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ベルリン-東と西が出会う場所。ドイツにありながらドイツではない町。歴史の影に彩られた栄光と悲運の世界都市。そんなベルリンの奥深い魅力をリアルタイムでお届けするブログです。Since 1. August 2005


by berlinHbf

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中村真人 (Masato)
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学第一文学部を卒業後、2000年よりベルリン在住。ベルリンの映像制作会社勤務を経て、現在はフリーのライター、ジャーナリスト。


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本書は2009年10月発行「素顔のベルリン」の増補改訂版です。2013年に改めて新規取材を行い、データを更新。レストランやショッピング、コラムなどのページも増量し、より充実したガイドブックに生まれ変わりました。

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私とベルリンとの出会い 1988-2006

私とベルリンとの出会い 1988-2006_e0038811_317618.jpg
ポツダム広場にて。手前はかつての壁の一部(2006年1月9日)。

今回は非常に長い内容になってしまいましたが、私がいかにしてベルリンという町を知り、興味を持つようになったのか、その一部について書いてみたいと思います。自分がなぜここにいるのかを問い直す上でも、一度書いてみたいことでした。大変長いですが読んでいただけると幸いです。



私がベルリンという町の存在を知り、漠然とした興味を抱いたのはいつかと考えると、まず思い至るのは1988年という年だ。私はこの年の春に中学校に進学したのだが(完全に歳がバレる^^;)、その中学時代最も楽しかった授業の一つに、1年生の地理の授業がある。私はもともと地図を眺めるのが好きで、日本地図を眺めては見知らぬ土地に思いを馳せていた。思いが高じて、この年の夏には九州を一人で旅して回ったほどだった。だが日本だけでなく、世界にも興味を持つようになったのは、この地理の授業がきっかけだったかもしれない。

社会科の山田先生は世界中を回られているという方ではなかったが、とても誠実な人柄の先生で、毎回世界のいろいろなことを教えてくださった。ご自身が訪れた国の写真を持って来て授業中に見せてくれることもあったし、地図帳や写真の豊富な資料集も折々参照しながら、ちょっとした旅行気分も味わえる楽しい授業だった(少し前に聞いた話によると、山田先生は横須賀市内のある中学校で、現在は校長先生として活躍されているらしい)。

私とベルリンとの出会い 1988-2006_e0038811_861920.jpg
授業はアジアから中東、アフリカの順で進み、ヨーロッパに入ったのはその年の10月ではなかったかと思う。「ドイツ連邦共和国(首都ボン)」と「ドイツ民主共和国(首都ベルリン)」をセットにして覚えた。そして、「ヨーロッパ共同体(EC)」と「経済相互援助会議(コメコン)」のセット、また「北大西洋条約機構」と「ワルシャワ条約機構」の組み合わせもよく覚えている。国際河川ライン川については、山田先生がコブレンツ(ライン川とモーゼル川がここでぶつかる)を訪れた時の写真を見せてくれた。いずれも教科書では太文字になっていたと記憶している。教科書の太文字の項目というのは、まず重要だからそうなっているのであり、そしてそれはずっと続くものなのだと当時の私は漠然と思っていた。

学校で習った時期とどれぐらい前後しているかは定かでないが、私は母親からソ連の話を聞いたことがあった。母は70年代前半にソ連を旅したことがある。スーパーにいかにものがなかった話とか、それに関連してだったかベルリンの壁の話もしてくれた。詳しい内容はもう覚えていないが、こういうことを言ったのだけは覚えている。
「ベルリンの壁は私が死ぬ頃までなくならないだろうね」

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ベルリンに漠然と興味を抱くようになったきっかけとしてもう一つ、私が横須賀という基地のある町で生まれ育ったということと、どこかで関係している気がする。80年代の冷戦の最中、米軍の基地という特殊な環境下の横須賀では平和運動が盛んだった。親に連れられて、原爆や核の脅威が一体どれほどのものなのかを示した展示会や映画を結構いろいろ見せられた。厚木基地や横須賀基地にソ連からの核ミサイル「トマホーク」が落とされたら、どのくらいの被害を受けるのかをリアルにシミュレーションした映像も見たことがある。そういうことが大真面目に語られていた時代だったのである。それらの映像は、小学生の私には夢にまで出てきそうなくらい、恐ろしいものだった。

今にして思えば、横須賀という基地の町に住む自分、米ソの冷戦、そしてその最前線にあるベルリンという町、その3つの現実が私の中で徐々に重なり合っていたような気がしてならない。

私とベルリンとの出会い 1988-2006_e0038811_7551570.jpg
現実のベルリンの映像を初めて見たのは、同じ年の12月だったと思う。1988年の秋、オリエント急行が日本にやって来た。フジテレビの開局何10周年かの記念企画の一環で、かの豪華列車がパリから、東ヨーロッパ、シベリア鉄道を経由して、ユーラシア大陸の果ての北京へ。そして最後は上海から船に運ばれて日本にやって来たのである。当時の政治の状況下で、よくこのような壮大な計画が実現したものだと思う。そのオリエント急行が日本に来るまでの様子を追ったドキュメンタリー番組が、12月にフジテレビで放映されたのだった。

パリでの華やかな出発の様子、番組の最後でオリエント急行が広大な黄河を渡る場面など、見どころは少なくなかったと思うが、私が一番印象に残っているのは列車が東ベルリンに入るシーンだった。駅(フリードリヒ・シュトラーセの駅かな?)に到着すると、物々しいDDRの警備隊が車内に乗り込んでくる。「列車に緊張が走ります」というナレーター氏の一言。短いシーンだったが、東西に分断されたベルリンの様子がリアルに伝わってきて、私は食い入るようにして画面を見つめた(その番組はビデオに録画したのだが、直後壊れてしまい、残念ながら再び見直すことはできなくなってしまった)。

私とベルリンとの出会い 1988-2006_e0038811_7514466.jpg
昭和天皇が亡くなり重い空気の中で始まった1989年、その3学期最初の登校日の授業で、なぜか横須賀の核脅威に関するビデオを見せられたのはよく覚えている。市の教育委員会が作ったのか、ちゃちな再現VTRが入った映像だったが、横須賀は依然ソ連からの核の脅威にさらされている現実に対して、改めて念を押されているような感じがした。

ゴルバチョフがテレビのニュースによく登場するようになって、何かが少しづつ変化しているのに気付いていたと思うが、私は学校と部活動に追われていて、その年の世界の出来事については天安門事件を除いてあまり覚えていない。あの11月9日までは。

私とベルリンとの出会い 1988-2006_e0038811_7585934.jpg
ベルリンの壁崩壊のニュースは、夜の「ニュースステーション」で私は知った。いきなり目の前に飛び込んでくる映像を見て、全く信じられない思いだった。大勢のベルリンの人々が抱き合い、人目を憚ることなくみんな泣いている。そして、トラバントに乗った東の人々を西の人が拍手で迎える。あれはまさに歓喜というにふさわしいものだった。私はテレビの前で呆然となった。物が溢れ、バブル期の絶頂だった日本のテレビで目にするのは、大学生がコンパでバカ騒ぎしている映像とか、そういうものが多かったように思う。人間がああいう風に喜びと感動を表しているシーンを私はそれまで見たことがなかったのかもしれない。

画面のベルリンの人々の様子を見て全く興奮が抑えられなくなった私は、次に何をしたかといえば、2階で寝ていた母親をたたき起こしに行くことだった。「ベルリンの壁が壊れたよ!」と。

「壁は自分が死ぬ頃までなくならない」と私に言っていた母親に、「それ見たことか」と言ってやりたい気持ちも働いていたのだと思う。80年代の重苦しい現実と、あのベルリンの人々の歓喜との対照は実に鮮やかだった。世界がこうもひっくり返るなんてことがあるんだ。横須賀にトマホークが撃たれる危険もとりあえずはなくなったのだった(ほっ)。

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激動の1989年も年の瀬を迎えたが、その月で印象に残っているシーンが2つある。まず冷戦の終結を告げるマルタ会談でゴルバチョフ書記長とブッシュ(シニア)大統領ががっちりと握手している場面、そして年末に処刑されたルーマニアのチャウシェスク大統領の遺体の写真だ。両方とも新聞のトップ面にでかでかと掲載されたので、極めて印象に残っている。あの2つのシーンで、共産主義独裁体制の終焉と新たな時代の幕開けを期待した人はきっと多かったはずだ。おぼろげだったとは思うが、中学生の私もその1人だった。

あれから16年。世界はよくなるどころか、逆に悪くなっている印象さえ受ける。核の脅威は依然なくならないし、文明国家はテロという別の脅威に直面することになった。あの輝かしい歓喜の渦で満たされたベルリンとて、明るい話題はむしろ少ない。相変わらず失業率は高いし、東西の格差は今後も簡単には埋まらないのだろう。壁の崩壊と早急なドイツの再統一を今となっては醒めた目で見る人がいることも、もちろんわかっている。

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さらに言うと、当時私が見たベルリンというのは、全てメディアを通したものに過ぎない。壁の崩壊は「西側世界の勝利」であるかのように、日本のメディアは劇的に報道したが、当時の事情を詳しく知る方はまた違う意見をお持ちだろう。このブログでも分断時代の跡をいろいろ訪ねてはいるものの、勉強不足だったり私の勘違いが含まれていたりと、笑止千万なところもあるのは承知の上のこと。実際のところ、いろいろ書いてはいるが私はあの時代について何もわかっていないのかもしれない。本物のベルリンを私が初めて訪れたのは、その約10年後の1998年のことだった。

しかし私はメディアを通してとはいえ、1988年から89年にかけて目の当たりにした一連の出来事を決して忘れることはないだろう。世界が動くということをこれほど実感させられた年もないし、そのことを私に教えてくれたのがベルリンであり、あのベルリンの人たちだった。世界は変わり得るし、また時には自ら変えることさえできる。こう言うと楽観的に過ぎるかもしれないが、私にとってベルリンという町は、人間のそんなポジティブなエネルギーの象徴として今もあり続けているのかもしれない。

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by berlinHbf | 2006-03-23 00:14 | ベルリン思い出話 | Comments(28)
Commented by ジュリオ at 2006-03-23 14:04 x
冷戦末期の横須賀の様子も興味深いですね。お母さんがソ連に行ったことがあるっていうのいもすごいですねー。70年代だとまだそれなりにモノがあった時代でしょうけど、やっぱ日本と比べると印象が悪かったんでしょうね。自分はberlinHbfさんとは10歳くらい年下ですが、ベルリンの壁崩壊が何故かイコール、ベートーベンの歓喜の歌という連想で記憶に残っています。崩壊時に開かれた記念コンサートを伝えるニュースがよっぽど印象的だったのでしょうかね・・・。ベルリンの歌とか称して第九の替え歌を口ずさんでました。あの時は、「なんか大人の世界で何か大きなことが起きてるのかなーって」という感想しかもっていなかったですが。しばらくして小学校にあがるとトラバントのミニカーとかベルリンの壁のかけらも親にせがんでましたねー。しかしオリエント急行を日本まで呼ぶなんてバブリーな時代だったんですね。
Commented by Cafe at 2006-03-23 19:53 x
はじめまして。私も小さい頃から世界史が大好きで、それをきっかけに先月ドイツ他を旅しました。特にベルリンの街並に大変興味を持ち、数日間の予定を延期して2週間も滞在したほどです。最初に降り立った場所が旧東ベルリン側。大きな道路と大きな建物群に「これが社会主義なのか!」驚きました。それから沢山の場所を歩き、東と西に分かれていた時代に想いを馳せたりしていました。他にも、街自体のデザイン性や人のこぎれいさなど・・・とにかく感動することが多くて、また行ってみたい場所です。これからもちょくちょく訪問させてくださいね!
Commented by madonotabi at 2006-03-23 23:59
今回の記事を大変興味深く拝見しました。私も歳がばれますが、私は大学の経済学の授業で欧州が1つの通貨に統一されるかもしれない。そうなったらどんな利点があるか?なんてことを真剣にゼミで討論していました。お母様の意見と同じく、ソ連に行けるのは特殊な能力(バレエなど)があるか特権階級か、ベルリンの壁がなくなるなんて考えもつかなかったのです。それに対しEC統合を中学で習ってしまう世代があることに今更ながら衝撃を受けてしまいましたが。。誠実な先生との出会いからでベルリンに住むにまでなった方がいると思うと、幼いときから世界のあらゆる面を教えてあげて欲しいと思います。
私は、やっとベルリンの地を踏むことが出来ましたが、そのインパクトはあまりに大きく、これがあの頃だったらとちょっぴり悔しく思ったりもしますが、何かを感じるのに遅いも早いも関係ないと自分に言い聞かせ、見なくちゃいけないと思ったものを見ることを止めないつもりです。
Commented by ISR at 2006-03-24 03:29 x
コメント有難うございました。僕のブログではTB制限が有効になっています。TB送信先記事のURLがご自身の記事内に無い場合、それはスパムとして反映されないようです。エキサイトブログにも同じ機能があると思います。以前僕がTBを送ろうとしてもうまく行かなかったのは、それが原因だったと思います。

さて、オリエント急行が来たときは僕も中学生でした。一般公開の抽選に当選し、学校を休んで2時間かけて見に行きました。当時は連日のようにベルリンや東欧の政権交代(崩壊)のニュースを目にしていましたが、特に関心があったわけでは無かったです。しかし、浮かれた日本の外では、何かただ事ではない動きがあるということだけは、中学生の頭の隅に引っかかっていたようです。(貴ブログをリンクに加えさせて頂きました。)
Commented by berlinHbf at 2006-03-24 08:28
>ジュリオさん
壁崩壊時、ジュリオさんは幼稚園児でしたか。その頃から既にトラバントのミニカーをせがんでいたとは早熟なお子さんだったんですね(笑)。
>崩壊時に開かれた記念コンサートを伝えるニュース
よく覚えていらっしゃいますね。あの年の年末にバーンスタインがベルリンで第9を指揮しましたね。89年と翌90年ほど、第9の音楽が意味深く鳴り響いた時もそう他にないと思います。私もあの年に第9にはまりました。
>オリエント急行を日本まで呼ぶなんてバブリーな時代だったんですね。
確か、オリエント急行に乗って日本を一周する旅が120万円で、そのツアーがあっという間に売り切れた、なんていうニュースもありました。
Commented by berlinHbf at 2006-03-24 08:42
>Cafeさん
はじめまして、ようこそいらっしゃいました!
>数日間の予定を延期して2週間も
いい旅になってようでよかったですね。歴史に興味があると、ベルリンは本当に興味深いことの連続ですよね。
>大きな道路と大きな建物群
ひょっとしてカール・マルクス・アレーでしょうか。
私もあの通りを初めて歩いた時は、衝撃的でさえありました。よかったらこちらもご覧ください。
http://berlinhbf.exblog.jp/m2005-09-01/#915918

またいつでも気軽に書き込んでくださいね!
Commented by hummel_hummel at 2006-03-24 08:42
この記事は力作ですね!同じく、ベルリンの壁崩壊や、チャウシェスク処刑シーンを見た瞬間は、その時の自分の状況とあわせてしっかり脳裏に焼きついてます。(歳がばれるので詳細言うのはやめますが・笑)。
地理や世界史を勉強していた頃のこともすごく過去に思えますね。。そして当時は地図帳や教科書でしか知らなかったドイツに、現在生活していることが不思議に思えます。

5年ほど前、ドイツへ引っ越すため、区役所で転居手続きをしたとき、窓口のエラそーなおっさんがPCに届出事項を入力しながら、「ドイツだけじゃなくて、連邦共和国か民主共和国かどっちかちゃんと書いてもらわないと困るね!」と。。日本の役所はおそるべしです!
Commented by berlinHbf at 2006-03-24 08:54
>madonotabiさん
>欧州が1つの通貨に統一されるかもしれない。
あの頃は通貨統合もまだ半分夢の話でしたよね。
今ユーロを普通に使っていますが、まさに歴史の積み重ねと対話の努力の結果だと思います。それを忘れないようにしないと・・

>これがあの頃だったらとちょっぴり悔しく思ったりもしますが
それは私もベルリンを歩いていてしょっちゅう思うことです。
検問所を越えて、西から東に入ってみたかったし、壁を目の前にした時の威圧感も感じてみたかった・・昔のベルリンの方が刺激的だったという方のお話を聞くと特に思いますね。今となってはどんなに金を積んでも無理ですが。どんどん小奇麗になっていくベルリン、これからどうなっていくのでしょう。
Commented by berlinHbf at 2006-03-24 09:05
>ISRさん
どうやらISRさんとは同世代のようですね!
>一般公開の抽選に当選し、学校を休んで2時間かけて見に行きました。
今となってはうらやましい話です。オリエント急行は2ヶ月ぐらい(?)日本に「滞在」していたので、私も1度ぐらいは現物を見たいと思っていましたが、結局いつの間にか本国に帰ってしまいました。日本の農村をバックにあの豪華列車が走る写真を見て、すごいギャップを感じましたが。

同世代としてこれからもよろしくどうぞ!(リンクありがとうございました)
Commented by berlinHbf at 2006-03-24 09:23
>フンメルさん
>当時は地図帳や教科書でしか知らなかったドイツに、現在生活している>ことが不思議に思えます。
そういえばそうですよね。なんでこんなところにいるんだろうと、ふと不思議に思うことが私もなくもありません。全てはあのトマホークのせいかも(笑)。

最後の役所での話はすごいですね。何でも正式名称で書かないと気が済まない人だったのか、それともドイツ統一を知らなかったのか。まさか後者ではないと思いますが・・
Commented by lignponto at 2006-03-24 17:06 x
ポツダム広場の壁は、懐かしいですね。
私は、1988年の9月~1990年の1月まで海外にいました。
壁が崩壊したのを知ったのは、帰国してからでした。
Commented by berlinHbf at 2006-03-24 19:14
>lignpontoさん
激動の時代に海外にいらっしゃったのですね。
ちなみに壁の写真ですが、ポツダム広場とライプチヒ広場で撮ったものが主で、テレビ塔が写っているのはNordbahnhof付近で撮ったものです。
Commented by Cafe at 2006-03-24 19:30 x
大きな通り、まさしくカール・マルクス・アレーでした!あれには本当感動しました。でも単に「すごいな」という感情よりも、歴史の深さが身にしみるような時にさみしくも思える思いを抱きました。上手に説明できないのですが。。。ベルリン全体にいえる思いでした。不思議な思いです。
Commented by nozomu at 2006-03-24 23:44 x
いろんな出来事や環境が重なってベルリンに引き寄せられたというか、日本的表現で言えば、「縁」があったのですね。非常に興味深く読ませていただきました。

壁の崩壊に関しては、私は当時はさほど関心がなく(大学生だったのですが・・・お恥ずかしい限りです)、ベルリンにもあまり興味がありませんでした。ただ、当時観た「ベルリン天使の詩」という映画はよく覚えています。

その後、たまたま仕事の関係で2001年から2002年にかけて滞在し、ジーゲスゾイレを見て、「あ、天使が上から見てた塔だ!」と思い出したくらいです(まことにお恥ずかしい)。

カール・マルクス・アレーも行きました。社会主義国独特の大通りのスケール感に驚く反面、保守が行き届かずに歩道ブロックがガタガタしているのを見て、複雑な気持ちだったのを覚えています。
Commented by la_vera_storia at 2006-03-25 00:30 x
中央駅さん、私が別の場所で投稿した内容、かなりお気に障ったのではないかと思います。「今のベルリンはつまらない。ウンザリだ。」とかいう内容です。申し訳なく思っています。しかし私の本心は本心として一度は吐露しておきたかったことでした。では分断時代のベルリンはおもしろかったのか? おもしろいとか、おもしろくないとかはさておき、スリルは過去のほうがありました。そういう一端、あの別の場所に先ほど投稿しておきました。まだ全体の最初の2回分だけです。あと続きを何日かに分けて3~4回投稿する予定です。まさに貴地ベルリンで17年前の歴史の大転換期の真っ只中にいた私にとっては、自分なりに思い切った行動に出たつもりでした。あの時代の私の行動、ある一人のDDR市民の心情、街行く一般の人々の姿...それらをどうしてもできる限り皆様にお伝えしたいという私の願いです。お読みいただければ非常にありがたいと存じます。
Commented by 焼きそうせいじ at 2006-03-25 05:25 x
89年、都内の女子高の教壇に立っていました。「山田先生」のような誠実な先生ではなかったにちがいありませんが、世界史の授業をネアンデルタール人ではなく「ベルリンの壁」で始めました。壁博物館で買ったスライドを見せたときに「センセー今日は真剣だね」と生徒に言われちゃいました(笑)。いつもはよっぽどひどかったのでしょう。

大半の日本人にとっても、あの日が「11月9日」であることが、興味深いです。パールハーバーには12月8日と7日があるのですが。私にとってあの日は「11月10日」です。朝のラジオのニュースを聞いても本気にしなかった(出国自由化といっても裏があるに違いないと)こと、件の高校で授業を終えて、飯田橋駅のキオスクに並ぶ夕刊に「東独市民次々に西独入り」という見出しをみたときの驚天動地…。

中央駅さんの力作のおかげで、いろんなことを思い出しました。
Commented by c/o Watolla at 2006-03-25 07:11 x
まさとさんのご近所の者です。私はまさとさんより5才くらい下ですが、壁崩壊が記憶にありません。東に関してはよく言えば偏見なし、悪く言えば全く無知な状態でベルリンに来て、居ついてしまいました。ところができたパートナーがガビガビ東独人。私の場合は東の人から聞いた話や、東を訪れてみて感じたことがまずあって、そこから「世界史」の一部でしかないDDRを遡って知るというプロセスを辿りました。予備知識がある人とは理解の方向が逆なんですね。
東についてのリアルな情報が手に入る環境に身をおくことになり、いつの間にか何かというと東の肩を持つ傾向にある私。東といえばネオナチしか思い浮かばない人も、社会主義に酔ってしまう人も、ぜひ現在進行形の東を見て欲しいですね。それには旧東ベルリンよりもっと郊外に出たほうがいいでしょう。東がどんな現実を抱えているのか、統一とは何だったのか、どんな人達が何を考えて生きているのか、ぜひ感じて欲しいです。
Commented by berlinHbf at 2006-03-25 08:50
>Cafeさん
>歴史の深さが身にしみるような時にさみしくも思える思い
そのお気持ちは何となくわかるような気がします。私もこの町を歩いていて、ふと歴史の重層性に思いをいたすことがありますね。言葉にはし難いのですが、歩く度にいろいろ発見がある町なのは確かです。
Commented by berlinHbf at 2006-03-25 08:57
>nozomuさん
>いろんな出来事や環境が重なって
確かにこれは「縁」と言えるようなものかもしれません。例えば、89年7月のフランス革命の200年祭をテレビで見て覚えていますが、「200年も昔のことじゃないか」ぐらいにしか当時の私は感じることができませんでした。壁がまだ存在していたベルリンの方が、パリよりもはるかにヴィヴィットだったのは確かなようです。

>「ベルリン天使の詩」
私が今一番観直したい映画かもしれません。ベルリンに住んでからはまだ観ていないので・・
Commented by berlinHbf at 2006-03-25 09:17
>la_vera_storiaさん
こちらからも中欧の掲示板にコメントを入れるつもりだったのですが、先を越されてしまいました。先日の投稿のことは、どうかお気になさらないでください。私にとっては自分の書いていることを見直すための、いいきっかけをいただきました(皮肉で言っているのではありません)。ホテル・ウンター・デン・リンデンは、以前取り上げた共和国宮殿の延長線上で書いてしまったのですが、意味合いを取り違えてしまったようです。私のような若造が、あの時代について語ろうとするには勇気が必要な時もありますが、これからもいろいろとご教示よろしくお願いします。

「マジャール人の手品」、拝見しました。とにかく続きが楽しみでなりません。私のブログでも次回簡単にご紹介させていただけたらと思っています。多くの方に読んでいただきたいですし。
Commented by berlinHbf at 2006-03-25 09:31
>焼きそうせいじさん
89年当時は東京にいらっしゃったのですね。いろいろと楽しいエピソードをありがとうございます。
>私にとってあの日は「11月10日」です。
なるほど。わずか数年前までベルリンに住んでいた方からしたら、最初はまさかと思うでしょうね。私が「ニュースステーション」であのニュースを知ったのも、ひょっとしたら10日の方かもしれません。9日の夜には、まだあの歓喜の映像は入ってこなかったのではないかと思います。その間、他のテレビや新聞で壁崩壊のニュースを知ってもおかしくないのですが、私がまず思い出すのは久米さんの「ニュースステーション」です。あの映像は、まるで生中継のようなリアルさがありました。
Commented by berlinHbf at 2006-03-25 09:42
>c/o Watollaさん
初コメントですね。ご近所からどうもありがとうございます(笑)。
>パートナーがガビガビ東独人
そういえば自分の身近なところにこの方がいました(笑)。今度彼にインタビューさせてください。89年のこの出来事のこととか、改めてゆっくりお話を聞いてみたいです。

>旧東ベルリンよりもっと郊外に出たほうがいいでしょう。
ベルリンからフランクフルト・オーダーに列車で向かう途中にいくつか降りてみたい駅があったんですが、まだ実現できていません。私にとっては意外な盲点かも。パートナーさんの出身地にもぜひ一度行ってみたいです。
Commented by tanihiro4 at 2006-03-25 21:07 x
いつも見せていただいて感銘をうけております。ベルリンには行ったことがありませんが10月10日のニュウスステーションで壁が壊される場面を見て何かが変わると感じたことは憶えています。でもどうなんでしょうか?何かが悪い方に変わったと言った方が正確かな?とこの頃思います。我々の世代が悪かったのか?と思いますが今では日本も失業者が増えて格差が一段とついて一億総中級と言っていた事が嘘のように今は一億総下層階級ですね。安いツアーでドイツを回りコブレンツに泊まったとき散歩しているドイツ人を見てヒットラーがゲルマン人は特別だと思ったことが実感できましたことを思い出しています。
Commented by Nana at 2006-03-26 05:17 x
お久しぶりにお邪魔します。
同じくベルリンという町にものすごく惹かれている私にとって、
この記事とっても読んでて興味深かったです。
ベルリンの壁崩壊の当時の詳しい事情はあんまり覚えてないですが、
とにかく、ベルリンをはじめて訪れて、ツォー駅周辺の現代的な雰囲気のど真ん中にあのヴィルヘルム教会が聳え立っているのを見た時、本当になんともいえない気分になりました。ものすごく心が痛みました。
人間てなんて虚しいことしたんだろう、て思いました。

ところで、写真はいつ撮られたものですか?

上から5番目の写真はポツダム広場駅ですか?
あんなにたくさん壁跡が残っていたのは知りませんでした。
Commented by ausdrucksvoll at 2006-03-26 10:27
初めまして。いつも楽しく読ませていただいています。
今日の記事に採り上げられています、パリから東京まで電車を走らせたビデオは、私が小学校二年生の時我が家にビデオという文化が初めて到来し最初に録った番組でしたので鮮明に覚えています。確か数分ごとに昭和天皇の御容態がテロップで流されてました。その番組で私は壁の存在と、今専門にやっているホルンという楽器を同時に知りました。
その後「壁」やベルリンのことは学校の授業やオケの録音等での間接的な接し方しかできなかったんですが、先月ようやくベルリンに行き直接それらに触れることが出来ました。色々思ったことはありますが、特に着陸寸前の飛行機から見たベルリンの街が忘れられません。ベルリンはもう少し歴史や音楽を勉強を積んでからもう一度訪れたいと思っています。
Commented by berlinHbf at 2006-03-26 10:31
>tanihiro4さん
はじめまして!ご訪問ありがとうございます。
>何かが悪い方に変わったと言った方が正確かな?
89年のバブルの頃に比べると、日本の社会はどんどん格差が広がりつつあるようですね。アメリカ型の市場主義とは一歩距離を置いているドイツでも、課題は山済みで、改革の必要性ばかりが叫ばれている昨今です。これからに注目ですね。

>コブレンツに泊まったとき散歩しているドイツ人を見て
よっぽど何かいやな思いでもされたのでしょうか。

これからもよろしくお願いします。
Commented by berlinHbf at 2006-03-26 10:54
>Nanaさん
コメントありがとうございます!こちらこそご無沙汰していました。
>ツォー駅周辺の現代的な雰囲気のど真ん中にあのヴィルヘルム教会>が聳え立っているのを見た時
あの教会もベルリンのひとつのシンボルですよね。ベルリンをしばらく離れていて、西側から列車でツォー駅に入る時は、あの教会を見逃さないようにしています。ああベルリンだなあ、と思う瞬間ですね。

壁の写真ですが、6枚目と7枚目以外(昨年秋)は、今年に入ってから折に触れて撮りました。5枚目のポツダム広場の壁跡は、比較的最近設置されたものです。本当にあの場所にあったものなのかどうかはわかりませんけど。
Commented by berlinHbf at 2006-03-26 11:03
>ausdrucksvollさん
はじめまして!ようこそいらっしゃいました。
>私が小学校二年生の時我が家にビデオという文化が初めて到来し最
>初に録った番組でしたので
そ、そうなんですか・・それはすごい偶然ですね。この話、書いてよかったです。
>確か数分ごとに昭和天皇の御容態がテロップで流されてました。
まさにそうでしたね。久々に当時のことを思い出しました。あの時の映像、いつかまた見てみたいものです。

ティーレマンの「アルペン」は私は3日目を聞きました。詳細な感想にびっくりしました。またぜひ寄らせていただきますね。

これからもどうぞよろしく!

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