ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。
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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。自称ベルリン路上観察者。
2009年10月に、初の著作となる『素顔のベルリン~過去と未来が交錯する12のエリアガイド~』(ダイヤモンド・ビッグ社)を刊行。

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11/28 up!「メンデルスゾーンと壁崩壊」

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ライプチヒ通りのメンデルスゾーン
前回「メンデルスゾーン・レミーゼ」をご紹介しましたが、作曲家のフェリックス・メンデルスゾーンが住んでいた家は、そこから少し離れた場所にありました。

それが、ポツダム広場からほど近い、ライプチヒ通り(Leipziger Straße)3番地の邸宅です。1825年、フェリックスの父アブラハムがこの家を購入し、一家は移り住みました。

1851年にこの屋敷は国に売却され、1904年、プロイセン貴族院がこの地に建てられることになります(現在はドイツ連邦参議院となっているこの建物は、以前紹介しました)。そういうわけで、メンデルスゾーン邸の跡は、残念ながら何もありません。わずかに、連邦参議院の一番右のドアの横に、(写真の)プレートが掲げられているのみです。そこには、この家が芸術と学問の社交の場になっていたこと、フェリックスがここで『真夏の夜の夢』序曲を作曲したこと、姉のファニー・ヘンゼルが有名な日曜音楽会を開催していたことなどが記されています。

関連記事:
ドイツ連邦参議院を見学! (2008-08-17)

裕福なメンデルスゾーン家だけあって、立派な邸宅だったようです。通りに面した建物を抜けると、両翼の建物、そしてその美しさで知られる公園までありました。日曜音楽会は、暖かい季節に庭に面したホールで行われていたそうです。この水彩画はファニーの音楽部屋。明るい光が差し込む、さぞや素敵な部屋だったのだろうと想像させてくれます。

先日、「メンデルスゾーン・レミーゼ」のEva Ghoshさんに案内していただいた時、この2つの椅子はファニーがライプチヒ通りの家で実際に使っていたものだと教えてくれました。確かに上の絵に見られる椅子との類似性は明らかです。近くで見ると、これが細かな装飾で縁取られた、とてもいい椅子なのです。

この十字架の飾りは、ファニーがイタリア旅行の思い出として購入したものらしく、やはり上の音楽部屋に飾っていたものだとか。後にライプチヒに移り住むフェリックスと違い、、(この記事によると)ファニーは1847年に亡くなるまで、このライプチヒ通りの家に住んでいたそうです。

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# by berlinHbf | 2009-11-21 13:39 | ベルリンの人々 | Trackback | Comments(0)
メンデルスゾーン家を知るために
今年は作曲家フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディ(1809-47)の生誕200年に当たります。ベルリンは、ライプツィヒと並んでメンデルスゾーン家にゆかりの深い街。今回は、金融から芸術まで、世界に大きな足跡を残したこのユダヤ系一家を知る格好の場所をご紹介しましょう。

(http://www.haus-mendelssohn.de)より借用

ミッテのジャンダルメンマルクト傍のイェーガー通り(Jäger Str.)は、古くからベルリンの銀行街として知られていました。2つの国立銀行に挟まれ、ベルリン最大の私営銀行として確固たる地位を築いたのが、 1795年創業のメンデルスゾーン銀行です。1815年、著名な哲学者モーゼスの息子にして銀行の創業者であるヨーゼフとアブラハム(フェリックスの父)がこの通りの51番地に越して以来、同地は100年以上にわたってメンデルスゾーン家の生活と活動の拠点になりました。現在、その中庭に面した建物が「メンデルスゾーン・レミーゼ」(Mendelssohn-Remise)という名で、一家にまつわる常設展を開催しています(入場無料の代わりに募金の形をとっています)。

モーゼス・メンデルスゾーン(1729-86)の胸像

館内はコンパクトながら、メンデルスゾーン家ゆかりの品々や資料を集め、展示内容は充実しています。順番に見て回ると、この家系全体に貫かれているある種の「精神」が見えてきます。たとえば、銀行を経営しながらも様々な分野の人との交流を重んじたことです。サロン文化が花開き、博物学者フンボルトや哲学者ヘーゲル、あるいは作曲家クララ・シューマンら、そうそうたる顔ぶれがここに出入りしていました。そのことが若きフェリックスの音楽に大きな影響を及ぼしたことは言うまでもありません。また、慈善活動や今で言うメセナ活動にも力を入れ、世界的名声を得る前の、マネ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソらの作品を集めていたことも注目に値します。

(http://www.haus-mendelssohn.de)より借用

メンデルスゾーン銀行のシンボルマークは鶴をモチーフにしており、その下には「ICH WACH」(私は目覚めている)と書かれています。鶴は古代から注意深さや介護の象徴で、怠惰や無関心とは正反対の概念です。社会、経済、文化、学問に対して関心と責任を持ち、保護育成しようとする。それがメンデルスゾーン家のモットーだったのです。

一時代を築いたメンデルスゾーン銀行ですが、やがて悲劇に見舞われます。反ユダヤ主義のナチスが政権を握ると、フェリックスの音楽はコンサートのプログラムから外され、1938年にはメンデルスゾーン銀行が解散させられるに至るのです。もともと銀行の馬車置き場として使われていたことからレミーゼと呼ばれたこの建物は東ドイツ時代、ガレージとなっていました。ドイツ再統一後にようやく改修が進み、2004年に「イェーガー通り歴史フォーラム」が運営する施設として生まれ変わりました。

不遇な過去によって、フェリックスの音楽やメンデルスゾーン家の研究はドイツ本国においてさえ遅れていると聞きます。彼らに新しい光が当たるのはこれからと言って良いでしょう。メンデルスゾーン家の精神を受け継ぎ、このレミーゼではコンサートなどの文化的な催しも頻繁に行われています。
ドイツニュースダイジェスト 11月20日)

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# by berlinHbf | 2009-11-19 01:56 | ベルリンの人々 | Trackback | Comments(3)
新博物館が再オープン
10月17日、新博物館(Neues Museum)がついに再オープンしました。修復作業中の内部の様子は、2年前に紹介したことがあります。実に70年ぶりの開館で、これにより博物館島5つのミュージアムが全て見学できるようになったわけです。もちろんベルリンでも大きな話題となりました。

関連記事:
修復中の新博物館が一般公開 (2007-10-25)

入り口は、新ナショナルギャラリーの横にあります。メルケル首相も参列しての記念式典の翌週、様子を見に行ったのですが、ご覧の通り長蛇の列ができていて、今回入るのは諦めました。新博物館のチケットは時間指定制になっていて、買った段階ですぐに入れるわけではないのです。一番いいのは、こちらのサイトから日時を予め指定してチケットを買っておくことだとか。

現在の人気ぶりは当分続きそうですが、最近観に行った知人は、「ペルガモン博物館より素晴らしかった」とまで言っていました。有名なネフェルティティの胸像を始め、古代エジプト美術や先史時代の美術を収めたコレクションはもちろん、戦争の傷跡と現代的要素を目に見える形で融合させた内部空間も、大きな見ものだろうと思います。

来年には、新博物館のこの西側の部分に、博物館島の総合エントランスホールの工事が始まるそうです。

素顔のベルリン』のP25には、新博物館の開館時間の記載が間に合わなかったので、よかったら以下の情報をお書き込みください。

(開)日~水10:00~18:00、木~土10:00~20:00

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# by berlinHbf | 2009-11-17 23:57 | ベルリンと文化 | Trackback | Comments(4)
オーバーシュプレー・ケーブル工場でのコンサート
Kabelwerk Oberspree (2009-9-22)

しばらく音楽の話題から遠ざかっていたので、また折に触れてここ数ヶ月で聴いたり見たりしたものを書いていきたいと思います。

もう2ヶ月近く前になりますが、ラトル指揮ベルリン・フィルのショスタコーヴィチ交響曲第4番の演奏に衝撃を受けたということを書きました(その時の記事はこちら)。その約1週間後、トレプトウ・ケペニック地区のオーバーシェーネヴァイデ(Oberschöneweide)のケーブル工場で同曲が再び演奏されるというので、チケットを持っていなかったにも関わらず、足を運んでみました。

旧東のSバーンのシェーネヴァイデ(Schöneweide)の駅で降り、トラムに乗ってシュプレー側を渡ると、対岸にオーバーシェーネヴァイデの古い工場群が見えてきます。この場所は19世紀末から20世紀初頭のドイツの工業史と深いかかわりを持っており、現在はそれらの建物の多くが文化財になっているそうです。

ベルリン・フィルは2007年のヨーロッパコンサートをここで行っており、その縁から今回のケペニック800周年記念コンサートがここで開催されることになったのではないかと思います。しかし、このコンサートは数ヶ月前から売り切れで、当日行っても聴けるかどうか定かでなかったのですが、「チケット求む」の札を下げてしばらく立っていたら、運よくチケットを譲ってくれた方がいました。それが、「壁とベルリン」第5回 - WISTAに見る東独の再生例 -でご紹介したヨアヒム・メルケさんです。一緒に行くはずだった奥さんが来れなくなったためとのことですが、私にとってはラッキーな出会いでした。メルケさんにはその後もよくしていただいています。

1890年以降、オーバーシェーネヴァイデには電気メーカーAEG社の拠点があり、1897年にこのケーブル工場が操業を開始します(当時1800人が働いていたとか)。ナチス時代はここで強制労働も行われていたそうで、フルトヴェングラー指揮の戦時中の工場での演奏もここが舞台だったと聞いたことがありますが、本当なのでしょうか。それはともかく、中に入るとその広さに圧倒されました。

この奥に舞台があります。当夜は冒頭にベートーヴェンの交響曲第2番が演奏されたのですが、これだけ広い空間にも関わらず、音が明瞭にすっきりと響くのに驚きました。

演奏自体はフィルハーモニーで聴いた時の方が上だったものの、東独時代は国営のコンビナートだったこの場所で、ショスタコーヴィチの第4を聴くというのは何ともいえない体験でした。

近年、オーバーシェーネヴァイデでは、これらの古い工業施設などを再利用して文化活動が盛んになってきているそうで、ぜひまた訪れたいと思います。

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# by berlinHbf | 2009-11-16 01:33 | ベルリン音楽日記 | Trackback | Comments(9)
『素顔のベルリン』、出版記念パーティー
ご報告がすっかり遅くなってしまいましたが、11月1日(日)に『素顔のベルリン』の出版記念パーティーを行い、予想を超える多くの方々にお越しいただきました。どうもありがとうございました!

まず会場の空間がなかなか面白かったです。もともとは20世紀初頭に造られた古い給水塔なのですが、80年代中期に地区から援助を受けて若者の一種の文化センターになっています。写真のカウンター形式の部屋の他、奥にはちょっとしたコンサートもできるホールがあり、予想以上に広かった。卓球台やサッカーゲームのある部屋もあって、パーティーの後半はそちらで盛り上がっている方々もいました。

ゲストの皆さんは本当に多彩で、私がベルリンに来て最初に知り合った古い友達から、ブログを見て来てくださったという初対面の方、はたまたハンブルクやチューリヒといった遠方からお越しの方までいて、大いに盛り上がりました。日頃のブログや本のご感想などを直接聞くことができたのはうれしかったですし、新たなネットワークも生まれたりして、私にとって貴重な時間でした。

生まれて初めて、サイン会なるものをさせていただいたのですが、慣れないことをしたせいか、とんでもないポカもしてしまい・・・^^;)。

準備段階から当日まで細やかなサポートで、この素敵なパーティーを演出してくださった「クニさん」を始め、『素顔のベルリン』を迅速に発送してくださった「地球の歩き方」の伊澤さん、そして本の制作に力添えをいただいた方々に改めてお礼を申し上げます。本当に楽しかったし、エネルギーをもらいました。次の仕事に向けて、また精進したいと思います。

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# by berlinHbf | 2009-11-15 00:46 | ベルリンてんこもり | Trackback | Comments(9)
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