人々はどうやって、そしてどのぐらいの頻度で体を洗っていたのだろうか。湯船に浸かる機会などあったのだろうか」と。

こんな素朴な疑問に対して、1つの答えを得る機会があった。プレンツラウアー・ベルク地区の賑やかなカスタニエン・アレーから一歩入ったオーダーベルガー通り。近年、外国からの観光客も増え、頻繁に英語の会話が耳に入ってくる界隈だ。この一角に、石造りの重々しい建物が建っている。これが「プレンツラウアー・ベルク市営浴場」。実際は、浴場として使われなくなってから大分経つのだが、この週末、毎年恒例の「文化財の日」で一般に公開された。

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プレンツラウアー・ベルクは、普仏戦争(1870〜71年)後のいわゆるグリュンダーツァイトと呼ばれるバブル期に集中的に開発された地区だ。ベルリンの人口が急激に増え、当初はもっぱら住宅が造られた。その後、マルクトハレ、病院といった公共の施設が必要に応じて建てられたという。1902年、こういった流れの中、ルートヴィヒ・ホフマンの設計によって市営浴場がオープンしたのだった。

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現在は文化財になっているプレンツラウアー・ベルク市営浴場

普段は人が入っていない建物に特有の、ややカビ臭いにおいを感じながら中に入ると、突然大きな空間が目の前に開けた。正面の大きな窓から光が差し込み、アーチ状の天井や、列柱の豊かな装飾を照らし出している。この荘厳な場が市民のための公共浴場だったとは、にわかには思えないほどだ。私は、かつて水が溜められていたプールに降りて、芸術作品を見るようにしばらく眺め渡していた。

1人の女性がマイクを持って、来場者に説明を始めた。この建物が公共浴場として使われていたのは、東ドイツ時代の1986年までだったという。東西ドイツ統一後、再利用の案がいくつも出されたが、どれも実現には至らなかった。ようやく2011年、近くにある語学学校GLSがこの場所に興味を示し、売却されることになったそうだ。GLSのマネージング・ディレクター、バーバラ・イェシュケさんの話では、この建物内にある部屋は、75のホテルの部屋と18の会議室に生まれ変わる。市民にとってうれしいのは、私が今立つ場所が最新設備を備えたプールとして再び利用できるようになることだろう。

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かつてシャワーや浴槽があった部屋は、会議室、ホテルなどに生まれ変わる

2階に上がってみた。プールの周りは、無数といってもよい小部屋が並んでいる。ここは昔シャワー室、浴槽のある個室として使われていた。家庭にまだシャワーなどなかった時代、この場所が市民にとってどれほど重要だったかは想像に難くない。ベルリンが世界都市に向かって邁進する時代の人々の賑やかな声が、現在はがらんとした部屋にこだまするかのようだった。

イェシュケさんは、最後にこう語り掛けた。「来年9月の『文化財の日』で工事の進展をご覧ください。そして、3年後には水着を持ってここに来てください!」
ドイツニュースダイジェスト 10月5日)


Information
文化財一般公開の日 
Tag des offenen Denkmals


「ヨーロッパ文化遺産の日」に合わせて、1993年以降毎年ドイツ中の都市で開催される行事。普段は内部に入れない文化財や、改装中の歴史的建造物が市民に公開され、今年はベルリンだけでその数は310に上った。毎年テーマが設けられ、2012年のテーマはHolz(木)だった。
日時:毎年9月第2週の週末
URL:www.berlin.de/denkmaltag


ノイケルン市営浴場 
Stadtbad Neukölln


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©Stadtentwicklung Berlin

今すぐにプレンツラウアー・ベルク市営浴場の雰囲気を味わってみたいという方にお勧めなのが、同時期の1914年にオープンしたノイケルンの市営浴場。新古典様式で造られており、大小2つのホールの内装は古代ギリシャの神殿を思わせるほど。設立当時はヨーロッパで最大規模の浴場だった。現在はプールだけでなく、サウナの設備も備えている。

オープン:月〜日(時間の詳細は下記URLを参照)
住所:Ganghoferstr. 3, 12043 Berlin
電話場号:(030)68 24 98 0
URL:www.berlinerbaederbetriebe.de

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by berlinHbf | 2012-10-06 22:09 | ベルリン発掘(東) | Comments(2)

発掘の散歩術(26) -市制775年!中世のベルリンを掘り起こす-

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お祭りが行われたニコライ教会前にて。プロイセンの地方警官に扮した男性は、頻繁に記念撮影に応じる

今年2012年は、ベルリン市の市制775周年である。ブランデンブルク司教と辺境伯との間で交わされた1237年10月28日の文書で、シュプレー川を隔ててベルリンの双子都市の関係にあったケルン(Cölln)の名前が初めて登場する。これが、都市ベルリンの公式な起源とされている。  

もっとも、1237年といったところでピンとくる人は少ないだろう。破壊と再生をドラマチックに繰り返してきたベルリンにおいて、近世以前の面影を見出すことは不可能に近い。それでも期待を胸に、8月最後の週末に行われたお祭りと記念展示を見に出掛けた。  

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ニコライ教会の周辺は、人でごった返していた。ここは、1987年の市制750年の際、当時の東独政府が中世風の街並みを再現したエリア。石畳の道を歩いていると、18世紀の国王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世らしき格好をした人が、杖をついてこちらに向かって来るではないか。それだけではない。ちょっぴりキザな仕草を見せるフリードリヒ大王、17世紀にフランスから逃れてきたユグノー教徒の青年。かと思えば、制服でびしっと身を構えた、身長約2メートルの初老の男性が、小気味いいリズムで歩いてきた。これはジャンダルムリと呼ばれた地方警官なのだそう。演出とはいえ、この街の歴史を彩ってきた人たちがここかしこに混じっているのは楽しい。  

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ペトリ広場の近くにて。「最初のベルリーナーは、フラマン、ラインラント、ヴェストファーレンから来た人たちだった」

ニコライ教会からミューレンダムを通ってシュプレー川を渡り、ペトリ広場へと続く通りは、中世の時代にはメインストリートだった。東独時代に建てられた高層アパートが並び、当時の面影など何もないように見えるが、ここはかつてケルンの中心で、ペトリ教会がそびえていた広場。2008年からこの場所で始まった考古学調査により、中世の人骨や住居跡、生活用品が多数発掘され、1237年より大分前から都市ベルリンの萌芽が見られることが確認されたのである。歩道の上にはしばしば道しるべとして、当時の生活をしのばせるテキスト情報が白地でマークされている。例えばこんな具合だ。 「このフィッシュマルクトでは、商人がシュプレー川とハーフェル川の新鮮な魚を売っていた。バルト海のニシンもここで手に入った」「中世のグローバルな労働市場:ドイツの染色工がフィレンツェで、フラマン地方の織物師がベルリンで働いていた」

関連記事:
掘り起こされたベルリンの「中世」(2008-10-12)

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ベルリンの水運を担ってきた歴史的な港

アスファルトとビルの下に眠る中世は、我々が想像するより遥かに活気あるものだったのかもしれない。近くの港には、歴史的な船が次々にやって来て、蒸気の匂いが立ちこめる。13世紀当時、すでにベルリンの商人はフラマン地方の布を求めて遠隔の旅に出ていた。また年市場は大きな賑わいを見せ、オリエントから貴重な香辛料がもたらされることもあったという。  

ニコライ教会に戻る途中、こんな言葉が目に入った。「今日、ベルリン市民の約27パーセントが移民の背景を持っている。775年前は100パーセントだった」  

グローバル化の良きも悪きも体現した現代のベルリンだが、物事を一歩引いて眺める、こんな柔軟な視野を持った都市であり続けてほしい。
ドイツニュースダイジェスト 9月7日)


Information
野外展示「中世はわれわれの下にある」
Das Mittelalter ist unter uns


ニコライ地区、ペトリ広場、モルケンマルクト(乳清市場)、市壁跡など、ベルリン発祥の地に沿ってインフォボックスが並び、中世から現在までのつながりを知ることができる(英独表記)。マリーエン教会(Marienkirche)前には中央インフォメーションが立ち、パンフレットなどを入手できる。2012年10月28日(日)までの開催。同日ベルリン市は大規模なお祭りで市制775年を祝う。

入場無料
電話番号:(030)247 49 888
URL:http://www.berlin.de/775


ニコライ教会
Nikolaikirche


ニコライ地区の中心にあるベルリン最古の教会。漁師の守護神である聖ニコラウスに因み、1230年頃に建設が始まった。当初は1つの塔を持つ教会で、現在のネオ・ゴシック様式の姿になったのは19世紀後半のこと。第2次世界大戦で破壊された後、1980年代に再建。近年大規模な改修工事が行われ、常設展が一新された。

入場料:5ユーロ(割引3ユーロ)。毎月第3水曜日は無料。
オープン:月~日10:00~18:00
住所:Nikolaikirchplatz, 10178 Berlin
電話番号:(030)24 002 162
URL:http://www.stadtmuseum.de

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by berlinHbf | 2012-09-14 21:12 | ベルリン発掘(東) | Comments(2)

ベルリンで味わうロシアンティー

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目抜き通りのウンター・デン・リンデンから一歩入ったところに構えた、かつて宮殿だった建物の中に、そのお店はあります。店の名は「タジキスタン茶館」(Tadschikische Teestube)。

一歩入った瞬間、そこはもう中央アジアです。木彫りの美しい柱に、彫刻が施された天井。靴を脱ぎ、床に敷かれたじゅうたんの上でくつろいでいると、異国情緒の中にいながらも、心は妙に落ち着きます。

それにしても、なぜベルリンのど真ん中にタジキスタンが?
1974年、ライプツィヒで行われた見本市のソ連館で、本物に忠実な「タジキスタン茶館」が展示されました(タジキスタンは当時ソ連領でした)。見本市の会期後、東ドイツとソ連の友好協会のあったこの建物に、茶館がそっくりそのまま寄贈されることになったというわけです。

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名物のRussische Teezeremonieは2人から注文可能で1人7,5ユーロ

メニューにはさまざまな種類のお茶が並びますが、やはり名物のロシアンティーを頼んでみました。しばらくすると、種々のお菓子と共に、立派なサモワールがどんと机の上に置かれました。まず、キンキンに冷えたウォッカを1杯飲んでからお茶を飲むのが流儀だとか。ティーポットのお茶は非常に濃いため、お湯で薄めてから飲みます。ジャムを入れて飲んだり、合間にクッキーを頬張ったり、またウォッカに漬けた(!)レーズンを食べたりしているうちに、酔いの効果もあって体はぽかぽか温まってきました。

今は亡きソ連と東ドイツの友好関係が生んだ茶館での、優雅な午後のひとときでした。
(はまかぜ新聞 2012年4月)

Tadschikische Teestube
Am Festungsgraben 1, 10117 Berlin
Tel. (030) 2041112
Mo-Fr(月〜金) 17-24 Uhr
Sa und So(土日) 15-24 Uhr

この茶館のことをより詳しく知りたい方は、「気まま ・ ベルリン ・ カフェ巡り Vol.2」の記事がおすすめです。

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by berlinHbf | 2012-07-18 12:24 | ベルリン発掘(東) | Comments(6)

発掘の散歩術(23) -フンボルト・ボックスから眺める未来のベルリン-

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Unter den Linden (Ohne die Linden?) 2012年2月

ブランデンブルク門から東に延びるベルリン随一の目抜き通り、ウンター・デン・リンデンを最近初めて歩いた方は、びっくりされたかもしれない。「菩提樹の下」の通り名とは裏腹に、菩提樹の並木道がきれいになくなっている部分に出くわすからだ。

実はこれ、ある工事のための措置。ブランデンブルク門からアレクサンダー広場まで全長2.2キロの地下鉄U55の拡張工事が、2019年の完成を目指して間もなく始まるのである(菩提樹はその後、新たに植え直されるそうなのでご安心を)。

ウンター・デン・リンデンの先を行くと、さらに注目を集めるであろう巨大プロジェクトの現場が見えてくる。1950年までここに建っていたホーエンツォレン家の王宮の再建だ。

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ウンター・デン・リンデンの向こうに見えるフンボルト・ボックス

ルストガルテンの向かいの広大な敷地に今、八角形の奇抜な建物が立っている。その名も「フンボルト・ボックス」。「フンボルト・フォーラム」という名称で呼ばれる王宮の再建に関する情報センターだ。昨年夏のオープン後、観光客だけでなく地元住民にもなかなかの評判を呼んでいるというので、入ってみることにした。

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王宮の地下部分。貴重な部分は将来的に保存されるという

入場料を払って階段を上っていくと、まるで巨大な遺跡の発掘現場のような、裏手の敷地を見下ろせる場所がある。ここで掘り起こされているのは、かつての王宮の地下部分。将来、新しい地下鉄はこの真下を通る。

その先には、王宮の歴史と再建プランが、映像や模型なども交えて詳しく紹介されていた。建設費用の5億5200万ユーロのうち、8000万ユーロは募金で賄われることになるため、ここは訪れる人へのアピールの場でもあるのだ。そのため、自動募金機なるものも置かれていた。

上の階は、将来フンボルト・フォーラムに収容される国立民族学博物館とアジア美術館からの展示。シルクロードの遺跡や、見たこともないようなアフリカの生物の標本などがいきなり置かれているものだから、びっくりする。もともと、膨大な費用をかけて王宮を再建することは、ドイツ人の間でも意見が真っ二つに分かれた。ここに2つの非ヨーロッパ系のミュージアムを移すのは、王宮再建が決して単なる復古ではなく、世界に開かれた場所であることを示す狙いもあるのだろう。いずれにせよ、フンボルト・フォーラム は、ヨーロッパ5000年の文化財を収めた向かい側の博物館島と好対照をなすことになる。

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最上階まで上ると、そこは展望台兼レストラン。東の方向にはウンター・デン・リンデンとその奥のブランデンブルク門をきれいに見渡せた。何とも絶妙な位置に造ったものである。この眺めを体験するだけでも、入場料を払う価値はあると感じた。

連邦政府の財政削減策から延期 されていた王宮再建だが、いよいよ2014年から始まるという。完成は2019年の予定だ。楽しみでもあるけれど、「やれやれ、ベルリンの中心部はまた工事現場だらけになるのか」という思いとが相半ばしている。
ドイツニュースダイジェスト 6月1日)


Information
フンボルト・ボックス
Humboldt Box


2011年7月のオープン後、入場者数は27万人を越え、ベルリンの中心部で最も人を呼ぶ場所の1つになった。展示 は20時までだが、屋上のレストラン・カフェは23時まで営 業(月曜は20時まで)。入場料は4ユーロ(割引2.50ユーロ)。 フンボルト・フォーラムの建設が始まった後は、工事現場 を一望できる場所にもなる。

住所:Schlossplatz 5, 10178 Berlin
電話番号:01805 030 707
オープン:毎日10:00~20:00
URL:www.humboldt-box.com


ベルリン大聖堂
Berliner Dom


1905年に完成したバロック様式の壮麗なプロテスタント教会。第2次世界大戦の空爆で大きな被害を受けた後、1975年から93年まで長い年月を掛けて修復された。ホ-エンツォレルン家の菩提寺としても知られ、地下の霊廟にはフリードリヒ1世、フリードリヒ・ヴィルヘルム2世など、歴代の王族の墓が並ぶ。天蓋部分からの眺めも素晴らしい。

住所:Am Lustgarten, 10178 Berlin
電話番号:(030)20269 136
営業:月~土9:00~20:00、日祝12:00~20:00
URL:www.berlinerdom.de

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by berlinHbf | 2012-06-04 10:56 | ベルリン発掘(東) | Comments(4)

発掘の散歩術(20) - 地上防空壕で観る現代アート -

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ミッテのラインハルト通りにそびえ立つ地上防空壕。屋上にボロス氏のペントハウスが見える

不要となった建物は解体して新しく造り替える。一方、残す価値のある古い建物は修復して大事に使い続ける。程度の違いこそあれ、ドイツでも日本でも、都市の進化の過程においてそれは変わらない だろう。が、例外もある。

フリードリヒ・シュトラーセ駅の西側出口からシュプレー川を渡り、アルブレヒト通りを直進。やがてラインハルト通りの角に、古代の要塞のようにも見える灰色一色の 建造物が、無言の圧力をもって目の前に迫ってくる。通称「帝国鉄道防空壕」。もはや不要だが、取り壊したくてもあまりに頑丈に造られているがゆえに解体不可能な地上防空壕が、ベルリンにはほかにもいくつか現存する。「帝国鉄道防空壕」は、第2次世界大戦中の1943 年、強制労働者を動員して建設された。近くのフリードリヒ・シュトラーセ駅が空爆を受けた際、最大2500人の駅の利用客を収容するのが目的だった。45年5月にソ連赤軍によって接収された後は、戦争捕虜の収容所として使われることになる。東ドイツ時代の57年からは果物の貯蔵施設、壁崩壊後の92年からは半ば不法なハードコアのテクノクラブになるなど、その時々の政治状況を背景に活用されてきた。

数年前、私がこの防空壕を初めて訪れたときは空っぽの状態だったが、しばらくしてから「ボロス・ コレクション」という名の現代アートの展示場に生まれ変わったというニュースを耳にした。しかも大人気でなかなか予約が取れないという。気になったまま時が流れていたのだが、先日ようやく中に入る機会が巡ってきた。

入り口で、まるで人が入ってくるのを拒むかのような重い扉を2つ押し開けて中に進むと、突然真っ 白な空間が開けた。頭上からは別のツアー客の声が聞こえてきて結構賑やか。きれいなロッカーに加 え、テーブルの上にはコーヒーが用意されている。外観とのギャップに驚くほかなかった。

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OLAFUR ELIASSON "BERLIN COLOUR SPHERE", 2006 © NOSHE

中に入ってすぐ、デンマーク人作家オラファー・エリアソンによる虹色の光が空間を包み込む美しい作品に出会う。ポーランド人作家モニカ・ソスノヴスカのインスタレーションでは、暗いトンネルの中を屈みながら前に進んで行く。 世界的に著名な作家が、この場に密着して制作した作品ばかりとい うから何とも贅沢だ。彫刻、インスタレーション、映像を使った作品などが、3000㎡にも及ぶコンクリートむき出しの空間に並ぶ。

とはいえ、現代アートであるから、にわかには理解しがたい作品も少なくない。階が進み少々疲れてきた頃、ガイドさんが一歩奥へ入った踊り場へ招き寄せ、「ボロスさんが使っているエレベーターです」と言って指し示した。

ボロス・コレクションのオーナーは、アートコレクターであるほか、 広告会社を営んでいるクリスティアン・ボロス氏。彼は防空壕を改造する際、自分と家族のためのペントハウスを屋上に建ててしまったのである。

ボロス・コレクションのアイデアとスケールには半ば呆れるほどだったが、ベルリンのアートシーンはこういう突拍子もない発想をする人物によって常に刺激を与えられているのかと感じ入った。
ドイツニュースダイジェスト 3月16日)


Information
ボロス・コレクション
Sammlung Boros


内部見学はガイドツアーのみで(英独)、下記HPより事前の申し込みが必要。ただし、30分ごとに行われるツアーは、 定員が最大12人と決まっており、予約は数週間先まで一杯ということも。所要時間は約1時間半。展示品は定期的に差し替えられており、リピーターも多いようだ。入場料は10 ユーロ(割引6ユーロ)。

住所: Bunker, Reinhardtstr. 20, 10117 Berlin
電話番号:(030)2759 4065
開館:金14:00~18:00 土日10:00~18:00
URL:www.sammlung-boros.de


総統地下壕跡
Führerbunker


ベルリンで最も有名な地下壕といえば、第2次世界大戦末期、ヒトラーの命によって総統官邸裏に造られた通称「総統地下壕」だろう。ここに籠ったヒトラーが45年4月30日に自殺するまでの過程は、映画『ヒトラー~最後の12日間~』で描かれている通り。やはり完全には破壊できず、地下部分は今も地中に眠っている。

住所:Gertrud-Kolmar-Str.とIn den Ministergärtenの2つの通りの角に案内板が立っている。

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by berlinHbf | 2012-03-17 00:09 | ベルリン発掘(東) | Comments(7)

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