ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


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1986年3月東ベルリンにて - ある日本人の回想 -

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Alexanderplatz(8月24日)

先週、このブログを通じて知り合った大学の大先輩に当たる方にベルリンでお会いする機会がありました。その方とは全くの初対面でしたが、かつて早稲田大学の交響楽団で演奏していたという共通点があって、自然と当時の話になりました。前にも一度触れたことがありますが、このオケでは大抵3年に1度、海外への演奏旅行を行っていて、私が98年に初めてベルリンに来たのもそのツアーの一環でした。

その先輩に当たる方は、86年のツアーを経験されているのです。86年の2月から3月にかけて、早稲田大学交響楽団はフランス、東西ドイツ、チェコスロヴァキア、オーストリアを周り、ベルリンでも東西両方で演奏しています。先日アレクサンダー広場前のカフェで当時の話を伺ったのですが、とても興味深かったので、忘れないうちに(箇条書きですが)ここにまとめてみようと思います(ワセオケの現役の方々にも読んでもらえるとうれしいですね)。

当時22歳、海外旅行自体初めてだったという1人の学生から見たベルリンです。

東ベルリンにて(86年3月)
○東ドイツの滞在中は日本語に堪能な文化省の役人がずっとついて回った。こちらの会話がいつ聞かれているかわからなので、「東ベルリン」という言い方はしないように引率の先生から言われていた。チェコスロヴァキア滞在中にやはり同行した役人の日本語は、眼をつぶって聞けば日本人のそれと間違えてもおかしくないレベルだった。

○東ベルリンではアレクサンダー広場前の高層ホテル“Stadt Berlin“(現Park Inn)に宿泊した。夕食は毎回バスに乗って、別の場所に食べに連れて行かれた。ナイフとフォークがママゴト用かと思うぐらい軽かった(アルマイト製だったのでは?)。飲み物は強制両替で換えた東マルクを持って各自で買った。コーラがない代わりにDDR製のコーラがあったが、飲んでみたら薬のような味がした。ビールは普通だった。

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Photo: Wikipediaより借用

○自由時間のとき、アレクサンダー広場のデパートCentrum(現Kaufhof)で買い物をした。確か入ってすぐのところが食品売り場になっていて、牛乳を買ってみた。牛乳はパックではなく、ちょっとつつけばすぐに破れてしまうようなビニールの袋に入っていた。デパートはがらんとしていて照明も控えめで、他に欲しいと思うようなものは特に見つからなかった。

○ホテルに隣接したインターショップがあって、そこで外国の製品を外貨で買うことができた。どういうシステムになっていたのかわからないが、商品引き換え券のようなものを持って地元の人も買い物に来ていた。その光景を見ていて、「日本から来た自分たちが、こんなところでのん気に買い物していていいのだろうか」という気分になった。

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インターショップは確かここにあったような・・・(後ろは件のホテル。現Park Inn)

○東ベルリンではバスにも乗った。そこで車椅子の人が乗っているのを見かけた。今でこそバリアフリーは当たり前だけれど、あの当時の東ドイツで見たことにちょっと驚いた。ただしバスはおんぼろで、ハンガリー製と車体に書いてあった気がする。

○ホテルの朝食では果物が全く出なかった。そのことを知った当時西ドイツに駐在していたある方が、オケの団員にオレンジを差し入れてくれた。ありがたかった。

○駅や店の前に並ぶ行列の様子を写真に撮らないよう予め言われていた。だが実際に街で行列を見ることはなく、少々拍子抜けした。平日だったせいもあってか、東ベルリンはひっそりとしていた。

○東ドイツのホテルの石鹸は泡立たないと聞いていたので、日本から石鹸を持参していた。実際その通りで、トイレットペーパーもざらざらの紙だった。

○シャウシュピールハウス(現コンツェルトハウス)での本番の演奏会の後、ホールの地下にて政府の役人主催の歓迎立食パーティーが催された。豪華な(つまり西側で普通に出されるレベルの)食事だった。普通はざらざらの紙ナプキンなのに、そこには“Schauspielhaus“と朱字で書かれた「白い」ナプキンが置いてあった。いくつか持ち帰って、後輩へのお土産にした。

その前に訪れた西ベルリン(86年2月)
○西ベルリン滞在中、フィルハーモニーでカラヤン指揮のベルリン・フィルを聴いた。プログラムの前半終了後、インテンダント交代のセレモニーが舞台上で行われた。それが終わると、隣で聞いていたカラヤンが客席に向かって一言「パウゼ!」と言って、休憩に入った。前半のハイドンのロンドン交響曲は重すぎてあまり自分好みの演奏ではなかったが、メインの「展覧会の絵」は圧倒的だった。カラヤンは自分たちの演奏会のリハーサルにも聴きに来てくれた。
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そのときの演奏はレコーディングもされた。

○ポツダム広場からフィルハーモニーに行くとき、今では楽屋口のある裏側から中に入るのが普通だが、当時そこには道というものがなく人通りは皆無だった。周りには何もなかった。

○ポツダム広場の見晴台から見た東側の光景はとても印象に残っている。2月末で雪が残っていた。荒涼とした風景の中、双眼鏡を持った国境警備隊がこちらをのぞいていた。日頃日本では感じることのなかった「国境」を意識した。

その後・・・
○壁崩壊の翌年の90年7月、当時ブームだった中欧旅行のツアーに母と参加し、東ベルリンを再訪問する機会があった。ホテルは、偶然にもあの“Stadt Berlin“だった。ホテル内にカジノができていて、資本主義の到来を実感した。隣のデパートCentrumにも行った。ちょうど東西の通貨統合の直後で、製品には東マルクを意味する“M“の上に“DM“のシールが貼られ、ドイツマルクで値段が表示されていた。2ヵ月後になくなるDDRを偲んで(?)、文房具売り場でノートをたくさん買い帰国後職場の同僚に配ったが、「これ、何なの?」という反応をされ、その価値をわかってもらえなかった。

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by berlinHbf | 2007-08-27 00:12 | ベルリン発掘(東) | Comments(43)
Commented by gramophon at 2007-08-27 14:18 x
私が西で働き出したのが86年の6月からでしたので、その少し前に行かれたのですね。当時のデパートは省エネのためだったのか、やたらと暗くて、だだっ広い所に蛍光灯が数カ所しかありませんでした。
Commented by pfaelzerwein at 2007-08-27 14:31 x
1986年夏は私もベルリンを訪れました。4月がチェルノブイリ事件ですから、演奏旅行はその前のことですね。以前とは異なり既に雪解けムードの時代ですが、やはり不思議な雰囲気が残っていましたね。

フィルハーモニーでは、既にカラヤン人気はないかと思っていたのですが、第九の券などは早くはけていました。もっとも私は興味がなかったので、ジュリーニの会などに専念しました。フェストヴォッヘの会場でチェリビダッケに出会ったのもそのときでした。

何よりも壁の横にあるフィルハーモニーでは、休憩時間にバルコンに出るとその冷たい風と共にまるで東側にいるような暗闇と静寂に驚いたものです。
Commented by akberlin at 2007-08-28 01:55
おお!貴重な体験をされた先輩、うらやましいです。ウチの
西ドイツ人相方は87年か88年にベルリンに修学旅行に行き、
強制的に西ドイツマルクを何マルクか東のに両替させられ、
(東見学の入場料のようなものじゃなかったのか、とも)アレックスの
デパートに入ってエスカレーターがガタガタなのにショックを受け、
換えたマルクを使おうにも冷えてないマズいコーラを買うくらいしか
お金の使い道がなかったとも言っていました。

実は先週末、東出身の友達の誕生会でベルリンに行っていたの
ですが、フリードリッヒシュトラーセ近くの安いので有名なお寿司屋さん
の話になり、マリティムホテルの裏側くらい、という話をしていたら
「そこって(西側のものが買える)もしかして『インターショップ』が
あったところかしら」と東出身者ならではの発言が。
別な友達はチョコエッグを誕生日にしかもらえなかった、とか
西側のロック・ポップ情報誌「ブラヴォー」を西に旅行に行った
おばあちゃんに買ってきてもらって貴重だった、とか・・・。
壁が崩壊して18年、現在20代の人は東も西もあまり
大差がないみたいですが、30代以上の人だと、そういう
東の昔話が聞けたりしますね。
Commented by Til at 2007-08-28 04:04 x
日本語の話せる役人同行なんて、どきどきですね。下手なこと話せない。
石鹸が泡立たなかったり、果物がでなかったり、当時の様子が、鮮明の伝わってきました。
Commented by 焼そうせいじ at 2007-08-28 23:36 x
86年2月の早稲田大学交響楽団の西ベルリンでの演奏会は、同じ日のお昼のベルリンフィル(戦艦大和の艦砲射撃みたいな展覧会の絵など)ともども、私も体験しました。シュトレーゼマンの二度目の(!)退任セレモニーのことも、この記事で思い出しました。

そういえば私も、89年にポーランドへ行ったときに、自由選挙で勝ったばかりの「連帯」のステッカーを買って、職場の学校で配ろうとしたら、よりによって社会の先生が「何ですかこれ」と反応したので、がっくりきた覚えがあります。
東のまずいコーラ"Vita Cola"は、今も健在です。
Commented by berlinHbf at 2007-08-29 03:59
gramophonさんがベルリンに来られたのは、その直後だったのですね。

百貨店の照明の暗さはやはり省エネのためですか。日の短い冬の時期とかは、一層寂しい雰囲気だったのでしょうね。
Commented by berlinHbf at 2007-08-29 04:10
pfaelzerweinさんのお話も歴史を感じさせるものでした。ありがとうございます。

カラヤンはこの年の9月に第9を振っているのですね。以下のサイトで確認しました。このときが生涯最後の第9だったようです。
http://www.geocities.co.jp/MusicHall-Horn/2889/
Performance-Beethoven3.html

この時期はカラヤン急病の際はジュリーニがよく代役を務めていたそうですね。そしてチェリビダッケに出会われたという話もびっくりです。聴衆として何か聴きに来ていたのでしょうか。

バルコンの話も印象的です。コンサートの華やかな雰囲気と周囲の光景とのギャップはすごかったのでしょうね。
Commented by berlinHbf at 2007-08-29 04:21
>akberlinさん
長い書き込みありがとうございます。うーん、面白い話がどんどん出てきますねえ!

「フリードリッヒシュトラーセ近くの安いので有名なお寿司屋さん」というと「一心」ですね。フリードリヒのインターショップはあの辺にあったんですか?

>西に旅行に行ったおばあちゃんに買ってきてもらって貴重だった

確か60歳以上(だったか)になると西側に行くことができたのですよね。先日のDDR出身の友達へのインタビューでもその話が出てきました。あのときも面白い話をたくさん聞けたので、記憶が薄れないうちにまとめなければと思いました。
Commented by berlinHbf at 2007-08-29 04:26
>Tilさん
石鹸とか果物の話は生活に直接関わる分、とてもリアルに想像できますよね。両方とも日常生活になくてはならないものですから。
Commented by berlinHbf at 2007-08-29 04:42
>焼そうせいじさん
お久しぶりです!時代の証言者がここにもおられましたね。まさか両方とも聴かれていたとは知りませんでした!「戦艦大和の艦砲射撃みたいな展覧会の絵」ってすごいですね(笑)。しかし指揮がカラヤンだと何となく想像ができます。今となってはうらやましい体験です。

「何ですかこれ」は焼そうせいじさんも経験されていましたか。89年のポーランドと当時の日本とでは、人々の政治意識は天と地ほどの差があったことでしょう。そういえば、こういう話題のときによく書き込んでくださっていたla_vera_storiaさんを最近お見かけしませんね。お忙しいだけならいいのですが。

DDRコーラ、今度飲んでみたいと思います(笑)
Commented by la_vera_storia at 2007-08-29 14:09 x
中央駅さん
大変ご無沙汰しています。いろいろと興味深い内容が続いており、私も超多忙な仕事の合間にでもそれぞれにコメントを入れたいと思いましたが、いつのまにか時期を逸してしまいました。 話は変わりますが、本日の日本経済新聞に1ページを使用して鮮烈かつ強烈な広告写真が出ました。その写真、小さいですが以下の記事で見ることができます。
http://www.cnn.co.jp/business/CNN200708030008.html
ベルリンの壁、ゴルバチョフ、そしてルイ・ヴィトン、なんと強烈な広告でしょうか! この写真を見て思い出したのは、不思議なことに遠い日のあのCentrumの内部の売り場の情景でした....。 

時代は変わったということです。
Commented by la_vera_storia at 2007-08-29 15:20 x
DDR時代のCentrumの話についてはかつてもコメントしたことがありました。
http://berlinhbf.exblog.jp/3941319/
今さらに思い出すことは、そうですねえ...まず入り口のところに薄い青の敷物が敷いてありましたが、それが汚れていてくたびれていて真ん中のところが擦り切れていました。下の茶色い床がみえるほどでしたよ(笑)。入り口の上のほうに空調機みたいなものがあっていつも「ゴーッ」という大きな音をたてていましたが、空気の流れがまったく無かったのが不思議でしたね。店の中は...実におもしろかったです。西側製品との品質の違い、価格、その他興味が尽きなかったですね。この話は始まると長くなりますからやめておきます(笑)。
Commented by la_vera_storia at 2007-08-29 15:21 x
何年か前、米国出張からの帰りに偶然ワセオケOBの方(確か中央駅さんと同じフルートじゃなかったかな、違ったかな?)と機上で隣だったことがありました。いろいろとお話をしましたが、その方が在籍していた時はまだ海外演奏旅行などなかった時代で、自分が卒業した年の翌年だったかよく翌年だったかに初めてワセオケが海外に出たとおっしゃっていましたね。その後の後輩の活躍にびっくりしたとも言っていました。私も、79年のカラヤンの話やらなにやらしましたところ、やはり大変びっくりしていました。ワセオケのOBの方に仕事上でたまたま出会った時にこの話をしますと皆さん大変に驚かれますよ(笑)。それから、86年の芸術週間での第9ですが、これはカラヤンが直前にキャンセルして山下一史さんが指揮したはずです(違ったかな?)。私は9月の終わりはベルリンにおりませんでしたので自分で「目撃」したわけではありませんが。
Commented by la_vera_storia at 2007-08-29 17:03 x
「かつてのベルリン」に興味のある方々が非常に少ないなかで、中央駅さんは現在のベルリンの姿を正確に伝えるだけでなく、たった20年ほど前まで存在していたにもかかわらず、すでに多くの人々の関心の薄れた、そうした時代のベルリンのことを紹介することにも熱心で、本当に頭が下がります。またいつコメントできる余裕があるかわかりませんので、最後に日本人の書いた本でベルリンの空気をよく伝える格別の本を2冊ほどご紹介させていただきます(中央駅さんはすでに読まれましたか?)。
https://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4101308020.html
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B31960-%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D-%E5%9B%9B%E9%83%8E/dp/4061961802/ref=sr_1_4/249-3070742-0168369?ie=UTF8&s=books&qid=1188372717&sr=1-4
最初の本、これはもう格別の本です。私はこういう本が大好きなもので(笑)。
ではまた次の機会に!  お元気で!
Commented by クネヒト at 2007-08-29 18:38 x
初めてコメントさせていただきます。mixiのワセオケ・コミュでのご紹介でお邪魔させていただきました。
私はこの86年のWTの前の82年西ドイツツアーに参加したワセオケ打楽器のOBです。86年の旅行のことは後輩から色々聞いているので懐かしく読ませていただきました。

エントリに関連したカラヤンがらみの話題を2つ提供しましょう。
まず86年のワセオケ団員が全員聴くことのできたカラヤン/BPOの演奏会についてですが、カラヤンがパウゼと言って話題になったのは、ワセオケのコンサートがあった日のマチネでなく、前の晩の同じプログラムのコンサートでの出来事だそうです。

つづく…
Commented by クネヒト at 2007-08-29 18:44 x
承前1

カラヤンがパウゼと言って話題になったのは、ワセオケのコンサートがあった日のマチネでなく、前の晩の同じプログラムのコンサートでの出来事だそうです。その場に居合わせた後輩が、カラヤンがパウゼと言ってなぜか会場がざわついていましたと言っていたのですが、その理由が「カラヤン調書」という本に書いてありました。このカラヤンの発言は、あのザビーネ・マイヤー事件で決裂しかけたカラヤンとBPOをうまく復縁させたインテンダントのシュトレーゼマン氏の退任セレモニーの締め括りに発せられたものだったのです。

まだつづく…
Commented by クネヒト at 2007-08-29 18:47 x
承前2

つまり、楽団員代表などが口々にシュトレーゼマン氏への感謝を語った末、いよいよカラヤンにマイクが回り、さすがの帝王もシュトレーゼマン氏への感謝を口にするのではと一同の注目が集まったところでの「では、休憩。」という発言ですから、まわりがずっこけたのも頷けます…。

もう一つはワセオケのベルリンライブのCDジャケットについて。
Commented by クネヒト at 2007-08-29 18:49 x
承前3

実はあの写真はカラヤン氏がワセオケの練習を見に来てくださったときのものなのです!指揮の高関さんや楽員諸氏も本番ともつかない微妙な服装ですよね。で、あのジャケットの上部、お馴染みのDGのデザインで黄色く塗り潰されている場所にカラヤン先生がご来臨されているのだそうです。                     あと少し…
Commented by クネヒト at 2007-08-29 18:51 x
承前4

カラヤン氏は予定をオーバーして練習を見、大変楽しかったとのお言葉を残してくださったと伝えられています。

色々懐かしい記憶を甦らせていただき、ありがとうございました!
長々と申し訳ありません…
Commented by gramophon at 2007-08-29 21:04 x
> このときが生涯最後の第9だったようです。

えっ、そうだったんですか。それ聴いてます!人気が落ちたとはいえ、切符は普通には買えず、会社の会計士を通して、ケンピンスキー(ホテル)のコンセルジュに頼んでやっと入手しました。最初で最後の生のカラヤンでした。

ストバイ(1st Vln.)上、E席?でしたかの前の方でしたから、よく見えました。自転車のサドルのような椅子に腰掛け、時折目を開けて青い目で睨まれると、ゾクッとしました。管楽器は倍管で、派手な演奏が興奮を誘いましたが、演奏後は美しい弱音と大音響の印象しか残りません。それでも、カラヤン体験に喜んだものです。

東側しか印刷されてないベルリンの地図、アルマイトのペコペコのフォークだとか、西側の軍人さんが大量に薄ペラいアルミ鍋だとか買ってたのを思い出しました。
Commented by Kaorintan at 2007-08-29 22:26 x
大変貴重なお話をありがとうございます。
わたくしの大学時代の担当教授も、東ドイツを旅行したことがあるそうで、何度か話を伺いました。しかし、詳細には伺っていないので、次の機会にでも、もう一度話を伺おうと思います。
Commented by Yozakura at 2007-08-29 23:51 x
中央駅・正人さま
 W大学先輩の談話、そして先人各氏による生々しい書き込みの数々、確と拝見しました。
> 東ドイツ滞在中は、日本語に堪能な文化省の役人がずっとついて---
> チェコスロバキア滞在中にやはり同行した役人の日本語は、目を
> つぶって聞けば日本人のそれと間違えてもおかしくないレベルで----

 「然もありなん」と云う叙述で、苦笑を禁じ得ません。いえ、正人さんの先輩が何を云わんとしているのか、正人さんが何を伝えんとしているのか、十分に了解しております。
 国際交流の文化使節・教育使節として訪問したW大学の学生諸氏を儀礼上は歓迎しつつも、日本語堪能な役人を終始貼り付け、学生諸氏の一挙手一投足に至るまで一分の隙無く監視・管理する体勢にあることを、臆面も無く公然と誇示する処に、社会主義国家の政治姿勢が、もう露骨なまでに鮮明に顕示されており、さぞや息苦しく、そして滑稽であったことでありましょう。 お疲れ様です。
 また、貴重な体験談を上梓して下さい。御元気で。
Commented by 酒仙マスター at 2007-08-30 06:41 x
ミクシィからとんできた、OBデス

分断されてた頃のベルリン。。。

ワタシは82年のツアーでしたので、東体験はありませんが、
フィルハーモニーの周辺がホントに殺風景だったことや
ブランデンブルク門やチェックポイントチャーリーごしに恐る恐る
東側の写真を撮ったことなどを思い出しました。。。

ベルリンの今の息吹が感じられるブログで楽しめました。
またお邪魔します。。。
Commented by げんこつ2号 at 2007-08-30 15:26 x
中央駅様

はじめまして。
mixiから飛んできました。

私、1986年の時は一年生で、いわゆる「お留守番部隊」のものです。

その後、1989年にはアメリカ合衆国遠征をも含めたワールドツアーに4年生の時に参加という幸運にめぐまれたものです。

1989年というと、秋にはベルリンの壁が崩壊し現在に至るわけですが、同じくシャウシュピールハウスで演奏をさせていただいた際にも、おもしろい体験が出来ました。

「チェック・ポイント・チャーリー」を通って東へ入ったときの、何とも言えない微妙な緊張感は、今でも覚えています。

また機会がありましたらお話しさせていただいますね。
Commented by berlinHbf at 2007-08-30 20:38
>la_vera_storiaさん
こちらこそご無沙汰しています。
お忙しい中、なんだか無理にお呼び寄せしてしまったみたいですみません。しかし、印象的なお話を聞かせていただき、どうもありがとうございます。

Centrumについて、以前書き込んでくださったのはもちろん覚えています。la_vera_storiaさんが分断時代について語られるのを読むと、突如その時代に吸い込まれていくような気がするから不思議です。

ゴルバチョフのヴィトンの広告、大変強烈ですね。
イーストサイドギャラリー周辺の風景のような気もしますが、合成写真でしょうか。ゴルバチョフさんもしばらく見ないうちに、ずいぶんお歳を召されたなあという印象を受けました。ロシアはいまどうなんでしょうか。はっきり言って、ロクな噂は聞かない国に成れ果てているような気がします。

あの時代を振り返るという意味で私の次の「大仕事」は、先日告知したホテルインタビューをまとめることでしょうか。しばらく時間がかかりますが、またお読みいただけるとうれしいです。では、どうぞお元気で!
Commented by berlinHbf at 2007-08-30 20:50
>クネヒトさん
はじめまして!またまた大先輩からコメントいただき、どうもありがとうございます。

あのカラヤンの「パウゼ!」という一言が発せられた出来事の背後にそんなことがあったなんて、びっくりです。こうやってかわすぐらいですから、カラヤンは当時どんな心境にあったのでしょうね。機会があればいつか「カラヤン調書」という本を読んでみたいと思います。

昨夜、久々にあのベルリンライブのCDを聴いてみました。
Commented by berlinHbf at 2007-08-30 20:56
>gramophonさん
>えっ、そうだったんですか。それ聴いてます!

それまたびっくりです。というと86年9月の第9は、山下さんではなくカラヤン自身が振ったということのようですね。Eブロックでお聴きになったのですか。年老いてもあの鋭い眼光は健在だったこととか、大音量と弱音の対比とか、様子が伝わってきました。私も一度生で体験したかったです!
Commented by berlinHbf at 2007-08-30 21:01
>Kaorintanさん
こんにちは!
貴重な昔話は、聞けるときに聞いておいた方がいいかもしれませんね。私も今回痛感しました。
Commented by berlinHbf at 2007-08-30 21:13
>Yozakuraさん
こんにちは、ご無沙汰しています。
まず私の名前ですが、正人ではなく真人です。一般には「正」の方が多いと思うので間違いやすいかとは思いますが。とはいえ、お気になさらずに。

正直私は、チェコやDDRの役人の日本語が堪能だったということから、その背後にある何かを伝えようとしたつもりは特にありませんでした。その先輩の話を聞いても、空いた時間に観光や楽譜を買いに行ったりと、自由に行動できる時間もあったようです。ただ確かに、そういう役人をべったり付かせることにおける向こうの意図は明らかですよね。中国だって、一昔前はこんな感じだったのかもしれません。
Commented by berlinHbf at 2007-08-30 21:24
>酒仙マスターさん
はじめまして!
大先輩の次々のご登場に恐縮してしまいます。
82年のツアーは西ドイツだけだったのですよね。そう考えると、86年はよく東側に踏み込んだなあと思います。

先輩が積み上げてきたものがあってこその今のあのオケなんだとつくづく実感しました。
Commented by berlinHbf at 2007-08-30 21:30
>げんこつ2号さん
はじめまして!今度は89年のツアーに参加された方に書き込みいただけるとはうれしいです。

89 年ツアーというと、壁崩壊の約8ヶ月前。同じ東ベルリンでも、86年とは微妙に何かが違っていたのでしょうね。チェック・ポイント・チャーリーを通って東側に入ったというのも、86年とは違いますね。いつか当時のお話を聞かせていただけるとうれしいです。これからもよろしくお願いします。
Commented by Yozakura at 2007-08-31 15:10 x
中央駅さま
 返信、有難う御座います。

> 私の名前ですが、----真人です。
 以前、このブログにて出演が告知さていれた某放送局のHP番組案内に、確か「---正人」と表記されていた記憶があり、それで間違えたのでしょう。どうも、失礼しました。

> その先輩の話を聞いても、----自由に行動できる時間もあったようで
 日本語に堪能な役人が監視役として滞在国の政府から派遣され、演奏旅行中のW大学管弦楽団に貼り付く体制を、1)「愉快・快適」、2)「止むを得ない」、3)「不愉快・不気味」、或いは4)「それ以外」の何れと看做すかは、実際に参加された学生諸氏が判断される問題なのでしょう。私は、一読者の感想を述べただけです。
 ただ、情報流通の管理統制は、プロレタリアート独裁政治の要の中の要ですから、「嗚呼、またやってるな」と云うのが、傍観者の率直な感想です。そして私自身の、個人的な経験も加味して「息苦しく、そして滑稽
で----」と書き込んだ次第です。お元気で。 
Commented by げんこつ2号 at 2007-08-31 15:42 x
シャウシュピールハウスについての思い出として笑えるものをいくつか披露します。
(1)前の夜、(西)ベルリンのホテルで夜中、部屋飲みをした際に、ザワークラウトの缶詰を開けて、ゆでずに食べた私の仲間全員が腹下し。シャウシュピールハウスの便所に代わる代わる駆け込事態が発生しました。
ご存じの方もいるでしょうが、当時、東ドイツのトイレットペーパーは厚く、一巻き何十メートルなんていうものが存在していませんでした。
つまり数回、駆け込みが繰り返されると、あっという間にペーパー切れが起きてしまうわけです。
そのペーパー切れが・・・私の後に起きてしまったのです。
しかもすでに並んで待っている仲間が早く出ろと言わんばかりにノックの嵐。仕方がないから出ましたよ。トイレから。
入れ替わりの際、紙が切れているよ・・・と伝えるタイミングを逸したまま。
薄情な私は、その仲間を放置していなくなりました。
ごめん、早○。
許せ、早○。
時効だな。
Commented by げんこつ2号 at 2007-08-31 15:43 x
(2)本番当日、シャウシュピールハウスでのGP終わりが17:50くらいだったような気がします。確かホールの横に公演があり、中央に小さな楽譜専門店が建っていました。東ドイツの楽譜は当時西ドイツで購入するよりもはるかに安価でしたので、音楽好きな(?)私たちは、こぞって楽譜屋へ。時間にして18:00。
しかしちょうど楽譜屋の主人は閉店の準備をしており、わんさか集まる学生を無視するかのように、入り口のカーテンを閉めちゃいました。残念がる一同。
しかし現在商社に勤務する○川くんが、おもむろにあるものを店主に見せたとたん、なんと鉄のカーテンが開いたのです!
あるものとは・・・
10アメリカドル紙幣。
さらに店主が驚いたのが、私たちの購入欲のすごさ。
ピラニアのごとく、店内にあった楽譜の90パーセントを買い占めてしまったのです。安い値段で楽譜を購入できて喜ぶ学生達!在庫一掃できて喜ぶ店主!
妙な連帯感が自然と芽生えた瞬間でした。
これはあの輪にいなかった方にはわからないかなぁ~?
拙文のために、思いをすべて伝えられませんが、本当に珍道中であった89年の演奏旅行。叩けばまだまだ「埃」は出ます。思い出したら書きますね。
Commented by berlinHbf at 2007-09-01 20:40
>Yozakuraさん
>某放送局のHP番組案内に、確か「---正人」と表記されていた記憶が

確かにそんなことがあったかもしれません。昨年名古屋のFM局でしゃべらせていただいたときですね。

これからもよろしくお願いします。
Commented by berlinHbf at 2007-09-01 20:57
>げんこつ2号さん
これはこれは・・・抱腹絶倒のエピソードをご披露いただき、ありがとうございました!

ザワークラウトの缶詰は食べたことがないのですが、そのまま食べたら危ないということがよくわかりました(笑)。コンツェルトハウスのトイレに行ったら間違いなくこのエピソードを思い出すでしょう。機会があれば、被害者の早○さんにもご登場いただきたいところですが^^;)。

楽譜屋でのお話も爆笑ものでした。奇妙な情景が目に浮かんでくるかのようです(笑)。外貨をちらつかせてブランド品を買い漁る日本人・・・とはちょっと違いますが、さて帰ろうかなというときに現れた日本人の若者の集団は店主の目にはさぞや衝撃的だったことでしょう。

もし機会がありましたら、(3)以降の続編もよろしくお願いします。
Commented by 某ひろこ at 2007-09-02 09:26 x
こんにちは86年組Vnの某ひろこです、げんこつは基本的に
とても愚か者なのでたたけばナンボでもほこりが出ますよ。
旅行に関してはその後いろんな年代のOBと話したのですが、
どうかんがえても我々の代がいちばんバブリーだったような
気がします。移動規模のスケールでは89年組のほうがすごいの
ですが、僕たちにはレコーディングなんちうビッグなおまけが
ついてたからね。

でもまぁ繰り返すようですが基本げんこつはたいそう愚か者
ですのでバカがうつらないように充分注意してください。
あっ86年組は志高く演奏を追求した節度のある団体だったので
こんなエピソードはありませんからね(^o^)。そこんとこよろしく(大嘘)。
Commented by せい at 2007-09-02 23:27 x
げんこつの同期でせい(Vn)といいます。
私もmixiから飛んできました。
よろしくお願いします。

げんこつは呑気にザワークラウトを喰っていたようですが、その晩は大変なことが起こっていたんですよ。当時の日記を見てみるとこんな感じでした。

86年の2月12日、パリから西ベルリンへ移動して、翌日シャウシュピールハウスでのコンサートだったのですが、シャルル・ド・ゴール空港でパスポートが入った鞄を置き引きに遭いドイツに来られないテューバ吹きが出るとか、5台に分乗していたバスの1台分のメンバーが乗る予定の飛行機が飛ばず全員パリに戻ってしまいベルリンに来ないとか(結局本番にはぎりぎり間に合った、はず)、スーツケースがどこか他の空港に行ってしまって黒服がないまま本番を迎えるボントロ吹きがいるとか、深夜23時から突発事態に対応するための打合会が行われておりました。本番当日もチェックポイントチャーリーで予想以上に時間がかかったため、ステリハの時間が短くなり山○先生が苛立ってくるのを冷や冷やして見ていたものです。
事務局担当としては胃が痛くて楽譜を漁りにいっている場合ではなかったのが実情なのだよ>げんこつ。
Commented by せい at 2007-09-03 06:39 x
おっと失礼しました。
86年ではなく、89年の間違いです。
Commented by berlinHbf at 2007-09-03 18:40
>某ひろこさん
はじめまして!86年は西ドイツだけでもすごい数の場所を回っていますよね。期間も1ヶ月を超えていますし、ドイツグラモフォンでレコーディングなんて、いまとなっては夢のような話です。こんなこと書かれていますが(笑)、また機会があったら書き込んでくださいね>げんこつさん
Commented by berlinHbf at 2007-09-03 18:58
>せいさん
書き込みありがとうございます!
89年2月13日は大変な1日だったのですね。あのチェックポイントチャーリーをワセオケの先輩たちがぞろぞろ通って行ったのかと思うと、ちょっと感慨深いものがあります。待つことが日常の東ベルリンでその日そのまま本番とは、事務局スタッフの方としてはさぞかし気をもんだことでしょうね。時代が時代、場所が場所だけにこういう舞台裏の話というのは楽しいものです。追体験した気分になりました。

私が参加した98年のツアーもいろいろあったのですが(笑)、ここで振り返るのはまあやめておくことにします^^;)。
Commented by 焼そうせいじ at 2007-09-11 05:05 x
東独とチェコの「役人」が話題になっていますが、私なりに推理してみますと…。少なくともチェコのほうは「役人」ではなく、おそらくフリーランスの通訳が政府に雇われていただけでしょう。そういうチェコ人(日本の中学校を出ていて完璧な日本語を話しますが、書くのは苦労していました)に、1985年横浜-ナホトカ航路で会ったことがあります。彼はフリーだと言っていましたが、共産圏でもそうした存在は可能だったようです。

東独のほうは、文化省だかのお役所がそうした「日本語係り」を抱えていたかもしれませんが、別の部署(たとえば国家保安省)の日本語要員を回してもらっていたのかも。しかし、彼らの仕事はおそらく、どこでも共通の「お世話係り」だったんじゃないでしょうか。しかしそれも「監視」に思えてしまうところが、あの体制の真骨頂ですが。
Commented by berlinHbf at 2007-09-12 07:13
>焼きそうせいじさん
日本語ぺらぺらの「役人」の謎が、おぼろげながら解けてきたような気がしています。そういう人物に会っておられるとは、焼きそうせいじさんの読みも信憑性がありますね。あの時代に横浜-ナホトカ航路を経験されているのもすごい。ひょっとしてその後、シベリア鉄道経由でヨーロッパに来られたのでしょうか。

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