ANA国内線【PR】


ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


by berlinHbf


中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


『素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド 』
¥1,575
ダイヤモンド・ビッグ社
(Amazon、全国各書店にて発売中)

地球の歩き方シリーズ初、待望のベルリンガイドブック誕生!比類なき歴史を抱えつつ、明日へ向かって日々進化し続ける首都ベルリン。「ドイツで最もドイツらしくない」といわれるこの町の知られざる魅力を、現地在住著者が12のエリアにわけて徹底紹介。

Amazonにてネット購入ができます。



『街歩きのドイツ語 』
¥1,575
三修社

豊富なビジュアルとドイツ語フレーズを楽しめる1冊。基本のあいさつ表現から、街にまつわるドイツ語豆知識まで、ガイドブックとともに旅に役立つ会話集です。



NHK「テレビでドイツ語」テキスト
¥380(毎月18日発売)
NHK出版

前期(4〜9月)は水と緑の美しいドイツ第2の都市ハンブルクが舞台。テキストの読み物で「ハンザ都市を巡る」を連載中。5月号ではハンブルク(後編)を取り上げています。

ベルリン更新情報
2011/10/1 up!

ベルリン個人ガイドのご案内

執筆、ガイド、コーディネートなどのご依頼、お問い合わせはこちらまで(これまでの出版・寄稿実績)→
masatoberlin[AT]
yahoo.co.jp

このサイトについて

ドイツ語ブログ
Berlin no kaze
1/28 up!「Mein erstes Buch」

excite以外のリンクは
こちらにまとめました。

※お願い
当ブログの写真や文章に関する、無断での転写・転用を禁じます。
© Copyright 2005-2012 Masato Nakamura. All Rights Reserved





検索

お気に入りブログ

ライフログ


素顔のベルリン 過去と未来が交錯する12のエリアガイド (地球の歩き方GEM STONE)


街歩きのドイツ語


Lonely Planet Berlin (Lonely Planet Berlin)


The Rough Guide To Berlin (Rough Guide Berlin)


Hof――ベルリンの記憶


ベルリン・天使の詩 デジタルニューマスター版


NHKスペシャル こうしてベルリンの壁は崩壊した ヨーロッパピクニック計画 [DVD]


鴎外の恋 舞姫エリスの真実


エーミールと探偵たち (岩波少年文庫 (018))


がんばれ、ブランデンブルク州!


Brandenburg


弦楽四重奏 (文庫クセジュ)


私の好きな曲―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)


永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 (光文社古典新訳文庫)


図説 プロイセンの歴史―伝説からの解放


ポーランド旅行


エクソフォニー-母語の外へ出る旅-


忘れられた日本人


時刻表2万キロ (角川文庫 (5904))


オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)


転がる香港に苔は生えない (文春文庫)

外部リンク

カテゴリ:欧州を感じる旅

  • カダケスへの道(1)
    [ 2012-04-09 20:17 ]
  • ノイケルンのアドヴェント、マラガの憲法記念日
    [ 2011-12-08 20:14 ]
  • テレージエンシュタット訪問記(4) - 小さな画家と音楽と -
    [ 2011-11-18 00:29 ]
  • テレージエンシュタット訪問記(3)
    [ 2011-01-30 01:15 ]
  • テレージエンシュタット訪問記(2)
    [ 2010-12-05 23:30 ]
  • テレージエンシュタット訪問記(1)
    [ 2010-11-28 18:50 ]
  • 街角スナップ - ロンドンのタクシー -
    [ 2010-11-04 12:23 ]
  • ブランデンブルク門へ歓喜のゴール
    [ 2010-09-30 23:51 ]
  • 兄弟座談会 - ベルリン-パドヴァをつないで -
    [ 2010-09-17 13:44 ]
  • グエル公園の十字架の丘から
    [ 2010-08-30 23:57 ]

カダケスへの道(1)

日本からのお客さんが立て続けにやって来て、とても慌ただしかった3月。中旬には母がお友達2人を連れてベルリンを訪れ、一緒にバルセロナに行って来ました。中でも印象深かった、バルセロナからカダケスという街に小旅行で行ってきたときのことを記しておきたいと思います。

3月23日、サンツ駅でレンタカーを借りて、スペインでの初ドライブが始まった。運転は私。バルセロナから170キロほど離れたカダケスという小さな漁村に行くことになったのは、一昨年自転車でヨーロッパを回った下の弟が、ダリの故郷フィゲラスにあるミュージアムに行って大きな刺激を受け、それを母に話したことがきっかけだったようだ。バルセロナから1泊の日程で、フィゲラスのほか、ダリの「卵の家」があるカダケスにも行ってみようということになったのだ。

とはいえ、フィゲラスもカダケスも、ほとんど予習していなかった私。車にはナビが付いておらず(数日前、同じ会社のベルリン支店でまったく同じクラスの車を借りたときはちゃんと付いていたのだが)、しかも、スペインの道路地図さえ持っていなかった。まあ、2都市の大体の位置関係はわかる。弟が勧めていた風光明媚な海沿いの道を走りながらフィゲラスに行き、ダリのミュージアムを見て、夕方カダケスに到着、という大ざっぱなプランを考えていた。

が、最初の誤算だったのが、バルセロナの市内から抜け出すこと。この街には一昨年の夏、ある雑誌の取材で1週間滞在し、自転車でも周り、土地勘もある程度はあるつもりだった。が、車と自転車とではやはり違う。道が細かったり、方向転換をしようにもUターンできる道が1つおきしかなかったり、そうこうするうちに次第にどこを走っているのかわからなくなってくる。ようやくディアゴナール大通りに入った。ゆるやかな坂を下っていくと左手にサグラダ・ファミリアが見え、母曰く「東京モード学園みたい」というあの有名な円錐形の現代建築を横目に、そろそろ海沿いの道が見えてくるはず、と思いきや、今度はやたら中国語の看板が目立つ倉庫街に入り込んでしまったようで、風光明媚な道にはいつまで経ってもたどり着かない。ガソリンスタンドで道を聞いた時点で海沿いの道は諦め、高速道路で行くことに。市内に戻って高速に乗るまでさらに一悶着あり、ようやく高速道路に入った時は、車を借りてからすでに2時間が経過していた・・・。

ドイツに比べるとカーブは多いものの、高速道路に入ってからは快適だった。フィゲラスのインターで降り、ダリのミュージアムは明日に回すことにして、何はともあれカダケスに直行。「卵の家」はガイドツアーのみ見学が可能になっていて、最終の17時10分に予約をしていた(ただし、チケットの発券はその30分前に済ます必要がある)。それを逃すわけにはいかない。ロザスという街への分岐点を越えたあたりから、山越えに入る。ジグザク状に左右に揺られながら、山の頂上を越え、やがて下りに入り、右手にカダケスの白い家々が視界に入った時はさすがにほっとした。ダリの「卵の家」は、一旦街の中心部を抜け、海沿いの道をうろうろ走っている最中、突如前方に現れた。一同「あったー」と大興奮。何とか入場の30分前に申し込みを済ませ、中に入るまでの間、卵の家の前で出会ったネコとしばらく遊んでいた。


(つづく)

人気blogランキングへ
by berlinHbf | 2012-04-09 20:17 | 欧州を感じる旅 | Trackback | Comments(0)

ノイケルンのアドヴェント、マラガの憲法記念日

先週の日曜日は、毎年第2アドヴェント恒例、ノイケルンのクリスマスマーケットに行って来ました。ここのマルクトはあまり商業的な匂いがしないことと、広場周辺のどこか牧歌的な雰囲気と併せて、ベルリンの好きなクリスマスマーケットの1つです。いつかブログで紹介してからもう4年になるのですね。

関連記事:
ノイケルンでの第2アドヴェント - リクスドルフという場所 - (2007-12-13)

広場の中央にある素敵なデザインのインビス。リクスドルフに来るといつも何か発見があるのですが、今回も改めて取材で訪れたいと思わせるものに出会いました。

この日の気温は5度前後。昨年の今頃は連日大雪だったことを思うと、今年はまだ全然いい方ですが、いかにもベルリンの12月の空という気がします。

そのベルリンから飛行機に3時間10分ほど乗って、スペインのアンダルシア地方に数日前やって来ました。マラガに離陸する直前、地中海の大海原の彼方にアフリカ大陸がはっきりと見えました。ここはモロッコまでわずか100キロ、ヨーロッパ最南端の地域です。夜でも気温は15度ぐらい。クリスマス用のイルミネーションもドイツのとは大分違います。何より、22時を過ぎても子供連れの家族が元気よく街を闊歩しているのに驚きました。いつもこんな感じなのか、それとも次の日がスペインの憲法記念日で祝日だったためかはわかりませんが。

旧市街の広場にて。クリスマスツリーの飾りの横に、オレンジがたわわに実っています。いくら南欧とはいえ予想もしなかった組み合わせで、さすがにびっくりでした。

ベルリンではこの時期至るところにもみの木を見かけるのですが、マラガでは1本も見かけませんでした。これは単純に樹木の育つ気候上の違いかもしれませんが、クリスマスを迎える街の雰囲気もヨーロッパの北と南とでは大分違うなあと感じた次第です。スペインのクリスマスを何とか見つけようと必死になっていた妻がやっと見つけたのがこれ。何とも力の抜けたクリスマスツリーだこと(笑)。

祝日の夕方、大勢の人の流れに沿って港の方に行ってみると、椰子の並木道に沿ってマーケットが立ち並んでいました。

スペインに来てからほぼ毎日快晴!この時期、こんなに太陽の日を浴びれるなんて、それだけで幸せな気分になります。

大聖堂の前には、キリストの誕生を描いた光のオブジェが飾られていて、地元の人たちが記念撮影をしていました。

イスラム教徒支配時代の城砦、ヒブラルファロ城からの眺め。

人気blogランキングへ
by berlinHbf | 2011-12-08 20:14 | 欧州を感じる旅 | Trackback | Comments(0)

テレージエンシュタット訪問記(4) - 小さな画家と音楽と -

私の怠慢によりすっかり時間が空いてしまいましたが、昨年5月にチェコのテレジン(ドイツ語名はテレージエンシュタット)を訪れた時の話の最終回を綴りたいと思います。ご興味のある方は、過去の記事をご参照ください。テレジンの「小要塞」を訪れた後に向かったのは、「大要塞」つまり現在のテレジンの街でした。

まず訪れたのは、中心部にあるマルクト広場。子供たちがボール遊びをしていました。こう見るとごく普通の街のようですが、テレージエンシュタットは上から見ると要塞の姿を完全に留めた特異な外観をしています。街の区画は完全に左右対称で、そのど真ん中に位置しているのがこの広場です。

関連記事:
テレージエンシュタット訪問記(1) (2010-11-28)
テレージエンシュタット訪問記(2) (2010-12-05)
テレージエンシュタット訪問記(3) (2011-01-30)

テレージエンシュタットでまず訪れるべきなのが、マルクト広場に面したゲットー資料館でしょうか。旧テレジン市学校だった建物の中にあり、テレージエンシュタットのゲットーの歴史や投獄された人々の日常生活の一端が紹介されています(簡潔ながら日本語のパンフレットがあるのがありがたかった)。

この中で心打たれる展示物の1つが、テレジンに収容されていた子供たちが残した絵や詩の数々です。野村路子さんの『テレジンの小さな画家たち』(偕成社)やその展覧活動などを通して、テレジンの子供たちの絵は日本でも知られてきているようですね。2011年からは、小学6年生の国語の教科書にこの絵にまつわる話が載せられているのだとか。

関連記事:
命のメッセージ、教科書に ナチス収容所の子が描いた絵 (asahi.com)

今も人が住んでいる街についてこんなことを言うのは失礼かもしれませんが、言いようのない悲しみが漂っている場所という印象を受けました。

テレージエンシュタットは、われわれが一般にイメージするナチ時代のユダヤ人の強制収容所とは違います。パンフレットにはこう書かれていました。「当初はユダヤ人の囚人は兵舎にのみ収容されたが、後に1942年半ばまでに元々の住民を強制的に移住させることとなった。テレジン市全体が収容所と化したのである」。

テレージエンシュタットはまた、ナチスによる宣伝の役割も担わせられることになりました。すなわち、「美化キャンペーン」による「ユダヤ人自治移住地」として、ユダヤ人に一定の「自由」を与えたのです。ここには多くの芸術家、作家、学者なども収容され、過酷な条件の中で彼らが作った音楽や劇が上演されました。テレジンの旧マグデブルク兵舎にはゲットー内の文化的催しに関する常設展示があり、駆け足ながら見ることができました。

一昨年の秋、フィルハーモニーの室内楽ホールで、ダニエル・ホープ(ヴァイオリン)やフォン・オッター(ソプラノ)ら(上の写真のCDの出演者)によって、テレジンの音楽が演奏されました(この日はHAUで坂本龍一のピアノコンサートもあり、私は最後まで迷ったのですが、土壇場になってフィルハーモニーに走ったのでした)。プログラムに並んだのは、V. ウルマン、 P. ハース(前回の記事で紹介したヤナーチェクの弟子でもあります)、 E. シュルホフといった作曲家たちの作品。いかにも苦しみの中から生まれた感の音楽もある一方、オペレッタ風の楽しい曲、収容所から生まれたとは思えない洒脱な雰囲気の音楽もありました。これらの音楽は、ゲットーに収容された人々にささやかな喜びをもたらしたことでしょう。しかし同時に、時々ここを視察した赤十字の調査員に、この場所の真実を覆い隠すためのプロパガンダの意味合いもあったのでした。

このコンサートの最後のアンコールで、フォン・オッターがある歌を歌い出した時、私は突如心がふわっとなるのを感じました。どこか温かい気持ちにさせてくれる音楽だったのです。後から知ったのですが、その曲はアドルフ・シュトラウスという作曲家による、 "Ich weiß bestimmt, ich werd Dich wiedersehn"(僕には確かにわかる。君に再び会えることを)というタンゴのナンバーでした。「今は別れ別れだけど、いつかまたきっと会える」という男女の恋を描いたテキスト、そこに出てくるSehnsucht(憧れ)という言葉・・・。作曲家自身はもちろん、ユダヤの人々はどんな思いでこの歌に聴き入ったのかと思うと、何か込み上げてくるものがありました。

シュトラウスはこの歌を作曲して間もない1944年秋、妻と子供と共に、アウシュヴィッツで殺されています。

さらに私が衝撃を受けたのは、街の外れにひそやかに残っている1本の鉄道の線路でした。パンフレットにはこう書かれています。「移送を迅速化するため、1942-1943年にかけて囚人によりボフショフ駅からテレジンまで敷設された鉄道の引き込み線の一部」と。

私が真っ先に思い出したのは、2007年にベルリンのグルーネヴァルト駅17番線ホームを訪れた時のことです(その時のレポートはこちら)。警告碑のホームに刻まれたユダヤ人の強制輸送の目的地で、もっとも頻繁に目にしたのがこのテレージエンシュタットなのでした。ベルリンからぎゅうぎゅう詰めの貨物に押し込まれ、ようやく「解放」されて降り立ったのがこの場所だったのかと思うと、身震いするものを感じました。もっとも、多くのユダヤ人にとってテレージエンシュタットは中継収容所(Zwischenlager)であり、ここからさらにアウシュヴィッツなどの絶滅収容所に送られ殺された人もたくさんいたわけです。

ここが線路の終わり。

街を半周ほどしてマルクト広場に戻って来ました。パンフレットによると、正面に見える「テレジン市役所は、いわゆる『ユダヤ人自治銀行』やその他の役所の所在地となった。ここで文化的催しも行われた」。

かつて左の建物は「SS司令部」、右の建物は「女子寮」だったそう。そして、「広場は囲いがなされており、囚人は入れなかった」。

もう少しゆっくり見て回りたかったけれど、広場から出る次のバスに乗らないと、ベルリン行きの最終列車を逃すことになります。「ここで感じたことは、これからも考え続けていきたい」。そんな思いで、私は妻とプラハ市内行きのバスに乗り込みました。

人気blogランキングへ
by berlinHbf | 2011-11-18 00:29 | 欧州を感じる旅 | Trackback | Comments(2)

テレージエンシュタット訪問記(3)

すっかり間が空いてしまいましたが、昨年5月、チェコのテレージエンシュタット(現テレジン)を訪れた話の続きを書きたいと思います。来週更新する記事の関連性も考えて、今のうちに書いておきたいと思ったのです。テレジンの話が初めてという方は、最初にこれまでの記事をお読みいただけるとうれしいです。

関連記事:
テレージエンシュタット訪問記(1) (2010-11-28)
テレージエンシュタット訪問記(2) (2010-12-05)

前回書いたのは、テレジンの「小要塞」の方でした。そこにはハプスブルク帝国時代の要塞の中に刑務所が設置され、それまで実際に行ったことのあるアウシュヴィッツやベルリン郊外のザクセンハウゼンの強制収容所の雰囲気と重なるところがありました。最初の回で、「『要塞として建設され、その後ナチスの強制収容所になり、いまはまたそこに普通に人が住んでいる』と言われても、一体どういう場所なのか、ひまひとつ想像がつかなかった」と書きましたが、それは小要塞ではなく、大要塞、つまりテレジン市本体のことだったのです。

1本道を500メートルぐらい歩いて行くと、オフジェ川が見えてきます。そこを越える際に、昔の城壁の跡らしきものが視界に入りますが、それを除けば「また別の街に入ったのかなあ」というぐらいの感覚でしかありません。時々、トラックやバスが横を通り過ぎて行きます。事前に何も知らなかったら、特に何も気付くことなく、私はこの街を通過していたかもしれません。

しばらく歩くと、この街の中心地らしき広場にたどり着きました。少し閑散とはしていたものの、ベンチでは人がくつろぎ、公園では子供たちが遊ぶ光景が見えてきます。小さな街のごくごく普通の日常の風景という趣です。一見、本当に普通の街なのです。

ところが、ネットから借用したこの街の空中写真を見れば、テレジンの特異性が一目でわかります。第2次世界大戦中、かつての大要塞の特性を生かす形で、テレージエンシュタットは大迫害施設へと生まれ変わり、数々の悲劇が起きたのでした。

(つづく)

人気blogランキングへ
by berlinHbf | 2011-01-30 01:15 | 欧州を感じる旅 | Trackback | Comments(0)

テレージエンシュタット訪問記(2)

「労働は人を自由にする」と書かれた門をくぐり抜けると、中庭があり、いくつもの監房や独房の建物が並んでいた。

前回書いたように、もともとこの小要塞は18世紀末に作られた。当初ここに投獄されたのは軍人の他、中欧や南東ヨーロッパの民俗解放戦線に携わった人々だったという。入り口でもらったパンフレットによると、ナチス・ドイツの占領後、1940年にこの小要塞にゲシュタポのプラハ本部の刑務所が造られ、同年6月14日に最初の囚人が送られてきた。チェコ人が多かったそうだが、それ以外にもソ連、ポーランド、ドイツ、旧ユーゴ、もちろんユダヤ人も。大多数は、ナチスに対する抵抗運動のかどで逮捕された人々だった。

テレジンの小要塞は、パンフレットに番号と経路が記されているので、それに従って見学するのが一番よい。ところが、この17、18と番号が書かれた場所まで来て、一瞬立ちすくんでしまった。18は「死体保安所。ここに拷問死した囚人の遺体が置かれた」そうだ(いやだなあ・・・)。隣の17は地下道。すぐにでも引き返したくなる場所だったが、経路図を見ると、この地下道をくぐり抜けないと次の19に行けないようになっている。しかもこれがたいそうな距離で、ざっと400メートルはありそう。「まさか囚人の遺体を運ぶのに使われた地下道じゃないよな」と思いつつパンフレットを見ると、「元の要塞の一部。戦時中は利用されなかった」と書かれていた。とはいえ、細長く暗い(もちろん明かりはあるものの)地下道を延々と歩いて行くのはかなり気が滅入った。1人で来ていたら、もっと恐かったかもしれない。

ようやく地下道をくぐり抜けたと思ったら、そこは処刑場跡・・・。「小要塞で死刑執行が始まったのは1943年。ここで、約250人の囚人が銃殺された。最大の処刑が行われたのは1945年5月2日で52人が処刑された。その大部分は、レジスタンス組織のメンバー」。

この門をくぐると、再び小要塞の中に戻ることになる。これは通称「死の門」。囚人にとっては、処刑場へと導く門だったのだ。

あまりゆっくり見て回る時間がない中、東側の突端部に行ってみる。中庭に監房が並ぶその奥は、やはり見せしめのための処刑場だった・・・。「1945年3月、38号監房から脱走を図り、失敗した3人の囚人のうち1人が、他に無作為に選び出された2人の男性と1人の女性と共に、中庭の先端部で見せしめのため処刑された。逃亡を試みた残る2人も逮捕され、第一中庭の独房近くで石たたきの刑で処刑された」。

劣悪な居住条件の中、戦争末期にはチフスが広がり、多くの人が亡くなったという。ここが開放されたのは、1945年5月5日に看守が逃げ出した後、ソ連軍がやって来た5月8日のことだった。

どこを歩いても、いまでも死の気配がすぐそばに感じられるテレジンの小要塞を一通り見終え、入り口に戻ってきた。決して長い時間ではなかったが、疲労感を感じる。ここは要塞全体が完全に隔離された刑務所だった。が、テレジンはこれでおしまいではなかった。

(つづく)

人気blogランキングへ
by berlinHbf | 2010-12-05 23:30 | 欧州を感じる旅 | Trackback | Comments(4)

テレージエンシュタット訪問記(1)

5月のプラハ旅行の最終日、以前から一度訪ねてみたいと思っていた場所に、行ってみることにした。ドイツ名はテレージエンシュタット、チェコ名はテレジンというこの街が、プラハから約60キロの距離にあるというのは少々以外だった。夕方のベルリン行きの列車に間に合うよう戻って来なければならないが、何とかなるだろうと思い、テレジン行きのバスが出る街の北側のHolešoviceのバスターミナルに地下鉄で行ってみた。が、そこはだだっ広い乗り場があるだけで、人も少なく、とてもバスターミナルという雰囲気ではなかった。停留所を1つ1つ回りながらTerezinの文字が書かれた路線の乗り場を探し、何とかたどり着く。バスに乗り込む際、運転手に「このバスでいいのか?」と確認したら、後ろのおじさんが親切に答えてくれた。彼の後ろに席を陣取ると、車中英語でいろいろ話をしてくれた。あれはチェコの有名な伝説の舞台になった山だ、とか、あの古い列車は近郊の小さな街の間を40年ぐらいひたすら行ったり来たりしているんだ、という話だったが(冒頭のかわいらしい気動車)、さすがに半年経つと記憶は薄れてきている。新緑の美しい季節、1時間ぐらいののんびりとしたバスの車中だった。

(テレジンはプラハの郊外だが、結構広い上にバスの便は決してよいわけではないので、午前中のうちに出かけるべきだろう。少なくとも午前中は1時間に1本はバスが出ている)

持参してきたドイツ語版のlonely planetのガイドに、テレジンのことは比較的詳しく紹介されていた。ただ、「要塞として建設され、その後ナチスの強制収容所になり、いまはまた普通に人が住んでいる」と言われても、一体どういう場所なのか、ひまひとつ想像がつかなかった。見どころは大きく2箇所あるというので、まず手前のTrezin Blovetaで降りて「小要塞」に行ってみることにした。少し戻るようにバスの道を歩いて行くと、そこから左に延びる大きな並木道が見えてきた。隣は国立墓地になっていて、無数の墓石が並んでいた。

ここが「テレジン小要塞」の入り口。テレージエンシュタットは、ハプスブルク帝国時代の18世紀末、ヨーゼフ2世によってエルベ川とオフジェ川が合流する地点に要塞都市として作られた。女帝マリア・テレジアの栄誉を称えるためにこの名前になったのは、有名な話だ。とにかく、ここが昔要塞だったというのは、この前に立てば一目瞭然だ。入場料を払って中に入る。地図付きの日本語のパンフレットが用意されていたのにはびっくりしたし、とてもありがたかった。

入り口から左手に歩いて行くと、やがてアウシュヴィッツでもベルリン郊外のザクセンハウゼンでも目にした、あのおなじみの標語を掲げた門が見えてきた。すなわち、「労働は人を自由にする」。

(つづく)

人気blogランキングへ
by berlinHbf | 2010-11-28 18:50 | 欧州を感じる旅 | Trackback | Comments(2)

街角スナップ - ロンドンのタクシー -

9月末に週末を利用してロンドンに行って来ました。その気になればベルリンからすぐ行けるロンドンですが、学生時代、飛行機のトランジットを利用して数時間街を歩いたのを別にすれば、初めてでした。今回はロンドンに赴任している妻の会社時代の先輩を訪ねるのが目的だったのですが、何かそのような目的でもないと、私にとっては近くて遠い感のある都市でした。

ロンドンの街を歩いていて、一際目に付いたのはやはりダブルデッカーのバスとタクシーです。特にタクシーは黒塗りのクラシックな車体に加え、運転手に最初に行き先を伝えること(場所によっては断られることもあるとか)、運転席と乗車席の間はガラス戸で厳密に区切られている、といったルールが、私には新鮮でした。ロンドンのタクシー運転手は、街の全ての地理事情に通じていなければならず、厳しい試験を通った彼らは世界一優秀との評判の高いのだとか。そんなこともあり、街角で、窓越しからタクシー運転手に声を掛ける人々の姿は、ロンドンというと私が真っ先に思い浮かぶ光景になりました。

人気blogランキングへ
by berlinHbf | 2010-11-04 12:23 | 欧州を感じる旅 | Trackback | Comments(5)

ブランデンブルク門へ歓喜のゴール

お蔭さまで、昨日の17時頃、弟は無事ブランデンブルク門をくぐり、約2ヶ月に及ぶ大旅行の幕を閉じることができました。その時の顛末は彼がこちらで書いている通りですが、母がゴールに待ち構えているというサプライズには本当にびっくりしていました。母から私のところに「ベルリンに行こうかしら」というメールが突然入ったのは3週間ぐらい前だったでしょうか。昔から一度決めたらさっと自分で行動するタイプなので、最初聞いた時それほどの驚きはなかったとはいえ、何も知らされていなかった弟は、「まさか・・・」という表情でしばらく立ち止まっていました。その他にも、友達やTwitterを見て来てくださったという方もいて、思い出に残る時間となりました。

カメラマンの峯岸進治さんに撮っていただいた1枚。日曜日のドイツ統一20周年祭の準備を控え、あちこちで封鎖が始まっているブランデンブルク門前でした。取り急ぎのご報告ですが、この場をお借りして、彼の旅を支援してくださった全ての方々にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

人気blogランキングへ
by berlinHbf | 2010-09-30 23:51 | 欧州を感じる旅 | Trackback | Comments(2)

兄弟座談会 - ベルリン-パドヴァをつないで -

8月初頭から自転車で西ヨーロッパを旅している私の弟と(ブログはこちらより)、昨夜スカイプを通じて座談会のようなことをしました。内輪の内容も混じっていますが、以下にまとめてみたので、興味のある方はご覧いただけたらと思います。


M: こんばんは、今日はどこに滞在しているのかな。

Y: 今はパドヴァという、イタリア北部の街にいます。ヴェネチアから自転車でやってきました。

M: 早いもので、8月頭にフランクフルトからスタートして、もうゴールまで約2週間だね。ここまでの道のりを振り返ってみて、今感じることは?

Y: やっぱり、毎日のように日本はいい国だなぁって思うかな。トイレはきれいだし、スリもいないし、シャワーは快適だし、水はタダだし・・・日本を離れてみて、改めて日本の良さに気付いた気がするよ。帰ったら、日常のものに感謝しなきゃいけないね。

M: なるほど、時々日本に帰る度に僕もそう思う。でもそれだけだったら、海外に出たがらない今の若い人は「やっぱり日本の方がいいや」で終わってしまう(笑)。あえて、こういう旅をしたからこそ得られた体験も聞いてみたいな。日本の日常生活ではなかなか感じない充実感というのもあるんでしょう?海外1人旅の魅力は?

Y: なんか、日本から遠く離れた場所で、言葉もわからない、どうやっていいかもわからない。いろいろと不安があるんだけど、結局どこの国の人でも、人間であることには変わらなくて、困ったことがあれば助けてくれるし、言葉が通じなくても、食べて、寝て、働いて、と同じように生きているから、何を求めているのかわかってくれる。だから言葉は通じないけど、あまり不自由はしなかった。毎日そういう経験を重ねるごとに、人間として強くなっていく気がするよ。「できない」と思っていたことが、やってみればできるものだし、そういう挑戦する機会って、不自由のない今の日本では味わいにくい。そんな生活に慣れ切ってしまうと、人として弱くなってしまう気がするよ。そんなところかな。まだまとまりのない言葉だけどね。時間が経たないとうまく答えられないね。

More
by berlinHbf | 2010-09-17 13:44 | 欧州を感じる旅 | Trackback | Comments(3)

グエル公園の十字架の丘から

弟の自転車をメインとしたヨーロッパの旅も、ちょうど半ばに差し掛かり、数日前バルセロナに到達したようです(ブログはこちらより)。旅先からの写真を見ながら、7月にこの街を訪れた時のことを思い出していました。最終日の夕方、今回の滞在でお世話になった方に、「グエル公園に行くなら、地下鉄L3のVallcarcaで降りて、公園の裏口から中に入って、十字架のある丘に言ってみるといい。そこからの眺めは素晴らしいから」と言われ、その通りに行ってみました。公園内は広い上に、高低差が激しく、何度か迷いそうになりましたが、人々がてっぺんに密集している突起物が遠くに目に入ると、「あれに違いない」と一目散にそこを目指しました。

一体いつ誰が造ったのでしょうね。石を積み上げてこしらえた小さな展望台のようものが、目の前に現れました。

らせん状の階段を注意深く上って行くと、十字架のある頂上にたどり着きます。爽快極まりない眺めが広がっていました。

ガウディ設計のサグラダ・ファミリア。

その近くには、ジャン・ヌーベル設計のTorre Agbarが存在感を放っていました。2004年に初めて訪れた時はまだなかった建物です。

ところで、7月のバルセロナ取材が最近形になりました。『グリーン・モビリティ』という、自転車とエコをテーマにしたフリーペーパーの海外特集に寄稿させていただきました。よかったらお手に取っていただけると幸いです。こちらの手元に届いたら改めてご紹介したいと思います。
http://www.green-mobility.jp

人気blogランキングへ
by berlinHbf | 2010-08-30 23:57 | 欧州を感じる旅 | Trackback | Comments(0)

カテゴリ

Deutsch
ベルリン中央駅
ベルリンのいま
ベルリン個人ガイド
ベルリン都市探索(西)
ベルリン都市探検(東)
ベルリン都市探検(境界)
ベルリン都市探索(全般)
ベルリン思い出話
ベルリンの人々
ベルリン音楽日記
ベルリンと文化
ベルリンを「観る」
ベルリンを「読む」
ベルリンてんこもり
ベルリン天使の降りた場所
ベルリン音のある街
ベルリンクイズ100
ベルリンリンク集
ドイツ全般
ドイツから見た日本
サッカーWM2006他
欧州を感じる旅
- 2005ウクライナ紀行
ドイツ語関連
ニッポン再発見
その他
BZ Lexikon (Berlin)
BZ Lexikon (1-50)
BZ Lexikon (51-100)
BZ Lexikon (101-150)
BZ Lexikon (151-200)

タグ

(99)
(97)
(96)
(89)
(88)
(88)
(78)
(71)
(69)
(67)
(65)
(58)
(56)
(54)
(52)
(45)
(43)
(36)
(36)
(35)

以前の記事

2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
more...

最新のコメント

被災地、と一言でくくるに..
by Daisaku Oozu at 16:11
橋口さんの言葉にはいつも..
by tsu-bu at 14:55
Masato さん、先日..
by Daisaku Oozu at 03:44
かりんさん コメントあ..
by berlinHbf at 18:22
まさとさん、ほんとうに盛..
by かりん at 23:19
いそがしくも、素敵な日本..
by かりん at 16:43
tsu-buさん 天候..
by berlinHbf at 09:39
海の風、潮の香りを感じる..
by tsu-bu at 23:57
tsu-buさん お久..
by berlinHbf at 11:24
おかえりなさい。新緑の日..
by tsu-bu at 21:33
hondamasayaさ..
by berlinHbf at 17:20
お帰りなさい。旅のブログ..
by hondamasaya at 17:00
eikoさん はじめま..
by berlinHbf at 15:53
はじめまして。 いつも..
by eiko at 18:28
ogurikさん コメ..
by berlinHbf at 05:02
シェーネベルク自然公園の..
by ogurik at 14:55
Masatoさんお知らせ..
by sora at 09:52
いっさいがっさいさん ..
by berlinHbf at 22:58
soraさん 二瓶さん..
by berlinHbf at 22:55
こんにちはー。この間、こ..
by いっさいがっさい at 11:08

ブログパーツ

※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません

最新の記事

大船渡を旅する(1)
at 2012-05-26 10:23
写真家 橋口譲二氏の講演会
at 2012-05-23 16:50
日本滞在2012〜第2週目
at 2012-05-19 21:48
日本滞在2012〜第1週目
at 2012-05-11 17:35
発掘の散歩術(22) - ブ..
at 2012-05-09 00:03
「ふたつの世界-加藤温子&加..
at 2012-05-08 23:06
横須賀の海に還って
at 2012-05-07 23:57
日本に帰ってきました!
at 2012-05-03 16:51
『音遊人』6月号「ドイツ特集」
at 2012-04-26 00:12
『カズ語録』(PHP文庫)の..
at 2012-04-25 22:43
『街歩きのドイツ語』の増刷が..
at 2012-04-25 18:08
橋口譲二氏講演会のご案内@ベ..
at 2012-04-18 00:13
発掘の散歩術(21) - シ..
at 2012-04-12 12:43
カダケスへの道(1)
at 2012-04-09 20:17
早稲田大学交響楽団のベルリン公演
at 2012-04-04 23:14

最新のトラックバック

20年〜光陰如矢
from MUSIC・・・音から紡ぎ出..
まさとさんの「素顔のベル..
from がんばれ、ブランデンブルク州!
孔雀島(1):想定外のフ..
from がんばれ、ブランデンブルク州!

ファン

XML | ATOM

skin by excite